西澤 晋 の 映画日記

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2009年 04月 25日

ふたり (1972) ☆☆☆☆

ふたり (1972) ☆☆☆☆_f0009381_2036317.jpg監督:ロバート・ワイズ
脚本:リチャード・デ・ロイ
撮影:アンリ・ドカエ
    ジェラルド・ハーシュフェルド
音楽:デヴィッド・シャイア

出演:ピーター・フォンダ
    リンゼイ・ワグナー
    ナタリー・バイ

     ×     ×     ×

私が中学生のころ『バイオニック・ジェミー』というリンゼイ・ワグナー主演のテレビドラマがありました。それで彼女に一目ぼれ。そのころ写真集なんて買うこともなかったのですが、彼女の写真集は買いましたよ。そのなかにそれ以前に彼女が出演した映画ということで『ふたり』『ペーパーチェイス』が紹介あしてったのです。しかし、当時ビデオもないときでしたのでそんな映画みられるわけもなくときがたち、大学生になったころにビデオデッキが普及し始め、アニメーターになったころにやとこさレンタルビデオやデ見つけた『ペーパーチェイス』、感動しました。しかし『ふたり』のほうはビデオ化もされるなま、テレビ東京でやった一回だけ、それはビデオに録りみたのですがなにぶん室内アンテナ、画像もそれほどよくない、おまけに昼のテレビ東京だったのでいくつかカットされてるだろうなっておもっていました。で、今回のDVD、いやはやすばらしい。

ふたり (1972) ☆☆☆☆_f0009381_3554958.jpgカットされてるのはなんとリンゼイワ・グナーとピーター・フォンダのベッドシーン。
まあ、そこだろうなあって思ってたけど、実際みてみるとびっくり。リンゼイ・ワグナー、ヌードになってます。貧乳なのはしってましたが、ほんとに見られるとは思っても見なかった。もう感動です。
そんなもんなくてもこの映画、私のなかではベストロードムービーなのですが、リンゼイ・ワグナーの乳房がみられるだけでもすごい達成感。
おまけにナタリー・バイもでてます。うわ~~~~~~~です。
ナタリー・バイもいいですねえ。『アメリカの夜』のときは主演のジャクリーン・ビセットもよりもナタリー・バイにみせられた私、今回はそのナタリー・バイこんなところにでてるなんて!!!もう感動です。

あのころのカメラはほんとに暗いところが黒くなってむっちゃくっちゃかっこいい。
この70年代のざらついた黒さがとても素敵なのに、最近のデジタルたるや、みえりゃあなんでもいいってもんじゃないだろうっておもってしまいます。パリの名所めぐりをこのざらついた黒の画面でとったパリのロケシーンは大好き。ウィリアム・A・フレイカーとか、ピーター・ハイアムンズのざらついた黒。いいんだ。ほんとかっこいい。


物語はモロッコのある町、一人のアメリカ大使館員がベトナム戦争のときの脱走兵ボナー(ピーター・フォンダ)のもとを訪れるところから始まる。彼は長い逃走生活を終えようと自ら連絡したのだろう。そしてその大使館員がかれのもとにアメリカへの旅券をとどけにきたのである。
その晩、町のレストランでその大使館員に料理をおごってもらっていると、モデルのディアドラ(リンゼイ・ワグナー)がマネージャーとカメラマンである元彼氏と一緒にあらわれる。彼女はモロッコで撮影の仕事があったらしい。しかしこの二人の関係はすでに終わっており、ディアドラは未婚の母としてアメリカの母にあずけて海外でモデルの仕事をしているという設定。

翌日空港がある街にむかう二人はおなじ列車にのりこむことになる。すこしづつ会話を交わし、心がちかづいていく。途中列車が故障してしばらく立ち往生する間、沿線の村で買い物とかしてみたり・・。ロードムービーでは特に大きなイベントがおきるわけではなく、そのつどのイベントで徐々にお互いが何者なのか知ることになるのだが、この列車の故障&沿線での村で買い物なんてシチュエーションはモロッコならではだろう。
心のつながりをもとめてそのそぶりをみせるディアドラだが、ボナーは会話以上の関係は拒否する態度をしめす。
やがて空港に着くとすんなり通れるディアドラに対してなにやらトラぶってるボナー。実際は問題があったわけではなく、特殊な事情だったのでちょっと時間をくったのだが、そんなこんなで徐々にボナーの事情が分かってくる。
ディアドラは「この人と一緒にいたい!」という感情にまで到達しているのに状況がそれを許さない。ボナーは本国に帰れば敵前逃亡の罪で軍事裁判にかけられ何年かの禁固刑を言い渡されることになっていて、それを承知で出頭しアメリカに帰ろうとしている。
二人をのせた飛行機はパリに到着、そこで一泊して翌日アメリカに帰国する。
仕方なく別れて別々のホテルにとまることになる二人だが、別れ際にディアドラ「シャバでの最後の夜なんだから楽しみなさい。〇〇のバーならかわいい子がいるわよ」といやみなどを言ってしまう。

結局いくあてのないボナーはそのバーにいくことになる。一方ディアドラもパーティなどにいっても気が乗らず、結局もしかしたらの思いにそのバーにむかうことになる。そのバーでボナーといい感じで触れ合いそうになるテロップにも出てない女が実はナタリー・バイ。おおおおおおおおおおおお!!!です。がしかし、ディアドラをみてとるとあっけなく「ごめん」といってフッてしまう。非常事態では人は残酷になるのですね。このシーンは好きだなあ。

そのあとパリの名所めぐりをしつつお互いの気持ちを高めていき、最後はベッドイン。

そして次の日。
「ここで一緒にいきていかない?」と提案するっディアドラ。息子も引き取ってパリで暮らそう。アメリカに変える必要はない!と主張する。そんな暮らしをしても最後はいがみ合うようになると理性的なボナー。それでも求めるディアドラ。
そんな二人の目の前に長い移民の列。
「あれがなんだか分かるかい? 大使館の前でフランスの国籍をとろうとして並んでる移民の列だ。アメリカ人でなくなることがどういうことか、試してみよう」とディアドラを手をとりその列に並ぼうとするボナーだが、ディアドラは瞬間的にその手を引いてしまう。その間を割り込むように一台の車が通り過ぎる。

アメリカ人がアメリカ人でなくなるということの重さ。
このシーンは痛烈だった。

自分にそれだけの覚悟がないことが分かったのか、それからのディアドラは強引な求め方はしなくなる。
二人はアメリカに着き、彼女に家にいき、しばし家族と食事をたのしみ、そして彼女の子供と公園へ・・。子供もボナーにはすぐなついている様子。そしてある瞬間、ボナーは通りがかったひとに時間をたずねる「今何時ですか・・」。子供のまえでは笑顔のディアドラもそれを境に沈んだ表情になる。

そして最後のわかれのシーン。
「約束はしないわよ」て切なげにいうリンゼイ・ワグナーに対してピーター・フォンダのせりふ。
テレビでみたときは日本語吹き替えで「なりゆきを見よう」みたいなせりふだった。
・・・???って思ってたのだけど、今日は英語ききとれました。

「We'll see...」でした。


これならぜんぜん未来あるじゃないですか。
通常はそのあとに about that が省略されてると考えるのが普通で、

We'll see about that.

 ・・それは見てのお楽しみ。
 ・・今に分かるよ。
 ・・まあどうなることか見てみよう。
 ・・どうなることやら。

なのでここの会話の解釈は、

リンゼイ:(待つ)約束なんかしないわよ・・。
ピーター:それでいいんじゃないか。・・どうなることやらだね。

みたいなニュアンス。
これだとなんとなく希望も持てますよね。

この「We'll see...」が聞き取れただけでもこの映画のラストの意味の受け取り方がかわってくる。ああ、なにもかにも幸せな101分間でした。

by ssm2438 | 2009-04-25 03:29


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