西澤 晋 の 映画日記

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2011年 06月 10日

ラストコンサート(1976) ☆☆

f0009381_014572.jpg監督:ルイジ・コッツィ
脚本:ルイジ・コッツィ
    ミケーレ・デレ・アイエ
    ダニエレ・デル・ジュディチェ
    ソニア・モルテーニ
撮影:ロベルト・デットーレ・ピアッツォーリ
音楽:ステルヴィオ・チプリアーニ

出演:
パメラ・ヴィロレッジ (ステラ)
リチャード・ジョンソン (リチャード)

       *        *        *

ベタな作りだが、「ベタな作りでなぜ悪い!?」といってしまえるよういな映画。

でも、シナリオは弱いな。物語のスタンダードをやってるだけの映画なのだが、その変哲も無いベタさこそがこの映画の素敵なところだろう。ベタでも、嫌いになれない映画というのはこういう映画のことを言うのだろう。

物語は『スウィート・ノベンバー』と同じで、不治の病の女の子が、死ぬ前に自分の存在を実感したいと思い、男性に対してちょっとアクティブに行動してみて、不遇のその男が彼女の存在のおかげで人間性・活力をとりもどす・・という話のひとつ。シャーリス・セロンは好きなのだが、ドラマ的にはこちらの『ラストコンサート』のほうがベタ過ぎていいかな。こういうつくりは物語りはあまり奇をてらわず、シンプルな話を心情描写と音楽と美しい画面だけで語って欲しいものだとおもう。あれがちょっとごちゃごちゃしすぎた。
そ、エイドリアン・ラインに撮らせればいいんだ!

しかあ~~~しこの映画、肝心の音楽が弱い。弱すぎる!!
これがフランシス・レイとか、ニーノ・ロータとか、ビージーズでも、サイモンとガーファンクルでもいいけど、「これが映画音楽だ!」ってメインテーマがあれば文句なしに心の残る映画になってただろうに・・、あまりに音楽が弱すぎる。

主演のパメラ・ヴィロレッジもめちゃめちゃかわいいというわけではない。しかし、このチラシ(→)のこのシーンのこの横顔のアップだけはめちゃめちゃ可憐で素敵だ。しかし、観る人はこの絵をみて「もしかしたら感動できるかも・・」って思うわけで、このキービジュアルを世間に残せたことだけで、この映画の存在感はある。

<あらすじ>
仕事のない音楽家のリチャード(リチャード・ジョンソン)はモン・サンミッシェルの病院に手の怪我を見てもらいに行った。診療室から出てきた患者はそんなリチャードに話しかけてきた。ぶすっとしたリチャードに「すこしは笑顔をみせたら?減るもんじゃないわよ」と言い残してさっていく彼女。「診察室に入ると医者がの女の子の病状を語り始める。リチャードがあの前の患者の父親と勘違いしたらしい。医者は「彼女は白血病で余命3ヶ月くらいだ」という。それが二人の出会いだった。

--正直なところかなり強引な「入り」だった。全体的にシナリオに深みが感じられない。このシーンだって前もって腕を怪我するシーンくらい入れとけばいいのに・・・。ストーリーに説明のため必要な要素だけで構成されるとご都合主義というか、手抜きというか、素人っぽさを感じてしまう。物語に必要な要素を、なじむように、わざとらしくないかたちで提供してほしいものである(苦笑)。

以下はリチャードとその娘のロードムービー。彼女(パメラ・ヴィロレッジ)はステラといい、愛人と共に出奔した父を探しているのだという。無邪気にふるまうステラにリチャードもすこしづつ心をほぐされていく・・という話。バーでピアノを弾いてドサ回りををしている彼果てたピアニストが、彼女の存在で仕事がもらえそうになるのを皮切りに、ホテルに泊まろうとすると部屋がひとつしかなくって結局一つのベッドに境界線をつくって寝るとか、たずねていった父親の家は留守で、そこにはピアノがありリチャードがピアノを弾くシーンをきちんといれこんでいるとか、今はパリにいrという父親に会いに行くが、子供と平穏に過ごしている姿を窓からそっとみただけで還っていくステラをそっとみまもっているリチャードとか・、きわめてありきたりのスタンダードなコースが続く。
しかし病魔は確実に彼女の生命を奪っていく。リチャードが彼女をおもって作った曲が演奏されているなか、彼女はステージサイドで息をひきとっていった。。。。

by ssm2438 | 2011-06-10 00:07


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