西澤 晋 の 映画日記

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2011年 03月 23日

男はつらいよ24/寅次郎春の夢/香川京子・林寛子(1979) ☆

f0009381_19584396.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆/栗山富夫
    レナード・シュレイダー
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
ハーブ・エデルマン (マイケル・ジョーダン)
倍賞千恵子 (さくら)
香川京子 (高井圭子)
林寛子 (高井めぐみ)

       *        *        *

山田洋次に外国は描けない・・・。

これは後の41作目の『寅次郎心の旅路』もそう。『男はつらいよ』という世界観を外国にも押し付ける感じがして、見ていてすっごくイヤになる。この映画をみていて、寅次郎というキャラクターが外国人に受け入れられるのか??って思う。なのに、山田洋次の世界のなかではそれを受け入れている外国人を描くことでドラマとして成立させている。それはドラマの方法論として正しいと思うのだけど、はたと現実にもどって寅次郎というキャラクターを見た時、これが外国人に受け入れられるとは到底思えない。それはのちのち、若者ウケをねらって泉ちゃんシリーズをつくることになる。そこではゴクミに「おじちゃまー」と呼ばせているが、実際若い人の寅次郎が受け入れられるとは到底思えない。少なくとも私の世代でもどちらかというと胡散臭いキャラクターという印象のほうが勝っているのだから。そんな車寅次郎というキャラクターを外国に押し売りしたような映画がこれ。

しかし・・・、確かに全体の印象があまり面白くないのだけど、ポイントは抑えてある。日本人の感情表現として、モノ言わぬも感じなさいという日本のコミュニケーション様式。それに対して、「言葉にしないと伝わるわけないじゃないですか」という外交人的コミュニケーションの様式。この二つのコミュニケーションん美学を対比して描いている。
寅次郎は高井圭子(香川京子)に恋し、言葉にせずとも、振られたことをさとりそのまま去っていく。一方マイケルは、さくらに「愛している」と言葉にし、さくらも「インポッシブル」と完全否定している。きちんと否定できない女があふれんばかりにいるこの世の中に、きとんと否定するさくらは素敵だった。でも、よくよくかんがえると、あれって英語だから言い易かったのかもしれないな。

確かにドラマというのは、言葉にせずとも、お互いが分かり合ってるっていうのほうが私も好きなのだが、やはり個人の生活となると、感じたことはきちんと言葉にすべきだと思っている。

<あらすじ>
帝釈天の境内でなにやら落ち込んでいる外国人(ハーブ・エデルマン)を見つけた御前様(笠智衆)。しかし英語はダメ。ふと思い立って満男の通う英語塾のめぐみ先生(林寛子)に来てもらう。彼はマイケル・ジョーダンと言い、ビタミン剤のセールスに日本へ来たが商売はうまくいかず、ホテルにとまるお金もない。そんなわけで、《とらや》の寅次郎の部屋をしばらく貸すことにする。しかしそこに寅次郎(渥美清)が帰ってきてひと騒動。
はっきりと感謝の気持ちを言葉にするマイコゥさんはおばちゃんに気に入られるが、そのマイコゥは、どうもさくら(倍賞千恵子)のことが好きになっている様子。そして大阪に行商に出るときに「さくらの旦那さんは、ほんとに君のことを愛しているのか?」と言う。マイコゥさんにとっては、言葉でも行動でも愛情表現しない博(前田吟)がさくらを愛しているとは思えないのだ。

一方寅次郎は高井めぐみの母の圭子(香川京子)にのぼせ上がる。めぐみと圭子と一緒に《とらや》で夕飯をしているときに、アメリカ人の恋愛表現のマナーをしる。「言わなくてもわかるでしょ」は日本人には通用しても、アメリカ人には通用しない。好きな時はきちんと「アイラブユー」といい、脈がないときは「インポッシブル」って誠実に答えなければいけない・・という。
寅次郎はそんなことは出来ないという。愛は目で語る。ダメだと感じた時は、その人の幸せを祈りつつだまって去る。それが日本人よ!という。

そしてそのようになる。

by ssm2438 | 2011-03-23 19:59 | 男はつらいよ(1969)


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