西澤 晋 の 映画日記

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カテゴリ:増村保造(1924)( 24 )


2012年 01月 12日

暖流(1957) ☆☆☆

f0009381_12345926.jpg監督:増村保造
原作:岸田國士
脚本:白坂依志夫
撮影:村井博
音楽:塚原哲夫

出演:
根上淳 (日匹祐三)
野添ひとみ (志摩啓子)
左幸子 (石渡ぎん)

       *        *        *

愛ってすべっからしになることなの・・・。

原作は岸田國士の同名小説で、とある私立病院における人間のどろどろを描いた作品の、何度目かの映画。世界観的には『白い巨塔』山本薩夫で撮ってほしいところだ。

増村保造は、私の大好きな監督で、ヘビーな作品としては『清作の妻』『赤い天使』<がある。その一方で、それまでドロドロで陰湿になりがちだった日本映画を、からっとあっけらっかあーーーんと描いてしまうような作品もある。野添ひとみ川口ひろしで撮った『くちづけ』などは大成功作品だろう。ほかにも『巨人と玩具』『青空娘』のように、早口・棒読み・あっけらかん路線の映画はある。増村保造はこの映画をこの路線でとってしまった。もしかしたらこの映画以前に、吉村公三郎が撮っているものとの差別化を意識したのかもしれない。ただ・・・、やっぱりこれはダークなグログロ路線撮ってほしい素材である。
今回の映画の増村保造起用はちょっと残念だったが、原作そのものの魅力で☆ひとつおまけ。
後に野村芳太郎岩下志摩で撮られた1966年のほうが見たいところだ。

それでも、志摩啓子・・・いいなああ。『明日のジョー2』白木葉子を重ねて観てしまう・・・。
志摩啓子というのは野添ひとみ演じるこのものがたりのお嬢様ヒロイン。大病院の娘で、何不自由なく暮らしていた。インテリな傲慢なキャラではあるのだが、これが極めて清楚で清らかで、たくましい。しかし感情の表現が苦手で、いつも自分の感情を抑えて生きている。この清らかさとたくましさと、不具合さがきわめて私の好きなタイプである(笑)。
その対角におかれているのが、左幸子演じる石渡ぎん。志摩啓子とは高校の時の同級生らしい。しかし、こちらは、感情をどあああああああっと出すタイプで、幸せな時は「私幸せええええええ」、不幸なときは「私不幸うううううう」、主人公の日匹(ひびき)にかまってほしいときには「かまってえええええええ」とうざいくらいに感情を放出していく。
このふたりの間に根上淳扮する主人公の日匹が存在し、志摩啓子にあこがれながらも、最後は石渡ぎんとひっつくという話。この物語が抜群に面白いのは、この<人並み以上に感情を押し殺す女>と<人並みに感情を制御する男>と<人並み以上に感情を表現する女>の絡み合いが面白いのだ。

日匹祐三に一目ぼれした志摩啓子だが、日匹祐三のあまりに自身のある態度が鼻につき、彼を直接求めることが出来ない。そんな啓子は、志摩病院の若手で有望な医師・笹島と接近、する。しかし、これら全ての行為はどこか日匹祐三への“かまってかまって信号”だったのだろう。笹島から結婚を申し込まれても、どこかうけいれられない啓子。
志摩病院の業務改革を任されいる日匹祐三は、啓子の高潔さに惹かれながらも、内部情報に詳しい看護婦の石渡ぎんとの接点をもつようになる。ぎんは日匹祐三に頼まれて、彼のために働くことに幸せを感じている。

憧れの女性に心奪われながら、一緒にいて居心地のいい女性と行動をともにする。

恋愛ドラマの王道である。
日匹祐三はぎんの存在がうざくなり、さらに笹島に愛人があることが発覚、啓子が彼との婚約を解消すると、自分の心をおさえられなくなり、啓子に結婚を申し込む。しかし啓子はこれを拒否。日匹祐三のあたかも保護者のようにふるまうその態度がどうにも鼻につくのだ。
それからひともんちゃくあり、結局日匹祐三と石渡ぎんがおさまるところにおさまる。物語の最後で、啓子が祐三に自分の心を伝えたときには、すでに祐三の心はそこにはなかった・・・。


しかーし!
このドラマのカッコいいのは、このあとの啓子なのである。
祐三にぶつけた自分の愛情を拒否されてからの去っていく彼女の後姿、そしてそのあと母とかわす一連のやりとり。この啓子をみせるためにいままでの全てがあったといっても過言ではない。それはまさに『風と共に去りぬ』ヴィヴィアン・リーのような気高さである。このシークエンスだけで、この映画は私のなかではとても大事に映画になってしまった!!!!
おおおおおおお、美しい。潔い。志摩啓子、まさに私の大好きなヒロイン像である。

この高潔さを選ばずに左幸子にいってしまう主人公ってアホとしか思えん。
野添さん好きです~~~~~。


<あらすじ>
志摩病院は都内でも屈指の私立病院であるが、莫大な借金を抱えていた。病院を手放せばその借金は返せるのだが、創立者の志摩泰英には耐え難い選択だった。そんな病院の建て直しを任されたのが日疋祐三(根上淳)だった。祐三は孤児であり、志摩家の援助を受けて大学を卒業し、事業家として頭角をあらわしていたのである。
さらに泰英は自分の余命がいくばくもないことを知っていた。そんな彼が気にかけているのが娘の啓子(野添ひとみ)のことである。せめて命のあるうちに啓子に結婚相手がみつかることを願っていた。そしてまもなく院内でも秀才で通る青年医師・笹島と付き合うようになり笹島からプロポーズを受ける。
しかし、啓子にはきになる男がいた。父の泰英から志摩病院と志摩家の資産の正常化と管理を任された日疋祐三である。祐三の強引なまでの経済管理は、院内だけでなく志摩家の生活にも容赦はなかった。しかし、与えられた仕事を無慈悲に成し遂げていく祐三に啓子もすくなからず魅了されていった。
やがて志摩泰英は急逝した。っそれでも病院は祐三によって経営の一新がすすめられいく。泰英の一人息子だが、無能な医師・志摩泰彦(船越英二)も病院から追放され、彼をかついでひそかに病院ののっとりを狙っていた派閥も解体されていく。
周りは敵ばかりの祐三に協力的だったのは看護婦の石渡ぎん(左幸子)だった。しかし祐三は彼女の好意を押し付けがましく感じ始めていた。
一方祐三は、志摩家の財産を守るための一環として、啓子の婚約者・笹島の素行調査を行うが、笹島には女性関係があった。祐三はそれを啓子にありのまま伝えたが、かえって軽蔑されてしまう。笹島の愛人宅をたずねる啓子。そこにはおくすることもない愛人が啓子を迎え入れ、笹島もそこに現れる。しかし、彼もまた、おくすることなく、「自分には愛人がいるが、それでも啓子と結婚したい」と言う。
啓子は笹島との婚約を解消した。
祐三は関西の資本家を動かすことに成功、新院長も決定し、彼の仕事もそろそろ終局に近づいていた。
そしてそれぞれの恋愛事情も結末に向かっていた・・・。

by ssm2438 | 2012-01-12 12:42 | 増村保造(1924)
2011年 09月 20日

華岡青洲の妻(1967) ☆☆☆☆

f0009381_1453551.jpg監督:増村保造
原作:有吉佐和子
脚本:新藤兼人
撮影:小林節雄
音楽:林光

出演:
若尾文子 (妻・加恵)
高峰秀子 (於継)
市川雷蔵 (雲平=華岡青洲)

       *        *        *

猫が・・・・猫が・・・・。
その猫・・・、どこまで本当なのですか?


増村保造の映画の中では『清作の妻』『赤い天使』『陸軍中野学校』が好きなのですが、その次といえばこの『華岡青洲の妻』でしょう。嫁と姑の水面下の壮絶な争いの話なのでが、正直なところ男はあまり見たいという感情がわかない、というか見たくないという部類の映画です。なので「良い」とは聞いていたのですがずっと放置してあった映画。ついに見てしまいました。
・・・・しかし、あいかわらずこの2人(増村保造&新藤兼人)が組むと壮絶ですな。

華岡青洲は江戸時代後期に実際に存在したお医者さん。文化元年10月13日(1804年11月14日)、全身麻酔手術に成功している。西洋での全身麻酔手術は、1846年にアメリカで行われた、ウィリアム・T・G・モートンによるジエチルエーテルを用いた麻酔の手術であるが、これよりも40年も早いことになる。
前身麻酔にいたるまでは、犬や猫の動物実験をおこない、その後この映画のなかにあるような人体実験をしたのち、実際に全身麻酔の手術がおこなわれる。この映画のなかでは、母と妻がその人体実験の被験者として申し出るが、本人自身も自分に投与していたようである。また、文献によれば、近親者も被験者として申し出た人がいたという。

物語の中核をなすのが、この嫁と姑との水面下の争いなのだが、この描写がなかなかスゴイ。2人とも対外的な面子をたもちつつ、自分の存在意義のために熾烈な心理戦を繰り広げている。
これはほとんど星一徹星飛雄馬との対決のようでもある。なんでも星一徹の背番号84の意味は、星飛雄馬の背番号16と足すと100になる。父が息子を飲み込み100になるか、それとも息子が父を飲み込み100になるか・・・、それがゆえに星一徹が望んでもらった背番号だという。この物語もまさにそのような感じである。

物語は冒頭からなかなかぎょお!!である。
加恵(若尾文子)を嫁に欲しいといって彼女の実家をたずねたのは雲平(華岡青洲のこと)の母、於継(高峰秀子)であった。しかし本人は京に修行にでており、本人不在のまま結婚式が行わる。白無垢の加恵の隣には華岡家の医学書がつんでる。そのなかで、雲平の父が家族の構成を説明したり、「華岡家がいかにすごい」かということをえんえんと語る。加恵が雲平(市川雷蔵)と会うのはそれから1~2年してからなのだ。しかし、だからといって加恵が不幸だったかといえばそうではない。むしろ一番幸せだった時間がこの次期だったかもしれない。実は雲平の母、於継こそが、加恵の幼き頃からの憧れであり、姑と一緒にいられることが加恵の幸せでもあった。しかし、雲平が還って来て、加恵が息子と床を一緒にするようになってからは於継の精神状態が変化してくる。

そしてぎょぎょおおお!!とするのが猫。麻酔薬をつくるために猫があっちこっちからもらわれてきては、無理やらに試薬を飲まされ、二度と起きないまま土に埋められていく。死んでいる猫の描写は、投薬されてらりってる猫の様子などけっこう痛々しい。さらに投薬され、眠っている猫のはらにメスを突きさせしてみる。ぎゃあっと暴れだす猫。「まだ効いてなかったか・・・」と残念がる雲平。このあたりもちょっと目をおおいたくなる。ホントにやっちゃってるかもしれない・・と思えてしまうシーンなので、けっこう肌寒いものを感じる。どこまでリアルなのかは不明だが、演出ならスゴイ。本当ならかなり嫌悪感を感じる。

良くも悪くも増村保造であった。

by ssm2438 | 2011-09-20 14:56 | 増村保造(1924)
2011年 09月 05日

ある殺し屋(1967) ☆☆

f0009381_62575.jpg監督:森一生
脚本:増村保造/石松愛弘
撮影:宮川一夫
音楽:鏑木創

出演:
市川雷蔵 (ある殺し屋・塩沢)
野川由美子 (圭子)
成田三樹夫 (前田)

        *        *        *

人のいい殺し屋の話

世間では絶賛してるひともいるのだけど・・・、個人的にはもうちょっとシリアスにしてほしかったかなあ。市川雷蔵野川由美子成田三樹夫で2億円相当の薬を奪い合うことになるのだけど、野川と成田の2人は市川雷蔵をはめようとしてる。その結果殺されそうになるのだけど、そこはそれ、最後には分け前も渡してあげるという・・なんちゅう人の良さ。市川・殺し屋・雷蔵がやたらと人情ある殺し屋さんで、とんかく人がいいんだ。裏切り者はすっぱり始末してほしいものだけど・・、まあ、展開的にはそんなに冷淡な話でもないし、こんなんでいいのかなとも思うけど・・・、いい時代やったね(苦笑)。

しかし、市川雷蔵は殺し屋家業をやってるけど、普段は小料理屋の店主という・・、仕掛け人梅安みたいな設定だけど、シリーズものとしたらいいのかもしれないけど、単発ものの設定じゃないなあ。

<あらすじ>
ふだんは小料理屋『菊の家』の主人だが、裏の顔は殺し屋だという塩沢(市川雷蔵)。そんな菊の家に圭子(野川由美子)という女が住み込んでしまう。
そんなところへ、暴力団木村(小池朝雄)から、競争相手のボス大和田を殺してほしいと依頼があった。ボディガードに守られた大和田だったが、パーティに芸人として潜りこんだ塩沢は大和田をさくっと殺した。塩沢に惚れこんだ、木村組幹部前田(成田三樹夫)は、塩沢に弟子入りを頼んだが相手にされない。前田は圭子から手なづけようと、強引に圭子と関係を結んだ。
塩沢、前田、圭子の三人は、大和田組から二億円の麻薬を横取りする計画をたて、見事に成功させる。しかし、圭子と前田は塩沢も殺して彼の金も盗もうという計画だった。しかし、裏切りを予想していた塩沢は前田の拳銃の弾を抜いていた。愕然とする前田に、塩沢は約束通り麻薬を三等分して去っていった。
初めて本当の男の気持にふれた前田は、麻薬も圭子も捨てて塩沢の後を追っていくのだった。

・・・ははは、なんだかじつに甘々な展開である。こいうのがまかりとおった時代だったんだなあ。実に心の広い殺し屋さんだ。

by ssm2438 | 2011-09-05 06:02 | 増村保造(1924)
2011年 04月 18日

清作の妻(1965) ☆☆☆☆☆

f0009381_11321126.jpg監督:増村保造
原作:吉田絃二郎
脚本:新藤兼人
撮影:秋野友宏
音楽:山内正

出演:
若尾文子 (お兼)
田村高廣 (清作)
小沢昭一 (兵助)

        *        *        *

理性と感情の戦いに感情を勝利させる増村保造、怒涛の村八分・エゴイズム崇拝・ラブロマンス映画。

この『清作の妻』をみていると、いつも思い出す言葉がある。それはもっとも分り易い実存主義の入門書、リチャード・バック『ILLUSIONS』のなかの言葉だ。

Your conscience is the measure of the honesty of your selfishness. Listen to it carefully.
(良心とは、あなたが自分のエゴにどれだけ忠実かを測る尺度にほかならない。注意して聞くべし)

※手元にその本がないので多少の言葉遣いは違うとは思うが・・。
  ちなみに、辞書でひくと、conscience とは「良心」「善悪の判断」ということになっている。


この映画の時代背景は明治時代の末期、日清戦争の勝利した日本は、朝鮮半島と満州の支配権を求めて持する南下するロシアとの戦争に備えていた。富国強兵の風潮に沸き立っているのは、田舎の村とて同じであった。
村一番の模範青年である上梶清作(田村高廣)が除隊し、故郷の村に帰ってくると、お祭り騒ぎで迎えられた。清作はつねに、世間での一般的に思われている「こうあるべき人」を演じ続けてきた青年だった。軍隊でも危険な任務に志願し、模範兵として尊ばれ、連隊長と県知事から賞状を受け、その報奨金で釣鐘を購入、朝になるとその鐘を叩き、惰眠をむさぼる村人たちをたたき起こしてしまう。そんな行為は本来うとんじがられるものだが、彼の性格の良さと道理を通す彼の誠実さのおかげで、村人たちは清作=青年の鏡として捉えるようになっており、誰もが清作を尊敬していた。

そんな清作の打ち鳴らす鐘にも、惰眠をつづける女がひとりいた。彼女の名はお兼(若尾文子)。お兼は、
病身の父を抱えた一家の生計を支えるために、六十を越えた呉服問屋の老人の妾となり、慰み者となっていたが、その老人が死に、遺言にもとづき千円の財産を与えられた。しかし父は病死、夫を失った母は、故郷の村に帰りたいといい、お兼もそれについてきたのだった。しかし、借金をかかえ逃げるようにしてその村を出ていき、妾となって手切れ金を手にして、そして帰ってきた母と娘を村の者たちは快く受け入れなかった。

「あんたのとこには鐘がきこえんようじゃのう」という清作に、
「あんまりずにのらんほうがいいよ。あたしら、あたしらで生きとるんじゃ。
 あんたの号令で生きとるんじゃない。模範青年面すんな!」ときっぱりと言い返すお兼。

そんな「(世間が言う)こうあるべき人」の清作と、「(自分が思う)こうあるべき人」のお兼が、お兼の母の死をきっかけに惹かれあっていく。


私がドラマ作りの勉強をしたなかに、川辺 一外 (著)、 『ドラマとは何か? ストーリー工学入門』 (映人社シナリオ創作研究叢書) という本がある。シナリオを書くときの基本思考を指南した本だが、自分の人生観にもおおきな影響をあたえてくれた本だった。これら小説家やシナリオライターを目指す人にはぜひとも読んでもらいたい本のひとつだ。
そのなかに、理性・知識=<自分の中の他人>として提示してある。我々は子供のころから「こうすべきである。そうしなければいけない」という社会的なルールを親や、学校の先生からすり込まれて育ってきた。しかしこれらはすべて、結局は他人の言葉であり、自分に属するものというのは、自分の感情以外にはない。著者は、ドラマ作りとは、主人公の感情を、成し遂げさせていくものだという基本姿勢を強く指し示している。そしてこれは、ドラマ作りだけではなく、それぞれの人生のシナリオにも言えることだろう。
この『清作の妻」 といいう物語がこれほどもまでに、雄弁なドラマを語るのは、この<自分の中の他人>に支配された清作と、<自分の中の自分>を決して譲らないお兼のメンタル金網デスマッチを展開しつつ、しかもそれが、恋愛というは<なれられない人間関係>という基本願望の支配下で展開され、さらに求め合う二人が、それを取り囲む<村>という社会的因習に対して、それぞれの存亡をかけた<個>と<全>の戦いもおよんでいる。それがこの映画の最大の魅力だろう。

世間では「反戦映画としてこの映画をとらえる向きもあるが、個人的にはそんな意味はほとんど感じない。それはあくまで、物語がおかれている状況下の環境描写であって、この映画の本質ではない。

なお、脚本は新藤兼人だが、この人が書くと普段は記号的な傍若無人さになるのだが、この映画に関してはもっと人間的な感情に流動性がある物語になっている。これは多分原作の良さなのだろう。監督の増村保造の潔い演出術と、新藤兼人の脚本と、吉田絃二郎の原作とがそれぞれの個性を出しすぎず、あるいはいい感じで打ち消しあって、実に絶妙のバランスで統合されたのがこの『清作の妻』という映画なのだ。

<あらすじ>
一家の生計を支えるため、六十を越えた老人に囲われていたお兼(若尾文子)は、その老人の死後、手切れ金をうけとり故郷の村へと戻ってきたが村八分にされている。一方、村一番の模範青年清作(田村高廣)も除隊し村へ戻ってきた。お兼の母が病に倒れると、清作は医者のもとに走り、医者を連れてくる。しかし既にお兼の母は死んでいた。清作の尽力で無事葬式を終えることが出来たが、用意した酒は誰も飲むことなくお兼を家をさっていた。清作も帰ろうとするが、「感謝の気持ちをくんでほし」というお兼の言葉にひとり残って酒を飲む。そして二人は惹かれあっていき体をあわせるようになる。
二人の結婚は村人の敵視の中で行われ、清作は家を捨ててお兼の家に入った。お兼もそれまでの彼女とはうってかわり、野良仕事に精を出すようになり甘く充ち足りた日々がつづいた。しかし日露戦争が勃発、清作は再び召集され村を出て行く。残されたお兼は孤独と冷やかな周囲の目の中で生きていかねばならなかった。
そして半年がたった。名誉の負傷をした清作は送還され、傷がいえる間村に戻ることが許された。英雄となった清作を村の人々は歓迎した。村の人たちが帰ると、清作とお兼はお互いをむさぼりあった。しかし、再び出兵する日が近づくにつれてお兼の孤独への恐怖は再びふくれあがっていく。出発の時間が迫り、お兼と清作が二人になった時、お兼は五寸釘で清作の両眼を刺した。
「お兼はどこじゃあ、殺してやる~~」と血まみれでのたうちまわる清作。半狂乱のお兼は村の人から袋叩きにされ、警察に連行されていった。清作は視力を奪われただけではなく、戦争にいきたくないから夫婦で共謀してやったとののしられ、模範青年の栄光は失墜、非国民呼ばわりされるようになる。
そして2年の月日がたち、お兼が刑期を終えて村へ戻って来る。「お前が望むなら、あの女は村へは入れんぞ」という役場の人たちに対し、清作は意を決したように「お兼はわしの女房じゃ、生かすも殺すもわしの勝手じゃ」と冷たく云うのだった。そしてそんな清作のもとにもどって来るお兼。

「目をつぶされようが、殺されようが、気の済むようにしてほしい。私は一生分も二生分もあなたに可愛がられた。もう思い残すことはない」というお兼。
一度はお兼のクビに手をかけ締めようとするが、出来ない清作。
「村ももの達は、お前はアバズレ、わしは卑怯者といい、一生許すことはないじゃろう。しかし誰も知らんよその土地に行ったらわしらの負けじゃ、わしらは一緒ここに居るんじゃ! ここで生きるんじゃ。お前とならそれに耐えられる」とお兼を抱きしめる清作だった。

by ssm2438 | 2011-04-18 11:32 | 増村保造(1924)
2011年 02月 27日

からっ風野郎(1960) ☆

f0009381_6355830.jpg監督:増村保造
脚本:菊島隆三/安藤日出男
撮影:村井博
音楽:塚原哲夫

出演:
三島由紀夫 (朝比奈武夫)
若尾文子 (小泉芳江)
川崎敬三 (小泉正一)
船越英二 (愛川進)
志村喬 (平山吾平)

        *        *        *

あの三島由紀夫は映画にもでていた!

さらに、主題歌も自分で作詞、歌っていた。おおおおおおおお!!!???
監督の増村保造は東大法学部時代に三島由紀夫と知り合っていた。それが二人の付き合いのはじまりらしく、その後『音楽』でも三島由紀夫原作の作品を映画化している。しかし・・、増村保造と三島由紀夫が物語りの作り手として、調和するかといわれるとかなり疑問である(苦笑)。

この作品は、三島由紀夫が主演した、一応ヤクザ映画(・・なのかな)。ただ、東映のヤクザ映画のようなまじめさではなく、かなりテイストとしては軽めだ。三島由紀夫のファンで、そのお姿を一度は見ておきたいという人には価値があるかもしれないが、この映画自体はかなりつまらない。
作品の中ではヤクザ同士の抗争のなかで、何人かが死ぬのだが、そこの登場人物には撃たれて死ぬという緊張感はまるでない。ややコメディ振りのヤクザ映画だろう。こういうヤクザ映画を見たい人がいるのかどうかかなり疑問だ。

<あらすじ>
朝比奈武夫(三島由紀夫)は、刑務所のなかでも、反目する新興ヤクザ相良商事の社長相良雄作に命を狙われている。刑期を終えて出てきた武夫の根城は映画館コンパルだった。そこで新しい「もぎり」の芳江(若尾文子)に会った。相良商事とすったもんだがありながらも(かなりほほえましい抗争)、武夫は芳江を抱くようになる。彼女から妊娠したと聞いた時不思議にも武夫は芳江に愛情を感じたのだ。堕ろせといっても芳江はきかない。相良雄作は芳江の兄を監禁して抵抗した。芳江の身に危険を感じた武夫は、九州の田舎へ身をかくすよう勧めた。東京駅へ芳江を送って行った武夫は、生まれてくる子供のための毛糸を買いに、下のデパートに走った。その武夫を一弾が襲った。

by ssm2438 | 2011-02-27 06:36 | 増村保造(1924)
2011年 02月 27日

氷壁(1958) ☆☆

f0009381_518091.jpg監督:増村保造
原作:井上靖
脚本:新藤兼人
撮影:村井博
音楽:伊福部昭

出演:
菅原謙二 (魚津恭太)
山本富士子 (八代美那子)
野添ひとみ (小坂かおる)
川崎敬三 (小坂乙彦)

        *        *        *

なんで美那子は若尾文子じゃなかったんだろう・・?? 

野添ひとみは相変わらず可愛い!
・・しかし、めずらしく相方の川口浩が出てない(苦笑)。

原作は「美しい日本語」で知られる井上靖の同名小説。奥穂高の難所に挑んだ小坂乙彦(川崎敬三)は、ザイルが切れて墜死する。一人帰ってきた魚津恭太(菅原謙二)は、自殺説も含め数々の臆測にさいなまれる。雄大な自然と都会の雑踏を照応させつつ、恋愛と男同士の友情を描いたドラマ。

原作をよんでいるわけではないが、原作ほどの良さはだせなかったのではないだろう。山のシーンがセットなのでつらい。『劔岳 点の記』のようなホントの雪でみたかった。増村保造の映画にしては、内容的にもきわめて普通のドラマになってしまっている。
私が思うに、キャスティンがはずしていたような気がした。まず、二人の男のマドンナとなる八代美那子役の山本富士子がどうにも美しくない。当時は人気があったのかもしれないが、少なくとも私がみるぶんにはちょっと小デブなおばさんといった印象で、この時点でどうにも物語りにはいってきけなかった。
そして野添ひとみ。当時としてはありえないほど可愛い人だが、死んだ小坂の妹・かおるという女は、主人公の魚津を好きであり、自分のものにしようとしている、なかなかしたたかな女。野添ひとみでも悪くはないが、どうしてもこの人だと「健康的な明るい女性」というイメージが先行してしまうので、これも登場人物と合わなかった。この女性人のキャスティングの失敗が映画全体に失敗感を匂わせてしまったような気がした。

音楽は『ゴジラ』伊福部昭

<あらすじ>
穂高の北壁にしがみついて吹雪と闘っていた魚津恭太(菅原謙二)と小坂乙彦(川崎敬三)。しかし、ナイロン・ザイルが切れ、小阪が墜落死する。小坂の死が他殺か自殺かという世論が沸き起こり、苦境へと追いこまれた魚津。ナイロン・ザイルの衝撃実験が、ザイルはどんな過酷な状況でも切れなかった。
衝撃実権を行ったのは八代教之助(上原謙) であり、彼の妻・八代美那子(山本富士子)は。かつて小坂の恋人でもあった。無責任なスキャンダルがうす膜中、彼女をかばおうとする魚津は、次第に美那子を慕うようになっていった。一度断念された小坂の死体捜索が再開され、それには小坂の妹かおる(野添ひとみ)も加わった。かおるは魚津を慕っていた。愛してはいけない美那子への思慕を清算し、かおると結婚しようという意志を固める魚津。彼は再び一人で山へ登っていた。
小屋では、魚津の還りを待つかおる。しかし魚津の予定の時刻になっても彼は現れなかった。捜索隊が冷たくなった魚津を発見した。かおるは再び愛する人の遺骨を胸に、故郷へ帰らねばならなかった。
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by ssm2438 | 2011-02-27 05:19 | 増村保造(1924)
2011年 02月 20日

積木の箱(1968) ☆☆

f0009381_2102938.jpg監督:増村保造
脚本:池田一朗/増村保造
撮影:小林節雄
音楽:山内正

出演:
内田喜郎 (佐々林家の長男・一郎)
内田朝雄 (佐々林豪一)
松尾嘉代 (佐々林家の長女・奈美恵)
梓英子 (佐々林家の次女・みどり)
若尾文子 (パン屋の川上久代)
緒形拳 (杉浦悠二先生)

        *        *        *

60年代後半の大映映画はエナジーをうしなってしまっている。

やっぱりこれは大映自体がかなり破綻しかけていたころで、明らかに制作費のなさが如実に画面にあらわれている。なんとか増村保造の見せ方でどろどろな世界を描こうとしても、やはりセットがろくに組めなくなっているなあっていう限界を感じる。
映画作りというのは結局セットを組んで、欲しい画が撮れない場合は、壁をとりはずしてその奥からカメラをいれられるものだが、あるもののなかで撮影するとなかなかそういうわけには行かない。
映画自体は、きちんと取れていればまあまあ面白そうだったけど、でも、『赤い天使』とか『清作の妻』のころの怒涛の増村保造イズムはあまり画面から伝わってこない。そう、覇気がつたわってこない。時間と余裕とお金があればとってもいい映画になったのに・・とおもわれる悔しい映画だ。
しかし、ドラマ自体はかなりのぐろぐろであり、大映テレビでやったらきっと受けただろう。どろどろ大映は良かった。

<あらすじ>
北海道の観光王・佐々林豪一(内田朝雄)は、長女の奈美恵(松尾嘉代)、次女のみどり(梓英子)、そして長男の一郎(内田喜郎)がいたが、奈美恵はおさないころ豪一にひろわれた娘であり、血がつながっていなかった。そして今では父の愛人になっている。
そんな人玄関系のすさんだ家庭にいてこころがささくれだっている一郎にとって、唯一心がいやされる人といえば、毎日パンを買う店の久代(若尾文子)だった。
奈美恵は一郎をからかい半分に挑発してくる。一郎はみどりに、奈美恵を父から奪うと宣言し、それから間もなく、挑発してくる奈美恵を抱き、彼女に二度と父と寝ないと約束させたのだ。しかし、豪一と奈美恵の部屋はある仕掛けで、ドアがつながっていた。奈美恵が一郎だけの女になるはずもなかった。そのことを問い詰めると奈美恵は、一郎の憧れの女性久代もまた豪一の女だという過去を話す。久代が豪一の秘書だった頃暴行を受け、息子・和夫を生んだことを知った。
豪一を許せなくなった一郎はナイフを手にして父に迫ったが殺せない。その夜一郎は父の名を汚すため、学校に放火した。宿直の杉浦先生(緒方拳)は、現場に落ちていた帽子から、犯人が一郎だと判ったが沈黙をとおし、責任をとって辞職した。豪一も一郎の仕業と察してみなに否認するよう厳命した。だが、みどりは一郎に自白するように言い、虚飾にみちた佐々林家から出ていった。
一郎は、当夜杉浦の許にいて火傷した和夫を見て、良心の呵責に駆られ、豪一の面前で警察へ自白の電話をするのだった。

by ssm2438 | 2011-02-20 02:10 | 増村保造(1924)
2010年 07月 06日

黒の試走車(テストカー) (1962) ☆☆☆

f0009381_02373.jpg監督:増村保造
脚本:舟橋和郎/石松愛弘
撮影:中川芳久
音楽:池野成

出演:
田宮二郎 (朝比奈豊)
高松英郎 (小野田透)
叶順子 (朝比奈の恋人・昌子)


       *        *        *

記念すべき『黒のシリーズ』第一作!

とはいえ、このシリーズがむちゃくちゃ面白いかと言われるとそうでもないのだが、この映画の時代高度経済成長の人間のバイタリティを見せてもらえるからけっこう好きである。今の経済をみてると、あんなになにもあもがぎらぎらして生きられた時代というのはとても幸せだったのだろう。・・そう!この映画の素晴らしさ、登場する人間の、あのぎらぎら感なのだ。
きっと今の中国ではこのようなことが横行してるのだろうなあって思った(苦笑)。

第一作の自動車会社の企業スパイをテーマにした映画。それだけ、わくわくする。そして監督が増村保造というものをもあり、どうしてもそれ以前の『陸軍中野学校』を思い出してしまう。この映画を見ている間も、なぜかしらあの続きかなって(まったくそんなことはないのだが)、なんとなくそんな雰囲気を楽しみながら見ている自分がいた。
しかし田宮二郎に節操がない。それが映画全体の印象にマイナスポイントになってるような気がする。結婚を餌に、彼に惚れてる(一応恋人の)昌子を相手の寝床に送り込むのはどうなん??って思ってしまう。その結果販売競争に勝利するタイガー自動車だが、最後は、「やっぱりこんなのもう出来ません」って辞表を提出、彼女のもとに戻る・・ってくだりがどうも軽い。女も女で、結婚したいがためにそんなことまでするんか??って感じだった。

余談だが、車体を黒いカバーで覆われたまま走る試走車がなんとも不気味でいい。まるで『ザ・カー』の不気味な雰囲気も持っている。でも悪魔はやどってないけど・・(苦笑)。

<あらすじ>
テスト走行中の覆面車がカーブを切ったとたんコースアウト、横転して炎上した。自動車業界紙は、「タイガー試作車炎上、新車生産計画挫折か?」などと書きたてた。タイガー自動車では、試作車パイオニアのテストが事前に洩れ、写真まで撮られたことが問題になった。産業スパイの可能性を感じるタイガー自動車は、小野田透(高松・鬼車・英郎)に指揮をとらせ、社内に入り込んでいると思われるスパイの詮索を開始する。
小野田は、朝比奈(田宮二郎)らに指示を出しヤマト自動車の馬渡をマークする。ヤマト自動車の企画部長・馬渡(菅井一郎)は女癖が悪いのを知り、朝比奈は自分の恋人・昌子(叶順子)を馬渡に接近させる。資料を集めた結果、ヤマトでも秘密裡にスポーツ・カーを製作中であり、しかもタイガーがイタリアのデザイナーに依頼して作らせたデザインまで盗まれていることが判った。
ヤマト自動車とタイガー自動車の間の企業戦争は、価格の競争に焦点がうつった。山と自動車の会議室がのぞける向かいのビルのトイレからカメラでその内容を撮影し、読唇術のできるおばさんにたのんでその内容を解読、販売価格はわからないが、タイガーの販売価格はヤマトに筒抜けだということがわかった。
朝比奈は、結婚を餌にし、嫌がる昌子を馬渡のホテルに送り込む。昌子は価格競争の情報を盗み出す。価格競争に勝利しるタイガー自動車。
しかし、販売された新車のパイオニアが踏み切りでエンコし、それに急行列車が衝突する事故がおきる。タイガーは苦境に追い込まれた。まだ企業内にスパイはいる。朝比奈は、社長の娘の婿養子である、平木企画第二課長にたどり着く。かれは浮気現場を馬渡に知られてしまい脅されていたのだ。馬渡は列車妨害の罪に問われ、ヤマトを辞任し事件は解決した。パイオニアの売れ行きは上昇した。企画第一課長の内定をうけた朝比奈だったが、会社に辞表を出すと傷心の昌子のもとへ走るのだった。

by ssm2438 | 2010-07-06 22:33 | 増村保造(1924)
2010年 07月 05日

黒の超特急(1964) ☆

f0009381_22594273.jpg監督:増村保造
原作:梶山季之
脚本:増村保造/白坂依志夫
撮影:小林節雄
音楽:山内正

出演:
田宮二郎 (岡山県の不動産業者・桔梗敬一)
藤由紀子 (財津の秘書・田丸陽子)
船越英二 (新幹線公団専務理事・財津政義)
加東大介 (東亜開発社長・中江雄吉)

       *        *        *

ぎゅうちゃん、カッコいい!!

黒のシリーズ第11作である。このシリーズは第一作目の『黒の試作車(テストカー)』に始まり、日本の高度経済成長の裏あるダークな部分をテーマに映画がつくられている。なので映画そのものはそんなに面白くなくても、なぜは惹かれる要素はあるのだ。とかいっても、私がみたのは増村保造のやった最初と最後のこの2本だけなのだけど。
しかもこの頃の大映は制作のテンポが早い。第一作が公開されたのが1962年7月(私が生まれた年である)。この最終作品が1964年10月。この2年間で11本ものサスペンスものをつくっているのである。ほとんど土曜ワイド劇場とか火曜サスペンス劇場のようなのりで、月に1~2本、2時間ドラマをつくりつづけたわけだ。たぶんそのくらいのキャパはあったのだろうが、このペースで映画がガシガシとられるというのもいい時代だ。

この映画、新幹線が岡山の何処を通るかということで、その前に情報を手に入れそのあたりの土地を買いあさり、新幹線が着工する時に高値で国にかいとってもらおうというもの。ただ、一作目ほどのどきどきわくわく感はなかったかな。ただ、やっぱり地元が舞台だとちょっと嬉しい。
しかし、映画自体は今ひとつ燃えなかった。やはり主演田宮二郎演じる主人公の男がいまいちしょぼいところがこの映画の最大のネックのようなきがする。
一方、悪党を演じたぎゅうちゃんこと加藤大介がなんだかとても印象深い。ちょこちょこ脇役では出てくるのだが、個人的にインパクトを感じたのは成瀬巳喜男『おかあさん』とこの『黒の超特急』かな。

<あらすじ>
岡山県の不動産業・桔梗敬一(田宮二郎)を、東京の“東亜開発社長「中江雄吉」と名のる男(加東大介)が訪れる。中江は、自動車工場用地としてこのあたりの土地を、細長く買いたいというのだ。そして桔梗には坪あたり百円の手数料を出すという。中江は桔梗との取り引きを終えて東京に帰った。
半年して桔梗は、中江の買収した士地に第二次新幹線が走ることを知った。そんころ株で大損していた桔梗は、中江に500万の融資をもとめて東京にでたがあえなく断られた。それをきっきっかけに中江の裏工作を調べ始める。
調べていくうちに、新幹線公団専務理事財津政義(船越英二)から、その情報を引き出したことがわかってきた。中江が古美術愛好者であることを利用して財津に近づくと、当時、財津の秘書をしていた田丸陽子(藤由紀子)をあてがい、その秘密を財津の義父で憲民党の実力者工藤に話して、三星銀行から大金を融資してもらったのだと話した。
重大な証人陽子を味方につけた桔梗だが、中江は陽子を殺してしまう。中江に面会を求めた桔梗は、ウソぶく中江にテープを聞かせ、警官が押入ってくる。中江は取り調べに対して、一切の汚職事件の全貌を話した。

by ssm2438 | 2010-07-05 23:01 | 増村保造(1924)
2010年 07月 05日

青空娘(1957) ☆☆

f0009381_2243425.jpg監督:増村保造
脚本:白坂依志夫
撮影:高橋通夫
音楽:小杉太一郎

出演:
若尾文子 (小野有子)
菅原謙二 (高校の恩師・二見)

       *        *        *

おお、まさに昔の少女漫画そのもの! 里中満智子あたりの漫画を思い出してしまう。

普通にけろけろって見られる映画。私の好きな増村保造の初期の作品だが、特にコメントすることのない映画でもある。まあ、悪くはないかなって感じの映画。

高校卒業まで伊豆の里親にあずけられていた小野有子(若尾文子)だが、その里親が死んでしまい、東京の小野家で引き取られることになった。しかし有子は小野家のなかでは妾の子であり、風当たりはすこぶる良くない。そんな家庭環境の中、いじめられつつも、自分の本当の母親を探して明るく強く生きていく女の子の話。

実にこてこての定番ストーリーで、今となっては誰も使わない話だが、57年の日本ではやっぱり定番でグッド!だったのだろう。全編通して暗さもなく、とてもさわやかに見られるので、後味も悪くない。でもそれだけって話でもある。最後は高校の時の恩師二見(菅原謙二)とくっつけても良かったのに・・と思うが、大人の節度というものなのかな・・。しかしまさかそちらとひっつくことはないと思っていた長女の彼氏・広岡となにげにくっつく感じで終わったのが、その線をまったく予期もしていなかったのでちょっと違和感を覚えた。その路線で行くならどこかでぐぐっとくるムーディで、なおかつその結末を納得できる前段階をしっかり構築してほしいものだ。

<あらすじ>
伊豆の里親に死なれ、東京の小野家にひきとられた有子(若尾文子)は、妾の子供だった。小野家を訪れた日、彼女の父親は出張中で、義母にはつめたくされ、小さな女中小屋を与えられた。味方は女中と出入りの魚屋だけだった。しかしそんな環境下で、すこしづつ人望を獲得していく。
中学生の弘志とは、さわやかなケンかを交えると仲良くなり、卓球では長女・照子のボーイフレンド広岡(川崎敬三)を破り、彼から好意を持たれはじめる。
出張から帰った父・栄一は有子にはやさしい。有子は、母の話を聞き行方不明の母を探そうと決心する。一方、有子に惚れた広岡に求婚された有子だが、照子は有子を泥棒よばわりされ家を出る。
伊豆に帰った有子は、恩師の二見(菅原謙二)を囲んでクラス会。教え子の女の子たちにさんざんいじられる二見はうらやましい限りだ。
広岡や二見の協力で有子は実の母に会うことが出来たが、小野の父親が倒れた。有子は尻ごみする母を連れて小野家を訪れた。栄一の臨終間際の心ある言葉に、家族達はすべてを水に流して和解することができた。いつの間にかひそかに有子に想いを抱いていた二見も、淋しい気持をふり払って有子と広岡の将来を祝福してやるのだった。

ああ、実にこてこてであった。

by ssm2438 | 2010-07-05 22:13 | 増村保造(1924)