主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。


by ssm2438

カテゴリ:男はつらいよ(1969)( 50 )

f0009381_5455395.jpg監督:山田洋次
原作:山田洋次
脚色:山田洋次/朝間義隆
撮影:長沼六男
音楽:山本直純

出演:
西田敏行 (白銀活男)
吉岡秀隆 (平山亮)
田中裕子 (十成八重子)
田中邦衛 (常さん)

     ×   ×   ×

結局男って、好きな女に認められたいから生きてるんだろうなあ・・・。で、それができなくなると、どうでもよくなっちゃうんだろうなあ・・・

そのネタを失ったとき、ジョーはそういうしかなかったんだろうなあ。

丈「…じゃあどっからか連れてこいよ…もう一度力石徹よ…!」

葉子は連れてきたけど・・・、誰も代わりがいなかったらへたるよ、男は。あそこで田中裕子がいなくなったら、なんのために映画上映しつづけるんだ? 誰かが代わりを持ってこられるならいいけど、来なかったら続けられないよ。だってかっちゃんは映画を上映したあとに「この映画よかったね」って田中裕子に言ってもらいたいためにやってたわけだから・・・、しんどいよ、あのあと続けるのは・・・。

しっかし、男心を描かせるという事に関しては、今回ほど赤裸々な映画は山田洋二のなかではなかったかも。
かなり男の願望描いてます。


本来『男はつらいよ』の49作目として作られる予定だったお話だが、渥美清の死去によりタイトルをかえて別作品として作られた映画。なの寅さんコンセプトはそこかしこにあります。これは作り手の云々かんぬんよりもきっと映画の公開予定とか営業面とかいろいろな大人の都合があってそういうことになってしまったのだろうという気はします・・が、ある意味それが味だったり、別の意味ではそれが嫌味であったり、捉え方がなにかと複雑な映画です。

物語の冒頭、就職浪人の平山亮(吉岡秀隆)は親とけんかして家を飛び出し青春○○切符ていうのかなにかしらないが、そんなんで鈍行のりつぎ旅しています。そしてたどり着いた徳島のひかり町。そこにオデオン座という古びた映画館があり、そこに住み込みで働くようになったのでした。

映画館のオーナーは白銀活男(西田敏行)。寅さんのキャラをダブらしたようなこの男・・ってことは、これが寅さんがやる役だってことなのか? ということは、49作目では、田中裕子のほうが見せのオーナーで、寅さんがころがりこんで・・って展開だったのかなと思ってみたり。ま、それはいいや。

ヒロインになるのが田中裕子演じる十成八重子。活男を友人の妹で出戻り女で父の支援で喫茶店をやってる女性。オデオン座では毎週土曜日に名画の上映会をやっており、その選考委員をやってるといういつながり。
今週の映画はなんとあの『ニューシネマパラダイス』。
一番燃えるシーン見せないようについばんで見せているのだが、それでも思い出して泣けてしまう。だいたい、この映画を映画のなかでみせてしまうことじたいがずっこい! 

そしてオデオン座以外でおこなわれる上映会。
私が小さい頃は、地域の公民館に上映屋さんがきて上映された映画をみた覚えがかろうじてありました。まだ、そんなことやってるのか??と思いますが(この映画公開されたのが1996年、ちなみに劇中の田中裕子は40歳)、懐かしく思えてしまいます。今の人はそんなことが行われてたことなんて知らないでしょう。『恋々風塵』のなかでも地域での野外上映をやってましたが、昔はああいうこともあったのです。
その公民館で上映されたのが『野菊の如き君なりき』。おおおおお、実はこの映画私もまだみてません。
ここでのエピソードは、公民館の責任者である柄本明が「規則だから9時までに終わらせろ」というがそれでは途中できりあげなければいけなくなる。結局柄本も一緒にみることになり、はまってしまい、「9時ですがおわらせますか?」と活男がいうが「あほ、ここで終わらせられるか」と自分がのめりこんでしまう・・という展開。ありきたりだがわくわくしてしまった。

その後も上映いろいろあり。『かくも長き不在』、『東京物語』、と昔の映画ファンなら誰でもみた映画が連打される。劇中「面白くて受ける映画を」って言ってたが、このラインアップでは倒産もやむなしだろう(苦笑)。。。このあたりになってくると、最後に上映される映画はなんだ??って疑問がわいてくる。

やがて地方の小学校での文化祭。生徒はひとり。この分校も今年が最後で、最後の文化祭に生徒一人のために活男が映画上映をすることになる。もっともその教室(ちいさな体育館かもしれない)には先生や父兄のや分校関係者のひとがいてけっしてさびしいわけではない。そこで上映される『禁じられた遊び』。この映画で果たして小学生が楽しんだかどうか・・・あ、でも私がこの映画を始めてみたときも中学生くらだったのでにたようなものか・・・と思った。でも、私が見たときは水曜ロードショーで吹き替えだった。ここで上映されたのは字幕スーパー。この子が読書障害でなかったことを祈ろう。

ポイントになるのはそのあとのシーン。上映が終わって学校関係者が活男に感謝して飲みの関をもうけてくれた。その席で夫婦だと間違われた八重子が挨拶することになる。夫婦に間違われるエピソードってのは妙にこそばゆく心地の良いものである。『男はつらいよ 寅次郎物語』でもこのコンセプトはやってたのだがやはりはにかんで見てしまう。
で、男の至福の時。好きな女が自分のことを「うちの主人が」といい、そんな主人を誇りに思うといってくれる。
男にとって好きな女に認められるのがなにより幸せなのである。だああああああああああああああああああああああ、あいかもかわらず泣いてしまった私。その音楽のつけ方も卑怯なのである。周りの人がのりのりで花笠音頭とかおどりだしコミカルでにぎやかしのシチュエーションを作りながら物悲しげな音楽を流すという卑怯音楽の付け片法。コミカルなシーンに切ない音楽を流すと超効果的だし、緊張感のあるシーンに牧歌的な音楽を流すとこれまた効果的という、一種のBGM付けの技のひとつなのだがここでやりやがった。
でも、だあだあ泣いてる私・・・ははは、ああ単純。

やがて八重子の父親が亡くなり葬式。あたふたしてるところに八重子をずっとおもいつづけていた男(旦那の友人)が現れる。このあたりは『続・男はつらいよ』(2作目)のでの展開と同じである。ヒロインはやっぱり、結婚するのはやっぱり他の人ね・・ということで寅さん、今回は活男のもとを去っていくのであった・・・。

「今日の映画もおもしろかったー」を言ってもらいたいがために上映していた映画。しかしその人はもういない。オデオン座を占めることを決意した活男が最後の上映に選んだものは・・・・。

ええええええええええ、そこでこれをもってくる!?
できれば第8作目を選んで欲しかった。

・・・・・しかし、男って好きな女に認められたい生き物なのです。
切ないなあ・・・男って・・・。


ちなみに、私は愛した女が結婚したとき、「おめでとう」なんていってません。「幸せになってください」なんてアホな言葉もはいててません。「いつか言うから」とはいいましたがうそです。
男ってのは好きな女が不幸なほど、幸せなのです。
ううううううむ、いい台詞だ。この映画の価値はこの台詞を言わせたことかもしれない。

・・・・というわけで、いろいろごった煮の映画でしたが、まあまあ楽しませていただきました。
うん、面白かったよ。卑怯で、ずるくて、適当で、大人の都合で作られたかもしれない映画だけど・・・。
by ssm2438 | 2013-12-02 05:46 | 男はつらいよ(1969)
f0009381_2325833.jpg<作品の概念>
この映画は、何かを成し遂げるというようなヒロイックな主人公が出てくるわけではありません。常に現実と妥協して生きている人たちの話です。ほとんどの人はやりたいことがあっても、「やりたいなあ」どまりで、「やるんだぞ!」っていう強い意思のもとに何かを完結することなどありません。そういう人たちが劣等感を抱かないように作ってある映画といっていいでしょう。
また、監督である山田洋次がA型であることから、登場人物総てがA型にみえるドラマといっても過言ではなありません。昭和前期の価値観をもとに、A型さん独特の<気の使い方>を面白可笑しく、時には切なく悲しく、そしてクライマックスでは秘めたる感情を解放するように描かれています。

<車寅次郎という人物>
性格はA型特性の極大値を具現化したキャラクターである。風来坊ではあるが、自分の所属している社会への従属感と感謝の気持ちを非常に大事にしている。忍耐の限界値が非常に低く設定してあり、A型さんが心の底にもっているささやかな夢=「出来れば我慢したくない!」を実行してくれる。

寅次郎の職業は「テキ屋」である。「香具師」、または「三寸」とよばれる。
全国を旅し、祭りや縁日などが催される境内や参道、門前町において屋台や露天で食品や玩具などを売る大道商人である。調べてみるとこれらの露店やそこで売る品々は、祭りの主催者が用意するもので、寅次郎のようなテキ屋と呼ばれる人々は、祭りを盛り上げるための「華やかさ」「にぎやかさ」「威勢の良さ」を提供・演出するのが仕事であり、祭りの主催者に日割りで雇われていて、露店の売上でもうけているわけではないらしい。

<物語のはじまり>
父親、車平造が芸者・菊との間に作った子供。16歳の時に父親と大ゲンカをして家を飛び出し、20年ぶりに異母妹さくらと叔父夫婦が住む、生まれ故郷の東京都葛飾区柴又・柴又帝釈天の門前にある草団子屋に戻ってくる。

1作目では父とのわだかまりの解消、2作目では実母との関係再構築がテーマになっている。
しかし既に父は死んでおり、本来わだかまりの解消などできるわけもないのだが、同じ境遇の人物・諏訪博(妹さくらと結婚し、義弟となる)とその父との確執を解消することで、自分の父へ抱く憎しみを浄化している。
シリーズ通して、この鏡面並列構成の作りが多用されており、その人の想いが成しし遂げられなくても、似たような別の境遇・シチュエーションを用意し、そこで昇華させるという手法を取っている。なので、表面的にはなんでもないのだが、なぜか心の奥底で感動させられている。山田洋次のあからさまでない感動誘導術に感心させられることが多い。

作品が安定するのは、5作目『男はつらいよ 望郷篇』(1970)から。これをシリーズ第1作と考えて、それまでは試作段階と考えても良いだろう(笑)。1~4作目まではまだ手探りの状態であったようで、寅次郎の描写も、行き過ぎて不愉快になることもはなはだ多い。また、登場するマドンナへの想いも浅いところで推移している。

以下、「全部見るのは大変」という人のためにポイントになる話を整理してみた。

<総合的にみた私のお勧め話>
シリーズ第8作  男はつらいよ 寅次郎恋歌(1971)
シリーズ第11作 男はつらいよ 寅次郎忘れな草(1973)
シリーズ第15作 男はつらいよ 寅次郎相合い傘(1975)
シリーズ第17作 男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け(1976)
シリーズ第21作 男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく(1978)
シリーズ第25作 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花(1980)
シリーズ第30作 男はつらいよ 花も嵐も寅次郎(1982)
シリーズ第32作 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎(1983)
シリーズ第39作 男はつらいよ 寅次郎物語(1987)

<若干の不具合はあるが、男と女の味のある捨てがたい話>
シリーズ第6作  男はつらいよ 純情篇(1971)
シリーズ第16作 男はつらいよ 葛飾立志篇(1975)
シリーズ第26作 男はつらいよ 寅次郎かもめ歌(1980)
シリーズ第28作 男はつらいよ 寅次郎紙風船(1981)
シリーズ第29作 男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋(1982)
シリーズ第33作 男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎(1984)
シリーズ第38作 男はつらいよ 知床慕情(1987)
シリーズ第40作 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日(1988)

<出来は良くないが、観ておかないといけない話>
シリーズ第10作 男はつらいよ 寅次郎夢枕(1972)

       *        *        *

複数回登場するマドンナをまとめてみた。

<松岡リリー>
浅丘ルリ子演じるドサ回りのキャバレー歌手リリーは、マドンナとして4度登場。
シリーズを通して人気の高い話である。
シリーズ第11作 男はつらいよ 寅次郎忘れな草(1973)
シリーズ第15作 男はつらいよ 寅次郎相合い傘(1975)
シリーズ第25作 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花(1980)
シリーズ第48作 男はつらいよ 寅次郎紅の花(1995)

<吉永小百合>
シリーズ第8作 男はつらいよ 寅次郎恋歌(1971)
シリーズ第13作 男はつらいよ 寅次郎恋やつれ(1974)

<大原麗子>
シリーズ第22作 男はつらいよ 噂の寅次郎(1978)
シリーズ第34作 男はつらいよ 寅次郎真実一路(1984)

<松坂慶子>
シリーズ第27作 男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎(1981)
シリーズ第46作 男はつらいよ 寅次郎の縁談(1993)

<竹下景子>
シリーズ第32作 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎(1983)
シリーズ第38作 男はつらいよ 知床慕情(1987)
シリーズ第41作 男はつらいよ 寅次郎心の旅路(1989)

<後藤久美子>
シリーズ第42作 男はつらいよ ぼくの伯父さん(1989)
シリーズ第43作 男はつらいよ 寅次郎の休日(1990)
シリーズ第44作 男はつらいよ 寅次郎の告白(1991)
シリーズ第45作 男はつらいよ 寅次郎の青春(1992)
シリーズ第48作 男はつらいよ 寅次郎紅の花(1995)

<美保純>
タコ社長の娘・あけみとして登場、マドンナではないが貴重な存在。
シリーズ第33作 男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎(1984)
シリーズ第34作 男はつらいよ 寅次郎真実一路(1984)
シリーズ第35作 男はつらいよ 寅次郎恋愛塾(1985)
シリーズ第36作 男はつらいよ 柴又より愛をこめて(1985)
シリーズ第37作 男はつらいよ 幸福の青い鳥(1986)
シリーズ第38作 男はつらいよ 知床慕情(1987)
シリーズ第39作 男はつらいよ 寅次郎物語(1987)

<大空小百合>
坂東鶴八郎一座の女優、ちょい役だが忘れられないキャラ。
シリーズ第8作  男はつらいよ 寅次郎恋歌(1971)
シリーズ第18作 男はつらいよ 寅次郎純情詩集(1976)
シリーズ第20作 男はつらいよ 寅次郎頑張れ!(1977)
シリーズ第24作 男はつらいよ 寅次郎春の夢(1979)
シリーズ第37作 男はつらいよ 幸福の青い鳥(1986)

<マドンナではないが、志村喬編>
さくらの夫、諏訪博の父(志村喬)がからむと、ドラマがある種の重さをもってくる。
シリーズ第1作 男はつらいよ(1969)
シリーズ第8作 男はつらいよ 寅次郎恋歌(1971)
シリーズ第22作 男はつらいよ 噂の寅次郎(1978)
シリーズ第32作 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎(1983)
by ssm2438 | 2011-03-31 23:55 | 男はつらいよ(1969)
f0009381_15192454.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/森崎東
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
倍賞千恵子 (さくら)
前田吟 (諏訪博)
森川信 (おいちゃん・車竜造)
三崎千恵子 (おばちゃん・車つね)
太宰久雄 (タコ社長)
笠智衆 (御前様)
光本幸子 (坪内冬子)
志村喬 (諏訪博の父)

       *        *        *

登場人物みんなA型映画はこの1本から始まった!

この歳になってやっとみました『男はつらいよ』第一作。
うむむむ・・・なるほど、これがオリジナルだったのか・・・。

このシリーズのどれをみても感じるのが「登場人物はみんなA型だなあ」ということ。監督の山田洋次がA型なのだがらそうなるのは当たり前のところ。そのA型気質の理想と現実が如実にそれぞれのキャラクターに振り分けられている。そのなかで寅次郎というのはA型さんが描くひとつの理想なのだろう。O型の理想ではない(私はO型)。おそらくB型・AB型の理想とは全く違う。A型さんだけが思い描く切なる理想なのだろう。《とらや》の人々というのは、気を使いすぎるほと気を使う人たちばかり。そのなかで寅次郎だけが気を使わない。「気を使わない」というより、「気をつかうポイントとタイミングが他の人とことなる」というほうが正しいだろう。なので明らかにA型さんであることは間違いない。
しかしこの1作目ではその気を使わなさが如実にでているので、みていてかなり不愉快。この点はのちのち改善されていき、人に嫌われない程度のリアクションとして演出されるようになる。

この物語の主人公「車寅次郎」というのは、父親、車平造が芸者、菊との間に作った子供。実母の出奔後父親のもとに引き取られたが、16歳の時に父親と大ゲンカをして家を飛び出したという設定。祭礼や縁日における参道や境内や門前町などの露店の商売人(的屋/香具師)として全国を渡り歩いている。
カバンひとつでどこにそんな売る品があるのだ?と思い調べてみたら、なんでも露店やそこで売る品々は祭りの主催者が用意するもので、寅次郎のような的屋/香具師が売人として雇われる・・という仕組みらしい。

「お控えなすって! 私、生まれも育ちも葛飾柴又・・」から続くいつもの言葉は、江戸時代から続く無宿者が宿をとるときの言葉で、自分が何者なのかを示す言葉であリ、彼らをサポートするコミュニティに自分を示す唯一のIDだった。一言一句つまることなく最後まで話しきらないといけなかったらしい。その風習を今風にアレンジしたのが寅さんの自己紹介の言葉である。

この物語で思うところは、ほかのところでも書いたが、とにかく泣かせまでの構成が綿密に練られているところ。そのシーンにくると一気に涙が溢れ出すのだ。たぶん、そこだけ見た人だとそこでは泣けないだろう。一見「なんでこんなところでこんなに涙がでてくるのだ」とおもうくらい、観ている私も不思議なくらいである。今回は博とさくらの結婚式。そして博の父親が語ってからの寅さんのリアクションからどおどどどどどどどどどどど。
山田洋次演出の泣かせの美学は、それまでひたすら気づかれないように下準備して、あるポイントで風穴をひとつ開けるとそこからから堰を切ったように涙を誘導する。

16歳の時に家を出た寅次郎は、それから20年ばかり家にも帰っていない。でこの映画の冒頭でやっとこさ故郷へ帰ってくる。既に父は死に、残された妹のさくらは叔父夫婦の《とらや》という団子屋で育てられていた(ちなみに母は寅次郎が子供の頃家出している。『続・男はつらいよ』で母親との再会がなされる)。
今回さくらと結婚する博(前田吟)は親とけんかして家をとびだしたきり8年間音信普通だったという状態。そんな博の父親(志村喬)が結婚指式披露宴にあらわれる。言葉もない不穏なムード博。他の人が盛り上げている広縁でも、博の両親は無言のまま。寅次郎も敵意むき出し状態。そんな博の父が最後の親族からの挨拶ということで語る場に登場する。8年間親としてなにもしれやれなかったという無念の想いを言葉少なげに、いつものようにぼそぼろ語る志村喬。最後に「さくらさん、博をよろしく、お兄さん、ふたりをよろしく」とふかぶかと頭をさげると、それまでぶすっとして聞いていた寅次郎が、「ありがとうな、おとっつぁん、おっかさんも」というところから一気に涙。塗りこんだ下準備のたまものである。

ちなみにマドンナ役は御前様の娘坪内冬子(光本幸子)。きれいである。本編においてはほとんど妹さくら(倍賞千恵子)のほうがマドンナみたいなものなので、冬子とのエピソードは軽めに処理されている。

のちのちよくつかわれる「ばたああああああ」はここで既に登場している。しかもあれは寅次郎がオリジナルではなく、御前様(笠智衆 )がオリジナル。写真を撮るときに御前様が「チーズ」と勘違いして「ばたああああああ」と言うのだが、のちのち寅次郎もそれをコピーして写真にうつるときはやたらと「ばたあああああああ」と言ってしまうようになる。

<あらすじ>
20年前に親父と結果して家をでた車寅次郎(渥美清)がふるさとの葛飾柴又に帰ってくる。妹さくら(倍賞千恵子)と再会をはたした寅次郎は、翌日さくらの見合の席へと出かけていく。しかし相手会社社長の息子、慣れぬ作法に大失敗、さんざんビールを飲みまくり、柄のわるさを露呈し縁談をこわしてしまう。いたたまれずに、また旅にでた寅次郎は、奈良でお寺巡りをしている柴又帝釈天の御前様と娘の冬子(光本幸子)に会い一緒に帰ってきてしまう。
やがて隣の工場で働く職人・博(前田吟)が「さくらさんが好きです」という。博の真剣さにうたれ寅次郎が何とかしてやろうとしたものまたまた失敗。博が工場を辞めて出て行こうとするところをさくらが呼び止め一気に結婚の流れになってしまう。

山田洋次演出で涙をさそったと、ささやかながら冬子とのからみ。さくらの結婚の後の寂しさを、冬子の優しさに慰められていた寅次郎ではあるが、冬子が結婚することになっているのを知り、ふたたび旅立つのだった。

結婚式の泣かせのポイントは実に上手いのだが、それまでの寅次郎に関してはかなりうざい。正直なところ途中で何度となく観るのをやめたくなったのも事実。結婚式演出で涙をさそったが、前半部の寅次郎の不愉快さはかなり根深く、トータルでなんとかチャラになった感じだった。
by ssm2438 | 2011-03-31 15:20 | 男はつらいよ(1969)
f0009381_20465726.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/小林俊一/宮崎晃
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
東野英治郎 (恩師の先生)
佐藤オリエ (その娘・夏子)
ミヤコ蝶々 (お菊)

       *        *        *

母を捜して3千里だが・・・

物語は、夢の世界でまぶたの母を会うというシーンから始まる。この物語の設定では、寅次郎は、父車平造が芸者・菊との間に作った子供で、寅次郎が5歳(だったかな)の時に実母は家を出たという設定である。
そんなまぶたの母を捜すという話。そこに今回のマドンナ佐藤オリエが同行するロードムービー。

お話的には1本目より面白い。しかし残念なことに、いろいろ食い合わせがわるいシーンがかなりある。この物語は、寅次郎のやってることが笑って済ませられれば楽しいドラマとして成立するのだが、初期の頃のそれを越えて、心がいたい部分まで踏み込んでしまっている。おかげでドンびきモードになることもしばしば。そのドンビキシーンのひとつが、財布を持たずに飲み屋にはいり、「食い逃げだ」といわれ見せの主人をなぐってしまうエピソード。

冒頭は、寅次郎(渥美清)が中学時代の恩師散歩先生(東野英治郎)の家を訪れるところからはじまる。ここで今回のマドンナ、先生の娘で幼馴染の夏子(佐藤オリエ)に出会う。ほんとはさっさと退散するはずが、恩師のいわれるままに上がりこみ、飲むわ食うわの楽しい時間。しかし、腹痛を起こし病院へかつぎこまる。一週間の入院を命じられるが、入院患者相手にさんざん笑わかせてしまい、他の患者に迷惑がかかると、医者藤村(山崎努)に怒られるしまつ。心配するさくらや夏子の心配をよそこに窓から脱出した寅次郎は、弟分の登(秋野太作)と呑みに出かけるが気がつけば財布がない。見知らぬ飲み屋のおじちゃんに「つけといてくれよ」という寅次郎だが、それは無理というもの。食い逃げだと110番され、激怒した寅次郎が暴れまくって警察に手錠をかけられ連行される。
本人にその気がなくても、これは明らかに食い逃げというれっきとした犯罪行為であり、それが犯罪行為になるということを理解してない寅次郎にはかなり腹立たしいものを感じる。この展開はかなりドンひきであった。

この後、さくらは泣くやら、おじとおばは怒鳴るやらの喧嘩の末、夜逃げ同様に柴又を後にする。ながれながれて京都にきた寅次郎は、母はある宿屋で働いているという話をききつける。その頃散歩先生と夏子も京都に旅行に来ていた。ばったりあった3人は食事をすることになる。30年ぶりに母に会うことをためらる寅次郎に散歩先生は「事情はどうあれ、息子に会いたがらない母親はどいない」勇気付けられ、さらに夏子も一緒についていくと言う。勇気を振り絞って母親に会いに行くことにする。

いってみればその宿屋というのはラブホテル。そこに入っていく気の良さそうな女中さんをみかけ、きっとあの人がそうにちがいないと思い込んだ寅次郎は、夏子にひっぱられるようにとりあえず中にはいって様子をみることに。夏子とふたりではいるラブホテルにどきどき。このあたりは実にロードムービーとして楽しいのである。
ところが、そのやさしそうな女中さんは寅次郎の母ではなく、母は厚化粧をしそのホテルの支配人だった。そこには感動的な再会はなく、「ああ、あんたかい。金せびりにきたんか。欲しいんならこれやるけん、とっとと帰れ」といわれる始末。心が痛すぎである。
ここまでくるとギャグにもなんいもならない。そのあとさめざめと泣く寅次郎。ただありえない展開。
かなり超どんびき・・・。

その後は東京に帰った寅次郎だが、散歩先生が死に葬式を出すことに。通夜の席でもめそめそしている寅次郎。しかし御前様に「娘さんが気丈にしておられるのにお前はナンだ」とさとされ、夏子のために葬儀を健気にしきるのである。実は夏子はこのとき既に先にでてきた病院の藤村先生と仲良くなっており、寅次郎は失恋をその葬儀の間に知ることに・・。《とらや》の人たちはそのことを知ってたのだが寅次郎だけは知らず、またしても失恋、再び旅に出るのである。

しかし最後はきっちり泣かせいてくれる。その夏子と藤村が新婚旅行で京都をおとずれると、寅次郎らしき人物をみかける。よく観ればその横に女性がひとり。寅次郎はあの第一印象最悪の母と笑いながら歩いていたのである。

これでまたどおおおおおおおっと泣かされるのであった。
by ssm2438 | 2011-03-31 14:47 | 男はつらいよ(1969)
f0009381_22113259.jpg監督:森崎東
脚本:山田洋次/小林俊一/宮崎晃
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
新珠三千代 (お志津)
香山美子 (芸者染奴)

       *        *        *

今回は第一作目の脚本を山田洋次と共に書いた森崎東が監督をやっている。

監督が代わると微妙にニュアンスが変わるものだ。特に山田演出と違うのは、絵作りだろう。こういう撮り方は山田洋次はしないだろうなというようなカットがけっこうあった。
たとえば、お志津さんの弟と対決のシーン。森崎東の画面といのは、東映作品(たとえば『キーハンター』とか『仮面ライダー』とか)の対決シーンなのだ。オーバー・テンションのギャグとして見せようとしているのだろうが、こういう意図的すぎる演出というのはなんか・・・ちょっと『男はつらいよ』ではないような気がした。たぶんこのシーンを山田洋次が撮るとしたら「対決」ではなく「いざこざ」として撮っただろう。
これが『男はつらいよ』でなければ、森崎東の画面のほうが好きなのだが、やっぱりこのシリーズのなかの一本としてみると、違和感を感じたかな。
あと音楽の趣味もどことなく違うのかな。あと、その音楽の入れのタイミングとかも。
ま、監督が違うのだが違う作品になるのは当たり前で、それを承知で監督にしてるのだから、あまりその点とやかくは言うまい。いや、もう言ってしまったか(苦笑)。

<あらすじ>
いつものように《とらや》でひと騒動あったあと、旅にでた寅次郎は、三重県の湯の山温泉にいた。旅先の伊勢で病に倒れた寅次郎は、そこでお志津さん(新珠三千代)という温泉宿の女将に出会い、手厚い看護を受けたことが縁で、病が癒えてからも湯の山温泉に留まり番頭として女将のために一生懸命働いていたのであった。
そんなある日、志津の弟・信夫(河原崎建三)が恋仲の芸者染奴(香山美子)に逢いに帰ってきた。染奴の父親は障害者で、その治療代のために、ある男の妾になるしかないというのだ。言語障害かなにかで「あああ、ひいいいいいひいいいいい」としか言えない染奴の父の言葉をなぜか寅次郎は通訳できてしまう。やがて寅次郎によって通訳された父の言葉を聴いて、染奴は信夫とともにかけおちするのだった。
このシーンはなかなか泣けるんだ。
一方、女将の志津にも縁談がまとまって、寅はまたも失恋の憂目にあった。
by ssm2438 | 2011-03-31 13:11 | 男はつらいよ(1969)
f0009381_18513199.jpg監督:小林俊一
脚本:山田洋次/宮崎晃
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:渥美清 (車寅次郎)
    栗原小巻 (春子)
    森川信 (車竜造)

       *        *        *

森川信のベスト・オブ・寅さん映画はこれである!

・・・しかし、出来は非常によくない。脚本は山田洋次と宮崎晃という、前半部のいつもの面子なのだが、なぜか面白くない。作品としてはシリーズ5作で終了ということで始まったらしい。1・2作は山田洋次がメガホンを取り、3・4作は脚本だけ、そしてまた5作目で監督脚本という予定だったらしい。しかし人気がでてそのままつづくことになったとか。この話はテレビシリーズの監督をやっていた小林俊一がメガホンをとっているのだが、かなり忠実に脚本を映画にしたのではないかと推測する。

前半部はなかなか面白いのである。寅次郎が競馬で100万円あてて、おいちゃんとおばちゃんをハワイ旅行につれていってやるという話。しかし、旅行会社の社長がその金を持ち逃げしてハワイ旅行はパー。近所の人の手前を気にする夫婦は、夜中にこっそり帰ってきた。そして、寅さんの提案により、数日を戸締りし、電気もつけないで暮すことになった。だが、その第一日目、留守を承知に押入った泥棒が暗闇の中に三人を発見して大恐慌。この件により事の始終は近所の人たちの知るところとなるというお話。

導入部の《とらや》舞台の一騒動としてはとても楽しいエピソードで、小林俊一にしてみればなれない監督業で丁寧に作りすぎている感さえある。なのでちょっとテンポがよくないかな。もうちょっとさくさく見せて欲しいくらいなのだ。この人は、芝居をつくる立場の人というよりも制作サイドの人で、監督業はどはほとんどしていない。テレにシリーズの時に監督ということにはなっていたのだが、おそらく、ドラマ作りというよりもシナリオを作るまでのスポンサーや局とのやりとりをこなした人で、各話数はそれぞれの話数の演出家が仕切っていたのだと思う。そういう時代だったのだ。たぶん、この人が監督をやるということは、他の人をたてる時間がなかったのだと思う。他の人に頼むのならある程度完成度高いシナリオにしあげてないと頼めない。しかし、山田洋次には時間がない。練りこんでないシナリオを映画にするには「とりあえずオレが監督やってなんとか撮るよ。でも質はとわないでくれ」って感じだったのでと思う。

この映画の最悪なのは、春子先生(栗原小巻)への寅次郎の感情移入があまりに浅い。浅いけど、フラれたら深刻。でもフラれたかどうかもよくわからない。ただ春子に男が会いに来たというだけなのだ。
もちろん会いに来ただけでも、ドラマとして成立させようと思えば出来るはずだが、行間の演出ができてないので、ただ会いにきただけなのだ。
さらに春子先生の親とのやりとりも、別けありなようだがこれも行間が演出されていないので、ただそれだけ。恋人にしても、親との確執にしても、それが常に水面下に存在しているという演出をそうでないところからやっていればこんなことにはならないのだどうけど、そのシーンにきていきなりそのモードになるので「あれ? そうなの。ふう~~~~~ん」なのである。

しかし、この映画輝いているシーンもある。長い間確執のあったらしい父親にずっと会わずにいたらその父親も死んでしまい、意地をはった自分に罪悪感を感じる春子。そんな春子をなんとかなぐさめようと《とらや》の面々が気を配るのだが、そのなかで寅次郎が現実を忘れるような悲しい恋愛小説なんかしらないか?とおいちゃんに尋ねる。するとこのおいちゃん(森川信)が座りなおして水を一口のみ、語りだす。
この語り口が絶品。物語のラストのシーンを涙を流しながら自分に酔って語る語る。きいてる寅次郎まで一緒に泣いてしまう。そんな場面をみた春子が馬鹿笑い。父親が死んでから笑顔をみせなかった彼女がやっと笑ったという、この映画のなかでもっとも感動的なエピソードだった。

<あらすじ>
ハワイ旅行がパー事件のあと旅にでた寅次郎が、《とらや》に帰ってみると自分の部屋に春子(栗原小巻)が下宿している。帝釈天の幼稚園の先生で、午前様のくちききだそうな。春子先生にいはなにやら父親と確執があるらしく、春子は父などいないものだと解釈しているらしい。そんな春子のもとに父の主治医がたずねてきて、一度あってくれないかと言う。断る春子。しかしそれからしばらくして春子の父は死ぬ。罪悪感を感じておちこんでいる春子をなんとかなぐさめようとする寅次郎と《とらや》の面々。しかしある日春子の彼氏らしい男が《とらや》を訪れる。失恋を予感した寅次郎はふたたび旅に出る。

はは・・・、こうかくとほんとにストーリーだけなのだが、実際それ以上の何もない。困ったもんだ。
by ssm2438 | 2011-03-31 12:51 | 男はつらいよ(1969)
監督:山田洋次f0009381_9524760.jpg
脚本:山田洋次/宮崎晃
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
長山藍子 (節子)
井川比佐志 (剛)

       *        *        *

はじめて『男はつらいよ』観る人にはお勧めかもしれない。

じつはこのシリーズ第5作だが、『男はつらいよ』のシリーズの中では、もっとも、スタンダードな映画といっていいだろう。ほとんどの人は、シリーズ1作目からみることはなく、たまたまどれかを見るところから始まるが、シリーズのパターンが構築されてきて、見やすいつくりになってきた最初の映画がこの5作目なのだ。

製作会社の都合で、3・4作は山田洋次脚本のみになってしまったが、そのあとのこの映画はみょうに見やすい。きっと観る人の心の流れをきちんとくみながらカット割しているのだろうと思う。上手い人の映画は、みやすいのである。そのむかしイングマル・ベルイマン『ファニーとアレクサンデル』という映画をみたが、5時間をこえる映画。途中インターミッションがはいったのだが、それでもぜんぜんその長さを感じることはなく、あれ、もう5時間おわったの・・?というくらい、しんどくなかった。
上手い人の映画というのは、見たいものを見せる、期待させる、期待を裏切る、でも違うものを見せて納得させる、考える時間をあたえてあげる・・など、観ている人の完成を適度に刺激するように出来ている。これがひたすら情報をあたえつづけるとか、ひたすらアクションばかり続けるような映画なら疲れてしまう。

<あらすじ>
おいちゃん(森川信)が病気で倒れる夢を見て柴又に帰ってきた寅次郎(渥美清)。あいもかわらず人騒動やらかしてる時に、寅次郎の舎弟登(津坂匡章)が、札幌の竜岡親分が重病で、寅さんに会いたがっていることを知らせに訪ねてくる。札幌の病院についてみると、親分にはもう昔の華やかな面影はなく、医療保護にすがって生きている惨めな老人となっていた。岡倉は、二十年前、旅館の女中に生ませた息子を探がしてくれるよう寅次郎に頼むのだが、やっと探し当てた息子からは父親に会うことを拒否される。おさない頃にその息子がもった父親のイメージは醜悪なものであり、20年もほったらかしにしておいていまさらなんだ!という。病院に電話をかけるとすでに岡倉は死んでいた。そんな惨めな男の死をまのあたりにして、寅次郎はカタギになることを決意する。
額に汗して、油まみれになって働こうと心に誓った寅次郎は浦安の町の豆腐屋「三七十屋」に住み込みで働くようになる。この店は、母親のとみと娘の節子(長山藍子)の二人暮しだが、寅次郎の働きぶりに二人ともすっかり感心する。節子はある晩、「ずっとウチに居てくれる?」とプロポーズかと思えるような言葉を寅次郎に語る。寅次郎もそう解釈し有頂天。しかし、節子にはずっと彼女を想っている男(井川比佐志)がいて、今度転勤になるので、一緒に来てほしいとプロポーズされていたのだ。「母ひとりを残してそういうわけには・・」と思っていた節子だが、寅次郎がずっとウチの面倒をみてくれると言うので決心したという。
その翌日、寅次郎の姿は浦安にはなかった。


映画としては並の出来なのだが、4作目の後となると、いい映画にも見えてくる(苦笑)。
良くも悪くも『男はつらいよ』の入門編だろう。

なお、北海道ではD51の描写がある。これが実にすばらしい。てっちゃんにはたまらない画面かもしれない。
でっかい4つの動輪。ちから強くはきだされる白い蒸気。人間が石炭をくべることで、こんなパワーが出るんだと、産業革命のすばらしさを実感してしまう。『寅次郎サラダ記念日』の早稲田で産業革命の講義をぶちこわしてしまう糞寅次郎に、このD51の描写を今一度再確認させたいものだ。
しかし、あれだけの黒煙を吐き出しながらはしる蒸気機関車。人間の健康に被害はなかったのだろうか? ビジュアル的には福島第一原発から吐き出された放射能物質よりもはるかに害を及ぼすきがしないでもない。
そういう私は、子供の頃はC57に乗っていた。岡山に出るときはそれにのり、3つのトンネルをくぐる。トンネルにはいると「窓をしめてください」というアナウンスが流れる。
ちなみにD51という「D」は動輪が片側4つある蒸気機関車のことをいう。『銀河鉄道999』のC61は動輪が3つ。
by SSM2438 | 2011-03-31 10:52 | 男はつらいよ(1969)
f0009381_11433533.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/宮崎晃
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
若尾文子 (明石夕子)
森繁久弥 (千造)
宮本信子 (その娘絹代)

       *        *        *

純情編→望郷編、奮闘編→純情編、望郷編→奮闘編
・・・にして欲しいと思っているのは私だけ????


すばらしい。最初の7作のなかでは一番好きです。ドラマ構成の完成度が高い。

ただひとつネックだったのは、マドンナと寅次郎の心がシンクロすることがまったくなかったこと。寅次郎がどんなに感情をンベストしても、箸にも棒にもかからないマドンナ。おもいっきり高値の花。どんなにあこがれても降りてきてくれない人。映画の高揚感としてはちょっとさびしかった。
おもえば、このシリーズを通して寅次郎になびかなかった唯一のマドンナが今回の明石夕子(若尾文子)である。それが若尾文子だったからか、若尾文子が大映の女優さんで松竹テイストにはあわなかったからか、演出意図でそうなったのかわからない。しかし「車寅次郎」というキャラクターにはほとんど好感をもってない私としては、私の大好きな若尾文子がそういったキャラクターとして登場したのはわるくない。彼女には増村保造映画でヒロインを演じていてほしい。しかし・・・、若尾文子は《とらや》には場違いの存在感だね。劇中でみせる若尾文子の艶っぽさは別格である。あのおみ足がみえるだけで見入ってしまう。

その反対に、寅次郎におもいっきり心を浸透させたのが宮本信子。最初見たときは彼女が「マルサの女」だとは思わなかった。誰か知ってるようきがするけど・・・誰だろう??? で、あとから調べてみたら彼女だった。この宮本信子と寅次郎のやり取りは実にすばらしい。そしてその父親役である森繁久弥がまたいいんだ。おいしいところは全部このオヤジがもっていってしまいました。

<あらすじ>
五島列島の福江島を目指す寅次郎(渥美清)は、長崎港で赤ん坊連れの出戻り女絹代(宮本信子)と知り合う。宿代がないという彼女と、旅館の部屋をシェアすることにした寅次郎だが、子供が寝付くとおもむろに服を脱ぎ始める。

「おれにも同じくらいの妹がいるが、もしその妹をたかだか2000円の宿賃で抱こうという男がいたら、俺はその男を殺すよ」

そういい残すと襖の向こうの別室に消える寅次郎。
翌日、それでもまだ戻る決意がゆらぐ彼女の気持ちをさっし、うちまで送っていくことになった寅次郎。しかし絹代の父千造(森繁久弥)は、「もうあの男のもとには戻らない」という絹代に「返れ!」という。
「わしは生きてもあと2~3年の命じゃ。そうしたらもう還るところはのうなってしまう。お前が好きになった男なら、なにかしらいいところがあるはずじゃ、それを展ばしてやれ。その男で駄目なら、どの男でも駄目じゃ」と言う。じい~~~~~~~んである。
その話をきいていた寅次郎も心に感じるものがある。「還るところがあると思うから、おれはいつまでたっても駄目男なんだ。俺はもう二度と還らない」とつよく決意する寅次郎。

がしかし、その寅次郎はやはりいつものように、《とらや》のまえをいったり来たりしている(笑)。
でも、返ってみると寅次郎の部屋は別の人に貸しているという。ふてくされて再び出て行こうとするところに夕子(若尾文子)が戻ってくる。部屋をかりているのは彼女で、夫と別居ちゅうだという。おばちゃんの姪にあたる彼女は、小説家の男と結婚し、デビュー当時は良かったのだがそのご人気はおちて、いまやあっちこっちの親戚のうちを頼って仮住まいの生活。そんな夫に嫌気がさしてもう戻らないと決意し《とらや》に厄介になっているという。

その後朝日印刷ではさくらの夫博が独立することを考え始めたことからおさわぎ。結局資金調達が駄目になってもとの鞘におさまるのだが、そんなどたばた劇を通じて夕子の心もなごんでくる。しかし、後日べきょしていた夫が《とらや》を尋ねてくる。戻ってくれという夫の言葉に、だまって帰り支度をする夕子。

一粒で二度美味しい森繁久弥の言葉であった。

そして再び旅にでる寅次郎。駅のホームまで見送りについてきたさくら。ここで最初に家を出たとき、さくらがいつまでもついてきたエピソードが語られます。そしてまた今度も見送るさくら。それほどたいしたことのないシーンなのだけど、またここで涙が出てくる。
いつものあれです。「おまえはすでに感動している」演出。感動する要素はすでに心に埋め込まれていて、なんでもないようなシーンでそれを琴線にふれさせ涙がでてくるとうあの手法です。

今回のテーマは「望郷」。出て行ったのなら二度と還らないくらいの覚悟をして行け!みたいな。『ニュー・シネマ・パラダイス』の「一度こと町をでたら長く帰るな」っていうアルフレードのあの言葉です。理屈では分かっていても、でも還ってきてしまう故郷。本編のなかでも、「頭では還れると思うから駄目なんだって思うんだけど気持ちがさあ・・・だから還ってきちゃうんだよね」という寅次郎の台詞があります。
きっと故郷って「甘え」をゆるしてくれる場所なんでしょう。
私もアニメーターは始めて2年目か3年目の夏に、無性に田舎に帰りたくなって、週末を利用してふらっと還ったことがありました。今も理性的理由は見つからないのですが、なぜかあの時はそんな気持ちだったのです。
そんなことを思うとぞわぞわぞわ・・・っとなんだか気持ちが高ぶってきてうるうるして来るのです。

物語の最期は、絹代が旦那と赤ちゃんをつれて《とらや》を訪れ、父に電話をかけます。
電話ぐちの向こうの父は電話をきったと、鼻水たらして泣いている。
「甘え」を許してくれる場所は永遠です!
by SSM2438 | 2011-03-31 09:43 | 男はつらいよ(1969)
f0009381_8404116.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
榊原るみ (花子)
光本幸子 (冬子)
ミヤコ蝶々 (寅次郎の実母・菊)
田中邦衛 (福士先生)

       *        *        *

『男はつらいよ』の悪い部分が全部でた映画。

個人的には、『男はつらいよ』の車寅次郎というキャラクターにはまったく魅力を感じず、このような人物にもなりたいと思わない、私の理想からするとかけはなれた存在なのだ。そんな私がこのシリーズをみているのは、ひとえに、山田洋次の演出のすごさを感じるためといっていいだろう。しかし、今回のこの話は、見ていて嫌な想いばかりだった。なんでこんな話になってしまったのか・・・、語り口がひどい。

で、スタッフチェックしてみたら、その後常連となる朝間義隆がこの作品から脚本を書いている。初めての作品だったので、方向性がわかってなかったのだと思われる。それを山田洋次が修正し切れないまま作ってしまったのだろう。
しかし、この人が才能ないわけではないはずだ。その後のほとんどの作品は浅間義隆が書いていて、このシリーズに多大に貢献している。たまたま1本目で方向性が合ってなかったってことだろう。

なにがひどいかって、とにかく、寅次郎が低脳すぎる。ひたすらうすらバカ。寅次郎というのは、確かに学力はなさそうだが、低脳というわけではない。なにが大事かはそのつどそのつど理解しているキャラクターだと思う。が、この作品においては、ただの低脳として描かれてしまっている。
久々に実母の菊とあう帝国ホテルのシーンも、ひたすら低脳。そこに行くまでの車(博が運転し、さくらが助手席にすわり、寅次郎が後ろの席にいる)のなかでは、足をさくらの席のうえになげだしてみたり、ホテルのトイレの使い方がわからず、浴槽に放尿してみたり、あげくのはてはベッドがめZらしく餓鬼の様にとびはねてる。今回のマドンナ大田花子(榊原るみ)とのやりとりも、低脳同士だから理解しあえるという雰囲気で、彼女の世話をしていることがとっても幸せな寅次郎だが、かなりいきすぎているところもあり、寅次郎の行為が彼女のためになってるとも思えない。相手が知能障害のある弱者であるがゆえにみせる寅次郎の独占欲もかなり気持ち悪い。そんなものは本来もっていないはずのキャラクターなのに・・・。
挙句の果てに、花子から「おら、トラちゃんの嫁っ子さなりてえ」と言われるとのぼせ上がり、結婚のことまで考えるのだが、そこに生活観はまったくなくどうやって生計を立てるのかもまったく考えていない。こんなことは寅次郎のキャラクターとしてはありえないのだ。

<あらすじ>
寅次郎の実母・菊(ミヤコ蝶々)が《とらや》をたずねてくる。以前寅次郎が菊にあてて出したはがきで、寅次郎が結婚すると書いていたらしい。どの時期にかかれたかは分からず、誰のことなのかも分からないのだが、現時点ではそんな話はないのは確かである。そんな嫁がきてくるはずもない寅次郎が、旅先で知的障害者の大田花子(榊原るみ)と出会う。
一度は故郷の青森に帰るように送り出したものの、花子は《とらや》を尋ねてくる。おりよく《とらや》に帰ってきた寅次郎は花子と再会、彼女の面倒をみてやることが楽しくなってくる。やがて結婚の妄想まで夢見るようになるが、経済力のかけらもない寅次郎が知的障害者の花子と結婚することが良い事だとも思えない。そんなときに花子の恩師である福士先生(田中邦衛)が《とらや》をたずねてきて、花子を引き取って帰る。
「おまえら嫌がる花子を無理やり連れて行かせたんだろう」と激怒する寅次郎だが、故郷にかえった花子を訪ねるとそこには幸せを満喫している花子がいたらしい。自分の存在価値を失った寅次郎は自殺をほのめかすような手紙を、それも速達で《とらや》に送ってくる。しんぱいになったさくらが福士先生のいる学校を訪れてみると、花子が用務員さんとして嬉々として働いていた。帰りのバスで人々の心配をよそに温泉につかっていたという寅次郎に会い、ほっとするのであった。


ちなみに、今回のマドンナの榊原るみは『帰ってきたウルトラマン』の前半部のヒロインでもある。個人的にはまったく好みではなくぴくりとも感性に触れるところがないのだが、世間では好きなひともいるらしい。うむむむ、人の趣味は分からんものだ。
by SSM2438 | 2011-03-31 08:41 | 男はつらいよ(1969)
f0009381_22222277.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
志村喬 (博の父)
池内淳子 (六波羅貴子)

       *        *        *

うぬぬぬぬぬ。これは地味だけど名作だ!

どわああああああとある一瞬から泣けるんじゃなくて、じわじわじわじわじわじわじわ・・ってきていつの間にか目の周りが湿ってる感じ。強烈な感動ポイントをつくってる映画じゃないのだけど、むちゃくちゃ質の高い映画だね。『男はつらいよ』のシリーズのなかで一番気品のある一本だろう。
この映画のなかでは、辛いことをみんなが心で噛みしめて出さない。意地でもださない。志村喬素敵。寅さんも素敵。池内淳子も素敵。この映画のあと死んじゃった森川信(おいちゃん)も素敵。みんな素敵過ぎる! 私の趣味はおいといて、寅さん映画の最高傑作はこれかもしれない。

どの映画にも幸せになっていはいけない人といのがいるものだ。『アリーmy Love』のイレインもそうだけど、この映画の志村喬も幸せになったらいかん人だね。この人がこれからの人生ずっと針のむしろだからこの映画は面白い。とくにこの映画においてに、博の父(志村喬)の全人生否定はすさまじい。これだけ否定されてなにも返さない志村喬も素敵だ。そしてその寂しさを汲んであげる唯一の存在の寅さんも存在感も素敵だ。

物語は、例によって車寅次郎が《とらや》のめんめんとけんかをして出て行ったあと、博のところに電報が届くところから始まる。「ハハキトク」。とりいそぎ岡山の高梁市にむかった博とさくらだが、とき既におそく母は死んでいた。この通夜の席がすごい。博の兄二人は、体裁をつくろった言葉しかはかないなかで、博だけは感情を爆裂される。

「おかあさんが人並みの女性のような欲望をもっていなかったなんて嘘だ。僕のてをひいて港にいき、出て行く船をみながら、私の夢は外国にいくことだったの。舞踏会で胸の開いたドレスをきて踊ることだったの。でも、お父さんと結婚してそんな夢はあきらめたわと笑っていってた」と話す博。「もう思い残すことはない」といって死んでいった母の言葉に、「最後まで嘘をついていたんだ」と嘆く。「おとうさんの女中みたな生活を幸せだなんて思っていたとしたら、これ以上可哀想ことがあるもんか」と号泣する博。
父ちゃん全否定である。よくもなあこんな残酷な台詞をかけたものだ感動してしまう。そして一言も反論しない志村喬。またこれがいいんだ。この葬式のシーンは名シーンだね。凄過ぎです!!

みんなが帰った後の志村喬はさびしそうだなと思い、《とらや》から電話をかけるさくら。しかしその電話にでたのは寅次郎だった。孤独な志村喬と一人だけ時間をともにすることができる寅次郎。山田洋次演出おそりべし!

東京にもどってからは今回のマドンナ池内淳子と寅さんの話。今回のマドンナ六波羅貴子(池内淳子)は夫と死に別れて、女で一つで子供を育てている喫茶店の主人。子供も、新しく転向してきたクラスになじめないでいる。しかし、寅次郎が近所の子供をまきこんで遊んでやると、貴子の子供も一気にまわりの子供達となかよくなって、喫茶店に友達をつれてくるようになる。しかし、貴子にも悩みがあった。どうも借金があるらしい。その取立てに苦労している貴子をみて、がむしゃらに道端で露店をひらいている寅次郎。切ない。警官がきて「あんた許可はとってるの」といい。「すいません、すぐ片付けます」といって切なくものをしまう寅次郎。その売っている本をみて「なに、つまんねえの」と吐き捨てる警官。無言の寅次郎。どんなに寅次郎がモノを売っても、こればっかりは何も出来ない。
「なにか、嫌な奴でもいるんじゃござんせんか。指の一本や二本、いや片腕くらいは・・」という寅次郎の言葉に感動する貴子だが、気丈な彼女はお金のことは大変だけど自分でなんとかしていくと言いきる。

貴子も苦しみを噛みしめて言葉にださない。寅次郎も、なにも言わず旅にでていく。みんながみんな自分の苦しみを自分の喉の奥に飲み込んで意地でもださない。

「私も寅さんみたいに旅にでたいわ」という貴子。もちろんそんなことは思ってもいない。貴子にとってはそれは現実逃避であり、憧れてはしてもありえない卑怯なこと。その言葉をきいて身を引く寅次郎。だあああああああ、泣ける。別れも言葉も失恋のイベントすらないのに、《とらや》にかえり荷造りをはじめる寅次郎。そとは木枯らしの夜。ひきとめるようとするさくらに「おまえ、オレのようになりたいか?」と聞くと、「なりたいわ、お兄ちゃんのようなって、私を心配させたい」という。また、だああああああああああああ。
そして木枯らしのなかを出て行く寅次郎。

この映画を最後においちゃん役の森川信が肝臓ガンでなくなりました。たぶんこの時すでにガンにおかされていたのでしょう。きっとおいちゃんも、苦しみを喉の奥に飲み込んで演技していたのでしょう。

総てが素晴らしい寅さん映画の金字塔である。
by ssm2438 | 2011-03-31 08:23 | 男はつらいよ(1969)