西澤 晋 の 映画日記

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2011年 01月 20日

ノルウェイの森(2010) ☆☆

f0009381_12321785.jpg監督:トラン・アン・ユン
原作:村上春樹
脚本:トラン・アン・ユン
撮影:李屏賓(リー・ピンビン)
音楽:ジョニー・グリーンウッド
主題歌:ザ・ビートルズ 『ノルウェーの森』

出演:
松山ケンイチ (ワタナベ)
菊地凛子 (直子)
水原希子 (緑)
霧島れいか (レイコ)
玉山鉄二 (永沢)
初音映莉子 (ハツミ)

       *        *        *

原作保存率73%! すばらしい。
(数字にはなんの根拠もありません・・)

『・・・ヤマト』の原作崩壊率98.7%に比べれば、恐ろしく原作の雰囲気を再現することに成功した映画だといえるだろう。作り手が原作を愛しているんだなと、強く感じた。

<あらすじ>
兵庫から東京の大学に入学したワタナベ(松山ケンイチ)は、高校時代に自殺した親友キスギの恋人だった直子(菊池凛子)に偶然再会する。キスギと直子は子供のころから一緒で二人の関係はすでに完成されていて、二人だけでいるとあまり会話もはずまない。しかし第三者がはいることで二人の会話することができる・・そんな関係であり、その第三者がワタナベだった。
直子は不安に対して弱い体質なのだろう。キスギの自殺でとりのこされた彼女は、外界との接触がぎこちなくなっていた。唯一彼女が心を安らいでいられるのはワタナベだけになっていた。そして二人はある雨の日、初めてのセックスをする。直子が処女だったことにおどろくワタナベ。それからというもの、再び直子は心をとざし、京都のサナトリウムに入る。
直子が姿を消した夏休みのあと、ワタナベは緑(水原希子)という同じクラスの女の子と時間をときどきつきあうようになる。緑には彼氏がいるのだが、ワタナベと一緒にいる時間がすきらしい。最終的にはこの緑とワタナベは付き合うようになる。直子から手紙を受け取ったワタナベは、彼女がいる京都のサナトリウムに向かう。そこで直子は突然姿を消した訳をりはじめる・・・。

勝手な想像だが、直子はあの雨の日が誕生日なら6月の後半、それから7ヶ月後がワタナベの誕生日だということなで、こちらは1月後半・・ではないかと予測する。そうすると直子がかに座でワタナベがみずがめ座かな・・。でも、村上春樹自身が1月12日生まれなので、ワタナベも山羊座と見るのが正しのかも。所詮書き手は自分しかかねないように出来ているのだから。
ちなみに村上春樹の血液型はA型だそうな。

この原作がでたころ、世間ではやたらとブームになっていた。あいかわらず、私はブームに関心がなく、この本を読んだのはそれから数年して、同窓会で会った高校時代に同じクラスだった女の人から、から「この本よんでみて」と送られてきた。で、読んでみたら面白かった。本人がいうところの、「敷居の低さ」で「心に訴えかける」文章・・とうのがまさにいい当てている。

当時の私は、30を越えたころでまだ独身。ちょうどパソコンを買ってネットに接続しはじめたころだった。ニフティサーブにはいっていて、そこでメールフレンドをみつけてメールの交換をするのが楽しかった。当時は実名表記で言葉にも責任がもててた時代。そんななかで、きちんと長い文章をかける人との言葉のやりとりはとても楽しく、お互いの恋愛事情やセックスの話、哲学や物語の構築談義などを楽しんでいた。まさにこの『ノルウェイの森』のような正直な気持ち(欲望)の相手に語ることで、心のやりとができていたのである。そんなことを経験したあとこの小説にであい、「ああ、こんな風に自分の欲望を正直に物語りにできるんだ」と関心した。
物語はそれほどたいしたことでないのだが、文章がすばらしい。まるで日本酒『上善如水』のような語り口なのである。自然に心にしみこんできて酔える。正直で純粋でピュアな不安と想いとせつなさが心の中にしみこんでくる。なかでも直子のフェラチオの描写の普通っぽさのなかでの、魂の純粋な性表現は見事としか言いようがなかった。

この映画をみたおかげで新しい発見もあった!

直子って、ワタナベを愛してはいなかったんだ。
当時はどうしてもワタナベ目線で読んでいくので、直子も実はキスギと付き合っていた時からワタナベのことを好きだったのかも・・と思っていたが、この映画をみているとそれは完全に間違いで、直子にそんな気持ちはなかったということがよくわかった。たぶんこの直子という女性は不安に弱い女性であり、大事にしているものであればあるほど臆病になってしまうのだろう。そうでないワタナベとはセックスが出来た。でも、ワタナベのことが大事なっていくと、やはりまた濡れない体になってしまう。
それでも直子は、口でしてあげることや、手でしてあげることは出来る。
この辺の解釈が個人的にはちょっと疑問があったのだが・・、そもそもセックスというのは繁殖作業であり、生殖器的行動だ。これは愛がなくても出来る。口でしてあげるのは性的行動であり、こちらのほうが愛があると思うのだけど・・・。

もうひとつの発見はタイトルの謎。
なんでこの物語が『ノルウェイの森』ってタイトルなのか、その意味がぜんぜんわかってなかったし、あまり気にもしていなかった。しかし、この映画をみたのをきっかけにちょっと調べてみた。
このタイトルはビートルズの歌のなかの題名で「NORWEGIAN WOOD」(ノルウェイジアン・ウッド)。しかしこの言葉は「knowing she would」(彼女がその気なのが分かる)の隠語なのである。つまり、「あの時の彼女はノルウェイジァン・ウッドだった」と言えば、「あの時の彼女は、“エッチしてもいいわよ”という信号をだしてた」という意味。
そのビートルズのその「NORWEGIAN WOOD」って歌は、始めてその人とエッチをするときの前のしずかなどきどき感から、エッチをしたあとの翌朝の心のさざ波を歌詞にして唄ったもの。そこまで調べてやっと「ああ、なんというすばらしいタイトルだったんだ!」と昨日の夜理解した。

監督のトラン・アン・ユンはベトナム系フランス人。ベトナム戦争の末期に家族で祖国を脱出、フランスに移住しフランスの映画学校にはいってそこで映画のことを学んだ人。『青いパパイヤの香り』などはけっこう有名だったのだが、個人的にはこの映画がこの人の始めて。悪くはないが、もっと映画的に高められたという気がする。舞台から次の舞台への移動を全部端折ってしまっているため、都合の良いシーンだけを撮ってつないだって感じがいなめない。正直はところ映画監督としての才能は買わないが、原作を忠実に再現しようとした努力とその結果は十分評価に値する。

撮影監督はなんと・・・・、『恋恋風塵』李屏賓(リー・ピンビン)、パンフレットかってその名前をみてから「あああああああ、そうだ・・、そんな感じ!」って思った。空気感がじつにあの感じだった。ちょっと感動。でも、めちゃめちゃ好きかといわれるとそれほどでもない。カメラがやや近いので、あと5メートル後ろに設定してズームで撮ってほしかった。それでも直子が自殺してワタナベは日本海を旅しているときの日本海の荒波の望遠。ここだけはめっちゃかっこいい!!! 木村大作の撮る日本海、どこかで見てたのかも?

映画では、野外は可能な限り日本でロケしてるようである。すすき野は兵庫県の峰山高原だとか。ただ、室内は・・・・どうも日本のようには思えない。この映画の舞台になっているのが1967年の東京と京都なのだが、当時私はまだ5歳で、その時の東京などしらないのだが、当時を撮った増村保造松本清張の映画などみても、そんな部屋はでてこない。部屋の間取りとか、植木鉢の植物とか、どうも日本じゃない気がする。勝手な想像だが、昭和を再現しようとしても無理なので、セットを組むのをあきらめ、それらしくみえる場所を選んできた・・という気がする。それは撮影監督の母国である台湾なのかもしれない。
美術を担当しているのはベトナム出身の人と、日本人の人なのだけど、この昭和の日本人の生活の再現が出来なかったのは見ていてちょっとつらかった。

この昭和の再現が出来なかった痛手はほかにもある。劇中主人公のワタナベは東京と京都のサナトリウムをあなり行き来しているのだが、この交通手段の描写がまるでない。富士山のしたを走るひかり号とか、京都の山の中を上っていくボンネットバスとか、そういう移動の描写をまじえつつ、そこで手紙を読んだり、過去回想に振ったりしほしかったかな。この交通機関・移動手段をを描くだけで物語の存在感とか時代背景の説得力がぐぐっとますと言うのに・・・。CGがこれだけ進んだ現代において、そのくらいの映像トリックくらいできなかったものかと思う。でも、昭和の車をあっちこっちからあめてきて、さりげなく使っていたな。

by SSM2438 | 2011-01-20 12:44


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