西澤 晋 の 映画日記

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2010年 11月 01日

マネキン(1987) ☆

f0009381_1037437.jpg監督:マイケル・ゴットリーブ
脚本:エドワード・ルゴフ/マイケル・ゴットリーブ
撮影:ティム・サーステッド
音楽:シルヴェスター・リヴェイ

出演:
アンドリュー・マッカーシー (ジョナサン)
キム・キャトラル (マネキン=エミー)
ジェームズ・スペイダー (リチャード)

       *        *        *

今をときめく『SEX AND THE CITY』のサマンサ=キム・キャトラル登場!

愛情を注いで作ったマネキンが人間の姿になり、創造主とらぶらぶするというファンタジー。
当時はそれほど話題にならなかった映画だが、あのサマンサ役のキム・キャトラルがってことなら見る人がふえるかもしれない作品。ただ、きわめてオタク思考で、一人遊びにトリップしたい欲望を満たしてくれる引き篭り系のユートピア映画。そんなわけで主人公に人間力をあまり感じられず、根底にながれるスピリットに嫌悪感を感じる部分がある。

この映画を観て思ったのは、「恋愛」というのは社会性があって初めて満足感が得られるものなのだ・・とということ。ここで展開させる人間と、人間化したマネキンとの戯れは、やっぱり一人遊びで、社会とシェアできないものなのだ。安心できる恋愛ともいえる。ただ、それだけだと張り合いも乏しい。普通の恋愛というのは、「これだけ大勢のなかから、自分が選ばれた/自分を選ばせた」という自己満足、自己肯定欲、自己顕示欲などが得られる。ゆえに少し人間として自信もついてくる。人として成長するには絶対不可欠な要素なのだ。
しかし、この映画では、自分しか選ばれないなかで、自分が選ばれている。だれも彼女を選ばないのに、自分だけが彼女を選んでいる・・。安心感がある恋愛なのだが、これでいいのだろうか・・? 人間の心は安心をもとめるものだが、不安の中にあって安心できる環境を作り上げていくことがその人の成長であり人生だろう。そこでこういうファンタジーを愛するようになったら、それが出来なくなっくなっている危険信号なのだろう。社会のなかで生き抜く能力に乏しい人たちが憧れるファンタジーの世界だった。

キム・キャトラルはけっこう好きである。もしアメリカで『ふたりだけの恋の島』をリメイクするとしたら、若い頃の彼女にやってほしいと思うのは私だけだろうか(笑)。オルネラ・ムーティ系のビジュアルというはどうもそそられる。

<あらすじ>
フィラデルフィアのマネキン工場で働く青年ジョナサン(アンドリュー・マッカーシー)にとって、マネキン作りは商業活動というよりもアートだった。自分がもっとも美しいと思うマネキンをつくりたい!・・それが彼のモチベーションだった。しかし、普通の人なら1日に3~4体は作るところ、ジョナサンは1ヶ月もかけてしまう。あえなくクビ。その後もあっちこっちの仕事に着くが、ハングリーさがない彼は長続きしない。そんなある日デパートのオーナーを救ったことからそのデパートで雑用係りとして雇われることになる。
そのデパートで自分の創ったマネキンに再会。閉店後、自分のアートに見とれていたジョナサンに、そのマネキンが語りかけた。彼女はエミー(キム・キャトラル)と名のった。朝ウィンドーを見ると、エミーはマネキンに戻っていたが、素晴らしいディスプレイが施されてあった。毎晩デートを重ねるうちに、毎回見事なディスプレイができあがりデパートは繁盛、ジョナサンは副社長の座を手にする。
ライバルデパートの社長B・J・ワートは、スパイとしてもぐりこませているリチャード(ジェームズ・スペイダー)にジョナサンの秘密を探るよう命じる。そしてマネキンをあやしいとにらんだB・J・ワートは、エミーを盗みだしてしまう。マネキンが盗まれたことを知らされたジョナサンは、B・J・ワートの元にエミーを奪回に向かう。ベルトコンベアーにのせられてゴミ処理機の中に落とされそうになっているエミーを見つけた。たくさんのマネキンの中からエミーだけを引き上げることに成功する。

by ssm2438 | 2010-11-01 10:39


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