西澤 晋 の 映画日記:F・フェリーニ(1920)
2010-12-09T14:11:16+09:00
ssm2438
主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。
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甘い生活(1959) ☆
http://ssm2438.exblog.jp/15126857/
2010-12-09T08:48:00+09:00
2010-12-09T14:11:16+09:00
2010-12-09T08:48:21+09:00
ssm2438
F・フェリーニ(1920)
監督:フェデリコ・フェリーニ
脚本:フェデリコ・フェリーニ
エンニオ・フライアーノ
トゥリオ・ピネッリ
ブルネッロ・ロンディ
撮影:オテッロ・マルテッリ
音楽:ニーノ・ロータ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ
* * *
裸の王様映画の決定番でしょう。
誰かがきちんと「この映画つまなんだよー」って言わないといかんな。
一応1960年のカンヌ国際映画祭、パルム・ドール受賞の作品です。まあ、カンヌの映画祭のパルムドール受賞作品なんてろくなのないですから、この作品が選ばれてもおどろかないし、ああ、納得・・とさえ思えてしまう(苦笑)。
一貫したストーリーがあるわけではないので、物語を楽しみたい人には不向き。感情移入できる登場人物もいないし、登場人物にも映画自体にも生産性はまるでない。フェリーニの映画で生産性があるのなんてほとんどないけど。なので私にはまったく不向きでした。
それほど仰々しく賛美をあたえるほどのものもなく・・延々3時間ちかい時間をつまらないのために消費しなければなりません。映画の勉強したいひとは、一度は見ておくのもよいかと思うけど、みなくてもまったく困らない作品であもあるかな。
この映画をみると思いだすのが望月三起也の『四葉のマック』という漫画のなかの主人公の言葉。
「理想のない生き方なんて死人も同じだ!」
この人たちの中に理想がないわけじゃなくて、もう追えなうなってる。そんな状況さんざんみせつけて最後の天使目線。ふうううう~~~~~んって感じなのですが、もし、この世の中に天使がいなかったらどうするんでしょうねえ? 実際いないけど・・・。]]>
道(1954) ☆☆☆☆☆
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2009-07-08T20:29:00+09:00
2010-01-15T22:06:21+09:00
2009-10-08T21:19:59+09:00
ssm2438
F・フェリーニ(1920)
監督:フェデリコ・フェリーニ
脚本:フェデリコ・フェリーニ
エンニオ・フライアーノ
トゥリオ・ピネッリ
撮影:オテッロ・マルテッリ
音楽:ニーノ・ロータ
出演:アンソニー・クイン
ジュリエッタ・マシーナ
* * *
おおおおおお、ジェルソミーナのテーマが泣ける。。。
フェリーニのなかでは実にわかりやすく、一番好き。リアリズムで描くメロドラマというのがいいんだな。
ドラマの中でザンパーノは、ジェルソミーナに「私が死んだから悲しい?」って聞かれます。その時は「そうだな」なんて言うわけはないのだけど、ラストでジェルソミーナが死んだことを知るとどああああああああっと感情があふれてきて、泣き崩れます。
男にとって、自分を好いてくれる女のとうのは必要なのでしょう。もちろんあこがれる女も必要です。というか、男を輝かせるのはこのあこがれる女の尊大でしょう。しかし、あこがれることはなくても自分にとって居やすい女というのは不可欠なことにはかわりないのです。物語のなか、ザンパーノはそんな女を捨ててしまいます。でも、捨てたときは「いつか広いに行けば、あいつはもどってくるんだ」という勝手な思い込みがあるものです。
ふしぎなもので、その勝手な思い込みが男をさりげなく精神的にささえてる部分があるのです。
たとえば、別れた女でも、「こっちからまた付き合いたいと思えばなんとかなるんじゃないか」という勝手な思い込みは常にもっているものだけど、その彼女が誰かと結婚するなんて噂を聞くととたんになにかしらの虚無感におそわれるのです。・・私の経験ですが・・(苦笑)。
女はにとっては、「必要とされる」ということが存在意義なのです。それこが事故の安全保障にもつながっているからです。どんなにしいたげられても、ジェルソミーナにとってザンパーノは明らかに自分を必要としてくれた人なのです。
この物語は男と女とい本質的ものをかなり正直に、なおかつメロドラマとして表現してます。
そこにニーノ・ロータのあのメロディがながれてきたらそら、もうたまりません。うるうるうるうる。。。。
<あらすじ>
やや知能が低めの娘ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)は、貧しい家庭に育ち、食い扶持を減らすためにザンパーノ(アンソニー・クイン)という男に売られる。彼はオートバイで地方を回り、鎖を胸の筋肉を膨張させて切るという芸をみせている。性格も傲慢で疑い深く、狡猾と欲情にこりかたまっていた。
最初の夜に強引に抱かれる(犯される)ジェルソミーナだが、よく朝ザンパーノの寝顔をみる顔は、j決して不幸でなく、どちらかというと、やっと止まり木を見つけた安らぎのようなものを感じる。
しかし、性欲を感じればジェルソミーナを抱き、金ができれば他の女を追いかけまわす。ジェルソミーナのけなげなやさしさも彼には通じない。しかし逃げ出しても迎えにこられれば、やはり彼のもとに戻ってしまう。。
やがてザンパーノは小さな曲馬団に参加することになる。その一座にいる若い綱渡り、「キ印」と呼ばれている青年(R・ベイスハート)はザンパーノを嫌い、彼をいらだたせる。しかしジェルソミーナは、「キ印」がひくヴァイオリンの哀しいメロディに引きつけられ、彼と親しく口をきくようになる。「キ印」は彼女に、この世のどんなつまらないものでも、役に立つ時があるのだ、と語った。頭の足りないジェルソミーナも、この言葉には胸をうたれた。
自分の運命はザンパノーと共にある。「キ印」とけんかし、再びザンパーノと共に旅に出る。ところがある日、「キ印」と顔をあわせ、怒りのあまり「キ印」を殺してしまった。誰も見てはいない。ザンパノーイはなにくわぬ顔で旅をつづけるが、ジェルソミーナは昼も夜も泣き通しである。遂にもてあましたザンパノーは、雪の埋った山道に、彼女を棄てて去った。
それから数年後、年老いたザンパノーは、ある海辺の町でジェルソミーナが好んで歌った「キ印」のヴァイオリンのメロディをきいた。聞けば、四、五年前この町で病死した白痴の娘が、いつもこのメロディを聞かせていたという。その夜、酒に酔ったザンパノーは、海浜に出て、はじめて知る孤独の想いに泣きつづけるのであった。]]>
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