西澤 晋 の 映画日記
2016-05-06T21:55:46+09:00
ssm2438
主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。
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『横溝正史シリーズII・八つ墓村』 ☆☆
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2016-05-06T21:44:00+09:00
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未分類
監督:池広一夫
原作:横溝正史
脚本:廣澤榮
出演:
古谷一行 (金田一耕助)
荻島真一 (寺田辰弥)
鰐淵晴子 (森美也子)
中村敦夫 (多治見要蔵 / 久弥)
松尾嘉代 (春代)
毛利菊枝 (小竹)
新海なつ (小梅)
永井智雄 (久野医師)
草薙幸二郎 (里村慎太郎)
神崎愛 (井川鶴子)
長門勇 (日和警部)
× × ×
長尺だから、てっきり原作をフォローしてると思いきや・・・
たまたまつけた夜中のケーブルテレビで、このシリーズやってたので、ついつい朝までかけてみてしまいました(笑)。で、ついにで原作もこのさい読んでしまえ!とばかりにKindleFireで購入、読み終えました。
本来この原作はあまりに長尺で、登場人物も、殺される人数も多いのでまとめるのが大変。なので二時間ドラマや映画の尺に納めるにはかなりあっちこっち省いて、のこりのパートでなんとか組み上げるしかないしろものです。その結果、過去にいろんな八つ墓村が出来てますが今ひとつどれもしっくり来ない。なぜでしょう??ってのが長年の謎でしたが、原作全部読んでなんとなく分かりました。
この話は「たたりじゃあああああ、八つ墓明神のたたりやじゃああああああああああ」の最初の八つ墓村のキャッチコピーがみなさんのイメージの中に深く浸透しすぎてて、世間が『八つ墓村』=怨念系ドロドロ話だとすでに認識してしまい、それでなくては許さなくなってしまった。しかし、原作はそれほど怨念どろどろのはなしではなく、殺人事件のモチベーションも女の恋愛事情であしかない。
なので、原作においては殺す手段はほとんど毒殺とクビをロープで絞めるパターンのみ。
さらに殺しにいたるトリック・謎解きもかなり軽いものなのです。原作においてはですが(この部分はほとんどの映像化された『八つ墓村』では採用されていない)、殺しの計画書が存在します。この殺人計画書は久野医師によって書かれたものですが、この計画書自体ただの妄想的でそれをちゃらちゃらとメモに書いてたら、そのメモが濃茶の尼に盗まれ、最終的に犯人の手に渡ってしまい、それを実行にうつされていく・・・というもの。
これもモチベーションがきわめて幼稚なところにあるのです。
久野医師は八つ墓村に昔から居る内科医。そこに都会から疎開してき別の医者が登場。この疎開医師が人気者になってしまい、久野医師はこれをやっかみ、妄想のなかで殺人計画を描いて自分の憤懣をおさめていた。その計画とは、二人の医師のうちひとりが殺される、二人の尼さんのうち一人が殺される、多治見家の双子のばあさんのうち一人が殺される。二人の出戻り女のうち一人が殺される・・・というふうに対になっているもののうち一人が殺されていくといういうシナリオを思い描いたのである。これは、多治見家の上にあるやつ墓明神の二本ある大杉のうち一本が雷をうけて倒されたことにかこつけて、八つ墓明神は同様の生贄をもとめている・・・という社会的意識誘導を生み出し、本人にその疑いがかからないように・・・と考えたもの。しかしこれは所詮妄想であって、本気でそんなことしようとは久野医師も思っていなかった。
しかし、その殺人妄想メモを記した手帳が盗まれ、その通りに殺人が起きていく・・・、久野さんびっくり!って話です。
なので、殺人連鎖の法則というのもきわめて軽いものなのです。
この軽さが、世間の人が観たいと思っている『八つ墓村』ではないのです。なので製作者一同はいろいろ悩んで、世間様の欲求にこたえるにはどうしたらいいかって迷いつついろいろ試みた結果がそれぞれの作品になってるわけです。
さらに犯人の殺人の動機は、男と女の恋愛感情のもつれから発生してます。これも、これも死せる尼子の落ち武者たちの怨念とはまったく関係ないものです。
渥美清/野村芳太郎の『八つ墓村』ではその辺りが完全に省かれてしまってます。なのでむりやりそれを怨念とリンクさせようとして、美也子の出生を尼子の武士達がいた出雲の国あたりに設定して悪あがきをしてたりしてます(苦笑)。
トヨエツ/市川昆の『八つ墓村』では殺人の基点である恋愛事情は汲んであります。・・が、どこか幼稚なもの、可愛らしげなものになってしまってるのでちょっと、さらに軽さがましてる感があります。
原作における犯人視点の<あらすじ>
八つ墓村の資産の7割は「東屋」とよばれる多治見家が有しているが、第二の資産家といえば「西屋」といわれる野村家である。その野村家に嫁いだのが美也子。美也子は結婚した当時は東京にいた。
時を同じくして、海軍の軍人として東京にいたのが里村慎太郎。彼は、多治見要蔵の弟の息子である。ゆえに多治見家の財産がその家のもので想像されない場合、彼のところに相続権がうつることになる人物でもある。
慎太郎は、美也子の夫が病気で亡くなった後も彼女と彼女の事業を支え、資産管理などのアドバイスをしていた。その結果戦争という状況下でも資産を失うことなく生き延びた。
一方慎太郎は戦争で地位も名誉も財産も総てを失い、八つ墓村に帰えり、小さな家を与えられそこで妹と一緒に野良仕事をしていた。
そんな時多治見家で遺産相続の問題がおきあがる。
要蔵の息子で長男の久弥は肺病で長くない。長女の春代も腎臓を病んでおり、その結果心臓に負担をおっていきている。多治見家の実権をにぎっている双子のバーちゃん小梅・小竹は要蔵が妾に産ませた息子・寺田辰弥を呼び寄せ、多治見家を告がせようとしていた。
多治見家のものは不遇者ばかりなのだ。ふたりのバーちゃんは猿のように小さく、白く、不気味な容姿である。要蔵は傲慢にして気が触れ村人32人を殺した狂人。その子供二人は二人とも身体にどこか不具合をもている。しかし里村家に養子にでた要蔵の弟、そしてその息子の慎太郎はリンとして養子も人格もしっかりしていた。慎太郎だけには財産をつがせたくない。それは多治見家の不遇者のふかいねたみから発生していた。
慎太郎は美也子を愛していた。しかし、総てを失った今、美也子に求婚はできない。なので、今かに帰って野良仕事をしながら、夜になると尼子の落ち武者が隠したといわれる埋蔵金をさがしていた。
美也子も慎太郎を愛していた。美也子は慎太郎に嘗ての凛々しさを取り戻して欲しかった。そうすれば自分に求婚してくれる。そうして美也子は多治見家の遺産相続の権利者を久野医師の殺人妄想計画書に基づいてころしていった。
実は美也子の夫が病死したのも美也子が毒をもったからであった。息子の死に不信感をもった美也子の義父が、その調査を金田一耕助に依頼した・・・というのが、じつは原作における金田一耕助の本作への絡みの出発点である。
原作では、この慎太郎の妹・典子が、本来のヒロインとなり主人公・寺田辰弥がピンチになればこれをサポートし恋におち、“H”までしてしまう。・・・が、渥美・野村芳太郎バージョンといい、この古谷一行テレビシリーズといい里村典子というキャラが削除され、かわりに美也子がその役目をになってしまっている。とすると当然慎太郎の存在はひつようなくなり削除されてしまう。いちどコアな部分を製作者の都合で変更するとあとはもうぐちゃぐちゃになり、最後はどういうわけか辰弥を殺そうとまでする。しかし、その動機づけがかなり強引でどれも理不尽なものになってしまっているが現状だ。そこを「じつは美也子の出身は出雲、出雲といえば尼子の落ち武者のいた・・・」みたいに強引に怨念ネタでしめくくるという暴挙にでてる。
この古谷一行テレビシリーズ『八つ墓村』では、「あなたを殺そうとおもったけど、あなたを愛してしまったの、だから一緒に死んで」てな展開で辰弥を追まわし、最後は辰弥危機一髪ってところで、実は仮面をかぶって村に潜伏していた辰弥の父亀井洋一が辰弥を救う!という展開に。えええええええええええ!! そこでほんものの父ちゃん登場!?
実は原作でも辰弥の父は生きているのだけど、そこまでアクティブには行動しない。ま、これはエンタメのための改稿箇所でもある。
というわけで、原作を知ればしるほど、どの作品も「派ああああああ~~~~~~~~」ってため息がでる。
もうちょっとなんとか出来なかったものか?
なので、自分でもどうすればいいのか、考えてみた。
映像化されたどの『八つ墓村』も最後、洞窟のなかでうだうだするからなんかつまらないのである。
原作では最後、狂信的な村人(さきの32人殺し事件の時に親族をころされている)が辰弥を鍾乳洞なかで辰弥を追い回す。そこを映像化された作品では美也子におきかえたりしてるのでなんか訳が分からない事に成っているのだと思う。
で、私は考えた。
やっぱり殺人の動機は、森美也子の恋愛話で行くべきだ。
で、それによって扇動された村人達は嘗ての復讐心を爆発させた。
達也を釜やクワをもって追い回す。
「おまえがきたからじゃ、お前を殺さにゃあ八墓明神のお怒りはおさまらんんんん」
結局鍾乳洞から辰弥と典子をあぶりだす村人たち。それを守ろうとするモノ、それが春代だったり、典子だったり、警官の数人、多治見家の使用人、郵便局のおじちゃんとおばちゃん、そのへんをばったばったと切り裂き殺して収集がつかなくなる。
「ぎゃあああああ」
「うわあああああ」
「助けてくれえええええ。どおおおおおお」
ブシュウ! バッシュ! グシャ!!
君は・・・、君はなんてことをしたんだ」と慎太郎。
呆然の美也子。
「私は・・・私は・・・、アナタに愛されたかっただけなの・・・。アナタに愛されたかったの・・・・」
村人達に追い詰められる辰弥、われを忘れた村人達のまえに飛び出して達也をかばう慎太郎だがぶすぶすぶすと竹やりで刺される。最後はカマでクビを跳ねられ、宙をまった慎太郎の首が美也子の足元にころがる。
理性をうしなった村人たちは辰弥と美也子を取り迫ってくる。
「よそ者はこの村にはいらん。災いのもとじゃ、お前も・・・、お前も・・・。よそ者はみんな死ねばええんじゃ」
とそのとき、落雷とどろき、もう一本の大杉におちる。さらに大地震。
以下、特撮よろしく。陥没する村の田畑。多治見家の家屋も崩壊していく。辰弥の母が監禁されていた部屋がくずれる。壁のお面がおちる。屏風がおしつぶされる。隣の納屋の天井がくずれる。鍾乳洞への階段もくずれる。地下のよろいミイラの上にも岩盤がおちてくる。崩壊していく鍾乳洞。
地上では田畑に地割れがおきいたるところで陥没がおきる。八墓明神の墓石もくずれる。崩壊しているくカルスト台地。
天災がおさまったあと、八墓明神の墓石のあたりに虫にたかられたしゃれこうべが笑ったように地上に顔をだしている。
・・・・以下、新聞報道か何かで適当におわらせてください。
もちろんこの事件、災害の死者は64人でしょう。
・・・ってのはどうでしょう?
次回の『八つ墓村』はこれでよろしく。]]>
マークスの山(1995) ☆
http://ssm2438.exblog.jp/21089780/
2013-12-15T10:42:41+09:00
2013-12-15T10:42:10+09:00
2013-12-15T10:42:10+09:00
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未分類
監督:崔洋一
原作:高村薫
脚本:丸山昇一
崔洋一
撮影:浜田毅
音楽:ティム・ドナヒュー
出演:
中井貴一 (合田刑事)
萩原聖人 (犯人・水沢裕之)
名取裕子 (高木真知子)
小林稔侍 (林原雄三)
× × ×
はっきり言って、よう判らんぞ!
原作の『マークスの山』は高村薫の小説で直木賞を受賞している。しかし原作自体も単行本から文庫本になる間に改稿されており、どれが原作なんだか・・・(苦笑)。。。
話としてははっきり言って面白くないんだ。賞をとったのは高村薫の浪々とした筆力のたまものだろう。
その原作を2時間半にまとめるには土台無理な話なのだが、その原作を無理してなんとかまとめて、失敗した作品。WOWOWでやったやつを先にみていたのでなんとかお話の概略はわかったが、これをいきなり見せられても「なにかようわからん」という印象しかもたないだろう。
そんなわけで、この映画の話は原作とも多少ちがい、WOWOWで放送したもののほうが原作らしいものに近いだろう。
この映画の物語の背景をまとめると・・・
修学院大学は国家の根幹に主要人物を数多く送り出している大学である。その山岳部に所属していた5人(木原郁夫、松井浩司、林原雄三 、浅野剛、佐伯正一)は、左翼の野村という学生とともに運動に参加していたが、仲間内紛争の時に一人の男を撲殺してしまった。彼ら6人はその記憶を忘れることにした。卒業しそれぞれが各分野で大物になっていこうとしていたある日、左翼運動に没頭していた野村が再び5人の前に姿を現した。5人は秘密を知る野村を山に誘い雪山で殺した。
マークス(MARKS)とはその5人のイニシャルである。Rは林原であり「りんばら」と読む。
映画ではこの5人がある男に命を奪われていく。
その犯人が水沢という男(萩原聖人)。彼は子供の頃、その殺人が行われた同じ山のなかをさまよっていた。両親が車のなかで排気ガスをゴム管で引き込み一家心中しようとしていたが、一人だけ生き残ったのだ。しかし一酸化炭素障害により精神に異常きたしてた。
でも、なぜ連続殺人事件がおきたのか? 実はそこのところが今ひとつ説明不足なのだ(苦笑)。これ見た人は判ったのだろうか? このあたりも尺を短くするために原作の内容を変えているのだが・・・、一応この映画のストーリーにそって話を進めると・・・、
水沢が精神障害をもってい入院していたと病棟に、精神を病んだマークスの一人浅野(原作では、医者になっていたが癌をわずらい罪の意識から、嘗ての事件を日記にしており、それを水沢が奪ったという普通の展開)が、毎晩水沢のカマを掘っていた仲であり、浅野の残した日記を拝借してマークス5人の悪行をしっていたという基本設定。(おい、いつからBL物に変わった??)
過去を封印したい林葉らが、退院した水沢をヤクザを雇って殺そうとしたら、そのヤクザのほうが返り討ちにあってしまう。それを機に、水沢が林原にことをばらされたくなかったら金をよこせと脅し、またひとり、またひとりと殺されていく・・という流れだったようだ(正直なところ、この映画だけで理解しようとすると無理がある)。
私が思うに、崔洋一ってホモだと思う。作品のそこはかにホモパルスがでまくってる。
ホモ監督が撮る映画ってとにかく生産性がないんだ。こればっかりは全世界共通だね。やたらと血が出る、それもゴシックホラー的な血。男と男がもみ合っているシーンがやたらと多い。打突系の戦いではなく、ぐにょぐにょ絡み合うのである。痛みに耐えられないといより悶えるシーンにしてしまう。意味なく男の裸とかおおい。タランティーノもホモだと思う。同質のホモパルスを感じるんだよなあ。本作でも、なんで中井貴一が上半身裸でスニーカーを風呂場で洗ってるのだろう??って思う。
一番のネックは期待させる見せ方が出来ない。その状況をグロく、ねちっこく描く。普通の人が見たいシーンとホモ洋一が描きたいシーンとは違うのである。ホモは未来に期待することなく、今を消費する。これってホモ監督がもつ共通項だね。
メグ・ライアンが絶好調のとき『キスへのプレリュード』という映画がある。現実逃避で変身願望があり、いつも現実から逃げ出したいとおもっている。主人公の男と結婚しようしたとき、彼女の魂がそこに迷い込んだ老人の男と入れ替わってしまうという話し。彼女の魂をもった老人を探し出して結婚生活をするという話。主人公はアレック・ボールドウィンだったが、爺さん役の男とキスなんてよくしたものだ・・・ああ、キモい。
その脚本家、絶対ホモだなって思ったらあんのじょう『ロングタイム・コンパニオン』ってホモ映画の脚本も書いてる。
ちなみに変身願望というのもホモ要素の一つである。現実の中で生きていかなければならないことを悟った男は、どうあがいたって自分を鍛えて強くするしか生き延びる方法はないのである。しかし、ホモは自分を強くすることをあきらめ他人になることを望む。中性的である子供の頃の男の子にはその願望は確かにあり、それがウルトラマンやら仮面ライダーを夢見る根源でもあるのだが、大人になるとそんなことはどうでもよくなる。男は現実のなかで生き残るために他にやらなければならないことがいっぱいあるからだ。
本作でも変身願望というのはささやかに息づいている。一酸化炭素中毒になった少年水沢は、統合失調症になっており、ときおり自信のなかに凶暴な人格が生まれる。水沢はその人格を『マークス』と呼んでいた。
・・・・ほかにもいろいろあるのだけど、ホモテイストがあまりにも多くて、おそらく一般人がみたいと思うようなシーンはほとんどないと思う。不思議なのが、「なぜこのシーンはこのように撮られたのか?」って疑問がけっこう多いのだが、「崔洋一がホモである」と定義すればそのなぞがすべて解ける。
一般人がみてうわああああ~~っと思うのは、名取裕子の数少ない“H”シーンだろうが、それとてホモ洋一にしてみれば、自分がホモであることのカモフラージュだと思う。
ホモ、嫌い。
きっとこの映画が面白いと思ってる人はホモだけだね。]]>
外事警察 その男に騙されるな(2012) ☆☆☆
http://ssm2438.exblog.jp/21089058/
2013-12-15T08:56:00+09:00
2013-12-15T08:55:57+09:00
2013-12-15T08:55:57+09:00
ssm2438
未分類
監督:堀切園健太郎
原案:麻生幾
『外事警察 CODE:ジャスミン』(NHK出版刊)
脚本:古沢良太
撮影:相馬和典
音楽:梅林茂
出演:
渡部篤郎 (住本健司)
尾野真千子 (松澤陽菜)
真木よう子 (奥田果織)
イム・ヒョンジュン(工作員・奥田正秀)
× × ×
韓国では濃縮ウランの流出という事件がおき、日本では東日本大震災の混乱の中で、被災地の大学の一室から原子力関係の部品データが盗まれる。核によるテロが起きるかもしれない。それは日本なのか、韓国なのか・・・?? その危機に立ち向かう外事4課の<公安の魔物>と呼ばれる主人公・・・。
NHKで作られたTVドラマ『外事警察』からの映画化で、基になっているのは『外事警察 CODE:ジャスミン』。ただオリジナル要素がかなり強い。
原作は『宣戦布告』などの著者である麻生幾。まるで公安にいたんじゃないかと思うくらいやりとりはいい感じ。とりあえずNHKでやってたTVシリーズ、レンタルしてみてみようかと思ってしまった。
ウィキペディアによると、もともと週刊文春の事件記者だった著者は、それまでの経験をもとにノンフィクションの『情報、官邸に達せず』を発表、その後フィクションのほうにも手を出し、『宣戦布告』を執筆し映画化もされたそうな。そのときの映画はけっこうたたかれたようだが、今回の『外事警察 その男に騙されるな』はけっこう映画的にみられるレベルのものになっている。このくらいのレベルで日本映画のポリティカルサスペンスもやってくれれば及第点だなあと思わせてくれるレベル。
どうでもいいことだけど、原作のタイトルのままだったらもう1億円くらいは興行収益がふえたかもしれないのに・・(苦笑)。日本映画のタイトルつけかたって超下手だと思う。 作品の質はおいといて『海猿』とかも、内容を知らない人にとってはタイトルだけで見る気にならないとおもうのだけど・・・。
画面はポール・糞手ブレ・グリーングラスの『ボーン・スプレマシー』とかのあの感じ。まあ、そこまで手ブレは気にならなかったが、手ぶれというのはそこにカメラがあることを見てる人に認識させてしまうので、意味をわかってないと<映画を撮ってる撮影現場>を撮ってるような画面になる。ただこの映画はそれの手ブレのあざおさを最低限度に抑えて、ぎりぎり我慢できる範囲におさめてある。
色合いも地味~~~に彩度を落とし黒にザラつきを出してる。嘗ての栄光<銀残し>と呼ばれる手法である。昔の映画を見てる人にとっては<銀残し>画面みせられるととうれしい。
ただ、これに関しては撮影でそれをやっているというよりも、アフターエフェクトかなにかで、あとから画面処理してる感じはいなめない。CGでの画像加工がどこか画面的にチャラく感じてしまう。『300』みたいになっちゃうともう見る気も起きないからあんなのはやめてほしい・・・(苦笑)。この映画はその点でも節度が効いていて、我慢できる範囲におさまっている。
お話の展開は「公安のダークな感じ」がけっこう雰囲気あります。いろいろネットに転がっているコメントみると、テレビシリーズのほうがよかったという意見が多いようですが、ま、物語のスケールを広げすぎると描写が大雑把になることがほとんどなので、ある程度の狭い範囲の出来事にまとめて物語をつくったほうが無難なのだろうが、映画ということもあってちょっと風呂敷ひろげちゃったのかなって気がします。とりあえずそのあたりはテレビシリーズをみてみないことにはなんとも言えない。
主人公は渡辺篤郎扮する住本健司で、警視庁警備部に属する公安外事外第4課の班長。テロリストを逮捕するためならどんな冷酷な手段でも行うことから「公安が生んだ魔物」と畏怖されている。どうやらこれはテレビシリーズをみないことにはぴんと来ないらしいが、でも、いい感じの役どころをもらったな・・という感じである。
ちなみに公安の外事は、中国・北朝鮮などのアジア圏の事案を担当する外事2課、それ以外を管轄する外事1課、国際テロに関する事案を処理する外事3課がある。本作で出てくる<外事4課>は架空の部所である。
<あらすじ>
朝鮮半島で濃縮ウランの流出という事件がおきた。日本では、東日本大震災の中、被災地の某大学からの原子力技術に関するデータが盗まれていた。どうやら核爆弾がつかれているようである。そのターゲットはソウルなのか日本なのか・・???
一方、住本健司(渡辺篤郎は、ソウルで物理学者・徐昌義(田中泯)を捕獲した。彼は在日朝鮮人で日本で原子力を学んだ権威だった。20年前、祖国に原発の日を灯すことを夢見て家族を捨て北朝鮮に渡っていたのだ。その環境は劣悪なもので、彼の体はすでに癌に侵されていた。彼こそが核爆弾の製造者だったのだ。しかし、それだけでは爆発しない。起爆装置が必要なのだ。その起爆装置は日本の技術がつかわれていた。外事四課は奥田という男を工作員ではないかと睨み、その妻・果織(真木よう子)を協力者という名のスパイにするべく近づく。
果織は家族がなく施設で育てられた女で、一度結婚をし娘を出産したが夫とはすぐに死にわかれ、そのショックで言葉が話せなくなった娘を一人でやしなっていかねばならなかった。多額の借金ももかかえていた。工作員の奥田はそんな果織と偽装結婚するかわりに金銭的援助をおこなっていた。
そんな果織に女性の友達ができた。公園で子供が遊んでいるとき知り合った女性で、彼女もシングルマザーだった。シンパシーを感じる果織。彼女の招きに彼女のマンションにいってみるとそこには住本がいた。
このシチュエーションが公安らしいのです。同じ境遇を装いそれとなく親しくなる・・・。
同じように公安経験者の濱義之が書いた『ハニー・トラップ』のなかに同じ手法が書かれていた。そのときは中国人の女スパイが、自分の息子を病気で失った捜査官に近づくときに、「実は私も息子を失ったの・・・」といって近づき、親しい関係になっていく・・・という流れがあった。
こんな共通項を見出すと、「あ、らしいぞ!」って思えるのである。
住本は、果織をなんとか協力者にしたて自分の夫を調べさせる。どうやら原爆の起爆装置らしいものを持っているらしい。
その一方で徐昌義には、捨てていった家族に合わせるといい、爆弾のありかをしゃべらせようとする。しかし彼の妻はすでに自殺し、娘は幼い頃に施設に預けられてから消息を絶っていた。見つかるはずがない・・・。必ず娘に合わせると約束するという住本のブラフを見抜いた徐昌義はがんとしてしゃべろうとしない。住本は自白剤の投与を医者たちに指示する。
しかし・・・そんな矢先、徐昌義はテロリストたちに取り返されてしまう。
ソウルにもどった徐昌義はテロリストたちと核爆弾をセットしようとしたが、工作員の奥田から得た起爆装置が偽物であることに気づく。奥田は、ほんとに果織のことを愛し始めており、計画を実行させないために起爆装置を摩り替えていたのだ。しかしその奥田もすでに殺んでいた。起爆装置を取り返すためにテロリストたちは果織の娘を人質にとり、果織に起爆装置をソウルまで持ってこさせるよう迫る。
舞台が韓国に移った以上、日本の外事警察の手をはなれる。住本は公安の身分を剥奪されながらも、果織とともにソウルに飛ぶ。そこにはもう一つ重大な事実が判明していた。奥田は、徐昌義を裏切らせないように、彼の娘をすでに身近に置きDNA鑑定していた。その書類をみつけた住本は、徐昌義の娘が誰であるか知っていた・・・。その娘そこそが最後の住本の切り札となる・・・。
・・・・んが、しかし・・・・。]]>
虹をつかむ男(1996) ☆☆☆
http://ssm2438.exblog.jp/21003751/
2013-12-02T05:46:14+09:00
2013-12-02T05:46:08+09:00
2013-12-02T05:46:08+09:00
ssm2438
男はつらいよ(1969)
監督:山田洋次
原作:山田洋次
脚色:山田洋次/朝間義隆
撮影:長沼六男
音楽:山本直純
出演:
西田敏行 (白銀活男)
吉岡秀隆 (平山亮)
田中裕子 (十成八重子)
田中邦衛 (常さん)
× × ×
結局男って、好きな女に認められたいから生きてるんだろうなあ・・・。で、それができなくなると、どうでもよくなっちゃうんだろうなあ・・・
そのネタを失ったとき、ジョーはそういうしかなかったんだろうなあ。
丈「…じゃあどっからか連れてこいよ…もう一度力石徹よ…!」
葉子は連れてきたけど・・・、誰も代わりがいなかったらへたるよ、男は。あそこで田中裕子がいなくなったら、なんのために映画上映しつづけるんだ? 誰かが代わりを持ってこられるならいいけど、来なかったら続けられないよ。だってかっちゃんは映画を上映したあとに「この映画よかったね」って田中裕子に言ってもらいたいためにやってたわけだから・・・、しんどいよ、あのあと続けるのは・・・。
しっかし、男心を描かせるという事に関しては、今回ほど赤裸々な映画は山田洋二のなかではなかったかも。
かなり男の願望描いてます。
本来『男はつらいよ』の49作目として作られる予定だったお話だが、渥美清の死去によりタイトルをかえて別作品として作られた映画。なの寅さんコンセプトはそこかしこにあります。これは作り手の云々かんぬんよりもきっと映画の公開予定とか営業面とかいろいろな大人の都合があってそういうことになってしまったのだろうという気はします・・が、ある意味それが味だったり、別の意味ではそれが嫌味であったり、捉え方がなにかと複雑な映画です。
物語の冒頭、就職浪人の平山亮(吉岡秀隆)は親とけんかして家を飛び出し青春○○切符ていうのかなにかしらないが、そんなんで鈍行のりつぎ旅しています。そしてたどり着いた徳島のひかり町。そこにオデオン座という古びた映画館があり、そこに住み込みで働くようになったのでした。
映画館のオーナーは白銀活男(西田敏行)。寅さんのキャラをダブらしたようなこの男・・ってことは、これが寅さんがやる役だってことなのか? ということは、49作目では、田中裕子のほうが見せのオーナーで、寅さんがころがりこんで・・って展開だったのかなと思ってみたり。ま、それはいいや。
ヒロインになるのが田中裕子演じる十成八重子。活男を友人の妹で出戻り女で父の支援で喫茶店をやってる女性。オデオン座では毎週土曜日に名画の上映会をやっており、その選考委員をやってるといういつながり。
今週の映画はなんとあの『ニューシネマパラダイス』。
一番燃えるシーン見せないようについばんで見せているのだが、それでも思い出して泣けてしまう。だいたい、この映画を映画のなかでみせてしまうことじたいがずっこい!
そしてオデオン座以外でおこなわれる上映会。
私が小さい頃は、地域の公民館に上映屋さんがきて上映された映画をみた覚えがかろうじてありました。まだ、そんなことやってるのか??と思いますが(この映画公開されたのが1996年、ちなみに劇中の田中裕子は40歳)、懐かしく思えてしまいます。今の人はそんなことが行われてたことなんて知らないでしょう。『恋々風塵』のなかでも地域での野外上映をやってましたが、昔はああいうこともあったのです。
その公民館で上映されたのが『野菊の如き君なりき』。おおおおお、実はこの映画私もまだみてません。
ここでのエピソードは、公民館の責任者である柄本明が「規則だから9時までに終わらせろ」というがそれでは途中できりあげなければいけなくなる。結局柄本も一緒にみることになり、はまってしまい、「9時ですがおわらせますか?」と活男がいうが「あほ、ここで終わらせられるか」と自分がのめりこんでしまう・・という展開。ありきたりだがわくわくしてしまった。
その後も上映いろいろあり。『かくも長き不在』、『東京物語』、と昔の映画ファンなら誰でもみた映画が連打される。劇中「面白くて受ける映画を」って言ってたが、このラインアップでは倒産もやむなしだろう(苦笑)。。。このあたりになってくると、最後に上映される映画はなんだ??って疑問がわいてくる。
やがて地方の小学校での文化祭。生徒はひとり。この分校も今年が最後で、最後の文化祭に生徒一人のために活男が映画上映をすることになる。もっともその教室(ちいさな体育館かもしれない)には先生や父兄のや分校関係者のひとがいてけっしてさびしいわけではない。そこで上映される『禁じられた遊び』。この映画で果たして小学生が楽しんだかどうか・・・あ、でも私がこの映画を始めてみたときも中学生くらだったのでにたようなものか・・・と思った。でも、私が見たときは水曜ロードショーで吹き替えだった。ここで上映されたのは字幕スーパー。この子が読書障害でなかったことを祈ろう。
ポイントになるのはそのあとのシーン。上映が終わって学校関係者が活男に感謝して飲みの関をもうけてくれた。その席で夫婦だと間違われた八重子が挨拶することになる。夫婦に間違われるエピソードってのは妙にこそばゆく心地の良いものである。『男はつらいよ 寅次郎物語』でもこのコンセプトはやってたのだがやはりはにかんで見てしまう。
で、男の至福の時。好きな女が自分のことを「うちの主人が」といい、そんな主人を誇りに思うといってくれる。
男にとって好きな女に認められるのがなにより幸せなのである。だああああああああああああああああああああああ、あいかもかわらず泣いてしまった私。その音楽のつけ方も卑怯なのである。周りの人がのりのりで花笠音頭とかおどりだしコミカルでにぎやかしのシチュエーションを作りながら物悲しげな音楽を流すという卑怯音楽の付け片法。コミカルなシーンに切ない音楽を流すと超効果的だし、緊張感のあるシーンに牧歌的な音楽を流すとこれまた効果的という、一種のBGM付けの技のひとつなのだがここでやりやがった。
でも、だあだあ泣いてる私・・・ははは、ああ単純。
やがて八重子の父親が亡くなり葬式。あたふたしてるところに八重子をずっとおもいつづけていた男(旦那の友人)が現れる。このあたりは『続・男はつらいよ』(2作目)のでの展開と同じである。ヒロインはやっぱり、結婚するのはやっぱり他の人ね・・ということで寅さん、今回は活男のもとを去っていくのであった・・・。
「今日の映画もおもしろかったー」を言ってもらいたいがために上映していた映画。しかしその人はもういない。オデオン座を占めることを決意した活男が最後の上映に選んだものは・・・・。
ええええええええええ、そこでこれをもってくる!?
できれば第8作目を選んで欲しかった。
・・・・・しかし、男って好きな女に認められたい生き物なのです。
切ないなあ・・・男って・・・。
ちなみに、私は愛した女が結婚したとき、「おめでとう」なんていってません。「幸せになってください」なんてアホな言葉もはいててません。「いつか言うから」とはいいましたがうそです。
男ってのは好きな女が不幸なほど、幸せなのです。
ううううううむ、いい台詞だ。この映画の価値はこの台詞を言わせたことかもしれない。
・・・・というわけで、いろいろごった煮の映画でしたが、まあまあ楽しませていただきました。
うん、面白かったよ。卑怯で、ずるくて、適当で、大人の都合で作られたかもしれない映画だけど・・・。]]>
化石の荒野(1982) ☆
http://ssm2438.exblog.jp/20539394/
2013-10-09T03:47:00+09:00
2013-10-09T03:48:02+09:00
2013-10-09T03:46:59+09:00
ssm2438
未分類
監督:長谷部安春
原作:西村寿行「化石の荒野」
脚本:丸山昇一
撮影:森勝
音楽:萩田光雄
出演:
渡瀬恒彦 (仁科草介)
夏八木勲 (中臣克明)
川津祐介 (峰島悟)
浅野温子 (雪江千沙)
× × ×
クソだったなあ・・・。
とにかくストーリー構成ぼろぼろ、脚本ぼろぼろ、なにもかもがぼろぼろ・・・。まあ、監督が『あぶない刑事』の長谷部安春なのでだいたいぼろぼろになるのはわかっていたのだが、とにかくかっこつけてもすべるすべる。ヤマなし、オチなし、意味なしのヤオイ映画ですな・・・。ひどい。
あ、音楽も酷い。
原作の西村寿行は80年代を代表する作家で、エログロバイオレンスの小説家。そのエネルギーには感服させられるものがけっこうあるのですが、映画でそれをやるわけにもいかず、結局アウトラインだけどを映画にし、映像化できない部分をとりのぞき、のこりを才能のない脚本家と製作と監督とでダメにするという、西村寿行ものではよくあるパターンで、見事にそれにはまってます。この脚本でどうすれば映画化しようという気になったのか不思議です。
まず主人公はへぼい。一応ハードボイルド路線をねらっているなら主人公の凄さをどこかみせといて、そんな主人公が巨悪とたたかってますってところを積み重ねれば普通は最低限度一般受けするものにはなるのですが、はなっから主人公がへぼい。
自室にかえってみるとどうやら何者かが侵入した気配あり。で進入した賊と下手なアクションをしてとりあえずタフガイなところをみせてるつもりなのかもしれないけど、多勢に無勢、あっけなく取り押さえられて麻酔をうたれ、おきてみたら拳銃をにぎらされ、そこに男の死体がある。どうやら犯人にしたてあげられたらしい。その後逃亡。警察は主人公を追う・・・という展開。
そのあとも、なにかにつけてやられっぱなしの主人公。なのになんだかカッコつけてるあほなやつ・・・。
いろいろクソなところがおおいのですが、意味のないアクションが多すぎ。
殴り合いのシーンでも、有効打って所詮最初の2~3発くらいです。これは銃撃戦でもおんなじですけど。そこで終わらないでのでアクションにきびきび感がまるでない。プロらしさって一撃必殺でだらだらしないこと。それをひたすら無駄にだらだらとっくみあってる。こんな演出する人がいたんだってびっくりします。
一事が万事でアクションシーンは無駄なアクションがおおすぎ。なんでわざわざそんなにやられにでていかにゃあならんの??って思うくらいアホばっかり。最後の雪山でのどんぱちもほんとに意味まったくないのになんでまとになりそうなアクションするんでしょうね。ひどすぎです。
寿行ものといえばエロも一つのうりですが、今回はまるでなし。おい!
まあ、寿行もののエロはけっこういっちゃってる精神世界なのでなかなか映像化難しいとは思いますが、せっかくの浅野温子も無駄使い。だいたい何しにでてきたんでしょうね?? 物語的に意味がないのならせめてサービスヌードのひとつくらいとか思ってしまいます。
<あらすじ>
終戦間近のある日、厚木基地を飛びたったまま消息を絶った爆撃機連山には5000キロの金塊がつまれていた。それは政府が和解工作をするための資金だったが、その前に終戦を迎えてしまった。連山の搭乗員たちはオホーツクに不時着した際、主人公・仁科の生家で一夜を過ごしたこと、そして金塊の処分法をそこで話したというが、その後行方不明になったという。
その金塊をもとめて悪党どもがうごめいていた。それは当時事情をしる軍関係者で平井剛一と中臣晴義、そして坂本英夫。平井は日本ウラニウム鉱社社長になり爆撃機が金塊を投下させたと思われる山々を捜索していた。一方中臣は政治家になり次期総理候補にまでのぼりつめていた。坂本は警視庁の公安部長になっており情報操作していた。この3人は爆撃機の乗組員が一夜を過ごした民家をのちに訪れた。
その9ヵ月後、主人公は生まれていた。
主人公の仁科草介(渡瀬恒彦)は、連山の搭乗員がオホーツクで一夜を過ごした民家の女の息子だった。
そして、もしかしたら金塊のありかを知っている最後の生き残りの可能性がある草介にこの3人の魔の手が伸びる。しかし・・・殺すわけでもなく、けっこうゆるゆるな接し方が続き「こいつらいったいなにがやりたいんだ??」って物語の本筋がわからなくなるという困ったちゃん。
ここで本筋とはべつに「自分の父親は誰なのか?」という疑問点が物語のもうひとつの焦点となってくる。
連山の乗組員なのか、それとも当時の軍関係者の3人のうちの誰かなのか・・・。・・・が、このアホ脚本はそれがはっきり特定されないままおわらせてる。一応次期総理の中臣晴義ふうに聞こえる展開にはしているが、連山の搭乗員の最後の生き残り、吉宗大佐という読みスジものこしており、最後のどんでん返しはそこかなって思ったら・・・、あらららら??? なにもなし?? それで終わり??
・・・おい!
いい加減にしろ。たっぷり無駄な時間をすごさせていただいたではないか!
おそらく原作を読んだらこの映画とは全然ちがう、それなりに面白いものになってるとおもうのだけど・・・。]]>
絆 -きずな-(1998) ☆☆
http://ssm2438.exblog.jp/20495293/
2013-10-02T00:44:00+09:00
2013-10-02T00:45:37+09:00
2013-10-02T00:44:33+09:00
ssm2438
未分類
監督:根岸吉太郎
脚本:荒井晴彦
撮影:丸池納
音楽:朝川朋之
出演:
役所広司 (伊勢孝昭・芳賀哲郎)
渡辺謙 (佐古章生)
麻生祐未 (布田今日子)
川井郁子 (馬渕薫)
× × ×
やっぱり『足長おじさん』ってのはスタンダードなんだなと思った。。。
ヤクザモノの『足長おじさん』といえば誰もが知ってる『冬の華』だろう。こちらは降旗康男監督で高倉健主演。ヒロインは池上季実子でした。今回のは『遠雷』の根岸吉太郎監督で主演が役所広司。
我々の世代からするとどうしても健さんでやったほうがいいじゃね?と思うのだが、ま、監督がなにをとっても退屈な根岸吉太郎なので役所広司でもありかなって気がした。
根岸吉太郎さんの作品というのは、実に何を撮ってもたいくつなのである。ところが、まあ我々の世代ともなると彼の退屈さが決してイヤではなく、たいくつなんだけどついつい見てるとそれなりに感情移入している自分がいるのに気づく。この人の特徴は「主人公を凡人化させる」演出なのだ。根岸さんが監督をやると、主人公がヒロイックにカッコつけないのである。黒澤明みたいに象徴的に主人公を描くことはない。きっとテレやさんのなのだろう。虚栄心というのをかなり嫌っている人だと思う。それが判るので私はこの人を嫌いにはなれないのである。
そういった監督さんであるから役所広司ってのはけっこうありだったする。役所広司ってのは二枚目だけど顔がでかくてどっかバランスが悪い。暑苦しそうな顔なのだけど実は草食系なテイストでナイーブなのだ。男くささはあまりもとめられないが、普通さがいい役者さんという印象。なので役所広司は根岸吉太郎とはけっこう愛称がいいのだろうなと思う。
今回の足長おじさんはこの役所広司。
哲郎が子供の頃両親が離婚した。哲郎は母親についていったがその母親が再婚して薫という妹ができた。それが今回のヒロイン。新しい家庭は実に幸せだった。しかし昔の父親が現れ母に借金の保証人になることをせまりその結果、幸せだった家庭は崩壊した。父は病死し、母は自殺、兄妹は施設に預けられた。その後妹は音楽の才能を見出されある音楽教授の養子となって施設を去った。そして今は成人し、バイオリニストとして時の人となり、さらにある財閥の御曹司と結婚がきまっている。
一方哲郎は、施設のお友達をかばうような形で殺人を犯し少年院におくられた。出てきた彼はヤクザになりに東京に出てきた。そして10年前、金融業だった実の父親を射殺した。その事件はお蔵入りになりかけていた。
そして現在・・・。
そのとき使われた拳銃で再びある芸能記者が殺される事件が起きた。その芸能記者は薫の過去を暴こうとしていた。警察は哲郎を追った。しかしその真相は・・・。
個人的にはこの話は松本清張テイストでやってほしかったかな。
主人公を足長おじさんにするよりも、その事件をおってる刑事(今回は渡辺謙)にして、実はこの殺人事件のうらにはこんな話があったのですよ・・ってことがだんだんと暴かれていくほうが良かったのに・・・。
自分はお前の兄ちゃんだよと言いたくてもいえない。
エレベーターで合ってもどきまぎして言い出せない。
コンサートのアンコールでバイオリニストになった妹が兄を思って弾いたのは子供の頃兄がリコーダーで吹いてたいたあの曲・・・。
泣けそうになるシーンはけっこうある。
ただ・・・やっぱり役所広司にはヤクザは似合わない。
凡人化演出の根岸さんとは相性良くても、ヤクザという役どころととは相性わるい役所広司であった・・・。]]>
踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!(2003) ☆☆
http://ssm2438.exblog.jp/20489200/
2013-10-01T00:18:00+09:00
2013-10-01T00:21:35+09:00
2013-10-01T00:18:24+09:00
ssm2438
未分類
監督:本広克行
脚本:君塚良一
撮影:藤石修
音楽:松本晃彦
出演:
織田裕二 (青島俊作)
柳葉敏郎 (室井慎次)
深津絵里 (恩田すみれ)
水野美紀 (柏木雪乃)
ユースケ・サンタマリア (真下正義)
いかりや長介 (和久平八郎)
小西真奈美 (江戸りつ子)
真矢みき (沖田仁美)
× × ×
普通にたのしい映画だった・・・。
ただ・・・ちょっと作り方が雑になってきてるかな・・・。
君塚良一脚本で一世を風靡した『踊る大捜査線』の劇場2作目。楽しさは前回同様元気いっぱいでした。基本構成も、「《現場》の勝利」がわかりやすく導かれており判りやすい映画でした。ただ・・・、部分部分ではそれなりに面白いんだけど、トータルパッケージでみたとき、もう少し意思統一がとれててもよかったのでは??って思うことがけっこうあったかな。おそらくシナリオの第一稿ではある程度本線がしっかりしていたのが、ああだこうだと部分部分をいじくっているうちに部分だけの楽しさになってしまい、どっか本線がぶれてしまったのでは??思ったな。
・・・でも、そうはいっても楽しい映画でした。
冒頭お台場に停泊してる豪華客船がテロリストにのっとられます。んが、どうもその犯人はひ弱。こんな連中ほんとにテロリストなんか??って思ってみてると、どうやらそれはSATと強襲訓練で豪華客船をのっとったテロリストグループおよび、その乗客は湾岸署の署員たち。ほとんどお祭り気分の署員たちをとりおさえるべくSATが突入するが、青島刑事のお茶らけた対応策のもとに次々に拿捕されていくSATのメンバーたち・・・、ついには隊長さんまであえなく拿捕され「パン」と一言・・、警視庁の威信をかけた公開SAT突入訓練はテロリストの勝利となり、死亡札を首からさげて下船することになったSAT隊長、そのあとに「すいません、勝っちゃいました」・・・と申し訳なさそうにおりてくる青島刑事他湾岸署のめんつ・・・。
そんなつかみで始まるこの映画・・・、冒頭からけっこう楽しそうでした。
本物のSATがみたら「こんなことあるか!」って怒り出しそうですがそこはそれ、映画だから・・(苦笑)。
で、本編スタート。
湾岸署管内で会社役員の連続殺人事件が起きる。
単発の事件なら所轄の範疇になるのだけど広域事件や連続殺人事件のように社会的影響力が強いと思われた事件は特別捜査本部がたち、その管内の警察署(今回の場合は湾岸署)におかれる。警視庁から管理官が派遣されその管理官の指揮のもと警視庁からの捜査員と所轄の捜査員とが合同で捜査が開始される。
以前の刑事どらまでは、たとえば七曲署の刑事たちが捜査し、犯人をあげるという小さなグループのなかでの刑事ドラマだったのだが、この『踊る大走査線』からは(もっともそれ以前に本庁と所轄が合同で捜査するというスタイルをきちんと再現したドラマや映画はあったと思うが)このスタイルがしっかり描かれるようになってきた。
ただ、この映画のように所轄の刑事たちがそこまでないがしろにされてるかどうかは・・・???
ま、物語的なデフォルメがあるのだろうが、このドラマに関してはかなり誇張しているのだろう。
で、いきなり出てきたホンテン(所轄にたいして警視庁のことを「ホンテン」と言うらしい)からの管理官。今回は女性管理官沖田女史。君塚脚本は強引にこのキャラに所轄のないがしろ行為を断行させていく。
「事件は現場でおきてるんじゃないの、会議室でおきてるの」
おい、言葉だけだったんだけど・・・・。
もうちょっと説得力あるなにか見せ方なかったんですか? あるいは、第一稿の時はあったのだけど、知らぬ間にけずられちゃったんですか???
キャッチな言葉はあれど、その言葉がまるでスッカラカンだったのがこの映画。だからといって面白くないわけではない。ま、これは宣伝のためにむりやりあとからつけられた言葉だったのかなって気がする。
この言葉に代表されるように、その場のムードで演出された言葉や芝居は楽しいのだけど、どこか本線とかみ合ってない部分がやたらとみられるのがこの映画・・・。
所轄の青島はお台場に出没する噛み付き魔をおってたり、すみれさんは家族ぐるみでスリやってる家族をおってたりするが、今回の事件に借り出されて、目の前にその犯人がいるにもかかわらず、本部からの命令でとりのがしてしまう。
のちに「目の前に犯人がいたのに取り逃がしたのか」と怒られる青島。
「我々が動くなと命じたのだ」と弁明する室井管理官。
しかし今回の嫌われ者沖田管理官に所轄の事件なんかどうでもいいのよと暴言をはかれる青島。
「事件に大きいも小さいもない」と言うすみれさん。
・・・え?そうなの? 言葉としてはかっこいいのである。ただ・・・その言葉、言葉だけかっこいいだけなのでは??? 所轄=庶民の代表というコンセプトはこの物語の根源だけど、事件には大きいものと小さいものがあると思うな。社会的影響力がある事件は優先されるべきだと思う。
こういうのがかなり目立つのです。
その場の雰囲気優先でシナリオが部分部分改変されてるな・・・って思うところが。あるいは宣伝の都合で無理やり差し込まれただけのキャッチーな言葉・・・とか。
最後はレインボーブリッジ封鎖してるんだけど・・・、え、どこで誰が封鎖したの???
あれ、強引に大号令どこかで誰かにかけてほしかったなあ。
いろいろ楽しい映画でしたが・・・なんか雑な感じが否めなかったなあ。
いい脚本って一事が万事で、すべてをこうちくしてるからその言葉がでてくるものなのです。なのに、その部分だけど上層部が「ここ都合により変えて」って言われると、本来は基本コンセプト全部を変えないと成立しないはずなのです。でも、それをしないまま、その部分だけを改変していった結果がこういう映画になちゃったんだろうな・・・。
楽しいけど・・・どこかご都合主義的な気がする映画でした・・・。]]>
原子力戦争(1978) ☆☆☆
http://ssm2438.exblog.jp/20268683/
2013-08-25T13:26:32+09:00
2013-08-25T13:26:52+09:00
2013-08-25T13:26:52+09:00
ssm2438
未分類
監督:黒木和雄
原作:田原総一朗
脚本:鴨井達比古
撮影:根岸栄
音楽:松村禎三
出演:
原田芳雄 (坂田正首)
山口小夜子 (山崎明日香)
風吹ジュン (青葉翼)
佐藤慶 (新聞記者・野上)
岡田英次 (神山教授)
石山雄大 (青葉守)
× × ×
おおおおお、何を撮っても面白くないパクラのような映画・・・、面白い!!
最初に書いておくが、私は原発推進派である。
・・・が、以下に書いたものは、私の主義主張とは関係なく、フィクションとしてのこの映画に関して書いたものだ。
しっかし、原発が画面のなかにあるだけで、なんだか燃えますね。全然関係ないけど、数日前にディスカバリーチャンネルで「チェルノブイリ原発第4棟みました。いやあああいいですな。まるでアンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』のような雰囲気です。見てた番組は『怪物魚を追え』というシリーズで、番組のパーソナリティのジェレミーが世界各地をとびまわり伝説の怪物魚を釣り上げるというシリーズなのですが、今回はチェルノブイリ原発の冷水池に住む巨大ナマズの話。いまでも被爆防止のために滞在時間が制限されてるとか・・・。
ま、それはされておき、こちらの映画は原発事故をかくそうとする巨大な政治勢力と、それを暴こうとする原田芳雄と佐藤慶の話。もっとも佐藤慶が相棒なので最後に裏切るのはみえみえなのですが・・・(苦笑)。雰囲気はめざせ『パララックス・ビュー』! この映画もゴードン・ウィリスが撮っていればもっとかっこよくなったのに・・・(笑)。でも、日本でもその社会的隠蔽工作のダークな雰囲気をだそうとしてかなりがんばってるきがします。もいっともパクラファンでなければかなり面白くない映画と捉えられても仕方がない部分は大いにありますが・・・。
舞台になっているのは某県某所の大浜原発(架空)。ただ現実問題ロケしたのは福島第1/2原発らしい。
話の発端はこんな感じ。
冒頭原発の街、大浜市の海岸に男女の溺死体があがる。手をつなぎその手は紐でかたく結ばれていたので警察も心中と判断。同じころ大浜を訪れる一人の男がいた。チンピラ風のその男は坂田正首(原田芳雄)。と青葉のぞみという女を捜しにきたという。なんでも50万を彼女に貸したままなのだが彼女が田舎に帰ったきり東京に戻ってこないので探しにきたという。
浜にあがった心中死体の女のほうが彼の恋人だった。坂田はのぞみの<ひも>であり、のぞみは大学をやめてソープで働きながら坂田を食わせていた。そんなのぞみがほかの男と心中などするわけがない。これは怪しいと考えた坂田が真相を追究していく・・・。
普通この手の物語は新聞記者とかそのあたりが動き出すのだが、今回はヤクザな男というところがちょっと柄が悪くなっている。しかし、この主人公の場合は社会問題とかは一切関係がなく、のぞみを殺した男が憎いというのだけが行動のモチベーションになっており、背後にあるのが巨大な隠ぺい工作なのだが主人公は実行犯に指示した男らしい人物をプスと刺してとりあえず復習したことになっている。
ま、最後は巨大な力にころされちゃうのだけど・・・。
そしてこの主人公が暴れまわるとなにかしら探りが入れやすくなると考えているのが新聞記者の野上(佐藤慶)。こちらは東京から地方にとばされ、なんとかスクープをとって本社に戻りたいとおもっているやさぐれ男。もっとも演じているのが『水戸黄門』悪役専門の佐藤慶なのでどうみてもそう思ってしまうのがちょっと残念。この男、最後は寝返るのだが、佐藤慶だと苦渋の決断にみえない(苦笑)。やさぐれてても正義感のありそうな人が願えるとけっこうインパクトあると思うのだがこの人だとねえ・・・、山本圭とかあたりだと良かったのに。
その後主人公をサポートしてくれる第一ヒロインが吹雪ジュン。おお、かわいい! 昔の彼女はこんなにかわいかんだ。・・・もっともとしとっても可愛いけど。『男はつらいよ 寅次郎の青春』(45作目)にマドンナとしてでてました。もうちょっとタッパがあったらかなりストライクゾーンでした。
こちらは死んだ姉から主人公のことは聞いていてちょっと興味をもってた女の子という設定。
さらにここから第二ヒロインが登場。心中したと思われる男のほうの妻。山口小夜子があやしい雰囲気だしてます。彼女の夫というのが原発で働いていた技師で、ある事故を告発しようとして殺された・・・というのがメインストーリー。一緒に殺されたのは心中ということにすれば後がらくだ・・・という理由。
もう一人のキーキャラクターが岡田英次演じる神山教授。どうも事故がおきたらしいということで原発に呼ばれた専門家がこの人。新聞記者の野上が原発事故の証拠書類をみせたのがこの神山教授。この人の言葉がかなり説得力があり、原作者の田原総一郎が取材をしてきたなかで得た数字や情報を盛り込んで原発推進はの立場をしっかり述べている。
・・・ここまでの設定で物語を転がせてればけっこう良かったのに最後一発蛇足がついた。
この神山教授と殺された山崎技師は師弟関係にあり、山崎の明日香と教授ができていた・・というオチ。これがあるがゆえにちょっと物語の軸がぶれてるような気がする。
もうひとつ要らないのはマイケル・ムーアみたいにアポなし取材を原発に慣行、ゲートのところで警備員とのやり取りをハンディカメラで撮っているのを入れ込んでいる。ちょっと胡散臭いな・・・。
・・・・でも、いろいろ面白かった。
とりあえず撮るだけとって、どうするか後で考えようって感じがATGらしい・・・(苦笑)。
でもこの映画、ATGのなかではけっこう普通に見られる映画だと思うのだけど。
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祭りの準備(1975) ☆☆
http://ssm2438.exblog.jp/20259944/
2013-08-24T01:16:00+09:00
2013-08-24T01:20:26+09:00
2013-08-24T01:16:42+09:00
ssm2438
未分類
監督:黒木和雄
原作:中島丈博『祭りの準備』
脚本:中島丈博
撮影:鈴木達夫
音楽:松村禎三
出演:
江藤潤 (沖楯男)
馬渕晴子 (沖ときよ)
竹下景子 (上岡涼子)
原田芳雄 (中島利広)
杉本美樹 (中島美代子)
× × ×
ATG作品なのである程度つまらないことは覚悟してみたみたら・・・意外とおもしろかった(苦笑)。
物語は中島丈博のオリジナル脚本で自伝的ストーリーである。
ま、自伝的話っていったらほとんどが面白くないものだけど、まあまあ見られた映画だった。やってることは旅立ちもので、それまでずっと故郷にしばられていたが、それを振り払って出て行くという話。ま、男の子には必要な季節の話です。
でも、物語の根幹になってるのは、『青い体験』とかあの部分で、高校卒業してもんもんとしとるとどうしても初体験欲ってのがでてくる。そのほかに仲のいい兄貴分の原田芳雄がはずみで人を殺してしまいああだ、こうだという話。そしてその妹がちょっと狂っているのだけど、子供はらまされて生んでみたらあれれ・・、正常にもどってた・・・という話。でも、実はその子供が自分の子ではあるまいか・・・とか。あと父親が家をでててほかの女の下にで暮らしとるけど、それが戻ってきたり・・とまあ、そういうめんどくさい人間関係があるなか、主人公は「シナリオライターになりたい」という夢を持ち続け、ついには母親もすてて東京に出て行くという話。
話はごったになのでどうでもいいです。
ただ大志をいだけない田舎の感じがよくでてるかな。決して嫌いにはなれない、いや、やっぱり好きである。でも「ここではない」って思える場所。
竹下景子は映画ではこれがデビューということになっているらしい。
一応ウィキペディアでは「ヌードも披露して」とあるが胸のアップだけのカットは別撮りで誰かほかの人の胸だとおもう。ただ、宿直室で寝てたら火事になって、そのときちらっと炎ごしに見えるのは本物だろう。
役どころは、ちょっとインテリ思考の女の子で社会主義に傾倒しかけてる女の子。よくできる堅物の女の子って感じではあるが、おたかくはとまってない。それなりのアクセサビリティもある。近くにいたら惚れるな・・・、わたしなら。ああ、いるいるこんな感じの人・・っていうのがよく伝わってくる。そういう意味ではいい味付けのキャラでした。竹下景子もけっこうはまり役かもしれない。
しかし・・・この竹下景子はあんまりきれいじゃなかったな。というか女の子がどれもそれほど美しくないのでそのこと自体がかなり問題なのだけど・・・。
そんなきれいにとってもらいない女の子のなかでひときは輝いてたのが杉本美樹さん。ご存知『赤いワッパ』の彼女です。今回は原田芳雄の兄の嫁で、でも、兄が刑務所にはいっているのでそのあちだ嫁さんと“H”をしてるという関係。
まあ、話はうだうだしてるのだけど、いいのは最後の原田芳雄との別れのシーンだろうなあ。
はずみてひところしてしまい、逃げ回っていた原田芳雄が、故郷をすててさあ、これから東京に行くぞっていう汽車にのろうとしてるとき、「金かしてくれないか」と現れる。
やや戸惑う主人公だが2万円ほどわたしてやる。しかし主人公が今まさに村をすてて東京に出ようとしてると知り「この金はもらえん。この金だけはもらえん」ってむりやり返す。あの一連のやりとがけっこうじい~~~~~んきてしまった。]]>
マークスの山[TV](2010) ☆☆
http://ssm2438.exblog.jp/20147477/
2013-08-05T00:39:00+09:00
2013-08-05T00:59:40+09:00
2013-08-05T00:39:09+09:00
ssm2438
未分類
監督:水谷俊之/鈴木浩介
原作:高村薫 『マークスの山』(講談社刊)
脚本:前川洋一
音楽:澤野弘之
出演:
上川隆也 (合田雄一郎)
高良健吾 (水沢裕之)
戸田菜穂 (高木真知子)
小西真奈美 (根来麻美)
石黒賢 (加納祐介)
小日向文世 (林原雄三)
× × ×
林原=ハヤシバラだと思ってたらリンバラでしたか。
なんで?? ・・・・あ、そういう訳だったのね。
さすがにテレビなので映像的にはショボかった。もうちょっと映画な画面にできないものか・・・、この辺は監督さんの絵心のなさが前面にでてたな・・って感じでした。撮り方もカメラの入れ方もあんまりお利巧さんとはいえない、とりあえずそう撮っておこうか・・・みたいな感じ。この画面を取るためにはこのアングルでこのサイズでこの画角でないければならないんだ・・!って理由付けがないまま撮ってる人の絵でした。
あと、これも監督さんの芝居付けのショボさなのでしょうが、犯人側の連中がみんな姑息にみえる。
たとえば、その人がおびえたときに、怯えた表情をアップで撮るか、怯えた自分を隠そうとしてその人からどこか違和感のある信号だしてるか・・・、その違いなのでしょうが、このアホ監督は全部それをアップで撮るのです。見せ方としてあまりにチープなので、ほんとは1話の途中でやめようかとおもったのですが、なんとか我慢してみてたら1話の最後でやっとこさ人が死んで、そこらあたりから見られるようになりました。
原作は1993年上半期の直木賞を受賞している高村薫原作の『マークスの山』(マークスのやま)。こてこてとした描写で小説としては面白いかもって思うのだけど、こうして物語をざらっと見てしまうと、お話自体はそれほどすっごい話ではないのです。ただ、私自身はそういうの、嫌いじゃないのですけど。才能がないので、ちょっぴょうしもない話をヘタな文章で書かれるよりも、ありきたりの話を染み込み易いように魅せてくれるほうが好きですね。そういう意味では原作はいいのだけど、このテレビシリーズは・・・、ちょっと残念だったかな・・・。
<あらすじ>
松井浩司(矢島健一)=法務省 刑事課長。
浅野剛(山崎一)=浅野総合病院 院長。
林原雄三(小日向文世)=日弁連理事 弁護士。
木原郁夫(升毅)=暁成大学 理事長。
佐伯正一(佐野史郎)=佐伯中央建設社長。
これらの苗字の頭文字をとってMARKS。
この5人は暁成大学(このテレビ版ではこういう大学名になっている)の山岳同好会で20年前に北岳で同じく暁成大学の野村久志を殺した。その下山の途中で水沢裕之の母親に遭遇、口封じのためにがけから突き落として殺した。・・・そして20年後。刑務所に服役してた水沢裕之(高良健吾)は刑期をおえて出てくるとこの5人に復讐をはじめた。
物語構成的には警察モノの王道的なつくりだ。
主人公は犯人を暴こうとする。しかし、警察上層部の誰かに、その事件に関するなんらかの暴かれてはいけない秘密をもつ男がいて捜査を妨害する。みている側をいらいらさせるにはいいよくある構成である。この構成の場合は、警察上層部といえば警視総監、あるいは警察庁長官であるが、今回は法務省・刑事課長という立場がそれになっている。ほかにも東京地検特捜部副部長(嶋田久作)がおなじ大学の出身でにややらすねに傷持ってて捜査妨害するというパターン。
この手の構成では、捜査妨害する警察上層部のあばかれてはならない理由をどうするのかというのがひとつのポイントになる。
この高村薫の『マークスの山』を愛読してる黒崎視音という人の小説『警視庁心理捜査官』というのを読んだことがあるのだが、まさしくこの警察上層部の妨害構成をそのまんま使っていた。ま、かといって高村薫がオリジナルではなく、何人も、何回も同じ構成よく使われているというだけなのだけど・・・。]]>
首(1968) ☆☆☆
http://ssm2438.exblog.jp/20083296/
2013-07-25T12:31:24+09:00
2013-07-25T12:31:31+09:00
2013-07-25T12:31:31+09:00
ssm2438
未分類
監督:森谷司郎
原作:正木ひろし
脚本:橋本忍
撮影:中井朝一
音楽:佐藤勝
出演:
小林桂樹 (正木ひろし)
南風洋子 (滝田静江)
× × ×
おお、『ジュリア』ふたたび・・・。
でもこちらのほうが先だけど・・・。
『ジャッカルの日』や『真昼の決闘』、『我が命つきるとも』でしられるフレッド・ジンネマンは強靭意思力で自分を突通す主人公をよく描く。その映画の中では、社会からの圧迫感が恐ろしく強い。そして、その内部をこじ開けるように主人公は意思をとおしていく。森谷司郎のこの映画もそんな感じ。
戦時中、警察による取り調べは拷問のようであり、そのなかで死だ被疑者は脳溢血で死んだということにされた。それに疑問をもった弁護士がすでに埋葬された遺体を掘り起こし、司法解剖のために遺体の首を切断し群馬から東京にもちかえり検死をするというかなりびっくりの話。
じつはこれ実際にあった話で、原作は弁護士の正木ひろしであり、この物語の主人公も正木ひろしである。映画では、事件を隠そうとする勢力が主人公の敵であり、その社会的圧迫のなかで強引に自分の意思を通して行くというジンネマン的な話。
もとになった事件はこちら(以下ウィキペディアから抜粋)
× × ×
戦時中の1944年(昭和19年)1月20日、茨城県那珂郡長倉村(現常陸大宮市)の採炭業者X(当時46歳)が賭博および闇物資横流しの嫌疑で拘引。Xは同郡大宮警察署にて巡査部長A(当時34歳)による取調べ中に撲殺されるという事件が発生。
警察は動脈硬化性脳出血による急死として処理しようとしたが、事件を聞きつけた弁護士の正木ひろしは墓地に赴き、埋葬されていた遺体の首を切断、東京帝国大学法医学教室の古畑種基教授のもとに持ち込み、鑑定を依頼した。古畑が外傷による他殺と鑑定したことを受けて、正木は巡査部長Aと、死亡直後に司法解剖を行った警察医Bの2名を告発した。警察・検察は逆に正木の墳墓発掘、死体損壊罪での起訴を検討するなど全面対立となった。古畑ら東大法医学教室の面々が岩村通世司法大臣の要請により改めて遺体を発掘した際、首が付いていなかった、ということから「首なし事件」という名前が付いた。もっとも上記の経緯から古畑らは遺体が首なしであることはもとより承知していた。
言論弾圧の甚だしい戦時下であり、そもそも警察による拷問の横行は言うべからざる公然の秘密であったが、正木はこのタブーを打破、一連の経緯を個人雑誌「近きより」で公表するという異例の展開となった。
最終的に警察医Bは不起訴となり、巡査部長のみが特別公務員暴行陵虐致死罪で公判に付せられた。戦中戦後の混乱、戦災の影響もあり長期裁判となったが、1955年(昭和30年)に巡査部長Aの懲役3年の有罪が確定した。
× × ×
実際にあった事件は上記のようなものなのだが、物語は場所は地名は変更してある。
<あらすじ>
舞台は群馬県の滝田炭鉱。花札賭博でつかまったが抗夫が拘留中に脳溢血で死ぬという事件がおきる。不信を持ったのは炭坑主先田しずえ(南風洋子)が正木弁護士(小林圭樹)へ話をもっていく。正木は司法局に解剖を依頼するが、すでに解剖は済んでいるという。現地での聞き取りをすすめると、警官の横暴さが浮き彫りにされる。今一度解剖依頼するが検事局検事田代(神山繁)の態度は冷ややかだった。そうしている間にも埋葬された死体は腐って行く。
東大方医学部の教授をたずねる正木。
「首だけでも東京まで持ち帰れは調べられるのだが・・・」と言われ正木は憤怒の決意をする。教授の紹介で遺体解体の職人を連れて現地に向かう正木。坑夫に頼んで墓を掘り起こさせ、切り離した首を蓋のあるバケツに入れ列車に乗り込む。墓を暴くのも、遺体を損壊させるのも刑法にふれる。
以下『ジュリア』にも似たはらはらどきどきの首移送の汽車の旅。
車内は満員状態のたちんぼう。周りの乗客は異臭にきずき正木をいぶかぐる。車内には闇取引を物流を検査する警官が持ち物検査をしてまわっている。警官は正木の足元の不振なバケツに目をやり「中身はなにか?」と尋ねる。ピンチである。そのとき遺体解体男は「首でさあ、なんならにおいをかいでみ」と正直に答えてしまう。しかし警官は冗談だと思ったのだろう、「他の客の迷惑になる、デッキに出ろ」といっただけで去っていった。
上野駅についた正木を刑事らしき人物がまっており、手荷物検査をしたいという。しかし正木はカバンしかもってなかった。すでに首のはいったバケツは日暮里でおりた解体男にわたしていたのだ。翌日東大でその男と合流、首の方位解剖がはじまった。死因は脳溢血ではなく殴打によおのだと判明したのだった。]]>
ベガスの恋に勝つルール(2008) ☆☆☆
http://ssm2438.exblog.jp/20067371/
2013-07-22T23:48:59+09:00
2013-07-22T23:48:49+09:00
2013-07-22T23:48:49+09:00
ssm2438
未分類
原題:WHAT HAPPENS IN VEGAS
監督:トム・ヴォーン
脚本:デイナ・フォックス
撮影:マシュー・レオネッティ
音楽:クリストフ・ベック
出演:
キャメロン・ディアス (ジョイ・マクナリー)
アシュトン・カッチャー (ジャック・フラー)
× × ×
このキスシーンは歴史に残してもいいくらい感動したぞ!
キャメロン・ディアス主演のラブコメ。08年制作なのでこのときの彼女は36歳ってことか・・・。にしてはちょっとふけて見えるのは外国人だからか? 39歳くらいにみえてしまった(苦笑)。にしてもなかなか楽しめた。その昔『メリーに首ったけ』みたときは、もう二度とこいつのコメディはみないと思ったけど、いやいやどうして、最近は完全にラブコメの女王してます。『ホリデイ』は代好きです。
アシュトン・カッチャーは21世紀のトム・クルーズみたいな感じ。デミー・ムーアと恋人同士だったのは良く知られてることですが、どうも年上のおねーさんに人気のあるようです。
監督のトム・ヴォーンも脚本のデイナ・フォックスも、実はこれが初監督、初脚本作品。はじまってから20~30分くらいははちゃめちゃすぎて途中でやめそうになったけどなんとか持ち直しました。で、かなり強引な入りなので、あのくらいにはっちゃめちゃにしないといけなかったのかって気はする。あと、最後は最後がちょっとありきたりすぎてもう一ひねり欲しかったが、二人の仲がよくなりはじめることあたりから楽しめました。
<あらすじ>
彼氏の誕生日にサプライズパーティを企画し、みんなを彼の部屋に呼んでいたらその直前に振られてしまうと言う人生のドツボを経験したジョーイ(キャメロン・ディアス)は彼のために用意していたラスベガスのホテルに女友人と2人で泊まりにいくことになる。
一方父が経営する会社をクビになったジャック(アシュトン・カッチャー)もまた羽目をはずすために弁護士の友人とベガスに行った。しかしホテルに入につき予約した部屋にはいってみるとジョーイとその友達がいた。ダブルブッキングである。ホテルの受付に難癖付けてお詫びのスイートルームをせしめると4人は夜の街にくりだす。そこで妙に意気投合してしまったジョイとジャックはその夜ベガスで即席結婚してしまった。
朝起きて見て愕然とする2人。とりあえず別れることにした2人だったが、ジョーイが要らないといった25セント硬貨をジャックがスロットマシンにいれてまわすとなんとなんと300万ドル(約3億円)があたってしまった。結局そのお金を折半して別れようということになったのだが、あまりに無責任な2人の態度に業をにやした裁判官は6ヶ月間は夫婦として幸せになる努力をしてみろ、じゃなきゃその300万ドルは裁判費用として没収するという。
結局2人は一緒に住むことになる。しかし6ヶ月後に「自分は努力したけど、相手は不誠実だったから離婚の責任は相手にある、ゆえに300万ドルは私がいただく」の理論を想定して相手を陥れる陰謀ばかりを企てる。
部屋に色っぽいおねーちゃんを呼んでジャックに不貞をはたらかせようとするジョーイ。一方ジャックもジョーイの昔の恋人とよりをもどさせようとジョーイがいらないといった婚約指輪を彼に渡して復縁を誘導する・・・はずだった。
・・・・んが、そこからはお約束、どうもジャックはジョーイを好きになってきてるらしい自分に気づく。
一方ジョーイも会社の保養施設でパーティで旦那を社長に紹介するはめになる。一度は断ったジャックだがパーティに顔をだしたジャックは持ち前の社交性で社長や取引相手の夫婦と仲よくなってしまい、会社社長にも気に入られてしまい、今宵のパーティのベスト楽しい奴賞をもらってしまう。受賞のスピーチで結婚までのいきさつを指し当たりなく説明すると「実はまだダンスをしたことがない」といいそのフロアでファーストダンスをすることになる。ステージでは2人のために音楽がながれ回りからはグラスを鳴らす音(キスしろキスしろというアピール)が聴こえてくる。
・・・・そしてキスするふたり。
このキスが、ずっとおあずけされてた欲望を開放するかのようなキスで実に素敵なんだ。理性でお互いが好きなのを抑えあってるのだけど、なんかの弾みでそれが開放されて感情の赴くままに・・ってやっぱりいいやね。そしてこの映画の素敵なのがそのあと、保養所の同じ部屋で眠ることになるのだけど、キャメロン・ディアスも「なんで求めてくれれば全部あげるのに、なんでこないのよバカ」って感じがとてもいいんだ。
その後はお約束で、気持ちは通じあってるので、些細なトラブルで別れることになり、やっぱり「オレはお前が好きだった」とキャメロン・ディアスを追いかけてプロポーズするアシュトン・カッチャー。
めでたし、めでたし・・・。
最初ははちゃめちゃすぎてたけど、お互いがお互いを好きになりってるのを気にし始めてからはとってもいい気持ちでみられました・・・○]]>
津軽じょんがら節(1973) ☆☆☆☆
http://ssm2438.exblog.jp/20060789/
2013-07-21T22:40:00+09:00
2013-07-22T11:37:27+09:00
2013-07-21T22:39:25+09:00
ssm2438
未分類
監督:斎藤耕一
脚本:中島丈博/斎藤耕一
撮影:坂本典隆
音楽:白川軍八郎・他
出演:
江波杏子 (中里イサ子)
織田あきら (岩城徹男)
中川三穂子 (ユキ)
西村晃 (塚本為造)
× × ×
おおおおお、津軽の海がうなっとる!!
久々に映画らしい画面をみせてもらいました。津軽の海に、その沿岸部の村。放置された廃船。ビジュアル的にはすばらしいのひとことです。撮影監督は坂本典隆さん。『約束』で撮影監督デビューみたいですが、あれもビジュアルが良かった。ただ、この人の不幸は物語がいうつもあんまり面白くないことだな・・(苦笑)。
監督は斎藤耕一さん。絵作りはとっても共感もてる人です。ただこの人の特徴は、ことの次第が判明するまでにけっこう時間をかけるのでそれが分かるまでがけっこう退屈・・・。今回も「なんでこんなことになっとん???」というスタートで、始まって20分くらいしてやっと物語の設定がみえてくるのです。それまではけっこうじれったい。いつものこととはいえ、今時の人には見てもらえない映画のつくりですな・・・。
とはいえ、この年のキネマ旬報ベストテン邦画部門第1位はこの作品、あなどりがたし。
実は監督さんがこの人なので永きにわたり放置プレーでしたが、今日たまたま見ることができたのでした。お話は面白いとはいえないけど、画面の力で最後までなんとかたどりつけました。
物語の基本構成は・・・、異文化交流モノということになるのかな・・・。
東京から津軽の寂れた漁村におりたつ男と女。女にとってはそこは故郷だけど男が東京を出たことがないチンピラ。この男、東京でどこやらの組の親分を指したとかで逃亡してて、結局つきあっていた女の故郷にながれついてきた・・という設定。
東京しかしらない岩城徹男(織田あきら)にとっては漁村の暮らしは無に等しい状態。自分になにも価値観がみいだせない。自分が何をやっていいのかも分からない。なにもやれそうなことすらない。とにかくやりきれない。でも、他に行く場所がない。
中里イサ子(江波杏子)はこの村で生まれたので、ここでの不便さもみすぼらしいトタン屋根のあばら家でもぜんぜん平気。「あんたはぶらぶらしてなさい。私が面倒みてあげるから」とバスでしばらくいったところの港町にある飲み屋で波たら働き始める。
なんにもやることのない徹男は目的もなくぶらぶらしてると、盲目の娘ユキ(中川三穂子)と出会う。何事に関しても積極的でない彼女をみてるとついつい虐めてしまいたくなるのだが、その哀れさがたまらなくなりついついやさしくしてしまう。ユキを虐めるけど、結局はほっとけなくて面倒みてしまう徹男はいつしか男と女の関係になってしまう。
またぶらぶらしてると頑固そうな漁師と知り合いになる徹男。この漁師、塚本為造(西村晃)の息子はかつてイサ子と村を捨てて東京に出て行き、今はどこでどうしているのか? そのイサ子が今度は別の男をつれて帰ってきた。そら塚本はあまり友好的には接することが出来ない。・・・が、いつしか徹男の人懐っこさに心をひらき、2人で漁にでるようになる。
しかし、どうやら東京からヤクザの追手がきてるようだと感じた鉄男はこの漁村をでる決心をする。
イサ子が勤めていた飲み屋のもう一人の従業員の女がアリ金を持ち逃げしてしまう。そのなかにはイサ子のためた貯金もあった。漁村をでようにも資金がない。
鉄男は盲目のユキを男に抱かせることで逃走資金を得る。
2人でここを出ようとバス停にむかうが・・・、鉄男の良心がはじけてユキを取り戻しに走る。
塚本と共に漁にでる生活と妻としてユキを抱く生活。徹男にとってはそれはやっとであえた家族であった。
ここちよい労働の疲れで眠っている徹をよそに、出て行くイサ子。
「あんた・・・、故郷が見つかってよかったね」といって出て行くイサ子。
しかし・・・追手は徹男の居場所を突き止めていた。
充実した疲労感とともにユキのもとに帰る徹男。そんな徹男をユキが出迎えにきている。
「あんた・・・、東京からお友達がきてるよ・・・」]]>
北海ハイジャック(1980) ☆☆
http://ssm2438.exblog.jp/19849686/
2013-06-18T22:37:24+09:00
2013-06-18T22:37:30+09:00
2013-06-18T22:37:30+09:00
ssm2438
未分類
原題:NORTH SEA HIJACK
監督:アンドリュー・V・マクラグレン
脚本:ジャック・デイヴィス
撮影:トニー・イミ
音楽:マイケル・J・ルイス
出演:
ロジャー・ムーア(フォルクス)
ジェームズ・メイソン(ブリンスデン卿)
アンソニー・パーキンス(リュー・クレイマー)
× × ×
主演は3代目ボンドのロジャー・ムーア。ちょうど『007/ムーンレイカー』のあとにとったくらなのかな。キャラのかぶりを避けるために今回は髭たくわえての登場だけど、髭があると歳相応にかなり老けて見える。ま、でも50代半ばくらいだったとは思うが・・・。これみるとジェームズ・ボンドをやってるときはなんとなく若く見えるなあ。
今回のロジャー・ムーアが演じるフォルクスと言うキャラは、昔の特殊部隊の隊員でいまはもうやめてるのだけど、同じような連中をあつめて民間の傭兵部隊を編成していて、何かの時にお役に立とうとしてる・・と説明すればいいのだろうか。昼間からスコッチを飲み、ユーモアのセンスあり、女嫌いで、お利口さんという設定。
監督のアンドリュー・V・マクラグレンは『ワイルド・ギース』なんかを撮った人で、はっきり言って才能は乏しいのだけど、まあ、困らない程度に普通に撮る人。ただ、アクションのテンポがわるいというか、キビキビ感がない。とてもモト特殊部隊とは思えないような怠慢な動き。ああいう特殊部隊モノっていのは突入前にどれだけ段取りをし、突入したらささっと仕事をこなしてしまうキビキビ感が不可欠だ。これがない特殊部隊物っていうのはどうもただのがさつな集団にしかみえない。いまこれやったらやっぱり退屈だと思われてもしかたがない(苦笑)。
<あらすじ>
外国新聞記者グループのリュー・クレイマー(アンソニー・パーキンス)他数名は中型貨物船のエスター号をのっとり、英国政府がその支配権をもつ北海油田の巨大な採掘やぐら、“ルース”と“ジェニファー”に向かう。そこで犯人グループは油田のやぐらに爆弾がしかけ政府に対して2500万ポンドを5カ国の国通貨で24時間以内に支払うこと、その要求する。要求が通らなければ20時間後にまず小さいやぐらルースを爆破、その4時間後にジェニファーを爆破すると脅しにかかる。
この要求に頭をかかえた女性首相(フェイス・ブルック)は元特殊部隊の隊員だったフォルクス(ロジャー・ムーア)に事態の収拾をいらいする。フォルクスは、海軍やコマンド部隊出身のつわ者どもを集めた私設フロッグマン・チーム(特殊潜水部隊)を組織し、世界の名だたる保険会社などから人質の奪回作戦などの依頼をうけて生計をたてていた。
ティッピング枢密院議長(ジェレミー・クライド)と海軍提督ブリンスデン卿(ジェームズ・メイスン)、そしてフォルクス(ロジャー・ムーア)は海底油田のやぐらジェニファーへと向かうが、嵐が近づいていた。
まずフォルクスはルースが予告された爆破時刻の1時間まえに、その方面で巨大な爆破を起こすことを提案する。海軍の爆弾処理班が誤って爆破させてしまったと思わせ、犯人たちはその爆破スイッチを押させなかった。
エスター号が油田やぐらからさほど遠くないところに停泊してた。2500万ポンドが支払いが拒否されれば改定に仕掛けた爆弾でやぐらを爆破させる用意はできていた。いよいよ約束の時間が近づいたが、フォルクスの作戦で一時は難をのがれ、さらに人質として、フォルクス自らブリンスデン提督、キング主任らとエスター号に乗り込んだ。しかしその時、主犯クレイマーの殺害のための段取りはすでにできていた。余裕ありすぎるフォルクスに危ないにおいを感じたクレイマーは他の二人だけ船にのこし、フォルクスをヘリで帰還させる。
最後の最後で予定がくるったフォルクスは自分のフロッグマン・チームを呼び、電撃作戦を慣行する。]]>
クラーケンフィールド(2006) ☆
http://ssm2438.exblog.jp/19751167/
2013-06-06T16:02:00+09:00
2013-06-06T17:01:15+09:00
2013-06-06T16:03:11+09:00
ssm2438
未分類
原題:KRAKEN: TENTACLES OF THE DEEP
監督:ティボー・タカクス
脚本:ショーン・ケラー/ブライアン・D・ヤング
撮影:ジョージ・キャンベル
音楽:リッチ・ウォルターズ
出演:
チャーリー・オコンネル (レイ)
ヴィクトリア・プラット (二コール)
クリスティ・アンガス (ジェニー)
× × ×
クリス・アンガスだけは拾い物。
『ジェイソンX 13日の金曜日』をみたとき、「あれ、この娘かわいいかも」って思ってたのがこのクリス・アンガス。実は1971年生まれなので、この映画のころは35歳くらい。でもけっこう若く見えます。テレビシリーズのほうが多いようですが映画にもでてきてほしいものです。
しかし、B級の巨大生物パニックモノってのは外れると分かっててついつい見てしまいますね。ああ、この辺がやっぱり男の子の性だなあっとおもうのであります。
ちなみに「クラーケン」というのは中世から近世にかけて、ノルウェー近海やアイスランド沖に出現したとされている伝説の海の怪物のこと。
お話はトレジャーハンター+海の巨大生物というありがちなパターン。だいたい海の巨大生物ってのは陸地にいる限り安全なのだけど、主人公立ちはどうしても海に潜らなければいけないのでだいたい沈没船をめぐるトレジャーハンティングか、麻薬を運んでた船・飛行機が墜落してそれを探しに行く・・ってな展開になるのが普通。この映画もにたようなものです。
主人公の男は、子供のころに海の怪物に両親が呑み込まれるのをみて、それ以来怪物に復讐をちかい追っているという設定。ヒロインの考古学者は学術の方面からそこにあるお宝を探そうとしている。そして適役は、だいたい、そのお宝を所有していたと言う貴族の末裔で今はほとんどヤクザなやつ。ここまではセオリーどおり。しかしクラーケンと呼ばれる海の怪物(でっかいイカですが)は、なんでもそのお宝を守ってるということらしい・・・。そんな知能があるのかどうか怪しいものだ・・・。
ちなみにアンガス嬢は考古学者さんのアシスタントさん。あえなく最後にイカに殺されてしまった・・。無念。どうもこういう映画は、お目あてのおねーちゃんが死んじゃうとそのあとはどうでもよくなってしまうな・・・。
ちなみに、洋物のジャケットはけっこういいので、こちらをアップしときました。
ちなみこちらはクリス・アンガス嬢(↓)。『ジェイソンX』の時のやつ。 ]]>
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