西澤 晋 の 映画日記

ssm2438.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2010年 11月 21日

フルメタル・ジャケット(1987) ☆☆☆

f0009381_9494041.jpg監督:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック
    マイケル・ハー
    グスタフ・ハスフォード
撮影:ダグラス・ミルサム
音楽:アビゲイル・ミード

出演:
マシュー・モディー (ジョーカー)
ヴィンセント・ドノフリオ (パイル)
R・リー・アーメイ (ハートマン軍曹)

       *        *        *

相変わらず、一本の映画を作るのはド下手なキューブリックだが・・

スタンリー・キューブリックの中では意外と一番好きかもしれない。
キューブリックという監督さんは、1シーン1シーン、1カット1カットでは変質的なまでに猛烈なこだわりをみせるのだが、総合的にそれをまとめるという点においては全く疎い不思議な性格。嫌いではないし、実にスゴイと思うが、上手いとはまったく思えない監督さんである(苦笑)。そんなわけで、この人の作品は映画として一つのストーリーを愉しむことはほとんど出来ないのだが、その変質的なこだわりに重点をおいて見るしかなくなってしまう・・・。
この映画も、なんでそうなったのかよく分からないのだけど2部構成。前半の<訓練キャンプ時代>と後半の<戦場>はまったく別の映画といっていい。


前半<訓練キャンプ時代> ☆☆☆☆

ヴェトナム戦争に出て行く兵士を鍛える海兵隊新兵訓練基地。ジョーカー(マシュー・モディン)はデブでのろまのパイル(ヴィンセント・ドノフリオ)たち新兵は、訓練教官ハートマン(リー・アーメイ)から罵声を浴びせられながら8週間にわたる厳しい訓示を受ける。

f0009381_9442537.jpgひとりのミスが部隊全体を危機に陥れる可能性のある戦場をかんがみ、規律違反をしたものの罰は他のメンバーが受けるように指導する教育システム。何をやらせても不器用なデブのパイルは常に教官からも部隊の仲間からも常に非難の的になり次第に精神を圧迫されていく。時間にドーナツを食べたことが発覚したパイルのおかげで他の訓練兵たちは腕立て伏せの懲罰、そのなかで、パイルだけはドーナツを食べることを命じられる。怒りが頂点にたっし仲間たちは、その夜パイルをリンチにかけてしまう。

この逃れようのない精神的な追い詰めかたが実にキューブリックらしい。ぼこぼこにされたパイルは次の日どんな顔をして訓練参加すればよかったのか・・・、その羞恥心と劣等感は恐ろしいものだっただろう。

そんなパイルだが射撃の腕だけは軍を抜いていた。自分のライフルに女性の名前をつけてこよなく愛するパイルにはジョーカーもぞっとするものを覚えるようになる。遂に卒業前夜にトイレで狂気にとりつかれたパイルは、自分を散々いじめまくってきた教官のハートマンを撃ち殺し、自らも銃をくわえて絶命する。

ここでの撃たれる教官のハートマンも実にみていて辛い。多分本人もこれは撃たれるだろうな・・てことは予測していたと思うが、それで教官としてリンとした態度を護り続けている。個人的にはこのときの教官に一番感情移入してしまい、ここは見ていてとても恐ろしかった。


後半<戦場> ☆☆

1968年1月。ジョーカー(マシュー・モディン)は成績優秀だったため、後方のダナン基地において報道隊員として比較的のんびりとした生活を送っていた。そんな彼も戦場カメラマのお供で最前線に同行することになる。廃墟と化したフエ市。偵察中、対面の廃ビルにひそむ凄腕の敵の狙撃兵に一人が狙撃される。
ここからの狙撃兵との戦闘がまた陰湿でいい。

その狙撃兵は、負傷した兵士に致命傷を与えないように手足を狙撃しさらにいたぶる。たまらず救出に飛び出してきた兵士を狙撃する。この人間性の痛いところをついていたぶる狙撃兵が実に冷血でよい。そしてたった一人の狙撃兵に、部隊の半数以上を殺されてしまう。
決死の復讐を誓った生き残ったジョーカーたちは、狙撃兵のいるビルになんとか侵入、狙撃兵を撃って瀕死の重傷をおわせるがまだ年端もいかぬ少女兵であることを知って呆然とする。


勝手な推測だが、本来導入部であるはずの<訓練キャンプ時代>を入れ込んでしまって猛烈なシーンになってしまったのだが、そのシーンに愛着ガ在りすぎて切るに切れなく(きらなくて良かったけど)、もうこのままいっちゃえと、そのバランスが悪いまま行ってしまった感じ。
後半部はべトナムにいってからの主人公、マシューモディンのみたエピソード。またこれもバランスが悪い。ほとんどの見せ場はベトナム少女による狙撃兵との戦いのところだが、ここだけがクローズアップされすぎてて、他のところが映画として機能してないのである(苦笑)。

世間では、「人を狂気に導く戦争を描いた反戦映画」というように評する人もいるが、きっとキューブリックに反戦思想などはまったくないのだろう。そんな表面的な小奇麗さをキューブリックが発言したいとは到底思えない(苦笑)。この人はただ、狂気していく人を描くことがひたすら好きなだけなのだ・・・。
良くも悪くも愛すべき気狂い監督である。

by ssm2438 | 2010-11-21 09:45 | S・キューブリック(1928)


<< Zero WOMAN 警視庁0...      博士の異常な愛情(1964) ☆ >>