西澤 晋 の 映画日記

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2011年 09月 19日

泥の河(1981) ☆☆☆☆☆

f0009381_319460.jpg監督:小栗康平
原作:宮本輝 『泥の河』
脚本:重森孝子
撮影:安藤庄平
音楽:毛利蔵人

出演:
朝原靖貴 (板倉信雄)
田村高廣 (板倉晋平)
藤田弓子 (板倉貞子)
桜井稔 (松本喜一)
柴田真生子 (松本銀子)
加賀まりこ (松本笙子)

       *        *        *

この映画の銀子ちゃん以上に憧れを抱ける女性キャラなんてそういないでしょう。

『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』のサガちゃん(メリンダ・キンナマン)と双璧をなす美少女キャラといえばこの『泥の河』の銀子ちゃん(柴田真生子)しかいないでしょう。
こんな女の子がいたらそりゃもう、一生のマドンナになってしまいますよ。この物語の主人公の信雄は、一生彼女以上の女性にはめぐり合えないでしょう。彼は銀子ちゃんを理想の女性として心のそこに定着させ、この物語のあとに続く人生のなかでも、彼女を投影できる女性を追い求めることでしょう。しかし、「この子はあの銀子ちゃんじゃない!」って現実を認識すると、その時点で恋はさめちゃうのでしょう。まさに少年の日の憧れどこまでも・・て感じです。

この映画をみたのは20年前で、当時はその昭和30年初頭という世界をよくこれだけ再現できたものだと感心できないくらい感動しました。それは昭和30年を再現した画面ではなく、昭和30年に撮ったような世界観、空気感そのまんまなのです。この空気を再現しただけでもこの映画はスゴイ。
しかし、そんなことをスゴイっていうのはチキンでしょう。それ以上にすごいのがこの映画が描き出す少年時代のみずみずしいメンタリティ。そして大人の世界の片鱗を垣間見る時のトキメキと嫌悪感。そして自分の無力さと、甘ったれ具合に対する罪悪感。

結局「人生」というのは麻雀のようなものであり、自分のどんな牌が回ってくるかなんてのは選べないのである。そしてそのまわってきた牌で戦うしかないのである。そこにはラッキーな奴もいればドツボの牌が回って来た奴もいるだろう。そして残念なことに、麻雀のように何回も繰り返されるわけではない。ドツボな牌がまわってきても人生は1回しかないのだ。

<あらすじ>
この物語の信雄は小学3年生、家は川辺でうどん屋をやっていた。時代は戦後復興まっさかりで、どんどん経済成長が加速していくなか、取り残されたような環境だといっていい。ある日のこと、信雄が気づくと、反対側の岸に一隻の舟がいつからか停泊ている。
ある雨の日、信雄は喜一という少年と知り合う。喜一の家はその舟らしい。その舟に遊びにいき、喜一の姉の銀子(柴田真生子)とであう。岸でころんで泥だらけんなった足を、銀子は丁寧に洗ってくれる。

--いきなりの色気にトキメイてしまう。と同時に、ある種のいかがわしさを感じてしまう。銀子は11歳なのだが、すでに「女」の立ち振る舞いが身についているのである。
信雄がうちに帰り、「今度キっちゃんを家に呼んでもいいか」と父親(田村高廣)にたずねると、1秒間をおいてから「ああ、いいよ」と答える。しかしその後「夜はあの舟に遊びにいったらいかんぞ」と理不尽な言葉が付け加えられる。やがて彼女の母(加賀まりこ)は、その舟で男に抱かれ生活をしていることが判って来る。この物語は、まだオネショもやまない小学生が、大人の世界を徐々に垣間見始める物語なのだ。

f0009381_3154863.jpg食事にまねかられキッちゃんと銀子は信雄の両親に手厚いもてなしをうけるのだが、信雄の母(藤田弓子)に「べっぴんさんやなあ」と言われると、一瞬表情をこわばらせる。きっと母を抱きにきた男達に同じ言葉をなんども言われているのだろうと推測する。
食事のあと母が、自分のお古を銀子に着せてみる。あまりの可愛さに、弟の喜一も、信雄もまともに見ることが出来ない。きっと一緒にくらしている喜一でさえ、姉に対してあまずっぱい性の香りを感じてしまうのだろう。11歳という年齢ながら、あまりにも「女」としてその立ち振る舞いが完成されすぎているが、2~3つ年上で子供として接することもできる女の子。
のちに、店が忙しい時に銀子が手伝ってくれるようなエピソードがある。仕事のあとなのだろう、銀子が信雄の母とお風呂にはいっているシーンがある。そこで藤田弓子の背中を流しながら「内風呂にはいったのはこれが2回目だ」という話をする。船上をオシッコをするときどうやってするのか・・ということをなんのくったくもなく話す銀子ちゃん。外で信雄の父親の手品にみとれていたキッちゃんが「姉ちゃんが笑ろてる」ってぼそと言う。

祭りに日、親にお小遣いをもらってキッちゃんと一緒にいく信雄だが、「一緒にもっといて」とキッちゃんにわたした50円玉ふたつは、キッちゃんのポケットにあいた穴からいつの間にか落ちてなくなっていたりする。悪いとおもったのだろうキっちゃんは「いいもの見せたるわ」と信雄を舟に招く。舟につくとキッちゃんは河につけた竹ボウキを引き上げる。そこにはカニがいっぱい張り付いていた。「これ全部おまえにやる」というキッちゃん。
やるといわれてもまったく欲しいとも思えない信雄。
「こうすると面白いで」と、そのカニをアルコールランプのアルコールに漬けて、舟の窓辺をあつせつつ、キッちゃんはそのカニにマッチで火をつける。燃えながら移動するカニ。信雄にとっては面白いどころか恐ろしいだけだった。その火のついたカニがいっぴき舟の後方に張っていく。家事になってはと思い這い出て燃えてるカニを追う信雄。そして信雄はそこで、男に抱かれている信雄の母を見る。

自分が無力で幸せなことに無性に罪悪感を覚える信雄。悲しくなって家に帰ろうとすると、橋の上で銀子に出会う。きっとうどん屋の手伝いにいっていたのだろう。そしてその銀子に「ああ、この人も大人になったらああなるのかな」と想う信雄。なんだか生き急げていない自分が悲しくなるのであった・・・。キッちゃんと銀子が生活している世界は、信雄にしてみれば、明らかに大人の世界なのである。

実は劇中もう一つ、平凡にみえていた自分の父と母にも過去に男と女の出来事があったことを知るエピソードがある。どうやら父と母の結婚は略奪愛だったようだ。なにげない一言一言、その立ち振る舞いのなかに、その背景にある不幸や劣等感、そしてそれを感じなくて良い瞬間の描写が丁寧に塗りこめられている。それがこの映画なのだ。

80年代の日本映画のなかでも傑作の一つだろう。

by ssm2438 | 2011-09-19 03:19


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