西澤 晋 の 映画日記

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2011年 01月 23日

不良少女モニカ(1952) ☆☆☆

f0009381_24962.jpg監督:イングマール・ベルイマン
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:グンナール・フィッシェル
音楽:エリック・ノードグレーン

出演:
ラーシュ・エクボルイ (ハイリ)
ハリエット・アンデルセン (モニカ)

       *        *        *

常識を一度破壊するための映画・・なのかも。
誰の? もちろん・・・・・・・・


私の大好きなイングマル・ベルイマン。この人の映画は、人間の業、愛と憎しみ、支配と独立、理性と感情のせめぎあいを、口から手をつっこみ、胃袋を内側から握り、ひっくり返しながら引き出したようなどろどろした精神面をみせてくれる。ストーリーは最低限あれば充分で、そのせめぎあいこそが最大の魅力となる。しかし、この『不良少女モニカ』は、ストーリーがあるほうだ。観てて気持ちの良い映画ではない。もっともベルイマンの映画でみてて気持ちのいい映画などほとんどなないのだけど(苦笑)。

最初にこの映画を見たときは、モニカちゅうのはなんちゅう非常識で無責任な女だ!って思った。自分が産んだ子供に愛を注がない母親、こんな女けしからん!! こんな女の話なんか見るか!って何度も止めようと思ったが、なんとか頑張最後までだとりついた。そんなモニカに恋する男の子ハリーはなんという不運なくじをひきあててしまったのか・・・・、これはもう立松和平原作の『遠雷』の中で、カエデ(横山エリ)をひいてしまったジョニー大倉の悲運さと似ています。まさに「不運なくじをひいてしまった」という感じなのだ。

しかし、ある程度のおちついて映画をみるようになってくると客観的な見方も出来るようになる。そもそもこの映画は誰にみせるための映画だったのだろう? こんな映画誰にみせても不快感しかないはず。なのになぜ・・・??? 
それは、見せる対象に不快感を与えるために撮った映画だからでしょう。誰に・・・・? そんなのあいつにきまってるじゃないですか。あいつです。そう、ベルイマンの父。

ベルイマンの映画というのは、そのほとんどが父にたいする復讐心から発生したものだと考えていいだろう。幼い頃のイングマル少年の感性を押さえ込んだベルイマンの父。宗教と理性と体罰で総てを支配しようとしたベルイマンの父。そんな自分の父親の概念に戦いを挑むこと、そしてそれを粉砕すること、それこそがベルイマンの映画を作る時の潜在的な目的だったのだろう。この映画も、ベルイマンの父がもっていた概念をまっこうから破壊するための一つのアイテムだったと私は思うのでした。

あなたが常識だと思っていることはホントに常識なのか? 
ほんとにそうあるべきことなのか? 
生命とはほんとにそんな理性的なものなのか?

『冬の光』では、宗教でも理性でも解決できない問題をつきつけられ、何も出来ない神父=父を哀れむことによる柔軟な攻撃をみせた。それに対してこの『不良少女モニカ』は、真っ向から「お前の持っている概念はほんとに正しいのか!?」とその破壊を目的とした能動的な攻撃のようにみえる。

この映画の持っている意味を判らないままみると、かなり辛い映画でもある。

<あらすじ>
ストックホルムの下町の瀬戸物店で配達係をしている青年ハリイ(ラルス・エクボルイ)は、モニカ(ハリエット・アンデルソン)という17歳の少女と知り合った。彼女は家庭的にめぐまれず、無責任と衝動こそが彼女の行動原理だった。モニカはある夜、酔って帰った父と口論して家をとび出しハリイの許に走った。
まともに頼られたことが嬉しいハリイはもニカと一緒に家を出る。そして父の持つモーターボートの中で暮し始める。二人は狭い船室で恋の喜びに身をまかせ、夏の間奔放な生活をつづけた。そのうちモニカは妊娠したが、ハイリにとってはそれは健全な悦びでだった。しかし二人は食糧不足に苦しむようになる。
モニカはある別荘に食べ物をぬすみに行くが、ハリイが臆病な態度をとったことから、二人の仲は気まずいものになった。夏の終わりにストックホルムに帰った二人は結婚し、モニカは女の子を生んだ。ハリイは工場に職を得て真面目に働きはじめた。しかしモニカは終日赤ん坊と暮す貧乏な生活には堪えられず、ふたたび以前の不良とつきあいはじめ、子供の面倒などまったくみない。ハリイは彼女と離婚し、子供をひきとって自分で育てようと決意するのだった。

by ssm2438 | 2011-01-23 02:49 | I ・ベルイマン(1918)


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