主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。


by ssm2438

カテゴリ:S・キューブリック(1928)( 5 )

f0009381_9494041.jpg監督:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック
    マイケル・ハー
    グスタフ・ハスフォード
撮影:ダグラス・ミルサム
音楽:アビゲイル・ミード

出演:
マシュー・モディー (ジョーカー)
ヴィンセント・ドノフリオ (パイル)
R・リー・アーメイ (ハートマン軍曹)

       *        *        *

相変わらず、一本の映画を作るのはド下手なキューブリックだが・・

スタンリー・キューブリックの中では意外と一番好きかもしれない。
キューブリックという監督さんは、1シーン1シーン、1カット1カットでは変質的なまでに猛烈なこだわりをみせるのだが、総合的にそれをまとめるという点においては全く疎い不思議な性格。嫌いではないし、実にスゴイと思うが、上手いとはまったく思えない監督さんである(苦笑)。そんなわけで、この人の作品は映画として一つのストーリーを愉しむことはほとんど出来ないのだが、その変質的なこだわりに重点をおいて見るしかなくなってしまう・・・。
この映画も、なんでそうなったのかよく分からないのだけど2部構成。前半の<訓練キャンプ時代>と後半の<戦場>はまったく別の映画といっていい。


前半<訓練キャンプ時代> ☆☆☆☆

ヴェトナム戦争に出て行く兵士を鍛える海兵隊新兵訓練基地。ジョーカー(マシュー・モディン)はデブでのろまのパイル(ヴィンセント・ドノフリオ)たち新兵は、訓練教官ハートマン(リー・アーメイ)から罵声を浴びせられながら8週間にわたる厳しい訓示を受ける。

f0009381_9442537.jpgひとりのミスが部隊全体を危機に陥れる可能性のある戦場をかんがみ、規律違反をしたものの罰は他のメンバーが受けるように指導する教育システム。何をやらせても不器用なデブのパイルは常に教官からも部隊の仲間からも常に非難の的になり次第に精神を圧迫されていく。時間にドーナツを食べたことが発覚したパイルのおかげで他の訓練兵たちは腕立て伏せの懲罰、そのなかで、パイルだけはドーナツを食べることを命じられる。怒りが頂点にたっし仲間たちは、その夜パイルをリンチにかけてしまう。

この逃れようのない精神的な追い詰めかたが実にキューブリックらしい。ぼこぼこにされたパイルは次の日どんな顔をして訓練参加すればよかったのか・・・、その羞恥心と劣等感は恐ろしいものだっただろう。

そんなパイルだが射撃の腕だけは軍を抜いていた。自分のライフルに女性の名前をつけてこよなく愛するパイルにはジョーカーもぞっとするものを覚えるようになる。遂に卒業前夜にトイレで狂気にとりつかれたパイルは、自分を散々いじめまくってきた教官のハートマンを撃ち殺し、自らも銃をくわえて絶命する。

ここでの撃たれる教官のハートマンも実にみていて辛い。多分本人もこれは撃たれるだろうな・・てことは予測していたと思うが、それで教官としてリンとした態度を護り続けている。個人的にはこのときの教官に一番感情移入してしまい、ここは見ていてとても恐ろしかった。


後半<戦場> ☆☆

1968年1月。ジョーカー(マシュー・モディン)は成績優秀だったため、後方のダナン基地において報道隊員として比較的のんびりとした生活を送っていた。そんな彼も戦場カメラマのお供で最前線に同行することになる。廃墟と化したフエ市。偵察中、対面の廃ビルにひそむ凄腕の敵の狙撃兵に一人が狙撃される。
ここからの狙撃兵との戦闘がまた陰湿でいい。

その狙撃兵は、負傷した兵士に致命傷を与えないように手足を狙撃しさらにいたぶる。たまらず救出に飛び出してきた兵士を狙撃する。この人間性の痛いところをついていたぶる狙撃兵が実に冷血でよい。そしてたった一人の狙撃兵に、部隊の半数以上を殺されてしまう。
決死の復讐を誓った生き残ったジョーカーたちは、狙撃兵のいるビルになんとか侵入、狙撃兵を撃って瀕死の重傷をおわせるがまだ年端もいかぬ少女兵であることを知って呆然とする。


勝手な推測だが、本来導入部であるはずの<訓練キャンプ時代>を入れ込んでしまって猛烈なシーンになってしまったのだが、そのシーンに愛着ガ在りすぎて切るに切れなく(きらなくて良かったけど)、もうこのままいっちゃえと、そのバランスが悪いまま行ってしまった感じ。
後半部はべトナムにいってからの主人公、マシューモディンのみたエピソード。またこれもバランスが悪い。ほとんどの見せ場はベトナム少女による狙撃兵との戦いのところだが、ここだけがクローズアップされすぎてて、他のところが映画として機能してないのである(苦笑)。

世間では、「人を狂気に導く戦争を描いた反戦映画」というように評する人もいるが、きっとキューブリックに反戦思想などはまったくないのだろう。そんな表面的な小奇麗さをキューブリックが発言したいとは到底思えない(苦笑)。この人はただ、狂気していく人を描くことがひたすら好きなだけなのだ・・・。
良くも悪くも愛すべき気狂い監督である。
by ssm2438 | 2010-11-21 09:45 | S・キューブリック(1928)
f0009381_6465642.jpg監督:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック/ピーター・ジョージ
    テリー・サザーン
撮影:ギルバート・テイラー
音楽:ローリー・ジョンソン

出演:ピーター・セラーズ
(マンドレイク/マフリー大統領/Dr.ストレンジラブ)

       *        *        *

ブラックユーモアの映画に名作無し!

世間で「これがいい」って言う人は、ほんとにそう思ってるのだろうか???
個人的にはほとんど笑えるところはなかった。

観るべきモノといえば、B52の描写と円卓の作戦司令室のビジュアルと、最後の核爆弾の連続爆裂シーンだけ。その資料映像にしかならない。スタンリー・キューブリックが監督なだけにこだわりのある映像にはなっていて、そんなこの人の<こだわり力>は大好きなのだが・・・、うむむむむ、駄目だった。
タルコフスキー・アンゲロプロス症候群を引き起こしやすい映画のひとつである。

ジョージ・C・スコット・・・、この人はこんな役がいいね。パットン将軍とかさ。『ハードコアの夜』のあのとーちゃんはどうも違和感があった・・・。

<あらすじ>
精神に異常をきした司令官が突然「R作戦」を発令する。対ソ連の緊急かつ最高の報復作戦である。基地は完全に封鎖され、厳戒態勢がとられた。また哨戒飛行機の全機も通信回路が遮断され、基地からの指令だけしか受けられない。50メガトンの水爆を搭載、直ちにソ連内の第1目標に機首を向けた。

f0009381_6473280.jpg国防省の最高作戦室では、大統領(ピーター・セラーズ)を中心に軍部首脳と政府高官が事態の処理をめぐって激論を交わしていた。議長のタージッドソン将軍(ジョージ・C・スコット)は時間の緊迫を訴え、編隊の呼戻しが不可能な以上、全力をあげソ連に先制攻撃をかける以外道のないことを説いた。
大統領はソ連大使に事態を説明、撃墜を要請した。しかしあらゆる困難をきりぬけ、キング・コング少佐(スリム・ピケンズ)は核ミサイルにまたがり、たったかたああああああっとモスクワに向かって飛び立っていくのだった。地球上のあらゆる場所を核爆発の閃光が彩っていった…。
by ssm2438 | 2010-11-21 06:49 | S・キューブリック(1928)
f0009381_846248.jpg監督:スタンリー・キューブリック
原作:アーサー・C・クラーク
脚本:スタンリー・キューブリック
    アーサー・C・クラーク
撮影:ジェフリー・アンスワース
    ジョン・オルコット
特撮:ダグラス・トランブル

出演:ケア・デュリア
    ゲイリー・ロックウッド
    ウィリアム・シルヴェスター

        *        *        *

賛否両論いまでもあれど、私にとっては「伝わらない映画」。私がアーサー・C・クラークの原作が好きという理由があるのだが、この映画では原作の持つ大いなる思想がまったく伝わらない。伝わらないどころか、逆行しかねない。多分これを作るときにキューブリック自身がこの原作を理解していたとはとうてい思えないが・・。思想をおいてけぼりにしてビジュアルだけが先行した結果がこんな「伝わらない映画」になったと思う。
そこは不安がらせるとこじゃないだろうってところで怪しい演出してみている人を不安がらせるアホな演出のかずかず・・。音楽も音響もレンズワークもピントハズレな使いかたがやたらとおおい。これではただ、アンコンベンショナルというだけのパフォーマンス。これはもうなぞめいた作り方じゃなくて、ただ原作の穏やかな心オ広がりを理解できなかっただけという(原作はすごくおおらかな小説で精神の広がりと、宇宙と精神の融合がテーマなのだけど・・。
実に勘違い映画でした。
これこそフィリップ・カウフマン『ライトスタッフ』のように作れなかったものか・・と残念に思う。

そうはいってもリアリズムにはみるべきところがある。
開発途中の宇宙ステーションの意味するもの
あれがそのまま建造されつづけたら『ガンダム』ようなさらに長い円筒形のスペースコロニーになっていくんだろうなあって思わせてくれた。このまだ途中であるってコンセプトをみせてくれたのはすごい。
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湾曲する床
宇宙ステーションは遠心力で重力を発生させているので床は円筒状に湾曲する。この床が描かれたのはこの映画がはじめてだろう。子供の頃見たときはあれがなんだかわからなかったが、大人になるとあれはすごいって思える。
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ディスカバリー号のなかも小型の円筒状の床。ちなみにここでは1Gを発生させるのではなくその1/2~1/3の重力で十分という設定。なので回転スピードもそれほろ速くない。
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ハルの中心部
のちの『ペーパーチェイス』のレッドセットの棚はこれをイメージしたものだろう。
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by ssm2438 | 2009-06-17 04:55 | S・キューブリック(1928)
f0009381_180152.jpg監督:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック、フレデリック・ラファエル
撮影:ラリー・スミス
音楽:ジョスリン・プーク

出演:トム・クルーズ
    ニコール・キッドマン
    シドニー・ポラック

        *        *        *

その人の世界というのは、その人が現実に存在している世界と、その人が想う世界の融合である。決してどちらか片方だけというわけではない。テーマ的にはおもしろいのだが・・・、いかんせん話をまとめるのが下手なキューブリック、カットカットはこだわりをもっていてもトータルでみる風呂敷をひろげたまんまでいつもおわるというのがその印象。たまにはきちんと締めて帰れよ!といいたくなるが、最後までそんなことはしなかった。
・・ひとりで深刻ぶってるシドニー・ポラックがアホにみえてしまった。これが真剣に見えるか、インフレに見えるかでこの映画の意味が決まってくるとは思うのだが・・・、怪しげなムードだけの映画ということになってしまった。

<あらすじ>
クリスマス前後のニューヨーク。医師のウィリアム(トム・クルーズ)とアリス(ニコール・キッドマン)の夫婦は知人であるヴィクター(シドニー・ポラック)のパーティの会場にいた。ウィリアムはヴィクターから呼ばれて別室に行ってみると、マンディというへロイン中毒をおこしていた。
老人の患者が急死して呼び出されたウィリアムは、その帰り道、大学の同級生のピアニストとところを乙ずれる。彼から秘密のパーティがあると知らされ、興味をもったウィリアムは、黒装束に仮面をつけ、仮装して郊外の館にタクシーで向かった。翌日、旧友のピアニストを尋ねると、彼は何者かに強制的にホテルを追い立てられていた。さらにウィリアムには不審な尾行者がつきまとう。新聞には元ミスコンの女王がドラッグの過剰摂取で急死したという事件が出ており、彼が死体を確認してみると、それはヴィクターのパーティで中毒をおこして処置したあの女だった。何者かに「これ以上詮索するな」と脅迫の手紙が渡される。今度はヴィクターに呼び出されたウィリアムは、あの館でのパーティのことを遠まわしに説明をうける。

真相を見せずに、状況証拠だけでそれを見せていくという、松本清張のドラマのような見せ方の映画。想像力を刺激する。しかし二コール・キッドマンの役どころの必要性がいまいち見えてこない。トム・クルーズと秘密のパーティだけでドラマを展開したほうがすっきりとまとまったのではないかと思うのだが・・・。
by ssm2438 | 2009-04-03 17:18 | S・キューブリック(1928)
f0009381_11195126.jpg監督:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック
撮影:ジョン・オルコット
音楽:ウォルター・カーロス

出演:マルコム・マクダウェル

        *        *        *

脳みそシャッフル映画。この映画の存在価値は十分認めるに値するが、この映画を「好き」といってるやからの言葉は信用するにあたらないだろう。

人間が成長していくとき、その思想は、周りから情報を得て構築され、またそれを一旦壊し、そしてまた新しい情報を一緒に再構築する。その繰り返しだといっていい。われわれが、両親や、学校の先生から教えたれたものがずべて自分たちに有益かどうかなんてわからないし、所詮は他人の言葉であるので、その信憑性は自分で確かめることは出来ない。だから、人は出来上がった思想を自分で壊しながら、あまた新しい概念を構築していくのだ。
映像を作る側としても、見る人間に新しい概念を伝えたいと思う人は、見ている人たちのもっている基本概念を一度壊す必要が出てくる。それが壊れないことには、これから語りたい概念はなかなか吸収してもらえないものだ。キューブリックの映画というのは、この壊すほうはとても上手いのだが、構築するものがないというのがほんとのところだ。なので構築する方向性に富んでいるアーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』などは、じつはとても相性がよくなかったのかもしれない。
再構築するための破壊であり、再構築なき破壊はただのクソだ。キューブリックの映画ではその再構築への生産性がみられない。だからクソなのだ。それをみて「これはいい」とか言ってる人間もクソにしか見えない。

私は「戦争がない世界をめざそう」という政治家は信用しないことにしている。戦争がない世界なんてのは言葉としては美しく聞こえるが、それをなくするためには、人間性自体をなくさねばならなくなりと思うからだ。自我の存続を認めれば、争いは起きるものであり、それがあるからこそ古い概念に所属するものは淘汰されていく。それが進化の基本メカニズムだと思う。われわれの体内にしても、そのようにして古い細胞が新らしい細胞に取って代わられ、排除された古い細胞が分解され体外にだされる。
なのでこの映画で語られていることは、基本的には合意できる概念なのだ。
この映画では前半部で暴力を描き、後半部でそれを駆逐するための管理社会と、非人間的精神改造がを描いている。

私はその点ではこの映画は十分いいと思うのだけど、問題なのは、管理社会と、非人間的精神改造がとても妥当なことに見えてしまうところなのだ。私なんかは、あのアレックスをみながら「ああ~あ、いい気味だ。もとtもっと不幸にしてやれ~~」と思える。クソ人間はくソ扱いが適当だ。いかに管理社会とはいえ、逸脱し過ぎたものは死刑のように強制排除か、それが出来ないなら、人格改造も不可欠だろう。
この映画では、この非人道的管理社会が「これはまずんいんじゃい」と思えなければいけないはずが、そう思えないから、暴力だけを描写した映画になってるような気がする。これもすべて、キューブリックの近視眼的映像作りの気質からきているものだろう。
by ssm2438 | 2009-03-17 06:14 | S・キューブリック(1928)