西澤 晋 の 映画日記

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2011年 03月 31日

男はつらいよ13/寅次郎恋やつれ/吉永小百合(1974) ☆☆

f0009381_8433961.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:渥美清 (車寅次郎)
    吉永小百合 (歌子)
    宮口精二 (歌子の父・高見修吉)

       *        *        *

吉永小百合シリーズ第二弾!

『柴又慕情』(シリーズ第9作)の最後で愛知の陶芸家と結婚した歌子(吉永小百合)の後日談。

この『寅次郎恋やつれ』では冒頭からいきなり寅さんが世帯を持つという話がもちあがっている。ある温泉旅館で働いていた寅次郎は、明るく気丈に働いている絹代という女性に出会い、世帯をもつことを決意する。彼女の夫は蒸発してもう長い間便りがないというのだ。この決意というもの、惚れた晴れたというよりも、《とらや》の面々をいい加減安心させてあげようかという気持ちからだった。その話を柴又にもどってみんなにすると、信じられないさくらとタコ社長が縁談をまとめに絹代に会いに行く。しかし、寅次郎が絹代に二人を紹介したとたんに「夫が戻って来たの」と嬉しそうにきりかえされ、この恋の病は即効に解消される(苦笑)。

いきなりの展開でちょっとびっくりしたのだが、そこからまた旅にでてあいかわらず幸薄そうな歌子(吉永小百合)に出会う。

この歌子という女性は、ほとんど星明子(『巨人の星』、星飛雄馬の姉)状態である。『柴又慕情』でも、父親の無言の高圧的支配の呪縛でなかで自己主張が出来ないでいた。彼女の父も、昔のドラマに登場する父親はこうだったという典型的なガンコ親父タイプで、娘の歌子は、その人を世話することで自分は必要とされていると実感しているという関係。嫌われるということが恐ろしい性格の人で、自己主張がなかなか出来ない人。だが、最後はそれを振り切って結婚することを選んだ。嫌われることよりも、自分が求めることを選ぶというのが、この歌子の話の基本路線であった。

今回は、その旦那が病気になり余命いくばくもないということで、彼のふるさと・津和野(森鴎外の出身地)に一緒に帰り、彼の面倒をみていたという設定。旦那が死んだ後も彼の実家に入り、肩身の狭い生活をしつつ、図書館勤めをしているという設定。
あいかわらず幸薄い、自己主張の乏しく、従順であることが好しとされた昔の典型的な日本女性のキャラクターである。ただ、現代においてはほとんどリアリティが感じられないず、ドラマの中だけに存在する記号的キャラクターという印象になってしまっている。当時の吉永小百合をそんなに見ているわけではないが、彼女のイメージが従順で可愛い女性というところだったのだろう。あまりに記号的すぎて彼女を取り巻く環境を想像すると、ちょっと可愛そうに思えてしまう。

そんな女性が寅さんといる時は、幸せそうに振舞えてしまう・・という寅さんキャラをシンプルに立たせてくれるキャラクターである。しかし、物語的にはちょっと薄味な感じがしてしまう吉永小百合の2本であった。
どちらかというと、この『寅次郎恋やつれ』のほうがいいかな。

<あらすじ>
山陰に城下町・津和野で図書館勤めをしている歌子(吉永小百合)に再会する寅次郎(渥美清)。結婚した男が病気になり、彼の実家で看病していたが死に別れ、そのまま孤独で肩身のせまい暮らしをしている。そんな歌子を不憫におもった寅次郎は別れ際に「困ったことがあったら、“とらや”を訪ねな」と言ってバスにのる。
それからしばらくして歌子が《とらや》を尋ねてくる。やがて旦那の実家をでて、東京で人生の再出発をするという。娘の夫の葬式にも顔をださない父・修吉(宮口精二)との確執はまだ残っており、しばらくの間《とらや》に住むことになる。
その旨知らせに行ったさくらは、ガンコで無口が、帰り際に「駅まで送ろう」といって着いてきて、別れ際に「娘のことをよろしく」といって頭をさげて帰るのを観る。

ああ、父親なんだなあと思わせるなかなか感動の1コマだった。

その後、寅次郎が単身修吉を訪ね、歌子の代りに言いたい放題を言って帰って来た。そのことを知って皆が蒼くなっているところへ修吉が現われ、歌子と二年ぶりの父娘の対面となった。一同の心配をよそに、お互の心情を語りあった修吉と歌子は和解するのだった。
やがて、歌子は伊豆大島にある心身障害児の施設で働くことを決心し、旅立っていく。

by ssm2438 | 2011-03-31 02:06 | 男はつらいよ(1969)


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