西澤 晋 の 映画日記

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2011年 07月 17日

結婚しない女(1978) ☆☆☆

f0009381_1761469.jpg監督:ポール・マザースキー
脚本:ポール・マザースキー
撮影:アーサー・オーニッツ
音楽:ビル・コンティ

出演:
ジル・クレイバーグ (エリカ)
マイケル・マーフィー  (旦那・マーティン)
クリフ・ゴーマン  (最初に寝てみた男・チャーリー)
アラン・ベイツ  (抽象画家・ソール)

       *        *        *

ビル・コンティのスコアって、全然イメージが違うようでいつも、妙に納得させる不思議な音楽。

ビル・コンティといえば、『ロッキー』『ライトスタッフ』という印象がつよいのだけど、この映画も実はそのビル・コンティ。この人の音楽って、意地でもそこじゃないところを行く、変な印象なのだけど映画を見てると、妙にいいんだ。実に不思議な音符を書く人だなあっといつも思う。
たとえばハンス・ジマーだったら、カッコいいところではじつにかっこいい音楽で、ああ、そうじゃろうそうじゃろうって思うのだけど、確かにカッコいいんだけど、カッコいいあたりまえすぎて今ひとつ私のなかでは面白さがない人になっている。でも、監督やってると、「ここのBGMはハンスジマーのあの感じで」って言ってしま判り易いカッコよさを提供してくれるのも間違いなく、説明しやすいひとだ。しかし、ビル・コンティは「そんなのだれがやったってカッコよくなるだろう、それをやらないでかっこよく聞かせるメロディをつくるんだ!」っていう一味違うプロ根性を感じる。
この映画が、70年代後半をいきる既婚女性の精神的自立の話で、『ロッキー』や『ライトスタッフ』のようないかにもビル・コンティって音楽ではなくて、場違いをかんじないけでもないんだけど、見終わってみると「ああ、この音楽わるくないんじゃない。。」って思ってしまう。不思議な味付けの作曲家、ビル・コンティである。

監督は私のご贔屓監督のひとりポール・マザースキー。この人の人間描写はなんかいいんだ。世間的に一番認められている『ハリーとトント』はいまいちだったのだけど、『ハドソン河のモスコー』大好き。でも『パラドールにかかる月』は超NG。実は『ハドソン河のモスコー』しかアタリがないのかもしれないが、この人のウィットにとんだ語り口は素敵である。
ポール・マザースキーの魅力は感性の柔軟さ・・というか、愛されてない不安があまりないなかで展開されることだろう。はは、説明になってない。人間に許容量があるのだ。自分が愛されいないかもしれない・・という恐怖感がない。
なんでも、女系家族で育った一番末っ子の男の子はやたらと甘えん坊になるらしいが、そんな感じ。自分がどんなになさけなくて、かっこわるくて、お姉ーちゃんたちが「良い子良い子」ってしてくれる。そんな中で育つと甘えるのが上手になり、女に憧れをほとんど持たなくなるらしい。ポール・マザースキーの映画のなかでは、憧れるよう女は決して出て来ない。現実的な女なのである。そして同様時、どこか男にあまい、男のわがままさを受け入れている女なのだ。
私は男兄弟のなかで育ったので、女性というものが異物・エイリアンにしかみえないのだが、女の兄弟姉妹がいるなかで育っていると「女」というものが不思議ではなく見えてくるようだ。中学校~高校と、お姉ーちゃんや妹がいる家庭で育った男は、女に憧れをさほどもたないらしく、妙にあっさり彼女をつくってるな・・って印象があった。女のほうも、お女姉妹がいる男のほうが、付き合いらしい雰囲気があり、不思議とさらりと付き合いはじめるなように見えた。ポール・マザースキーの映画には、その時感じた感性をやたらと感じる。あんなふうに、気楽に女と付き合えたらいいなあと当時思ったものだ。ま、そういう私も歳をとったので、いまではそれほどびびることなく女性と話せるのだが・・・。

この映画は、70年代の何不自由なく普通に主婦をやってた主人公が離婚することになる。旦那が愛人がいることを告白、別れることになった。いざ、別れ見ると、いままで自分が16年間「旦那の奥さん」だっただけ、自分ではなかったことにきづく。だからといっていきなり自分とはなんぞや、自分はどうあるべきか?を求められても、何をどうしていいのかわからない。16年間同じ人としか“H”をしたことがなく、彼が最初だった彼女にとっては、他の男とセックスをすることも恐怖でしかない。しかし歳をとり「女」として見られなくなる恐怖も同時進行している。そんな状態からの「一人の人間」として心を健全化していくお話である。
実は、当時のアメリカ女性ってそれほど自立していたわけではない。我々の感覚からすると、アメリカ女性ってのはもっとも、自立している女性だって印象がつよいのだけど、70年代の映画をみると、結婚して家に入ったら旦那の言いなりになるってケースが実は少なくない。特に南部はその傾向がつよかったようだ。マーティン・スコセッシ『アリスの恋』などをみても、驚くほど旦那の言いなりになっている女性像が描かれていてびっくりしてしまう。この映画の主人公は、アリスほどではないにしろ、家庭にはいるったという状態が長期間つづいたせいで自己を失い、楽しみは女友達とのだべりだけ・・というようなところからドラマがはじまり、徐々に精神的な自己再構築へと向かっていく。

<あらすじ>
ニューヨークの画廊につとめるエリカ(ジル・クレイバーグ)は、結婚16年目にして旦那から浮気を告白される別れることになる。そしうて始まる15歳の娘パティー(リサ・ルーカス)と2人の生活。パティーがボーイフレンドと寝室にいるのを発見すると、自分だけが取り残されるような恐怖感を覚える。エリカは女精神医タニア(ペネロープ・ルーシアノフ)に相談に行き、徐々に心が解放されていく。
その第一弾として、いつも自分にちょっかいをだしてくる画廊の主人チャーリー(クリフ・ゴーマン)と寝てみる。どうもやっぱりはずれ。そうしていると中年の抽象画家ソール(アラン・ベイツ)と出会う。彼とも寝てみる。それほどアタリとも思わなかったのだが、彼との接点が重なるごとに、彼の良さがどんどん判って来る。ソールも再婚を望んでいるようだ。やがて夏が来て、ひと夏バーモントですごすことになるソールはエリカも一緒にくるように誘うのだが・・・。

by ssm2438 | 2011-07-17 17:06


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