西澤 晋 の 映画日記

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2009年 01月 04日

惑星ソラリス(1972) ☆☆☆

f0009381_1805218.jpg監督:アンドレイ・タルコフスキー
原作:スタニスワフ・レム
脚本:フリードリッヒ・ガレンシュテイン
    アンドレイ・タルコフスキー

出演:ナターリヤ・ボンダルチュク
    ドナタス・バニオニス

     ×     ×     ×

人類補完計画‥‥ってなに?とうちにかみさんに聞かれて、
「それは地球を惑星ソラリスにすること」と答えた。これ合ってるのだろうか?? 
なにせ『エヴァンゲリオン』はあんまり見てないので予測でしか答えれない。

まず最初に「補完計画」ときいて思いつくのは『ぼくをさがして!』という絵本。
パックマンの形をした「ぼく」がごろごろ転がりながら扇形にぬけおちた口の部分をさがして旅をするのである。見つかったかと思ったら小さすぎて、はめてみてもずぐおちてしまう。今度こそはと思いきや、今度はジェリーのチーズみたいに大き過ぎる。そして最後にぴったんこのパーツをみるけるのだが‥‥という話。
実に人類補完計画をシンプルに表現した絵本だった。

じゃ、なんで惑星ソラリスなのか?
そもそもソラリスとはなんぞや?ということになる。
とりあえず惑星ソラリスの設定はレムの原作のなかにあるのだろうろうが、私はべつのアングルから考えた。

ここでアンリ・パウリの排他理論が登場する。
『ホーキング、宇宙を語る』から排他原理に関するパートを抜粋。

 パウリの排他原理は、二つの同じような粒子は、同じ状態をとることができないと述べている。
 つまり、この二つの粒子は、不確定性原理の課する制限の中で、
 位置と速度の両方が同じになることがで きないのである。
 <中略>‥‥もし、この世界が排他原理なしで創造されたとすれば、
 クォークは別々の、はっきり確定した陽子と中性子を形づくらなかっただろう。
 そして、それらが電子といっしょになって別々の、
 はっきり確定された原子を形づくることもなかっただろう。
 原子は、すべて崩壊して、ほぼ一様な高密度の”スープ”を形づくったことだろう。

そう、この“スープ”の状態がたぶんソラリスなんだと考えた。だからソラリスは社会主義体制の旧ソ連でその映画化が可能だったのだ。

この宇宙に排他原理が存在するから、原子をそのまわりにの世界との間に境界線があり、地球と宇宙の間に境界線があり、自分を自分を含む社会との間に境界線があり、我々の体がひとつひとつが細胞膜で仕切られ、国家はも国境でしきられているのである。そして境界線があるから、その境界線の内側にはある種のアイデンティティが生まれ、それゆえに方向性が存在し、その総合体としての社会は変動し、進化するのである。
もちろん(↑)は個人主義の理屈であり、アンチ社会主義の理屈である。全体系が決定されてしまった以上、進化はそれで終わり、それすなわち死に至る。

人類補完計画とは、この地球からパウリが唱える排他原理を強制排除した世界なのだろう‥‥と、そしてその具体的なビジュアルは私にとってはソラリスなのだ。

by ssm2438 | 2009-01-04 04:00 | A・タルコフスキー(1932)


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