西澤 晋 の 映画日記

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2011年 05月 28日

馬(1941) ☆☆☆

馬(1941) ☆☆☆_f0009381_8132767.jpg演出:山本嘉次郎
脚本:山本嘉次郎
撮影:唐沢弘光(春)
    三村明(夏)
    鈴木博(秋)
    伊藤武夫(冬)
音楽:北村滋章

出演:高峰秀子 (小野田いね)

     *      *      *

素晴らしき哉、戦意高揚映画!

キネ旬ベストテンの第2位
戦意高揚映画といえば聞こえは悪いが、しかし、ハリウッド映画なんて全部戦意高揚映画である。勝つための団結! それがみんなの好きな戦意高揚映画なのである。
戦前の日本にはこのようは映画がけっこうあった。それも、みてみるとなかなかすがすがしい。戦後のじめっとした映画とは対照的に晴れやかなのだ。敗戦を経験したこの国の人々はその後「勝とうとすることはけしからん」「負けることも悪いことではない」、そうしてなんとか自己肯定をして、それが映画に反映されていた。

これは日本だけではない、敗戦国特有の心理に思われる。ドイツの映画にしても、面白くもクソもない。イタリア映画にしても、戦後のイタリア映画は人情劇に優れていたが、その後はエログロ系に走ってしまった。なさけない男の欲望のはけ口のような映画ばかりだった。それはフランスも同じだ。結果的には勝った連合軍の中だが、その実態はドイツに占領され屈辱を味わった国であることには間違いない。ポーランドもそうだろう。戦中はドイツに支配され、戦後派ソ連共産党に支配された国。これらの国の映画というのは、勝つことをもとめることへの恐怖感が水面下に横たわっている。そのじめっとした感じが、この『馬』という映画にはないのである。

冒頭のシーンは馬の《競り》から始まる。ここでの最高の栄誉は軍隊に最高の値をつけてもらい、競り落とされること。この世界では軍隊がその価値をみとめる役割であり、その目に適うものを作り上げたものが名誉を勝ち取る。このメカニズムはどこの世界でも同じなのだが、「軍隊が・・」というポイントが嫌なにおいを発していることは間違いない。しかし、それはその当時の権力と評価のシステムがそうなっているとうだけで、ドラマの主人公たちは、その物語のなかで認められるために戦うのである。
この物語では、高峰秀子演じる農家の娘が、父が病気になたり、馬が病気になったりとなかなか大変。病気になった馬には、青草がいいと獣医がいうので、高峰秀子はかんじき履いて、スキーのスティック片手に山をこえた温泉地までいって取ってくる。雪山をさんざん歩いたどり着いた温泉地。このあたりの音楽はすこぶる気持ちがいい。成し遂げた感をしみこませてくれるスタンダードな演出なのだ。
そんな逆境のウェーブに耐えながら、愛情をもって馬を育て、その馬が軍馬として買われていくというところで晴れやかにおわる。この晴れやかさが実にさわやかで、勝つための努力し、人と角ことを成し遂げた充実感を演出してくれているのだ。まさにハリウッドのようはエンタメ精神の映画が、この時代の日本ではつくられていたのである。

しかし・・・、正直なところこの映画をみるにはかなりの忍耐が必要だ。
地道に東北の農家の日常を描いているのでかなり退屈なシーンも多い。丁寧に撮ろうとしている精神は認めるのだが、観ている人がそれを見たいかどうかはかり疑問。もうすこし、観ている人が観たいなと思うシーンを大量投入して欲しかった。
さらにネガティブポイントがひとつ。言葉が分りづらい。録音状態もそうだが、東北弁もわかりっづらいのである。もっともがちがちの本場東北弁ではなく、標準語圏の人が東北弁を話しているのである程度は分るのだが、出きるなら字幕が欲しいくらいだった(苦笑)。

by ssm2438 | 2011-05-28 08:19


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