西澤 晋 の 映画日記

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2011年 03月 26日

男はつらいよ21/寅次郎わが道をゆく/木の実ナナ(1978) ☆☆☆☆

男はつらいよ21/寅次郎わが道をゆく/木の実ナナ(1978) ☆☆☆☆_f0009381_2045915.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
木の実ナナ(紅奈々子)
武田鉄矢 (後藤留吉)

       *        *        *

なんで雨の中で踊る奈々子が描けんかったかなあ。。。。

若き日に槇村さとるの『ダンシング・ゼネレーション』『ニューヨークバード』に燃えた私としては、この手の話は好きなのでついついなんでも感動してしまうスイッチが入るようになっていて、なんでもOKモードになってしまう。しかも物語としてもとってもいいと思う。ただ・・もうちょっとスマートに、ハードにできんかったかな。生理的に武田鉄矢が嫌いで・・・、画面のなかで観たくないんだ(笑)。素材が良かっただけにちょっともったいない気持ちにはなった。。。

ただ、構成的にはかなりしっかりしてると思う。「夢・・・、夢の終わりは現実」。
女が現実を選択していくのに対して、ブ男連合のふたりはそれでも見果てぬ夢を追い続けるという流れで終わってます。ただ、この二人で描かれると、夢を追うというの名の現実逃避という風にもとれなくもないのでどうなんかな・・。

今回のマドンナ・紅奈々子(木の実ナナ)はさくらの同級生で、小さい頃からダンサーになりたくて、成し遂げた人。しかし、その彼女も30を越え、徐々にせまってくるからだの衰えに恐怖しつつ、今をキープしようと必死に努力している。そんなときにずっと付き合っていた男からプロポーズされ、どうしようかと悩んでいる夢と現実のハザマで生きている女性。
私もアニメーターになりたいと子供の頃からおもい、それを成し遂げるために実行してきたので、この想いは実に切実にわかる。ただ、私達の仕事はもうちょっと歳とってもやれるけど、プロのダンサーはそういうわけにはいかない。歳ともに身体の衰えは容赦なく襲ってくる。プロポーションだっていつまで保てるか・・。そのためには食事制限もしつづけなければならない。
ここまでくるともう、「夢」とか、そう呼べるものではないのである。夢見て努力してきたかつての自分を裏切らないために、意地をはっているだけなのだ。実際それにしか人生かけてないので、いざやめたからといってほかに何か出来るなんて器用な生き方が出来るとも思えない。結局のところそこにしがみつくしかないのである。それが判ってて彼女も、私も今の仕事を選んだのだから文句は言わないのだけど・・・、でも、ダンサーの寿命のほうがアニメーターよりはるかに短いので大変だ。

<あらすじ>
九州から柴又に連れ戻された寅次郎(渥美清)は、さくらの同級生の奈々子(木の実ナナ)と再会する。嵐のように《とらや》に現れては嵐のように去っていくにぎやかな奈々子。子供の頃からの夢を成し遂げて、いまはSKDの舞台にたっている彼女だが、人に言えぬ悩みがあった。30を越えた彼女は、老いが迫ってくるのに恐怖しつつ、一方で10年つきあっている男からプロポーズを受けていた。その世界では結婚すれば引退というのが慣わしらしい。ダンスは続けたい。でも老いはいずれ自分を捕まえる。なので結婚もして安心したい。夢と現実が彼女の心の中で渦巻いている。そんな時の寅次郎と奈々子の再会だった。
奈々子は、意地で、かつて「夢」だったもにしがみついた。男に「さよなら」を言った。
気持ちがすさんだ奈々子は《とらや》を訪れる。さくらに男と別れたことを告げる。雨が降ってくる。寅次郎は奈々子を彼女の部屋まで送っていく。孤独にさいなまれた奈々子は、帰ろうとする寅次郎を引きとめ一晩中飲み明かそうという。しばし考えた寅次郎だが残ることにする。

べつに“H”にいたる流れではないのだろうが、明らかにそれを意識する作りになっている。『男はつらいよ』のなかで、ここまで“H”への流れを感じさせたのは後にも先にもこのシーンくらいだろう。のちのち『寅次郎あじさいの恋』でそれらしいシーンがあったが、あの時はいしだあゆみのほうにその意思はなかっただろうから。あのときあったのは「誤解されるといやかも」という想いだっただろう。しかし今回のこのシチュエーションは、明らかに奈々子は「そうなったらなったでもいいや」と思っているのである。寅次郎が性の対象として描かれたのはこれが最初で最後かもしれない。そのくらい貴重なシーンだ。

しかし、ドラマはもちろんそういう方向には流れない。雨がふっている窓辺にたって奈々子が言う。

「こんな日は外に飛び出して雨のなかで踊りたくなるの」。

・・・・なぜそうしない!!!!!!!!!
そのシーンを見ている人は見たがっているのに。なぜ!!!!!
このあとの山田洋次演出ははっきりいってダサすぎです。

外をみていると外に別れを言った彼が雨の中こちらをみている。どうしようかと思っている奈々子。私などは、寅次郎が窓辺に歩いていかないか心配で仕方がない。そとから奈々子の部屋をみている男に、奈々子に歩み寄る男の影なんか見せたらどうなるんだ???ってもう心配で心配で・・・(苦笑)。
結局のところは奈々子が雨のなかに飛び出して、キスして、どうやらそのあと結婚=引退をきめたらしい・・という展開。

その前の段階で「私踊ってくる」とか言わせて雨のなかに飛び出す奈々子。
「おいちょっとまてよ」とかいっておいかける寅次郎。
雨の中で切なく踊っている奈々子の頬が濡れているのは雨に濡れただけではなさそうだ。
ふとみると、ちょっとはなれたところでずぶ濡れで踊っている奈々子をみている人影あり。
以下、その男にかけよりキスする奈々子。
人知れずその場をあとにする寅次郎。そしてまた旅に出る。

・・・でよかったのに。

それから1ヶ月して、最後の公演の始まる。
その公演が始まる前に、先輩のダンサーに結婚引退の報告。この辺の流れはなんかいいやね。そのお姐さんはきっとそういうこともあっただろうに、チキンで、男と一緒になれなかったのだろう。そういう人生もあったのだぞ!という描き方がなかなか味わい深い。

舞台に出る前に、「私やめたくない」というシーンはちょっとドキ!
この映画の流れをみてて、その言葉がどこまでホントだったのかちょっと不自然に感じた。
この台詞だと、ダンスが結婚かの二者択一を迫られて、やめたくないけど結婚をとったという流れを意味する。しかしそうなのだろうか? 私の感じだと、老いと戦うことに疲れて辞めたのだと思っている。疲れたというのはちょっと違うかもしれない。ただ、今はまだ戦えるけど、あと5年したらどうなのだろう・・?と考えた時にそこまでもたないかもってどこかで感じたのだと思う。だからだから退けることにしたのだと解釈した。たぶんその流れのほうが正しかったと思う。その場合は「私やめたくない」は合い得ない台詞なのだ。

そして最後の歌。ステージで歌う奈々子をみつめるさくら。じつはその会場には寅次郎もひとしれず来ていて彼女の歌を聴いていた。そして途中で出て行く寅次郎。会場の外に出ると、アホな山田洋次は歌をきりやがる。で、かめらが会場にもどるとまた歌がイン。・・・・ここは許せんかったなあ。そこはベタ流しだろう。
会場をでて人ごみをあるいて去っていく寅次郎にもベタ流しで歌をかけて、やがて会場にカメラを戻し最後まで歌わせてフィニッシュ・・・・。

ああ、もったいない。

いろいろ文句のある話でしたが、『男はつらいよ』の中ではけっこう上位にはいる話でした。
私の記憶の中で、木の実ナナがここまで輝いた映画はほかにない。

by ssm2438 | 2011-03-26 05:46 | 男はつらいよ(1969)


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