西澤 晋 の 映画日記

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2012年 02月 19日

半落ち(2003) ☆☆☆

f0009381_2063997.jpg監督:佐々部清
脚本:田部俊行/佐々部清
撮影:長沼六男
音楽:寺嶋民哉

出演:
寺尾聰 (元県警警部・梶聡一郎)
鶴田真由 (新聞記者・中尾洋子)
伊原剛志 (検事・佐瀬銛男)
國村隼 (梶の弁護士・植村学)
柴田恭兵 (志木和正)
原田美枝子 (梶の妻・啓子)
吉岡秀隆 (裁判官特例判事補・藤林圭吾)

     ×   ×   ×

骨髄移植のドナーになる場合は、死ぬ必要はない!
・・・・知りませんでした。私が無学でした。。。。。


冒頭からカメラが非常にしょぼい。途中まで我慢していたが、とになく演出・撮影はテレビなみの無神経さなのでそこでがっくり、いきなり見る気をなくしてしまう。やはり映画である以上は映画の雰囲気で撮って欲しい。この画面ではまるで下手な作りに2時間ドラマだ。
それでも、権威のかけらもないとはいえ、一応日本アカデミー賞の作品賞をとった作品なのだし、原作はかなり絶賛されていたはずなので、・・・・とりあえず一回挫折。気持ちを切り替えてもう一回見ることにした。今度はあまり映画的なハードルをあげず、2時間ドラマをみるつもりで望んだ。
祝! なんとか最後までたどり着けた。
料理人は下手だが、素材の美味さでなんとか☆ひとつおまけした。

物語はこのように始まる。
ある朝、警部である梶聡一郎(寺尾聰)が妻を殺したと川城中央警察署(群馬県の架空の土地)出頭してくる。彼の妻はアルツハイマー病をわずらい、その苦悩から殺してくれと妻に頼まれたという。カテゴリーとしては嘱託殺人(しょくたくさつじん)に分類されるこの事件だが、殺してから出頭するまでに2日間という空白の時間があった。そして梶のポケットからは歌舞伎町で配られているデート喫茶(?)のティッシュが出てくる。もし、歌舞伎町に梶の女でもいたら、嘱託殺人でななくなる。川城中央警察は、この事実を隠蔽しようとするのだが・・・。

松本清張的展開である。作品のパッケージ的には法廷サスペンスというジャンルに入るのだろうが、殺人事件の謎を追いながら、その事件のうらにある、その人たちの心のドラマを展開していくというスタイル。ただ、本作の場合は、無理やりサスペンスの味付けをしてあるのがやや不自然。
「殺人犯の歌舞伎町行きの謎」というのが、カモフラージュ・ストーリーなのだが、もし、仮に女がいるのなら、それは嘱託殺人ではなく、殺人の可能性だったある。普通ならたとえそれが刑事であっても、きちんと調べるところだろうが、これを隠蔽しようとする川城中央警察の幹部連中の方向性が妙にうさんくさい。
隠そうするから、暴いてみたくなる。たとえそれがしょうもないことでも・・。そんなわけで、暴きたいグループは佐瀬検事(伊原剛志)と新聞記者の中尾(鶴田まゆ)、隠したいグループは痴呆警察幹部や検事正(西田敏行)など。

その2日間のかくされた事実は、「昔梶が骨髄のドナー登録したことがあり、その相手に会いに行った」という話。かくす必要性を感じないことなので、その後の一連の大げさなサスペンス部が「空騒ぎ」にみえてしまうのだ。前半部でその空騒ぎが終わるとあとは<泣かせパート>が展開される。この<泣かせパート>にはいってくると、ドラマのインフレーションを感じることもなく、素直にみられました。
しかし、見ている間みると一つの疑問点があり、結局その答えが把握できないまま物語が終わってしまいました。これは私の勉強不足のせいなのだが、他にも勉強不足の人がいるかもしれないので、ここに記しておこう。

この物語のひとつのネタになっているのが骨髄移植のドナー登録。
ドナー登録といえば、「その人が死んだ時に、臓器の移植を承認するというものだ」と私は考えていた。実はこの解釈は正しくない。もし、同じように解釈している人がいるとしたら、この映画は、私と同じようによく物語を理解しないまま終わることになる。

骨髄移植のドナーになる場合は、死ぬ必要はない。

しかし、この概念を知らない人にとってはこの物語は・・・・????なのだ。
まず、この物語の中では「梶さんがドナーとなった骨髄移植」ということになっている。物語の中には梶さんは3人いる。妻を殺した梶警部と、殺された妻の梶啓子と、白血病で7年前に死んだ息子の梶俊哉である。
この中で以前に死んだのは息子の俊也だけだったので、てっきりこの子が骨髄のドナーになったのだとばかり思っていた。骨髄移植が必要だった少年が死んで、別の患者がその人の骨髄をもらってもなんの解決にも並んだろうという疑問が常に存在していた。さらにドナーになれるのは20~50歳まで。彼はそれより若くして死んだように見えた。きのせいかもしれないが・・・。

この物語のその少年に骨髄を提供したのは、梶総一郎(寺尾聡)であり、死ななくても提供できる手術なのだ。このことはきちんと把握してからみよう!

・・しかし、これはやっぱり物語を展開するうえで誤解と招かないために、どこかできちんと説明しておくべきことだったと思うな。そしたら私みたいに、終わってからネットで骨髄移植に関する記事を読みあさらなくても、よかったのに・・・。
妻を殺して、自殺しようとした時に妻の日記から、その子が歌舞伎町の一番小さいラーメン屋で働いている新聞の切抜きをみつけ、死ぬ前に一度見に行こうって歌舞伎町まででていったというのがその空白の2日間の出来事。

<あらすじ>
アルツハイマー病の妻を殺したとして出頭してきた梶警部(寺尾聡)。取調べを担当したのは志木刑事(柴田恭平)。梶は素直に犯行を認めるが、妻を殺してから出頭するまでの2日間のことを話そうとはしない。しかし、梶のポケットの中から歌舞伎町で配られているティッシュがみつかりる。地方警察は、そのことは詮索せず、嘱託殺人として捜査資料を提出するが、検事の佐瀬(伊原剛志)は、それがねつ造であることを見抜いてしまう。また東陽日報の新聞記者・中尾(鶴田まゆ)も、その件に関して調査を始める。
実は、梶はその2日の間に、ひとりの少年に会いに行っていた。ドナー登録していた梶からの骨髄移植によって命を救われた少年。啓子は、その少年に会いたいと思っていた。彼女の心の中では、その少年はまるで息子の俊哉のような存在になっていた。偶然見つけた彼女の日記の中にそのことを発見した梶は自殺を諦め、啓子に代わって彼に会いに行くことを決意。そして、少年が活き活きと働く姿を目の当たりにした彼は、ドナー登録の有効期限である51歳の誕生日まで生きる決心をした・・。
梶に4年の実刑判決が下った。


もうひとつ、気になった点がある。物語を語る視点が、部分的に判決を下す側の吉岡秀隆の視点で描かれているところが挿入される。これがどうも気持ち悪い。
彼の父親がアルツハイマー病で、家族は大変な思いをしているという描写があり、“そんな大変な父親を彼の妻が健気に明るく世話しているのに、お前は「殺して」といわれたら殺すのか?”・・というアンチテーゼの描写なのだ。
このシーンを描くのであれば、主人公を吉岡秀隆にして、裁判における供述書から回想シーンという形で物語を展開するべきではなかったか・・・??あるいはプランBとして、世話が大変なアルツハイマーのオヤジを、健気に世話してる人がいるよというのを、他の鶴田まゆに姉とかに設定するのもアリだったのでは? ドラマを語る上では視点の多重化は避けてほしいものだ。

by ssm2438 | 2012-02-19 20:07


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