西澤 晋 の 映画日記

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2011年 10月 24日

プライベート・ライアン(1998) ☆☆☆☆

f0009381_12472829.jpg原題:SAVING PRIVATE RYAN

監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:ロバート・ロダット/フランク・ダラボン
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
トム・ハンクス (ジョン・H・ミラー大尉)
バリー・ペッパー (ダニエル・ジャクソン狙撃兵)
マット・デイモン (ライアン一等兵)

       *        *        *

『プライベート・ライアン』とは「ライアン一等兵」のこと。「個人的なライアン」という意味ではない。。。

そのむかし、ゴールディ・ホーンが新兵卒になる『プライベート・ベンジャミン』とう映画があったが、この「プライベート」もも「兵卒」のこと。もっとも「プライベート」というのは一等兵、二等兵両方につかわれる言葉だそうな

映画界には表現のターニングポイントとなる映画がいくつかある。
たてば『スターウォーズ』。それまでのSF映画というは、『2300年未来への旅』みたいなに、「こういう風つくっておけば世間はSFとして解釈してくれる」という次元のものだったが、この『スターウォーズ』から一変した。現実にそれがほんとに存在するなこういう風にみえるはずだ!という本物感を真剣にビジュアルかするようになってきた。ま、映画の内容は古典的な西部劇だが、ビジュアルは革新的な変化を遂げた。
この『プライベート・ライアン』もそういった面をもっている。この映画の前とあとでは、戦争映画のリアリティの表現がまったく変わった。「こういう風に描いとけば、そういったことと理解してくれるんだよ」じゃなくて、「本との戦闘はこういうもんなんだ。それを再現しよう」ということに変わったのである。たとえば腕がもげたシーンがあると、それまでの映画では「こう描いておけば、観ている人は腕がもげたのだと解釈してくれる」というものを提示していたのだが、この映画では「腕がもげたらこうなるだろう」という表現に変わった。
つまり、この映画以前は、「腕がもげた」という記号的表現だったのが、この映画から「腕がもげた」という現実的表現をすることにかわってきたのである。
この映画は、戦争映画における、記号的表現からの脱却がなされた記念すべき映画である。
大絶賛!!!

ただ、物語自体はなんともいえない不条理さが残る話で、どう解釈していいのか悩ましい。軍という組織がそこまで一人に肩入れして肯定されるのかどうか・・・、見ている私たちはどうしてもその命令を受けて命を懸けていうトム・ハンクスのほうに感情移入してしまうので、どうにもやりきれない任務だなって思いながら、それが払拭されることもなく物語が進行し、さらに助けに部隊のほとんどが死んでしまう展開は、心のおくに拒否反応を覚えてしまう。。。
プロローグとエピローグをカットして、純粋に技術力だけの映画にしてくれたら、☆5つにしたのだけど・・・。

撮影はここ最近スピルバーグものを担当することのおおいヤヌス・カミンスキー
『マイノリティ・リポート』みたいにカメラが寄りすぎるのはいまひとつ気に入らないときもあるのだが、画調とか彩度に関してはかなり渋めでまとめてくれるので、色的には好きなほうの撮影監督さんである。

<あらすじ>
第2次世界大戦のヨーロッパ戦線。地獄絵図のようなノルマンディー上陸作戦を生き抜いたミラー大尉(トム・ハンクス)に、軍の最高首脳から「ジェームズ・ライアン一等兵を探し出し、故郷の母親の元へ帰国させよ」という命令が下った。ライアン一等兵は落下傘の誤降下で行方不明になっているという。
ミラー大尉は7人の部下を選出する。

「なぜライアン1人のために8人が命をかけなければならないのか? 」
それが誰もが感じた不条理だった。

前線へ進むうちミラーたちは空挺部隊に救われるが、その中にライアン二等兵がいたのだ。「戦友を残して自分だけ帰国することはできない」と言うライアン。ライアンが戻らないというのなら、共に踏みとどまりドイツ軍と一戦を交えるしかない。重火器にまさるドイツ軍にたいして乏しい兵力、装備という悪条件の中での戦いで、仲間たちは次々と銃弾に倒れていく・・・。

by ssm2438 | 2011-10-24 12:48 | S・スピルバーグ(1946)


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