西澤 晋 の 映画日記

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2012年 01月 21日

秋津温泉(1962) ☆☆☆☆☆

f0009381_17133070.jpg監督:吉田喜重
脚本:吉田喜重
撮影:成島東一郎
音楽:林光

出演:
岡田茉莉子 (新子)
長門裕之 (河本周作)
日高澄子 (お民)

       *        *        *

おおおおおお、岡田茉莉子が異様に美しい。

この映画が公開されたのが1962年6月15日、私が生まれる25日まえのことだった。

監督の吉田喜重は、後の『煉獄エロイカ』をちらと見たことがあったのですが、やたらと気をてらった画面作りばかりだったので、実相寺昭雄みたいにつまらないものだと思い込んで、そのまま放置プレーしておりました。ヒロインもやたらと奥さんの岡田茉莉子ばかりなので、あえてこの人の映画をみようという気はなかったのですが、このたびみてみたら・・・・・、大変失礼しました。とてつもなく面白かった。
『秋津温泉』・・・、傑作ですね。

この舞台になったのは、岡山県の奥津温泉。映画では「秋津温泉」ということになっているが、このネーミングの響きが素晴らしい。奥津は小学校のバス旅行で人形峠に行った時に通過したことだけは覚えているのだけど、風景がなぜか懐かしい。山の尾根のリズムなのかな・・・。これが不思議と中国地方の山々だと、「自分は思っているヤマの尾根のラインの凸凹はこういうものだ」というのが知らず知らずに根付いていて、その波長が合うのだろう。これは『男はつらいよ・寅次郎恋やつれ』を見たとき、なぜか懐かしい気がした。舞台になったのは島根県の津和野あたりだったのだけど、なぜか風景が懐かしいのである。

そんな奥津を舞台にしたこの映画なのだが、とにかく風景がいい。渓谷の間に立てられた温泉旅館は階段や坂があり、それだけで絵になってしまう。吉井川にかかる橋もまたいい。これらの自然の風景をキレイに切り取ってくれる画面がいい。そしてコントラストもいい。これはでしゃばらないけど、きちんと意図して演出してるライティングのおかげだろう。なにからなにまで好みである。
と同時に不思議なきもした、後の撮ることになる『煉獄エロイカ』などはなんであんなカッコつけただけの画面になってしまったのか・・・。60年後半から70年初頭はアメリカン・ニューシネマだとかヌーヴェルバーグだとか、すぐ旧くなる表面的な奇天烈さに走った糞映画がやたらと多い時代だったが、その影響をはやりうけたのだろう。

しかーし、この映画の素晴らしさは画面の素晴らしさだけではない。そんなものは添え物すぎない。
この映画の素晴らしさは想いの出し入れのタイミングのずれ、そしてそこから発生するもどかしさだろう。恋愛経験がある人なら誰しもわかるだろう。“どうして「うん」といって欲しい時に言ってくれないの”という、あのもどかしさが全編に展開されている。求められて、ついついかわしてしまう。すると自分が求めた時にかわされてしまう。求められた時の全部に「いいよ」と言ってしまえば総てがうまく行ってたかもしれないのに・・・。
この感情のやりとりの切実さに恐ろしくリアリティを感じてしまうのである。

さらに女性原理を見事に描いた傑作だといえる。
男にとって「機能性がある、役に立つ」ということは、自らの存在意義にほかならない。しかし、女性の場合はそうではない。女性の場合は「世話してあげる=必要とされる」ということこそが存在意義になっている。

本来コテコテの恋愛ものというのは、完全無欠のヒーローと完全無欠のヒロインのラブロマンスではない。
ダメ男とそんな彼を世話して上げられる女の物語である。
しかし、この2人をくっつけると物語りは描きたい部分ではなく、経済的なところから破綻していくものだ。
ダメ男と結婚した女はさんざん世話をやくはめになる。作り手にしてみれば、ドラマとしてはもってこいの展開である。しかし、男が甲斐性なしすぎると、経済的に破綻してくるので、そっちの流れもフォローしなければならなくなる。そんなことをしていると、あれよあれよというまに貧困に呑み込まれる2人のドラマになってしまう。
この映画の上手いところは、ダメ男はそのままに、女の経済基盤をそれとは別のところに別けたところにある。その結果、ダメ男をを世話するだけという、女にとっては一番酔えるシチュエーションだけをとりだして、一本のストーリーラインに落とし込むことに成功している。

<あらすじ>
f0009381_17324916.jpg昭和20年の夏、東京の学生だった河本周作(長門裕之)は、岡山の叔母を頼ってやって来たが、空襲でやられていた。結核に冒されていた彼は、親戚のある鳥取に向かう途中病に倒れ、岡山県県北の秋津温泉の“秋津荘”担ぎ込まれる。結核のため離れに床をかりた河本を看病したのが17歳の新子(岡田茉莉子)だった。終戦の時を向かえ新子は泣いた。自暴自棄になっていた河本だったが、心が健康似反応する新子をみていると、なんとなく生きてみようかと思えるようになる。

それから3年、ふたたび河本は秋津を訪れる。作家をめざし地道に活動していた河本だったが、未来が開けない状況に身も心もすさんでいた。「一緒に死んでくれ」と頼む河本に、「私がホントに好きならいいわよ」と心中を決意する。睡眠薬を飲み、お互いの身体を一緒に縛って水に飛び込こむはずだったが、彼女を抱き寄せると、くすぐったいとけたけたと笑い始める新子の屈託のない反応に、自殺するきもさめてしまう河本だった。

そしてまた3年がたち、再び河本が秋津にやってくる。作家仲間の妻の兄・松宮(宇野重吉)が文学賞を受賞したというのだ。自分だけがおいてけぼりになった河本は傷心した心を癒すために秋津を訪れる。傷心の旅に自分を訪れ、元気になって返って行く河本をみるのが好きだった新子だが、女中のお民から河本が結婚していることを聞かされる。

翌年、ふたたび秋津を訪れる河本。2人が出会ってから10年の年月がたっていた。新子は死んだ母をついで“秋津荘”のお上となっていた。今度河本が来たのは、別れを告げるためだった。松宮の紹介で東京の出版社に勤めることになったのだ。その夜二人は初めて肉体の関係を持った。翌朝の新子は幸せに満ちていた。一人でひっそりと帰ろうとする川本に無理やりついていき、津山の鶴山公園で2人の時間をもうすこし愉しむ。しかし、川本の出発時刻が近づくと無口になっていく新子。最終の岡山行きの改札が始まると、おもわず川本を連れ出してしまう。汽車の発車音が聞こえる。「もう帰れない」という河本。2人は駅の近くのホテルに泊まることになる。たしかに引き止めたのは新子だった。しかし、河本の妻のことを考えると罪悪感に襲われ、感情を殺すしかなくなる新子。それでも、河本は新子の身体を求めてくる・・・。

昭和37年、最初の出会いから17年が過ぎていた。河本は作家として大成した松宮の取材旅行の随行員として再び岡山にもどってくる。そして秋津を訪れた。新子は魂の抜け殻のようになっていた。10年前、津山駅の4番ホームでもう戻ってくることはない河本を見送ったとき、新子の生きがいは消滅したのだろう。
新子は“秋津荘”を売り、かつて、結核の河本を介抱したあの離れに住んでいた。その離れも2日後には取り壊されるという。肌を合わせる河本に「一緒に死んで欲しい」という新子。
翌日、強引に河本の見送りについていく新子は、かみそりをとりだし、一緒に死んで欲しいと再び迫る。とりあえずその場を収めた河本は、煩わしいものにはもうかかわりたくないというようなそぶりで、ありきたりの言葉を残し去っていく。その河本の後姿をみながら、新子はかみそりで手首を切るのだった。

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PS:確かに音楽はうるさいも・・・、もうちょっと効果的に使えば良いのに。『レザレクション・復活』モーリス・ジャールを思い出した・・(苦笑)。でも、画面作りが異様に確りしているので、それほどの不快感にはならなかった。
あと「ストレプトマイシン」の名前を久々に聞いた(笑)。ああ、そういえば結核の特効薬として世に出た最初に抗生物質だった。この言葉一つで「ああ、戦後なんだ~」と思えてしまうレトロな季語である。

津山駅の待合室なんて、懐かしかったなあ。
もっとも、この映画が撮影されたころは私はまだ受精卵くらいの時で、実態は存在してなかったのですが、子供の頃みた津山駅はあんな感じでした。汽車が出る10分前くらいから改札に駅員さんがたって切符をきるのです。津山線は4番ホームで、SLとディーゼルが併用されてました。SLはC-51だったと記憶してます。

by ssm2438 | 2012-01-21 17:34


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