西澤 晋 の 映画日記

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2011年 03月 08日

男はつらいよ40/寅次郎サラダ記念日/三田佳子(1988) ☆☆☆

f0009381_11213654.jpg監督:山田洋次
原作:山田洋次/俵万智
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
三田佳子 (原田真知子)
三田寛子 (原田由紀)

       *        *        *

愛人でいいのと歌う歌手がいて、
言ってくれるじゃないのと思う。


今回は俵万智『サラダ記念日』という短歌集とのコラボ。そういうわけでクレジットでも彼女の名前が連記されている。本編のなかでも、そのなかの短歌がいくつか使われている。・・・しかし、それが効果的だったかどうかはちょっとなんとも・・。スクリーンの中にポイントポイントで、白い字の短歌が中央におかれるのだが、雰囲気としては悪くない。ただ、もう3秒くらいほしかったかな。残念ながら私の感性が乏しいのか、私はちょっと味わいきれなかったという印象だった。もうちょっと映画の内容とリンクしてくれればいいのだけど、とりあえず、映画のないようにささやかにふれそうな短歌をもってきただけ・・という印象だった。・・・私だけ???

今回は、いうつもの<夢おち>からのスタートではありません。だんだんと新しい作品になってくると、昔のスタイルがすこしづつ変わってきてますが、個人的にはあの<夢おち>スタートは大嫌いで、いつも省いてほしとおもってました。このあとのゴクミシリーズになると完全にその部分はなくなるのでうれしい限りです。

さりげない時代と流れとしましては、《とらや》が《くるま菓子舗》が変わってしまいました。なんでも《とらや》というのがどこやらの商標登録となり使えなくなったとか。無粋なことしてくれますね。当時2チャンネルがあったら大叩きされてたでしょう(苦笑)。

<あらすじ>
信州を旅する車寅次郎(渥美清)は、一人暮らしの老婆と知り合い、楽しい一夜を過ごしてしまった。寅次郎が異性と二人で一晩同じ屋根のしたですごすのは珍しいことである(笑)。翌朝一人の女医さんが訪ねてくる。話をきいてみると、そのおばあちゃんは、病院を抜け出したらしい。「どうせ死ぬのなら、自分のうちで死にたい」というおばあちゃんをなかなか説得できない女医さん。しかし寅次郎が親身になって話してやると病院に向かう決意ができたらしい。

この家をはなれると時に描写がいいんだ。きっとそのおばあさんには、これが最後の見納めなんだろうなと分かっていたんでしょうね。車をだそうとする女医さんをしばし制してじい~~っと自分の住んでいた家を眺めている。女医さんそれが最後になるだろうなとわかっていたのでしょう。「もうええで」と言って、車は走り出す。

その女医さんは原田真知子(三田佳子)といい、夫を山でなくしてもう3年あまりがたとうとしていた。ほんとうにおばあちゃんをこの病院につれてきて延命させることが大切なことなのか? 余命すくないと分かっているのなら、そのおばあちゃんのいうとおり、すみなれた自分のうちで安らかに最期を迎えさせてあげるべきではないのか? そんなことで悩む真知子。しかし院長には「そんなことでいちいち悩んでたら医者はつとまらんぞ」とぶっきらぼうにいわれるしまつ。そんな真知子も、やはり寅次郎の存在にこころのやすらぎを覚えランチにさそう。そこへ、東京から姪である由紀(三田寛子)が訪ねてくる。由紀の趣味は短歌であった。
そんなこんなで、短歌の登場に理由付けは出来ましたとさ。

柴又に帰った寅次郎は、由紀が通う早稲田大学へ出かける。通りがかりの学生(尾美としのり)に由紀がどの授業を受けるのかを教えてもらい、その教室にいってみるとまだ誰もきていない。そのまま眠りこめてしまった寅次郎は気がついてみると講義の真っ最中。さらに場違いな質問でその講義を茶化してしまう。
第20作目で登場したワット君(中村雅俊)の話などするのだが、それが受けてしまい教授は講義にならない。

・・・しかし、このあたりになると正直寅次郎の存在がうざくなる。同時に山田洋次の演出にも疑問をもってくる。じっさいこんなオヤジがいたら迷惑なだけだ。それを無理やり生徒から正当化されるように演出していくのだが、この「若者になんとか受け入れられる寅次郎」が無理があるというか、媚をうりすぎというか、寅次郎を無理やり若者たちに受け入れさせようとする方向性に苛立ちを感じてしまう。これは、のちのちのゴクミシリーズもそうなのだが、シリーズとして若者受けをねらった方向性が目立ち始める。その見せ方では受けいられるのは到底無理なところを映画のなかではそれをやってしまうからいやらしさが目立ってしまう。後半の『男はつらいよ』の興ざめポイントがまさにここである。

一方諏訪家では、満男(吉岡秀隆)が大学進学でなやんでいた。そんな満男に「俺みたいに勉強してない奴は、振ったサイコロの出た目で決めるとか、その時の気分で決めるよりしょうがないんだ。俺みたいになりたいか?」と大学進学を進める。この言葉があとになって効いてくる。

やがて信州で出会ったおばあちゃんが危篤だという知らせをうける寅次郎。真知子の病院にいくがそのときにはすでにおばあちゃんは息をひきとっていた。自分の医者としての立場に悩む真知子。信州は夫との思い出の有るある場所だが、子供のいる東京にもどり、東京で再婚でも考えたほうがいいのでは思うようになる。心が弱っている真知子は、夫の面影のだぶる寅次郎によりそってほしい気持ちもあるのだが、はやり寅次郎は「彼女に必要なのは、おれみたいに振ったサイコロの出た目で決めるような、その時の気分で決めるよりしょうがない男じゃないんだ」と由紀に語り去っていく。
しかし真知子が望んでいたのは理路整然と理屈で語るひとではなく、感情で語る人だったのだ。

そのころ、病院をやめようと決意した真知子は院長に話しに行くが、理不尽でむちゃくちゃで、理屈など成立しない、強引で熱心で熱のこもった説得の言葉を受けていた。登場のときぶっきらぼうな発言しかしなかった院長が、熱く語るのである。

理屈で語るのではない、感情で語る人がここにもいる。
そこにささやかに真知子の未来に希望をもたせている。

大学での演出は最低糞演出だったが、この最期の流れは実にすばらしい。
おわりよければすべてよし・・という映画であった(苦笑)。

by SSM2438 | 2011-03-08 11:22 | 男はつらいよ(1969)


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