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    <title> 西澤 晋 の 映画日記</title>
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    <description>主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆＝普通の出来だと思ってください。</description>
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    <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <dc:rights>Copyright 2012</dc:rights>
    <pubDate>Fri, 11 May 2012 10:36:06 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-05-11T10:36:06+09:00</dc:date>
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        <title> 西澤 晋 の 映画日記</title>
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        <description>主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆＝普通の出来だと思ってください。</description>
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    <item>
        <title>わるいやつら(1980)　☆</title>
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        <description>
<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201205/06/81/f0009381_1540564.jpg" border="0" width="227" height="324" align="right"/>監督：野村芳太郎<br/>
原作：松本清張<br/>
脚本：井手雅人<br/>
撮影：川又昂<br/>
音楽：芥川也寸志<br/>
<br/>
出演：<br/>
片岡孝夫　（戸谷信一）<br/>
松坂慶子　（デザイナー・槙原隆子）<br/>
藤真利子　（家具屋の妻・横武たつ子）<br/>
梶芽衣子　（料亭のカミさん・藤島チセ）<br/>
宮下順子　（看護婦長・寺島トヨ）<br/>
藤田まこと　（会計士・下見沢）<br/>
<br/>
　　　　　×　　　×　　　×<br/>
<br/>
ほんとにみんな悪い奴らばっかり・・・・<br/>
<br/>
一番の問題点は感情移入できる人間がいないってことだろう。<br/>
物語は、ある病院の若院長が、美人デザイナーに強い興味を持ち、彼女を手に入れようと多額の援助資金を工面する。しかし、結果的にはその女にはめられて、残ったのは殺人犯として無期懲役の人生。しかし、そのデザイナーも最後は仲間だったはずの男に刺されて死ぬ・・・という、、まさに土曜ワイド劇場そのまんま。<br/>
「映画」という印象はきわめて弱い。<br/>
<br/>
実はこの映画、霧プロダクションとしての最初の作品だったらしい。この製作会社は、松本清張が映画・テレビの企画制作を目的として、映画監督の野村芳太郎らと1978年11月に設立した会社で、松本清張自身も代表取締役に就任している。松本清張作品のなかでは、霧プロ制作･協力の映画の質が高いのはそのためなのだが、本作は・・・・・なんとも言えず面白くない。<br/>
一番の問題は、主人公に感情移入しづらいこと。チキンで小心者な親の七光り医者という設定の、人間的な弱さの部分では感情移入できるのだけど、いかんせん好感度がまったくない。おかげでこの人と一緒に物語を体験しようという気持ちになれないんのである。となるとあとはチキンな殺人計画とお金をせしめられるトリックだけだけ・・・・。<br/>
これでは見ている人が楽しめない・・・・。<br/>
<br/>
これ、あとで思ったのだが、主人公をもうちょっと好感度の持てる人、たとえばトム・ハンクスとか、ハリスン・フォードとか、そういうイメージのひとだったら良かったのに・・・。<br/>
やってることはひどいことなのだけど、どこか憎めない愛らしさがあり、でも、欲望に負けてチキンな犯罪を続けて言ってしまう・・という感じ。当時だったら・・・、中村雅俊とか村野武範とか・・・。<br/>
<br/>
＜あらすじ＞<br/>
名医と言われた父の死後、病院を継いだ２代目院長・戸谷信一（片岡孝夫）だが、病院の経営は悪化し、病院の建物はすでに抵当に入っている状態。会計士・下見沢（藤田まこと）は先代に大学に入れてもらった恩義もあり、信一を持ち上げるようにお守りをしているが内心へきへきしている。<br/>
戸谷には３人の愛人（もと愛人も含む）がいた。大きな家具店の妻・横武たつ子（藤真利子）、東京と京都にある料亭を切りまわす藤島チセ（梶芽衣子）、そして看護婦長の寺島トヨ（宮下順子）だった。<br/>
そんな戸谷が次に夢中になったのがデザイナーの槙村隆子（松坂慶子）だった。隆子の必要とするお金をなんとかしてあげたいと思うようになった戸谷はお金を工面を始める。<br/>
そんなとき横武たつ子の夫が死んでしまう。年の離れた夫は死期を早めるためにたつ子と戸谷は薬としょうしてヒ素を与え続けていたのだ。検死の結果に怯えるたつ子は取り乱してしまう。ヒステリックに騒ぎ立てるたつ子に神経を消耗する戸谷を助けるように嘗ての愛人だった看護婦長の寺島トヨ（宮下順子）が、たつ子にある薬をあたえ始末する。<br/>
一方の愛人・チセも夫を疎ましがっており、戸谷はたつ子のときと同じ方法で殺害する。秘密を共有することで弱みを握られてしまった戸谷は、トヨからの精神支配にまいっており、彼女をも、モーテルで絞殺、死体を林の中に投げ捨てた。<br/>
戸谷はすべての情熱を隆子に注いだが、下見沢が戸谷の預金を下して行方をくらませた。やがて事件も明るみにでて戸谷は無期懲役の刑を受ける。<br/>
やがて戸谷の裁判が決心し、網走におくられることになる。青函海峡をわたる船の上で、隆子がファッション・ショーが開かれていたその場で下見沢に刺されたという記事をみる。
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        <dc:subject>松本清張（1909）</dc:subject>
        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Sun, 6 May 2012 15:41:00 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-05-06T15:41:00+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>キングコングの逆襲(1967)　☆</title>
        <link>http://ssm2438.exblog.jp/17496393/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201205/03/81/f0009381_9571825.jpg" border="0" width="227" height="323" align="right"/>監督：本多猪四郎<br/>
脚本：馬淵薫<br/>
撮影：小泉一<br/>
音楽：伊福部昭<br/>
特技監督：円谷英二<br/>
<br/>
出演：<br/>
ローズ・リーズン　（カール・ネルソン司令官）<br/>
宝田明　（野村次郎一尉）<br/>
リンダ・ミラー　（スーザン・ワトソン看護婦）<br/>
浜美枝　（某国諜報部員マダム・ピラニア）<br/>
天本英世　（ドクター・フー）<br/>
<br/>
　　　　　×　　　×　　　×<br/>
<br/>
おいおい、北極に大地はないだろう・・・、北極圏の何処かの国ってことなら判るのだけど・・・。<br/>
<br/>
Dr.フー（天本英世）は北極に発掘基地を作り、次世代のエネルギー鉱石エレメントＸを発掘していた。そのスポンサーはアジアの某国でその仲介役がマダム・ピラニア（浜美枝）。<br/>
Dr.フーは、コングの機能を模倣して作られたメカニコングをつかってエレメントＸを発掘しようとするのだが、その鉱石の発する電磁波のために回路が機能停止してしまう。だったらこのさい本物のコングを生け捕りに、そいつにやらせてしまおうと考え、コング捕獲にむかう。<br/>
<br/>
話はこのような展開で始まる。<br/>
ボンドガールでもある浜美枝さんが相変わらず可憐なのだが、どうも某国のスパイというのがちと嫌悪感を感じさせる。どうしてもアジアの某国というと中国か北朝鮮をイメージしてしまうので、そんな国の手先に浜美枝さんはないだろうって思うのはわたしだけ？　これが水野久美さんだったら問題ないのだけど（苦笑）。<br/>
一応最後は浜美枝さんが良心の呵責からDr.フーを裏切って死んじゃうのだけど・・・、もうちょっとキャラクターの背景をしっかり書き込んでくれてると良かったのに。<br/>
<br/>
一方南の島のモンゴ島に上陸した国連の海底調査隊のカール・ネルソン司令官（ローズ・リーズン）、野村次郎一尉　（宝田明）、スーザン・ワトソン看護婦（リンダ・ミラー）はコングと遭遇。例によってスーザンに一目ぼれしたコングは、ゴロザウルスと巨大蛇から彼女を護るのだが、スーザンはあえなく島を離れることになる。<br/>
そのごコングはDr.フーらに拉致されて北極につれていかれ、エレメントＸを掘る作業につかされるのだが、コングを精神的にコントロールするためのエサとしてスーザンが拉致されてくる展開になる。<br/>
その後、逃げ出したコングは東京に上陸、追ってきたメカニコングと戦うことになる。<br/>
<br/>
アメリカ版の『キングコング』のコンセプトをいれつつ『キングコング対ゴジラ』との関連性はない。たしかあっちのキングコングは４５メートルくらいの設定だったけど、『キングコングの逆襲』のコングは２０～２５メートルの設定になっている。<br/>
<br/>
個人的にはコングの顔が嫌いで・・・はは。<br/>
それ以上に、＜キングコング＞という映画そのものにあまりいい感触がもてないのが原因か・・・。<br/>
<br/>
あ、分った！<br/>
そういうことか・・・・。<br/>
『キングコング』という物語は、男にとって自虐的な話なんだ。<br/>
人間の男に感情移入すれば、「自分より強い男に魅了されていく女」が描かれ、<br/>
キングコングに感情移入すれば、「どんなに強くても結局は選ばれない男」が描かれる。<br/>
女性の立場からみれば、強い男に魅せられ、それをあやしつつ、でも貴方じゃないのよごめんなさ～いって去っていく、けしからん女の性が根底にあるからだな・・・。<br/>
<br/>
うん、『キングコング』という映画の基本コンセプトは、けしからん！！！！！<br/>
きっとこの原作者はホモだ！　そうに違いない。<br/>
ホモ、嫌いいいいいいいいいい！！！！！！！
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        <dc:subject>未分類</dc:subject>
        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Thu, 3 May 2012 9:57:37 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-05-03T09:57:37+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>顔(1957)　☆☆☆</title>
        <link>http://ssm2438.exblog.jp/17452626/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/21/81/f0009381_20412420.jpg" border="0" width="227" height="342" align="right"/>監督：大曾根辰保<br/>
原作：松本清張<br/>
脚本：井手雅人／瀬川昌治<br/>
撮影：石本秀雄<br/>
音楽：黛敏郎<br/>
<br/>
出演：<br/>
岡田茉莉子　（水原秋子）<br/>
大木実　（目撃者・石岡）<br/>
笠智衆　（長谷川刑事）<br/>
<br/>
　　　　　×　　　×　　　×<br/>
<br/>
岡田茉莉子のアゴかとんがってる！？？<br/>
<br/>
後にアンパンマン顔になる岡田茉莉子だが、このころはアゴの下の脂肪がほとんどなくかなりすっきりとした顔立ちに、ぎょろっとした目だけがついている感じ。後の彼女を知る人には考えられないかもしれない、けっこうきれいなのだ。<br/>
<br/>
ま、それはいい。<br/>
この原作は松本清張で、実は映画を見る前に珍しく原作を読んだことがあるお話。しかし見事に全部ひっくりかえしてくれましたね。<br/>
原作の主人公は男で、ちょっと特異なニヒルな顔をもつ売れない役者。その役者がすこしづつメジャーになっていくのだけど、メジャーになればなるほど気になる出来事がある。それが数年前に殺した女のこと。<br/>
九州の飲み屋で働いた女の子だが、別れようとするとしつこくつきまとってくる。もしかしたらいつのもパターンで妊娠をひけらかしてたかもしれない。そんなこんなでその女を山陰のとある山奥の温泉町かどこかに小旅行と称して誘い出し、殺してしまうのである。ところが、こまったことに、その行きがけの汽車の中で、その女を知っている男に出くわしてしまう。主人公は隣に座っていたのだが知らない振りして外をみてたい。そこで計画をやめればいいもののを、やっぱり殺してしまったので、その時の男が自分の顔を覚えているのではないかと不安になって仕方がない・・・。なにせ、どこか得意な顔で「一度見たら忘れられない顔」と言われているのだから・・・。<br/>
彼が銀幕のスタートしてだんだんと名をはせていくと、その特異な顔がゆえに、あの男がどこかで主人公の出ている映画をみて「殺されたあの女の隣にいた男はあいつだ！」と警察に報告するのではないか・・という疑心暗鬼にかられていく。<br/>
主人公の男は、いてもたってもいられなくなり、あの男がホントに自分のことを覚えているのか、いないのか確かめずにはいられなくなり、殺された女の親戚だと偽りその男に手紙を書く。もし、その男が自分のことを覚えているようなら殺すしかない。覚えていないなら、安心してスター街道を突き進める。<br/>
彼を京都に呼び出した主人公だが、偶然のいたずらて、昼飯をとってるとこにその男がはいってきてこともあろうに相席になってしまう。となりには２人の刑事。まずいっと思ってると、どうやらその男はまったく気づかなかった。結局主人公はそのまんま、手紙のこともうやむやにして映画の仕事についた。<br/>
その目撃者は後に最後に主人公のでた映画をみてしまう。正面の顔は覚えていなかった彼だが、映画の一シーンのなかで、ずっと汽車の中からそとの海を見いる斜め向こう向きのシーンをみたとき「あ！！　あのときのあの男だ」と分ってしまう・・・という話。<br/>
<br/>
正直なところ、この話を読んだ時、これ、主人公を女性でやったほうがいいんじゃないかなあって思った。<br/>
別に主人公を殺人犯にしなくても、彼女の恋人か親族のだ彼が犯人で、素性を隠しておかなければならない状況にするとか・・・。<br/>
この映画は、その主人公を男を女に置き換え、それに付随する設定を変えてしまってある。<br/>
しかし・・・、あんまり変えすぎているので、松本清張のドラマというよりも、メロドラマに近い形になってしまっている。笠智衆が演じる長谷川刑事もかなりやぼったく、やたらとぐずぐずしていて結構いらいらする。総合的にみると、けっして悪い出来ではないが、いまひとつしっくりこない映画であった。。。<br/>
<br/>
＜映画のあらすじ＞<br/>
本作の主人公・水原秋子（岡田茉莉子）はファッションモデルで、恋人はプロ野球選手の江波。<br/>
しかし彼女は、その昔無免許の堕胎医師と付き合っていたが、別れ話からもみあいになり、走る列車の中から突き落としてしまう。ところがこの事件が起きる前に、堕胎無免許医と水原秋子がもめてるのを見た男がいた。彼は石岡三郎（大木実）といい、その事件の前に女が被害者ともみあっていたのを見たと警察で証言してしまう。<br/>
やがて警察も水原秋子の存在をかぎつけ、モデル会場の控え室で、石岡に一人ずつチェックさせる。石岡は彼女を認識したが、その時は知らない振りをして警察をけむにまき、そのことをネタに秋子を我が物にしようと試みる・・・。<br/>
しかし、秋子は「お金が欲しいの、体が欲しいの」と、抱きたいならとっとと抱けば・・という純情さのかけらもない態度をとってしまう。そんな人間性がいやになり、石岡は彼女を抱くことをやめ部屋を出て行く。ナイフを手に、殺意を抱いて石岡を追った秋子だが、その石岡も不運にも交通事故にあい絶命する。<br/>
しかし、警察は無免許医殺しは秋子の仕業であることを特定していた。。
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        <dc:subject>松本清張（1909）</dc:subject>
        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Sat, 21 Apr 2012 20:41:00 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-04-21T20:41:00+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>アメリカン・グラフィティ(1973)　☆☆☆</title>
        <link>http://ssm2438.exblog.jp/17447389/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/20/81/f0009381_1202930.jpg" border="0" width="227" height="323" align="right"/>原題：AMERICAN GRAFFITI<br/>
<br/>
監督：ジョージ・ルーカス<br/>
脚本：ジョージ・ルーカス<br/>
　　　　グロリア・カッツ<br/>
　　　　ウィラード・ハイク<br/>
撮影：ロン・イヴスレイジ／ジョン・ダルクイン<br/>
<br/>
出演：<br/>
リチャード・ドレイファス　（カート・ヘンダーソン）<br/>
ロン・ハワード　（スティーブ・ボランダー）<br/>
シンディ・ウィリアムス　（スティーヴの彼女・ローリー）<br/>
キャンディ・クラーク　（デビー）<br/>
ハリソン・フォード　（ボブ・ファルファ）<br/>
<br/>
　　　　　×　　　×　　　×<br/>
<br/>
みんな若い！　ロン・ハワードに髪がある！<br/>
<br/>
基本的に男の子は、旅立ち前の、それ以前の時間を共に生きた人たちを描いた青春物が好きだ。不思議なことに、これは男の子特有の性質のような気がする。『東京ラブストーリー』の中で、織田裕二が愛媛のふるさとのことを懐かしそうに語るときの感情の輝きをみると、男の子ってこういうの好きなんだよなあっと実感してしまう。その思い出が甘かろうが酸っぱかろうが、その時代を共に生きた友達は永遠なのだ。<br/>
<br/>
スティーヴン・キング原作の『スタンド・バイ・ミー』、ピーター・ボクダノヴィッチ監督／ラリー・マクマートリー原作の『ラストショー』、スティーブン・クローヴス原作の『月を追いかけて』、ニール・サイモン原作の『ブルースが聞こえる』、新しくはジョエル・シューマカーの『セント・エルモス・ファイアー』・・など、どの世代で描いてもついつい懐かしく思えてしまう。それは、生まれた土地を巣立っていく前までの時間を共有した「友達」と呼べる人たちとの不滅の時間への郷愁は、全ての男の子の持つ共有できる感情なのだろう。<br/>
わが友ニーチェは、『ツァラトウストラはこう言った』のなかで「女には友情を育む能力がない！」といい切っているが、おそらく、この感覚は男にしか分からないものなのだろう。<br/>
<br/>
映画のなかで、彼らは大人に成り急ごうとしている。そして経験するそれぞれのエピソードが散文的に描かれている。正直なところ、個人的にはこの映画はそれほどすばらしいとも思わないし、ジョージ・ルーカスの演出がそれほどすばらしいとも全然思わないのだけど、少年時代を共に過ごした友すごした時間は永遠の宝物なのである。それだけですばらしい。<br/>
<br/>
この映画の主人公の一人、スティーヴを演じたロン・ハワードは、いまや髪は薄くなり、骸骨のような顔になってしまったが、『ダ・ヴィンチ・コード』や『アポロ１３』の監督として有名になってしまった。個人的には『ガン・ホー』こそが彼の最高傑作だと信じてやまないのだが、どうも世間の人には余り知られていない。<br/>
もう一人の主人公カートを演じたのはリチャード・ドレイアファス。『未知との遭遇』の思い込みオヤジであり、『ＪＡＷＳ／ジョーズ』と戦って生き残ったサメ学者である。彼の役がダブルは、『セント・エルモス・ファイアー』のエミリオ・エステベスかな。自分の思い込みだけでひたすら夢みてしまう。<br/>
めがねのチャールズ・マーティン・スミスと一緒にいる白いドレスのおねーちゃんはなんと、『ブルーサンダー』のヒロインだったキャンディ・クラークである。<br/>
田舎町の最速やろうに挑む外者イケメン野郎はハリスン・フォード。<br/>
みなさん若くてほほえましく思えてしまう。<br/>
<br/>
そしてこの映画の素敵なところは、大学に行くためにその田舎町を出て行くロン・ハワードと、高校時代にずっとつきあっていたローリーが、最初のうちには強がって分かれようとしてたのだけど、ハリスン・フォードとのドラッグレース事故してグルグル体験したあと、最後自分のエゴを爆発させ、ロン・ハワードを田舎町に引き止めてしまう青臭さが実に素敵だ！！<br/>
<br/>
＜あらすじ＞<br/>
１９６２年。カリフォルニア北部の小さな地方都市。<br/>
高校を卒業したカート（リチャード・ドレイファス）とスティーヴ（ロン・ハワード）はアスになれば東部の大学へ進学するため街を去っていく。その夜は、田舎に残るものと出て行くものが過ごす最後の夜だった。<br/>
スティーヴとカートの妹ローリー（シンディ・ウィリアムズ）は恋人同志だが、これからはお互いに別の恋人をつくることを許しあおうという彼の提案に腹立たしいものを感じ、なにかとグレていた。<br/>
一方カートは街中でちらりとみた白いサンダーバードを運転する美女（スザンナ・ソマーズ）になぜか「アイ・ラヴ・ユー」と言われて、その彼女を一晩中さがしまくる。その結果、伝説の海賊放送ＤＪに会うことが出来たカートは、電波にのせて、とある駐車場の公衆電話に電話をかけてくれるように思いを飛ばす。<br/>
ローリーがぐれたはらいせに、走り屋ボブ（ハリスン・フォード）の車に乗り込み、ながれでドラッグレースを経験してしまう。しかしそのレースの中で彼の車は横転、二人はなんとか車の外に這い出したが車は炎上してしてしまう。生死の間をさまよう体験をしたローリーは、駆け寄ってきたスティーブに「行かないで！」と本心をぶつけてしまう。スティーブは大学行きを放棄し、その田舎町で彼女と生きることを選ぶ。<br/>
一方朝までその公衆電話の前でまっていたカートは、その電話のベルがなる音を聞く。まさかとおもってとってみるとサンダーバードの彼女だった。彼女に会うことが出来なかったが彼女の声は聞くことが出来た。旅立つカートがのる飛行機の眼下を、あの白いサンダーバードが見送るように走っているのが見えた。<br/>
<br/>
カートの夢女が乗る白のサンダーバード（↓）<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/20/81/f0009381_12132483.jpg" border="0" width="500" height="319"/></center>
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        <dc:subject>未分類</dc:subject>
        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Fri, 20 Apr 2012 12:01:00 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-04-20T12:01:00+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>ジョンとメリー(1969)　☆☆</title>
        <link>http://ssm2438.exblog.jp/17443418/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/19/81/f0009381_10572049.jpg" border="0" width="227" height="321" align="right"/>原題：JOHN AND MARY<br/>
<br/>
監督：ピーター・イエーツ<br/>
脚本：ジョン・モーティマー<br/>
撮影：ゲイン・レシャー<br/>
音楽：クインシー・ジョーンズ<br/>
<br/>
出演：<br/>
ダスティン・ホフマン　（ジョン）<br/>
ミア・ファロー　（メリー）<br/>
<br/>
　　　　　×　　　×　　　×<br/>
<br/>
名前を名乗らない同士の話なのに、タイトルは『ジョンとメリー』・・・。<br/>
<br/>
１９６９年のキネマ旬報ベストテン９位の作品。昔から気にはなっていたのですが監督がありきたり真面目演出のピーター・イエーツ。なのでキネ旬の順位もあまり信用できず、長らく見ないままになっていた映画のひとつです。見ました。・・・やっぱり普通の映画でした。。。<br/>
<br/>
どうも私は、ピーター・イエーツとは相性が悪いな。<br/>
ただ、誤解されるといやなのできちんと擁護しておきますが、この監督さん、すっごい真面目な監督さんなのです。すくなくとも画面からはそうみえます。私の大嫌い小手先だけで目先を帰るような糞演出家ではありません。その点に関しては充分リスペクトできる監督さんなのです。ただ・・・、なんというか・・・、非難されるのがいやで、なにからなにまできちんと撮り過ぎるので面白くないというか・・・、シナリオにある言葉を間違いなく見ている人に伝えようというような見せ方をするのです。見ている人期待させるように撮るのではなく、見ている人にひたすら説明するように撮る人なのです。なので・・・映画みてて退屈というか・・・つまらないというか・・・、わくわくしないというか・・・。<br/>
<br/>
しかし、話自体は作り方によっては面白くなりそうな物語です。<br/>
ある夜バーで出会った二人が、その夜とりあえずエッチしてしまうのだけど、相手がどんな人なのかもよく知らない。なので、朝起きて、それから「昨日エッチしたこの人はいったいどんな人なのだろう？」と思い始める。お互いが、神経の触手を伸ばして、ちょんちょんっと心の縁をつっつてみながら相手を少しづつ知っていくという話。<br/>
<br/>
女は、実は既婚者と不倫してて、この先どうしようかなって思っている状態。<br/>
男は、同居してた女に出て行かれたけど、まだよりを戻したいと心のどこかでは思っている状態。<br/>
<br/>
ただ・・・、これもイエーツの演出はけっこうまどろっこしくて、見ている私としてはじれったい。「あああ、もうめんどくせえなあ、もう全部普通に話しちゃえばいいじゃん」って思うしまう。<br/>
それが本当に隠しておかなければいけないことなら、その事実があきらかなになっていくことで、見ている人をひきつけることモできるのだろうけど、別に隠しておかなくてもいいことなので、ただただまどろっこしいだけ・・・。<br/>
<br/>
＜あらすじ＞<br/>
ニューヨークの朝。女(ミア・ファロー)はある男(ダスティン・ホフマン)の部屋ベッドで目をさます。二人は昨晩、バーで知り合い一夜を過ごしたのだった。<br/>
女は大学教授で妻子のある男ジェームズ(マイケル・トーラン)と不倫関係にあった。男はファッション・モデルのルース(サニー・グリフィン)と同棲していたが、彼女に出て行かれてしまった。お互い相手のことは嫌いではないが、感情をインベストしてもいいのか悪いのか測れないでいる。さりげなく見え隠れする相手の異性関係も気になる。<br/>
男は、女にもうすこしいて欲しいおも思うようになった時に、女は、ルームシェアしている相手に電話をかけ、帰るという。女にとってその夜は、同居人が男とエッチをするというので、どこか外で泊まるところを探していたのだ。その彼女が、実は男が来なかったから落ち込んでいるという・・・。<br/>
男は女を帰らせてしまう。そして後悔する。強引に引き止めておけば・・・と。<br/>
女は、深入りしすぎないほうがいいのかもしれない・・と考え始める。<br/>
彼女との会話のなかで交わした言葉をヒントにニューヨークを探しまわる男。しかしみつからない。しかしど部屋に帰ってきとき、そこに彼女が待っていた・・・。そして初めてお互いの名を告げるのだった。「ぼくはジョンだ」「私はメリーよ」と。<br/>
<br/>
ウディ・アレンが絶好調の時に作ってくれると面白かったかもしれない・・・。
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        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Thu, 19 Apr 2012 10:57:00 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-04-19T10:57:00+09:00</dc:date>
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    <item>
        <title>ＳＦ最後の巨人(1975)　☆☆</title>
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<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/18/81/f0009381_17272434.jpg" border="0" width="206" height="344" align="right"/>原題：THE ULTIMATE WARRIOR<br/>
<br/>
監督：ロバート・クローズ<br/>
脚本：ロバート・クローズ<br/>
撮影：ジェラルド・ハーシュフェルド<br/>
音楽：ギル・メレ<br/>
<br/>
出演：<br/>
ユル・ブリンナー　（カーソン）<br/>
マックス・フォン・シドー　（バロン）<br/>
ジョアンナ・マイルズ　（メリンダ）<br/>
<br/>
　　　　　×　　　×　　　×<br/>
<br/>
「巨人」って書いてるけど、原題のそれに当たる言葉は「ウォーリアー」なので、普通サイズの人間です。<br/>
<br/>
ジャン＝クロード・ヴァン・ダムの映画みたい・・・。<br/>
『サイボーグ』ってこの映画が原点なのかもしれないって思ってしまった。<br/>
あ、ちなみにこの『サイボーグ』ってのは、ジャン＝クロード・ヴァン・ダム<がサイボーグなんじゃなくて、彼が守ることになった女がサイボーグなのである。<br/>
<br/>
監督はブルース・リー主演で大ヒットした『燃えよドラゴン』のロバート・クローズ。なのでこの映画も、ブルース・リーのようなアクションを頭に描きながら物語をつくったのかもしれない。<br/>
本作ではユル・ブリンナーが女を守って旅する主役のアウトローをやってるのですが、アクションシーンも、バイオレンスシーンも、それほど際立ったものはないのが現実。ただ、荒廃した未来社会（いっても設定は２００３年なので昔になってしまったが・・）に地下鉄、というビジュアルはやっぱりときめいてしまう。<br/>
<br/>
ただ・・・ライティングはもうちょっと凝れなかった・・・。地下鉄をとおっていくシーン、真っ暗なはずの地下鉄のなかをたいまつを焚いて進んでいくのだけど、回りがたいまつの必要のないほど明るいのでなんだかしらけてしまう。もうすこし暗くして、たいまつの灯りがとどきそうなところだけ、遠くからライトを当てるようなことはできなかったのものか・・・。確かに全部真っ暗にするとストレスたまるので、そこまデする必要はないけど・・・、でももうちょっと灯りの演出こだわって欲しかったなあ。。。。<br/>
<br/>
＜あらすじ＞<br/>
２００３年のニューヨーク。猛烈な疫病が世界中を襲い、人類の殆どが死滅していたなか、バロン(マックス・フォン・シドー)をリーダーとする生存者は、肩を寄せ合い、ひもじさに耐えながら生きていた。コミューンの外は、原始人のような兇悪な人間たちが徘徊し、たちどころに人肉にされてしまう。<br/>
カーソン(ユル・ブリンナー)は集落のために雇われた用心棒で、外部からの侵入者を容赦なく殺していた。<br/>
バロンの娘メリンダ(ジョン・マイルズ)が身ごもったため、バロンはカーソンをボディガードにつけて未来を信じてニューヨークから脱出させようとする。メリンダとカーソンは嘗て地下鉄の通っていた地下道を抜け、未来の土地を目指すのだった。
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        <dc:subject>未分類</dc:subject>
        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Wed, 18 Apr 2012 17:28:00 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-04-18T17:28:00+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>アーティスト(2011)　☆☆☆</title>
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        <description>
<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/17/81/f0009381_10592554.jpg" border="0" width="227" height="303" align="right"/>原題：THE ARTIST<br/>
<br/>
監督：ミシェル・アザナヴィシウス<br/>
脚本：ミシェル・アザナヴィシウス<br/>
撮影：ギョーム・シフマン<br/>
音楽：ルドヴィック・ブールス<br/>
<br/>
出演：<br/>
ジャン・デュジャルダン　（ジョージ・ヴァレンティン）<br/>
ベレニス・ベジョ　（ペピー・ミラー）<br/>
ジョン・グッドマン　（アル・ジマー）<br/>
ジェームズ・クロムウェル　（クリフトン）<br/>
<br/>
　　　　　×　　　×　　　×<br/>
<br/>
きわめてテクニカルな映画だなあ・・・。<br/>
<br/>
２０１１年のアカデミー作品賞受賞作品である。<br/>
<br/>
無声映画のスタイルを巧みに使った映画。なので、表現は微妙ながら、無声映画とはちと違う。無声映画の場合は、観客はと俳優の声や効果音は聞こえないが、この映画を見ている人は、どこかでそれが入ることを期待してみている。無声映画が無声映画でなくなる瞬間がどう演出されるのかを期待していのである。ゆえに、「無声映画のスタイルをたくみに使った現代の映画」なのである。<br/>
<br/>
＜無声映画で語られている映画のあらすじ＞<br/>
クラーク・ゲーブルふうのジョージ・ヴァレンティン（ジャン・デュジャルダン）は無声映画時代の花形スター。いつもワンちゃんと一緒に映画にでて人気を博していた。公衆の面前でのインタビューのさなか、観客の中にいたペピー・ミラー（ベレニス・ベジョ）は、財布を落とした拍子にうしろからおされて、その場に押し出されてしまい、その場のノリでもりあがり、ヴァレンティンの頬にキスしてしまう。そんなエピソードが世間で話題になてちた。<br/>
そんなペピーは役者志望で、ダンサー役の一人として映画のキャストに名を連ねていたが、徐々に人気を博し、ヴァレンティンと共演するまでになる。<br/>
一方映画会社のプロデューサー、アル・ジマー（ジョン・グッドマン）は、無声映画をやめ、全ての映画をトーキーに切り替えるという。あくまで無声映画にこだわるヴァレンティンはジマーの映画会社を離れ、独自に映画をつくる。そんな時大恐慌が襲う。映画産業も大打撃をうける。ヴァレンティンの映画を上映する映画館には客あしもまばら、そんな不況のなかでも、ペピーを主演に抜擢して撮られたジマー制作の映画だけは、長蛇の列が出来ている。<br/>
破産したヴァレンティンは没落していく。結婚は破綻し、家財はオークションにかけられる。お抱えの運転手だったクリフト（ジェームズ・クロムウェル）にはもう１年も給料をはらえていない。そんな彼に車を譲ることで出て行ってもらった。<br/>
自暴自棄になったヴァレンティンは、自室で貯蔵していた自分の映画のフィルミに火をかけてしまう。フィルムはよく燃える。またたくまに部屋中に炎がひろがっていく。<br/>
そんなヴァレンティンが助け出された時、１巻のフィルムを抱えていた。<br/>
その映画はペピーと初めて共演したときに映画だった。<br/>
<br/>
その映像が流されると・・・・、ついついうるうるきてしまう。<br/>
＜ニューシネマ・パラアイスの法則＞である。<br/>
<br/>
そのあとは、もうすこしばたばたするのだが、最後はハッピーエンドで終わるこの物語。悪くはない。充分泣ける。・・・・ただ、いまひとつのめりこめないものがある。<br/>
それはなぜでしょう？？？というのがこの映画の最大のテーマである。<br/>
<br/>
おそらく、この映画はドラマを見せてる映画ではなく、演出技法をみせてる映画として、心が理解してしまうからだろう。<br/>
無声映画というのはあくまで無声映画なのだ。それはドラマを語るスタイルとしてそういうスタイルがとうじとしては最高の表現手段だったのだろう。しかし、あくまでそれはドラマを語るための媒体だった。<br/>
この映画に今ひとつのめりこめないのは、ドラマ自体が、無声映画を語るためのネタとして扱われてしまった。どうもそこが、私の心は気に入らないらしい。<br/>
<br/>
以前見た『トラフィック』をいうスティーヴン・ソダーバーグの映画があったが、あれを見たときも似たような印象をもった。<br/>
＜物語＞をみたいと思って映画館にいってるのに、＜物語＞でなく＜テクニック＞を見されられた感じなのだ。<br/>
一般庶民的にはそんなことどうでもいいのだろうが、ドラマ産業にかかわる人という立場で心の感じ方を分析すると、それは純粋に気持ちのいい感動とはなにか違うもののような気がした・・・。
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        <dc:subject>未分類</dc:subject>
        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Tue, 17 Apr 2012 11:00:00 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-04-17T11:00:00+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>丑三つの村(1983)　☆☆☆</title>
        <link>http://ssm2438.exblog.jp/17398824/</link>
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<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/08/81/f0009381_0171250.jpg" border="0" width="227" height="320" align="right"/>監督：田中登<br/>
脚本：西岡琢也<br/>
撮影：丸山恵司<br/>
音楽：笹路正徳<br/>
<br/>
出演：<br/>
古尾谷雅人　（犬丸継男）<br/>
田中美佐子　（やすよ）<br/>
池波志乃　（えり子）<br/>
夏八木勲　（赤木勇造）<br/>
五月みどり　（赤木ミオコ）<br/>
大場久美子　（竹中和子）<br/>
<br/>
　　　　　×　　　×　　　×<br/>
<br/>
池波志乃さん体ってほんと昭和ですね。<br/>
<br/>
津山事件をモチーフした映画といえば、１９７７年に製作された『八つ墓村』がある。もっとも『八つ墓村』の場合は、津山事件の物語のネタにつかっただけで、そのものを描いたわけではない。それにくらべてこの『丑三つの村』は津山事件を再現しようとしている映画にあたる。<br/>
<br/>
見終わった感想は・・・、思った以上悪くない。<br/>
つまり、主人公がそこにいたる気持ちもわからんではないな・・と思わせてくれるから、遊び半分でスプラッタやってみました・・というのとは違うなと思えるからである。この映画の中の主人公は、おそらくかなりの理想主義者だったのだと思う。そして、やらなければ自分がやられるとう状況でもあった。ただ・・・、もうすこし追いつめてもよかったかな。あそこまでみんなを撃ち殺していくモチベーションとしてはやや緩かったような気がする。<br/>
残虐シーンが話題になった映画だが、今見るとそれほど残虐というものではなかったような気がする。もっとも、最近はお下劣なスプラッターどろどろモノが反乱しているので、それになれてしまった部分はあるかもしれない。<br/>
以下、その事件を起こすにいたる要因を整理してみよう。<br/>
<br/>
時代背景は、大陸ではそろそろ日中戦争が勃発しはじめている昭和１２年。村の男達は、徴兵検査に合格して戦場に行くことを誇りに思っていた時代。もっとも、本心ではそうではないかもしれないが、若い頃からお利口さんとして育った主人公・犬丸継男（古尾谷雅人）にとっては、学校で教えられた規則や理想をそのまま受け取っていたのだろう。<br/>
しかし彼は理想はもろくもう打ち砕かれる。彼は父と母を結核でなくし、自らも結核もちであり、徴兵検査では「丙種合格」（早い話が不合格）となる。「兵隊に行かなくてもよい」という状況はいろいんな意味で村の者から忌み嫌われることになる。<br/>
<br/>
この村には「夜這い」という週間がある。家の男が、仕事や兵隊で外に出ているときに、その女の家を男達がたずね、“Ｈ”をしていくのである。ある夜、散歩をしていると、人妻のえり子（池波志乃）と村の有力者、赤木勇造（夏八木勲）が絡み合っているのを目撃する。赤木は夜這いの取り締りを提案した張本人で、彼のことを汚いと思うが、同時に自身の性のうずきも強く感じるのだった。<br/>
ただ、この「夜這い」の取り締まりというのも、村の業がかなり反映されている。そのころ村には、他の土地から来たごろつきの若者がいて、自分大が「夜這い」をするのはいいが、彼等が村の女たちを抱きまくるのは許さん！ということだったのだろう。<br/>
<br/>
数日後、継男はえり子の所を訪ね、赤木のことを話すが逆に床に誘われてしまう。抵抗できない継男。あえなくしごかれて即発射。「えろう早撃ちなんじゃなあ」とあしらわれる。<br/>
えり子を演じた池波志乃さんのからだが素晴らしいです。実に昭和女の体。<br/>
また、継男の家にお金をかりにきた親戚にあたるみや子（五月みどり）にも、「今お父ちゃんが外にでていないの・・」と夜這いを誘われる。無事初体験を済ませる継男。<br/>
しかし、彼女等も、継男が結核もちであり、徴兵検査に合格しなかったことから毛嫌いをし始める。<br/>
<br/>
そんな中で、和子（大場久美子）は親切にしてくれたが、それは継男の結核を知らなかっただけで、病気のことをしると他の村人以上に冷たくなった。継男は腹いせに和子に夜這いをかけるが、間違えて母の常代の布団に入ってしまい、母娘二人からなじられる。これはかなりみっともない・・・。<br/>
<br/>
その夜、闇の中でよそ者のごろつき男をみんなで袋叩きにしているところを目撃してしまう。翌日首をつったその男の姿があった。駐在さんに真実を話そうとする継男だが、赤木勇造らに封じ込められてしまう。<br/>
「村のことはわし等で決める、お前のこともな。みんなでどうするか決めるけん、結果がでたらあとでおばばのところに話しにいく。まっとれ」とすごまれる。<br/>
<br/>
これらの要素が融合して狂気に発展していったというわけだ。<br/>
<br/>
そしてその狂気に発展していく継男を正常にたもっていたのが幼馴染のやすよ（田中美佐子）の存在。しかし、彼女とは遠縁の親戚にあたり、結婚は出来ない。やがてやすよは親が決めた結婚相手のものにとついで行く。しかし、そのやすよが離縁されてもどってくる。継男と付き合っていたのが原因という。やすよの風呂場をのぞいていた継男は風呂場に侵入、彼女をおしたおしてしまう。継男には抱かれてもいいとおもっているやすよだが、突然発作を起こし湯船のなかに吐血してしまう。なせけない継男。<br/>
「わしゃあなんにも出来んなさけない男じゃあ」と、その血でそまった湯船の湯を桶ですくって頭からかぶる継男。<br/>
「べつのあなたの血なら平気よ」って感じでやすよも桶ですくって自分であたまからかぶる。<br/>
この一連の動作が２～３回繰り返されるのだが、ひたすら田中美佐子が可憐である。<br/>
どろどろした世界のなかで、この田中美佐子だけがひたすら美しいのである。この田中美佐子が描けただけでこの映画には意味がある。すばらしいです。<br/>
<br/>
結局この場は逃げ出してしまう継男ですが、のちに草むらのなかで２人は“Ｈ”することになる。<br/>
よかったねー継男君！<br/>
しかし、そんなやすよも再び嫁に出て行く。<br/>
よりどころを失った継男はかねてから計画していた浄化のための戦いに出て行く。<br/>
<br/>
<br/>
陰惨なドラマだが、とにかく田中美佐子だけは傑出して美しい。心も身体も・・・。<br/>
この美しさがあるからか、悪趣味なだけの映画には見えなかった。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/08/81/f0009381_0282351.jpg" border="0" width="500" height="278"/></center><center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/08/81/f0009381_0283369.jpg" border="0" width="500" height="278"/></center><center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/08/81/f0009381_0284328.jpg" border="0" width="500" height="278"/></center>
 ]]> 
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        <dc:subject>未分類</dc:subject>
        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Sun, 8 Apr 2012 0:17:00 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-04-08T00:17:00+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>愛の陽炎(1986)　☆</title>
        <link>http://ssm2438.exblog.jp/17392514/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/06/81/f0009381_11423157.jpg" border="0" width="206" height="370" align="right"/>監督：三村晴彦<br/>
脚本：橋本忍<br/>
撮影：羽方義昌<br/>
音楽：福島新一<br/>
<br/>
出演：<br/>
伊藤麻衣子　（新井ルミ子）<br/>
萩原流行　（関口岩松）<br/>
司葉子　（西谷克子）<br/>
風祭ゆき　（飯田弘江）<br/>
<br/>
　　　　　×　　　×　　　×<br/>
<br/>
現代において「呪い」は果たして成立するのか？<br/>
<br/>
橋本忍といえば、誰もが一目をおく日本の脚本家の第一人者である。そんな橋本忍が今の時代に「五寸釘を藁人形に討ち込む呪い話を書いたという。それも主演は伊藤麻衣子。現代でこの題材を本気にでやるのかギャグでやるのか、それともたんなるアイドル映画なのか・・、正直見るまでは想像できなかった。そんな私はこの映画をわざわざ劇場で見たのでした・・（苦笑）。<br/>
<br/>
『八つ墓村』で、現代のリアリティ→ちゃぶ台返しの呪いファンタジーの大技をやってのけた橋本忍がさらに、もういっぱう、現代における呪い話を手がけてみたのがこれ。<br/>
物語の中では二十歳の現代っ子が、付き合っていた男に金を貢ぎ、じつは既に既婚者であったことも発覚、絶望のふちでばあちゃんから教えてもらった古からの呪いの儀式、藁人形に五寸釘を打ち付けるという、あれをやって恨みをはらそうとする話。<br/>
<br/>
話の発想を知った時は、これは・・・、もしかしたら橋本忍ならまじめに取り組んで面白いものが出来るかもしれないと、正直妙に期待してしまいました。ただ、パッケージはクジラの目をもつ伊藤麻衣子のアイドル映画っぽいし・・・、どうなるんだろうとわくわく・・・、ハズレは充分覚悟して言ったのですが、もしかしたら拾い物！って期待もかなりあったとさ・・・。<br/>
<br/>
ただただハズレでした。<br/>
<br/>
あと、キャスティングもどうなん？<br/>
萩原聖人じゃなくて、萩原流行ですよ。アイドルスターだった伊藤麻衣子は、キスシーンの本番の時に、いきなり舌をいれられたとか・・・（苦笑）。おい！<br/>
<br/>
＜あらすじ＞<br/>
埼玉県飯能市。田中製材所で働く20歳の新井ルミ子（伊藤麻衣子）は、製材に出入りするトラック運転手・岩松（萩原流行）という恋人がいた。結婚を約束していてた二人はモーテルでエッチもしていた。<br/>
ルミ子には夢があった。日高の高台に家を建て、岩松と一緒に住みたい・・・、そのために二人はこつこつと貯金をしていた。ルミ子のおばあちゃんは、彼に一度会ったことがあるが、あまりいい印象は持たなかった。瀬絵権の評判もあまりよくない。<br/>
そんな悪評に悩みながらもルミ子は、岩松に土地代の手付金として２００万円を渡す。だが、事務所で、その士地の持ち主である後家の西谷克子（司葉子）は、土地を売るわけがないという話を聞きショックを受けるルミ子。そして追い討ちをかけるように、岩松には弘江（風祭ゆき）という妻がいることが分かった。面と向かって岩松を問いつめたが、彼はのらりくらりと要領を得ない。<br/>
絶望に打ちひしがれて泣くルミ子に、おばあちゃんは《呪い釘》の言い伝えを教える。<br/>
ルミ子はやってみることにする。<br/>
その教えのとおり、丑の刻(午前二時)、白装束にローソクを頭に立てて神社の神木に、わら人形を呪う相手に見たてて五寸釘を打ち込む。これを１０日間つづける・・・。<br/>
<br/>
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/06/81/f0009381_11491780.jpg" border="0" width="213" height="213" align="right"/>ふしぎなもので、現代においてこのパフォーマンスをやるとギャグにしか見えないのだが、それをぎりぎりギャグにならない雰囲気でもっていってくれる。で、ついつい期待もされされる。<br/>
でも、結果的にはちょっと効能はあったように見られるが（弘江とエッチをしていた岩松が苦しみだし入院）、しかし原因不明のリカバリーあり、何事もなかったように退院する。<br/>
<br/>
やっぱり駄目だ・・とがっかりしながらもとりあえず１０日間はつづけてみるルミ子。するとある夜。偶然、岩松のトラックが通りがかり、白装束の女に驚いた彼は運転を誤まって事故死してしまった。<br/>
岩松の死後、ルミ子は、西谷克子が岩松に土地を売る約束をしており、彼は弘江と別れてルミ子と結婚しようとしていたことを聞かされる。<br/>
<br/>
・・・・・・おい、それで終わりかよ！！！<br/>
伊藤麻衣子が白装束を身にまとい、神社に登っていき、ズガン、ズガンと五寸釘を藁人形に打ち付けて、萩原流行が苦しみだすアタリはけっこう燃えたのですよ。カメラもきちんと映画の画面でっとてるし・・、絵作り的には充分映画としてなっとくできる画面です。なのに・・・・・・・・。<br/>
ちゃぶだいひっくり返しきったらよかったのに、なんか現代における理性で寸止め。結果がバッドエンディングになって、この映画をみた時間の有意義さをまったく、一粒も感じさせてもらえなかった・・・。<br/>
ただただ無意味さに驚愕する映画でした（苦笑）。。。。<br/>

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        <dc:subject>未分類</dc:subject>
        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Fri, 6 Apr 2012 11:50:00 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-04-06T11:50:00+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>八つ墓村(1977)　☆☆☆</title>
        <link>http://ssm2438.exblog.jp/17387415/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/04/81/f0009381_23325810.jpg" border="0" width="227" height="322" align="right"/>監督：野村芳太郎<br/>
原作：横溝正史<br/>
脚本：橋本忍<br/>
撮影：川又昂<br/>
音楽：芥川也寸志<br/>
<br/>
出演：<br/>
萩原健一　（寺田辰弥）<br/>
小川真由美　（森美也子）<br/>
中野良子　（辰弥の母・鶴子）<br/>
山崎努　（多治見要蔵・久弥）<br/>
山本陽子　（多治見春代）<br/>
市原悦子　（多治見小竹）<br/>
山口仁奈子　（多治見小梅）<br/>
<br/>
渥美清　（金田一耕助）<br/>
<br/>
　　　　　×　　　×　　　×<br/>
<br/>
なんと、基本コンセプトは『エクソシスト』かあっ！？？<br/>
<br/>
ウィリアム・フリードキンの撮った『エクソシスト』は、その環境では「悪魔などいるわけがない」という前提の人間社会を描きつつ、実はやっぱりいた！という特殊性を盛り上げる演出をしていた。<br/>
一方、横溝正史というのは、一件オカルトちっくな怨念殺人事件なんれど、結局は人間が仕組んだことなんだよってことで終わらせるパターンである。そして味付け程度に、「でもちょっとだけ怨念はやっぱりあったのかも・・」を付け加えられている。ところがこの野村芳太郎が作った『八つ墓村』は、『エクソシスト』の基本概念で作られているのである。前半はリアリティでどんどん押しておいて、最後はちゃぶ台ひっくりかえしの術。落ち武者の怨念ホントにありいいいいいいい！！！というオカルトモノに終わらせてしまった。<br/>
前半の描写は描写はそれまでやってた松本清張ものの展開をおもわせるリアリティが構築されているのだけど、後半は一機のオカルト映画、最後は小川真由美が鬼の形相で主人公の辰弥をおいかけまわすという展開。さらにその祖先をたどると、八つ墓村で殺された８人の落ち武者の出身地の出であること、そしてその血縁者だってことまでなっている。さらに、主人公の父親は、当初多治見要蔵と思われていたが、実際は別の男で、その男もやはり出雲の出身だったということオチ。<br/>
最初がリアリティで押されただけにその怨念もリアリティをおびてきてしまう。<br/>
<br/>
原作者の横溝正史の作品のなかでは岡山県を舞台にしたものがいくつかある。『本陣殺人事件』 『獄門島』 『八つ墓村』など。これは横溝正史が戦時中の疎開の時に岡山にいたからであり、その土地の風土や習慣などをモチーフに描いているからだろう。<br/>
そして本作の３２人殺しのエピソードも、実は昭和３８年に実際にあった.<br/>
この物語も昭和１３年（１９３８年）におきた津山事件を基にしている。実際に起きたのは津山市の外の西加茂村なのだが現在は吸収合併により津山市に所属している。この怒涛の惨殺事件は事件は後に『丑三つの村』で映画化された。田中美佐子のヌードが見たい人は一件の価値在り。<br/>
<br/>
この『八つ墓村』はかなりのアレンジが加えられている。根本的に違うのは、この物語が展開されているのが現代。といってもこの映画が製作された１９７６年あたりである。金田一耕助の物語というのは戦後数年した昭和が舞台になっている。<br/>
物語は、「山の中に逃亡してくる尼子の落ち武者達」のシーンからはじまる。戦いに敗れ、負傷した身体をひきずるように森の中を故郷の出雲を目指し中国山地を上っていく。途中で死んでいくものもいたりすが、８人の落ち武者はなんとか、後に八つ墓村と呼ばれる村を見下ろす丘の上に立つ。<br/>
そしてどでええええええんと『八つ墓村』のタイトル。<br/>
タイトル明けはいきなり現代の飛行場。田中角栄のロッキード事件で問題になったロッキード・トライスターが着陸してくる。以下は現代の空港の描写。そこで働いているマーシャラーが本作の主人公寺田辰弥（萩原健一）である。<br/>
シナリオ意図がすっごく際立っている。前半部は徹底したリアリティ演出で、この物語はリアルな刑事ものなんですよ・・と暗示をかけておいて最後はオカルト・・・。そこにもっていくための徹底したアンチテーゼから出発している。<br/>
<br/>
そう、この物語の金田一耕助は、昭和後期に活躍した探偵さんとなっているのである。<br/>
<br/>
＜あらすじ＞<br/>
羽田空港の発着誘導員の寺田辰弥（萩原健一）は、大阪北浜の諏訪法律事務所で、母・鶴子の父・井上丑松（加藤嘉）に会う。辰弥は岡山と鳥取の県境に旧家多治見家の後継者だと言うのだ。懐かしさに涙をあふれさせる井上丑松だが、その直後痙攣を起こして血を吐いて死ぬ。それが最初の殺人事件だった。<br/>
やがて多治見の家から森美也子（小川真由美）が使いのモノとして現れ、辰弥を郷里に誘う。美也子は多治見の分家にあたる森家に嫁したが、夫に死別、いまは関西で手広く事業を経営していた。祖父の井上丑松の葬儀もあり、生まれ故郷にもどった辰弥は、その村が昔「八つ墓村」と呼ばれていたことを知る。<br/>
<br/>
その村には昔、毛利の軍勢に破れて敗走した出雲の尼子義孝（夏八木勲）とその家臣たちが落ち延びてきたという。彼等はその村の近くに住み着き、山をきりひらき、畑をつくり生活を始めた。最初は怖がっていた村の人たちも、その良心的な態度にうちとけていった。<br/>
しかし毛利軍は、彼らに報奨金をかけた。村の総代であった多治見庄左衛門は彼らを祭りにまねき、毒草入りの酒を飲ませ彼らを惨殺した。その後毛利家から莫大な山林の権利を与えられ、一躍近郷きっての財産を得て現在の多治見家の基礎を築いた。<br/>
しかしある夏の日、庄左衛門は突如発狂し村民７人を斬殺、自ら自分の首を斬り飛ばして自害した。村の人たちは落ち武者の祟りと信じ、野ざらしになっていた落ち武者たち８人を弔い墓をつくったという。それが八つ墓村の語源だった。<br/>
<br/>
村ではさらなる殺人事件が起きる。辰弥の病弱な兄・多治見久弥（山崎努）が毒を盛られて死んだ。一方、辰弥はその久弥にそっくりにミイラを地下の洞窟で発見する。それこそが辰弥の父、多治見要蔵だった。<br/>
要蔵は多治見家の当主であり、妻もありながら、当時２１才の鶴子を欲した。多治見家の離れに牢を作り、鶴子を監禁、欲望のままに彼女を犯し続けた。やがて辰弥が生まれた。そして１年、鶴子は辰弥をつれて失踪した。その事件が引き金となり要蔵はある夜発狂し、正妻を斬殺、さらに村民３１人を日本刀と猟銃で虐殺した。<br/>
その後行方不明となっていたいが、その要蔵のミイラがそこにあった。<br/>
一度は舞い戻った要蔵を小竹と小梅その洞窟にかくし、やがて毒をもって殺したというのだ。<br/>
<br/>
その後も殺人事件は続く。<br/>
辰弥の出生の秘密を知っている小学校の工藤校長が毒殺された。さらに祈祷師の濃茶の尼が毒殺される。<br/>
毒物はすべて硝酸ストリキニーネである。やがて小梅が洞窟内で絞殺され、最も嫌疑をかけられていた財産継承者の一人、久野医師も洞窟内で小海と相前後して毒殺されているのが発見される。村人が暴動を起こし辰弥をもとめて暴れまわると、辰弥は洞窟に身を隠す。さらに彼の身を案じて洞窟に入った義理の姉・春代（山本陽子）も真犯人に襲われる。春代は、息を引き取る前に、犯人の指に噛み付いたことを辰弥に告げる。<br/>
犯人は森美也子だった。<br/>
彼女は多方面にわたり事業を展開していたが多額の借金を背負っていた。総ての遺産継承者がいなくなれば遠縁の森家にその権利がまわってくる。辰弥に真犯人であることを見破られた美也子は鬼の形相になり達也を追う。<br/>
<br/>
この鍾乳洞ないでのおっかけシーンがかなりマヌケ。必要のないシーンの重複や、無理やりのエッチシーンなど、もうすこし物語を整理できなかったものが・・・。最後の一賭けシーンもそとでは金田一耕助が、みなの前で彼が調べた裏事情を暴露しているのだが、これがけっこうのんきに行われているので、同時進行の洞窟内のおっかけが人事のようにみえてしまう。<br/>
あそこを真剣に描くなら、洞窟内のおっかけをスローで撮って、事情説明の金田一のセリフをかぶせるだけでよかったのでは？　必要以上にそとのシーンをのんきに撮ってしまったので、盛り上がりにかけてしまった感がいなめない。<br/>
<br/>
この映画の基本コンセプトは「呪い」＝ファンタジーなのだ。そのために外堀は徹底的に現実で固められている。森美也子の連続殺人目的はお金なのだ。ちなみに後に制作される市川昆バージョンのそれは愛であった。おそらく、原作の流れを忠実に再現しているのは市川『八つ墓村』のほうだと思われる。<br/>
しかし、本作はそのロマンスの部分をばっさり切り捨てた。徹底的に現実的なモチベーションで行われた今回の連続殺人事件。そのトリックを解くのが金田一耕助の仕事かとおもっていたら、どうもこの映画の中での彼の仕事はそうではないようだ。彼がこの映画の中で調べていったのは、森美也子の出生系図であり、寺田辰弥の出生系図だった。<br/>
それをさかのぼると、森美也子は、あのときの落ち武者の血を引く娘であり、寺田辰弥の父は、要蔵ではなく、これもまた出雲出身の男だった。この映画では、一件現実的に見えるこの事件も、実は落ち武者の怨念のなせる業だったのかもしれない・・というまとめ方なのである。<br/>
<br/>
金田一耕助がこの映画のなかでといていったのは殺人のトリックではなく、ほんとに家系図だけだったという・・かなり特殊な話である。<br/>
<br/>
<br/>
あまりにも特筆すべき内容が多すぎるのがこの映画の特徴で、どうしても付け加えたいことがあといくつかある。その一つは・・・・・中野良子が美しい！！！！<br/>
映画というのは、その物語のなかで美しい人というのがかならずいるものなのだが、この映画のなかでは中野良子である。この人にときめいたのはＮＨＫの大河ドラマ『国盗り物語』での明智光秀の妻を演じた時。濃姫（松坂慶子）も美しゅうございましたが、中野良子はめちゃめちゃ可憐でした。<br/>
<br/>
あと、この映画のなかで中野良子が、辰弥の本当の父に抱かれたのは鍾乳洞の中の竜のアギドと呼ばれるとこになっているのだが、その場所で辰弥と森美也子が“Ｈ”するに至っている。どうもこの展開には無理があったように思われる。違和感を感じたのでちょっと調べてみたら、原作では“Ｈ”はしてても相手は森美也子ではなく里村典子ある。実はこの典子は野村『八つ墓村』では省かれてしまった人物で、市川『八つ墓村』のなかでは喜多嶋舞が演じた、里村慎太郎（宅間伸）の妹である。<br/>
<br/>
<br/>
全体を通して冷静にみると、決して成功してるとはいえないが、かなりチャレンジングな映画である。<br/>
怖い映画というジャンルよりも、『異人達の夏』的なファンタジー性の強い映画だ。そのファンタジーな部分を生かすためにリアリティで土台をつくった物語のコンセプトは絶賛に値する。<br/>
<br/>
一見の価値、大いに在り！<br/>
<br/>
ただ、橋本忍の没落はこのころから始まっている。<br/>
この映画ののち書いたファンタジックホラー『愛の陽炎』は大いにこけた。
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        <dc:subject>未分類</dc:subject>
        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Wed, 4 Apr 2012 23:34:00 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-04-04T23:34:00+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>八つ墓村(1996)　☆☆</title>
        <link>http://ssm2438.exblog.jp/17386826/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/04/81/f0009381_21273016.jpg" border="0" width="227" height="320" align="right"/>監督：市川崑<br/>
原作：横溝正史<br/>
脚本：市川崑／大薮郁子<br/>
音楽：谷川賢作<br/>
<br/>
出演：<br/>
豊川悦司　（金田一耕助）<br/>
浅野ゆう子　（森美也子）<br/>
高橋和也　（寺田辰弥）<br/>
喜多嶋舞里村典子<br/>
岸田今日子　（田治見小竹／小梅）<br/>
宅麻伸　（里村慎太郎）<br/>
岸部一徳　（田治見要蔵／久弥／庄左衛門）<br/>
萬田久子　（田治見春代）<br/>
加藤武　（等々力警部）<br/>
<br/>
　　　　　×　　　×　　　×<br/>
<br/>
豊川悦司の金田一耕助はないだろう。まるでオカマだ。。。<br/>
<br/>
個人的には『悪霊島』の加賀武史が一番あってると思う。それを野村バージョンでやった渥美清の金田一耕助の押さえ加減でやってくれるのが一番いいと思うのだけど・・・。<br/>
<br/>
『八つ墓村』は、７７年に橋本忍脚本、野村芳太郎監督で映画化されているが、今回の作品は『犬神家の一族』いらい横溝正史映画の監督をやたらとつとめている市川昆によるもの。野村『八つ墓村』はリアリティで押しながら最後はオカルトでまとめ上げた異様な映画であるのに対して、こちらはいつもの市川昆映画でした。<br/>
正直なところ、市川昆にはまったく才能を感じないので、この作品も面白いとは思えない。市川昆というのは、どこか上品で、結局「突き抜けられない人」という印象が非常に強い。業の強い作品には向かない、というか撮れない人だ。しかしその凡人さがゆえに、凡人が人に見てもらうために少々の姑息で洒落た小手先のカッコイイ描写も時たま入れてくるのも確かだ。<br/>
<br/>
ただ、「ぎゃあああああああ」とか、「しまったあああああ」とかいうシーンで、アップのカットを露骨に入れるのはやめてほしいなあ。あるいはカッティングでもうちょっと美味いことできないものか・・・。<br/>
本作でも最後は『犬神家の一族』の高峰秀子同様、主犯の浅野ゆう子が最後ドクを飲んでよたよたとなりバタンと倒れるのだが、そのあと豊川悦司の大写しで「しまったああああああ」と入れてくるわけだ。これがわざとらしくて・・・。たとえば、浅野ゆう子がよたよたっとしたあと「しまったあああああ」のアップをいれて、すぐカットをきりかえしばたんと倒れる浅野ゆう子なら分るのだけど、もうことが起きた、あらたまって驚かれてもうそくさい・・・。<br/>
これは金田一耕助のシリーズの映画の市川昆のやった映画のどれをみても感じるところだ。どれも死体をみたあとの仰々しいアップがうそ臭い。ふつう、そういうショックを受けたときは息を呑むだろう。<br/>
それはカッティングの問題だけじゃなくて、感情のコンセプトをどのようにとらえるか・・にもよると思う。市川昆の映画のなかでは、いかにも記号的に仰々しくも息を吐く驚き方をするのである。<br/>
<br/>
世の中には、これが平気なひととそうでない人がいる。普通才能のない人は、画面は説明するための手段だとおもっているから、それで充分過ぎるくらい説明されているの「よし！」とするのだけど、才能のある人は、それが存在する空気を描こうとする。この自然な空気を描こうとする人にとっては、あのような画面はあまりにも不自然なのだ。それが不自然なだけで、映画が「つくりものの世界」になってしまう。映画ってのは作り物の世界であっても、作り物でないようにいかに感じさせるかが重要なファクターの一つなのに、それが気にならないというのはこまったものだ。<br/>
こればっかりは一事が万事なのだ。作り手が大事にしているものが「自然さ」ではなく「説明」になってしまうと、映画の大事な何かが失われてしまう。。。<br/>
感情が穏やかな映画なら市川昆は機能する。『ビルマの竪琴』は私も好きだ。<br/>
<br/>
＜あらすじ＞<br/>
第二次世界大戦が終結して３～４年たっていたある日。<br/>
諏訪法律事務所で、寺田辰弥（高橋和也）はと合間見えた井川丑松は、辰弥が岡山と鳥取の県境にある八つ墓村の資産家・田治見要蔵の遺児であることを伝えると血を吐いて死んだ。やがて本家・田治見家の使いで森美也子（浅野ゆう子）がやってきて辰弥は八つ墓村に招かれる。彼が村を訪れると汚らしい巫女のかっこをした気狂いバーさんが「八つ墓明神の祟りがある」と予言する。田治見家を実質支配しているのは色白の双子のバーさん小竹と小梅（岸田今日子）。<br/>
<br/>
前作を越えているのはこのキョンキョンの不気味さである。<br/>
<br/>
やがて諏訪弁護士の依頼で金田一耕助（豊川悦司）も八つ墓村を訪れる。<br/>
翌朝第二の殺人がおきる。先に毒殺された井川丑松についで、辰弥の腹違いの兄・田治見久弥が毒を盛られ死ぬ。そして久弥の通夜の晩、気狂いバーさんが殺される。岡山県警の等々力警部（加藤武）は行方不明になっている要蔵の弟・九野医師を容疑者として捜査を開始するが、要蔵の叔母で双子の老婆の妹・小梅がさらに殺され、九野の毒殺死体も見つかったため、捜査はふりだしに戻った。<br/>
そして小梅の姉・小竹と久弥の妹・春代が新たな犠牲者となっていた。遺産相続の権利をもつものは辰弥と里村慎太郎（宅麻伸）だけになった・・・。<br/>
<br/>
犯人は浅野ゆう子演じる森美也子なのですが、その動機は一番阻害されていた田治見親族の慎太郎（宅麻伸）を愛してしまったため、他の遺産相続の権利をもつ人々を殺していったという、愛に狂った話にしてあります。
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        <dc:subject>未分類</dc:subject>
        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Wed, 4 Apr 2012 21:27:00 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-04-04T21:27:00+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>浮草(1959)　☆☆☆</title>
        <link>http://ssm2438.exblog.jp/17382464/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201204/03/81/f0009381_18353465.jpg" border="0" width="170" height="482" align="right"/>監督：小津安二郎<br/>
脚本：野田高梧／小津安二郎<br/>
撮影：宮川一夫<br/>
音楽：斎藤高順<br/>
<br/>
出演：<br/>
中村鴈治郎　（嵐駒十郎）<br/>
京マチ子　（すみ子）<br/>
杉村春子　（お芳）<br/>
川口浩　（お芳の息子・清）<br/>
若尾文子　（加代）<br/>
野添ひとみ　（散髪屋のあい子）<br/>
<br/>
　　　　　×　　　×　　　×<br/>
<br/>
大映パワーおそるべし！　小津にこんなものを撮らせるんだ・・・。<br/>
<br/>
小津が大映で撮った映画。いやああ、大映ドラマ爆裂してます。なんでも小津が大映で撮った唯一の一本らしいですが、いやいやすごいすごい。小津らしからぬどろどろ感がすばらしいです。<br/>
主人公は志摩半島にたちよった旅芸人の座長さん。その座長さんは看板女優の京マチ子と出来ているのだが、実はこの志摩半島には座長さんの昔の恋人杉村春子とその息子（実の息子）川口浩が住んでいるという設定。子供には「伯父さん」ということにしてあるようだが、今回の一連の出来事でそれがばれてしまう話。<br/>
個人的にはこれだけどろどろしてるとどうしても成瀬巳喜男でみたいきがする。<br/>
<br/>
当時の成瀬巳喜男は、松竹の社長から「小津はふたりもいらん」と言われてたそうですが、いやいやそんなことはない。成瀬巳喜男のほうが遥かにすごいです。たしかに穏やかな画面作りで庶民的なつくりは似ているようにも見えますが根本的には大違い。小津安二郎はすべてが「家族」のドラマだけど成瀬巳喜男は「男と女」のドラマにしてしまう。この物語も、小津が監督している以上家族のドラマになってしまった・・・。<br/>
<br/>
そういえばそのむかし、<br/>
「旦那は家族でしょ。家族とは“Ｈ”しないでしょ」とを言った女がいた。<br/>
まさに、小津安二郎と成瀬巳喜男の違いを一言であらわしたようなことだった。小津安二郎が撮るとどんな女でもの家族の一人になり、成瀬巳喜男が撮ると、家族の中でも女になるのである。<br/>
残念ながらこのドラマも家族の話になってしまった。きっと小津安二郎はテレ屋なのだと思う。<br/>
<br/>
あと、撮影は往年の巨匠・銀残しの宮川一夫。今回の映画では銀残しＢＬ影がけっこうきいてます。個人的にはもうちょっと彩度が落ちていればかなり気持ちのいいコントラストになったのではないかと思うのだけど、当時の絵なのでかなり天然色度が強いのが残念・・・。<br/>
<br/>
＜あらすじ＞<br/>
志摩半島の西南端にある小さな港町を訪れる嵐駒十郎一座。総勢１５人くらいの旅芸人なのだが、座長の駒十郎（中村鴈治郎）とすみ子（京マチ子）の仲は一座の誰もが知っていた。しかし、すみ子は心中穏やかではない。この時には駒十郎が三十代の頃に子供まで生ませたお芳（杉村春子）が移り住んでおり、昼間は毎日のように足を運んでいた。<br/>
やがてやけをおこしたすみ子はお芳の家に乗り込んでしまう。その時お芳の息子清（川口浩）が帰ってくる。清には、自分のことを叔父さんと偽って今日までかげながら世話していたのだが、その秘密がばれそうになると憤慨する駒十郎。あたまにきたすみ子はい妹分の加代（若尾文子）に金を渡して、清を誘惑させようとする。<br/>
誘惑するだけ誘惑してすぐにふるつもりだった加代だが、清と加代は真剣になって駆け落ちさえ考えるようになる。それに気づいた駒十郎が激怒、すみ子の策略と知り縁を切ることに発展。<br/>
客の入りもよくない日が続き、さらにメンバーの一人が一座の有金をさらってドロンしてしまう。<br/>
駒十郎は。衣裳を売り小道具を手放して僅かな金を手に入れると、一座を解散することをみんなに告げる。<br/>
ひとりお芳の店へ足を運んだ駒十郎はこの土地でお芳や清と地道に暮そうという気持にかたむいていく。しかし清が帰ってこない。こともあろうに加代に誘われて家をでたきり戻ってこないのである。駅前の安宿で、加代と清は一夜を明かし、仲を認めてもらおうとお芳の店へ帰って来た。<br/>
駒十郎は加代を殴った。清は加代をかばって駒十郎を突きとばした。お芳はたまりかねて駒十郎との関係を清に告げた。しかし、いまさら「オヤジ」とよべるわけでもない清は駒十郎にでていってくれと言い放ち二階に駆け上がっていく。<br/>
加代に「清をたのんだで」と言い残しでていく駒十郎。夜もふけた駅の待合室、そこにはあてもなく取残されたすみ子がいた。すみ子は黙って駒十郎の傍によりタバコに火をつけてやるすみ子。２人は夜汽車にのり旅立って行くのだった。<br/>
<br/>
小津安二郎の撮り方がどうしても、それ以前の小津安二郎映画のイメージを崩すことを許さないので、見ている我々としては、いつもののほほんとした家庭モノだと思ってしまうのだが、やってることにほとんど成瀬巳喜男の世界。最後の２人はほとんど『浮雲』の世界で、こてこてのどろどろのメロドラマである。<br/>
しかし、暴君的な書き方をされていた座長の駒十郎だが、それでも今の価値観のドメスティック・バイオレンスの描写に比べればかなり節度がある。その節度のある範囲でのやり取りが小津安二郎映画ということなのだろう。<br/>
物語自体はおもしろのだが、やっぱり作品の質的には、小津安二郎の撮り方が最大限の効果を発揮するとは言いがたい。
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        <dc:subject>未分類</dc:subject>
        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Tue, 3 Apr 2012 18:31:00 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-04-03T18:31:00+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>ストレンジャーズ／戦慄の訪問者(2008)　☆</title>
        <link>http://ssm2438.exblog.jp/17369538/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201203/31/81/f0009381_12291480.jpg" border="0" width="227" height="323" align="right"/>監督：ブライアン・ベルティノ<br/>
脚本：ブライアン・ベルティノ<br/>
撮影：ピーター・ソーヴァ<br/>
音楽：トムアンドアンディ<br/>
<br/>
出演：リヴ・タイラー　（クリスティン・マッケイ）<br/>
<br/>
　　　　　×　　　×　　　×<br/>
<br/>
音響だけは燃える！<br/>
<br/>
この映画はなんなんですかねえ・・・。<br/>
映画というよりもたんなる再現フィルムで、それを映画的な音響処理を施しているような感じの作品。ほんと音響の使い方はかなり気合はいってます。音の使い方の参考としてなら使えるでしょう。ただお恐怖描写・イジメ演出のデモンストレイトだけで、映画と呼べるものではないかも・・・。<br/>
<br/>
＜あらすじ＞<br/>
友人の結婚式に出席したクリスティン・マッケイ（リヴ・タイラー）とジェームズ・ホイト（スコット・スピードマン）別荘に戻ってきて二人だけの夜をすごしていた。明け方の4時にノック音が響く。ドアを開けると、暗がりに髪の長い少女が立っていた。“タマラはいますか？”と尋ねる少女。そんな子はいないと告げ、2人はドアを閉める。やがてタバコを切らしたことに気付いたジェームズが、買い物に出掛けると、再びノックが。それは、前回とは比べ物にならない荒々しさだった。 1人家に残ったクリスティンは恐る恐る返事をする。“タマラいる？”先ほどの少女だった。ドアを叩く音はどんどん激しさを増していく。<br/>
<br/>
物語にすこし不可解なゆがみを入れてあるとしたら、物語の冒頭にクリスティン・マッケイはジェームズ・ホイトからのプロポーズを断ってしまい、気まずい雰囲気であるというシチュエーション。これが２人の行動にぎくしゃくした感じを発生させている。<br/>
総てが記号になってしまうと、物語の面白さは死んでしまう。物語の楽しさの一つは、決定してない要素が、一つの結果に落ち着いていくことであり、このコンセプトがあったから、この作品がぎりぎり映画になっていたかなってきがした。<br/>
<br/>
ただ、最後は結局２人とも殺されちゃって、ころした犯人はさっさと逃走していくという・・・、物語の結果的には全く意味のない展開で、最後は物語的には死んでいるべきリブ・タイラーがキャリーのごとくギャインと目をあけるところで終わるという、本編から切り離されたおまけだけで終わるというよくわからあい映画。<br/>
演出的には及第点だが、映画としての存在意味がよくわからない映画であった・・・。
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        <dc:subject>未分類</dc:subject>
        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Sat, 31 Mar 2012 12:34:00 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-03-31T12:34:00+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>刑事ニコ／法の死角(1988)　☆☆</title>
        <link>http://ssm2438.exblog.jp/17365839/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201203/30/81/f0009381_11275174.jpg" border="0" width="227" height="306" align="right"/>原題：ABOVE THE LAW<br/>
<br/>
監督：アンドリュー・デイヴィス<br/>
脚本：スティーヴン・プレスフィールド<br/>
　　　　ロナルド・シャセット<br/>
　　　　アンドリュー・デイヴィス<br/>
撮影：ロバート・ステッドマン<br/>
音楽：デヴィッド・フランク<br/>
<br/>
出演：<br/>
スティーヴン・セガール　（ニコ・トスカーニ刑事）<br/>
パーム・ゲレア　（ニコの相棒女性刑事・デロレス）<br/>
シャロン・ストーン　（二コの妻・サラ）<br/>
<br/>
　　　　　×　　　×　　　×<br/>
<br/>
セガ爺、細い！！<br/>
まるでバレーボールの選手のようだ！！<br/>
<br/>
最近のバレーボールのボールのようなセガ爺しかみてなかったので、これをみると妙に違和感を感じてしまう。とにかく首がほそい。長身ですらっとしてるので、男性モデルだって出来そう。でも、髪の毛ははやや後退ぎみ（苦笑）。<br/>
ほとんど自分のキャリアをそのまま映画の主人公にしたような話で、冒頭は日本を解雇する写真や合気道をやってこたころのセガ爺が若々しい。よくもわるくも、のちの無敵セガ爺映画の原点がこれであり、自身でプロデュースとストーリー原案もやっている。<br/>
<br/>
監督はアンドリュー・デーヴィス。実は私この人すきです。ほかにやった有名な作品としては同じくセガ爺の『沈黙の戦艦』、ハリスン・フォードの『逃亡者』、ケヴィン・コスナーの『守護神』など。職人的に仕事をこなす人手、少ない予算の中で出来る範囲の一番よさげな見せ方を提供してくれる人・・という印象。ただ、この映画に関してはぬるいところも多々ある。もうちょっとカメラよってバシバシバシっとやってから、結果こうでしたよってカメラ引いて全体をみせたほうが迫力でそうなところを、まともに全部入れ込んで画面にしてるので、チンピラがどうしてもショッカーの戦闘員のごとく、仮面ライダーにたかっていく順番をまってるようにみえる（苦笑）。<br/>
雑魚キャラアクションなのでとっとと撮っちまおう、で、次々っていうなんだか、あまりこだわりなく撮ってしまっているカットが気になるかな・・（苦笑）。<br/>
あとシャロン・ストーンでてます。サービスシーンはありませんが綺麗です。<br/>
<br/>
＜あらすじ＞<br/>
日本で合気道の修行をしていたニコ・トスカーニ（スティーブン・セィーガル）はＣＩＡからスカウトされ、ベトナム戦争の時には特殊任務についていた。しかし、現地ではベトナム人を拷問するカート・ゼイゴン（ヘンリー・シルヴァ）の態度に嫌気をさしＣＩＡを抜け、サラ（シャロン・ストーン）と結婚、シカゴで刑事としてはたらいていた。<br/>
身内の家出少女の詮索から、ある麻薬の取引の情報をつかんだニコらシカゴ警察は、その現場を押さえ、容疑者とＣ４爆弾を押収する。しかしＦＢＩの捜査官が現れ、容疑者が翌日開放され、押収した爆弾もＣＩＡがもっていったという。やがてその爆弾で、中米の麻薬ルートの調査に積極的だった上院議員の秘書が殺される。<br/>
やがてこの事件の裏にはＣＩＡのゼイゴンの存在が見えてくる。彼は、麻薬の取引と、軍事介入をちらつかせながら至福を肥やしていたのだった。上院議員暗殺をたくらむゼイゴン。<br/>
ゼイゴンはＦＢＩの力もかりて、二コの調査を妨害しようとするが、それでも止めないニコ。<br/>
行き過ぎ捜査をとがめられたニコは停職処分をうけ、さらに家族への脅迫も受ける。しかし屈しないニコ。やがてゼイゴンに捕まり拷問もうけるのだがそこはそれ、不屈の精神で耐え抜き、何もなかったように戦い、ゼイゴンをやっつけるのだった。。。<br/>
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<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201203/30/81/f0009381_1129366.jpg" border="0" width="389" height="213" align="right"/>ま、セガ爺の話なのでよくある話ばかりなのだが、この話はもう少し情報整理したほうがよかったと思う。いろいろな要素がありすぎて、物語の本筋が捉えづらくなっている。<br/>
爺の話はシンプルなほうがいい（苦笑）。<br/>
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細いセガ爺（→）
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        <dc:subject>未分類</dc:subject>
        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Fri, 30 Mar 2012 11:30:00 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-03-30T11:30:00+09:00</dc:date>
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        <title>鑓の権三(1986)　☆☆☆☆☆</title>
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<![CDATA[  
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds2.exblog.jp/pds/1/201203/29/81/f0009381_12503788.jpg" border="0" width="227" height="376" align="right"/>監督：篠田正浩<br/>
原作：近松門左衛門・『鑓の権三重帷子』<br/>
脚色：富岡多恵子<br/>
撮影：宮川一夫<br/>
音楽：武満徹<br/>
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出演：<br/>
岩下志麻 （市之進女房・おさゐ）<br/>
郷ひろみ （笹野権三）<br/>
火野正平 （川側伴之丞）<br/>
田中美佐子 （伴之丞妹・お雪）<br/>
津村隆 （浅香市之進）<br/>
水島かおり （市之進娘・お菊）<br/>
嶋英二 （市之進伜・虎次郎）<br/>
大滝秀治 （おさゐの父・岩木忠太兵衛）<br/>
河原崎長一郎 （おさゐの弟・甚平）<br/>
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　　　　　×　　　×　　　×<br/>
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恐るべし、近松門左衛門。<br/>
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この物語は、不義密通の疑いをかけられた権三とおさゐが逃避行の末、女仇討ちの末命を落とすというもの。１９８６年のベルリン映画祭で銀熊賞を獲得している。<br/>
<br/>
近松門左衛門の原作作品は増村保造の『曽根崎心中』につづいて２本目。ひとことで言うなら全てが「潔い」のである。そこには「武士の面子」、堅持しなければならない武士のプライドという基本コンセプトがある。そして感情がどう訴えかけようが、決められたルールは守らねばならないという、武家社会の制約がある。この物語の「潔さ」というのは、感情よりも理性を重んじる美学だといっていい。<br/>
しかし、だからといって感情を否定しているものでもない。<br/>
物語というのは、「作者が訴えかけたいものを犠牲者とする」というのは基本法則である。このドラマのなかでの犠牲者は「感情」のほうである。理性に縛られている感情があばれだしたくて仕方がないのに、それを意地で封印している人間の哀れさがとても切ないのである。<br/>
<br/>
監督は『瀬戸内少年野球団』や『少年時代』、『スパイ・ゾルゲ』の篠田正浩。嘗ては大島渚、吉田喜重とともに松竹ヌーベルバーグの旗手と呼ばれたが、先の二人ほどわけの分からない映画を撮る人ではなかった。世間的には評価されているのかもしれないが、個人的にはカッティングや画面構成の感性が合わない監督さんの一人である。魅せたい画面なのに説明的に撮ったり、説明でいい画面なのに、意味なくカッコいい画面になってたり・・と、気持ちのズレを感じてしまう。「なにか・・、もっといい画面が出来そうなのにその画面でいっちゃったの？？？」という感じがする撮り方なのだ。しかし、それをまあまあ見られる画面にしてあるので、どこかごまかされたようなきになってしまう。<br/>
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撮影監督は往年の巨匠・宮川一夫。良くも悪くもスタンダード。見せるべきことをきちんと説明する画面を基本にしている。今だからこういう言い方が出来るのだろうが、「誰が見ても誤解のないような絵作り」を提供してくれる人である。しかし我々の世代からみると、映画の画面というよりも、テレビの時代劇の画面、色使いだな・・という印象がつよい。<br/>
ただ、この人が開発した「銀残し」という撮影スタイルは今でも使われている、デビット・フィンチャーの『セブン』ではこの方法が使われている。再度を落とし、白と黒のコントラストをする撮影方法である。残念ながら『鑓の権三』では使われていなかったのだが、この「銀残し」の画面はかっこいいのは確かである。<br/>
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この映画をみて最初に思い浮かんだ映画は、デビット・リンチの『マルホランド・ドライブ』だった。その映画のなかでは、主人公のナオミ・ワッツの妄想が前半部で描かれ、後半で現実が描かれる構成になっている。そこの映画がすごいのは妄想部のリアリティだった。妄想というのは、自分の全部都合のいいモノにするのではなく、それなりに自虐的な設定にしながらも、自分の都合のいい展開を思い描くものなのである。<br/>
この妄想＝「自虐的な設定にしながらも、自分に都合のいい展開」を現実の進行にして、見事のドラマの中に落とし込んでいるのがこの『鑓の権三』なのだ。<br/>
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おそらく近松門左衛門はホモである。出なければ性同一障害者であろう。普通男がドラマを作る時には、ドラマの中に登場する男が「人間」だが、女性は「記号」になるものだ。反対に女性が書くドラマというのは、女性が「人間」になり、男性は「記号」になりがちである。感情移入がそういうように出来ているのだがそれは仕方がない。<br/>
この物語では、権三はあくまで記号なのである。そして「人間」なのは、権三と逃避行をすることになる浅香市之進の妻おさゐ（岩下志麻）であり、権三の婚約者であったお雪（田中美佐子）であり、母に旦那を奪われた娘のお菊（水島かおり）だろう。この構成をみると、間違いなく近松門左衛門はホモだ。<br/>
そしてこの物語は、ホモである近松門左衛門が切に妄想したその結果なのだだろう。<br/>
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ジャニーズのようにまぶしく輝く美青年の権三。そして、彼のことを想いながらも、既に結婚している身のおさゐ。いくら妄想してもそれ以上にはならない権三とのなれあい。そかし、ささやかな誤解から不義モノの汚名をきせられ逃避行の旅に出る。<br/>
それは、傍目には理不尽で不幸な出来事だったかもしれない。しかし、おさゐにとっては至福の時間だったにちがいない。近松門左衛門は、この自虐的なシチュエーションを構築しそのなかで、自分の妄想をあますところなく愉しんみ、酔いしれたのだろう。<br/>
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＜あらすじ＞<br/>
出雲の国、松江藩。笹野権三（郷ひろみ）は器量はよく、槍さばさのみごとさでは右に出る者もなく、「鑓の権三」と呼ばれていた。藩の女たちはみな権三に憧れをいだいていた。しかし権三には既に契りをかわした女性がいた。権三の茶道仲間の川側伴之丞の妹・お雪（田中美佐子）である。彼女は権三に契り証として、権三の家の紋章と自分の家の紋章を縫い付けた帯をプレゼントする。<br/>
そんなある日、御世継が誕生したと吉報が出雲に届けられる。国許では近隣の諸国一門を招き、茶の湯がひらかれることになった。しかし、藩を茶道を預かる浅香市之進（津村隆）は１年の江戸詰めに出ており、弟子の川側伴之丞（火野正平）、笹野権三のうち一人がその大役をつとめることになった。<br/>
権三は、茶道の師匠・浅香市之進の妻・おさゐ（岩下志麻）をたずね、師匠がもつ茶道の巻物を見せて欲しいと申し出る。その巻物は一子相伝、見せることは出来ないと断るおさゐだったが、娘のお菊（水島かおり）を嫁としてもらってもらえるのであれば息子同然、巻物をお見せしようと言う。同意する権三。<br/>
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おい！　そんなにあっさり合意するのかい？？？<br/>
そう、この物語のなかで権三は、武士のたしなみをしっかりしているものの、女性関係には執着心が乏しいキャラクターなのである。男にはこんな男は描けない！！<br/>
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おさゐはかねてから権三に想いをよせていたが、すでに浅香と結婚したみ、せめて娘の婿に権三をと願っていた。しかし、そんなおさゐをお雪の母がたずねてくる。なんでも権三とお雪は既に婚約をしており、その仲人を師匠である浅香にして欲しいというのだ。なにもかもが悔しいおさゐ。<br/>
その夜お忍びで浅香の家を訪ねる権三だが、権三の節操のない態度に怒りを覚えたおさいは感情を爆発させる。そして権三の帯に権三とお雪の家の紋章が縫い付けてあるのをみると、その帯を強引にほどいてポイと庭にすててしまうおさい。「なにをする」という権三に、そんなに帯が必要ななら私のものをお使いくださいと、自分の帯をといて権三に渡すおさゐ。「女の帯が使えるか！」と権三もポイとそれを庭に捨ててしまう。<br/>
しかしそこに、お雪の兄川側伴之丞が登場。彼はかねてからおさゐに恋心を抱き、夜這いの隙をうかがっていたのであった。嫉妬に狂った伴之丞は二人を帯を証拠として持ち去り、二人の不義密通を越えたからかに、深夜の街にふれまわって歩くのだった。<br/>
もはやこれまで、と切腹しようとする権三に泣きすがるおさゐ。このままでは夫に申し訳わけがない、せめて夫に討たれてくれと懇願するおさゐ。ともかくも二人はあてもなく逃れていくのだった。<br/>
<br/>
二人の旅は、不義モノとして市之進に討たれるためしばらくの間、世間の目から逃れるためのものであった。市之進の面子を考えると、権三はそうするしかないと考えていた。しかしその逃亡の旅の間に、おさゐの感情があふれ出してくる。出来るならこのまま二人で生き延びたい。しかし頑として市之進に討たれることをゆずらない権三。どうせ死ぬ身なら、せめて自分のことを妻と呼んで欲しいと懇願するおさゐ。そして二人は肌をかさねる・・・・。<br/>
<br/>
一方、事件を知ったおさゐの弟・甚平（河原崎長一郎）は、自分の家の名誉を汚した伴之丞を追い、その首を討つ。帰国した浅香市之進は、義弟の甚平をともない、女仇討ちの旅に出る。。宇治の川岸にかかる橋の上で、市之進は権三とおさゐに出会う。既に刀を売り竹光しか持ち合わせていない権三は短刀で戦うも、市之進に討たれて壮絶な最後をとげる。その一部始終をみていたおさゐも市之進に討たれて息絶える。<br/>
<br/>
最後のカットがなかなかにくい。<br/>
事件が一件落着したあと、おさゐの息子・虎次郎が母の父・岩木忠太兵衛（大滝秀治）と、姐のお菊にお茶をたてている。最後はそのお茶を飲むお菊のアップ。<br/>
女仇討ちに出て行く父に「せめてかか様はつれて帰ってきて欲しい」というお菊だが、真意はどこにあったのだろうか？　自分が結婚するはずだった、藩内きっての美青年を、トンビにあぶらげを盗まれるように母に盗まれてしまったお菊。彼女の最後のすました表情の中に、なにか満足げなものを感じるたのは私だけだろうか・・・。
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        <dc:creator>ssm2438</dc:creator>
    <pubDate>Thu, 29 Mar 2012 12:51:00 +0900</pubDate>
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