西澤 晋 の 映画日記

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2011年 02月 03日

泪壺(2008) ☆☆☆

f0009381_12172721.jpg監督:瀬々敬久
原作:渡辺淳一
脚本:佐藤有記
撮影:鍋島淳裕
音楽:清水真理

出演:
小島可奈子 (朋代)
いしだ壱成 (雄介)
佐藤藍子 (愁子)

       *        *        *

いやあああああああ、良かった!!!!
瀬々敬久版の『恋のエチュード』・・かな?

(とは言え、『恋のエチュード』はそれほど面白いとは思わなかったが)

監督の映像センスの悪さと、いしだ壱成のキャスティングの軽薄さ以外は、渡辺淳一の原作の映画化されたなかでは一番いい。原作の評判をチェックしてみると、実はあまりよくない。不思議な作品である。この監督、画面つくりのセンスはよくない(もうす少しはなれてズームで絞らないと「映画の画面」にはならない。カメラが近すぎる画面だでは、カメラ存在を感じてしまうのでムードぶち壊しである・・)が、物語全体の構成力はあるということなのだろうか・・。とりあえず原作よまないと、どこまで監督の力量で、どこまでが原作のよさなか判断しようがない。ブックオフにでもいって中古本を探してこよう。

さっそく探してきて読んだ。60ページくらいの短編でした。そしてわかった。この監督さん絵作りの才能ないが、物語を作る才能はとってもある。原作よりもぜんぜん良い! というかほとんど別の話である。
でも、この映画はすばらしいです。はい。

いやああ、しかし、私としてはこういうシチュエーションの話は大好きですね。求めたいのに求められない。ずっとずっと想いを抑えて、でもずっとずっと求めていて、でも好きな人は別の妹と結婚してしまう。で、運良く妹が癌で早死にしたが、罪悪感から求められない。そうしてずうううううううううっとずううううううううううっと想いを封印しいてたのが開放される時がくる。
おおおおおおおおおおお、まさに王道の恋愛もの。
同じように『ヒマラヤ杉に降る雪』もこんな感じ。もっともあっちのイーサン・ホークは求めても求めても、ずっとあたえられないままで終わってしまうどうしようもない切ない映画だったが、こちらは最後求めて与えられたので実に良かった。こういうのはかなり個人的な問題で、この映画を見ている間ずっと『ヒマラヤ杉に・・・』のイーサン・ホークが脳裏にあり、あの切なさがこの映画の小島可奈子に投影されてみていたので、想いが遂げられたときはイーサン・ホークの想いまで昇華してくれたような気持ちになった。

小島可奈子も実にいい。実はこの映画をみるまではまったく意識したことのない人でした、すいません。この映画でおもいっきり好きになってしまった。
いしだ壱成が主演ということで、この映画はかなり損をしていると思う。もう少し年齢あげて作ったらよかったのに。中学生の頃と現在でキャスティングが違うのだけど、もうちょっと年齢話してやればそのあたりは違和感少なく出来たのにって思った。個人的にはこの人の顔が好きではないし、おまけに髪型もどうも嫌いだ。

ちなみに冒頭に書いたフランソワ・トリュフォーの『恋のエチュード』だが、こちらは二人に姉妹と二人が恋する一人の男の話。ただ、この男がかなりいい加減な男で、どうにも感情移入できなくて、シチュエーション的には同じなのかもしれないが、メンタリティはかなり違うものだと思う。すくなくとも『恋のエチュード』は、見初めてすぐ退屈になり、見るのをやめようかと思ったくらいだった。トリュフォーの映画ってハズレるときはかなり苦痛である。

<あらすじ>
1986年の冬、友人二人と東京から天体観測に来ていた雄介が腹痛を起こし朋代の父の病院を訪れたかの二人の出会いの始まりだった。下痢がひどくキャンプは無理だと判断した朋代の父は、彼を家にとめることにする。朋代はそんな彼に惹かれるものを感じた。しかしその雄介と結婚したのは朋代の妹・愁子(佐藤藍子)だった。
最初に出会いから20年が過ぎていた。朋代(小島可奈子)は地元で音楽の教師をしていた。そして妹は癌のためにこの世を去る。愁子は、「自分の遺骨を壷にして、ずっとそばに置いてほしい」と雄介に遺言を残していた。雄介(いしだ壱成)はその言葉どおり愁子の遺骨をすりつぶし壷を製作する。ところが、出来上がった白い壷にはまるで. 愁子の泪のように朱色の傷がついていた。
愁子の四十九日。もう会う事もあまりないだろうから、泊まっていけという父の言葉一晩とまることにする雄介。一方で、朋代には「人に言えないような妄想はするな!」という父。その言葉をきいておもわず駆け出してしまう朋代。
その晩田んぼに落ちてずぶぬれになっていいるところを同僚の教師に助けられる。でずっと朋代のことを想っていた彼は自信なげに朋代に想いを告白し求めてくる。一瞬は拒んだものの、求めても得られないものを求め続けることに悲劇のヒロインをえんじてみたくなった朋代は彼に抱かれる。処女だった。

妹の荷物の整理に雄介の家を訪れた朋代だが、そこには妹の遺灰でできた壺がある。教師をやめた朋代はバーでピアノを弾いて生計をたてていたが、自分を傷つけるように男性経験もつんでいく。よった勢いで教え子と再会、一晩を共にする。妹に命日には雄介が別の女を連れてくる。“私がこれだけ自分の想いを抑えているのになんでこんな女と一緒なのよ!!”と許せない想いがこみ上げてくる。

このぼろぼろ感がとても素敵だ。
そのあとはときがたつにつれて二人の間に暖かいものが復活しやっと雄介に抱かれる朋代。幸せすぎて恐ろしくなり実家に帰ってしまう。でも、やっぱり・・・。そのころ雄介も朋代のもとに車を走らせていた。そして再び自分の幸せに納得できる朋代。

そのあとはなくてもいいのに・・・。
幸せな時間をすごしたあと雄介を東京まで送っていく途中、交通事故にあって死んでしまう朋代であった。

あの原作をここまでほとんど別の構成に変えて、成功させているというのはとても素晴らしいことだけど、ここまで勝手に変えるなら、もうちょっと整理してほしかったな。
朋代が死んでからの流れは非常にじゃまくさく、びっこひいいて街のなかをあるいているいしだ壱成なんて絵になってないし、そもそもそのシーンの必要性をほとんど感じない。そのあとの回想シーンのきっかけにするなら、回想シーンは交通事故に遭う前の夢見心地のところとか、事故後の生死をさまよってるあたりでも良かったのに・・。
もっともっと、良くなる可能性を持った映画なのに、ここまでで終わったか・・というもったいなさを感じてしまう。
でも、ダメなところはいっぱいあれど、すばらしいところもいっぱいある映画です。


<原作のあらすじ>
乳癌をわずらった愁子は、自分が死んだら、骨で壺をつくっていつでもそばにおいてくれと頼んで死んだ。その言葉に従って雄介は愁子の骨をすりつぶして壺を作った。妻の死から1年がたつころ、スタイリストの麻子と仲良くなり体の関係をもつようになったが、壺をいしきしすぎる雄介に嫌気がさして別れることになった。そのご上野朋代という妻よりも10歳も若い女性と結婚した。家具も全部処分したが壺だけは残した。しかし朋代もやはり壺を嫌い、交通事故で死んでいった。雄介は「やはりお前だけを守っていくよ」と壺とともに生きることにするのである。

原作では、愁子と朋代は兄弟でもなくなんでもない、朋代に感情移入する要素はまったくない構成。これを朋代の物語にしてしまうとは・・・。これだと渡辺淳一は怒るんではないだろうか。ここまで別作品だとね・・・ただ、出来上がったものはすばらしい出来でした。

by SSM2438 | 2011-02-03 12:20


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