西澤 晋 の 映画日記

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2010年 12月 12日

ザ・レイプ(1982) ☆☆☆

f0009381_9125298.jpg監督:東陽一
原作:落合恵子「ザ・レイプ」
脚本:東陽一/篠崎好
撮影:川上皓市
音楽:田中未知

出演:
田中裕子 (矢萩路子)
風間杜夫 (植田章吾)
伊藤敏八 (谷口明)

       *        *        *

・・・それでも戦うしかない。

個人的にはあまり相性のよくない東陽一だけど、かなり好きな映画である。

当時ビデオのパケージなどで使われていた絵は、どちらかというと人生につかれた気だるい感じの女性の色気を暗示させるようなイメージだったし、このタイトル自体も下世話なタイトルのような気がするが、エッチ本位の映画ではなく、レイプ裁判の残酷さを描いた作品。
同じ年にシドニー・ルメット『評決』という映画を撮っている。その映画のなかでポール・ニューマン

「法廷は弱者に正義を与える場ではない。正義に挑戦する機会をあたえるだけだ」

という台詞をいわせている。
この落合恵子原作の『ザ・レイプ』という物語はまさにそれを具現化したような話。不思議なもので、私の中では『評決』とこの『ザ・レイプ』はさりげなく対になって記憶されている。

生命として生きる以上、弱者はしいた得られるように出来ているのがこの世の中。それだけは誰にも帰られない。どんなに人間が高尚な理屈を唱えたとしても『弱肉強食』とうのは生命の基本的宿命であり、逃れることが出来ないものなのだと思う。そんな生物原理のなかで、人間原理に基づいて、弱者に、可能な限り強者と対等に戦う場をあたえたのが「裁判」という場なのだろうな・・て実感させられる映画。
相手を有罪にするなら、被告側も自らも斬り違える覚悟で相手を破滅に追い込まねばならない。多分そういうものなのだけど、ほとんどの人にそれだけの心の準備など出来ているはずもない。この物語の主人公は、裁判が始まるとはじめてその現実を徐々に体感してくることになる。

<あらすじ>
恋人ととの情事のあと、最終電車で駅についた路子(田中裕子)は人通りもほとんどない道を家路に急いでいるとき、以前一度会った中古車販売のセールスマンの谷口(伊藤敏八)にレイプされてしまう。そのまま事をやみに葬るか、裁判にするか・・、しばし路子の心はゆぐ。いまわしい事件を忘れようと路子は再び恋人の植田(風間杜夫)にそのことを話、ホテルの小部屋で愛撫をもとめた。しかし植田は「あの時も、よかった?」と無神経な言葉をなげかける。その後も犯人からしい無言電話や、アパートの周りに感じるその気配に、衝動的に警察に電話してしまい、刑事裁判という流れに呑み込まれてしまう。
警察での取り調べでは、「なぜ、すぐ警察に行かなかったか?」「どうして、事件の後に恋人と愛しあったのか?」など、理屈ではどうにも答えのだせない部分を問いただしてくる。裁判では被告側弁護人の執拗な攻勢におぞましい思いをさせられ、彼女の過去の男性体験まで次々に暴露されていった。谷口は有罪になり「懲役4年」の判決がいわたされたが、裁判を一部始終を傍聴していた植田との間には修復できないものになっていた。

by SSM2438 | 2010-12-12 09:18


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