西澤 晋 の 映画日記

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2011年 01月 26日

ジェレミー(1973) ☆☆☆☆

f0009381_14542893.jpg監督:アーサー・R・バロン
脚本:アーサー・R・バロン
撮影:ポール・ゴールドスミス
音楽:リー・ホルドリッジ
    ジョセフ・ブルックス

出演:
ロビー・ベンソン (ジェレミー)
グリニス・オコナー (スーザン)

     *      *      *

This is the wispiest movie I've ever seen!

「wispy」というのは、ジェレミーとスーザンがはじめてエッチをしたあとの帰りのタクシーのなかで、今の気もをきかれて答えた形容詞。辞書でひいてしまいました。リーダーズの辞書が一番ロマンチクにこの意味をいいあててた。

wispy:
 小さく無造作に束ねた、ほっそりとして弱々しい(草など)、
 かぼそい、かすかな、わずかの、まばらな(髪などが)・・・・おい、それは余計だろう!、
 かすみのような、星雲状の、

いまが幸せすぎて不安になってる感じがじつにせつなくつたわてくる。。。

70年代の前半というのは、大人になりかけの青春物というのがやたらとはやっていた時期で、一番年端もいかないのは『小さな恋のメロディ』でしょう。それがイギリス。フランスは『フレンズ』(製作はイギリスだけど、舞台は南仏。そしてアメリカはこの『ジェレミー』でしょう。80年代になると『リトルロアンス』ってのがイタリア舞台にありました。コレもよかった。そのなかでもっとも切ない映画が『ジェレミー』。気分がグリニス・オコナー懐古にふれているので、ここはひとつ一番感動ものの『ジェレミー』に登場いただこうかなと。この切ない語り口がすばらしすぎて、監督のアーサー・R・バロンは73年のカンヌの映画祭で新人監督賞をとってしまった。でも、じつはこの映画だけ。恐ろしいまで一発やでした。

そのむかし、健さんが出ていたCMで、「男は男に生まれない、男になるんだ」ってせりふがありました。しかし、男になる前だって、自分にこれっぽっちの自信がなくったって、やっぱり女の子を好きになるのです。この自分に自信のないときに想う相手ほど心にのこる人はいないものです。そのころの想いがかなったらそれはもう幸せすぎておそろしいにちがいありません。このジェレミー(男の子です)は、そんな想いをいだいた女の子スーザンを想って想って、その結果エッチにいたってしまいます。超、超、超、超幸せすぎて怖いくらい・・、そんな感じが実にでてます。
もっとも、そのエッチのあとスーザンが家にかえると、父の引越し話がきまってて2日後には引っ越すという事実をきかされ、二人の恋愛はこの段階で一区切り、映画のなかでは唐突におわってしまいます。でも、追いかけていけない。高校生なんでしょうがないでしょう。このあたりが、まだ自分のちからではどうしよもない現実がある青春時代の恋愛物のせつないところでしょう。あの現実さが素敵なのです。しかし、その物語の何年後にはふたたびジェレミーはデトロイトまで会いにいってるでしょうね。別にこれが最終な別れではないのだけど、それほどに感じてしまうところが実にすばらしいんな。

f0009381_15181988.jpg<あらすじ>
チェロ演奏家になる夢をもつ15歳のジェレミー(ロビー・ベンソン)は、普段は黒ぶちおじさんメガネをかけていてる内気の少年。そんな彼が同じ音楽学校に通う、スーザン(グリニス・オコナー)のバレエの練習風景をちらっとみてしまう。(思えば『小さな恋のメロディ』のトレーシー・ハイドも黒のレオタードでバレエをやってましたね)。ジェレミーはそんな彼女に一目ぼれ。しかしスーザンには彼氏がいた。おちこむジェレミー。そんなジェレミーだが、演奏会のときスーザンの訪問をうけたりして二人の気持ちはさりげなく共鳴していく。

最初のデートのあと、スモークながれる通りをわたる二人のカットから、白桃いろの噴水のシーン。いいんだなあ。あ、その前に公園でワンちゃんたちに詩をきかせるジェレミーってカットってのもありましたね。あと、競馬場の望遠とか・・、二人がニューヨークの町並みを歩くシーンを望遠でとるだけでえになってしまう。
そこに切ない音楽、主題歌の「ブルー・バルーン」も「ジェレミー」これらの歌詞がながれてくるとそれだけでせつなくなってしまう。

雨の降るある夜に室内でチェスをしてるところから、視線がからみあってキスをかわし初めてのエッチ。ブラのホックをはずそうとしてもなかなか外れない。そうしてるとスーザンが体をはなす。あれ、ぐれちゃったかなっておもってるとおもむろにきていたセーターを脱いでブラも自分ではずして再びジェレミーの上に体をかさねる。

ストーリーはシンプルなのだけど、彼女の肌に触れるときジェレミーの手つきに愛を感じてしまう。それはもう、『未完交響楽』のシューベルトが質屋で自分のバイオリン手放すときにあの愛なのだ。

私の記憶だとエッチシーンは普通に演じているのだが、グリニス・オコナーがきちんと乳房をみせてくれたのは『カリフォルニア・ドリーミング』までなかったとおもう『ビリー・ジョー愛のかけ橋』で、川から上がったとすけたシャツのしたに乳首がみえたシーンあったかもしれないが、あれも直接的ではないし・・。なのでわれわれにとっては『カリフォルニア・ドリーミング』の彼女の乳房は待望のシーンだったのだが、いかせん映画がカス過ぎた。残念。

・・で、タクシーのなかの幸せすぎて・・・のシーン。そして帰ってみると案の定、まるで原作者がそうしたかったからそうしたかのように突然の別れ。おもいっきり唐突なわかれなのだが、こんな別れでもあのブルー・バルーンが流れてくるとせつなくなって胸がきゅうとなってしまう。
70年代の青春映画の傑作のひとつである。

by SSM2438 | 2011-01-26 14:58


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