西澤 晋 の 映画日記

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2011年 01月 12日

ファミリービジネス(1989) ☆

f0009381_1214534.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:ヴィンセント・パトリック
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:サイ・コールマン

出演:
ショーン・コネリー (泥棒野郎の祖父)
ダスティン・ホフマン (でもあんまり賛成しかねる父)
マシュー・ブロデリック (祖父を尊敬している孫)

       *        *        *

ダスティン・ホフマン・・・損な役。

むむむむ・・・・、まったく面白くないぞ。
ルメット不調時代のなかでももっとも面白くない映画。

<あらすじ>
泥棒一家の祖父ジェシー・マクマレン(ショーン・コネリー) 、父ヴィトー(ダスティン・ホフマン)、息子アダム(マシュー・ブロデリック)。祖父のジェシーは泥棒のスリリングさに燃えているのだが、その息子のヴィトーはまじめに生きたいと思っていた。孫のアダムもまじめな方向性は親譲るなのだが、祖父の熱き泥棒スピリットには憧れを抱いているのも事実だった。
そんな祖父にアダムは、研究開発中の酵素細胞と、そのデータ・ブックを盗み出す泥棒計画を打ち明ける。祖父は孫の計画に乗ることにするが、それを知った父は猛烈に反対。しかし絶対に裏切ることのない人間がもう1人必要だというというジェシーの説得にまけ、ヴィトーは息子を守る口実でまたも泥棒に加わることになる。
しかし、アダムは警察につかまってしまう。妻にうながされて自首して真相を話す父。裁判の結果、アダムとちとは執行猶予刑を宣告されるが、祖父は実刑判決をうけてしまう。自分のために父を売ったと息子になじられる父。祖父は獄中でその一生を閉じる。

最後は一応父と息子の和解にはなれど・・・、だったらはじめっからそういうこと(家族をまきこんで泥棒家業)するなよっていうのがせつなる印象。

信用が大事とはいえ、「家族で犯罪する」っていうコンセプト自体にかなり抵抗を感じてしまう。ちょっとまえに見た『シシリアン』もファミリービジネスで犯罪をおかすシチリアマフィアの話だが、信用がおけるかもしれないが、リスクマネージメントにそがれるエナジーがおおすぎる。それが少ないとの『ファミリービジネス』のようなうすっぺらい家族で犯罪ドラマになってしまう。
そもそも、家族というのがそんなに信用がおけるものなのかどうか・・そのあたりが個人的には疑問である。日本の歴史をみても親族、親子兄弟で政権をあらそった場面は多く登場し、家族の血よりもその人が所属する世界のほうが重要なのがあたりまえ。つまり、ほんとに大事になったときには、裏切られる可能性はつねにあるはずだ。
さらに言わせてもらえれば、家庭を継続していく以上は、それぞれがすこしづつ嘘をついていかなければならないのだと思う。『男女7人夏物語』のなかでちあき(池上季実子)が、もも子の(大竹しのぶ)の家庭に関してそのような台詞をはいていたが、まさにそのとおりで、個人としての欲望をすべて犠牲にして家族のために・・っていうのは現代の社会ではほとんど不可能だろう。その結果、個人それぞれの生活をもち、家族にはそれを部分的隠して生きていくというのが普通の形態であり、なおかつ家族という枠組みは、それ全体が危険にさらされない限り、それぞれの主体性はある程度ゆるしておいてはじめて成立し続けるものだ。少なくとも、そのほうがドラマにするならリアルに感じる。
別な言い方をすれば、家族というのはそれなりに嘘をつき、それを知らない振りしてこそ成り立つもので、そもそも「家族だから信用できる」という概念こそがかなりありえない概念であり、すくなくともドラマでそのコンセプトを使うことは話をしらけさせるだけのような気がする(実際この映画ではそうなったが・・)。

まあ、シチュエーションを楽しむ映画としてはそれもありかもしれないが、それでも、それくらいのリスクは理解したうえでやるのなら面白いのだが、やってて失敗してからああだこうだと困るのはじつにばかげてる。ありえない人物関係で映画をやるのは面白いかもしれないが、そこに真実味がなければ、見ている人にはコンセプトを受け入れてもらえない。この映画は、その観客に物語の基本設定を受け入れてもらえないまま物語が進行するので、みているこっちとしてはさむい笑いしか起きない。

ルメット・ファンの私としてはとても残念な映画だった。

by SSM2438 | 2011-01-12 12:08 | シドニー・ルメット(1924)


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