主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。


by ssm2438

丑三つの村(1983) ☆☆☆

f0009381_0171250.jpg監督:田中登
脚本:西岡琢也
撮影:丸山恵司
音楽:笹路正徳

出演:
古尾谷雅人 (犬丸継男)
田中美佐子 (やすよ)
池波志乃 (えり子)
夏八木勲 (赤木勇造)
五月みどり (赤木ミオコ)
大場久美子 (竹中和子)

     ×   ×   ×

池波志乃さん体ってほんと昭和ですね。

津山事件をモチーフした映画といえば、1977年に製作された『八つ墓村』がある。もっとも『八つ墓村』の場合は、津山事件の物語のネタにつかっただけで、そのものを描いたわけではない。それにくらべてこの『丑三つの村』は津山事件を再現しようとしている映画にあたる。

見終わった感想は・・・、思った以上悪くない。
つまり、主人公がそこにいたる気持ちもわからんではないな・・と思わせてくれるから、遊び半分でスプラッタやってみました・・というのとは違うなと思えるからである。この映画の中の主人公は、おそらくかなりの理想主義者だったのだと思う。そして、やらなければ自分がやられるとう状況でもあった。ただ・・・、もうすこし追いつめてもよかったかな。あそこまでみんなを撃ち殺していくモチベーションとしてはやや緩かったような気がする。
残虐シーンが話題になった映画だが、今見るとそれほど残虐というものではなかったような気がする。もっとも、最近はお下劣なスプラッターどろどろモノが反乱しているので、それになれてしまった部分はあるかもしれない。
以下、その事件を起こすにいたる要因を整理してみよう。

時代背景は、大陸ではそろそろ日中戦争が勃発しはじめている昭和12年。村の男達は、徴兵検査に合格して戦場に行くことを誇りに思っていた時代。もっとも、本心ではそうではないかもしれないが、若い頃からお利口さんとして育った主人公・犬丸継男(古尾谷雅人)にとっては、学校で教えられた規則や理想をそのまま受け取っていたのだろう。
しかし彼は理想はもろくもう打ち砕かれる。彼は父と母を結核でなくし、自らも結核もちであり、徴兵検査では「丙種合格」(早い話が不合格)となる。「兵隊に行かなくてもよい」という状況はいろいんな意味で村の者から忌み嫌われることになる。

この村には「夜這い」という週間がある。家の男が、仕事や兵隊で外に出ているときに、その女の家を男達がたずね、“H”をしていくのである。ある夜、散歩をしていると、人妻のえり子(池波志乃)と村の有力者、赤木勇造(夏八木勲)が絡み合っているのを目撃する。赤木は夜這いの取り締りを提案した張本人で、彼のことを汚いと思うが、同時に自身の性のうずきも強く感じるのだった。
ただ、この「夜這い」の取り締まりというのも、村の業がかなり反映されている。そのころ村には、他の土地から来たごろつきの若者がいて、自分大が「夜這い」をするのはいいが、彼等が村の女たちを抱きまくるのは許さん!ということだったのだろう。

数日後、継男はえり子の所を訪ね、赤木のことを話すが逆に床に誘われてしまう。抵抗できない継男。あえなくしごかれて即発射。「えろう早撃ちなんじゃなあ」とあしらわれる。
えり子を演じた池波志乃さんのからだが素晴らしいです。実に昭和女の体。
また、継男の家にお金をかりにきた親戚にあたるみや子(五月みどり)にも、「今お父ちゃんが外にでていないの・・」と夜這いを誘われる。無事初体験を済ませる継男。
しかし、彼女等も、継男が結核もちであり、徴兵検査に合格しなかったことから毛嫌いをし始める。

そんな中で、和子(大場久美子)は親切にしてくれたが、それは継男の結核を知らなかっただけで、病気のことをしると他の村人以上に冷たくなった。継男は腹いせに和子に夜這いをかけるが、間違えて母の常代の布団に入ってしまい、母娘二人からなじられる。これはかなりみっともない・・・。

その夜、闇の中でよそ者のごろつき男をみんなで袋叩きにしているところを目撃してしまう。翌日首をつったその男の姿があった。駐在さんに真実を話そうとする継男だが、赤木勇造らに封じ込められてしまう。
「村のことはわし等で決める、お前のこともな。みんなでどうするか決めるけん、結果がでたらあとでおばばのところに話しにいく。まっとれ」とすごまれる。

これらの要素が融合して狂気に発展していったというわけだ。

そしてその狂気に発展していく継男を正常にたもっていたのが幼馴染のやすよ(田中美佐子)の存在。しかし、彼女とは遠縁の親戚にあたり、結婚は出来ない。やがてやすよは親が決めた結婚相手のものにとついで行く。しかし、そのやすよが離縁されてもどってくる。継男と付き合っていたのが原因という。やすよの風呂場をのぞいていた継男は風呂場に侵入、彼女をおしたおしてしまう。継男には抱かれてもいいとおもっているやすよだが、突然発作を起こし湯船のなかに吐血してしまう。なせけない継男。
「わしゃあなんにも出来んなさけない男じゃあ」と、その血でそまった湯船の湯を桶ですくって頭からかぶる継男。
「べつのあなたの血なら平気よ」って感じでやすよも桶ですくって自分であたまからかぶる。
この一連の動作が2~3回繰り返されるのだが、ひたすら田中美佐子が可憐である。
どろどろした世界のなかで、この田中美佐子だけがひたすら美しいのである。この田中美佐子が描けただけでこの映画には意味がある。すばらしいです。

結局この場は逃げ出してしまう継男ですが、のちに草むらのなかで2人は“H”することになる。
よかったねー継男君!
しかし、そんなやすよも再び嫁に出て行く。
よりどころを失った継男はかねてから計画していた浄化のための戦いに出て行く。


陰惨なドラマだが、とにかく田中美佐子だけは傑出して美しい。心も身体も・・・。
この美しさがあるからか、悪趣味なだけの映画には見えなかった。
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by ssm2438 | 2012-04-08 00:17