西澤 晋 の 映画日記

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2010年 11月 17日

未知への飛行(1964) ☆☆☆☆

f0009381_20232052.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:ウォルター・バーンスタイン
撮影:ジェラルド・ハーシュフェルド

出演:
ヘンリー・フォンダ (大統領)
ダン・オハーリヒー (軍最高責任者ブラック将軍)
ウォルター・マッソー (軍事専門家グレテシュール)

       *        *        *

ガチで取り組んだルメットの勇気を称えたい!

ビデオ/DVD発売では、『未知への飛行 フェイル・セイフ』のタイトルになっている。『FAIL SAFE 未知への飛行』というリメイクのTMVもある。実はこちらのDVDも買ったはずなのだが、みてないままになっている。どこいったんだろう? サンライズの机に置きっぱなしのような気がする(苦笑)。

1962年のキューバ危機以降、核戦争の恐怖を謳った映画が何本か作られた。スタンリー・キューブリック『博士の異常な愛情』もその一つだが、あれはブラック・ユーモアに逃げてしまった。こういうとてつもない物語というのは、マジに作るとどこかしらうそ臭くなってしまうもので、それを避けるためにははじめから白旗あげてブラックユーモアで作るほうが懸命というもの。それを正面きって挑んでしまったのがこの映画。

最後はやはりチープに感じてしまったこの映画だが、ではどうこの話をまとめたらホントらしくなるのか・・?と考えると、その答えは見つからない。おそらくどんなエンディングを用意しても、お話はチープになるだろう。その時どう人間が対処すべきなのか分らないのだから。
どんな方向性を模索したとしてもその答えが見つからなければ、最後の決断をする前に物語をおわらせて、見ている人に下駄を預けるというのも一つの手段だろう。もっとも有効で卑怯な手段はブラックユーモアに逃げるというのが一番安易な方法で、無責任に突き抜けて、これはブラックユーモアの映画だから」と言えばいい。
しかしシドニー・ルメットは答えまで出してしまった。それがスゴイ。

ちなみに、今回は軍の最高指揮官であるブラック将軍は穏健派で、軍事専門家グレテシュールは戦争推進派である。

このタイトルにある《フェイル・セイフ》とは「帰還可能ポイント」のことで、そのポイントを越えると引き返すことができなくなるという軍事的ポイントのこと。しかし一般的な概念も含んでいることは言うまでもない。一般的な《フェイル・セイフ》の概念は、「誤操作・誤動作による障害が発生した場合、常に安全側に制御する」という信頼性設計の概念である。

<あらすじ>
安全照合装置が故障したため間違った指令を受けてしまった、グレーディ大佐(エドワード・ビンス)率いる爆撃機の編隊は目標モスクワをめざしてソ連領内に侵入してしまう。事態はペンタゴンとホワイトハウスに報告された。ペンタゴンでは国防長官を中心に、政治学者のグレテシュール(ウォルター・マッンー)とブラック将軍(ダン・オハーリー)らが協議する。グレテシュールは「もう止められないのなら、この際ソ連を徹底的に叩くべきだ。たとえソ連の反撃をうけてもまだアメリカには生存者がいるのだから」と主張。ブラック将軍は、全世界的殺栽は防がなくてはならないと反論する。大統領(ヘンリー・フォンダ)はホットラインを通じてソ連首相に「領空侵犯は間違いであり、こちらではどうすることもできないので、ソ連側で射ち落してくれ」と依頼する。

この描写が実に怖い。
総ての情報を排除するために密室にこもった大統領が通訳一人を携えてホットラインでロシアの書記長と話をする。大統領は、通訳に、言葉の内容だけでなく、相手の反応のニュアンスまでも再現するように要求する。会話と会話との間が実に怖い。

軍内部では、ソ連側にグレーディ隊機の特徴を教えよ、という命令に反抗する幹部もでてくる。グレーディ編隊機のうち4機は射ち落されたが、グレーディ機だけは攻撃をかわしてモスクワに到達。モスクワのアメリカ大使館に電話がつながれており、ある一瞬にキュイイイインっという高音が発せられるとそこから電話は沈黙する。米ソ両国の全面戦争を回避し、ソ連にモスクワ爆撃が機械の故障であることを納得させるため、大統領はブラック将軍にニューヨークの核爆破を命じた。


個人的にはこの『続・未知への飛行』が観たかった。
ヘンリー・フォンダ扮するあの大統領はあのあとどうしたのだろう?
・・・・自殺はしないだろうなあ・・・。多分誰か・・・、恨みをもった人に殺される日まで、待つような気がする。その日が来ないかもしれない。来るかもしれない。きっと世間に罵声を浴びせられながら、政府の保護下で暗殺されるまで生かされていくのだろう。そのときまでの彼の日常を描いてみてほしかった。

by ssm2438 | 2010-11-17 20:24 | シドニー・ルメット(1924)


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