西澤 晋 の 映画日記

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2009年 02月 20日

壊滅暴風圏 ファイナル・カウントダウン(2008) ☆

f0009381_23133083.jpg原題:NYC: TORNADO TERROR

監督:ティボー・タカクス
脚本:T・S・クック 
撮影:バリー・グラヴェル 
音楽:クリントン・ショーター

出演:
ニコール・デ・ボア (キャシー・ローレンス)
セバスチャン・スペンス (ジェームス・ローレンス)

       *        *        *

監督は『トルネード・ストーム』(2002)のティボー・タカクス。TVMでショボイディザースタムービーばかりを量産してる監督さんではっきりいって才能のかけらもみあたらない。撮影も最低。意味無くハンディカメラでとってくれるので画面がぐらぐらしてうざい。しかし、この監督がアホなのはそのカメラを使う意味を理解していないことだろう。
ハンディカメラで、画面が手ブレをおこしているということは、そのシーンにカメラがあるということを意味する。つまり、それは映画を撮影しているシーンを移しているのであって、ドラマの位置シーンを移している画面ではない。頭の悪い監督さんは<ハンディカメラ>=<手ブレ>=<ドキュメンタリーチック>=<本物っぽい>と勘違いしているのだが、この等式には落とし穴がある。
報道映像としては、ハンディカメラをもって、現場に乗り込んでいって撮った映像派、現実のもので「その現場にカメラがいる」というこを見ている人に提示する。これが<リアリティ>をかもしだす。しかしアホ監督はこれが劇場用映画でも使えると勘違いしている。
<ハンディカメラ=手ブレ>という概念は、<カメラが現場にいる>ということを、見ている人に提示する。しかし、映画の場合これをすると、リアリティではなく、<それが映画撮影されている現場にカメラがいて、そこで撮られた画面>という意味を見ている人に提示する。予算がない自主上映のような画面になってしまうのだ。

アホな監督というのは、<映画の画面ではカメラの存在を消さなければいけない>ということをわかっていない。ドラマを撮影する時には、この画面が映画の撮影されている現場でのシーンじゃなくて、そういう世界の物語の1シーンなんだという風に理解される画面を作らなければならない。その見え方の仕組みを判ってないのがこのアホ監督である。

一応物が物語に関して、今回の映画と先の『トルネード・ストーム』との違いをあげるとするなら、今回は竜巻がおこす雷をネタにしたということろか。オフィスのなかに、妖怪(火の玉)のように出現するプラズマ上の放電体。スピルバーグの『宇宙戦争』のように、宇宙人の偵察触手がうにょおおおおってはいってくるようにこのプラズマ体がオフィスを動き回るのだが、これはけっこう目新しい。ただ、撮り方がショボイのでかなりマヌケにみえるのだけど、ここだけをきりとって、スティーブン・キングあたりに原作書いてもらえばけっこう見られるものが出来るのかもしれないって思った。

ちなみに同じ冠のついたタイトルで『壊滅暴風圏:カテゴリー6』『壊滅暴風圏:カテゴリー7』というTVMも在りますが、物語的にも制作的にも関係はなく、制作体制から言えば『トルネード・ストーム』からのスタッフでつくられたMTVと理解して良いでしょう。

<あらすじ>
セントラル・パークにいたNYの副市長ジェームズ(セバスチャン・スペンス)と妻で気象学者のキャシー(ニコール・デ・ボア)は、小さな複数の竜巻が巨大竜巻へと変わり人々を襲うのを目の当たりにする。その頃リバティー島でも巨大な竜巻が発生。自由の女神を破壊し、人々をパニックに陥れていた。ジェームズは街に第一警戒態勢を敷くべきだと市長に提案するが市長は受け入れない。キャシーの説明によると、木星の大赤班に似た高気圧性の渦が出現し、上空を覆っているという。事態を重く見たキャシーとジェームズはガーデン・ステート宇宙基地のリゲンホーン博士を訪ね相談する。その後の調べで、竜巻の中心には稲妻が走り放電している事が明らかになる。

by ssm2438 | 2009-02-20 23:14


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