主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。


by ssm2438

カテゴリ:D・マカヴェイエフ(1932)( 5 )

f0009381_1755252.jpg監督:ドゥシャン・マカヴェイエフ
脚本:ドゥシャン・マカヴェイエフ
撮影:ペガ・ポポヴィッチ/アレクサンダル・ペトコヴィッチ
音楽:ボヤナ・マカヴェイエフ

出演:
ミナレ・トラビッチ (ミレーナ)
ヤゴダ・カロペル (ウラジミール・イルイッチ)

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ドゥシャン・マカヴェイエフは『コカコーラ・キッド』しかないのか・・と思った。

まるで、ウディ・アレンのダメなモキュメンタリーものを見ているような感じだった。

タイトルの「WR」はウィルヘルム・ライヒのこと。映画は、「性の革命」を説き、ドイツ共産党を追われアメリカで獄死したオーストリア生まれの異端の思想家ウィルヘルム・ライヒに関する世界を、ドキュメンタリーを挿入しつつ(ほとんどとっかかりだけだったが)、物語としてのフィクション(ストーリー)の部分では大胆な性表現とブラック・ユーモアをまじえ、体制主義への諷刺している。

・・・しかし、私思うに、体制批判をおおっぴらに語る人ほど、自分が自分を管理しなくてはなくなると何も出来ない。さらに思うのだが、消費者魂の人が管理批判をすると、結局アナーキズムにいってしまう。自己管理が出来るか出来ないかは、自己の中に生産性が在るか否かによって決まるのかもしれない。すくなくともドゥシャン・マカヴェイエフには、演出家としての才能はあっても、それはなさそう。
なのである程度管理下におかれたハリウッドで仕事したときは『コカコーラ・キッド』みたいな出来も良い、しかも本人の主張もきちんとはいっている作品になるのだけど、そうでない時につくった映画というのはどれもただのゲテモノ映画でしかない。映像センスがとびきりすごいのに、その才能の無駄遣いぶりは残念でしかたがない。

個人的にはこの映画で唯一感動したのチン型を取るときにお姉ーちゃんがおちんちんをヘルス嬢のごとく愛撫してくれるシーンがあるのだが、ここで「モルダウ」がBGMで使われている。これはよかった。自己管理できないドゥシャン・マカヴェイエフであるが、演出のセンスと絵作りのセンスだけはとてもよいのである(ただ、本作では、画面のセンスのよさはあまり出ていないのだけど・・)。

あと・・最後はやっぱり死人が目覚める。これは『スウィート・ムービー』でもそうなのだが、殺しても最後はおちゃらけてしまうマカヴェイエフのいつもの手段である。
by ssm2438 | 2010-10-05 17:56 | D・マカヴェイエフ(1932)
f0009381_1326198.jpg監督:ドゥシャン・マカヴェイエフ
製作:ヴァンサン・マル
脚本:ドゥシャン・マカヴェイエフ
撮影:ピエール・ロム
音楽:マノス・ハジダキス

出演:キャロル・ローレ (ミス・カナダ)

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「リビドー」と「エロス」の詰まったつまらないけど、すごい映画。

映画の中では2つのストーリーラインが展開されているが、その二つがなぜひとつの映画の中にあるのかまったく意味不明。たぶんないと思われる(苦笑)。

ひとつのストーリーは、84年のミス・カナダに選ばれたキャロル(キャロル・ロール)が、資産家と結婚し、離婚し(劇中では正式に離婚はしてないのかもしれない)、その後ヨーロッパに飛ばされエッフェル塔でメキシコソングを歌う男とエッチをし、膣痙攣をおこし、次に訪れた銀河コミューンで尾下劣なスカトロショーの体感する。
最後はチョコレートを全裸で浴びてそのぬちょぬちょのなかでCM撮影。
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もうひとつのストーリーは、「サバイバル号」の船長アンナ・プラネッタ(アンナ・プルクナル)は、自転車にのって彼女を追いかけてくる水兵(ピエール・クレマンティ)とやがて二人は船上で愛しあい、どこぞでひろったのか子供たちを船に誘い入れてはいかがわしく女を教え込み、どうやら最後は殺したらしい。水夫も砂糖にまみれてアンナとエッチをし、「このまま死ねたらどんなに幸せか・・」ともらすと、砂糖に埋もれたままアンナにナイフで刺され死んでしまう。「サバイバル号」からは少年たちの死体が発見され、アンナと船員のは逮捕される。
(なぜか、最後ではその死んだ子供たちが生き返る・・・、意味不明)。

f0009381_1328273.jpgドゥシャン・マカヴェイエフ『コカコーラ・キッド』を撮ってくれたおかげで私のお気に入りの監督さんの一人にあげられるのだが、壊れている映画はこわれまくっている。この映画もなんというか、ストーリー映画としてはまったくもって意味がない。どういう思考でこういう映画がうまれたのかよくわからないが、理性の壁を突き抜けて、人間の根本的欲求をフィルムのなかで役者たちに実行させたおどろおどろしい映画。

はじまって5分で「これははずしたな」って思ったのだが、なんだかんだと最後までみてしまった。この映画に関しては、やってることははちゃめちゃなのだが、ドゥシャン・マカヴェイエフの映像作家としてのセンスはたぐいまれなるものがあり、どうしてもみてしまうのである。音楽のつけかた、音の入れ方。広角レンズから望遠レンズまで実に効果的につかってくれる。美しく撮ることも出来る。おどろおどろしく撮ることも出来る。期待のさせ方、期待の裏切り方、技術力だけみると「この人は天才だなあ」って思わせてくれる。

・・・でも・・・、個人的にはどうでもいい映画のひとつにはるかな。映画の根底に流れるスピリットに生産性がないので、見ていて面白くない。
by ssm2438 | 2010-10-04 13:33 | D・マカヴェイエフ(1932)
f0009381_2124146.jpg監督:ドゥシャン・マカヴェイエフ
脚本:フランク・ムーアハウス
撮影:ディーン・セムラー
音楽:ティム・フィン

出演:エリック・ロバーツ
    グレタ・スカッキ
    ビル・ケアー

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この監督さんドゥシャン・マカヴェイエフ、この人の名前知ってたらかなりディープな映画ファンです。 だいたい名前からしてもう怪しい(笑)。
ドゥシャン・マカヴェイエフ‥‥。ユーゴスラビアの監督さんなのですが、かなり毒をもったアヴァン・ギャルドな映画をとります。イデオロギー的な体制批判の味をもち(個人的には体制批判は大嫌いなのですが)、性的/根源的な欲求を展開させつつ、風刺的な要素で支配され、一般的概念をぶち壊しにかかってきます。映画をみてても、“この人は何をもって「よし!」としてるのだろうか??”って疑問に思ってしまうシーンもしばしば。ただ、彼は大学で心理学をやってたせいか、人の心に何がひっかかるのか、知ってる人なんですよね。
描いてることは、かなりの赤裸々(肉体的にも、精神的にも)、別 の言葉でいうとお下劣。しかし演出力は飛び抜けて高い。画面 の作り方もけたたましく完成度の高い画面 をつくります。たまにある“H”なシーンだと、SEXに至るまでの見せ方が異様に艶っぽい。“なに、この人の見せ方は!?”って思ってしまう。 頭の奥の方で映画を見る人というか、この人の場合はそれも心の奥の方で映画を感じる人のための映画というか、にくらしいまでに感性を刺激するんです。
表面的にはかなりカルトでもそこに確かな技術があるから、そのアンバランスさが妙に魅力的、一言で言うなら体制批判的・お下劣・インテリジェント・風刺映画を撮る人です。 興味があったら一度ネットで検索かけてみてださい。で、その体制批判的・お下劣・インテリジェント・風刺映画の中でも、一番見易いかなって思われるのがこの『コカコーラ・キッド』。お下劣度があんまり高くない。一番さらりと綺麗に見られます。 ただ、彼の映画を見ようと思うと、まあほとんどのレンタルビデオ屋にはおいてないと思うので、ネットで中古ビデオを探すしかないんじゃないかなあ。

おおまかなあらすじを紹介すると、

「問題解決に有能な営業マンベッカ-を派遣。進学と経営学の学位 有り。  彼の話を聞け。怒るな。恐れるな。そして、驚くな」 のテレックスと同時にはオーストラリアのコカコーラ支社に派遣されてきたベッカ-(エリック・ロバーツ)。 彼女の秘書につくことになったのがテリー(グレタ・スカッキ、実は私のけっこう好きな女優さんの一人です)。 そして市場をちょうさしてると、コーラの売れられて無い地域があったりする。
「なぜ、ここではコーラが売られてないのか? 喉があること、飲み物は必要だ」問題の地域アンダーソン峡はジョージ・マクドウェル男爵の領地で、古くからの製造方法でコカコーラとよく似たソフト・ドリンク、マクコークというのを売り出していて、コカコーラを完全街ぐるみで閉め出している。かくして強大企業に対抗する地元産業の抵抗という販売競争図式はできあがり、ベッカーはコカコーラの大軍団を率いてアンダーソン峡に乗り込んで行くのだった‥‥。

最終的には、ジョージ・マクドウェルは自分の工場に火をはなって戦争集結、 ベッカーはそれをみて、競争社会から足を洗うってことになるんだけど、まあ、それはいいや。 ドゥシャン・マカヴェイエフの映画の魅力はストーリーよりも、シーンごとの見せ方が味。 ノーマルな絵のなかにアブノーマルな部分を入れ込む。あるいはアブノーマルな世界感のなかで一人だけがノーマル感覚でいたりする。 “こう見えてるこの世界がほんとに当たり前だと思っているのか? うん?”みたいな、 実は既成概念の挑戦的な破壊、しかし抜かりなくユーモアというオブラートに包んで、観ている人に受け入れやすく味付けしてある。
映像も基本的にオシャレ。オーストラリアの支社で、今後の運営方針を説明するベッカ-。部屋の電気を落し、シュワ~~~という音とともにグラスに注がれたコーラ。その広報から光を当てると、聞いてる人々の顔に暗褐色のコーラ色が投影され、彼等の顔のうえに炭酸の泡の影がたちのぼり、炭酸のはじけるジュワワワワ~~~~って音だけがかなりのボリュウムで流される。それだけで、コーラの味を思い出して、口のなかに生唾がでてきそう。こういう所では『フラッシュダンス』『ナインハ-フ』エイドリアン・ラインばりのCM的オシャレ画面 をみせてくれる。
そしてグレタ・スカッキがとっても素敵。ほんとに健康的に色っぽい。 SEXに至る時にあの艶っぽい見せ方は、ドゥシャン・マカヴェイエフ天下無敵。 いやらしくなく、でも色っぽく、爽やかに肉欲を描いてしまう。
基本的には<抑圧された環境(使命)からの魂の解放>がこの人のコアで、生産性は無い。 実に魂が消費者。 たぶんこのドゥシャン・マカヴェイエフ、この映画のグレタ・スカッキのテリーに代表されるような、 汐に流されるままのクラゲのような固執することない生き方を理想としてるんじゃないかと思う。 だからスピリット的には好きになれない人なんだけど、 でも、技術力とか頭の良さはとにかく凄い。
by ssm2438 | 2010-05-20 03:35 | D・マカヴェイエフ(1932)
f0009381_2342410.jpg監督:ドゥシャン・マカヴェイエフ
原案:エミール・ゾラ
脚本:ドゥシャン・マカヴェイエフ
撮影:トミスラフ・ピンター
音楽:ニコラ・ピオヴァーニ

出演:カミーラ・ショーベリ
    アルフレッド・モリナ
    サイモン・キャロウ
    エリック・ストルツ
    リンゼイ・ダンカン
    クリス・ヘイウッド
    ガブリエル・アンウォー

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ドゥシャン・マカヴェイエフの映画は、ブラックユーモアの映画なんだけど、絵作りはほんとにレベルが高い。先の『モンテネグロ』はいまいちだったけど、この『マニフェスト』の画面は素晴らしいの一言。映画ファンならいちどはマカヴェイエフの作品はみておいてほしいものだ。
ストーリーはさほど重要ではなく、そのシーンそのシーンをいろどる辛らつさがこの映画のもっとも刺激的な部分だろう。

1920年代の中央ヨーロッパの某国。スヴェトラーナ(カミーラ・ショーベリ)は、故郷ヴァルトハイムの新しい支配者となった王を倒すため舞い戻る。そこをお忍びで訪れる皇帝の暗殺を密かに画策しているのだ。しかし彼女の恋人であり同志でもある教師ルデイは既に逮捕され、人体実験/人格改造/拷問をするサナトリウム送りとなり、ロムブロソフ博士の苛酷な実験を受けていた。拘束具につつまれた彼はネズミかごの回転車を模した“永久回転台”によって洗脳されてしまっているのだ。
そこでスヴェトラーナは母親の家に戻るが、幼い頃彼女を辱めた使用人頭エミールに再びいかがわしい関係をもとめられ、馬小屋で抱かれてしまう。

マカヴェイエフって、女を描かせるととにかくいろっぽい。『コカコーラ・キッド』グレタ・スカッキもすごく色っぽいが、このカミーラ・ショーベリのエッチにたるシーンもじつに色っぽい。この演出法だけでも見る価値はある。

その後いろいろあって、スヴェトラーナはパンに拳銃を隠して、サナトリウムのルディに届けるが、彼はすでに洗脳されており、ひたすらネズミ車の中を回っているだけ。
王が無事なのを知ったスヴェトラーナは、都合よく彼女の家(実は彼女の家は地域の地主なのだ)で行なわれる王の歓迎パーティーで暗殺を決行しようとする。エミールの息子に銃を調達するよう命ずるが、そこに嫉妬に狂ったエミールが登場、暖炉に頭をぶつけて死んでしまった。ああ、マヌケ。そこに彼女を密かに愛する郵便配達人のクリストファーが現われ死体処理を引受けてくれるが、誤って自分まで橋から落ちてしまった。さらにマヌケ。

このへんのマヌケ事情はどうも、あまりストーリー展開上理解しづらい。お話の構成上ほんとに必要だったのか、ただのイベントだったのか、いまいち理解できてない。ただ、人それぞれモチベーションが異なり、それぞれの価値観で動いている人たちが、複雑に絡み合いながら、お話を奇想天外にころがしていき、最後は、ルディとともにサナトリウムに監禁されていたリリーという女が脱走し、独裁者を撃つことになる・・というお話。

話の展開はドウでもいい映画です。そのシーンそのシーンに、ドゥシャン・マカヴェイエフの皮肉めいた、悪意のある「させない展開」(=登場人物がそうしたいのに、マカヴェイエフがそうさせない)がこの映画のみどころだろう。面白い映画だとは思わないが、見せ方の技と絵作りの上手さが魅力的なマカヴェイエフ。
捨てきれない監督さんだ。
by ssm2438 | 2009-05-23 22:22 | D・マカヴェイエフ(1932)

モンテネグロ(1981) ☆

f0009381_22201941.jpg監督:ドゥシャン・マカヴェイエフ
脚本:ドゥシャン・マカヴェイエフ
撮影:トミスラフ・ピンター
音楽:コーネル・コヴァック
主題歌:マリアンヌ・フェイスフル

出演:スヴェトザル・ツヴェトコヴィッチ
    スーザン・アンスパッチ
    エルランド・ヨセフソン

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ドゥシャン・マカヴェイエフはユーゴスラビアに生まれた映画監督。前衛的な作風が特徴で、イデオロギー的であったり、性的タブーに挑戦するかのような作品が多いのと同時に、映像の美しさの評価も高い。
1965年『人間は鳥ではない』で劇場長編作品監督デビュー。翌年カンヌ国際映画祭ですぐに評判となる。1968年の『保護なき純潔』でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。1981年の『モンテネグロ』と1985年の『コカコーラ・キッド』でカンヌ国際映画祭のパルム・ドールにノミネートされた。

この映画『モンテネグロ』は、暇をもてあまして精神的にややおかしくなりつつある妻が、1晩ほど怪しい酒場で不思議体験をする話。モンテネグロとは、そこであった男の名前。女の撮り方はいつもながら色っぽいのだが、今回はちょっと直接的過ぎるというか・・エロさというよりも、自暴自棄てきな感じがした。

<あらすじ>
スウェーデンに住む裕福なビジネスマン、マーティン・ジョーダン(エルランド・ヨセフソン)の妻マリリン(スーザン・アンスパック)は、ストックホルム郊外の美しい山荘で、二人の子供と共に何不自由ない快適な生活をしていた。しかし彼女の心の奥底には欲求不満が顔をだしはじめ、奇行の目立ち始めた。
大晦日の日、マリリンは夫のブラジル出張に同行するはずだった。しかし彼女は出国手続の際に警官に疑われ、その間に飛行機に乗り遅れてしまう。取調室でマリリンは、ユーゴスラビアからやってきた女性ターク(パトリシア・ゲラン)と知り合い、彼女が勤めるクラブのオーナー、アレックス・ロシニョール(ボラ・トドロヴィッチ)に誘われるまま、移民労働者たちの酒場へと向うのだった。
そこで彼女はモンテネグロ(スヴェトザル・ツヴェトコヴィッチ)という青年と出会う。彼の無垢な優しさと力強い男らしさに、催眠術にかけられたように魅了される。酒と女と喧嘩が渦巻くその喧噪の中で、新しい自由な空気に歓びを覚えるマリリンは、やがて夜空に新年の花火が上がる頃、モンテネグロと結ばれる。
by ssm2438 | 2009-04-22 21:59 | D・マカヴェイエフ(1932)