西澤 晋 の 映画日記

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2011年 07月 27日

誰が為に鐘は鳴る(1943) ☆

f0009381_1075356.jpg監督:サム・ウッド
原作:アーネスト・ヘミングウェイ
脚本:ダドリー・ニコルズ
撮影:レイ・レナハン
音楽:ヴィクター・ヤング

出演:
ゲイリー・クーパー (ジョーダン)
イングリッド・バーグマン (マリア)

       *        *        *

フランコの為に鐘は鳴る・・・?

この映画の時代背景となっているのがスペイン内戦(1936年7月~1039年3月)。
近年シャーリズ・セロンが主演した『トリコロールに燃えて』でも、この内戦がイベントとして登場する。古くはジョアンナ・シムカス主演の『若草の萌える頃』の冒頭にゼタおばさんの回想として登場する。・・が、意外と日本人には感心の少ない戦争のひとつである。その理由もわからなくもない。この戦いは<共産主義>対<ファシスト>という対立構図で、もっと簡単に言えば<国家社会主義左派>対<国家社会主義右派=軍事政権>みたいなものである。この対立構図は貧乏国によくあるもので、アルゼンチンのペロン政権前後のばたばたもこの対立だったといえるだろう。
当時のイギリスやフランスはどちらの側にもつかづ中立的な立場をとっていた。結果としてフランシスコ・フランコ将軍が率いるファシスト政権(ナチスドイツ、イタリア、ポルトガルなどから支援)が勝利することになった。

それ以前のスペインは、第一次世界大戦に起因する経済の停滞は戦後も続き、貧民層は困窮に喘いでいた。民衆の不満を後押しに1923年9月に軍を率いたプリモ・デ・リベーラ将軍がクーデターを起こして政権を奪取。しかし今度はその強権的政治に対する民衆の不満は高まり、31年には退陣へと追い込まれる。その後は、王制打倒を目指す左翼的思想の共和派は民衆の支持を集め、国王アルフォンソ13世を退位へと追いやり第二共和政が成立した。

新政府は左翼的な新憲法の下、貧困層救済を重視した政策を展開したが、結果として国の生産性は低下し、失業者の一部は急進的な労働組合に所属し、激しいデモやテロを繰り返した。また、政教分離を進めた結果、敬虔なカトリックである民衆の支持を失った。政治は迷走を繰り返し、政権の退陣も頻繁に発生、これらの政治的混乱は新政府への失望を招くことなった。
・・・・まるで今の日本政治状態、民主党のようである(苦笑)。

そうなってくると「良き独裁者」をもとめる声が日増しに強まっていく。
1936年7月、フランシスコ・フランコ将軍らが発起すると、スペイン各地で反乱が頻発。共和党政権との間で内戦へ突入していく。フランコは何人かいた反乱側の一将軍でしかなかった。また当初は反乱軍のほうが敗北を重ねていた。しかし内戦が長期化の様相を見せ始めると、トレド陥落など戦功めざましいフランコが中心的立場を確立していった。
このフランコ将軍を支援したのが、ヒトラーのナチス・ドイツ、ムッソリーニのイタリア王国、サラザールのポルトガル。これに対抗する現体制側の人民戦線を支持したのがスターリンのソビエト連邦とカルデナス政権のメキシコ。

この物語の主人公、アメリカのカレッジ教授ロバート・ジョーダン(ゲイリー・クーパー)は、人民戦線派に投じて右翼のフランコ勢力に対するゲリラを行なっていた。
映画としてはひたすら退屈である。そのほとんどが山岳部のハリボテの岩をバックにした芝居ばかり。変化が乏しく、スケールも極小である。で、やってることはただのメロドラマ。それ以外の要素がまるでないので面白くもへったくれもない。「おもしろい」とされる古典の映画で、実は全く面白くない映画の一つである。

<あらすじ>
1937年5月、スペイン北部。アメリカからの義勇兵、大学教授だったロバート・ジョーダン(ゲイリー・クーパー)はフランコ軍の物資の輸送を阻むために、山間の峡谷にかかる鉄橋の爆破する計画に参加していた。ジョーダンは山間に巣食うジプシーのゲリラに援助を頼むためそのそこを訪れた。そこでマリア(イングリッド・バーグマン)と出会う。彼女はある市長の娘で、フランコ軍に両親を殺され、髪をバリカンで切られ、犯されたがゲリラ達に助けられて行動をともにしていた。
鉄橋爆破の前日の夜、2人は愛を交わす。短い夜があけ、朝が来た。ジョーダンたちは鉄橋にダイナマイトを仕掛けて、敵戦車が通過する直前に爆破した。ジョーダンは足を撃たれてうごけない。死を悟った彼は、泣き叫ぶマリアを一行とともに送り帰させたのち、ひとり敵軍に向けて機関銃の引金を引くのだった。


ちなみにスペインのその後は、フランコ将軍が国家元首(総統)として独裁体制を敷いた。その後フランコは日独伊防共協定に加入したが、1939年9月、第二次世界大戦が勃発すると、フランコは国家が内戦により荒廃したために国力が参戦に耐えられないと判断して中立を宣言した。
実はこのフランコ、かなりお利巧さんで、スペイン内戦時サポートしてくれたドイツ等に友好関係を示しながらも、当時の世界情勢に流されず、国家を大戦から切り離した。終戦後、ファシスト国家であることから国連から排除されていたが、東西冷戦の激化により、反共産主義という基本思想と、スペインが地中海の入り口という地政学的にも戦略的にも重要な位置にあるという理由から、アメリカとの間で米西防衛協定を締結した。これにより、アメリカとの関係は飛躍的に改善される。
その後、任命制の議員の一部を選挙制に切り替えるなど、緩やかな民主化への方向性をしめしていた。フランコは政権のあり方について、最終的には王制に移行するべきだと考えていた。スペインの議会制民主主義は失敗を続けてきたので、王制が最良だと考えたようだ。1969年、フランコは前国王アルフォンソ13世の孫フアン・カルロスを後継者に指名し、1975年に死去する。その後フランコの言葉に従い王政復古が成され、王政のもとで、スペインは急速に民主化に向い、今に至る。

結果的には「良き独裁者」のうちの一人だといっていいだろう。
その鐘は、独裁者としてのレッテルを貼られながら、国家を正しき方向に導いていった人のために鳴るのかもしれない。

by ssm2438 | 2011-07-27 10:08


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