西澤 晋 の 映画日記

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カテゴリ:シドニー・ルメット(1924)( 20 )


2011年 01月 12日

ファミリービジネス(1989) ☆

f0009381_1214534.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:ヴィンセント・パトリック
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:サイ・コールマン

出演:
ショーン・コネリー (泥棒野郎の祖父)
ダスティン・ホフマン (でもあんまり賛成しかねる父)
マシュー・ブロデリック (祖父を尊敬している孫)

       *        *        *

ダスティン・ホフマン・・・損な役。

むむむむ・・・・、まったく面白くないぞ。
ルメット不調時代のなかでももっとも面白くない映画。

<あらすじ>
泥棒一家の祖父ジェシー・マクマレン(ショーン・コネリー) 、父ヴィトー(ダスティン・ホフマン)、息子アダム(マシュー・ブロデリック)。祖父のジェシーは泥棒のスリリングさに燃えているのだが、その息子のヴィトーはまじめに生きたいと思っていた。孫のアダムもまじめな方向性は親譲るなのだが、祖父の熱き泥棒スピリットには憧れを抱いているのも事実だった。
そんな祖父にアダムは、研究開発中の酵素細胞と、そのデータ・ブックを盗み出す泥棒計画を打ち明ける。祖父は孫の計画に乗ることにするが、それを知った父は猛烈に反対。しかし絶対に裏切ることのない人間がもう1人必要だというというジェシーの説得にまけ、ヴィトーは息子を守る口実でまたも泥棒に加わることになる。
しかし、アダムは警察につかまってしまう。妻にうながされて自首して真相を話す父。裁判の結果、アダムとちとは執行猶予刑を宣告されるが、祖父は実刑判決をうけてしまう。自分のために父を売ったと息子になじられる父。祖父は獄中でその一生を閉じる。

最後は一応父と息子の和解にはなれど・・・、だったらはじめっからそういうこと(家族をまきこんで泥棒家業)するなよっていうのがせつなる印象。

信用が大事とはいえ、「家族で犯罪する」っていうコンセプト自体にかなり抵抗を感じてしまう。ちょっとまえに見た『シシリアン』もファミリービジネスで犯罪をおかすシチリアマフィアの話だが、信用がおけるかもしれないが、リスクマネージメントにそがれるエナジーがおおすぎる。それが少ないとの『ファミリービジネス』のようなうすっぺらい家族で犯罪ドラマになってしまう。
そもそも、家族というのがそんなに信用がおけるものなのかどうか・・そのあたりが個人的には疑問である。日本の歴史をみても親族、親子兄弟で政権をあらそった場面は多く登場し、家族の血よりもその人が所属する世界のほうが重要なのがあたりまえ。つまり、ほんとに大事になったときには、裏切られる可能性はつねにあるはずだ。
さらに言わせてもらえれば、家庭を継続していく以上は、それぞれがすこしづつ嘘をついていかなければならないのだと思う。『男女7人夏物語』のなかでちあき(池上季実子)が、もも子の(大竹しのぶ)の家庭に関してそのような台詞をはいていたが、まさにそのとおりで、個人としての欲望をすべて犠牲にして家族のために・・っていうのは現代の社会ではほとんど不可能だろう。その結果、個人それぞれの生活をもち、家族にはそれを部分的隠して生きていくというのが普通の形態であり、なおかつ家族という枠組みは、それ全体が危険にさらされない限り、それぞれの主体性はある程度ゆるしておいてはじめて成立し続けるものだ。少なくとも、そのほうがドラマにするならリアルに感じる。
別な言い方をすれば、家族というのはそれなりに嘘をつき、それを知らない振りしてこそ成り立つもので、そもそも「家族だから信用できる」という概念こそがかなりありえない概念であり、すくなくともドラマでそのコンセプトを使うことは話をしらけさせるだけのような気がする(実際この映画ではそうなったが・・)。

まあ、シチュエーションを楽しむ映画としてはそれもありかもしれないが、それでも、それくらいのリスクは理解したうえでやるのなら面白いのだが、やってて失敗してからああだこうだと困るのはじつにばかげてる。ありえない人物関係で映画をやるのは面白いかもしれないが、そこに真実味がなければ、見ている人にはコンセプトを受け入れてもらえない。この映画は、その観客に物語の基本設定を受け入れてもらえないまま物語が進行するので、みているこっちとしてはさむい笑いしか起きない。

ルメット・ファンの私としてはとても残念な映画だった。

by SSM2438 | 2011-01-12 12:08 | シドニー・ルメット(1924)
2011年 01月 04日

Q&A(1990) ☆☆

f0009381_2221332.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:シドニー・ルメット
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:ルーベン・ブラデス

出演:
ティモシー・ハットン (新米地方検事補アル・ライリー)
ニック・ノルティ (悪徳刑事マイク・ブレナン)

       *        *        *

ルメット作品は節度のある悪役でないとダメだ・・・。

シドニー・ルメットの復活を願い、やっぱりなんだかんだといっても社会派らしい映画の時は劇場に足をはこんだいたのだが、どうも嘗てのキレがないなあ。この話だってルメットお得意の話でどうやってもホームの映画だろうに、なんでこんなに誰がやってもいいような映画に仕上がるんだ???
ルメット・ファンとしてはかなりがっかりだったよ。

とにかくドラマの印象が薄い。画面で思い出すのがニック・ノルティの釜ほるシーンだけという・・・、暴走ノルティに全部持っていかれた感じの作品だった。というか、ルメットの作品にこういうキャラはあんまりに合わないような気がする。
ルメットの作品がルメットらしくみられるのは、きっと悪役が節度を持っている時なのだと思う。
他の作品みても、やっぱりルメット映画の悪役やどこかクールで知的だ。強引な暴力にたよならない知性がある。それがこの作品ではニック・ノルティの強引なパワーでルメットの悪役設定が木っ端微塵に砕かれてしまった。
最初みたときは、この映画ルメットでもやっぱりイマイチだなあって思ったけど、最近思うのはもしニック・ノルティが別の人で、もうちょっとカマほるときも知的でだったらすこしは違ったんじゃないだろうかって思い始めてる。『ギルティ・罪深き罪』の時のドン・ジョンソンとか・・、『プラトーン』トム・ベレンジャーとか・・、どっかクールでニヒルな悪漢だったら雰囲気も変わってきたんじゃないだろうか・・って思ったりもする。

<あらすじ>
新米地方検事補アル・ライリー(ティモシー・ハットン)の初仕事として、ベテラン刑事マイク・ブレナン(ニック・ノルティ)による麻薬売人射殺事件のQ&A(尋問調書)を作ることだった。
しかし、目撃者ボビー・テキサドール(アーマンド・アサンテ)の証言はブレナンの過剰防衛だと言うが、正当防衛を主張するブレナン刑事の主張と食い違う。疑惑を持ったアルは、テキサドールの愛人となっている黒人と白人のハーフ、ナンシー・ボッシュ(ジェニー・ルメット)から真実を聞き出そうとするが、アルの人種差別的言動に拒否反応をしめすナンシーは非協力的だった。
一方、ブレナンは重要な証人ロジャーを捜し出して口封じをしようとする。機先を制したテキサドールがロジャーを連れ去が、テキサドールとロジャーの乗ったヨットはブレナンによって爆破される。さらにアルの部下を抱き込もうとするが失敗して、ついに追い詰められ逆上したブレナンはアルのもとに乗り込んでくるが、撃ち合いの末倒れる。


事件のなりゆきは、さらに上の段階で真相はもみ消されるという、ルメット物ではよく在りそうな社会の理不尽さが出てくるのだが・・・、それでも、もうすこしなんとか納得のいく結末にならなかったものか・・・。これでは、ニック・ノルティは排除できたけど、結局全システムが健全にはならないよ・・という話。

その矛盾と理不尽さを含んだ社会のなかで、個人と個人(この物語のなかではアルとナンシー)のほんとに信頼できるつながりが大事なんだよ・・って事だとは思うな。
多分、ルメットって社会の中ではその理不尽さというのはなくなるものではない!って思ってるのだろう。そうれは当然社会の中ではあるもので、そういう社会のなかでいかに生きていくか、いかに純粋さを保っていくか・・というささやかな抵抗をいつも描いているのだと思う。

by ssm2438 | 2011-01-04 22:05 | シドニー・ルメット(1924)
2010年 12月 06日

モーニングアフター(1986) ☆☆

f0009381_8243097.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:ジェームズ・ヒックス
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:ポール・チハラ

出演:
ジェーン・フォンダ (女優アレックス)
ジェフ・ブリッジス (元警官ターナー)

       *        *        *

役者人はいいのに・・・。

ごひいき監督シドニー・ルメット、さらに主役がジェーン・フォンダということで、劇場まで足を運んだ映画。ただ、社会派のルメットとしては、こういう男女二人の映画というのはそれほど期待はしてなかったのが本音。案の定凡作でした(苦笑)。
ルメットって押しつぶされそうになる社会のしがらみの中で、いかにして自分を生かしていくかというドラマを親近感ある作りで描いてくれてるときはいいのだけど、物語を舞台劇ぽく料理していくだけ・・という場合がある。それが先に書いた『デストラップ・死の罠』。その場合ははずれるときもある。この映画はそのイヤな要素はなく、普通の映画なのだが、それ以上のなにもない・・という困った映画。
当時何を勘違いしたのか、ジェーン・フォンダがこの映画でアカデミー主演賞にノミネートされていた(苦笑)。わからんでもないが・・・映画としても、彼女が演じたキャラクターとしてもあまり魅力は感じなかったというのが本音である。
ルメットは、脚本家あがりの監督さんなので、絵作りは特に魅力があるわけではない。なので話でみせてもらわないとだれるのだけど、この映画はその話がいまひとつルメットの輝きをはなっていなかった。

<あらすじ>
近年ぱっとしない中堅女優アレックス(ジェーン・フォンダ)はそのせいもありアルコールに溺れる日々。その日も泥酔して目が覚めると、見知らぬ部屋で寝ており、隣には見知らぬ男の死体があった。思い出そうとしても昨日なにがあったのか思い出せない。恐ろしくなってとりあえずその部屋をでるアレックス。
その後元警官のターナー(ジェフ・ブリッジス)と出会い、彼の助けをかりながら事件の真相を探っていくというもの。


サスペンスの要素としては、事件の真相を探れば探るほど、自分が犯人ではないか?という推測も排除できない・・、そのあたりがポイントになるのだろう。この映画ではそのポイントは匂わせつつ物語を展開しているが、少なくとも見ている人はジェーン・フォンダが犯人だと思ってみないだろうし、そのあたりは安心してみられるようになっている。
犯人はアレックスの別居中の夫ジャッキー。前半にちょろっと登場するだけなので、かなりインパクトがすくない。彼は大富豪の娘イザベルと一緒になろうとしていたが、イザベルが殺された男に脅されていたというもの。なのでその男をジャッキーが殺し、アルコール依存症の妻アレックスを犯人にしたてあげようとした・・という話。

サスペンスというのは、犯人がある程度予想されないで進行されると面白くもなんともない。作り手は、こいつが犯人ンっぽいぞっていうのを作っておいて、そのキャラが登場するたびにそれなりに緊張してもらいつつ、実は・・・という展開でないと駄目なようである。この映画ではその犯人が誰なのかがなかなかまったく予想もされないまま展開されるので見ている人が、作品のなかで行われているイベントをみせられるだけの時間が延々つづく。見ている人が映画に参加できないのだである。

by ssm2438 | 2010-12-06 08:28 | シドニー・ルメット(1924)
2010年 12月 05日

デストラップ・死の罠(1982) ☆

f0009381_22262375.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:ジェイ・プレッソン・アレン
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:ジョニー・マンデル

出演:
マイケル・ケイン (シドニー・ブリュール)
クリストファー・リーヴ (クリフォード・アンダーソン)

       *        *        *

うむむむ、ルメットだけど・・・これは駄目だった。。。

舞台劇をそのまんま映画にしている映画。観客がいないかわりにカメラの手前に大勢のスタッフがいる。ただ・・・、個人的にはあんまり楽しめなかったかな。監督はシドニー・ルメットで、舞台劇的納め方はきちんと出来てる。しかし、これをそんな形で映画にする必要があったのだろか。前半のコメディテイストな展開から殺人がらみの展開になるのがどうも違和感があり、最後はホモオチ・・。ルメットの映画は基本的にはカス映画でも肌にあうのだが、この『デストラップ・死の罠』と『怒りの刑事』だけは駄目だった(苦笑)。

落馬して下半身麻痺になったクリストファー・スーパーマン・リーヴがこのころは健在なのがうれしい。

<あらすじ>
最近婦長の劇作家シドニー・ブリュール(マイケル・ケイン)。そんな彼のもとに、クリフォード・アンダーソン(クリストファー・リーヴ)から、自作の戯曲『死の罠』が送られてきた。クリフォードは、シドニーが大学で講義をした時の生徒で、自作の戯曲を評価してほしいとのことだった。
読んで見ると素晴らしい。シドニーの妻妻のマイラ(ダイアン・キャノン)は、彼の戯曲を手直しし、二人の名まで発表してはどうかというが、シドニーはクリフォードを殺し、戯曲を自分1人の名で発表することを考える。クリフォード自宅に呼んだシドニーは、クリフォードが戯曲を書いたことを誰も知らず、コピーもとってないことを聞き出し、にんまり。
そしてクリフォード絞殺するが、実はこれがトリックで、その夜死んだはずのクリフォードがドロだらけに名って現れる。恐怖におののくマイラは持病の心臓発作のために死亡。シドニーとクリフォードはグルだった。そして抱き合ってキスをする2人。

・・・・げ!

あとはすったもんだあるのだけど、意外性だけの展開で、個人的には着いていくのがあほらしくなった。最後は、二人が殺しあうのだが、実はそれが『デストラップ・死の罠』という舞台劇だったというオチ。
どうも、こういうこねくりすぎた映画は好きになれない。

by ssm2438 | 2010-12-05 22:27 | シドニー・ルメット(1924)
2010年 11月 17日

未知への飛行(1964) ☆☆☆☆

f0009381_20232052.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:ウォルター・バーンスタイン
撮影:ジェラルド・ハーシュフェルド

出演:
ヘンリー・フォンダ (大統領)
ダン・オハーリヒー (軍最高責任者ブラック将軍)
ウォルター・マッソー (軍事専門家グレテシュール)

       *        *        *

ガチで取り組んだルメットの勇気を称えたい!

ビデオ/DVD発売では、『未知への飛行 フェイル・セイフ』のタイトルになっている。『FAIL SAFE 未知への飛行』というリメイクのTMVもある。実はこちらのDVDも買ったはずなのだが、みてないままになっている。どこいったんだろう? サンライズの机に置きっぱなしのような気がする(苦笑)。

1962年のキューバ危機以降、核戦争の恐怖を謳った映画が何本か作られた。スタンリー・キューブリック『博士の異常な愛情』もその一つだが、あれはブラック・ユーモアに逃げてしまった。こういうとてつもない物語というのは、マジに作るとどこかしらうそ臭くなってしまうもので、それを避けるためにははじめから白旗あげてブラックユーモアで作るほうが懸命というもの。それを正面きって挑んでしまったのがこの映画。

最後はやはりチープに感じてしまったこの映画だが、ではどうこの話をまとめたらホントらしくなるのか・・?と考えると、その答えは見つからない。おそらくどんなエンディングを用意しても、お話はチープになるだろう。その時どう人間が対処すべきなのか分らないのだから。
どんな方向性を模索したとしてもその答えが見つからなければ、最後の決断をする前に物語をおわらせて、見ている人に下駄を預けるというのも一つの手段だろう。もっとも有効で卑怯な手段はブラックユーモアに逃げるというのが一番安易な方法で、無責任に突き抜けて、これはブラックユーモアの映画だから」と言えばいい。
しかしシドニー・ルメットは答えまで出してしまった。それがスゴイ。

ちなみに、今回は軍の最高指揮官であるブラック将軍は穏健派で、軍事専門家グレテシュールは戦争推進派である。

このタイトルにある《フェイル・セイフ》とは「帰還可能ポイント」のことで、そのポイントを越えると引き返すことができなくなるという軍事的ポイントのこと。しかし一般的な概念も含んでいることは言うまでもない。一般的な《フェイル・セイフ》の概念は、「誤操作・誤動作による障害が発生した場合、常に安全側に制御する」という信頼性設計の概念である。

<あらすじ>
安全照合装置が故障したため間違った指令を受けてしまった、グレーディ大佐(エドワード・ビンス)率いる爆撃機の編隊は目標モスクワをめざしてソ連領内に侵入してしまう。事態はペンタゴンとホワイトハウスに報告された。ペンタゴンでは国防長官を中心に、政治学者のグレテシュール(ウォルター・マッンー)とブラック将軍(ダン・オハーリー)らが協議する。グレテシュールは「もう止められないのなら、この際ソ連を徹底的に叩くべきだ。たとえソ連の反撃をうけてもまだアメリカには生存者がいるのだから」と主張。ブラック将軍は、全世界的殺栽は防がなくてはならないと反論する。大統領(ヘンリー・フォンダ)はホットラインを通じてソ連首相に「領空侵犯は間違いであり、こちらではどうすることもできないので、ソ連側で射ち落してくれ」と依頼する。

この描写が実に怖い。
総ての情報を排除するために密室にこもった大統領が通訳一人を携えてホットラインでロシアの書記長と話をする。大統領は、通訳に、言葉の内容だけでなく、相手の反応のニュアンスまでも再現するように要求する。会話と会話との間が実に怖い。

軍内部では、ソ連側にグレーディ隊機の特徴を教えよ、という命令に反抗する幹部もでてくる。グレーディ編隊機のうち4機は射ち落されたが、グレーディ機だけは攻撃をかわしてモスクワに到達。モスクワのアメリカ大使館に電話がつながれており、ある一瞬にキュイイイインっという高音が発せられるとそこから電話は沈黙する。米ソ両国の全面戦争を回避し、ソ連にモスクワ爆撃が機械の故障であることを納得させるため、大統領はブラック将軍にニューヨークの核爆破を命じた。


個人的にはこの『続・未知への飛行』が観たかった。
ヘンリー・フォンダ扮するあの大統領はあのあとどうしたのだろう?
・・・・自殺はしないだろうなあ・・・。多分誰か・・・、恨みをもった人に殺される日まで、待つような気がする。その日が来ないかもしれない。来るかもしれない。きっと世間に罵声を浴びせられながら、政府の保護下で暗殺されるまで生かされていくのだろう。そのときまでの彼の日常を描いてみてほしかった。

by ssm2438 | 2010-11-17 20:24 | シドニー・ルメット(1924)
2010年 07月 07日

強制尋問(2004) ☆☆

f0009381_22184794.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:トム・フォンタナ
撮影:ロン・フォーチュナト
音楽:ポール・チハラ

出演:
マギー・ギレンホール (女子大生リンダ)
ブルーノ・ラストラ (アラブ系男性)

     *      *      *

TVMだけど、最近のルメットの中ではちょっと注目作!

まるっきり舞台劇なシチュエーションなので、映画的なエンタテーメントなストーリー展開ではない。その辺が今ひとつ図式的過ぎてあざとさを感じる部分はあるのだが、しかし、怒涛の会話劇である。でも、舞台では、マギー・ギレンホールを素っ裸にして、肛門検査などというシーンは到底つくれないだろう。フィルムだからできるしろものである。

ドラマのなかでは、北京でアメリカの女子大生リンダ(マギー・ギレンホール)が、突然理由も告げられず中国東京に逮捕され、石造りの取調室につれてこられる。一方、ニューヨークでは、アラブ系男性(ブルーノ・ラストラ)がアメリカ当局に逮捕され、とあるビるの一室で女性取調官(グレン・クロース)に執拗な尋問をうける。

シチュエーションは違えど、台詞回しはほとんど一緒という図式でドラマは展開される。

弁護士もつけられないまま、執拗に取調べをうけるリンダ。そして身体検査だと証して「服を脱ぐように命令される」。抵抗しても仕方がないリンダは服を脱ぎ、その状態で再び尋問はつづいていく。人権は無視され、全裸にされ、屈辱と悔しさにまみれ、わけもわからない尋問をうけ、最後は肛門検査と称してゴム手袋をはめた取調官がリンダの肛門に指をいれる。何を調査してるのやら???

同じ展開がニューヨークでも行われている。

とりあえず尋問が終わり、取調官がさった部屋の中で全裸のままたちつくす憔悴しきったリンダ。悔しさにまかせて椅子を蹴りとばす。


ただ、個人的にはこの物語構成は好きになれないなあ。二つの場所で同じシチュエーション、同じ会話というのは図式化されすぎていて、頭の中がこの映画をどう解釈して良いのかわからない状態だった。いまもあまり判っていはいない。
しかし、この映画のマギー・ギレンホールは怒涛の屈辱感をいかんなく表現してくれた。マギーの頑張りに☆ひとつおまけしたかったが、やっぱりそれほど面白いかといわれれば、ルメットびいき過ぎるだろう。

by ssm2438 | 2010-07-07 22:14 | シドニー・ルメット(1924)
2010年 07月 07日

ガルボトーク/夢のつづきは夢・・・(1984) ☆☆☆

f0009381_21173535.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:ラリー・グルーシン
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:サイ・コールマン

出演:
アン・バンクロフト (母・エステル)
ロン・シルヴァー (ギルバート)

     *      *      *

ルメット作品にしてはめずらしいハートウォーミング映画。

シドニー・ルメットといとえば社会派の巨匠、『十二人の怒れる男』を筆頭に、『セルピコ』『プリンス・オブ・シティ』『評決』などの裁判ものイメージが強い。ルメットの物語のなかでは、主人公が自分の良心に従って行動すると、それが社会的に軋轢を生む。社会をとれば自分の存在価値がなくなる。自分を社会から阻害される。そんなシチュエーションでそんときなにをどう選択するのだ・・?という、捨てきれない社会とのつながりの中で(それをあっさり捨てえられたらただのヒーローものになってしまう)、社会と反発しつつ、あるいは社会と妥協しつつ、どう自分を失わずに生きていくか・・、そういう物語と作る人だ。なので私はこの監督さんは大好きなのだ。
そのルメットの代表作としてあげるとして、先にあげたような映画が出てくるが、そっち方面でない映画で、どうしても落としたくない映画が『旅立ちの時』『ガルボトーク/夢のつづきは夢・・・』である。

当時これを見たときは(レンタルのVHS)、主人公の行為はちょっと理解しがたいもので、なかなか入っていけなかったのだが、最後はなかなかほほえましくなってくる。
この映画の主人公の母親(A・バンクロフト)は病気で死期がせまってきている。その母の夢というのが、“ガルボに会いたい!”なのだ。息子は、その夢をかなえるべく、引退して久しい往年の大女優グレタ・ガルボを必死で探し、母に会いにきてもらうという映画。しかしその行為の代償として、会社は休むは、そんなこんなで嫁とは対立するはけっこう大変。・・・しかし、よくよく考えてみるとやっぱり社会派か・・。自分の良心のために、社会を敵に回す、今回は会社であり、妻であり、そのあたりが彼を取り巻く社会になるのだけど・・・、そうか・・・、やっぱりこれもしっかりルメットしてる映画なんだ・・とこれを書いてみて理解し始めた(苦笑)。

<あらすじ>
会計士のギルバート(ロン・シルヴァー)は、母エステル(アン・バンクロフト)が脳腫瘍で余命いくばくもないことを知らされる。人に助けを頼むことを極端に嫌うエステルだが、そんな彼女がギルバートに頼みごとをした。「死ぬ前に一目ガルボに会いたい」。彼女はぐれたガルボの熱烈なファンであり、彼女の映画は全部みていた。
ギルバートは本気でグレタ・ガルボを探し出し、母にあってくれと頼む決意をする。老写真家ドカキスの協力を得て、徹底的にガルボ探索を開始するギルバート。会社の仕事そっちのけでガルボのアパートを訪ねたりファイア・アイランドの隠れ家に押しかけたりするが、費用ばかりかさんで、効果がない。妻との仲も悪くなるばかり。しかし、以前から好意を与せていたジェーン(キャサリン・ヒックス)と、なとか接点をさがしているうちに、あるノミの市で遂にガルボと遭遇。彼女をつかまえて夢中で母エステルのことをガルボに語るギルバート。病院に来たガルボは、エステルに会った。夢のようなひとときを過ごしあの世へと旅立つエステル。ギルバートの妻は実家に帰ったが、ジェーンと生きることになる。めでたしめでたし。

※ちなみにのガルボは会いにきてくれるのだけど、後姿だけで、本物の彼女がでているわけではありません。

by ssm2438 | 2010-07-07 21:23 | シドニー・ルメット(1924)
2010年 07月 07日

セルピコ(1973) ☆☆☆☆

f0009381_055036.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:ウォルド・ソルト/ノーマン・ウェクスラー
撮影:アーサー・J・オーニッツ
音楽:ミキス・テオドラキス

出演:アル・パチーノ (フランク・セルピコ)

       *        *        *

シドニー・ルメット絶好調!

このころのシドニー・ルメットは良かった。映画自体がめちゃくちゃ面白いわけではないのだが、社会派の巨匠シドニー・ルメットの描くものが実にルメットらしかった時代。この映画も警察の腐敗の中で、一人まじめをとおしたら、みんなから村八分にされたという話。まあ普通の村八分だけなら命に別状はないのだけど、警官の場合はかなり危険。現場ではお互いがお互いをカバーしながら動くわけだが、

「金を受け取らない警官が信用できるか!?」

・・・の理不尽的事実が痛々しい。警官になることに夢をもって実際なった警官だったが、その組織は汚職にまみれていた。そのなかで清く正しく任務を遂行しようとするパコ(セルピコの相性)はのけもの。周りの警官は汚職をしているが、セルピコは誘われても断る。でも仲間を売ることはしない。だからといって、同じ警官仲間としては信用できないのがクリーンなパコだった。そんな環境下で、理想を追求すればするほど、社会からのけ者になってしく悲しい性。

これはアニメ業界においても同じことだな。
クソアニメに迎合できない人間は行きづらい業界になってきた。
・・・そんなこんなで、この映画のセルピコのつらさは切実に判る。

ちなみのこの映画の主人公のセルピコは実在の人物で、警察組織内の汚職と闘い、1971年には汚職を告発した警察官としてアメリカでは有名な人物である。
のちにルメッとは、『プリンス・オブ・ザ・シティ』という映画を撮るが、これも警察内部の汚職の話である。こちらのほうが骨太感はあるが、見易さだったら『セルピコ』のほうだろう。『プリンス・オブ・ザ・シティ』をみるのはかなりしんどい。

アル・パチーノがルメットとくんだのはこの映画と『狼たちの午後』だが、個人的にはこちらのほうが好きかな。あっちもあっちで、銀行強盗に押入ったが、八方ふさがりになる哀れな主人公を演じていたが、アル・パチーノって、ホモでいじめられ役が良く似合うような役者だ。生理的に好きになれない役者のひとりだ。

<あらすじ>
映画は、警官フランク・セルピコ(アル・パチーノ)が重傷を負って病院に担ぎこまれるところから始まる。病室の警戒態勢は恐ろしく厳重だ。そこから回想シーンがはじまる。

11年前、若き日のセルピコは子供のころからの夢を現実のものとし、警官になり、使命感に燃えてニューヨークの82分署に配属された。
しかし現実の警官の仕事は彼の理想とは程遠いものだった。同僚たちの収賄は日常茶飯事におこなわれており、潔癖症のセルピコには耐え難いものだった。私服になるための訓練を受け始めたセルピコは、ブレア(トニー・ロバーツ)知り合う。私服刑事となったセルピコは93分署に、ブレアはニューヨーク市長の調査部に配属されることになった。
配属された最初の日、セルピコは何者かにワイロの分け前を渡された。ブレアに相談し、調査部長に報告したが、部長はただ忘れてしまえと忠告するだけだった。どうしても金をうけとろうとしないセルピコは徐々に孤立していく。セルピコは地区中から異端者扱いで、第8分署に転任することになったが、彼を相棒として引き受けてくれるのはロンバート警視ただ1人だった。
ブレアやロンバートの応援で、ついに意を決したセルピコが汚職の実態をニューヨーク・タイムスにぶちまけた。しかしセルピコはデラニー総監によって、市で最も危険なブルックリンの麻薬地帯に転勤を命じられた。ある日、数人の同僚とともに麻薬犯逮捕に出勤した彼は、そこで重傷を負う破目になった。状況からみて、同僚が助けようとすれば助けられた状況だった。

by ssm2438 | 2010-07-07 00:07 | シドニー・ルメット(1924)
2010年 05月 04日

オリエント急行殺人事件(1974) ☆☆

f0009381_10242160.jpg監督:シドニー・ルメット
原作:アガサ・クリスティ
脚本:ポール・デーン
撮影:ジェフリー・アンスワース
音楽:リチャード・ロドニー・ベネット

出演:
アルバート・フィニー (エルキュール・ポアロ)
ジャクリーン・ビセット (エレナ・アンドレニイ伯爵夫人)
アンソニー・パーキンス (ヘクター・マックイーン)
マイケル・ヨーク (ルドルフ・アンドレニイ伯爵)
ローレン・バコール (ハリエット・ベリンダ・ハバード夫人)
イングリッド・バーグマン (グレタ・オルソン)
ショーン・コネリー (アーバスノット大佐)
ヴァネッサ・レッドグレーヴ (メアリー・デベナム)

        *        *        *

ミステリー作品のセオリーを逆手にとった犯人仕立ての妙技。

アガサ・クリスティの映画は推理小説のセオリーを逆手にとった犯人設定めだつ。このあとつい繰られる『ナイル殺人事件』では、もっとも犯人らしい人と描きつつ、実はそれはダミーだろうなあと思わせておいて、実はその人物が犯人だったという、これまたミステリー小説のセオリーを知っている人を欺く手段を講じていた。そしてこの作品では、犯人かもしれないという人物を多数用意しておき、実はその全員が犯人だった・・という、これまインチキくさい犯人設定をやってのけている。
まあ、サスペンスなんてものは所詮段取りが分ればあとは面白くもなんともないので、この映画も例外とはならず、犯人さがしだけしか見るところが泣く、人間ドラマをほとんど感じさせない映画だった。2度見る気にさせてくれないなあ。

<あらすじ>
1930年、ニューヨーク、ロングアイランドに住む大富豪アームストロング家の3歳になる一人娘が誘拐され、20万ドルという巨額の身代金が犯人に支払われたにもかかわらず、幼児は死体となって発見された。ショックで夫人も亡くなり、アームストロング自身もピストル自殺を遂げる。容疑者は捕まるが、証拠不十分で釈放される。
それから5年後。中近東イランの首都イスタンブール駅からパリに向かうオリエント急行の車内でアメリカ人の億万長者ラチェットが、刃物で身体中を刺されて死んいるのが発見された。前夜から降り続いていた雪で線路が埋まり、立往生して時に起きたときに起きた事件だった。たまたまこの列車にのりあわせていた名探偵エルキュール・ポワロ(アルバート・フィニー)が事件の真相をあばいていく。
関係者を尋問していくポワロ。十二人の容疑者はまったく関係ないようにみえたが、彼らはみなアームストロング家に関係を持っている人たちであり、5年前の誘拐殺人事件の時にころされた少女の家庭教師や、その夫妻の家族、当時容疑をかけらて自殺した使用人の家族たちだった。彼らは犯人である男をみつけだし、全員で結託し、その男を殺したのだった。

by ssm2438 | 2010-05-04 10:25 | シドニー・ルメット(1924)
2010年 03月 29日

キングの報酬(1986) ☆

f0009381_2118767.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:デヴィッド・ヒメルスタイン
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:サイ・コールマン

出演:
リチャード・ギア (ピート・セント・ジョン)
ジュリー・クリスティ (エレン・フリーマン)
ジーン・ハックマン (ウィルフィールド・バックリー)
ケイト・キャプショー (シドニー)
デンゼル・ワシントン (アーノルド・ビリングス)

        *        *        *

久々のルメットだ!って勢い込んで劇場に行ったら、超ボテボテのキャッチャーゴロだった・・・。

出てる役者さんたちの顔ぶれ見るとドレもこれもスゴイ。おまけに選挙戦をテーマにした映画なんて、シドニー・ルメットの“我が家の庭”のようなもの。そりゃ誰だってある程度ルメットの名前を知っている人なら期待しちゃいますよ。で、できあがったのがこれ。ひどい・・・。

主人公のリチャード・ギアが、選挙があれば自家用ジェットでそこに飛び、全米をまたにかけて一度にいくつもの選挙戦をたたかっている選挙参謀のプロフェッショナル。ありとあらゆる手段をつかって選挙民に訴え、彼が担当した候補者を当選させる。その行動派には国内だけにもとどまらない。南米の某国で占拠があれがそこにも飛び、劣勢にたっていた候補者を一気に優勢にして帰ってくる。心と体の渇きは秘書のケート・キャプショーがいやしてくれる。候補者と打ち合わせをし、「政策は・・」といいかける彼に、「そんなものは当選してから」と答え、イメージだけを作りあげていく。

その昔『候補者ビル・マッケイ』という、ロバート・レッドフォードが主演した選挙物の映画があった。その映画のなかで、レッドフォードは、地元民から愛された候補者だった。しかし選挙が進んでいくにしたがって、イメージ重視で選挙戦をしているうちに、レッドフォードのもつ本質が失われ、当選した時には「・・・で、私は何を話せばいいんだ?」というくらいに、なにもなくなってしまう悲しいお話。
それがこの映画では散文的におこなわれている。どこからどうみてもルメットのフィールドなのだが・・・、これがまったくつまらない。なぜだろう。主人公自体にカッコたる目的意識がないから、あるいは必死さがないから、はたまた勝って欲しい候補者がいなきから・・・。

by ssm2438 | 2010-03-29 21:18 | シドニー・ルメット(1924)