西澤 晋 の 映画日記

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2011年 01月 16日

ソーシャル・ネットワーク(2010) ☆☆☆

f0009381_16135314.jpg監督:デヴィッド・フィンチャー
原作:ベン・メズリック
脚本:アーロン・ソーキン
撮影:ジェフ・クローネンウェス
音楽:トレント・レズナー/アッティカス・ロス

出演:
ジェシー・アイゼンバーグ (マーク・ザッカーバーグ)
アンドリュー・ガーフィールド (エドゥアルド・サベリン)
ジャスティン・ティンバーレイク (ショーン・パーカー)

       *        *        *

良くも悪くもアーロン・ソーキン節、炸裂!

あいかわらず台詞が多い。これって『ザ・ホワイトハウス』のころからで、やたらと台詞がおおい。通常のドラマの1・5倍~2倍はあるんじゃないだろうか。しかし、それまではそんなことはなく、『ア・フュー・グッドメン』『アメリカン・プレジデント』の映画を撮っていたころはそれほでもなかった。それがテレビに舞台をうつして『ザ・ホワイトハウス』をやり始めてからはやたらと台詞が増えたのである。英字字幕でもみてみるのだが、日本語字幕とくらべて長い。日本語字幕だとどうしても時間内に把握できない部分もあり若干短くするものだけど、かなりシンプルな台詞になっていることもよくあった。今回の映画でも、英語の台詞をそのまま訳するとおそらく日本語字幕は読めなくなるくらいの量だろう。

これはアーロン・ソーキンがシナリオライター基本の人だからだろう。シナリオ主義の人はこの手のドラマになりやすく、オリヴァー・ストーンなども、ソーキン同様に詰め込みたい人だ。とにかく映像になったときのこを信用しない。というか、自分自身が映像でかたるイメージが出来ないのでそういう作りには決してなれない。この手のタイプの人がシナリオを書くと、お話はしっかりしてくるのだけど、物語全体に余裕がなくなってしまう。自分が語りたい情報だけを提示するのが精一杯で、観客に考える時間を与えたり、リラックスさせたり、哀愁や感動に浸らせたりする時間をあたえるという概念がない。『ニューシネマ・パラダイス』『フィールド・オブ・ドリームス』のような怒涛の涙はけっしてこの手の脚本家からは生まれない。
そこは、監督さんがもうちょっと考えて作ってあげればいいのだけど、今回のデヴィッド・フィンチャーは完全にアーロン・ソーキンの『ザ・ホワイトハウス』のペースにのみこまれていたようだ。

物語は、《フェイスブック》の創立者であるマーク・ザッカーバーグの、そのネットワークの立ち上げからの物語を、その後仲間だった人たちから訴訟の公聴会のやり取りのなかで描いていくというもの。映画のポスターには「天才・裏切者・危ない奴・億万長者」の文字が並んでいる。しかし本人は「裏切者」だとは思っていないだろう。映画も、実在の、それも現役のCEOを映画の題材に取り上げているのであり、主人公を否定的に描くわけにはいかないだろう。おそらく、この映画を観ても、本人はそれほどはらも立たないと思うし、むしろ自分の生き方を誇りに思うのではないかと私は感じた。
映画のなかで本人も「ボクは悪人じゃない」と言っている、彼は悪人としては描かれていない。さらに彼はだれも怨んではいないとも思う。恨むというのはあくまで、誰かに期待してそれが裏切られた時に起こる感情であり、彼はそもそも誰にも期待しない人間なのだ。
この自信家で思いやりのかけらもなさそうなザッカーバーグ描き方のなかで、さりげなく小出しにされる彼の人間味を感じさせる部分の描き方がまた渋い。ザッカーバーグが期待する(自分を認めてほしい)相手は最初にわかれたガールフレンドだけなのだが、もう一人、ヒアリングでザッカーバーグを弁護する側の新米女性弁護士、彼女だけはきちんとザッカーバーグを認めてあげている。しかし、ヒアリングの後彼女から優しい言葉をかけてもらえるが、自分を捨てた彼女のページにメッセージを送り、入室を許可されることをまつザッカーバーグが実に切実で良い。

ちなみに、「裏切りも」に値する箇所は、《ザ・フェイスブック》を立ち上げる前のとこだろう。
彼女に振られた腹いせに、大学の寮の女の子データを全部ハッキングして手に入れ、二人の女の子をくらべてどちらがベッピンさんかを選択する、その連続により誰が一番美人かを決めるようなサイト《フェイスマッシュ》をつくってしまう。そのときプログラムを作ったのがエドゥアルド・サベリン、のちに《フェイスブック》の共同経営者となる学生だった。
そのサイトは一晩にして人気が出るが、同時に女子学生からはバッシングにあい、サーバーもダウンしてしまいあっという間に終わってしまう。しかしその利便性を見抜いた双子のウィンクルボス兄弟は、自分たちが企画した学内男女のインターネット上の出会いの場“ハーバードコネクション”の設立に協力してほしいとザッカーバーグに協力を要請する。その依頼をうけたザッカーバーグだが、独自の発想をもってしまい、そのチームからスピンアウト、先のプログラマーだったエドゥアルド・サベリンとともに《ザ・フェイスブック》と開設してしまう。

もとものはウィンクルボス兄弟の発想を基にしたネットワーク作りだったために、のちにこの二人に訴えられてしまう。しかしヒアリングの席では、「僕はなにも盗んでいない。もしボクがそれを盗んだものなら、彼らにそれが作れるはずだ。でも作れない」と言い切る。
こういうザッカーバーグのアウトロー的なカッコ良さをソーキンは彼の言葉で描いてくれる。
さらに、ザッカーバーグは、終始お金をもとめて仕事をしたことはない。結果としてそうなっただけで、だからこそこの映画の中で彼がカッコいいのだろう。

そしてソーキンの描き方がさえているのは、エドゥアルド・サベリンのキャラクターだ。ザッカーバーグが常に自分に自信を持ち揺らがないキャラクターに対して、このネットのプログラマーで、のちの《フェイスブック》のCFO(チーフ・ファイナンシャル・オフィサー)エドゥアルド・サベリンは人間的な揺らぎをもたせて描かれている。彼のなかに、普通の人間が持っているたよりなげな部分を描くことで、ザッカーバーグのキャラクターはさらに協調している。結果として彼は、あとから入ってきたショーン・パーカーにより会社を終われることになり、これまたザッカーバーグは創立者のサベリンからも訴訟を起こされる。

by ssm2438 | 2011-01-16 16:08


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