西澤 晋 の 映画日記

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2009年 01月 13日

アニー・ホール(1977) ☆☆

f0009381_2017059.jpg監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:ゴードン・ウィリス

出演:ウディ・アレン
    ダイアン・キートン

20代の半ばはウディ・アレンものをよく見たものだ。
『アニーホール』『マンハッタン』『インテリア』‥‥。ほかにもウディ・アレンの映画はいっぱいみたけど、私の中ではとどのつまり、この3本が好きみたいだ。ダイアン・キートンと一緒にでてるウディ・アレンが好きともいえる。のちの作品もそれなりにいい映画はあるのだけど、なんか・・ダイアン・キートンが出てないとなにか火かきえたみたいで・・。そう、ダイアン・キートンと一緒にいるときにウディ・アレン作品がすきなのである。
もっと削ると『マンハッタン』『インテリア』で、さらに削ると『インテリア』なのだけど。

しかし、今思うとよく『アニーホール』がアカデミー賞とれたものだ。
この年とえば『スターウォーズ』もノミネートされてたけど、私的にはフレッド・ジンネマン『ジュリア』だろうなあって思ってた。『アニーホール』ってのはちょっと驚きだが、これを選んでしまえるあのころのアカデミー賞選考員の人たちはとっても良く出来ていたのだろう。

『アニーホール』という映画は何が良いのか判りづらい映画なのだと思う。
実は私もいまいちしっくりきてなくで、無性に確かめたくなり一昨日この映画を借りて来て昨日〜今朝にかけてみていたのだけど、いや、一般的にみると退屈だけどやはりウディ・アレンのインテリジェンスがつまってる。

まず、この映画をとっつきづらくしている最大の点の克服から‥‥。
この映画にかぎらず、ウディ・アレンの映画にはある一点が特に受け入れられづらい。それは劇中<ウディ・アレンがヒロインの女に好かれてる>という設定。普通に考えるとなかなかあり得そうにないのでどうもこの点が違和感があるのだけど、ドラマを法則づける一つの法則として捉えないと行けない。なかなか自然にできるものではないので、どちらかというとウディ・アレンが登場しない映画の方がかなりスムースにドラマには入り込める。実はその点でも『インテリア』はとっても良いのだ。

この点をクリア出来たとして、つぎは感情移入。とっても神経質な登場人物を設定するので自分とウディ・アレンとの共有出来るポイントが認めづらい。実は無意識には判っているのだけど、見ている側はそれを認めたくない意識があってなかなかつかめない。
そのポイントは‥‥<認めて欲しい願望>。

ウディ・アレンの映画ってこの<認めて欲しい願望>が全てだと言って良い。
人は誰かに自分を認めてもらいたい生き物なのだ。ウディ・アレンの映画というのはその部分がかなり赤裸々に出ていて鬱陶しいくらいだ。普通の人はその願望があってもそれを封じ込めておくのだけど、ウディ・アレンはそれをみっともないまで前面に押し出出してくるので、見ている人に嫌悪感を覚えさせる。
つまり、<認めて欲しい願望>を押し出してる人はウディ・アレンの映画は共感できるのだけど、それが嫌な人は彼の映画はダメだろう。私がウディ・アレンの映画を好きなのは、私が<認めて欲しい願望>を押し出すタイプだからなのだなろうなあ‥‥って、今日のその答えにたどり着いた。
かれが監督としてあるいは登場人物として、<認めて欲しい願望>をまっこうから受け止め、それにチャレンジしていく姿勢を一環して貫いているから、私がウディ・アレンを好きなのだろうなあって思った。

てなわけで、ウディ・アレン=<認めて欲しい願望>の法則が発見された瞬間であった。。。

by ssm2438 | 2009-01-13 10:50 | ウディ・アレン(1935)


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