主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。


by ssm2438

カテゴリ:木村大作(1939)( 22 )

f0009381_2272230.jpg監督:阪本順治
原案:湊かなえ『二十年後の宿題』
脚本:那須真知子
撮影:木村大作
音楽:川井郁子

出演:
吉永小百合 (川島はる)
森山未來 (鈴木信人)
満島ひかり (戸田真奈美)
勝地涼 (生島直樹)
宮崎あおい (安藤結花)
小池栄子 (藤本七重)
松田龍平 (松田勇)
柴田恭兵 (川島行夫)
仲村トオル阿部英輔
里見浩太朗 (堀田久)

     ×   ×   ×

おお、『ライアンの娘』!

デビッド・リーン『ライアンの娘』といえば、映画ファンなら誰でも知ってるだろう映画のひとつ。『マレーナ』の部分的なモチーフにもなってる映画でもある。
で、この映画、冒頭いきなり『ライアンの娘』レイアウトではじまります。孤島の村を終われる羽目になった20年前の吉永小百合、そのいきさつは後々語られるのだけど、その街の中を歩いて抜けるシーンのレイアウト。道の両脇に店が並んでいるだけのような集落のメインストリート、それを木村大作のカメラが望遠で撮っている。『アイアンの娘』の最後のシーンと同じなのである。そして物語が進むにつれてそれは偶然ではなく、意図的に多用されていることに気づく。。。

『ライアンの娘』のあらすじはこう。
アイルランドの右上だけがイギリス領になってる不思議な領土。そこでは独立運動の戦士達がドイツから武器を密輸入して再びイギリスに対して蜂起せん水面下の勢力争いがつづいていた。
大平洋海岸の寒村キラリーへ帰って来た教師チャールズ(R・ミッチャム)はロージー・ライアン(S・マイルズ)に激しい愛情をそそがれていたが、年齢や男やもめの身を考え心を押さえていたが、ロージーの勢いにも押され村の人々の二人を祝福、2人は結婚した。2人は安定した夫婦生活を送っていたが、そんな彼女の前に第一次大戦で足を負傷した戦士ランドルフ(C・ジョーンズ)がキラリーに近い英軍守備隊の指揮官として赴任してきた。戦場後遺症のくるしむランドルフは、ロージーに安らぎを求めるようになり、やがて2人は肉体関係を結んでしまう。うすうすその実態にきずいてしまうチャールズ。そしてこのことは村の噂にもなっていく。
一ヶ月後、独立運動の同志は武器を陸上輸送するが、彼らの前にランドルフの一隊が立ちはだかり、武器輸送は失敗におわる。密告は者は僅かな金につられたロージーの父・ライアンだったが、ランドルフとの浮気表ざたになってしまったロージーが疑惑の矢面にたち村のひとびとからリンチをうける。服を破かれ丸裸にされ、髪をきられるロージー。
ロージーから身を引こうと決心しつつもチャールズの、彼女に対する愛は変わらな。ふたりは寒波のふきすさぶなか、村の通りを通り抜けてさっていくのだった・・・。

・・・・そんな話である。

この『北のカナリアたち』もあたらずとも遠からず・・お話である。
というか、原作をしらないのでなんともいえないのだが、すくなくとも映画の構成ではこの『ライアンの娘』のシチュエーションをトレースしようとしているのは見て取れる。
そこらに点在する『ライアンの娘』レイアウトににやにやしながら見ることが出来た。

・・・・で、この『北のカナリアたち』という映画だが、感動するような話ではあるのだが、ちょっと作り方があからさまというか、もうちょっと物語りになじませて語られてもよかったのでは??と思った。とにかくエピソードを物語の中になじませるというプロセスがかなり甘いので、あまりにも都合よく展開しすぎるのである。
ま、根本的に泣きをとれる話なので、よっぽどハズレな演出をしない限りはそこそこみられる話になる映画ではあるが、イベントとストーリーラインをもうすこし自然になじませて作って欲しかったかな。
演出もシチュエーションをかえてるだけで、ずっと立ち芝居がおおい。もうすこし日常の動きのなかでその台詞をしゃべらせられなかったものか・・・と思う。演出的にはかなりベタなのだが、なんとか木村大作のカメラでもたせてるぞ・・という感じだった。

<あらすじ>
東京で図書館の司書として働くを川島はる(吉永小百合)のもとを刑事がたずねてくる。ある殺人事件の容疑者である鈴木信人(森山未來)の部屋を家宅捜査すると、はるの住所をかいたメモがでてきたというのだ。20年前はるが北海道のある離れ小島に赴任した時の生徒の一人が鈴木信人だった。
はるが教えた生徒は6人。そのなかの信人が本当に人を殺したのか? なぜ自分の住所をしっていたのか? もしかしたら・・??? 数年前にその生徒の一人からもらった手紙を頼りに、再び北海道にもどったはるは、かつての子供たちを訪ねていく・・・。

公開日2日目・日曜日のレイトショー、大泉のOZで見たのですが、750人は入ろうかという劇場にたった6人。とってもおちついて見ることが出来ました(苦笑)。たった6人のために上映してくださった劇場のスタッフのみなさん、ご苦労さまでした。安心して泣かせていただきました。
これから映画のみるのは日曜日の最終レイトショーにかぎるな・・・。レイトショーなので1200円でみられたし・・・。

カメラは天下の木村大作なれど・・・もうちょっとかな。
いつものダイナミックな望遠で撮って欲しかったのだが・・・・。
by ssm2438 | 2012-12-08 22:07 | 木村大作(1939)

ホタル(2001) ☆

f0009381_23122749.jpg監督:降旗康男
脚本:竹山洋/降旗康男
撮影:木村大作
音楽:国吉良一

出演:
高倉健 (山岡秀治)
田中裕子 (山岡知子)

みてて気持ちよくないかも・・・。

2001年の日本アカデミー賞で、主演男優賞に健さんがノミネートされたが辞退した作品。
なんとなく判るかも・・・。

とにかく観てて気持ちが良くない。
いや、前半の40分くらいは悪くないのですよ。それはそれでけっこう泣けるシーンもあるし。でも、後半にいたっては企画コンセプトから嫌悪感を感じて興ざめ。なんでこんな話にしなければならなかったのでしょうか? というかなんでこんな映画を降旗康男さんや健さんは田中裕子木村大作がつくらなければならなかったのでしょうか??? 

物語は特攻隊で死んでいった人をその生き残りの人たちが忘れない・・という映画。
そういえば大雑把に説明できるかもしれないのだけど、コンセプト事態を思想的に使われた気がしてかなり不快感を感じますね。
物語は、特攻隊に志願した中に在日朝鮮人がいて、その人の形見の品を故郷の親御さんのもとに返しに行こうって話。一応特攻隊は「志願者」で構成されてるようですが(こればっかりは私がみてないのでなんともいえませんが)、当時の空気では国家全体が集団洗脳状態みたいなものですら、いやだと言い切れずに行ってしまった人もいたでしょうね。一方韓国でも、「朝鮮民族なのに、日本のために志願して特攻するとはなにごとか!」ということで、ほとんどとりあげられることもないそうです。
そんな戦時下のなかで(すっごくかっこよく書くと)、知子という日本人の女性を愛した一人の在日朝鮮人の人が、その人の未来を守るために、その人を愛した朝鮮人として特攻隊に志願し死んでいった・・。その遺品をせめて家族のもとに返したい・・って話。
かなりデリケートな内容を、かなり頑張ってさしあたりのなさそうなおとしどころに落としてはいるが・・・、作品や作品を作っている人がどうというよりも、なんか・・・・、すっごく観てて外堀に嫌悪感を感じる内容だった。

ちなみに木村大作が撮影監督ではあるのだけど、絵はなぜか良くない。
とくにゼロ戦などの特撮(?)が悲惨。質感ぼろぼろ。さらに、ホタルが・・・・なにそれ?? お前、ホタルが光るところみたことないだろう!みたいなかなりしょぼ過ぎる画面加工なので興ざめもいいところ。
シーン、シーンでは泣けるとも(前半部に限っては)あったのだけど、スタッフやキャストさんの能力を無駄遣いしたような映画でした。観終わったあとの後味が悪すぎる。というか、後半のほうとんどが、なんでこんな話にせにゃならんかったのかわからん。ただただ生理的に嫌悪感だけを残してくれた映画でした。
by ssm2438 | 2012-10-15 23:13 | 木村大作(1939)

あ・うん(1989) ☆☆☆

f0009381_0155126.jpg監督:降旗康男
原作:向田邦子
脚本:中村努
撮影:木村大作
音楽:朝川朋之

出演:
高倉健 (門倉修造)
富司純子 (水田たみ)
板東英二 (水田仙吉)
富田靖子 (水田さと子)
山口美江 (まり奴)
真木蔵人 (石川義彦)
宮本信子 (門倉君子)

     ×   ×   ×

今回の健さんはめずらしくけっこう浮気者。。。

ぱっとみ地味そうで、観たい役者さんも富田靖子以外いないのでかなりお間放置プレーしてた映画ですが、えいやーと見てみました。以外や以外、そこそこ面白かった。

『ノルウェーの森』のなかで、三角関係だからバランスがとてる関係があることについて書かれていたが、まさにそんな感じ。仲のいい男同士が、一人の女を好きになり、女はそのうちの一人を選ぶのだが、選ばれなかった男にとってはマドンナとして永遠の憧れになる。今回の健さんは、その選ばれなかったほうである。

そんな健さんも、結婚してとある中小企業の社長になっているのだが、本来の憧れの君を手に入れてないがゆえに、あっちこっちの色恋沙汰が耐えない。一途なんだけど、一途さゆえにその反動がでて表面的浮気モノを演じてるような人。奥さんとは、特に波風もたてるわけでもなく、家の中は穏やかに過ぎているのだが、時折外で女を作っては、それがばれて妻を悲しませている。しかし、親友と親友の奥さんだけには誠実に向き合っている・・・という、現実世界でもたまにある人物設定である。

一途なんだけど浮気モノ。
・・・私の知る範囲でも、そういう人が一人います。

そんな、ちょっと得意なキャラクターが今回の主人公。ま、いつもの健さん映画なら在り得ないタイプの主人公だが、今回の原作は向田邦子なのだ。暗くもならず、渋くもならず、しかしきわめて繊細に爽やかにそんな人物が描かれている。みていて気持ちがいいのである。

本編のなかでも

「人生には絶対手に入らないものがあって、それは我慢しなくちゃいけないんだ」ってある。

それを、それほど絶望するわけでもなくさらりと言ってしまうようなテイストがこの映画の魅力なのだろう。しかし、波風がたたなかればドラマにはならず、やはり心の中の欲望と理性と罪悪感から、2人の友情に日々が入る。あらららら・・・このまま痛いままおわるってことはないだろうなあって見てると、これまた爽やかに仲直りしてしまう。

<あらすじ>
昭和12年。戦友として知り合い、20年来の友人である水田仙吉(坂東・83奪三振・英二)が家族をつれて仙台の赴任先から東京にもどってくる。門倉修造(高倉健)の心はときめいた。水田の妻、たみ(富司純子)は、門倉にとって永遠に手が届かないマドンナであったが、その想いを封じ込め、誠実に付き合う門倉と水田、そしてたみは3人で一つの完成されたユニットのようであった。
ある日、水田の娘・さと子(富田靖子)は門倉の妻・君子(宮本信子)の紹介で帝大生・石川義彦(真木蔵人)と見合いをしたが、仙吉は身分不相応と断わった。しかし、さと子と石川は互いに惹かれ合い、デートを重ねるのだった。
傾きかけていた門倉の会社もなんとか持ち直し、水田を夜の街に連れて行く余裕がでてきた。女に真面目だった水田も門倉の紹介で知り合った芸者まり奴(山口美江)に執心。給料をまえがりしてまでもまり奴のところに通いつめる水田。しかしある日、まり奴は店をやめたことをきっかけに、トラブルの芽はたたれたようだった。
しかし、ある日君子が、水田の家を訪れる。門倉がまた女を囲ったらしいというのだ。一人ではいけないから水田さん、一緒に来てほしいと頼まれ、相手の女の家を訪れると、そこにはまり奴がいた。男としてのプライドが傷付けられた水田は憤慨する。一方門倉もたみえの想いが噴出しそうになるのを君子に指摘され、終止符を打とうと、あえて水田を怒らせ絶交することになる。
しかし、水田がジャワ支店長として転勤することが決まった時、門倉は最後の別れを言いに水田家を訪ねた。その時義彦も召集令状を受け取りさと子に別れを告げにやって来た。門倉は雪の中を去っていく義彦をさと子に追わせ、自分は水田家で久しぶりに仙吉、たみと酒をくみ交わしたのだった。

降旗康男ものの中では、かなりほんわかムードの爽やかな映画であった。
by ssm2438 | 2012-09-27 00:16 | 木村大作(1939)

居酒屋兆治(1983) ☆☆☆

f0009381_23581144.jpg監督:降旗康男
脚本:大野靖子
撮影:木村大作
音楽:井上堯之

出演:
高倉健 (兆治こと藤野伝吉)
加藤登紀子 (藤野茂子)
大原麗子 (神谷さよ)
田中邦衛 (岩下義治)
伊丹十三 (河原)

     ×   ×   ×

夢見る時代が終わっても、現実は残酷にも続もの・・・・。

健さんが出てくるからといって、この映画は任侠ものであはありません。サラリーマンを辞めた焼き鳥屋のオヤジの経営する居酒屋「兆治」を営む男と、その男に関係のある人たちと、その居酒屋にたむろしてくる人たちの人生模様を綴ったお話で、一点集中的なエンタメ系の映画ではありません。そのシーンシーンを情緒豊かに描いた映画ということになるのでしょう。

本作のヒロインはあの美しかりし大原麗子です。しかし、彼女の存在は物語の一部であって、全体を支えるものではないのが実態みたいですが、ま、映画として成立されるためには彼女の存在をメインにもってきて、物語り全体を構成しているようです。そんなわけで・・・・、個人的には大原麗子と高倉健の話で見たかった気がします。
この物語のツボは、大原麗子の「想い」、これが素晴らしい。求めるものが与えられないから、あとは壊れるしかないという薄幸は生き様。この切なさだけで物語りはかなり成り立ってます。ただ、なんでこんなになちゃったのか・・・、これって、ほっといていいの??? それが道義というものかもしれませんが、この話だと高倉健が一番根性ナシにみえてしまってます。お前がきちんと自分の感情を向かい合わなかったらこんなになってるんだろう!!!ってけっこう怒り心頭。それでも想い続けるしかない大原麗子が切なくて・・・・、ま、この切なさ描写を出すために総ての段取りというのならそれも理解出来るのですが、どうも物語的にはそこは一部にされてるのがなんか気に入らないといういか・・・、生き様的にはあんまり肯定できる主人公の生き方ではなかったですね。

なので、私の中ではこの映画はひたすら大原麗子の映画として解釈しました。
決して取り戻せないものにひたすら憧れて、いつまでもそれだけを求めて、手に入らないなら別の男で昇華して、キャバレーのホステスをし、酒に溺れて自分をいじめて、最後はダレもいない小さな一室でその男の写真を胸に血を吐いて死んじゃう・・・。
さらに、そんな女性がいたら、そら普通はほっとけないですよ。で、そんな彼女の美貌と哀れさにほれた男がまた手に入らないものを求めることになる・・・。

この路線だけでいけば超メロドラマになってたのに・・・、なんか、エピソードがもったいなさ過ぎたというか・・・。あんまり納得いくような映画ではありませんでしたね。

しかし、それでも大原麗子だけは圧倒的に美しいです。
昭和史上、もっと美しい女優さんは大原麗子さんだと私は思っています。


<あらすじ>
北海道は函館で居酒屋『兆治』をいとなむ「兆治」こと、藤野伝吉(高倉健)。彼はその昔とある造船所で働いていたが、オイルショックで経営が傾きかけた会社を立て直すためにリストラを行う立場に抜擢されるが、同僚を裏切れない彼はドックをやめ、もつ鍋屋の松川(東野英治郎)に弟子入り、居酒屋を持つことになった。
子供を送り出した後は、妻の茂子(加藤登紀子)とともに店に出て鍋に火をいれ、自転車にのって市場に買出しに出るのが毎日変わらぬ朝の風景だった。居酒屋『兆治』の常連客には、かつてともに甲子園を目指した親友岩下(田中邦衛)をはじめ、元の会社の同僚有田やその部下の越智、近所の一年先輩で酒癖の悪いタクシー会社経営者河原(伊丹十三)たちおり、毎晩のように足を運んで賑わっていた。
そんな兆治に想いをよせる女がいた。肩を壊して野球をあきらめた頃、地元青年会で知り合った年下の恋人さよ(大原麗子)である。しかし旧家の牧場主神谷久太郎(左とん平)との縁談が彼女に持ち上がったとき、自分の未来に自信をもてなかったか兆治はさよの幸せを願って黙って身を引いたのであった。

・・・・・これ、今想うと、おそらく藤野ほうほうは彼女をそれほどまでに好きだったわけではないんでしょうね。すくなくとも、この映画の中では、そういった感性はまったく見当たらなかった。
・・・・そうか、だからつまらないんだ。ここで描かれているのは、一方的に、盲目的に想うさよの想いだけであり、兆治のほうが常に冷静がゆえに、おもしろくもなんともないのである。これが、今の妻を裏切っても彼女を求めたい!!って想いがあれば物語はさらにドラマチックになっていたのだろうが、そうはなってない。ある意味冷静な物語の設定だとおもいえるが、物語にそんな冷静さは見たくない気もする・・・。

求めるものがなくなってしまったさよは、神谷と結婚したものの精神をいため、なんどか蒸発することがあった。そして牧場が火事になった翌日、また失踪した。
一番の盛り上がりは、さよは札幌のすすき野でキャバレーではたらきつつ、ときどき兆治のもとに電話をかけてくるというくだり。そしてついに、ある日、開店前の『兆治』に現れてしまう。結局義理人情でと理性でなにもしない兆治。そしていなくなるさよ・・・。
でも、何もしない罪悪感からなのか、串焼き二本持ったまま雨の中に飛び出しさよを探す兆治・・・。その気配を感じてるさよだが姿はあらわさないまま去ってしまう。

以下、夢が終わった人たちの物語はちまちま展開されるなか、すすきのでさよを観たという情報がはいり探しにいく兆治。しかし、彼女をみつけたときには、、嘗ての自分とさよが映った写真をにぎりしめて彼女は死んでいた・・という悲しいいエンディング。

そんあこんなの物語の後、兆治の妻の一言がつきささる。
「人の想いは止められないもの・・・」

そしてまた同じ日常が繰り返されるのであった・・・・。


最後に、木村大作が撮影監督をつとめているのだが、彼が映し出す函館の町は素晴らしい!!
降旗康男さんの映画は、木村大作が撮るというだけで燃えてしまう。。。さらにその被写体が大原麗子だとなおさらである。
こうなったら評判のわるい『ホタル』もみてしまいたくなる。
by ssm2438 | 2012-08-19 23:58 | 木村大作(1939)
f0009381_1358843.jpg監督:降旗康男
脚本:田中陽造
撮影:木村大作
音楽:甲斐正人

出演:
岩下志麻 (水尾涼子)
坂上忍 (水尾深)
岡田裕介 (花井)
岡本かおり (葉子)
伊武雅刀 (片貝刑事)

       *        *        *

母と子の距離感を感じさせない芝居づけが、この物語の成功の鍵だな・・・。

ルイ・マル『好奇心』も母とエッチにいたる話だけど、こちらはエッチをしてっしまったあとの話。実はこれは原作のエピソードではなく、降旗康男監督はあえて原作では描かれなかった二人の後日談を作り上げてしまったわけである。

私個人は、ホモ物とか母とエッチする近親相姦物ってのは嫌悪感を感じてしまうのだけど、これは思った以上に見られた。これをそれほど嫌悪感を感じさせないものにしてくれたのは、母と息子の距離感がそこはかとなる在るのである。
たとえば、これが別の物語で、幼い頃は親子が離れて過ごしていて、ある程度の年齢になってから再会し、最初は親子とも思わなかった・・みたいなシチュエーションならそれほど気持ち悪さは感じないのだろう。この映画の二人は、まさにそのような言葉のやりとりや、その芝居付けがされており、どこかさらりとしているのである。

ただ、不思議なのがこの距離感はどこからくるのか?という問題だ。なので原作をしらべてみた。
ところが、原作を調べてみると、そのような展開ではなかったようだ。
原作では父親の圧力から家庭内暴力に走る息子とそれを必死になって受け止めようとする母、そのあたりから結局母と息子が親密な関係になったという展開である。これはある種の必然的な展開だったのかもしれない。映画でも、一応それまで何があったかということは回想する言葉として語られている。社会的にも地位のある父親は、その家系お利巧さんが多くほとんどが東大にはいるという設定。そんな環境下で息子がプレッシャーにまけ、2度の受験失敗、てぐれて結果「もう二人で死のう」的な展開になりその結果、お母ちゃんとエッチするようになるというもの。意外とさらりと語られてしまった。

なので、一般的な人が考えるような息子と母がエッチにいたる映画ではなくなっている。たしかに原作で語られている話なら「よくある話」ということになってしまうのだろが、それを原点にして、その物語からしばし時間をおき、どこか距離感の離れた二人が再びであって求め合うというような映画になっている。
この距離感が、この映画ならでは人工的な要素であり、それが映画としてすこぶる見やすくしてくれている。技術論で観るならすこぶる面白い。

しかし・・・、なににつけても木村大作の望遠画面はいい。
港町と望遠レンズ。なによりすばらしいのが、その港の中に船がひとつ沈みかけてる船があって、そのマストが水面から斜めに突き出ているのがいい。普通に浮かんでいる港のなかで、あれがあるだけで意味もなくときめいてしまう。
海の色もいい。ネストール・アルメンドロスがいうマジックアワーちょっとまえの時間帯を使っており、まだ水平線のうえに太陽は見えるのだけど、光線はかなり弱まり、人間が建てた人工物は逆光で鈍い色におちている。でも水面はサーモンピンクと、オレンジ色の間のような色合いで渋いです。
最近糞画面ばっかりみてたので、時としてこういう映画的なしっかりした画面をみると、それだけできもちよくなってしまう。物語は私好みの話では決してないのだけど、それでも木村大作の画面をみているだけで、ついつい最後まで、気持ちよく見せられてしまった。

そして物語的には隠し味がぴりりと効いている。岡田裕介演じるインテリ崩れの薬局屋のやもめ亭主の哀愁が最後でガツン。この一発がいい感じでドラマ全体を引き締めてくれる。これはあとで語ろう。

<あらすじ>
一流企業に勤める夫・敬一郎に離婚を申し出、1年前に家を出た息子・深(「ふかし」と読む・坂上忍)を探してこの港町にたどり着いた水尾涼子(岩下志麻)は、その日のうちにアパートを探し落ち着くことにする。そんな彼女に声をかけたのが、アパートの向かいの花井薬局の主人・花井(岡田裕介)だった。花井は二年ほど前に妻を心臓マヒでなくし、その1ヵ月後、母親を脳出血で亡くしている。住民もこの相次ぐ死を不審に感じていた。それは警察も同じで、墓を掘りかえして骨壷の骨を鑑識にまわしたこという。
深は直吉丸の娘・葉子(岡本かおり)と一度、寝たことがあり、その事が直吉丸の従業員仲間に知れて、包丁で腹を刺された。涼子は深を花井薬局にかつぎこみ、表沙汰を嫌う深の頼みで、花井は知人の医者・西方に治療を依頼しことなきを得る。それをきっかけに花井薬局で3人の生活がはじまる。
息子の看病に充足感をかんじる涼子。3人の生活は穏やかだった。やがて傷もいえ、葉子が深をつれだし、自分のアパートにもどったことを知った葉子は抑えがたい衝動を覚えて息子を求めて追っていった。近づきすぎると離れたくなる二人。しかし離れるとまた求めてしまう。また二人はお互いをむさぼりあった。
しかし、花井を追っていたカ片貝刑事が、二人の情事をみてしまったことから、二人の話は港町中に知れわたった。

そのあと深はアパートを去るのだが、最後には今一度都合よく現れてくれる(苦笑)。ま、それはいいだろう。
この後の展開ですばらしいのは、あまり関係のなさそうだった花井の秘密が語られることだ。
実は、花井の積まば死んだ時、彼女は医者の西片を情事を重ねていた時だったという。ことが世間にばれるのをおそれて、西片の存在はこのイベントからは消されてしまった。しかし、妻が他の女とエッチしてるときに死んだと聞かされれば心中穏やかではないのだろうが、そこにはもうひとつ秘密があった。
花井は、妻の母と肉体関係があったという。

結局、男と女の関係というのは、理屈では説明のつかないテリトリーであり、なんでもありなのだな・・というエピソードをもうひとつ紹介することで、岩下志麻と坂上忍の親子のエッチ関係も、それほど違和感のあるものとしての印象は沈められ、もうすこし純粋な男女間の営みのように解釈されるようにおちつかせているのである。
by ssm2438 | 2012-01-19 13:58 | 木村大作(1939)

八甲田山(1977) ☆☆☆☆

f0009381_21463099.jpg監督:森谷司郎
原作:新田次郎「八甲田山死の彷徨」
脚本:橋本忍
撮影:木村大作
音楽:芥川也寸志

出演:
高倉健 (徳島大尉)
北大路欣也 (神田大尉)
三國連太郎 (山田少佐)

      *       *       *

やはり健さんには雪が似合う。

原作は『劔岳 点の記』新田次郎。ちなみに『鉄道員(ぽっぽや』浅田次郎。よく間違える(苦笑)。

この物語、意外ととっつきにく。「天は我々を見放したああああ」という台詞だけは有名だが、なぜ、彼らがあの雪山にいなければならなかったのか・・というその目的が希薄なため、凡人感情としてなかなか物語として実に捕らえづらいのだ。
そもそも彼らは八甲田山を越えて雪の中を歩いていたのは、雪の中を歩くためであり、どこかにたどり着くためではない。日露戦争を目前にして陸軍は中国大陸で起こりうる寒冷地での戦闘に慣れておくために、耐寒訓練として八甲田のふもとをを舞台にして雪中行軍を行った。しかし雪山の知識が乏しく、訓練に参加した兵士たち210名のうち199名が死亡した。この物語は、この事件を基にして作られたフィクションであり、戦うためではなく、訓練のために死亡した兵士たちの物語である。

なお映画では、弘前歩兵第31連隊青森歩兵第5連隊との競争意識のなかで雪中行軍がおこなわれているが、実際はそうした競争意識のなかで行われたものではないらしい。また映画に登場する人物も、それに相当する人物は存在するが、その名前の人物は存在しない。あくまで実話をもとにしたフィクションとして作られている。

雪山での撮影は困難をきわめ、それは画面からも伝わってくる。確かにつらそうな撮影だ。撮影監督は『劔岳 点の記』の監督/撮影をつとめた木村大作。この人のとる怒涛の望遠画面はいつもながら素晴らしい。木村大作は、宮川一夫斉藤孝雄の撮影助手として付いていたが、もっとも影響をうけたのは黒澤明だと述べている。黒澤作品においては撮影助手としての参加となっているが、一本立ちしてからは本作の監督、森谷司郎作品が多い。そのご東宝を退社してからは降旗康男深作欣二といった監督との付き合いが多いようだ。
私がもっとも影響を受けた映画人はこの木村大作だろう。私にとっては世界一のシネマトグラファーである。

<あらすじ>
日露戦争開戦を目前にした明治34年末。軍部は、ロシア軍と戦うためには、雪と寒さに慣れておく必要があると判断、耐寒訓練として冬の八甲田山を軍行する計画をたてた。神田大尉(北大路欣也)の青森第5連隊と徳島大尉(高倉健)の弘前第31連隊がこれに参加することに決まった。双方は青森と弘前から出発、八甲田山ですれ違うという進行が大筋で決った。翌年1月20日、徳島率いる弘前第31連隊は、雪になれている27名の編成部隊で弘前を出発した。一方の神田大尉も小数精鋭部隊の編成をもうし出たが、大隊長山田少佐(三國連太郎)に拒否され210名という大部隊で青森を出発した。

神田の青森第5連隊の実権は大隊長山田少佐に移っており、神田の用意した案内人を山田がことわってしまう。神田の部隊は、低気圧に襲われ、磁石が用をなさなくなり、白い闇の中に方向を失い、次第に隊列は乱れ、狂死するものさえではじめた。一方徳島の部隊は、女案内人を先頭に風のリズムに合わせ、八甲田山に向って快調に進んでいた。体力があるうちに八甲田山へと先をいそいだ神田隊。耐寒訓練をしつつ八甲田山へ向った徳島隊。狂暴な自然を征服しようとする210名、自然と折り合いをつけながら進む27名。
出発してから1週間がたち、徳島隊はついに八甲田に入った。天と地が咆え狂う凄まじさの中で、神田大尉の従卒の遺体を発見。神田の青森第5連隊の遭難は疑う余地はなかった。そして徳島は、吹雪きの中で永遠の眠りにつく神田と再会。青森第5連隊の生存者は山田少佐以下12名。徳島の弘前第31連隊は全員生還。のちに山田少佐は拳銃自殺。そしてこの訓練に参加した全員が日露戦争戦死することになる。
by ssm2438 | 2011-07-01 20:39 | 木村大作(1939)

小説吉田学校(1983) ☆☆

f0009381_402643.jpg監督:森谷司郎
脚本:長坂秀佳/森谷司郎
撮影:木村大作
音楽:川村栄二

出演:
森繁久彌 (吉田茂)
高橋悦史 (池田勇人)
竹脇無我 (佐藤栄作)
西郷輝彦 (田中角栄)
小沢栄太郎 (松野鶴平)
若山富三郎 (三木武吉)
芦田伸介 (鳩山一郎)
梅宮辰夫 (河野一郎)
角野卓造 (宮沢喜一)

        *        *        *

自由党入党・総裁就任後の吉田茂は、多くの官僚出身者を国会議員に引き立てた。なかでも1949年(昭和24年)の第3次吉田内閣は、側近として大きな位置を占めたのが官僚出身者を中心とする国会議員たちだた。当時の政治家たちは、これらの集団を「吉田学校」と呼んだ。官僚出身者では、大蔵省の池田勇人、運輸省(元鉄道省)の佐藤栄作がその代表的人物である。現在は、事務次官を経て内閣総理大臣に就任するのは不可能に近い。

『小説吉田学校』
は、第1次吉田内閣から鈴木善幸内閣までの保守政界の権力闘争史を描いた長編小説である。最初は雑誌連載で、その後は単行本の形で第7部までが発表され、1981年に角川文庫に収録されるとともに第8部が書き下ろされて完結した。この映画は、その第一を中心に、ワンマン宰相・吉田茂が、池田勇人佐藤栄作ら「吉田学校」の門下生たちを率いて日本の講和独立を果たした後、鳩山一郎ら党人派との熾烈な権力闘争に挑む姿を中心に、第2次吉田内閣から鳩山内閣成立までを描かれている(エピローグとしては池田勇人内閣誕生、そして池田勇人死去まで)。

私の子供の頃の記憶に残っている総理大臣といえば佐藤栄作である。そのまえの池田勇人は私が2歳のときまで総理大臣を勤めていたが、さすがに2歳の少年の記憶はとどまらなかった。この映画ではこの二人が吉田茂の側近として力を発揮し、佐藤栄作の懐刀として田中角栄の存在があった。

個人的は松本清張『迷走地図』のほうが、状況描写で圧迫していく重さがあったと思う。この映画では、あらましだけが描かれた感があり、映画としてはどうにもいただけなかった。森谷司郎の場合はムードで描く傾向にあり、具体性に乏しい。題材が重厚なだけに、もうすこし具体性を間接描写で描ける人に撮ってほしかった。

<あらすじ>
終戦から3年後の昭和23年、また日本はGHQの影響下に措かれていた。民政局次長チャールズ・ケージスは総理大臣には民自党幹事長・山崎猛が望ましいと伝えたが、党総務会における一年生議員・田中角栄の大胆な発言「日本の総理がGHQに決められるのはおかしい。国家の威信にかかわる」などと発言し、10月15日、第二次吉田内閣が成立した。翌年解散総選挙、民自党は圧勝、吉田派は大量の新議員を誕生させる。彼らは『吉田学校』と呼ばれるようになる。
第三次吉田内閣が発足すると、GHQの支配下からまず独立するこをめざし、外務次官太田一郎を中心とするプロジェクトチームを極秘で結成、平和条約草案を作り上げた。続いて、池田勇人、宮沢喜一の渡米が行われ、表向きは、アメリカの財政・経済の視察であったが、講和独立への下打合せが行われた。26年、朝鮮戦争が勃発、アメリカが執拗に日本の再軍備を要求するなか、同年9月8日、サンフランシスコ平和条約を締結。また同日、日米安全保障条約を結んだ。これにより、はれて日本はGHQの占領かから開放され、独立国として歩みだすことになった。
その後の日本国内は新しい政治局面へ向って動き始め、吉田自身には鳩山・三木との宿命の対決が待っていた。
by ssm2438 | 2011-05-05 04:02 | 木村大作(1939)

誘拐(1997) ☆☆

f0009381_21383480.jpg監督:大河原孝夫
脚本:森下直
撮影:木村大作
音楽:服部隆之

出演:
渡哲也 (津波浩)
永瀬正敏 (藤一郎)
酒井美紀 (米崎マヨ)

       *        *        *

普通の2時間ドラマな感じだが、冒頭の都会の群衆のなかのロケだけは「よく頑張ったね」といってあげたい。

1997年のキネマ旬報邦画部門7位の作品。だけど・・・、もうちょっとトリックよりも人間ドラマをぐりぐりやってほしかったかな。
サスペンスモノだとどうしても松本清張ものと比べてしまう。で、比べるとやっぱり見劣りする。それは人間ドラマの浅さだろう。考えた。なぜ、これはあんまり面白くないのか・・・? 犯人=犯罪を犯すしかなかった人の切羽詰った感が描けない構成だったのだ。物語が警察側からしかかけないから、当然のことながら追い詰められる犯人のぎりぎりするような圧迫感は描けないのは当然のことだ。でも、だから悪いというわけではない。『太陽に吠える!』などは、物語のリアリティをだすために犯人側の視点でドラマを作っていなかった。でも、その場合は警察側が追い詰められていかないと、面白くならない。
この映画では、まあ、そこそこそういうったところもあるのだけど、決定的な問題は犯人(渡哲也)が刑事主任であり、なおかつ犯人であることなのだ。なので、映画全体がトリックと、なぜ、その犯人がそんなことをしてしまったか・・という謎解きだけに注がれていて、「葛藤」を描ける部分が薄手になってしまった。
そこが残念なところだろう。

なお、撮影は私の大好きな木村大作である。捜査本部の画面なんかみていると、黒澤明『天国と地獄』の一シーンをみているような錯覚に陥る。やはり修行時代はそこにあったのだなって再認識してしまう。
しかし、天下の木村大作のカメラをもってしても今回の映画の画面はそれほど良くなかった。これはやっぱり監督とのレンズの趣味が合わなかったのだろう。というか、監督が木村レンズのすごさを理解出来てなかったな・・という感じであった。
やはり木村大作崇拝者の私としては、現金かついで走るおじさんを、カメラがよってたかって追い回すシーンは怒涛の木村望遠で撮って欲しかった。こんなのハンディカメラの広角で撮られたら興ざめだよ。

<あらすじ>
ある企業が不法投棄した産業廃棄物により下加佐村の住人の何人かが死ぬ事件がおきた。その企業を相手取り損害賠償をもとめた住民側の裁判は敗訴に終わり、企業は何の責任も問われていなかった。それから26年がたったある日曜日の早朝、東昭物産常務の跡宮が何者かに誘拐された。

犯人は東昭物産に対し3億円の身代金と、その受け渡しのテレビ生中継を要求してきた。身代金の運び役には同じ東昭グループの東昭開発監査役・神崎が指名され、何十台ものテレビ・カメラと何百人もの報道陣が取り囲むなか、犯人が指定する場所から場所へ神崎は3億円の入った30キロものバッグを運ばされる。心臓に持病のある神崎は、やがて心筋梗塞の発作で倒れてしまう。
後日、犯人は次の運び役に東昭銀行専務の山根を指名するが、彼もまたカメラの囲む中、さらし者のように走らされ力尽きて途中で倒れる。犯人のやり口に激昂したベテラン刑事・津波(渡哲也)が、山根の身代わりとなって現金を担いで走ることになる。後輩の若手刑事・藤(永瀬正敏)もマスコミは覆面刑事に混じって彼の後を追った。しかし胃がんをかかえた津波もまた、犯人が指定した新橋の喫茶店を出たあと力尽きて倒れてしまう。後を受け継いだ藤は、犯人の指示通り首都高速の非常駐車帯へバッグを置くが、犯人が姿を現さなかった。しかし、中身は既にすりかえられていた。
どこで現金がすりかえられたのか? あれだけ人数が見ている中で、いったい誰が、どういう方法で・・? もし、あの現金の入ったバッグをする変えることが出来る人物がいたとしたら・・・、それは恩師の津波刑事しかいないではないか・・!? まさか!?

26年まえの公害訴訟を起こした住民名簿の中に当時入り婿して苗字の変わっていた津波の名前を発見しした。加佐村の駐在だった津波は、あの事件で妻と幼い息子を亡くしていたのだ。今回の誘拐事件は津波を中心とする下加佐村の元住民たちと折田が、下加佐村の悲劇を世に訴えるために起こしたものだったのだ。
by ssm2438 | 2010-09-06 21:36 | 木村大作(1939)

幽霊列車(1978) ☆

f0009381_4384010.jpg監督:岡本喜八
原作:赤川次郎
脚本:長野洋/岡本喜八
撮影:木村大作
音楽:渡辺岳夫

出演:
浅茅陽子 (女子大生・永井夕子)
田中邦衛 (刑事・宇野喬一)

        *        *        *

『三毛猫シリーズ』で有名な赤川次郎のデビュー作となる短編小説を、岡本喜八が監督した土曜ワイド劇場の一本。田舎の温泉町で起こった乗客消失事件に、警部と女子大生が挑むコミカル・ミステリー。一応死体遺棄事件だが、赤川次郎の小説から書き起こされたシナリオなのでディープになるわけもなく、たぶん小説で読めばその軽快さがたのしいのかもしれないが、画面でみるとなんだかすべってるきがする。
日本映画専門チャンネルで喜八特集のひとつとしてやっていたのだが・・・、私は岡本喜八とはあわないような気がする。赤川次郎とあわないのかも。どっちもあわないタイプだろうなあ。せっかくの木村大作の画面も全然さえない。きっと木村大作も岡本喜八とはあわないような気がする。

唯一の救いは浅芽陽子の健康的なヌードが拝見できたことくらいか・・。赤川次郎の小説って、実は中年男の軽妙な妄想なんじゃないだろうか。一応ミステリーで、死人も出るが決して深刻になるわけではない。そのミステリーはあくまで可愛い女の子と中年オヤジが一緒になにかをやるためのきっかけでしかなく、描きたいのは中年親父と、年頃の女の子のやり取り。そしてこの映画では、温泉旅館にいった田中邦衛が、温泉で浅芽陽子のヌードを見てしまったり、最後は何勘違いしたのか、彼女が田中邦衛の寝床にやってきてあっけらかんと一晩のセックスをして、朝にはいなくなってしまっている。
オヤジの夢だろうなあ・・・。

<あらすじ>
昔は繁盛していたが今は廃れてしまったある温泉町で大阪からきた客7人が蒸発する。警察も、大阪府警も捜査をしたが手がかりはない。そんな事件が気になったミステリー・マニアの女子大生・永井夕子(浅茅陽子)はその謎を解きに温泉にやってきた。一方宇野喬一刑事(田中邦衛)もこの事件に関心をもち、その温泉を訪れた。
事件は温泉町の俳句の会7人の仕業だった。温泉宿にとまった7人の客は、山でとったキノコを毒キノコと走らずに食べてしまい、あえなく死亡。そんな事件が明るみに出るとさらに客が来なくなると心配した町長さん以下の老人たちは、その7人を生めることにした。しかし町内で死人が出るのはこまると、朝一番の列車に死んだ7人に化けた俳句の会のメンバーが乗り込み、途中トロッコを使って脱出。列車が次の駅に着いた時には誰もいなくなっていた・・という物語を作り上げたのだった。
彼ら7人には罪の意識はなく、死んだお客たちをきちんと葬ってあげたという認識しかない。しかし、六法全書を調べてみるとどうやら死体遺棄にあたるらしいということが判明。かくなるうえは、事件に鼻を突っ込んでくる永井夕子を殺すしかないと決める。一応捕まえてはみたものの、人がいい彼らにはそれが出来ない。「このさい口封じに手篭めにするのはどうか」という提案がだされると、我先に、我先にと縛られて気負うしなっている夕子に迫った時、宇野刑事登場、彼らは逃げていった。夕子を助け上げると、実は彼女は気を失っておらず、彼らの話を盗み聞きするために、その振りをしていただけだった。7人の老人はあきらめて派出所に出頭。
一件落着した温泉宿では、宇野が眠につこうとしたとき、夕子がはいってきて、浴衣を脱ぎ、宇野の布団の中に飛び込んでくるのだった。めでたしめでたし。
by ssm2438 | 2010-03-16 05:03 | 木村大作(1939)

別れぬ理由(1987) ☆☆

f0009381_2224459.jpg監督:降旗康男
原作:渡辺淳一
脚本:那須真知子
撮影:木村大作
音楽:羽田健太郎

出演:
津川雅彦 (速水修平)
三田佳子 (その妻・房子)
古尾谷雅人 (妻の浮気相手・松永)
南條玲子 (修平の浮気相手・葉子)

        *        *        *

不倫ドラマでも木村大作の望遠はカッコいい!

大人の恋愛を描く渡辺淳一原作のこの映画だが、さすがに主演が三田佳子なのでこちらを脱がすわけにはいかず,この作品ではもっぱら南條玲子がそのシーンを担っていた。“H”のシーンの数は他の渡辺淳一作品に比べればすくないだろう。そういう意味では多分ほとんどの人にはあまり魅力のない作品かもしれないが、木村大作が等身大の世界を撮ったという意味ではなかなか興味深い映画だ。しかしやっぱり木村大作の場合は、室内よりも仰々しい望遠が活かせる舞台のほうが似合っている。劇中、三田圭子と古尾谷雅人が国内で行われているラリーの取材にいくエピソードがあるが、このラリーのシーンになると木村大作のかっこ良さがわすれてたように展開される(ちょっとだけど)。しかし監督は降旗康男さんなので、木村大作画面の使いどころは心得ている様子。きわめて見やすくまとまっていたと思う。

<あらすじ>
速水修平(津川雅彦)は大手の病院で外科医長。妻・房子(三田圭子)は雑誌記者。二人の間には17歳の娘・弘美がいる。修平は月に何度か人妻・岡部葉子(南條玲子)との浮気を楽しんでいたが、、ある夜修平が帰宅すると電話が鳴り、受話器を取ると唐突に「もう帰ったんですか?」という男の声がした。電話はすぐ切れたが、それからというもの、妻・房子の浮気を疑い始める。房子は年下のカメラマン・松永(古尾谷雅人)と取材を重ねるうちお互いに惹かれ、プライベートにも会うようになったのである。
修平は学会の用事で札幌に出かけたが葉子を伴っていた。しかし、房子のことも気になったので家に電話を入れたが、弘美が出て、急な取材で長崎へ発ったという。その頃、房子は松永と一緒に長崎にいた。彼女も夫のことが気になり、宿泊予定のホテルに電話をするがいない。札幌中のホテルに電話をし、翌朝房子はようやく修平の居場所をつきとめた。
帰宅した修平と房子は初めてお互いの不満を爆発させた。翌朝、修平は房子と口も聞かずに出かけた。房子もまた松永と会うことを避けていた。ある決意にもとに、ある音楽会で松永とある房子は別れ話を持ち出すが聞き入れてもらえない。
ケーキを買って帰宅する修平。なんとか房子のご機嫌を取ろうとする。房子も修平の調子にあわせる。お互いの浮気に気づきながら離婚するエネルギーもないことを実感する二人は、表面上円満な家庭生活を続けるのが一番いいと実感したようす。めでたしめでたし。
by ssm2438 | 2010-03-01 22:24 | 木村大作(1939)