西澤 晋 の 映画日記

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カテゴリ:S・スピルバーグ(1946)( 15 )


2011年 10月 24日

プライベート・ライアン(1998) ☆☆☆☆

f0009381_12472829.jpg原題:SAVING PRIVATE RYAN

監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:ロバート・ロダット/フランク・ダラボン
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
トム・ハンクス (ジョン・H・ミラー大尉)
バリー・ペッパー (ダニエル・ジャクソン狙撃兵)
マット・デイモン (ライアン一等兵)

       *        *        *

『プライベート・ライアン』とは「ライアン一等兵」のこと。「個人的なライアン」という意味ではない。。。

そのむかし、ゴールディ・ホーンが新兵卒になる『プライベート・ベンジャミン』とう映画があったが、この「プライベート」もも「兵卒」のこと。もっとも「プライベート」というのは一等兵、二等兵両方につかわれる言葉だそうな

映画界には表現のターニングポイントとなる映画がいくつかある。
たてば『スターウォーズ』。それまでのSF映画というは、『2300年未来への旅』みたいなに、「こういう風つくっておけば世間はSFとして解釈してくれる」という次元のものだったが、この『スターウォーズ』から一変した。現実にそれがほんとに存在するなこういう風にみえるはずだ!という本物感を真剣にビジュアルかするようになってきた。ま、映画の内容は古典的な西部劇だが、ビジュアルは革新的な変化を遂げた。
この『プライベート・ライアン』もそういった面をもっている。この映画の前とあとでは、戦争映画のリアリティの表現がまったく変わった。「こういう風に描いとけば、そういったことと理解してくれるんだよ」じゃなくて、「本との戦闘はこういうもんなんだ。それを再現しよう」ということに変わったのである。たとえば腕がもげたシーンがあると、それまでの映画では「こう描いておけば、観ている人は腕がもげたのだと解釈してくれる」というものを提示していたのだが、この映画では「腕がもげたらこうなるだろう」という表現に変わった。
つまり、この映画以前は、「腕がもげた」という記号的表現だったのが、この映画から「腕がもげた」という現実的表現をすることにかわってきたのである。
この映画は、戦争映画における、記号的表現からの脱却がなされた記念すべき映画である。
大絶賛!!!

ただ、物語自体はなんともいえない不条理さが残る話で、どう解釈していいのか悩ましい。軍という組織がそこまで一人に肩入れして肯定されるのかどうか・・・、見ている私たちはどうしてもその命令を受けて命を懸けていうトム・ハンクスのほうに感情移入してしまうので、どうにもやりきれない任務だなって思いながら、それが払拭されることもなく物語が進行し、さらに助けに部隊のほとんどが死んでしまう展開は、心のおくに拒否反応を覚えてしまう。。。
プロローグとエピローグをカットして、純粋に技術力だけの映画にしてくれたら、☆5つにしたのだけど・・・。

撮影はここ最近スピルバーグものを担当することのおおいヤヌス・カミンスキー
『マイノリティ・リポート』みたいにカメラが寄りすぎるのはいまひとつ気に入らないときもあるのだが、画調とか彩度に関してはかなり渋めでまとめてくれるので、色的には好きなほうの撮影監督さんである。

<あらすじ>
第2次世界大戦のヨーロッパ戦線。地獄絵図のようなノルマンディー上陸作戦を生き抜いたミラー大尉(トム・ハンクス)に、軍の最高首脳から「ジェームズ・ライアン一等兵を探し出し、故郷の母親の元へ帰国させよ」という命令が下った。ライアン一等兵は落下傘の誤降下で行方不明になっているという。
ミラー大尉は7人の部下を選出する。

「なぜライアン1人のために8人が命をかけなければならないのか? 」
それが誰もが感じた不条理だった。

前線へ進むうちミラーたちは空挺部隊に救われるが、その中にライアン二等兵がいたのだ。「戦友を残して自分だけ帰国することはできない」と言うライアン。ライアンが戻らないというのなら、共に踏みとどまりドイツ軍と一戦を交えるしかない。重火器にまさるドイツ軍にたいして乏しい兵力、装備という悪条件の中での戦いで、仲間たちは次々と銃弾に倒れていく・・・。

by ssm2438 | 2011-10-24 12:48 | S・スピルバーグ(1946)
2010年 11月 10日

ジョー、満月の島へ行く(1990) ☆

f0009381_845396.jpg監督:ジョン・パトリック・シャンリー
脚本:ジョン・パトリック・シャンリー
製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ他
特撮:ILM

出演:
トム・ハンクス (ジョー)
メグ・ライアン (ディーディー/アンジェリカ/パトリシア)

       *        *        *

トム・ハンクス&メグ・ライアンのゴールデンコンビの初タッグなれど・・・

日本では劇場公開は見送りになり、ビデオ発売だけだったのだが、『恋人たちの予感』メグ・ライアンが良かったので、運悪く私はこのビデオを借りて見てしまった(苦笑)。メグ・ライアンが出た映画の中では『プロミストランド』と並んで最低だろう。

サラリーマンのジョー・バンクス(トム・ハンクス)は病院で検査を受けると、脳に雲がかかっていると診断され、余命半年と告げられる。ヤケになったジョーは、以前からむかついている会社の上司に逆切れ、気になっていた女の子(メグ・ライアン1号)を食事に誘うが、自分があと少しで死ぬことを彼女に告げると彼女は去っていった。
そんな彼のところに奇妙な依頼が舞い込む。その依頼を持ってきたのは、とある南の島でレアメタルを掘り出そうとしている会社社長で、その島の原住民との交渉で、火山の生贄になってくれる人を探してくれれば、その原料は渡すということになっているらしい。余命もあと半年といわれたジョーはその申し出を引き受けてしまう。
翌日、カリフォルニアへとんだジョーは、その会社社長の娘であるアンジェリカ(メグ・ライアン2号)の出迎えをうける。アンジェリカからグレイナモアのもう一人の娘パトリシア(メグ・ライアン3号)に引き継がれたジョーは、いざ南の島へ旅立った。
島では火山の生贄にされるが、最後どっかああああああああんと火山が爆発、その勢いで飛ばされたジョーとパトリシアは助かり、病気もなんだか治ってるみた・・という話。

話もどうでもいいのだが、見せ方もチョーダサい。ギャグもセットのダサさもすべりまくり。まだ、前半はいいのだが、島にいってからのセットのひどさはまるで学芸会レベル。『ゴジラ対キングコング』とか、『モスラ対ゴジラ』のインファント島のようなダサさである。それらは60年代の映画なのでまだゆるせるが、90年代の映画でこのダサいセットには驚愕してしまう。

本編のなかで、メグ・ライアンが3役をこなしている。ストーリーが展開するにしたがって、トム・ハンクスにからんでくる女性が3人でるのがだ、これが全部メグ・ライアン。しかし、特にそうする必要があったのかどうか・・、そうする意味があったのかどうか・・、少なくとも映画のなかでは、そうする必要性はまったく描かれてなく、彼女を3役させることにまったく意味がないという構成倒れもいいところ。
主人公といい感じになりかけるが直ぐに別れが訪れ、そこで期待がぶつ切りになるのでまったく興ざめさせられる。それが2度もあるので最悪。いくら同じ役者がやってても、物語のなかでは人格が違うのだから、みているわれわれにしてみれな、この主人公は誰でもいいんだ・・と理解してしまう。

・・・ふと考える。もし、一番最初に登場したテディをメグ・ライアンにして、姉のアンジェリカは別の人にして、実はその大富豪の娘はテディだったということで、後半を展開してたらなにか問題があったのだろうか?

才能のないピッチャーが「ボク、ストレートはダメなんでカーブなげてみます」って言って、実はカーブも投げられるわけはなく、すっぽ抜けのとんでもないへなちょこ暴投をしてしまったような映画でした。

by ssm2438 | 2010-11-10 08:52 | S・スピルバーグ(1946)
2010年 08月 06日

ジュラシック・パーク(1993) ☆☆☆☆

f0009381_12523872.jpg監督:スティーヴン・スピルバーグ
原作:マイケル・クライトン
脚本:マイケル・クライトン/デヴィッド・コープ
撮影:ディーン・カンディ
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
リチャード・アッテンボロー (ジョン・ハモンド)
サム・ニール (アラン・グラント博士)
ローラ・ダーン (エリー・サトラー博士)
ジェフ・ゴールドブラム (イアン・マルコム博士)

       *        *        *

おおお、本物の恐竜がうごいてるみたいだ!!

・・・当時は感動した。確かにCGの技術の発展でこのくらいは当たり前に出来る時代になることはわかってたけど、いわゆる特撮物で、怪獣/恐竜がj記ぐるみではなく、ロボットでもなく、人形でアニメでもないかたちで実に本物のように作られたというのはこれが初めてだったのだろう。
もっともわれわれの子供のころは『ウルトラマン』『ウルトラセブン』に出てくる気ぐるみの怪獣で十分たのしめたのだが、というか、あれはあれで今でも楽しめるた。あれの面白さは、見ている側のイマジネーションでき「現実にこれがおきたら、こんなふうになるんだろうな」って作り物だと分かっている画面を見ながら頭のなかで補完する部分がとても刺激的だったのだろう。
さすがにいまのようなCGではもう、完全に本物っぽい画面をみせられるので、「ああああ、まるで本物っぽいなあ」でその部分だけ感動しているので、見ている人の補完活動がなくなってしまうのがちと寂しい。ドラマや、映画って、結局この見ている人が、どれだけその物語を寝たにそのうらにメンタルや、トリックを想像するところにあるのであって、全部提示しすぎることがそれほどすばらしいことだとは思えないところもあるのだけど。

原作は『アンドロメダ・・・』『未来警察』マイケル・クライトン。その時代その時代の最先端のアイテムは発想をもとに物語と理詰めでつくってくれるので、基本的にはいつもそこそこ楽しく見せてもらえる。
恐竜の再生に関しても、もっともらしいとんちを働かせているし、その設定ならだまされてもいいなっておもわせる程度の説得力はとりあえずつけてある。あつめられた科学者たちもいろいろ個性的で数学者のイアン(ジェフ・ゴールドブラム)なんかはいい味をだしている。
これは『アンドロメダ・・・』の時もマイケル・クライトンが使っている登場人物の集め方なのだが、かならず一人は、全然関係ないような人を入れ込むというもの。こういった特殊事情で専門分野であればあるほど、見方が一方的になりがちであり、そこに別次元からの意見を挟みこむためには、全然関係がないキャラクターの存在が必要なのだそうが。
個人的にはもうひとりくらいビジュアル的にみてて楽しめるきれい系の女性がほしかったかな。ローラ・ダーンではいまひとつ欲情しない(苦笑)。

スピルバーグの演出はあいかわらず、恐竜の怖さをえがきつつ、それだけではない親近感もあわせて描いているように思う。これはスピルバーグの基本コンセプトなのだろうが、『ET』や『未知との遭遇』のようにはじめてあう異性物に対しても敵対心を抱かないように描くことをすごく大事にしている。そういはいっても恐竜の獰猛性もかかないと面白いわけがないのでそこはそれ、過激になりすぎず、甘くなりすぎないころあいのいいところでまとめている。個人的にはもうちょっところあいをはずしてほしい部分はあるのだけど、お子様から大人までという全方位外交の映画なのでこうなるのはしかたないだろう。

<あらすじ>
恐竜の化石の発掘調査を続ける生物学者のアラン・グラント博士(サム・ニール)と古代植物学者のエリー・サトラー博士(ローラ・ダーン)は、ハモンド財団の創立者ジョン・ハモンド氏(リチャード・アッテンボロー)にのオファーにより、コスタリカ沖のある孤島の視察に向かうことになる。他にも数学者のイアン・マルカム博士(ジェフ・ゴールドブラム)、ハモンド氏の顧問弁護士、それにハモンド氏の2人の孫も招かれていた。

島に到着した彼らの目の前に現れたのは群れをなす本物の恐竜たちだった。ハモンド氏は研究者を集め、古代の蚊から恐竜の血液を取り出し、そのDNAを使い、クローン恐竜を創り出したのだった。

パークの安全制御を担当するコンピュータ・プログラマーのネドリーは、ライバル会社に恐竜の胚の入ったカプセルを売り渡すために陰謀を企てていた。彼が悪さをしたために、恐竜から人間をまもる防護フェンスの高圧電流も止まってしまった。視察にでかけていたグラントたちは巨大なティラノサウルスに襲われ、パークの中をサバイバルしながらコントロールセンターを目指す。
ネドリーはティロフォサウルスに襲われてしまう。グラントたちを捜しに出たエリーは、マルカムを助け、ティラノに追われながらもセンターへ帰還する。システムを元に戻すため一度電源を切り、落ちたブレーカーを戻すためエリーは電気室へ。グラントと子供たちもなんとかコントロールセンターにたどり着き、安全装置と通信機能を回復させる。ヴェロキラプトル2頭についに追いつめられるが、そこにティラノサウルスが現れ、恐竜たちが闘っている隙にグラントたちは、地下室に隠れていたハモンド氏やマルカムと共に島を脱出するのだった。

by ssm2438 | 2010-08-06 12:52 | S・スピルバーグ(1946)
2010年 08月 06日

ジュラシック・パークⅡ/ロスト・ワールド(1997) ☆☆

f0009381_123364.jpg監督:スティーヴン・スピルバーグ
原作:マイケル・クライトン
脚本:デヴィッド・コープ
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
ジェフ・ゴールドブラム (イアン・マルコム博士)
ジュリアン・ムーア (サラ・ハーディング博士)

       *        *        *

がっぱあああああ、がああああああっぱああああああああ

一作目の『ジュラシック・パーク』は、実に恐竜が動くさまを如実に提示してくれた。それまでの恐竜というのは日本の特撮だとキぐるみだし、海外の特撮だとトカゲの拡大だったり、人形アニメだったりしたのだが、「この恐竜は実に本物だ!」ってイメージをプレゼントされた。あの感動は非凡なものではなかったのだが、さすがに2作目ともなると・・・、それは出来て当たり前、で、何が新しくなったのかな??という部分が問題になってくる。そういうわけで、提示されたのが、ゴジラよろしく、文明世界に恐竜を登場させよう!というもの。妥当なコンセプトではあったが、『大巨獣ガッパ』『キングコング』『GODGILLA』などとほとんど同じコンセプトなので新鮮さという意味では乏しかったのがちと残念。
個人的には島でのエピソードをもちっとつまんで、都会での恐竜と人間社会の摂政を膨らませてほしかったなあ。じゃあ、なにか新鮮味を・・といわれると・・・・うむむむ、確かに思いつかないなあ(苦笑)。

そのそも何が問題だったのだろう??ってちと思考してみる。
文明社会に異物(=この場合は恐竜)を登場させるハプニング性というのはエンタテイメントな映画では王道だ。これがハズレなわけがない。ただ、この映画に関して言えば、あまり成功しているとも思えない。それはやっぱり、既存の映画がこのコンセプトでやりすぎているというのも一つの原因だけど、最大の原因は、都会の「恐竜は弱い」ということなのだと思う。人間が本気になればTレックスだって戦車の砲撃一発で仕留められるだろう。恐竜の島で恐竜が魅力的なのは、人間が仕留められない強大な力として存在していたからだろう。それが、人間の世界にきてみると、人間がその存在に注意をはらってないときに暴れれば怖いかもしれないが、しばらくすると当然のごとく立場は逆転される。食べるものはないわけではないが、少なくとも異なった環境から来るストレスでだんだん衰弱していきそうだし、あっちこっちぶちあたってると怪我も出血もする。もしかしたらエイズだって移ってしまうかもしれない。都会の共有はもはや怖いというよりも、いかに保護するかというその対象になってしまったわけだ。
そのへんがこの映画の最大の問題だったのだろうな・・。

<あらすじ>
あれから4年。閉鎖され、放置された島では人知れず恐竜たちが生き延びて繁殖していた。前回登場した数学者のイアン・マルコム(ジェフ・ゴールドブラム)は、インジェン社の会長ハモンドに呼び出され島の調査を依頼された。
彼の恋人で古生物学者のサラ(ジュリアン・ムーア)ら5人のメンバーで島に降り立ったが、突如ヘリコプターの大部隊が島に飛来し、次々と車や機材を降ろし始めた。インジェン社の会長ハモンドの甥ルドローが、ジュラシック・パークの再生をもくろんでいたのだ。
ルドロー一行はティラノサウルスを捕獲して貨物船に積み込むと連れ去ってしまう。だが、輸送途中で麻酔の切れたティラノサウルスは、サンディエゴに上陸するや大暴れ。イアンとサラは郊外のジュラシック・パークに保護されている恐竜の赤ん坊を連れ出し、親を貨物船におびき寄せる。無事、船に閉じ込めることに成功するが、ルドローは食われてしまった。ティラノサウルスは島に送り返され、島は人間の手が触れないよう保護されることになった。

by ssm2438 | 2010-08-06 01:03 | S・スピルバーグ(1946)
2010年 06月 20日

ミュンヘン(2005) ☆☆☆☆

f0009381_2256444.jpg監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:トニー・クシュナー/エリック・ロス
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
エリック・バナ (暗殺チームリーダーのアヴナー)
ダニエル・クレイグ (車輌担当のスティーヴ)
キアラン・ハインズ (後処理担当のカール)
マチュー・カソヴィッツ (爆弾担当のロバート)
ハンス・ジシュラー (文書偽造担当のハンス)
マチュー・アマルリック (上方屋のルイ)
ミシェル・ロンズデール (ルイのパパ)

       *        *        *

普通の人間性をもった人たちの殺人シークエンス。

この事件がおきたのは私が10歳の時で、1972年のミュンヘンオリンピックの最中。なにやら陰惨な事件がおきたらしいということだけは子供ながらに知っていたが、少なくとも私の記憶でそれでも普通に行われた五輪で、日本のバレーボールのチームが男子は金メダル、女子は銀メダルを取り、体操では月面宙返りなる技が世間をにぎわせ、水泳ではアメリカのマーク・スピッツがやたらと金メダルと獲得していた・・というだけだった。
実際にこの事件の内容を知ったのはそれから15年くらいたってからのことである。
それも、そのきっかけになったのはジョン・フランケンハイマー『ブラック・サンデー』を見たときで、同じ時期にレンタルビデオ屋の棚には『黒い9月』というタイトルの映画もならんでいた。実際こちらの映画はみたことがないのだが、『ブラックサンデー』のなかで『黒い9月』という言葉が出てきており、当時『ブラック・サンデー』が公開中止になったのもそんな背景があったのか・・と理解した。

この映画は、暗殺部隊の元メンバーの告白を基にしたノンフィクション『標的(ターゲット)は11人/モサド暗殺チームの記録』の映画化。モサドの殺し屋も普通の人間だってところ。その普通性と、殺しを実行していく異常性がつねに共存しながら物語が描かれていくところが良いよ。これが『ゴルゴ13』作者から与えられた無敵の精神を武器に戦えるファンタジックな殺し屋だったらそこら辺によくある話なのだけど、モサドの実行員ですらその人間性を普通にもってるあたりが実に良い。普通モサドメンバーだったら感情のないマシンのような諜報員って印象をそれまで持っていたが、こういう描き方をされると実に新鮮だった。
スピルバーグの演出も、人を殺すとい非人道的な行為がおこなわれると同時に、それを実行していくものの人間性を露骨に描写し、このコントラストが実に効果的に描かれている。

主人公がやっともどった家庭で妻をセックスをする、その間に挿入される、人質にされたイスラエルのオリンピック代表選手とコーチや役員たちの殺されるシーンにはやりきれない痛みを感じる。彼らの痛みや憎しみをを感じるなら復讐はあってしかるべきだと感じてしまうも人間性だし、それを延々つづけていても何も解決にはならないと理解できてしまうのも人間性。たぶん人はどちらも否定することは出来ないように生れているのだろう。

ちなみに撮影はヤヌス・カミンスキー。スピリバーグの映画では比較的近いカメラがおおく、その点に関してはイマイチなのだけど、この人の色の質感はとても好きである。

<あらすじ>
ミュンヘン・オリンピック開催中におきた、パレスチナ・ゲリラ “黒い九月”によるイスラエル選手と役員の人質惨殺事件に激怒したイスラエル機密情報機関モサドは、暗殺チームを編成してその報復を企てる。そのチームリーダーに任命されたのは、まだモサドに入って何の実績もないアヴナー(エリック・バナ)だった。彼は結婚しており、妻は妊娠中で、あと2ヶ月もすれば子供が生れるという、そんな時期のことだった。

妻にも事情を話せないまま、ヨーロッパに渡るアヴナー。そして車輌専門のスティーヴ(ダニエル・クレイグ)、後処理専門のカール(キアラン・ハインズ)、爆弾専門のロバート(マチュー・カソヴィッツ)、文書偽造専門のハンス(ハンス・ジシュラー)という4人のスペシャリストと共に、アラブのテロリスト指導部11人を一人一人暗殺していく。ターゲットを探し出すのはルイ(マチュー・アマルリック)という情報屋だった。
2人の暗殺が終了した時点で、アヴナーは妻の出産に立ち会うため仲間に内緒で一時帰国。家族の危険を考え、妻にニューヨークへの移住を切り出す。
確実にリストの男たちを殺していくメンバーだったが、POLも各地で爆破テロやハイジャックを起こし、一般人をまきこんだ犠牲者はあとをたたない。ある晩、ついにカールが女殺し屋に殺害される。その女殺し屋もルイが探し出してくれた。そのときは無料での情報提供だった。つまり、自分たちが流した情報ではないというアピールであり、同時にルイはアヴナーに封筒を渡す。中にはアヴナーの写真が入っていた。つまり、何者かがルイたちにアヴナーの所在を探すことを依頼したのだ。既に狙うだけの立場から狙われる立場になっているのだ。
それでも殺しを依頼された女殺し屋を殺したアヴナーたちだったが、まもなくメンバーのハンスも殺害され、ロバートは、自ら作った爆弾の誤爆により命を失う。標的を7人殺害した時点で、アヴナーは任務を解かれて妻子の待つニューヨークへ移る。しかし常に誰かに追われる恐怖を抱えながら生きていく人生から逃れることは出来ないのだった。

by ssm2438 | 2010-06-20 22:55 | S・スピルバーグ(1946)
2010年 02月 21日

ターミナル(2004) ☆☆☆

f0009381_2341519.jpg監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:サーシャ・ガヴァシ/ジェフ・ナサンソン
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
トム・ハンクス (ビクター・ナボルスキー)
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ (アメリア・ウォーレン)
スタンリー・トゥッチ (フランク・ディクソン)

        *        *        *

ゼタ姐さんがメグ・ライアンみたいに可愛い!!

東欧のある小国でクーデターが勃発、その政府が発行したパスポートが無効になってしまう。その国からニューヨークにやってきたビクター・ナボルスキー(トム・ハンクス)は、アメリカへの入国許可が下りず、空港で足止めされてしまう。管理局のフランク・ディクソン(スタンリー・トゥッチ)は、わずかな食品権と呼び出しベルと空港内限定の自由を与える。それからというもの、自国の戦争が終わって、政府が機能するまでナボルスキーの空港ビル内でのサバイバル生活が続く。

はじめのうちには、ろくに言葉も勉強せずにアメリカにきたノボルスキー=トム・ハンクスは言葉もほとんどわからない状態にかなりイライラ。そんなあほな状態でアメリカなんか来るなよって思ってしまう。
とりあえずお金の問題は、放置されたカートを指定の場所に戻すと25セントバックさせるようになっている仕組みを発見、空港内に放置されたカートを集めてきては小銭を集めてくることで解決。それでマクドナルドのハンバーガーを食べる。空港内の本屋で母国語の本と、英語の本を買い、照らし合わせながら言葉の勉強。夜は改修工事中で使われてないゲートで寝泊り。そんなこんなでなんとかサバイバルはできてしまう。しかし、あまりにイライラするので早期退散しようかともってたら、なにやらめっちゃかわいいキャサリン・ゼタ=ジョーンズ登場。

f0009381_23413470.jpg空港で転んでヒールのかかとが取れてしまうゼタ姐さん。そのかかとをトム・ハンクスが拾ったことでとりあえずその後発展のきっかけになる。いやいやしかし、このゼタ姐さんはそれまでのゼタ姐さんとは全然違う、まるでメグ・ライアンみたいなゼタ姐さん。でもあっという間に彼女は場外に・・(苦笑)。
しかし、それからなんとかモチベーションが続いたかな。ゼタ姐さんとトム・ハンクスとのやり取りが少しづつ増えていくとなんとか見る続けようという気になった。空港内で起きるヒューマンドラマを描きつつ、ずっとある男と結ばれることを7年間もまちづづけているゼタ姐さんと、父との思い出をコンプリートするためにニューヨークのダウンタウンに出なければならないトム・ハンクス。待ち続ける者同士が本のひと時心を通わせる。数ヶ月もこの空港で寝泊りして、そのうち何回はゼタ姐さんとのコンタクトもあり、お互い気持ちが惹かれあってくるのだが・・、ゼタ姐さんのところにその男からついに電話がかかってくる。結局ゼタ姐さんはトム・ハンクスと切って彼のもとに走る。
トム・ハンクスも、戦争が終わりニューヨークの街に出ると、死んだ父が集めていたジャズのミュージシャンのサインを手に入れてコレクションをコンプリート。母国へ帰っていく・・。

正直「・・・・え????」って感じでした。もしゼタ姐さんとトム・ハンクスを引っ付けないのなら、空港から開放されたときに終わらせれば良かったのに。そのあとダウンタウンに行って最後のミュージシャンにサインをもらって終わりってのはどうなん???? 

トム・ハンクスが欲していたそのミュージシャンのサインは、あくまで父の想いを継いだもので、トム・ハンクスのものじゃあないだろう。一度フライトにでたら2週間はもどらないゼタ姐さん待って空港で過ごしてて、そんな生活を数ヶ月もしてて、で最後は「ボクが待ってたのは君だ」って言ったのに・・それで終わるんかい? それだったら空港出た時、最後にまたゼタ姐さんにあった時、奪って逃げるとか・・。
それがダメなら・・・、ここでも伝家の宝刀「そして・・年後」を使ってほしかったなあ。

・・・そして15年後。
ゼタ姐さんのダンナは死にました。葬式でたちつくすゼタ姐さん54歳。みんなが埋葬された後から帰るがゼタ姐さんだけはしばし思い出に浸っている。やっと納得できたのか、帰ろうとする何かに躓いて転ぶ。ヒールのかかとがとれてしまった。そのヒールをひろって差し出す男あり、トム・ハンクスであった。見つめあう二人・・・・ってエンディングが良かったなあ。

もうちょっとなんとかならんかったかなあって映画でした。

by ssm2438 | 2010-02-21 23:45 | S・スピルバーグ(1946)
2010年 02月 14日

未知との遭遇(1977) ☆☆☆☆

f0009381_1675721.jpg監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:スティーヴン・スピルバーグ
撮影:ヴィルモス・ジグモンド、ラズロ・コヴァックス
特撮:ダグラス・トランブル
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
リチャード・ドレイファス (ロイ・ニアリー)
メリンダ・ディロン (ジリアン)
フランソワ・トリュフォー (クロード・ラコーム博士)

        *        *        *

踏切のシーンは大好き! 後ろからきた光に気付いたリチャード・ドレイファスが、先に行けって合図をすると上にフレームアウトしていくあれ・・。すばらしい。このころのスピルバーグの映画には楽しさがあったな。いまもあるけど。ミニチュアでいかに本物っぽく作ろうか・・っていうその人工的なもので本物っぽく見せる楽しさが一杯つまっていた。きっとこの映画を撮っている時は楽しかったのだろうって思った。

・・ただ、この映画べた褒めにも出来ないあいまいさが多すぎる。発想だけはちりばめたがきちんと統制できてない感じがいなめないのだ。見ていて「なんでこんなん?」「なんでこうなるん?」っていうのがやたらと多すぎる。あたまでなんで子供がアブダクトされたのか・・? どうしてあの旋律が宇宙人との交信手段になったのか? どういう意図を伝える時にどういう音を奏でるのか・・、そんな発想はどこからきたのか・・? 

そうはいっても、この映画ははじめて良心的な宇宙人を描いたことはある種のマイルストーンだったと思うが・・・、これって良かったのか悪かったのか・・。私自身が最初に(もう30年以上も前だが)これをみるた感想は「無責任だなあ」って思った。みなさん、友好的な雰囲気に酔っている人ばっかりだったけど、私は手放しでは喜べなかった。結局『ET』にしても、この映画にしても、ある程度結果に対して無責任にならないと行動できないってことで、それを肯定していいものかな・・ってかなり疑問を持つ。「無責任」は確かに行動力の一つの起爆剤にはなるが、それがいつも成功するとは限らない。少なくとも私の生き方としてはありえない。

この映画を手放しで喜べる人の気が知れない・・・。
最近見た私の感想は、「この宇宙人ってきっと北朝鮮だ!」だった。

<あらすじ>
突如砂漠に第二次世界大戦に行方不明になった戦闘機が現れた。別のところには船が砂漠に現れた。インディアナ州のある人里離れた一軒家では、バリーという少年がUFOにアブダクトされる。同じ町に住む電気技師ロイ(リチャード・ドレイファス)は、この一帯の停電を調べるため車を走らせていた。踏み切り止まって地図を見ていると、後ろからライトが近づいてくる。先に行けと合図をすると隣を一台の車が通り過ぎる。しばらくするとまた後ろから光がやってきた。その光はトラックの後ろに止まった。またロイが「先にいけ」と手で合図をすると、その光は横ではなく、上へ消えていった。
その日からロイもバリー少年の母ジリアン(メリンダ・ディロン)もあるイメージに取り付かれる。ロイは頭の中にあるイメージを具現化しようと室内に土を運びこみおおきな山を作る。妻のロニー(テリー・ガー)とロイの異常さが理解できずに子供達をつれて出て行ってしまう。
その山はワイオミング州にあるデビルズ・タワーだった。その周辺では毒ガス発生のため付近の住民に避難命令が下されていたのだ。そのニュースでデビルズ・タワーの山が映し出されていた。ロイはその山に向かった。途中ジリアンとも合流した。そこでは毒ガスなどは発生しておらず、政府が人々を遠ざけるために偽のニュースを流したらしかった。何のために・・?
やがて夜になり、その山に登って反対側を見ると、そこには巨大は空港のような空間が建設されていた。そしてそれは降りてきた。

by ssm2438 | 2010-02-14 16:09 | S・スピルバーグ(1946)
2010年 01月 31日

レイダース/失われたアーク(1981) ☆☆

f0009381_395440.jpg監督:スティーヴン・スピルバーグ
製作総指揮:ジョージ・ルーカス
脚本:ローレンス・カスダン
撮影:ダグラス・スローカム
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
ハリソン・フォード (インディアナ・ジョーンズ)
カレン・アレン (マリオン・レイヴンウッド)

        *        *        *

次回作『魔宮の伝説』の一年後の話。一作目だけあって、次の『魔宮の伝説』と比べるとすこしは怖さもあっていいけど・・、やっぱりこの手の映画はつまらない。なんいも考えないで映画を見たい人向け。

<あらすじ>
高名な考古学者インディアナ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)には、世界中の宝物を探し発見するというトレジャーハンターとしての顔があった。ある日インディの下に、アメリカ政府機関から、ナチスドイツが聖櫃(アーク)の発掘を進めているという情報が舞い込む。何としてでもナチスより先に聖櫃を手に入れろとの依頼を受け、インディは聖櫃の争奪戦に臨む・・・。

by ssm2438 | 2010-01-31 03:10 | S・スピルバーグ(1946)
2010年 01月 31日

インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説(1984) ☆☆

f0009381_2585236.jpg監督:スティーヴン・スピルバーグ
原案:ジョージ・ルーカス
脚本:ウィラード・ハイク/グロリア・カッツ
撮影:ダグラス・スローカム
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
ハリソン・フォード (インディアナ・ジョーンズ)
ケイト・キャプショー (ウィリー・スコット)
キー・ホイ・クァン (ショート・ラウンド)

        *        *        *

アトラクション映画ですね。世間ではこれを面白いという人も一杯いるようですが、ほんとにそう思ってるのかどうかかなり疑問。私は全然面白いと思わなかった。時代設定は前作より1年前だとか・・・。ふ~~~ん。

<あらすじ>
前作より1年前の1935年、考古学者インディ(ハリソン・フォード)と歌手ウィリー(ケイト・キャプショー)、相棒の少年ショート・ラウンド(キー・ホイ・クァン)ギャングの策略により飛行機は墜落、インドへたどり着く。
村にはサンカラ・ストーンと呼ばれる秘石が祭られていたが、邪教集団に奪われ、村の子供も連れ去られたという。 老人に救世主だと思い込まれてしまったインディ達は、サンカラ・ストーンと子供達を取り戻すため、邪教集団が住み着いているという、かつてマハラジャが支配していたパンコット宮殿へ向かうのだった・・。

by ssm2438 | 2010-01-31 02:59 | S・スピルバーグ(1946)
2009年 10月 13日

ジョーズ(1975) ☆☆☆☆☆

f0009381_6184263.jpg監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:ピーター・ベンチリー
    カール・ゴットリーブ
撮影:ビル・バトラー
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:ロイ・シャイダー
    ロバート・ショウ
    リチャード・ドレイファス

        *        *        *

『激突!』でも書いたのだが、サッカー観戦型映画野球観戦型映画がある。これはサッカー観戦型映画のきわめつけはこれだろう。とにかく見ている人間が考える必要はない。ひたすら受動的にスピルバーグが提出する情報に感化されてればいい映画。しかし、その情報提示が実に上手い。

スピルバーグの映画というのは、なんといいましょうか・・、映画鑑賞力の弱い人に向いてると思う。
普通のドラマ、たとえばウルトラマンだとすると、怪獣に結びつくイベントがいろいろあって、そこにで来る人に感情移入つくってから、怪獣登場、つづいてウルトラマン登場、両者が戦ってウルトラマンが勝つ・・というのがまあ普通の流れだろうが、一部のお子様は情緒というものがなく、ウルトラマンと怪獣さえ戦っていればいいと感じものだ。そんなわけでその戦いにどんな意味があったのかなんて関係ない。見終わったら次は・・・テレビゲームでもやるのだろう。 こういう人はドラマを楽しめない人なのである。時間が余っているときに脳みそに何らかの刺激がほしいだけの人、そういう人にはスピルバーグの映画は実に向いている。
その集大成といってもいい映画だ。

しかしこの映画は、その見せ方が絶妙に上手い。ひたすら退屈になりかねない、ブロディ他2名が冷めたい時に出て行ってからというもの、本来サメと人間の戦いなんて、早い話がつりと一緒で水面下が見えない以上待っているしかない。それだ映画がつまんなくなるのはあたりまえだ。この映画では黄色いタルを打ち込んで、それで水面下のサメの動きを表現した。そこにいたる以前には、ここでは素人でしかないブロディ(ロイ・シャイダー)のいごこちのわるさ、3人の微妙なスタンスの違いをさりげなく表現してたりする。とにかくあきさせない演出が上手い。

by ssm2438 | 2009-10-13 22:56 | S・スピルバーグ(1946)