西澤 晋 の 映画日記

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2012年 10月 24日

ゴーン・ベイビー・ゴーン(2007) ☆☆

f0009381_23525514.jpg監督:ベン・アフレック
原作:デニス・レヘイン『愛しき者はすべて去りゆく』
脚本:ベン・アフレック/アーロン・ストッカード
撮影:ジョン・トール
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ

出演:
ケイシー・アフレック (パトリック・ケンジー)
ミシェル・モナハン (アンジー・ジェナーロ)
モーガン・フリーマン (ジャック・ドイル刑事)
エド・ハリス (レミー・ブレサント刑事)
ジョン・アシュトン (ニック・プール刑事)
エイミー・ライアン (ヘリーン・マックリーディ)
エイミー・マディガン (ビー・マックリーディ)
マデリーン・オブライエン (アマンダ・マックリーディ)

     ×   ×   ×

なかなかやるじゃん、ベン・アフレック!

『グッド・ウィル・ハンティング』でアカデミー脚本賞をとったベン・アフレック。その第一回監督作品。原作は『ミスティック・リバー』デニス・レヘインがかいた人気シリーズ『私立探偵パトリック&アンジー』の4作目『愛しき者はすべて去り行く』。ボストンを舞台にした探偵小説で、刑務所暮らしも経験したことのあるパトリックが闇のコネクションをてがかりに事件を解決していくハードボイルド小説。ただ、今回の主人公はケイシー・アフレック(ベン・アフレックの弟)が演じてることも在りうやや、青二才の感じはいなめない。出来れば、40前後の渋めのオヤジにやって欲しかった。

ドラマはかなり気持ち悪いエンディングになっている。
しかし、出来が悪いわけではない。むしろいい。
先にあらすじを書いてしまおう。

<あらすじ>
そのころボストンではアマンダという女の子が失踪/誘拐されたというニュースがとびかっていた。警察も既に公開捜査に踏み切っている。そんななかパトリック&アンジーの探偵事務所に、そのアマンダの叔母がやってきて調査を依頼した。
アマンダの母親ヘリーンは麻薬におぼれ、自堕落な生活をおくっていた。娘のことはさほど心配している様子もなく、しかしマスコミへのパフォーマンスだけは熱心なようだった。そんな母親の姿をみていると気が乗らないパトリックだがしぶしぶ依頼をうけることになった。
やがて彼女と彼女の旦那が麻薬の運び屋をやっており、打ち上げ金の一部をくすめたことが判って来る。頭にきたバイヤーのボスが彼女の娘を人質に取り、金を返すように促しているというわけだ。
やがてその旦那の惨殺死体がみつかる。椅子に縛られ拷問を受けたあと殺されていた。このことを知っているのは捜査にあたっていたブレサント刑事(エド・ハリス)とプール刑事、そしてパトリック(ケイシー・アフレック)とアンジー(ミシェル・モナハン)だけだった。ブレサントとプールは、見つかれば首だが、彼女の安全を考え、くすねた金を返し子供を取り戻すことを考える。交渉はパトリックとアンジーが担当することになる。しかしこのことはブレサント刑事の上司であるドイル刑事(モーガン・フリーマン)にも知られてしまう。4人はお咎めをうけるかと覚悟するも、オフレコでの犯罪者との交渉でアマンダを奪回することに合意し、5人で麻薬組織のボスたちと合間見えることにる。
人質の解放と現金の受け渡しは湖畔の別の場所でおこなわれることになり、パトリックたちが配置につこうとしたとき、闇夜に銃声がこだまする。銃撃戦になったらしい。何かが湖に落ちる音がする。アマンダは、目隠しをされたまま恐怖にかられ走り出し崖から湖におちたらしい。死体は上がらなかった。

ここまではややタイクツな展開だったのだがしかし・・・、ここから盛り上がってくる。

パトリックは、事件の流れの中になにか腑に落ちない点がある。そして再び警察官に聞き込みをしていく。ブレサント刑事と一緒にいた刑事は殺されたヘリーンの旦那のいとこであり、アマンダの不憫さを知っていた。ブレサント刑事は男気のある警官だった。上司のドイル刑事は、以前似たようなケースで娘を失っていた。
アマンダは生きていた。ドイルの妻に世話をされながら別荘で幸せに暮らしていた。あの母親のもとに返せば娘は不幸になると思った3人の刑事は、アマンダの死を偽装し、アマンダに別の人生を与えていたのだ。何が正しいことなのか考えろというドイル。アンジーもこのままにしておこうという。しかしパトリックは通報してしまう。

なにをもって正しい行いというのか?という問が永遠にのこる映画である。なのでかなり気持ち悪い。ベン・アフレックもその答えを出してはいない。原作者もそうなのだろう。
後日アマンダの家を訪ねると、母のヘリーンは厚化粧をしてデートにでかける仕度をしている。マスコミからの問いかけには、世の母たちに「決して子供は他人にまかしちゃだめよ。自分でみまもるの」とメッセージを送り娘を取り返した悲劇のヒロインとしてマスコミに祭り上げられてはいるが、実生活では娘への感心などほとんどない。
「この娘をおいていくのか?」とパトリックが彼女に尋ねると、バツが悪そうに「あと5分でベビーシターがくることになってるわ・・、でも、貴方が居てくれるとたすかるわ」といって出て行く。ひとことふたこと言葉を交した後、アマンダとパトリックはソファの両端にすわりテレビで放映されているカートゥーンをだまってみているだけだった。

物語が、まるっきり答えを出せないまま終わっているのである。せめて作り手ならどちらかの自分なりの思想を提示して欲しいと思うのだが、それがない。なおかつ物語りもどちらに触れても正論のように語られている。
これは『アリーmy Love』シーズン1の最終話に匹敵するやっかいな問題だ。
<肩代わりしてよい不幸>と<それをすべきでない不幸>がこの物語の問題提示であり、それは物質的な便利さではなく心のなかにある、その人がもっているモラルの存在、「理屈ではそうなのだけど、なぜかそれはいかんと思う」という部分に切り込んだ話であった。
『アリーmy Love』のデヴィッド・E・ケリーは、<肩代わりできない不幸は存在する>のほうで答えをだしていたが、本作はほんとに宙ぶらりんのままおわってしまう。

モーガン・フリーマンは言った。
あの母親のもとに返したあとの彼女を想像してみろ。彼女もヤクに溺れ、自分の子供にあたりちらす母親になっているだろう・・と。
一方パトリックはこう反論している。
ボクが恐れるのは、十数年後の彼女に会ったときに、「なんであの時親の元にもどしてくれなかったの? たとえそんな母親であっても」と責められることだ・・と。

私は・・・・ややパトリックの意見に賛成だ。
おそらく、人は不幸に接して、自分を作り上げていくのであって、やっぱりその人の人生はその人が決めていくもので、モーガン・フリーマンの行動は正論に見えるが、人の人生に介入しすぎだと思う。

さすがに原作者もちょっと不完全燃焼だったのだろう。後にこのシリーズの最終話(『ムーンライト・マイル』)としてに12年後のアマンダを登場させているらしい。気になるので先ほどアマゾンで中古を取り寄せてしまった。

f0009381_23564095.jpgあと、この作品、さりげなく撮影監督はジョン・トール『レジェンド・オブ・フォール』『ラストサムライ』『シン・レッド・ライン』の名匠撮影監督である。贅沢な撮影監督さんをつれてきたものだ。

キャスト的にはもうひとつふたつ。自堕落な母親を演じたエイミー・ライアンは各方面でいろいろ賞を獲ったり、ノミネートされたりしているようだ。そしてアマンダ嬢を演じたマデリーン・オブライエン(→)は・・・・かわいい。ゆくゆくどんな女優さんになるのかかなり期待である。

by ssm2438 | 2012-10-24 23:53


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