西澤 晋 の 映画日記

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2010年 07月 07日

人間の証明(1977) ☆

f0009381_12301379.jpg監督:佐藤純彌
原作:森村誠一
脚本:松山善三
撮影:姫田真佐久
音楽:大野雄二

出演:
岡田茉莉子 (八杉恭子)
松田優作 (棟居刑事)
ジョージ・ケネディ (ケン・シュフタン)
ジョー山中 (ジョニー・ヘイワード)
三船敏郎 (群陽平)
岩城滉一 (群恭平)

       *        *        *

『東京ロイヤルホテル殺人事件/美しきファッションデザイナーに隠された過去』・・くらいのタイトルが相場ではないか・・・(苦笑)。

タイトルだけはカッコいいのだけど、中身はかなりショボイ。土曜ワイド劇場の域を出てないサスペンス・・・悲しい。だいたい本作をみてもなにが『人間の証明』なのかまったく理解できない。せめてタイトルが物語を象徴するもであってほしいものだ。

この物語は、森村誠一が書いた、のちに『棟居刑事シリーズ』となる棟居刑事登場のエピソードである。
映画は、確かに世間で言うように『砂の器』を意識したつくりになっているが、とうていそこまではたどりついてもいない。森村誠一の物語というのはどうしても、設定がかなりご都合主義なので、それを才能のない人が映画化するとほんとにしょぼいだけの物語になってしまう。この映画はそのさいたるもの。もうすこし知性を映画づくりのなかにもとめたいものだ。。。
監督がカスである。「こう撮っておけば、見てる人はこう理解してくれる」という撮り方しか出来ないのである。これが本物の監督さんなら、「このシーンって、一般的にはこう撮られてることが多いけど、でも実際起きたらこんな音はしないよなあ・・、ほんとに起きたらどうなるんだろう」って考えてそれを具現化していく。つまりより「普通」をめざすのである。しかしこのアホ監督は、いままで映画界が構築してきたおてがるな「記号的演出」しかできてない。たとえば銃をうつシーンがあったとしよう。日本では所詮はモデルガンをつかって撮影するしかない。しかし、その銃火とか、消炎、薬きょうの飛び出し方、撃たれた人のリアクションなど、それが普通におこったらどうなるのか?って一度自分でイメージして、より普通にみえる画面をつくろうとする。しかしこのバカ監督は、「僕にみてきた映画ではいつもこんな撮り方してたよ」てな感じで、今までの記号的表現を決して越えようとする努力のかけらもみせないのである。どっかの誰かが記号化したものしか使えない、「もっと普通!」を追求できない、これこそが才能のない監督のあわれな現実であったとさ・・・。

ジョー中山の靴墨ぬったメイクはひつようだったのでしょうか? 本人がジャマイカ人と日本人のハーフなので、その飯素顔でよかったのに・・・、あんなことされると一気にそこで作品のチープさがでてしまう。このアホ監督は、何が物語を本物らしく見せ、なにがそれを虫食い状態にしてしまうかわかっていない。

<あらすじ>
人気絶頂の女流デザイナー八杉恭子(岡田茉莉子)のファッション・ショーが行われた東京ロイヤル・ホテルの四十二階で、日本人とハーフの黒人男性が、西条八十詩集を抱いたまま倒れて死んでいた。ナイフが胸に刺さっていた。男の名はジョニー・ヘイワード(ジョー山中)。麹町署の棟居刑事(松田優作)とベテラン刑事横渡らの捜査が始まる。一方ニューヨークでは、日本からの依頼を受けた刑事ケン・シュフタン(ジョージ・ケネディ)がジョニーの身元捜査をはじめる。
実はジョニーは八杉恭子の実の息子だった。恭子が戦後の動乱のなかで黒人の子を産んだのだが、その事実を隠すためにはるばる日本を訪ねてきた自分の息子を殺してしまった・・という話。

by ssm2438 | 2010-07-07 10:54


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