西澤 晋 の 映画日記

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カテゴリ:男はつらいよ(1969)( 50 )


2011年 03月 31日

男はつらいよ9/柴又慕情/吉永小百合(1972) ☆☆

f0009381_1084531.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:渥美清 (車寅次郎)
    吉永小百合 (歌子)
    宮口精二 (歌子の父・高見修吉)
    倍賞千恵子 (さくら)
    前田吟 (諏訪博)
    高橋基子 (みどり)
    泉洋子 (マリ)
    
       *        *        *

吉永小百合シリーズ第一弾!
なんと、今回は博(前田吟)が語ります!


幸薄そうな女性が寅次郎というときには笑顔をみせるという、『男はつらいよ』のシリーズではもっとも機能する設定なのだが、吉永小百合の従順で薄幸そうな可愛らしさにおんぶにだっこ、内容的にはシリーズのなかでもかなり薄手の話である。それでも吉永小百合の可憐さはそれだけで見る価値がある。この人の可憐さは恐ろしい魅力だ。

しかし、今回可憐なのは吉永小百合だけではない。さくら(倍賞千恵子)が良いのだ。そして博(前田吟)も良い。今回はこの二人がもっとも機能したエピソードといっていいだろう。

金沢を旅する寅次郎(渥美清)は、東京からきた三人の娘(みどり、マリ、歌子)と知り合った。彼女らは毎年3人で旅をしていたのだが、歳をとり結婚という現実が見え隠れするようになると、旅も以前のように楽しめなくなってきていた。そんな3人だが、寅次郎と知り合ってからは楽しい時間を過ごすことができた。
東京に戻った寅次郎は先に東京に戻っていたみどり(高橋基子)とマリ(泉洋子)と再会。旅の途中で「30年間故郷には帰ってない」といってしまったため、なかなか《とらや》に帰れない寅次郎。しかし嘘もばれてあとはいつもの通り。
《とらや》の縁側にすわって話すみどりとマリの二人の会話が、実に自然でいいんだ。その2人から、歌子(吉永小百合)があの旅でみせた笑顔は貴重なものだということを知らされ、自分の価値にすこし幸せを感じる寅次郎でった。
翌日には、みどりに聞いたという歌子がひとりで寅次郎を訪ねて来る。実は歌子にも想う人がいて結婚を考えていたのだが、父・修吉(宮口精二)がうんと言ってくれない。しかし父を世話してあげられるのは自分しかいないと思っている歌子は、父の許し無しでは結婚出来ないと考えていた。「もう一度あの人にあってくれない」という歌子だが、父しは相手にしてもらえない。
そんなやり取りがあったあと、歌子が再び《とらや》を尋ねてくる。楽しいだんらんを過ごした後「泊まっていったら」というさくら(倍賞千恵子)。遠慮がちに「じゃあそうしようかしら」という歌子。

ここの演出はとてもすばらしい。
普段の流れなら、薄幸そうなマドンナが《とらや》を訪れてその人情味あふれる空間でいやされるという流れで、帰る場所がないときは《とらや》の二階に泊まることも。しかし、このときはそれをほとんど感じさせなかった。先の父と歌子のやりとりも、多分いつもの会話だろうと思わせるもの程度のもの。それなのに、泊まっていったらと言われて、受ける歌子。え・・?と思った。話の流れをみる限り「泊まっていけば」というのは儀式的な言葉で、普通だったら帰るところなのである。
そのあとさくらと二人っきりになったとき、「実は今日は泊めてもうらうと思ってきたの」という歌子。「そんな気がしてたわ」とさくら。チェックのためにもう何度かみてみたのだが、ここでは臭わせる見せ方は一切していない。翌日庭先でタバコをすう修吉、その横に手紙があり、「お父さんと顔をあわせるのがつらい・・・」とかいてある。
ここの一連の見せ方で「さすが女同士! さくら、いい女」って思わせてしまった。

あいもかわらず寅次郎は歌子が《とらや》にしばらくいてくれることが嬉しくてうきうき。しかし、今回はそのあと博(前田吟)とさくらのところに歌子が御呼ばれする展開に。そこでいつになくマトモなことを語る博。いつもだったら形式儀礼優先キャラなのだが、その博が「誰かが寂しい思いをしても、傷ついたとしても、仕方がないことってあるんじゃないかな」と言うのである。そしてさくらとの結婚をきめた勢いとかを語る。その会話をきいて歌子は心を決めるのである。

娘が出て行った後、《とらや》を訪れている歌子の父。これがまたいい。
そこに歌子からのはがきがきていて、吉永小百合の声で文面の朗読。なかなか美しい閉めである。

by ssm2438 | 2011-03-31 07:09 | 男はつらいよ(1969)
2011年 03月 31日

男はつらいよ10/寅次郎夢枕/八千草薫(1972) ☆

f0009381_2103773.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
八千草薫 (志村千代)
米倉斉加年 (岡倉金之助)

       *        *        *

結局寅次郎は女を好きになれないのだ。

八千草薫がもったいなさすぎる。

内容的にはかなり悲惨なくらいしょうーもない話になってしまっているが、『男はつらいよ』のシリーズのなかでは欠かせない1本になっている。今回は、マドンナがきちんと寅次郎に結婚の意思表現をし、「冗談だろう」と寅次郎に言われても「本気よ」と言う念押しまでする。この勇気はこのシリーズのなかでいままでまったくなかったもので、みていて潔さを感じる。

・・・にもかかわらず、逃げる寅次郎。こいつはホントに女を好きになることはないのだと思う。ちゃらちゃら恋愛ごっこしてるのがいいのだ。こんなやつが何度と泣く恋愛指南なんかしてるというのがちゃんちゃらおかしい。

マドンナ八千草薫のほかにゲスト出演してるのが御前様の甥で大学助教授岡倉(岡倉金之助)。こいつの描写があまりに漫画的で、ちょおおおおおおお感情冷め冷め。そんな漫画キャラが寅次郎の同級生千代ちゃんに恋をする。今回は寅次郎よりもはるかに女にもてなさそうな岡倉がマドンナに恋をするから、寅次郎のほうが優越感を感じつつ岡倉をからかっているというシチュエーション。

<あらすじ>
寅次郎が《とらや》に帰ってみると、二階のいつもの部屋は、御前様の甥で大学助教授岡倉(岡倉金之助)が住み込んでいる。岡倉のアパートが取り壊しになるとか、しばらくの間おいてもらうことになっているのだ。そんな岡倉が、寅次郎の同級生だった千代(八千草薫)に一目ぼれしてしまう。千代は二年程前に離婚して、家の事情もあり、つい一ヵ月前から近くに独力で美容院を開店したばかり。
寅次郎にしてみれば、岡倉が千代を好きだからとはいえ、自分のほうが圧倒的に優位であることをはなにかけ、なにかにつけて嫌がらせをしてしまう。しかし、そんな岡倉は恋の病にたおれ、寅次郎に千代との仲をとりもってくれるように頼む。頼まれたらイヤといえない寅次郎は、千代を呼びだして岡倉の気持ちを伝えようとする。

「じつは・・・もう気づいていると思うが・・」と岡倉の名前はださずに、その想い(ギャグで語られているのでまるで真剣味がないのだけど)を語ると、それを寅次郎本人の想いとうけとる千代。「ずいぶん乱暴なプロポーズね」と言葉を返すが、「いいわよ」と付け加える。

しかし、寅次郎が岡倉の想いの代弁者だとすぐ判明。しかしすでに気持ちをオープンにしてしまっている千代は、寅次郎から「冗談だろう」と聞き返されても「ほんとよ」とさらに自分の気持ちを肯定する。冗談としてはぐらかそうとしている寅次郎を、真剣な想いで応える千代。
結果的には、一間おいたあとにさらに冗談ではぐらかそうとする寅次郎の言葉に、ああ、この人にはそんな勇気も覚悟もないんだなと判断した千代が、「そ、冗談・・・・・・」といい、このやり取りが終了する。

男として最低の寅次郎であった。
こんな男の恋愛指南なんかききたくもない!

by ssm2438 | 2011-03-31 06:00 | 男はつらいよ(1969)
2011年 03月 31日

男はつらいよ11/寅次郎忘れな草/浅丘ルリ子(1973) ☆☆☆☆

f0009381_16353044.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/宮崎晃/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:渥美清(車寅次郎)/浅丘ルリ子(松岡清子)

       *        *        *

リリーさんの本妙は松岡清子である。

リリーさんシリーズの中では一番好きである。しかし、このあと登場する『男はつらいよ・寅次郎相合い傘』『男はつらいよ・寅次郎ハイビスカスの花』に比べるとリリーさんの描きこみ比は少ない。後の2本というのはリリーさんに特化した話なのだが、この話はまだ全体のバランスの中で、一話数のマドンナとして描かれている。リリーさんの人格的な背景を紹介するにたるだけのダークは描写があり、リリーさんの不幸さが一番表面化している。もしかしたらリシーズのなかで一番好きかもしれない。なにせ全部見てないからなんともいえないが、リリーさんシリーズで一番といえば、シリーズで一番の可能性は高いのである。

しかし、寅さん映画というのは1969年から年に2本づつ(多いときには3本の年もある)作られていたのですね。知らなかった。それが後半になってくると年に1本ペースにかわってくる。これは『釣りバカ日誌』の脚本も手がけるようになっており、さすがに山田洋次が他の作品も作ってみたくなったのだろうと勝手に推測する。

シリーズを通じて重要な立場になっていくリリーとの出会いはこんな感じだった。
北の大地をひた走る夜汽車のなかで寅次郎(渥美清)は涙をふく女をみかける。やがて網走におりたった寅次郎は品もを仕入れて街角でレコードを売うる。しかしなかなか客はくいついてくれない。橋の上でしょんぼりしてると「なかなか売れないねえ」と声をかけてくる女がいた。地方のキャバレーを廻って歌っている三流歌手で松岡リリー(浅丘ルリ子)といい、レコードも出したことはあるらしい。寅次郎の売っているレコードのなかに「私のレコードもあるかしら」と言うはあるはずもない。しかし同じドサ回り人生、互いの気持ちがどことなくシンクロしていく。

この映画の感動ポイントの一つは音楽。
リリーさんの登場シーンでかかる松岡リリー愛のテーマ(ニーノ・ロータ『ゴッドファーザー愛のテーマ』風)が実に哀愁をさそうのである。その物悲しいテーマ曲をバックにリリーがかたるドサ回り人生。
ここの画面がまたいい。手前に丘に上がった漁船の舵とおっきなスクリューなめて二人を撮っている。できるなら夕暮れまでひっぱってこの絵をシルエットの望遠で切り取るカットを一発入れてほしかった。

この出会いで、自分達を「あぶくのような人生」と語るリリーの言葉に心機一転、寅次郎は北海道の開拓農家の手伝いをボランティアでやりたいと申し出る。希望者を紹介する機関を通じて玉木という農家に受け入れてもらった寅次郎だが、慣れないハードワークでダウン。その連絡を受けたさくらが寅次郎を回収にはるばる北海道までやってくるしまつ。そして柴又もどった寅次郎をリリーが尋ねてくる。《とらや》で家族のいる空気に触る。

そのあと寅次郎の昔の恋愛ネタなどが紐解かれるが、このくだりが実に楽しい。つぎから次へと出てくる失恋相手の女の名前。そんな話からリリーの恋愛に話をふられる。「あんたに惚れる男なんて一杯いるだろう」という言葉に「惚れられたいんじゃないの、惚れたいの」というリリー。付き合った男はいるけど、好きになった男はいなかったと言うリリーに、「でも初恋はあるだろう? リリーさんの初恋は?」と聞かれ沈黙のリリー。幼少のころから家を飛び出したリリーにそう呼べる恋愛などなかったのだ。・・・・そして、「もしかしたら私の初恋は寅さんかもしれない」と言う。
その夜は《とらや》に泊まることになるリリー。布団を敷かれていると服をきたままそのなかにもぐりこむ。のりのはってあるシーツに感動するリリー。声をかければ隣から寅次郎の声がする。下にはおじちゃんとおばちゃんがいる。
さりげなくリリーの不幸がにじみ出る描写が素晴らしい。

そしてその後、リリーの不幸の描写が具現化してくる。飲み屋をやっている母をたずねるリリー。個々では清子と呼ばれる。彼女の本名である。会えば金をせびる母。娘の名前でなんとか客を自分の店につなぎとめようとする母、そんな母に「それでも親のつもりかい。あんたなんか、大嫌い。いなければいい」と言うリリー。

誰もが寝静まったその夜《とらや》の戸口を叩くリリーの声がする。世間体など考えず、酔って悪態ついくリリー。歌っているとよっぱらない絡まれ、その男をひっぱたいたらマネージャーに怒られたというのだ。今すぐに旅に出ようというリリー。ああ、出よう出ようと寅次郎。
寝静まった《とらや》の店内でなんとかなだめようとする寅次郎に「寅さんにはこんないい家があるんだもんね。あたしと違うもんね・・」というリリー。おばちゃんも心配してふすまから顔をだす。酒を飲んで歌いだすリリーはさすがにうるさい。「昼間はみんな働いて、疲れてねてるんだから・・、ここはカタギの家なんだぜ」とさとす寅次郎。
「あたし帰る」といって戸口に向かうリリーを止める寅次郎だが、「どうせここはあたしの来るところじゃないだろう。寅さん、あたしの話なんにもきいてくれないじゃないか・嫌いだよ」と涙を一杯駆け出していくリリー。さすがに深夜の、それも《とらや》での悪態に怒りをおぼえる寅次郎は、おばちゃんの「止めなくて?」の言葉も「かまわねえよ」と吐き捨てる。

そのあと寅次郎がリリーアパートを訪ねる。はいってみると鍵はかかってない。汚く狭い4畳半のアパート、となりは子供の声がうるさいアパート。今朝方いるものだけもって出て行ったとか。「こんなところであいつはひとり暮らしていたのか・・」とリリーの人生を知る寅次郎。めちゃくちゃ切ない。

その後そのまま旅に出ることにした寅次郎は上野駅までさくらに荷物を持って来させる。自分の留守中にリリーが来たら、二階に下宿させるようとさくらに頼み、子供に飴でもかってやれと札だそうとするが財布の中には500円札1枚。それをみて、自分の財布から札をとりだし、綺麗に伸ばして寅次郎の財布にいれてやるさくら。なんでこんなんで泣かされるんだとおもうくらい、こんな描写でも泣かされてしまう。

その後《とらや》にリリーからはがきが届く。寿司屋の板前石田良吉(毒蝮三太夫)と結婚して小さな店を出したという。その店を尋ねたさくらは、以前とは想像もつかぬ程血色がよく、生き生きと働いている清子と呼ばれるリリーを見るのだった。

by ssm2438 | 2011-03-31 05:37 | 男はつらいよ(1969)
2011年 03月 31日

男はつらいよ12/私の寅さん/岸恵子(1973) ☆

f0009381_11294440.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
岸恵子 (柳りつ子)

       *        *        *

今回は寅さんがお留守番。

今回の映画は構成的にどうだったんだろう・・??と思ってしまう。もうちょっと岸恵子を前半に絡めることが出来なかったものか。前半の《とらや》の面々が旅行に出て、寅次郎がお留守番する話と、後半の岸恵子との話がかなりくっきりぱきり別れてしまっているのだ。出来ることならお留守番中の寅さんと岸恵子との出会いをいれて、なんかの拍子に《とらや》で一泊、みなさんが帰ってきて泣いて再会を喜ぶ一同、ひとしきりイベントがおわると二階から岸恵子がおりてきて皆さん沈黙・・とかいう流れで話くめなかったのかなあ。マドンナ話だけなら☆ひとつである。

しかし、前半のエピソードはなかなかおもしろい。
さくらと博は、日ごろの感謝をこめておいちゃんとおばちゃんを九州旅行へ招待することになった。準備万端整えて、明日は全員観光旅行へ出発って時に寅次郎が帰ってくる。このままでは寅次郎だけをおいて旅行にいくことになってしまう。なんとかことの次第を隠そうとそるする一同だがそれも無理な話。結局ばれてしまい、むくれる寅次郎。そんなぐれた寅次郎もさくらの説得でなんとか機嫌をなおし、今度は今度は留守番を買ってでるという。かくして旅にでていつも心配ばかりかけていると寅次郎と心配する側の立場が一転。
しかし、旅に出てもやっぱり寅次郎のことは心配になる一同。ご飯はちゃんと食べてるのか? 町内会の集金はちゃんと対応してくれてるのか? なにから何まで心配で仕方がない。 8時に電話するということになっていたが、団らんのなかでついつい忘れていて、しばし遅れて電話すると「心配してたんだぞ」さんざん悪態をつく寅次郎。寅次郎はその時間には電話がかかってくるだろうとずっと電話の前でまっていたらしく、旅先からの電話がこないだけでおおさわぎ。
家族はいないといっても、隣のタコ社長だけは一緒に晩御飯をたべてくれている。電話で散々悪態ついて、電話を切りあたまにきて「おれは出て行く! とめるなさくら」といっても誰も言葉を返してくれない。しい~~~~~~~~~として電気の消えている店の中にぽつんとたっている寅次郎だけ。とめてくれるさくらも、ほかのみんなも今はいないのだ。座敷でご飯をたべているタコ社長が、ぽかんと寅次郎をみている。たまらなくなって二階へあがっていく寅次郎をみて「哀れだねえ」とぼそとつぶやくタコ社長。
ここのシーンは良い。
やっぱり旅先にでてもて寅次郎のことが心配なみなさんが帰ってくると、全員が涙をながして再会を喜ぶのであった(笑)。

で、このあとは小学校のときの同級生前田武彦と会ったのをきっかけに、絵描きをしてるという妹と会い、ささやかなロマンスに展開する。最初の出会いで喧嘩した寅次郎とりつ子(岸恵子)だが、りつ子が《とらや》に謝りにきたことから急速に仲良くなる。しかし、りつ子には片思いの人がいた。その彼が結婚することをしり、失恋の痛手を寅次郎に語ると、寅次郎も失恋を実感し寝込んでしまう。結局「寅さんとはいいお友達でいたかったのに」とうりつ子はひとりヨーロッパに絵の修行にでかけていく。

物語は薄味なのだが、最後の寅さんの笑顔のRitsukoの署名入りのの絵はいいねえ。それまでなんでもなかった物語があの絵でどあああああああっと泣かせてしまう。物語は弱かったのだが、あの絵はとってもすばらしい。

by SSM2438 | 2011-03-31 03:31 | 男はつらいよ(1969)
2011年 03月 31日

男はつらいよ13/寅次郎恋やつれ/吉永小百合(1974) ☆☆

f0009381_8433961.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:渥美清 (車寅次郎)
    吉永小百合 (歌子)
    宮口精二 (歌子の父・高見修吉)

       *        *        *

吉永小百合シリーズ第二弾!

『柴又慕情』(シリーズ第9作)の最後で愛知の陶芸家と結婚した歌子(吉永小百合)の後日談。

この『寅次郎恋やつれ』では冒頭からいきなり寅さんが世帯を持つという話がもちあがっている。ある温泉旅館で働いていた寅次郎は、明るく気丈に働いている絹代という女性に出会い、世帯をもつことを決意する。彼女の夫は蒸発してもう長い間便りがないというのだ。この決意というもの、惚れた晴れたというよりも、《とらや》の面々をいい加減安心させてあげようかという気持ちからだった。その話を柴又にもどってみんなにすると、信じられないさくらとタコ社長が縁談をまとめに絹代に会いに行く。しかし、寅次郎が絹代に二人を紹介したとたんに「夫が戻って来たの」と嬉しそうにきりかえされ、この恋の病は即効に解消される(苦笑)。

いきなりの展開でちょっとびっくりしたのだが、そこからまた旅にでてあいかわらず幸薄そうな歌子(吉永小百合)に出会う。

この歌子という女性は、ほとんど星明子(『巨人の星』、星飛雄馬の姉)状態である。『柴又慕情』でも、父親の無言の高圧的支配の呪縛でなかで自己主張が出来ないでいた。彼女の父も、昔のドラマに登場する父親はこうだったという典型的なガンコ親父タイプで、娘の歌子は、その人を世話することで自分は必要とされていると実感しているという関係。嫌われるということが恐ろしい性格の人で、自己主張がなかなか出来ない人。だが、最後はそれを振り切って結婚することを選んだ。嫌われることよりも、自分が求めることを選ぶというのが、この歌子の話の基本路線であった。

今回は、その旦那が病気になり余命いくばくもないということで、彼のふるさと・津和野(森鴎外の出身地)に一緒に帰り、彼の面倒をみていたという設定。旦那が死んだ後も彼の実家に入り、肩身の狭い生活をしつつ、図書館勤めをしているという設定。
あいかわらず幸薄い、自己主張の乏しく、従順であることが好しとされた昔の典型的な日本女性のキャラクターである。ただ、現代においてはほとんどリアリティが感じられないず、ドラマの中だけに存在する記号的キャラクターという印象になってしまっている。当時の吉永小百合をそんなに見ているわけではないが、彼女のイメージが従順で可愛い女性というところだったのだろう。あまりに記号的すぎて彼女を取り巻く環境を想像すると、ちょっと可愛そうに思えてしまう。

そんな女性が寅さんといる時は、幸せそうに振舞えてしまう・・という寅さんキャラをシンプルに立たせてくれるキャラクターである。しかし、物語的にはちょっと薄味な感じがしてしまう吉永小百合の2本であった。
どちらかというと、この『寅次郎恋やつれ』のほうがいいかな。

<あらすじ>
山陰に城下町・津和野で図書館勤めをしている歌子(吉永小百合)に再会する寅次郎(渥美清)。結婚した男が病気になり、彼の実家で看病していたが死に別れ、そのまま孤独で肩身のせまい暮らしをしている。そんな歌子を不憫におもった寅次郎は別れ際に「困ったことがあったら、“とらや”を訪ねな」と言ってバスにのる。
それからしばらくして歌子が《とらや》を尋ねてくる。やがて旦那の実家をでて、東京で人生の再出発をするという。娘の夫の葬式にも顔をださない父・修吉(宮口精二)との確執はまだ残っており、しばらくの間《とらや》に住むことになる。
その旨知らせに行ったさくらは、ガンコで無口が、帰り際に「駅まで送ろう」といって着いてきて、別れ際に「娘のことをよろしく」といって頭をさげて帰るのを観る。

ああ、父親なんだなあと思わせるなかなか感動の1コマだった。

その後、寅次郎が単身修吉を訪ね、歌子の代りに言いたい放題を言って帰って来た。そのことを知って皆が蒼くなっているところへ修吉が現われ、歌子と二年ぶりの父娘の対面となった。一同の心配をよそに、お互の心情を語りあった修吉と歌子は和解するのだった。
やがて、歌子は伊豆大島にある心身障害児の施設で働くことを決心し、旅立っていく。

by ssm2438 | 2011-03-31 02:06 | 男はつらいよ(1969)
2011年 03月 31日

男はつらいよ14/寅次郎子守唄/十朱幸代(1974) ☆

f0009381_2281732.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
十朱幸代 (木谷京子)

       *        *        *

寅次郎の子育てシリーズ第一弾!
でも、第二段『寅次郎物語』で終わりだけど。

しかし・・・、この話はいまひとつ面白味にかけた。なんでこんなに面白くなかったのか、その原因を考えてみた。

1、マドンナ十朱幸代が不幸ではない。
2、今回に関しては十朱幸代が寅次郎に揺れることすらなかった。
3、子供はあっさり途中退場。その後の寅次郎と十朱幸代との恋愛劇にまるで絡まなかった。

やはり、寅次郎というのは、ある程度マドンナが不幸でないと機能しないキャラクターだ。この映画の中の十朱幸代は、看護婦さんになって気がついたら30歳になっていて、ある種の焦りがただよいだしてきたころの女性。ただ、物語のなかではコーラス部の上条恒彦にプロポーズされて、あっさり受けているので、この展開だと、以前から彼にそれなりの想いがあったのだろう。寅次郎にはまったく目がなかったわけだ。
寅さんというキャラクターは、女性の側がなにかしら不幸な時に、「他のひとじゃなくて寅さんがいいの」っていう部分を持ち合わせているから成り立っているので、不幸じゃない女性はあまり見向きもしないというのが原則なのだと思う。

<あらすじ>
九州は唐津のおくんち祭りで露店を出して寅次郎(渥美清)は、その夜安宿に泊まった。ふすま一枚隔てた隣の部屋では赤ん坊連れの男(月亭八方)が泊まっていた。なんでも女房が生まれたばかりの子供をおいて姿をけしたというのだ。この男に同情した寅は、酒をおごって元気づけてやったのだが、翌朝、寅が目を覚ますと「この子をよろしくお願いします」という置き手紙を残して男は消えていた。
柴又に子供をつれて帰った寅次郎をみて、世間では「寅が子供をつくった」と大騒ぎ。そんな子供が熱をだしたことからとある病院にいき、そこで優しい看護婦さんの木谷京子(十朱幸代)に一目ぼれ。その子が縁で京子は時々《とらや》に顔をだすようになる。
ある日、京子が参加している地域青年のコーラス・グループの練習に顔をだした寅次郎は悪ふざけから練習を台無しにしてしまう。詫びを入れるために一升瓶をもって、リーダーの大川弥太郎(上條恒彦)の下宿を訪ねる寅次郎。酒を飲んでいるうちに、弥太郎が京子に対する恋心を打ち明ける。人の恋愛になると一点強気の寅次郎は弥太郎に告白するようプッシュする。

ちなみに赤ん坊は、その父親が取り戻しに来る。このシーンだけはうるうるきたね。さすが山田洋次

by ssm2438 | 2011-03-31 01:11 | 男はつらいよ(1969)
2011年 03月 30日

男はつらいよ15/寅次郎相合い傘/浅丘ルリ子(1975) ☆☆☆

f0009381_11474960.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
浅丘ルリ子 (松岡リリー)
船越英二 (兵頭謙次郎)

       *        *        *

リリーさんシリーズ第2弾
ええええ!?、それで繋いじゃうのですか、『エイリアン3』みたいだぞ。


『エイリアン2』でなんとか生き延びて地球に帰還しようとしたリプリーたちが、『エイリアン3』の冒頭では、ある囚人惑星に落下、リプリーとエイリアン以外はみんな死んでしまうというスタート。前話数での努力と希望と結果を一旦亡き物にして再スタートするというちゃぶ台ひっくり返し戦法。実はここで既に使われていたんですね。・・・しかし、この話はこれでいいのだけど、でも、この話を作るならここはひとつもうちょっと我慢してリリーさんの離婚話つくってからこっちに行ってほしかったかな。先の話数の最後のリリーさんが安心を得た幸せをあっさりデリートするなんて・・・。ちと勿体ないぞ。

というわけで、この物語は2年前に幸せな結婚をしたはずのリリーさんが《とらや》にひょっこり現れるところから始まる。話を聞いてみるとなんでも離婚したとか。もう克服したのだろう、リリーもそれほど悲壮感を漂わせてない。
ただ・・・どうしても私は考えてしまった。あの時、借金してすし屋を開店させたのに・・その後は??って、あの旦那さんは大丈夫なのだろうか?とか。その離婚のせいで、すぐに店をしめることになり残ったのは借金だけ・・?って背景を想像してしまったので、その後の展開がどうにもすぐに楽しめなかった。劇中のどこかで、あの旦那も離婚後もそのまんますし屋をやってて、扶養手当も毎月少ないけど送ってきてて、でも悪いからリリーのほうからそれは断ってる・・みたいなエピソードを10分くらいでいいので挟み込めなかったものか・・。
リリーさんの魅力はその背景にある不幸なのだけど、この話ではその不幸のほうがほとんど出てこなくて、キップのよさだけが出てきてしまってた。意図的なことだろうけど、個人的にはこの人が出る話数はどこかで不幸をきっちり描いてほしかったかな。そのために離婚後の後処理をさりげなく臭わせて、いい旦那だったのに壊してしまったという罪悪感をもうちょっと強調しつつ今回の話を展開してくれたら良かったのに。
あとからみると、もっと作りこめた・・という印象が実に強い。

しかし、山田洋次の語り口は絶品。メロン騒動からのリリーさんの気風のよさを表現する展開。最後の「リリーさんがお兄ちゃんと結婚してくれたらいいのになあ」ってさくらが言うところから寅次郎が現れてすべて冗談にして片付けてしまう切なさ、そのあと雨が降り出し、きっとリリーさんはこの雨の中濡れて行ってるんだろうなとおもわせつつも、追わない寅次郎。それを引き出すための中盤での相合傘。そして何よりはリリーのコンサートを夢見語りする寅次郎・・・。この人職人だなあって感心してしまう。

さくらの「お金があったらどうするの?」の問いに、「でっかい劇場借りていっぱいのお客さんのまえでリリーに好きなだけ歌わせたい」っていう寅次郎。開演からのイメージをとうとうと語る寅次郎。この台詞も素晴らしいが、それを効果的に伝える寅さんの世界観で伝える渥美清もすごい。そして大喝采のシーンを語りつつそこでメローな音楽をかぶせてくる。泣けてきてしまう。
こんなシーンでこういう泣かせのオプションをもっていることがスゴイ。これがいくつかある泣かせに導くパターンの一つであり、他にもいろいろなパターンがあるに違いないと感じさせてしまうのである。勢いでそのシーンが出来るのではなく、この山田洋次の映画をみていると、「何度でも違うパターンで出来るぞ! 同じパターンでも出来るぞ!」っていう、職人としての技術力の確実さを感じるのである。

これは『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』の夜間学校の先生が語る便所掃除の名作文でも感じられる。この話をみててついつい『・・・かもめ歌』も見たくなりレンタルしてきてしまった。

恐るべし山田洋次!

<あらすじ>
相変らずのテキヤ稼業で東北をドサ周り中の寅次郎(渥美清)には、兵頭謙次郎(船越英二)という気弱で謙虚な一流会社のエリート社員らしい男がついてまわっていた。ある日突然蒸発したくなったというのだ。失踪してから1週間、家にも電話をかけてないといこの男は、寅次郎と旅をすることで魂の開放感を味わっていた。そんなある日、函館の屋台のラーメン屋で、寅は二年ぶりにリリー(浅丘ルリ子)と再会した、盛り上がってしまいその夜は一部屋に3人で雑魚寝。兵頭謙次郎も二人に感化されて徐々に精気をとりもどしてくる。そんな3人も恋愛間の違いからケンカになってしまい、そこで三人の旅は終了。

柴又に帰って来た寅次郎は憂鬱。しかしリリーがたずねてきてすぐ復活。ケンカをしてもすぐ仲良くなってしまう二人なのである。やがてリリーがルームシェアしている女友達が男を引き入れたことから、気を使ってさくらのうちに泊めてもらうことになり、新しいアパートをみつけるまでは《とらや》に泊まることになる。ケンカとラブラブをくりかえすリリーと寅次郎。しかしアパートが見つかった。いつまでも《とらや》に厄介になるのも心苦しいリリーはり荷物をまとめはじめる。そんなリリーを引き止めてさくらが「リリーさんがお兄ちゃんと一緒になってくれたらいいな」という話をしてしまう。「いいわよ」と真剣に言葉を返すリリー。
しかし、その場に出かけていた寅次郎が帰ってくる。リリーの気持ちを寅次郎に話すさくらだが、「冗談だろう、こいつらみんなカタギなんだからさ、そんなこといったらみんな真にうけちまうよ。な、冗談だろう?」といつもの自分の恋になるとチキンな寅次郎を演じてしまう。その言葉をきいたリリーは「そう、冗談よ」といって荷物をもって出て行ってしまう。
外は突然の雨、「すぐ追って行きなさい」と言うさくらに、「結婚しても俺とじゃうまくいかないさ」と窓のそとの雨をみつめる寅次郎であった。

by ssm2438 | 2011-03-30 21:49 | 男はつらいよ(1969)
2011年 03月 30日

男はつらいよ16/葛飾立志篇/樫山文枝(1975) ☆☆☆

f0009381_98770.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
樫山文枝 (筧礼子)
小林桂樹 (田所博士)
桜田淳子 (最上順子)

       *        *        *

レイコ先生ですか・・・、ちょっとときめく語感です。

いやあああ、おもったより良かった。とってもさわやかな話でした。物語的には並の話で、本来☆2つくらいが相当かと思うのですが、今回は田所博士(小林桂樹)が良かった。おかでで感情移入しまくってしまい、ちょっと甘めに☆ひとつ追加(笑)。

しかし、物語の完成度から言えば、かなり低い映画です。せっかく桜田淳子を登場させてもほとんど機能せず、もうちょっと物語りにからめられなかったものかと思います。桜田淳子のはなしだけでも一本できそうなのに・・、そしてそれが出来てたらそれなりにいい話になったと思えるのに、それをふくらまさず、別の映画にしてしまったのがかなり残念。もうちょっとなんとかならんかったんですかね・・・。これだと話の起点にんったエピソードの立つ手がない。。。
物語は、その桜田淳子演じる順子の母・お雪さんの思い出から、寅さんがお勉強にめざめるという話。しかし本質的にめざめてるわけではなく、かなりいいかげん。きっとこの人は永遠に目覚めないのでしょう。

たぶん山田洋次が、おのシリーズのなかで描きたいと思っているのは、「お金」でも「知識」でも「才能」でもないところに見出す幸せ・・だと思われます。
なので、このシリーズのなかには、意志力が強く、ひとつのことにのめる込み、成し遂げていくような人はほとんど登場しません。登場してもどこかで挫折して普通の人へと変わっていきます。#21『寅次郎わが道をゆく』の木の実ナナにしても、#37『幸せの青い鳥』の長渕剛にしてもそうです。大空小百合にしても、役者修行をしてても結局はラーメン屋で働き、感番屋ではたらく長渕剛と結婚して普通の奥さんになってしまいます。#42以降主役となっていくさくらの息子・満男にしても意志力の強い人としては描かれません。
夢を追うことなんてこの映画のなかではないのです。好きな人をおいかけて現実の生活をする。それが『男はつらいよ』という映画だといってもいいでしょう。

実は『男はつらいよ』のなかで山田洋次が実質的なヒーローに設定しているのはタコ社長じゃないかとおもったりします。かつては弁護士をめざして法学部に通い、それが転じて印刷工場の社長さん、いつも手形と借金になやまされ、銀行と工場と税務署にいったりきたり。社員がやめるとなると退職金のことをあたまをなやませる。うちに帰れば狭い部屋に子供4人と住んでいてにぎやか過ぎ。さくらと博がすんでいたアパートのほうが断然裕福にみえます。
そんななかでも会社を経営し、みんなを食べさせてるタコ社長。えらいなあって思いますね。
ちなみにその長女があけみが、後に美保純となってシリーズの登場してきます。

ま、それはさておき、
なので、このお話では「学問は必要だけど、一番大事じゃないよ」ってところがポイントになります。それが分っている二人の男、車寅次郎と田所博士が一人の女性レイコ先生に恋をします。きちんと言葉にして表現したのは田所博士ですが、「今は恋愛は考えられない」とあえなく玉砕。もちろん寅次郎に告白する勇気などはなく、想像だけで失恋し、最期は振られたもの同士旅にでてます(笑)。

・・・・ったく、女ってのは!!!!って話です。
男が「いいね!」と思う恋愛と、女が「いいね!」と思う恋愛は合いれることはないんだ!!ということなのでしょう。私は今回の映画の中にはミケランジェロ・アントニオーニを感じてしまった(苦笑)。『男はつらいよ』とうタイトルが実にしみじみきた映画でした。

<あらすじ>
山形から修学旅行で上京してきた高校2年の順子(桜田淳子)が《とらや》をたずねてくる。順子は、その寅次郎が自分の父ではないかとおもい会いにきたのだ。16~17年まえ、貧乏だった寅次郎はその母のお雪さんに食事をほどこしてもらい、それからというもの正月には年賀状と500円札を一枚、毎年送っていたという。その娘が順子だった。そして順子からお雪がつい最近死んだと聞き、墓詣りを兼ねて、山形を訪ねた。そこで寅は寺の住職から、お雪の生前の不幸を聞かされ、学問がなかったために男に騙されたという彼女の無念さを噛み締めた。

勉学をこころざして柴又に戻ってみると、自分の部屋は一人の女性に貸し出されていた。彼女は御前様の親戚で大学で考古学こころざす筧礼子(樫山文枝)という。彼女に歴史を教えてもらうことになり張り切る寅次郎。しかし、礼子先生そばには奇人だが天才肌の田所博士(小林桂樹)の存在があった。はためには二人の関係は、歳ははなれているが理想的なカップルにも見える。そしてある日礼子先生は、田所博士から求愛されたことを寅次郎につげる。「終わったな」と思う寅次郎はいつものように旅に出る。しかし、田所もまた「学問に専心したい」という礼子に断られていた。
振られたもの同士がなぜか合流して正月を旅先ですごす寅次郎と田所博士だった。

by SSM2438 | 2011-03-30 19:12 | 男はつらいよ(1969)
2011年 03月 30日

男はつらいよ17/寅次郎夕焼け小焼け/太地喜和子(1976) ☆☆☆

f0009381_11484028.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:渥美清 (車寅次郎
太地喜和子 (芸者・ぼたん)
宇野重吉 (日本画家・池ノ内青観)

       *        *        *

幸せに泣ける一本だ!

寅さん映画では珍しくキネ旬ベストテンのその年の邦画部門2位、第31回毎日映画コンクール日本映画優秀賞に選ばれた作品。寅さん映画というのはマンネリ感があるのであまりキネマ旬報の投票にもいれようかなって気になりづらい映画であり、キネ旬のランクもあまり正当な評価としてはとらえづらい映画なのだけど、当時の映画評論家先生たちは、この映画だけは2位ほおりこんできている。それだけ、インパクトのあった作品なのだろう。
そういう私も、昔見たこ時はこんなに泣けなかったのだが、今回見直してみたら最後のハッピーエンドがすっごく泣けてた。歳とると涙もろくていかんな(笑)。

この映画の魅力は太地喜和子演じる芸者・ぼたんのきっぷの良さだろう。座敷の席ではぱあああああああっとひまわりのように明るい。でもその反面実はある男に200万円を騙し取られて、その200マンをなんと取り戻したいとその男に掛け合ってるが相手にもされないし、法的にも無理そうだという悔しさももっている。それでも、みんなといるときはそんなこと忘れたかのように別人格の明るい太陽にように振舞える。このあっけらかんとした性格がとてもすばらしいんだ。
シリーズ中、寅さんがプロポーズ出来た二人のマドンナのうちの一人でもある。ちなみにもうひとりは浅丘ルリ子演じるリリーさん。リリーさんの時はやっぱりはにかみながらだったが、このぼたんの時は普通に自然に勢いでぽろりと言えてしまう。気持ち的には「冗談なんだけど、ほんとでもかまわない」というそんな感じ。それはあいてのぼたんもそうで、きっと冗談だろうけど本気でもかまわない・・というテンションなんだろう。おそらくシリーズの中でもっとも波長があったマドンナさんだっただろう。

もうひとりの重要人物は宇野重吉演じる日本画家の大家・池ノ内青観。こいつの冒頭でのマイペースモードにははなはだ頭にくる。こんな糞ジジイ、誰かが説教してやらんといかん!って思うよ。そのストレスのタメがかなり長くて飛ばしたくなったのだけど、その後は寅さんに説教されるとう展開。寅さんというのは、貧乏人で有名人でも権威があってもなくても誰にでも平等に話が出来る人。それゆえに回りの人は、寅さんを強調するために貧乏んには貧乏人の対応を、えらい先生にはえらい先生への対応をするように描かれている。少々記号的過ぎるのだが、寅さんワールドなのでこれでいいののだろう。
池ノ内青観が昔好きだった女性に会い、そして別れるシーンなど、じい~~~~~っときてしまう。山田洋次の演出のすごいところは、感動させるシーンを、そのシーンで感動させるのではないところなのだろう。そのシーンはほとんどさりげなく撮っているのに感動するのである。これがハリウッドの映画だったら、感動させるシーンはそのシーンで感動させるのである。しかし山田洋次の場合は、そこまでの段階で、すでに感動にいたらる要素をさりげなく注入しておいて、そこにきたらその感動を解放してあげる蛇口をあけてやる。そうしたら一気に感動があふれ出しくるのである。でも、そこで行われるのは蛇口をあけるだけなので実になんでもない芝居だったりする。あたたたたたたたたた・・・<お前はすでに感動している>演出と呼ぼう。
恐るべし、山田洋次。

<あらすじ>
場末の酒場で金も持たずに飲んでいるウサンくさい老人に対して、店のおねーちゃんがカリカリきてるところを寅次郎(渥美清)はその金を立て替えてやり、《とらや》に連れて来る。ところが翌朝、この老人は食事にも色々注文をつけたり、風呂を湧かせといったり、回りの人を怒らせる。さすがに寅次郎も「人のうちに泊めてもらっているのに、それは横暴だろう」と老人を諭すと「すっかり旅館だと思っていた、お世話になったお礼に・・」と、画用紙にサラサラと絵を描き、「これを神田の大雅堂に持っていけば金になる」といって寅に渡した。その絵は7万円になって戻ってきた。この老人は日本画壇の第一人者・池ノ内青観(宇野重吉)だった。
それから数日後、兵庫県・竜野寅次郎が行商の旅をしていると青観に会う。竜野は青観の生まれ故郷だった。市の役人は、青観と親しく話す寅次郎をすっかり青観の弟子と勘違いして、二人を料亭もてなす。その席で寅次郎はぼたん(太地喜和子)という芸者と知り合う。青観は初恋の人を訪ねて帰らぬ遠い青春時代の感傷にひたっていた。代理の寅次郎は市の観光課長の案内で、昼は市内見物、夜はぼたんを連れてキャバレーやバーの豪遊り。すっかりぼたんと意気投合してしまった寅次郎は竜野を発つまえに「おれと所帯をもとう」と言ってしまう。
そのぼたんが数日して《とらや》を訪れる。ぼたんは、苦労して貯めた200万円をある男の会社に投資するが会社は倒産。しかしその男は東京で大きな中華料理点やキャバレーを経営している。タコ社長をぼたんについていかせるが、名義は妻や弟名義で、法律上は彼は無一文者という立場。一銭も払おうとしない。
烈火の如く怒った寅次郎はさくらに「もし明日、ここに刑事がきたら、兄とは8年前に縁をきりました」と言いのこして飛び出していく。ぼたんは「あたし幸せやわ。200万なんかもうどうでもええわ」と感動する。
一方、出て行った寅次郎は、自分がどこに言ったらいいのか知らないことに気づく。戻ってみたがばつが悪くて《とらや》には入れない。
しかたなく青観の家にいき、ぼたんのための絵を一枚かいてやってはくれないかと頼むのだが・・・。


世間的にはもっとも評価のたかい寅さん映画の一本なのだが、私のツボからはちょっと離れていたかな。泣かしてもらったので悪くはないし、えらい評論家の先生方も評価しているのだがらいい映画なのだけど、マドンナのぼたんが私の趣味ではなかったというところがちょっと・・・。きだてのいい女性なのだが、生産性があまりない人なので、私の憧れの対象にはならなかったのだ。
もうひとつ、金貸し悪徳業者という、ちょっときなくさい部分も映画にはあり、それがあんまり寅さんの世界ではみたくなかったかなと思ったり・・、最後、青観に絵を描いてもらいにいくのも、「これは青観を巻き込む話ではないだろう」と思ったりして・・、たしかにそれしか方法はなかったのかもしれないが、便宜性を優先させた選択だったなと、寅さんらしからぬ印象をもったりと・・完全に同調できない部分もあったのでした。
3.5☆くらいにしておきたいのが本音である。

by SSM2438 | 2011-03-30 17:07 | 男はつらいよ(1969)
2011年 03月 29日

男はつらいよ18/寅次郎純情詩集/京マチコ・壇ふみ(1976) ☆

f0009381_1033739.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
京マチ子 (柳生綾)
檀ふみ (柳生雅子)
浦辺粂子 (柳生家のばあや)
岡本茉利 (大空小百合)
吉田義夫 (鶴八郎一座の座長)

       *        *        *

最初の寅次郎のネガティブイメージが最後まで尾を引いてしまった。旅から帰ってきた寅次郎の悪態ぶりがひどくて、その次の悪態ぶりもひどくて、結局この無責任さが寅次郎の本質か・・って思うと、あとのエピソードも全然感動できないまま、ただメロドラマが展開されてしまった・・という印象。

満男の家庭訪問で《とらや》を訪れる柳生雅子(壇ふみ)先生。そこに寅次郎が帰ってくる。で、その美貌にほれてしまい、家庭訪問で先生と話したいとおもっている博やさくらのことはそっちのけで、ちゃらちゃら話す寅次郎。博が「満男はちゃんと給食たべていますか?」と大事なことを聞こうとすると「そんなこたあどうでもいいんだ」とくだらない教育論だの、夢物語を語りまくる。子供のを持つ親にしてみれば、給食をのこさず食べているのか? ひとりだけ食べるのが遅くて不憫な思いはしてないか? 友達と話ながら楽しく給食を食べているのか? ・・など、とても大事なことなのに・・・、ここの寅次郎はほんとに酷い。
いつも映画の冒頭では、くだらないことからケンカになり《とらや》を飛び出して旅に出る寅次郎だが、今回のはあまりに無神経すぎてはらがたつくらい。
そのあとがまた酷い。信濃路を旅する寅次郎は#8で登場した坂東鶴八郎一座と遭遇、その日が最終公演だというので、公演のあとは旅館で一緒に飲めや歌えの大騒ぎ。「ここは自分がもつよ」と大盤振る舞いしたのだろうが、実はそんなお金もなく、あえなく警察にご厄介。飲食代と宿泊代を払いにさくらが信州までやってくるさくら。そこでは警察のみなさんと仲良くなった寅次郎が風呂屋からかってくる。寅次郎はそこでも、「警察の出す飯はまずくて食えない」とうなぎを注文したうえ、警察のみなさんにも食事をおごったらしい。それを全部支払うことになったさくらはかんかん。
寅次郎の人柄を表現するためのエピソードだろうが、あまりに無責任で超不愉快。

寅次郎の行動というのは、無責任さを起動してはじめて出来ることで、責任感があったら出来るのか??って思ったら、このあと起こす寅次郎の行動も全部無責任に思えて感動させようとしているシーンも、なんとも思えない。個人的には映画としてまったく楽しめない作品になってしまった。

<あらすじ>
柴又に連れ戻された寅次郎(渥美清)、また雅子先生(壇ふみ)の母親・綾(京マチコ)と再会。実は子供の頃あっていたのである。綾は由緒ある家柄の未亡人だが、昔から病気がち、既に病状も悪化しており、あとは死をまつだけ。ゆえに実家で過ごすことが許されて戻ってきたのだ。名家のお嬢さんとして育てられたが、政略結婚で戦争成金と結婚、そして離婚、そのあとの闘病生活。ほんとに自分のことを愛してくれた人にであったことのなかった世間知らずの綾は、いつも顔をだしてくれる寅次郎が唯一の心が通わせられる男だった。最後の1ヶ月、寅次郎と楽しい日々を過ごした綾も死んでしまう。一人残され家を整理している雅子のもとを訪れた寅次郎は、「寅さんは、母を愛してくれてた?」と聞かれる。口ごもる寅次郎。
「母は、寅さんに愛されていると思っていたわ・・」と話す雅子であった。

感動の埋め込みポイントとして、《とらや》のみなさんと綾と雅子先生とで、綾が全快したらどんな仕事についたらいいかって語るくだりがある。これは綾が死んだあとに感動を引き出すための前振り。柴又をはなれる寅次郎がさくらに語るとき、「花屋がいいな。そしたら仕入れとかなんとか全部俺がやって、つつんだ花をお客さんに渡してもらうだけでいい。そしたらオレも、さくらたちと一緒に正月を《とらや》で一緒に過ごせるようになってたのにな」ともらす。・・・・残念。これも珍しく機能しなかった。
想いの深さを想像で感じさせるのが山田洋次演出のいいところなのだけど、今回は総てを言葉だけで処理された印象がつよく。想いの深さも伝わってこない。というか、そんなものない。
寅次郎の精神年齢をかなり低めに設定し過ぎてしまったのが敗因だろう。

by ssm2438 | 2011-03-29 00:30 | 男はつらいよ(1969)