西澤 晋 の 映画日記

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カテゴリ:リドリー・スコット(1937)( 11 )


2011年 08月 03日

グラディエーター(2000) ☆☆☆☆

f0009381_18333184.jpg監督:リドリー・スコット
脚本:デヴィッド・フランゾーニ
    ジョン・ローガン
    ウィリアム・ニコルソン
撮影:ジョン・マシソン
音楽:ハンス・ジマー

出演:
ラッセル・クロウ (マキシマス)
ホアキン・フェニックス (コモデゥス)
コニー・ニールセン (ルッシラ)
リチャード・ハリス (マルクス・アウレリウス)

        *        *        *

映像派リドリー・スコットの王道映画。

それまで映像派というイメージがあったリドリー・スコットだが、本作では怒涛の王道ストーリーをやってのけた。そしてアカデミー賞5部門受賞。しかし王道ストーリーというのは特にコメントすることもないのがたまにきず。
とりあえず一度はアカデミー賞とってほしい監督さんだったので取れたことは素晴らしい。・・が、むちゃくちゃ良いかといわれるとそうでもない。やはりインパクトは『エイリアン』、『ブレードランナー』のほうが強かっただろう。この2本はリドリー・スコットにしか撮れない映画だったが、今回の『グラディエーター』はそういうカラーはちょっと押さえてた感じがしたかな。というよりも、最近はあまり露骨にリドリー色をださなくなっているようなきがしないでもない。そういう意味ではちょっとさびしい。

主演のラッセル・クロウ『LAコンンフィデンシャル』でみせたタフガイぶりは、本作にも十二分に発揮されている。2000年前後の数年はばラッセル・クロウの時代だったといっていいだろう。
敵役の、どうも顔がすきになれないホアキン・フェニックスリバー・フェニックスの弟。今リバー・フェニックスが生きてたら、かれよりもうちょっとおじさんだったのかなって思ったりする。意外と『ボーン・シリーズ』のマット・デイモンみたいなかんじかもしれないなあ。

<あらすじ>
帝政期ローマ。マルクス・アウレリウス皇帝(リチャード・ハリス)は、兵士たちから絶大な信頼を得ているマキシマスを時期皇帝に推挙するが、マキシマスはこの申し出を辞退し、戦いの恩賞として故郷への一時帰還の許しを申し出るのみであった。しかし自分が父の後継者に指名されるとばかり思い込んでいたアウレリウスの息子コンモドゥス(ホアキン・フェニックス)は、怒りに任せて父を抱擁したまま胸の中で窒息死させ、自ら次期皇帝の座に着く。姉の皇女ルッシラ(コニー・ニールセン)は彼女の息子の保身のため弟への忠誠を誓う。
コンモドゥスはマキシマスにも自分への忠誠を求めるが、マキシマスは皇帝の死に疑問を感じこれを拒否する。コンモドゥスはマキシマスを反逆罪で処刑するように命令をくだす。
処刑の寸前でマキシマスは兵士を倒して逃げ延びたが、故郷に辿り着いた時には、焼き打ちされれた家の前に吊るされた妻と子の変わり果てた姿をみる。絶望と疲労で倒れるマキシマス。
気づけば奴隷商人に捕らわれの身になるマキシマスだが、持ち前の技量で一躍剣闘士として頭角を現しはじめる。いっぽう、皇帝となったコモドゥスは元老院の反対を無視し、首都ローマの巨大コロシアムで剣闘試合を開催。奴隷剣闘士としてローマへ帰還したマキシマスは、闘技場で死闘を繰り返しながら、民衆の心をつかんで行き、最後はコロシアムでマキシマスと直接対決。かくしてマキシマスはコモドゥスを倒し、自らも果てるのであった。

by ssm2438 | 2011-08-03 11:20 | リドリー・スコット(1937)
2010年 08月 07日

テルマ&ルイーズ(1991) ☆☆

f0009381_9261674.jpg監督:リドリー・スコット
脚本:カーリー・クーリ
撮影:エイドリアン・ビドル
音楽:ハンス・ジマー

出演:
スーザン・サランドン (ルイーズ)
ジーナ・デイヴィス (テルマ)

       *        *        *

女性版のアメリカン・ニューシネマだが・・。

『エイリアン』『ブレードランナー』で、80年代のビジュアルリーダーとして君臨したリドリー・スコット。しかし、この『テルマ&ルイーズ』あたりからおかしくなってきているような気がした。この作品以降、どうも私が好きになれる作品がないのである。なぜでしょう・・・。

映画は、アメリカン・ニューシネマ(無責任解放映画)のノリでつくられた二人の女性の逃避行もの。理不尽が理不尽を呼び人生を落ちていく中で、さらに無責任アクセルを踏んでしまい、しがらみから解放された浮遊感からくる快感によりおちていく二人。世間の理不尽さが彼女らをその方向に引っ張ってしまったのだが、アメリカン・ニューシネマの無責任ぶりが嫌いな私にとっては、この映画も好きにはなれなかった。
そしてこの映画から私のリドリー・スコット離れが始まったのであった。

しかし、カーリー・クーリの脚本は1991年のアカデミー賞ではアカデミー・オリジナル脚本賞を受賞している。これでアカデミー賞???って調べてみると、同年の作品賞は『羊たちの沈黙』だった。この年はおもいっきり不作の年で、『羊たちの沈黙』も本来そんな賞をとれるような映画ではなかったはずなのだけど取れてしまっているし、選ぶ側もテンション低かったにちがいない。
そしてこの90年代以降、いい映画が激減してくる。今にして思えば悲しい時代の始まりだった。

<あらすじ>
子供のいない専業主婦テルマ(ジーナ・デイビス)と、ウェイトレスルイーズ(スーザン・サランドン)。張りのない日常にやりきれなさを感じていた2人は、ほんのすこし羽目をはずすつもりで週末旅行ヘ出掛けた。カントリー・バーで悪酔いしたテルマは調子に乗り、男と姿を消す。彼女を追ったルイーズは、レイプされかかっているテルマを発見、その男を撃ち殺してしまう。そこからこの旅は逃避行へと化した。テルマは夫に連絡を入れるが、彼女のことを理解しようともしないその身勝手さ何かが切れた。
二人はメキシコヘ逃亡することを決意する。ルイーズは逃走資金として、恋人のジミーから現金を受け取るが、前日車に乗せたヒッチハイカーのJ・D(ブラッド・ピット)にまんまと持ち逃げされてしまう。泣きわめくルイーズを尻目にテルマはスーパー強盗に成功。開放感にみたされてメキシコをめざす二人だが、ついに犯罪者になってしまった彼女らは警察におわれることになる。追い詰められた二人は仲良く谷底にむかって車を走らせダイブ・・。終了~~~~~う。

by ssm2438 | 2010-08-07 09:46 | リドリー・スコット(1937)
2010年 02月 03日

ワールド・オブ・ライズ(2008) ☆☆☆

f0009381_208588.jpg監督:リドリー・スコット
脚本:ウィリアム・モナハン
撮影:アレクサンダー・ウィット
音楽:マルク・ストライテンフェルト

出演:
レオナルド・ディカプリオ (ロジャー・フェリス)
ラッセル・クロウ (エド・ホフマン)
マーク・ストロング (ハニ・サラーム)
ゴルシフテ・ファラハニ (アイシャ)

        *        *        *

プレデター大活躍!

衛星からの画像というのは最近のCIAがらみの映画ではあたりまえになってきているが、この映画ではそれにくわえて無数の無人偵察機プレデターからの映像が使われている。なんでもイラクではこのプレデターが350機くらい上空を飛んでいて、その活動時間は1機あたり4~6時間。ひっきりなしにラスベガッス近郊の軍事基地に地上の画像を送ってきているという。この映画は、現場で非常な任務をこなすCIA工作員と、本国で暖かい家庭にすごしながらそれに指示を出す分からず屋の上司(苦笑)とのやり取りを軸に、爆弾テロのリーダーをおびき出すために架空の爆弾テロ組織をつくりあげ、彼が接触してくるのを待つというもの。
ただ・・・映画ではちょっとそこのところがいまいち弱かったかな。個人的にはこの架空の組織をでっち上げ、あたかもそれが本当に存在するように裏工作をつみかさねていくところと、それに気付き、その信憑性を疑いながらも接触してくるテトリスト・・という部分をもっと丹念に、ドキュメンタリー風に描いてほしかったなあ。できることならこれはリドリー・スコットじゃなくウィリアム・フリードキンにやってほしかった(苦笑)。女とのからみなんかほっといて、そのトリック工作を地道に描いてほしかったのに・・、映画では原作をそのままフラットにストーリーに載せてるような感じだった(原作は読んでないですけど)。

ちなみに、この手のイスラム原理主義のテロリストを相手にする場合は一つのルールがあるらしい。それは「最後の敵は自国民にする!」。あくまで中東のテロ組織のリアクションは『環境』として描かれるもので、ドラマの敵として描いてはいけないような雰囲気である。この映画を見る前に、『S.A.S.英国特殊部隊』の脚本家でもある元SAS隊員のクリス・ライアンが書いた小説を読んでいたが、やはりその暗黙のルールは守られていた。ほとんどの場合はラスボスは味方の上司であり、中東のテロリストはその環境としてしか描かれないのだ。エドワード・ズウィック『マーシャル・ロー』にしても最近の『イーグル・アイ』も、先にアメリカがなにかやらかしてそのリアクションとしてテロリストが反応するという展開であり、中東のテイスラム原理主義者を敵対視しない配慮がなされている。
ただ、この映画に関してはめずらしく、敵としてイスラム原理主義のテロリストを描いているのはなにげに新鮮だった。しかし、それでも映画の縦軸にはやっぱりヒューマニストのCIA現地工作員対本国の分からず屋上司の構図がメインにしかれ、さりげなくぼやかす努力はしていたようだ。

<あらすじ>
f0009381_2065399.jpgCIAのエド・ホフマン(ラッセル・クロウ)は世界規模で爆弾テロを企てるテロリストのリーダー、アル・サリムを追っていた。そんな折、イラクで活動中の現地工作員のロジャー・フェリス(レオナルド・デカプリオ)は、アル・サリムが次の爆弾テロのあとにメディアに流す犯行声明分を読み上げる映像を入手する。情報邸居者の保護をもとめるフェリスだが、ホフマンはあっさり却下、情報提供者を泳がして誰に殺されるのか確認しろというのだ。しかし、自分の身元がばれるのを阻止するためには、フェリス自身で彼を殺すことになる。ホフマンの無理解さに憤慨するフェリス。
ヨルダン情報局の責任者ハニ・サラム(マーク・ストロング)と信頼関係を築き、アル・サリムの部下のひとりを抱きこむことに成功、情報提供者に仕立て上げたにもかかわらずホフマンがこの男を拉致、テロ組織は早々とアジトを焼き払い撤退してしまう。ハニ・サラムはこのおろかな作戦の失敗に業を煮やし、フェリスに国外退去命令をだす。
ホフマンに怒りをぶつけるフェリス。そんなフェリスは大胆な作戦を思いつく。
架空の爆弾テロ組織を作り上げ、さらに嘘の爆弾テロニュースを流し、アル・サリムがその組織とせっしょくしてくるのを待つ・・というものだった。アンマンに戻り、なんとかハニ・サラムを説得したフェリスは作戦を開始する。ヨルダン人の建築家の名義を使い、この人物を架空のリーダーとし、ヨルダン情報局の人脈をつかいつつ爆弾テロ事件や武器やお金の流れを偽装構築していく。そしてトルコでの爆弾テロのニュース報道。そしてついにアル・サリムが食いついてきた・・・。

by ssm2438 | 2010-02-03 20:19 | リドリー・スコット(1937)
2010年 02月 03日

プロヴァンスの贈りもの(2006) ☆☆

f0009381_11411022.jpg監督:リドリー・スコット
脚本:マーク・クライン
撮影:フィリップ・ル・スール
音楽:マルク・ストライテンフェルト

出演:
ラッセル・クロウ (マックス・スキナー)
マリオン・コティヤール (ファニー・シュナル)

        *        *        *

ぬるい映画だなあ・・。

ばりばりの証券マンが相続した葡萄園を訪れて、ファイティング・スピリットを失う話(苦笑)。・・・なんなんですかね、この映画は? ハートフル系の映画をリドリーが撮っても悪くはないが、これはリドリー・スコットが撮るとか以前に映画としてかなりぬるい。『フランダースの犬』みたいに外国ではただの「軟弱もの映画」の烙印をおされそう。
あまりに感動させる要素もないし・・、まあ、だからとぼろくそにいくほどでもないけど、普通っていうのはあんまりいい映画じゃない。嫌われるならどどっと嫌われる、好かれるならむちゃくちゃ好かれるように、反応が二極化するような映画を撮ってほしいなあ。この映画は「まあ、わるくないんじゃない」くらいの、いわゆる関心をもたれない映画。

<あらすじ>
今はロンドンの金融界で豪腕トレーダーとして活躍するマックス(ラッセル・クロウ)だが、子供の頃の彼は、夏になると、南仏プロヴァンスのヘンリー叔父さんの葡萄園でヴァカンスを過ごしていた。ある日マックスのもとに、そのヘンリー叔父さんが亡くなったとの報せが届き、その葡萄園を相続することになる。しかし今の彼にとっては葡萄園はどうでもいいもので、処分するためにプロヴァンスへ向かった。
・・・そのはずだったマックスだが、そこですこしづつ昔の思い出がよみがえってくる・・・。

by ssm2438 | 2010-02-03 11:41 | リドリー・スコット(1937)
2009年 11月 11日

誰かに見られてる(1987) ☆☆☆

f0009381_254841.jpg監督:リドリー・スコット
脚本:ハワード・フランクリン
撮影:スティーヴン・ポスター
音楽:マイケル・ケイメン

出演
トム・ベレンジャー (マイク)
ミミ・ロジャース (クレア)
ロレイン・ブラッコ (マイクの妻エリー)

        *        *        *

話は決して派手でもないし、面白いともおもわないのだけど、ミミ・ロジャースが住む高級マンションの内装のゴージャスさがとっても素敵、ガラス、コップ、鏡‥など、演出のことかかないアイテムが一杯のきらきら透明空間。この造形だけでこの映画は満足してしまう。マイナーな映画だが、ビジュアル監督:リドリー・スコットの真骨頂をみせつけた作品として忘れがたい一品だ。

華やかな生活のなかに生きているゴージャスな美人、そんな本来近づくこともなさそうな女が身近にいる世界が突然到来した男は・・・・やはり夢見ちゃいますね。そんなことしてると現実をつきつけられる。結局現実からはのがれられない悲しいサラリーマン男(本作では刑事だが)の人生の一ページですな。
ちなみにその夢のゴージャス美女を演じるのはトム・クルーズの最初の奥さんミミ・ロジャース。実際、決してととのった顔の美人ではないのだけど、なかなかいいムードをもった人なんだよね。

<あらすじ>
ニューヨーク。美術関係のパーティーである殺人を目撃してしまい、犯人から狙われるクレア(ミミ・ロジャース)の護衛につくことになった刑事マイク(トム・ベレンジャー)。彼は、元女性警察官の妻エリー(ロレイン・ブラッコ)と一人息子のトミーと幸せな日々をブルックリンで送っていた。
彼女のマンションへいくと、上流社会の生活を目のあたりにして驚くマイク。そこには今の生活ではありえないゴージャスさがあった。クレアの生活につき合ううちに彼女に惹かれていくマイク。
そとえ出たいというクレアを制するが、行くことをきかないクレアについていくマイク。しかしトイレにたったクレアに犯人がちかより、「自分のことを犯人だと認めたら命はない」とおどす。やがて犯人は捕まるり、クレアは勇気をふるってべンザが真犯人だと指摘するが証拠不十分で彼は釈放されてしまった。
恐怖と不安につつまれるクレア。責任を感じたマイクはクレアの部屋にかけつける。不安のなかで2人はベッドを共にしてしまう。
しかし、妻のエリーは2人の関係にきづいてしまう。ブルックリンの家を去るエミー。そんな中、犯人が殺し屋をさし向けた。マイクは殺し屋を返り討ちにしたもの、犯人はエリーとトミーを人質として捕えてしまう。そして、クレアとの人質交換を要求して来た。警察隊と共に家に急ぐマイク。闇の中の銃撃戦。エリーがこぼれ落ちた拳銃でベンザを撃ち殺す。固く抱き合う親子3人。その様子を見ていたクレアは、静かにその場を去るのだった。

by ssm2438 | 2009-11-11 02:56 | リドリー・スコット(1937)
2009年 11月 11日

ブラック・レイン(1989) ☆☆

f0009381_2174991.jpg監督:リドリー・スコット
脚本:クレイグ・ボロティン、ウォーレン・ルイス
撮影:ヤン・デ・ボン
音楽:ハンス・ジマー

出演
マイケル・ダグラス (ニック・コンクリン)
松田優作 (佐藤浩史)
高倉健 (松本正博)
アンディ・ガルシア (チャーリー・ヴィンセント)
ケイト・キャプショー (ジョイス)
若山富三郎 (ヤクザのドン菅井)

        *        *        *

公開当時、思いっきり期待して見に行ったら・・・けっこう期待はずれだった。個人的にはもっと大阪の街を『ブレード・ランナー』みたいにセットでぎんぎん創造してほしかったのに・・・。最後の桑畑?はカリフォルニアだとか。日本とは明らかに空気が違うな。映画を見てるとき「あれ、いつアメリカに帰国したんだ??」って勘違いしてしまった。へたに大阪なんかロケせずに、全部セットでつくってやる!!くらいのガッツをみせてほしかったな。
撮影もヤン・デ・ボンで、分り易い照明はいいんだけど、ちょっと渋みがないというか・・。あと主役のマイケル・ダグラスがどうにも正義の刑事役にはなりづらい気がしていやだ。アンディ・ガルシアもそんなに好きじゃないし・・、高倉健の描写もいまいちなんのウエイトもないし、唯一松田勇作だけがはじけていた。これが遺作になってしまいましたね。

<あらすじ>
ニューヨーク市警のニック・コンクリン部長刑事(マイケル・ダグラス)とチャーリー・ヴィンセント(アンディ・ガルシア)が昼食をとっている時に、そのレストランで、マフィアのボスが日本人の2人組に襲撃される事件に直面した。激しい格闘の末に、その佐藤(松田優作)という男を逮捕したニックとチャーリーは、彼を護送するために日本へと向かう。ところが大阪空港での犯人引き渡しの際に、偽装警察に佐藤を奪回させてしまった。
日本では銃を所持することは禁止され、大阪府警の松本正博警部補 (高倉健)の監視下に置かれるニックとチャーリー。
ニックとチャーリーが捜査をすると、ジョイス(ケイト・キャプショー)というアメリカ人ホステスから、佐藤が大阪の夜の街のボス菅井(若山富三郎)と抗争を続けていたことを知らされる。ところがホテルに帰ろうとする夜、佐藤を始めとするライダーたちに取り囲まれ、チャーリーが切り殺されてしまう。
松本とニックは、大きな製鉄所で佐藤と菅井が対峙している現場にたどりつくが、激しい銃撃戦の末、彼を取り逃してしまう。国外退去を命じられたニックだが監視の目を盗んで飛行機から脱出し、単独で菅井と接触、佐藤が来るという農家に身を潜めて彼を待ち伏せする。松本の援護のもと佐藤を追いつめ、畑での激しい格闘の末、彼を逮捕することに成功するのだった。

by ssm2438 | 2009-11-11 02:19 | リドリー・スコット(1937)
2009年 08月 15日

ハンニバル(2001) ☆☆

f0009381_23802.jpg監督:リドリー・スコット
原作:トマス・ハリス
脚本:デヴィッド・マメット、スティーヴン・ザイリアン
撮影:ジョン・マシソン
音楽:ハンス・ジマー

出演
ジュリアン・ムーア (クラリス・スターリング)
アンソニー・ホプキンス (ハンニバル・レクター)
ゲイリー・オールドマン (メイスン・ヴァージャー)
レイ・リオッタ (ポール・クレンドラ)

        *        *        *

監督がリドリー・スコットに代わっての続編。・・しかし、おもったほど燃えなかった。この映画で面白くつくることはできないのだろうか・・? 映像センスは今回のほうがいいのだが、物語の展開は同じくらいダメだ。でも、前作のほうが方向性は正しいと思う。
つまり、レクター博士を追跡する対象にしてはいかんのだと思う。レクターをあくまでアドバイザー的にしたてあげとかないとこの物語はなかなか成立しづらい。なおかつ、そのレクターを物語の中に取り込まなければいけいのだからかなり難しい。それが出来ないと前回のように、一つの映画のなかで二つの物語が進行して求心力半減映画になってしまう。今回はそのへんを踏まえてなんとかいじくってるけど、いまいちすっきりまとまってないという印象だ。

あと、最後に自分の手をきるレクターはもうレクターじゃない。あれはいかん。あそこは残酷でもジュリアン・ムーアの手をきって逃げないと・・。ああいうところで情をみせたらもうレクターではなくなる。

<あらすじ>
ハンニバル・レクター博士(アンソニー・ホプキンス)が逃走してから10年。大富豪のメイスン・ヴァージャー(ゲイリー・オールドマン)は、かつて自分の顔をつぶしたハンニバル・レクターを執念で追跡していた。彼は、司法省のポール・クレンドラー(レイ・リオッタ)を巧みに利用し、FBI捜査官のクラリス・スターリング(ジュリアン・ムーア)をレクター狩りの任務につける。
そのころレクターはイタリアのフィレンツェに潜伏していた。
メイスン・ヴァージャーの動きを察知したレクターは、メイスンと組んでいた刑事リナルド・パッツィ(ジャンカルロ・ジャンニーニ)を殺害するが、メイスンの策略にはまり拘束されてしまう。レクターを檻にいれ、雑食性の獰猛なイノブタに食わせてしまおうとするメイスンだが、レクターの巧みな心理操作かどわかされたメイソンの部下は、メイソンをその檻に落とし、豚に食わせてしまう。一方、レクターを奪還しようと乗り込んだクラリスは銃撃戦のなか、肩を撃たれ気を失う。きがつくとそこは湖畔の隠れ家だった。ドレスを着せられたクラリスはレクターに食事にまねかれるが、テーブルの正面にはクラリスの上司であり、メイスンの手下として働いたポール・クレンドラーが神経を麻痺させらてたまま座っていた。彼の頭蓋骨は切断され、脳みそが露出したまま生きているクレンドラー。そんな彼に彼自身の脳みそを食べさせているレクター。
薬で体がいうことをきかないクラリスにキスするレクターだが、その時クラリスは彼に手錠をはめる、もう一方を自分の手にはめる。遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。しかしレクターは自分の手首を切断して逃亡するのだった。

この映画の敗因は、富豪のメイスン・ヴァージャーがどのような状況で、自分の顔の皮をはがれたのか、それが描かれてないので、メイスンの復讐心がいまいちぴんとこないところだ。そして誰がどこまで、彼の指示で動いているのか、どこまで彼の計画なのか?ということが非常にわかりづらいことだ。もうすこしシナリオを整理してほしかった。

by ssm2438 | 2009-08-15 22:29 | リドリー・スコット(1937)
2009年 04月 24日

エイリアン(1979) ☆☆☆☆☆

f0009381_2352393.jpg監督:リドリー・スコット
脚本:ダン・オバノン
撮影:デレク・ヴァンリント
音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演:シガーニー・ウィーヴァー
    トム・スケリット
    イアン・ホルム

        *        *        *

怖い、すごい、美しい、手に汗握る、これはもう傑作だ!! そしてこの映画を見終わった後のジェリー・ゴールドスミスの静かなエンディングを聞いた時の安らかさ。リドリー・スコットここにあり! 80年代は彼の時代だった。誰もが彼のビジュアルを追った。そのリドリー・スコットの中でも最高傑作はやはりこれだろう。 

物語りもシンプルでいい。宇宙船のなかという密閉空間。そこに凶暴なエイリアン。逃げる乗組員。捕まれば体内にエイリアンの子供を植え付けられるそのおぞましさ。しかもそのエイリアンは酸性の血液であるため、血しぶきが飛び散るようなら、宇宙船の金属を溶かしてしまい、期待に穴が開いてしまうため殺せない。そのなかで乗組員たちは生き残るための戦いを始める。
しかし、敵はエイリアンだけではなかった。会社からエイリアン確保を支持されていたアンドロイドも、彼らの障害となる。

それをリドリー・スコットの画面が記録する。スモークばんばんきかせ、一コマ打ちの黒コマが連打される。なにがどうなっているのか判らないが、それがいい。
このころはリプリーも普通の二等航海士だったのに・・・、ああ、この頃がよかった。というか、これしか良くないのがエイリアンのシリーズなんだけど。『エイリアン2』がいいって人間の気が知れない。

<あらすじ>
ノストロモ号は、船内に工場設備を持ち、そこで工業用品を生産・販売して廻る通商用の巨大な宇宙貨物船。地球に帰る途中、他の宇宙船からのSOSを傍受、ある惑星に着陸した。3人が信号発信地へ向かうが、やっと見つけた宇宙船は、すでに黒く焼けこげ、人影はなかった。その宇宙船の底の方を探りに行ったケインは、そこで、床一面に転がっている大きな卵状の物体を見つけた。

ここの映像ではまるよね。床を埋め尽くす卵状の物体群、そこにスモークたなびかせ、人工ライティングでちょうどひざくらいの高さかにセットしてある。まるで浅い水のなかをあるくような画面。そしてその1個をのぞき見たケインは、突然飛びだした小さなッ生物に顔をふさがれてしまった。

ノストロモ号に連れ戻され寝かされたケインの顔の上には、付着した生物が息づいており、強引に刃を突き刺すと、切り口からは液体が流れ、その強力な酸の影響でベッドも床も溶けてしまった。そして血液は、下の階層へとどんどん垂れ下がっていく。幸いアスベスト板(絶縁体)のおかげで事なく済んだが、乗組員たちは、その生物から血を流させるわけにはいかないことを悟った。

ケインは意識を回復し元気を取り戻したが、食事中に彼は呻き声をあげて苦しみ出し、胸部から一つの頭が飛び出した。ケインは血だらけになって死んだ。クルーががどんどん犠牲になっていくが、アッシュだけはエイリアンを捕獲したいと思っている。リプリーは船内のマザーコンピューターに質問した。「アッシュは生物を保護しているの、か?」。答えは「イエス」。アッシュはアンドロイドで、会社上層部からの秘密のミッション=エイリアン確保の命令をうけていた。船の自爆装置をセットすると、小型シャトルデ脱出。ノストロモ号は爆発。
しかし、エイリアンはそのシャトルに乗っていた。ひとり生き残ったリプリーは宇宙服を着て体を固定すると船室のドアを開け、エイリアンを宇宙へと吸い出した。

by ssm2438 | 2009-04-24 22:30 | リドリー・スコット(1937)
2009年 01月 09日

ブレードランナー(1982) ☆☆☆☆☆

f0009381_250283.jpg監督:リドリー・スコット
原作:フィリップ・K・ディック
脚本:ハンプトン・ファンチャー
    デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ
撮影:ジョーダン・クローネンウェス
特撮:ダグラス・トランブル
デザイン:シド・ミード
音楽:ヴァンゲリス

出演:ハリソン・フォード
ルトガー・ハウアー
ショーン・ヤング

     ×     ×     ×

私がアニメ業界に入って3年目にフリーになり、それまで当時所属していた会社以外の人とアニメの絵作りやらドラマ作りやらを話す機会が増えて来た。そのころ、アニメ業界には2つの “must see ”モノがあって、 その1つはダニエル・キースの小説『アルジャーノンに花束を』、もうひとつはP・K・ディック原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を映画化したこの『ブレードランナー』なのでした。 当時の映画を知る人にとっては、とってもメジャーな作品なのですが、 あれからも20年、知らない人もそろそろ出て来たのだろうとおもい、ここで一発紹介することにしたのでした。

時は2019年(今から16年後の話なのかと思うとちょっと違和感があるけど‥‥)、空気が濁り、いつも酸性雨が降っているロサンゼルス。人間に反逆し、植民惑星を脱走した人造人間=レプリカントが4体潜入していた。<ブレードランナー>とは、このようなレプリカントを捕獲、抹殺する役目をおびた特殊警察官(といっていいのかな?)であり、ハリスン・フォード扮するデッカートもその一人。 とある煙った一室(リドリー・スコットの画面にはいつもスモークがしがしなのである‥‥はは)、背広でメガネの男と向い合せに座って面接らしきものをうけてる男。背広の男は、やたらと感情を刺激する言葉をならべる。「君は砂漠をあるいていると、亀がのたのたとやってくる。君はその亀をひっくりかえす‥‥」 じつはこれ、VKテスト(フォークト=カンプフテスト)といって、感情を刺激する言葉を与え、目の瞳孔の反応をみるテスト。いかに人間にちかい反応をするアンドロイドとはいえ、感情の反応速度は人間のそれとはコンマ何秒かの遅れが生じるらしい。
物語のなかでは、そのテストが唯一の人間とアンドロイドをみわけられるテストという設定になっている。 でも、最初見た時には、それがなんなのか、全然わからなくって、原作をよんでみてやっと分った次第。 結局その男(実はレプリカントの一人)、「君の母親について聞かせてくれないか?」の問いの時に、背広の男を撃って逃亡したのでした。。。
そんなわけで、エージェントの一人を失った警察機構は、リタイヤしたはずのデッカートを再び呼び戻す事になる。 そんなデッカートは、リトル東京でうどんなんかたべてたりする。

始めてこの映画を見た時はけっこうカルチャーショックでした。未来世界と日本文化、ビジュアルにするとこうなるんだって感じで、それまでみてきた未来世界のビジュアルとは全然違った印象。この映画の味の1つはこの日本文化を取り入れた未来世界のビジュアルなんですね。あのスモークもくもくの未来の街のセット、リドリー・スコットの代名詞になっちゃいました。でも、そしてそののち『ブラックレイン』で、ほんとの日本をセットで表現できないかといどんで‥‥こけた。当時は、リドリーがどんなふうに大坂の街を映像にするんだろうと期待してあんだけど、さすがにあれはちょっとちがうぞって感じでしたね(苦笑)。ブレードランナーとして復帰したデッカートは、脱走した4体のレプリカントと同じタイプのやつがタイレル社(レプリカントの製造会社、可能な限り人間にちかい人造人間を作ることを目標としてる企業)にいるときき会ってみることにする。カープ社長室にとおされると、レイチェルと名乗る女性が出迎えてくれた。やがてタイレル博士本人があらわれると、かれはVKテスト(フォークト=カンプフテスト)がどんなものか見てみたいと、レイチェルでデモンストレーションをすること促す。
感情を逆なでする質問をするデッカート、さくさく答えるレイチェル、テストがおわるとタイレルは彼女に下がるように言う。 「彼女は‥‥知ってるのか?」、デッカートがタイレルに聞く。 うむむむ‥‥、やっぱりまだ人間と同じというわけにはいかないなあっとちょっと悔しいタイレルではあるが、 ま、そこは大人、そんな感情を隠してさらさらと答えるタイレルであった。。 レイチェルは、自分がレプリカントだということをしらないレプリカントなのだ。。。
デッカートが一仕事おえて自宅にかえってみると、レイチェルが待っていた。 彼女は、自分がレプリカントなのか人間なのか、その答を探していた。レプリカントは、最初は感情はないが、数年していくと感情がめばえてくる。その感情をコントロールしやするために、レイチェルにはタイレルの姪の記憶が埋め込まれていた。 デッカートは非情にも、そのことをばらしてしまう。人格とは<記憶/その人の歴史>なのである。このテーマはのちに『甲殻機動隊』で押井守がやってたりするので、興味のある方は一度みてみるのもいいかもしれない。脱走した4体のレプリカントもそろそろ感情が芽生えてきているが、彼等の寿命は4年程度。もうすぐ尽きようとしていた。彼等は創造者であるタイレルに会い、その命を伸ばしてもらうことを望みとして地球にもどってきていた。その首領のバティはなんとかタイレルまでたどりついたが、物理的に延命は不可能だと知らさえれ、タイレルをも殺してしまう。仲間のレプリカントたちも一人、また一人、デッカートに抹殺されていった。 バティは残りの命を、仲間の復讐、デッカートを殺すことに燃やす。自分の身体の機能がすこしづつ不調をきたしてくるなかで、デッカートを追い詰めるバディ‥‥、 絶対絶命のデッカート、そのときバティは‥‥。

ハードボイルドなストーリー、冷徹なデッカート、人間っぽいレプリカントたち、酸性雨の降る未来都市リトル東京。 シド・ミードの怪しく独特の美術でザイン、そしてスモークもくもくのリドリー演出。 シド・ミードとは『エイリアン』(1979)でもコンビを組んでるリドリー・スコットですが、 彼等がつくりあげたこの2本『エイリアン』『ブレードランナー』は、80年代映像業界のだれも追ったSF映画の金字塔だったのです。

by ssm2438 | 2009-01-09 22:19 | リドリー・スコット(1937)
2008年 12月 29日

デュエリスト/決闘者(1977) ☆☆☆

f0009381_1235846.jpg監督:リドリー・スコット
脚本:ジェラルド・ヴォーン・ヒューズ
撮影:フランク・タイディ
音楽:ハワード・ブレイク

出演:
キース・キャラダイン (デュベール)
ハーヴェイ・カイテル (フェロー)

        *        *        *

リドリー・スコットの映画のなかで始めてみたのがこの『デュエリスト/決闘者』。
当時(今のそうだが)、世間が騒いでる時にはほとんど興味がなく、後になってみて「あれ、面白かったよ!」って言うと「知ってるよそんなの」とよく言われた(苦笑)。本来恐怖モノには全然興味がなかったので『エイリアン』もかなり無視していたのだがたまたまつけてたテレビでやってるのみたら面白くレーザーディスクをかって見たのがリドリー・スコット初体験だと思ったら、どうやらそれ以前にレンタルビデオやでこの『デュエリスト/決闘者』を借りてみたことがあった。あとになって、ああ、そうか、これもリドリー・スコットだったのか・・と感心すると同時に、リドリー・スコットという名が心にふかく刻み込まれた。

この映画、・・・正直なところ、話はそれほど面白いとはおもえない。いちいち言いがかりをつけて決闘してくるハーヴェイ・カイテルがうざい。しかし、画面はとびっきり美しいのである。それも照明つかいまくりの美しさではなく、自然のなかでとった画面の美しさ。例によってスモークは人工的にいっぱい炊いてるとは思われるが、光は自然光なのだ。そして湿気のあるヨーロッパの背景をバックになんどかくりひろげられる決闘シーン。
というか、決闘シーンというよりも、そこにいたるまでの情緒性のあるもったいぶらせ方が美しいのである。
人工美的な美しさはその後のリドリー・スコットの映画の中で何度となく発揮されるのだが、こういう自然美的な美しさは、この映画は一番ではなかろうか・・。

f0009381_123584.jpg<あらすじ>
1800年のフランス。第7騎兵隊のフェロー中尉(ハーヴェイ・カイテル)はやたらと無意味に決闘をしたがる、自己顕示欲の強いタイプ。決闘をしたところで、死に至ることはほとんど無く、それを知っているフェローは難癖をつけては決闘を挑み、びびる決闘初体験の相手を倒してきた。そしてストラスブールでの決闘で市長の甥に重傷を負わせた。軍においては決闘は禁止されているが、これを破り決闘をけしかけるフェローに業を煮やしたトレアール将軍は、士官のデュベール中尉(キース・キャラダイン)に謹慎処分の伝令を託してフェローのもとに走らせた。フェローと面会したデュベールは軍令を伝えるが、フェローは逆恨みしてデュベールに決闘を申し込む。
決闘は引き分けに終わったが、フェローはその後もデュベールに執着し、事ある毎に難癖をつけて決闘をしかけるようになる。あるときはサーベルをもち、あるときは銃をもち、またあるときは馬上でランスを手に戦った。二人の決闘は年や国が変わっても続いたが、帝政の崩壊後にデュベールは王党派の将軍に出世し、アデルとの結婚を機にフェローとの関係を終わらせようとする。しかしフェローは諦めず最後の決闘を申し込み、デュベールは家族を守るため決闘に臨むのだった。

ただ、この映画で上手いのは、決闘してるだけでなく、その二人が北寒の戦場で出会うとみょうな連帯が生まれ、ふたりで生き延びることも模索するエピソードが盛り込まれていることだ。日本風にいえば「起承転結」の「転」の部分である。そんなことで友情も芽生えたかなと思わせつつもやっぱり最後は決闘にいたってしまう二人。何度も何度もはらはらさせられるので疲れてしまう。この疲れるまでのはらはら感はその後『エイリアン』でたっぷり楽しめる(?)のだが・・。
けっして悪い映画ではないが、観るのがしんどい映画だ。

by ssm2438 | 2008-12-29 12:04 | リドリー・スコット(1937)