主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。


by ssm2438

カテゴリ:ペニー・マーシャル(1943)( 5 )

f0009381_173247.jpg監督:ペニー・マーシャル
脚本:ジム・バーンスタイン
撮影:アダム・グリーンバーグ
音楽:ハンス・ジマー
歌:マーヴィン・ウォーレン

出演:
ダニー・デヴィート (ビル・レイゴー)
グレゴリー・ハインズ (キャス軍曹)
クリフ・ロバートソン (ジェームズ大佐)
ジェームズ・レマー (マードック大尉)
ステイシー・ダッシュ (ミランダ・マイヤーズ)
マーク・ウォールバーグ (トミー・リーヘイウッド)

       *        *        *

彼等のラップ・ハムレットはいかす!!

女性監督のなかではダントツに好きなペニー・マーシャル『プリティ・リーグ』ではぼろぼろ泣かせてもらった。『ビッグ』では楽しく笑わせてもらった。彼女のガッツでハートフルな語り口は実に素敵だ。

内容的には軍隊を舞台に『いつも心に太陽を』『長い灰色の線』をやってるような感じ。軍隊のなかでも学業的にオチこぼれをあつめた補修プログラムの担当講師になったダニー・デヴィートがシェークスピアを引き合いに出しながら、生きることとは自分で決断してきめていくことを教えていく。軍隊とシェークスピア、シェークスピアとラップという、ありえないパズルががちがちと組み合わさって出来ていく映画はなかなか楽しい。

軍隊のオチこぼればかりをあつめた「ダブルD」と呼ばれるクラスだが、みてみるとそれほどすさんではいない。『いつも心に太陽を』レベルなのだ。これが『ワイルドチェンジ』までいってたらかなりしんどかっただろが、ハートフルが機能する範囲でキャラクター設定が行われている。甘いともいえるが、暗くなりすぎないためには必要だったのかもしれない。
f0009381_17362337.jpgそのなかの紅一点、ステイシー・ダッシュ(→)がとてもチャーミング。黒人女性で彼女くらいチャーミングにみられる女性はそういない。しかし、この娘がこのクラスに来る必要があったのか??ということに多少疑問は残るが、「全部男ばっかりだったらつまらないから」という理由でなぎはらわれそう。
と兵士に中にマーク・ウォールバーグがいた。後に『シューター』で狙撃兵をやる彼はここでも狙撃上手を演じていた。

このタイトルはいただけない。原題どおり『ルネッサンス・マン』(ルネサンス的教養人という意味らしい)で良かったようなきがする。でも「ルネサンス的」とはどういうことなのだろう?
そもそも「ルネサンス」とは、イタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようとする歴史的文化革命あるいは運動を指す。しかし、単に「古いものを復興しよう」という考えとはちょっと違う。この言葉の場合は古いもののほうが新しいのである。ギリシャ時代に発達した、自然科学や真理の追究、人間の本来のあり方などの考えかたはキリスト教の出現により、中世と呼ばれる季節の中では捻じ曲げられてきた。キリスト教がファンタジーで世界を解釈しようとした真実逃避の概念から、今一度真実に戻そうという概念が「ルネサンス」の本来の意味になる。
この映画の主人公、ダブルDのクラスにはいっている兵士たちに、今一度学問を自らの意思で行い、自分達を「落ちこぼれ」と自分で決め付けていることから脱却させていく。そのネタとして古典文学シェークスピアの『ハムレット』を題材にし、物語の中の問いかけは、自らに課された問いかけであることを気づかせていく。

雨の中の軍事訓練中に、ダニー・デヴィートのクラスがほんとに機能しているのかどうか確かめるために、そのクラの一人に『ハムレット』の一説を暗唱させる。一人目はダメだった。しかしもう一人にやらせてみると、すらすら言葉が出てくる。雨とドロにまみれた軍事訓練の中、彼の言葉からシェークスピアの国を守る兵士達の熱き言葉が語られる、そこにハンス・ジマーの音楽が重なると、怒涛の感動がおしよせてくる。
これで感動させるのか・・、ペニー・マーシャル!! 巧いぞ!って思ってしまった。

f0009381_17322392.jpg<あらすじ>
会社を解雇されたエリート広告マンのビル・レイゴー(ダニー・デヴィート)は、職業安定所で陸軍の落ちこぼれ兵士たちに教える国語の教師の職を紹介される。そのクラスは「ダブルD」と呼ばれる落ちこぼれ兵士たちを集めた特別補修クラスだった。軍には入ったものの勉学に乏しい彼らは常に劣等感を感じそれを、ジョークで逃げてきた。そんな生徒達にビルはシェークスピアの『ハムレット』を教えはじめる。
しだいに『ハムレット』の内容を兵士たちは理解しはじめる。さらにクラスに一人に、圧倒的に頭のいい兵士が紛れ込んでいることに気づく。彼をもっと高度なところで学ばせてやりたいと思ったビルは、管理役の管理役のマードック大尉(ジェームズ・レマー)に彼の存在をしらせる。しかし数日がかれは逮捕されてしまう。彼は麻薬に密売に絡んでおり、捜査から逃げるために軍隊に逃げ込んでいたのだ。彼も含めて、みんながいい雰囲気で勉強に興味を持ち始めた矢先の事件にビルも落胆する。しかし、その兵士も獄中のなかで猛勉強にうちこんでいるという知らせがとどく。クラスのみんなでほんとのショーエクスピアの劇をみにいくイベントや、そして雨天の軍事練習の中の『ハムレット』の暗唱、そして最終テスト。
『ハムレット』から多くを学んだ兵士たちは、その学び舎を卒業し兵士として巣立っていく日がおとづれる。最後のパレードの時、ビルの前を行進すダブルDのクラスの兵士達が、彼に敬礼をして歩き去るのだった。
by ssm2438 | 2010-10-17 17:40 | ペニー・マーシャル(1943)
f0009381_1012443.jpg監督:ペニー・マーシャル
脚本:スティーヴン・ザイリアン
撮影:ミロスラフ・オンドリチェク
音楽:ランディ・ニューマン

出演:
ロビン・ウィリアムズ (マルコム・セイヤー博士)
ロバート・デ・ニーロ (レナード)
ペネロープ・アン・ミラー (ポーラ)

       *        *        *

『アルジャーノンに花束を』との類似性が気になるのだが・・どうなんでしょうね?

同じエピソードをネタに、ダニエル・キース『アルジャーノンに花束』を書き、オリバー・サックスが、この『レナードの朝』をかいたのでしょうか? それとも、オリバー・サックスがこのこの本ネタを書こうとしたときに、『アルジャーノンに・・・』の展開をある程度意識したのでしょうか・・? 多分後者かな? 
番うように作ろうと思えば作れたのかもしれないが、どうしても『アルジャーノンに・・・』のストーリー展開が面白すぎるので、主人公のメンタリティの流れ自我の確立とか恋愛感情とか・・、そのあたりの展開は『アルジャーノンに・・・』にベースで展開してしまったのだろう。そのへんが、違う作品なれど、『アルジャーノンに反束を』の模造品的立場になってしまっている。
しかしこの映画、専門的知識ベースで書かれているので、物語の説得力はとりあえずあるが、所詮は「実話をもと」にしたフィクションであり、映画作りの方向性としては、『アルジャーノンに花束を』のをパーキンソン症候群べの治療ベースで現代風なリメイクと言ったほうがいいかもしれない。個人的にはあまり『アルジャーノンに・・・』に傾かず、もうすこし医学ベースのリアルなつくりでいってほしかった。
しかしラルフ・ネルソンが作った『まごころを君に』よりははるかに好感がもてるつくりになっている。さすがペニー・マーシャル。彼女は、『ビッグ』や『プリティリーグ』などを手がけたこの女性監督さんであり、私の好きな監督さんの一人である。・・・しかし、この人はかならずダンスをするシーンをいれるね。愛の表現手段としてはセックスよりもダンスのほうが好きなんだなあっていつも感じる。

ちなみに『アルジャーノンに・・・』では、知能遅れの少年に対してある手術をするという、かなりアバウトな設定なのだが、その設定がこの物語の魅力ではなく、そのあとの展開がこの物語の魅力になっている。それにたいしてこちらの『レナードの朝』は嗜眠性脳炎からパーキンソン症候群におちいった患者にL-ドーパを投与し覚醒させたが、耐性により効果が薄れていくとう流れ。

<あらすじ>
1969年、マルコム・セイヤー(ロビン・ウィリアムズ)という風変わりな意思が、ブロンクスの慢性神経病患者専門病院に赴任してくる。その風変わりだが可能性を追求する熱心な態度に看護婦のエレノア(ジュリー・カブナー)も好感をもつようになる。
そこにレナード・ロウ(ロバート・デ・ニーロ)も入院していた。彼は11歳の嗜眠性脳炎にかかり、そのごパーキンソン症候群におちいり、30年もの間彼の体は硬直してうごこうとしない。セイヤーはまだ公式に認められていないパーキンソン氏病患者用のLドーパを使ってレナードの機能回復を試みる。そしてある朝、レナードがベ起き上がりベットの脇にすわっているのを目にする。

※ここから物語りは『アルジャーノンに花束を』モードにシフトする。

30年ぶりに街に出たレナードにとって見るものすべてが驚きだった。レナードの回復をみたセイヤーは、他の患者にも新薬を使うことを申し出て、病院のスタッフの協力によって投薬が始まった。一方、完全に機能を回復したレナードだったが、彼が病院に見舞いにきたポーラ(ペネロープ・アン・ミラー)に生まれて初めての恋をする。自我が目覚めていくにつれて病院の管理体制に「自分たちは実験用のペットではない」と怒りをもらすようにもなってくる。しかしこのときすでにLドーパの効果は薄れつつあり、体の自由が徐々にきかないようになってくる。再びベットで硬直した人生にもどるしかないレナードはポーラをダンスをおどる。レナードを追うように他の患者たちも再び以前の状態にもどってくのだった。
by ssm2438 | 2010-09-14 10:13 | ペニー・マーシャル(1943)
f0009381_171421100.jpg監督:ペニー・マーシャル
脚本:ナット・モールディン/アラン・スコット
撮影:ミロスラフ・オンドリチェク
音楽:ハンス・ジマー

出演:
デンゼル・ワシントン (ダドリー)
コートニー・B・ヴァンス (ヘンリー・ヒックス)
ホイットニー・ヒューストン (ヘンリーの妻ジュリア)
グレゴリー・ハインズ (不動産業者ジョー・ハミルトン)

        *        *        *

神の使いで地上に降りた天使のデンゼル・ワシントンだったが、プリースとの妻ホイットニー・ヒューストンに惚れてしまうも、自制心を保ちながらさりげなく人助けして帰っていく話。

私の大好きなペニー・マーシャル監督作品なれど・・、これはもうちょっとだったかな。悪い話ではないのだけど、どうにも一人の歌手のプロもみたいな映画になってしまうとなんか楽しくなかった。ホイットニー・ヒューストンの歌のシーンがやたらとあって、そこは飛ばしてなんとか終わった。いつもたのしませてくれるペニー・マーシャルのなかではちょっと期待はずれのほうに入ってしまった。

この映画のポイントは、牧師を助けるために使わされた天使だが、さりげなくその妻に恋してしまい、ささやかなわがままを楽しみつつも、冷めかけていた二人の関係を修復し、地域に愛を再び植えて受けて帰っていくというところ。さりげなく人妻に恋するダドリーがなかなかチャーミングで素敵だ。

<あらすじ>
クリスマスまであと1週間。聖マシュー教会の牧師ヘンリー・ヒックス(コートニー・B・ヴァンス)は、老朽化した建物を再建し、住民の心も離れがちな現状を改善すべく日夜奮闘していたが、見も心も疲れ果てていた。そんな彼の祈りをきいて神が天使を地上に送った。
ヘンリーの迷惑顔もよそに教会に居ついてダドリー(デンゼル・ワシントン)は、さりげない真心と、ささやかなマジックで人々の心に暖かい灯をともしていく。しかし教会は地域出身の不動産業者ジョー・ハミルトン(グレゴリー・ハインズ)に奪われようとしていた。彼はそこを更地にしてショッピングモールを建設する予定だった。そんなハミルトンに屈服するヘンリー。納得いかないヘンリーの妻ジュリア(ホイットニー・ヒューストン)はヘンリーにも冷たく当たる。ヘンリーもそんな戯言にか回っている暇はなく、地域への奉仕活動で忙しく、なんとか仲直りにだドリーがセッティングしたジャズクラブでのダンスも、キャンセル。ダドリーにエスコートを任せてしまう。二人の思い出のジャズ・クラブで彼女はだドリーと楽しい時間をすごしたようだ。しかし、ヘンリーはそんなだドリーに嫉妬しはじめる。
クリスマスの日、教会の最後のミサへハミルトンを招いたのはダドリーだった。かれは教会の暖かさを知り手を引くと約束する。信者と喜ぶヘンリーとジュリアは、ダドリーに気付かず我が家へと向かう。彼らの記憶からダドリーは失われたのだった。その様子を見てダドリーも仕事が完了したことを悟り一人立ち去っていくのだった。
by ssm2438 | 2010-02-28 17:14 | ペニー・マーシャル(1943)
f0009381_5152413.jpg監督:ペニー・マーシャル
脚本:ローウェル・ガンツ
    ババルー・マンデル
撮影:ミロスラフ・オンドリチェク
音楽:ハンス・ジマー

出演:
トム・ハンクス (監督:ジミー・ドゥーガン)
ジーナ・デイヴィス (ドティ/キャッチャー)
ロリ・ペティ (キット/ピッチャー)
マドンナ (メイ/センター)
ロージー・オドネル (ドリス/サード)
フレディ・シンプソン (エレン/ショート→ピッチャー)
ミーガン・カヴァナグ (マーラ/セカンド)
ベティ・シャーマン (エヴェリン/ライト)
ティア・レオーニ (ラシーヌの背番号3)

     *     *     *     *

この映画は、スペイン~フランス旅行から帰る飛行機の中でみたのですが、いや~~~~泣けた泣けた。まさかこの映画でぼろ泣きになるとはおもいませんでした。この映画は基本ラインが梶原一騎『巨人の星』なのです。『巨人の星』では父一徹を越える星飛雄馬の試練がその物語の根幹を成すものでしたが、この映画も姉のジーナ・デービスを越える妹のロリー・ぺティのドラマのように思えて、彼女が最後、ホームベースに突入していく(正確には3塁ベースを蹴る前あたりから)もうぼろ泣き状態でした。

これはもう私のひとつの泣きのツボなのですね。
「俺はもう飛べない、だからお前を俺を越えて行け」ってシチュエーションにはかならずぼろぼろきてしまいます。古くは『さよなら銀河鉄道999』の冒頭でパルチザンの親父さんが飛び立っていく999を見送るあたりとか、『グース』で父親のハンググライダーはもうとべなくなっているとき、「お前ひとりでもいけるはずだ」って娘を送り出すときとか・・。
もちろん彼らのほうが先にうまれて経験しているのだがら力をもってて当たり前なのだけど、そんな先輩たちも徐々に老化し弱体化していく。そんなときは自分が踏み台になって後につづくものをより多角ほおりなげてやる。越えられていくものの強さはそのまま、送り出すジャンプボードのスプリングの強さにもなる。
そんなことを思ってみてると、最後の妹の爆走といいましょうか、暴走といいましょうか、本塁突入、ジーナ・デービスと激突!ってのはもうそれだけで感動でした。

監督はペニー・マーシャル。トム・ハンクスの『ビッグ』の監督さんです。その後も『アルジャーノンに花束を』もどきの『レナードの朝』の監督をこなし、私の感性の中ではもっとも面白い映画をとる女性監督さんという印象。しかし残念ながら最近はあまり監督業をやってくれない様子・・。
・・あと、この人の映画のなかにはかならずダンスシーンが出てくる。ダンスはアメリカの文化なのでしょう。

それからトム・ハンクスは思いっきりばっちいまでに砕けてましたね(苦笑)。このくらいくだけてだらしない芝居ってのもこの人ならではだなあって思ってしまう。

あと・・このタイトルはなんか嫌だなあ。
当時英会話学校にいたとき、アメリカ人女性教師に「最近みたいい映画は?」ってきかれて「プリティリーグ」と答えてしまったが、すっごく嫌な思いがした。
原題は『ア・リーグ・オブ・デア・オウン』。客寄せエンタテーメントな理由で出来たかもしれない女子プロ野球だけど、彼女たちにとっては真剣に戦うべき場所・・という意味だと思う。
それを日本の映画会社は「プリティリーグってタイトルにしたなんて・・。確かに国内の販売はそれでいいかもしれないけど、アメリカ人女性に対して、この映画を「プリティリーグ」と表してしまったことはかなり恥ずかしかった。

<あらすじ>
第二次世界大戦真只中のアメリカ、プロ野球選手たちも次々と戦場へ駆り出され、大リーグの運営は危機を迎えていたころ女子プロ野球リーグを発足させる話がもちあがる。スカウトのひとはドティ・ヒンソン(ジーナ・デイヴィス)をドラフトしにきたのだが、彼女はいまいち乗り気でない。しかし妹のキット・ケラー(ロリー・ペティ)は行きたい様子。結局姉と一緒なら了解しようということで、ドティとキットはシカゴに向かう。
そこで選抜が行われ、64名が選ばれ4チームにわけられる。ドティとキットが配属されたのはロックフォード・ピーチズ。監督は元大リーグの強打者だがケガで引退、今は酒びたりのジミー・ドゥーガン(トム・ハンクス)。
そんな監督は全然やるきもなかく、ほとんどドティが代理監督っぽい役回り。それでもチームが勝っていくうちにだんだんと監督らしくなっていく。
何をやっても姉が上、野球では姉の判断が優先されることに対して劣等感を抱いていたキットはそんな自分を断ち切りたいと思いどうしても無理をしてしまう。あるとき投手交代をきっかけにドティとキットが喧嘩、トレードでキットはチームを変わることになる。キットにとってこの野球は姉越えのための大事な舞台なのだ。
やがてドティのチームとキットのチームが上位2チームになりプレーオフ。そしてキットによる暴走本塁突入で姉に体当たりすると、鉄壁の守りのはずだった姉のミットからボールがおちてセーフ、ゲームセット!

最後はほんとに熱血スポ根ものでした。
越えていく人というのは、先輩方が、あるいは先生方がどんなに冷静なことをいっても、自分がどんなに間違っているとわかっていても、強引に意地張って、牙をむいて、精一杯威嚇して、はたからみたらチキン野郎に見えても、もちろんそれを自分で分かっていても、反抗して成し遂げて、自身をつけていくしかないのです。

がんばれ、総ての越えていく者たち!!
そんな彼らもいつかは越えられていくのだけど、そのときは強靭なスプリングボードとして、次の世代の超えていくものたちを高く跳ね上げて上げて欲しいものだ。
by ssm2438 | 2009-08-27 05:16 | ペニー・マーシャル(1943)

ビッグ(1988) ☆☆☆☆

f0009381_23242891.jpg監督:ペニー・マーシャル
脚本:ゲイリー・ロス
    アン・スピルバーグ
撮影:バリー・ソネンフェルド
音楽:ハワード・ショア

出演:トム・ハンクス
    エリザベス・パーキンス

     ×     ×     ×

個人的にこのころのトム・ハンクスってかまととっぽいというか、人畜無外だぞ光線をだしまくっててちょっと嫌だったんですけど、これはさすがにやられましたね。この映画の主人公をだれにやらせるか?っていったらやっぱりトム・ハンクス以外には考えられない。あのガキっぽさは天下逸品です。 トム・ハンクスの魅力っていうのは、なんでいうんでしょう、ドラマと観客との距離を圧倒的に身近にしてくれるその親近感。

ちょっとドラマのメカニズムについて話しましょう。
エンタテイメントなドラマっていうのは、早い話、<観ているものをドラマの主人公と共鳴させて、ドラマのなかで最後に主人公の勝利を描きつつ、観ている者にその感動を与える>ってものです。どんなに目の前で展開されてる絵がアクションばりばりの派手な画面でも、そこに感情移入がないと退屈なだけです。演出という仕事はこの<感情移入をどう観ている人におこさせるのか>という部分を担当するものだといっていいでしょう。
で、もうひとつ赤裸々なネタばらしをしちゃいますと、感情移入っていうのは、実は<弱さ>にしか起きないんです。 主人公が強いシーンをみても誰も感情移入しません。<強さ>ってのはそれを現実にできるひとには理想であり、出来ないで憧れる人にはファンタジーなのです。 本来誰もが隠している弱さ、これをこそっと出してやる。そうすると、みている者はそれに共感し、安心してしまえるんです。
しかし、その為には魅せるがわのほうが弱さを暴露しなければなりません。これができる人と出来ない人がいて、アニメ業界のライターさんかはほとんど出来ないですね。漫画家さんんが、アニメーターより絵がそんなに上手くないけど偉いのは、この弱さの暴露ができちゃうからなんですね。だから人を魅了するものが書ける。ドラマというのは、主人公の弱さをみせて観客に感情移入させ、最後の勝利させ、観客を同時に満足させるというものと言い切ってもいいでしょう。そのために、ライターは監督はいろんな手段をとるのですが、このトム・ハンクス、どんなに監督が下手でも、ライターが下手でも、観客に感情移入を引き起こしてしまいます。これはもう、彼の親近感以外のなにものでもないですね。

ちなみに、7月3日はトム・クルーズの誕生日ですけど、こっちはどっちかというと<強さ>=ファンタジー/理想の偶像ですよね。 ついでだから他の有名どころの蟹座の男優さんの紹介もしときましょうか。

7月6日生まれ  シルベスタ・スタローン
7月8日生まれ  ケビン・ベーコン
7月11日生まれ ユル・ブリンナー
7月14日生まれ ハリスン・フォード
7月21日生まれ ロビン・ウィリアムス

あ、誤解するかもしれないのでこの点は強調したいのですが、 この監督とライターは素晴らしいです。
この監督さんペニー・マーシャルは、メグ・ライアン主演の『恋人たちの予感』の監督ロブ・ライナーの元ワイフ。 ペニー・マーシャルの他の作品で有名なのは『プリティ・リーグ』『レナードの朝』、いいですね~~~~。 『プリティ・リーグ』なんかもう、不覚にもぼろぼろ泣かされてしまいました。 あと、この映画がすごいのは、おわったと、 あと15年後どうなってるんだろう・・??ってその後のストーリーを観てる者につくらせてしまうポテンシャル。
あの男の子が、大きくなったら彼女を探すんだろうか・・・? 彼女は、彼が再び自分のまえに現れてくれる事をひそかにまっているんだろうか・・・? でも、会った時には、お互いに誰かしたつきあってる相手がいるだろうし・・・・、 そんなことを思うとどんどん自分で新しいシナリオが沸き上がってくる楽しさ。 これを観客のなかに残したことが、この映画の一番の素晴らしさだとおもったりするのでした。。。
by ssm2438 | 2009-01-05 07:44 | ペニー・マーシャル(1943)