西澤 晋 の 映画日記

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2011年 03月 29日

男はつらいよ18/寅次郎純情詩集/京マチコ・壇ふみ(1976) ☆

f0009381_1033739.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
京マチ子 (柳生綾)
檀ふみ (柳生雅子)
浦辺粂子 (柳生家のばあや)
岡本茉利 (大空小百合)
吉田義夫 (鶴八郎一座の座長)

       *        *        *

最初の寅次郎のネガティブイメージが最後まで尾を引いてしまった。旅から帰ってきた寅次郎の悪態ぶりがひどくて、その次の悪態ぶりもひどくて、結局この無責任さが寅次郎の本質か・・って思うと、あとのエピソードも全然感動できないまま、ただメロドラマが展開されてしまった・・という印象。

満男の家庭訪問で《とらや》を訪れる柳生雅子(壇ふみ)先生。そこに寅次郎が帰ってくる。で、その美貌にほれてしまい、家庭訪問で先生と話したいとおもっている博やさくらのことはそっちのけで、ちゃらちゃら話す寅次郎。博が「満男はちゃんと給食たべていますか?」と大事なことを聞こうとすると「そんなこたあどうでもいいんだ」とくだらない教育論だの、夢物語を語りまくる。子供のを持つ親にしてみれば、給食をのこさず食べているのか? ひとりだけ食べるのが遅くて不憫な思いはしてないか? 友達と話ながら楽しく給食を食べているのか? ・・など、とても大事なことなのに・・・、ここの寅次郎はほんとに酷い。
いつも映画の冒頭では、くだらないことからケンカになり《とらや》を飛び出して旅に出る寅次郎だが、今回のはあまりに無神経すぎてはらがたつくらい。
そのあとがまた酷い。信濃路を旅する寅次郎は#8で登場した坂東鶴八郎一座と遭遇、その日が最終公演だというので、公演のあとは旅館で一緒に飲めや歌えの大騒ぎ。「ここは自分がもつよ」と大盤振る舞いしたのだろうが、実はそんなお金もなく、あえなく警察にご厄介。飲食代と宿泊代を払いにさくらが信州までやってくるさくら。そこでは警察のみなさんと仲良くなった寅次郎が風呂屋からかってくる。寅次郎はそこでも、「警察の出す飯はまずくて食えない」とうなぎを注文したうえ、警察のみなさんにも食事をおごったらしい。それを全部支払うことになったさくらはかんかん。
寅次郎の人柄を表現するためのエピソードだろうが、あまりに無責任で超不愉快。

寅次郎の行動というのは、無責任さを起動してはじめて出来ることで、責任感があったら出来るのか??って思ったら、このあと起こす寅次郎の行動も全部無責任に思えて感動させようとしているシーンも、なんとも思えない。個人的には映画としてまったく楽しめない作品になってしまった。

<あらすじ>
柴又に連れ戻された寅次郎(渥美清)、また雅子先生(壇ふみ)の母親・綾(京マチコ)と再会。実は子供の頃あっていたのである。綾は由緒ある家柄の未亡人だが、昔から病気がち、既に病状も悪化しており、あとは死をまつだけ。ゆえに実家で過ごすことが許されて戻ってきたのだ。名家のお嬢さんとして育てられたが、政略結婚で戦争成金と結婚、そして離婚、そのあとの闘病生活。ほんとに自分のことを愛してくれた人にであったことのなかった世間知らずの綾は、いつも顔をだしてくれる寅次郎が唯一の心が通わせられる男だった。最後の1ヶ月、寅次郎と楽しい日々を過ごした綾も死んでしまう。一人残され家を整理している雅子のもとを訪れた寅次郎は、「寅さんは、母を愛してくれてた?」と聞かれる。口ごもる寅次郎。
「母は、寅さんに愛されていると思っていたわ・・」と話す雅子であった。

感動の埋め込みポイントとして、《とらや》のみなさんと綾と雅子先生とで、綾が全快したらどんな仕事についたらいいかって語るくだりがある。これは綾が死んだあとに感動を引き出すための前振り。柴又をはなれる寅次郎がさくらに語るとき、「花屋がいいな。そしたら仕入れとかなんとか全部俺がやって、つつんだ花をお客さんに渡してもらうだけでいい。そしたらオレも、さくらたちと一緒に正月を《とらや》で一緒に過ごせるようになってたのにな」ともらす。・・・・残念。これも珍しく機能しなかった。
想いの深さを想像で感じさせるのが山田洋次演出のいいところなのだけど、今回は総てを言葉だけで処理された印象がつよく。想いの深さも伝わってこない。というか、そんなものない。
寅次郎の精神年齢をかなり低めに設定し過ぎてしまったのが敗因だろう。

by ssm2438 | 2011-03-29 00:30 | 男はつらいよ(1969)


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