西澤 晋 の 映画日記

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2010年 12月 04日

殺しのドレス(1980) ☆☆

f0009381_901813.jpg監督:ブライアン・デ・パルマ
脚本:ブライアン・デ・パルマ
撮影:ラルフ・ボード
音楽:ピノ・ドナッジオ

出演:
マイケル・ケイン(精神科医エリオット)
ナンシー・アレン (娼婦リズ)
アンジー・ディッキンソン (殺される女性ケイト)

       *        *        *

デ・パルマは、この頃が一番楽しそうに映画をつくってる。

ヒッチコック崇拝者のデ・パルマ。この『殺しのドレス』とか『ボディダブル』とか、ヒッチコックスタイルを再現することが彼の大目的だったのだろう。それを実にたのしくやっているなあってほほえましく思えてしまう。そういうものをやっているのだと解釈すれば、楽しめる映画なのだろうけど、そうでないと・・・・どうなんでしょう?

強引な説明的演出がこの映画の売りなのだけど、この映画のネックは感情移入する相手途中で死んでしまうこと。なので物語にのめりこめない。もっとナンシー・アレンをもうちょっと早くからだせなかったものか・・・。一度彼女が襲われるエピソードがあり、第二段として中年女性のケイトが襲われる・・とかいう展開。現状の展開だと、途中で殺されてしまうケイトに感情移入して見始めてしまうので、彼女が死んだ時点で「あれれれ・・?」って思ってしまう。

<あらすじ>
中年女性ケイト(アンジー・ディッキンソン)は精神分析医のエリオット(マイケル・ケイン)のクリニックにかよっていた。白いコートに白いハンドバッグ、白い手袋という出で立ちで街に出たケイトはエリオットを訪ね、それからケイトはメトロポリタン美術館へと向かった。そこで彼女は1人の男の視点を感じた。彼女は誘われるままにその男とタクシーの中で情事を交わし男のアパートヘ行った。その男の机の中の書類から、男が性病であることを知り急いでその部屋を出たケイトは、途中指輪を忘れて来たことに気づきエレベーターで戻った。が、扉が開いた瞬間、彼女は何者かに襲われナイフで惨殺された。


どうもこの映画が私にとって不可解なのは、ケイトが“H”した相手が性病だったってところ。この要素がなかったらこの映画はもっと素直にみられたんじゃないだろうか?
ここまでの流れは主人公はあくまでケイトなのだ。見ている人は誰もが彼女に感情移入してみるだろう。情事の相手が性病だったことに気づき、「わあどうしよう」状態。病院にもいかないといけないし、夫にも内緒にできるかどうか・・、いやおう無しにケイトに感情移入してしまう。さらに指輪をわすれたことに気づき取りに戻る。そこで起きた殺人事件。感情移入した登場人物の死。一旦物語終了。

・・・ここで考える。もし、その男が性病でなかったら・・? もし指輪を忘れなかったら? 多分彼女はそのままなにもなく自宅に帰っていただろう。そしたらそんな事件も起きなかったはずだ。なのにその偶然の要素が物語りに絡んでいたので彼女は戻った。 なにがひっかかっているかというと、この物語がサスペンスとして成立させるためには、これが偶然であってはいけないというところ。犯人は女装した精神分析医のエリオットなのだけど、この男が意図的にそれを行おうとしているのであれば、ここまで偶然に支配された状況下で殺人を起こすことはどうもしっくりこない。犯人がエリオットではなく、たまたま通りかかった女装趣味の変質者ならいいのだけど・・。
私の中では、このポイントが最後まで尾を引きその後の展開はほとんど上の空だった(苦笑)。

その後は、死体を発見したリズ(ナンシー・アレン)が、犯人らしいブロンドの女性を目撃し、犯人に狙われ始める・・という展開。犯人は性的倒錯者で、女の心を持った男、その犯人は精神分析医のエリオットなのだが、その証拠を掴むためにエリオットを挑発するリズ。彼が再び殺人を犯そうとした時、刑事がリズを救いエリオットを捕える。

しかし、このナンシー・アレンはなかなか良いです。
役どころは娼婦ということですが、なんだかとても清楚。

by ssm2438 | 2010-12-04 09:01


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