西澤 晋 の 映画日記

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2008年 11月 10日

幸せのルールはママが教えてくれた(2007) ☆☆☆

f0009381_1154372.jpg監督:ゲイリー・マーシャル
脚本:マーク・アンドラス
撮影:カール・ウォルター・リンデンローブ
音楽:ジョン・デブニー

出演:
ジェーン・フォンダ (祖母・ジョージア)
リンジー・ローハン (娘・レイチェル)
フェリシティ・ハフマン (母・リリー)

        *        *        *

『プリティ・ウーマン』『恋のためらい/フランキーとジョニー』などのゲイリー・マーシャルが監督したこの作品、意外と掘り出し物でした。女性のメンタルを描いハートフルな映画がおおいゲイリー・マーシャルだが、今回は3世代にわかる娘・母・祖母の話。もっとも本人・娘・孫の話ともいえるが・・(このほうが正解かもしれない)。面白かった。ゲイリー・マーシャルなので超名作はないだろうが、困らない程度にいつも楽しませてくれるのでそこは安心してみられる。
実はリンジー・ローハン映画では初めてみたのだが、なかなか可愛い。こりゃ人気出るわって思ったよ。公私共になにかとおさわがせな彼女ですが、愛される魅力はある人なのでこのキャラクターをキープしつづけてほしいものです。劇中ではモルモン教徒がおおいアイダホの田舎町にやってきた都会の問題児リンジー・ローハンが、現地の風土のなかで、強引に自分の価値観を提示していく。コンサバティブで奥ゆかしさを大事にする風土の中で、リンジー・ローハンの常に直球勝負の開けっぴろげな性格は、最初反感をかうが、徐々にそこに住む人たちと融合していく。

原題は『ジョージア・ルール』、ゆえに「幸せのルールはママが教えてくれた」というのは若干ニュアンスの違いをもたらすかもしれない。確かに母リリーのたちがから言えば、このタイトルでいいのだけど、で、その解釈も十分できるのだけど、やっぱり視点はリンジー・ローハンにあるので、「幸せのルールはグランマーが教えてくれた」のほうが正解かも。ただ、これだとながったらしいのでそのまま『ジョージア・ルール』でよかったのにっておもうのだけど・・・。

f0009381_11542131.jpg<あらすじ>
なにかと問題を抱えるレイチェル(リンジー・ローハン)は、アイダホの祖母・ジョージア(ジェーン・フォンダ)の家にあずけられる。麻薬やヒラリー・ダフとの恋人争奪戦など、現実のイベントをそのままもってきたようなレイチェルだが、実は12歳になると父親にセックスを求めたれたことが発覚してくる。そのじじつをしってアイダホにかけつけてくる母のリリー(フェリシティ・ハフマン)。散々嘘をつきまくっていたレイチェルだが、今度ばかりは真実味があり、リリーも壮絶なショックをうけ酒びたりになってしまう。自分の旦那の浮気相手が実の娘だなんて・・、そんな事実は信じたくないリリーのもとに旦那が弁明にやってきて「レイチェルが嘘をついているんだ」と説き伏せる。
リリーはレイチェルに、誰を信じればいいのか分らないが、自分が信じたいのは、「夫は娘とはセックスしていない」ということなので、そう認識することにする・・と切実な想いを告白。リリーの胸のうちをさっしたレイチェルも、「そう私が嘘をついたの」と母を安心させてあげる。このへんのくだりは実にレイチェルが素敵に見えてしまった。
最終的には旦那の嘘を見抜いたリリーが旦那を捨てて、親子3代でアイダホで暮らすことになる。ただ、捨て台詞として旦那が言った「最初に誘ったのはレイチェルのほうだ」といった言葉もあながち全否定できない臭いも若干残してはいた(苦笑)。さすがリンジー・ローハン

映画の中ではサイドストーリーだが、リンジー・ローハンとその男友達とのやりとりがおかしい。ボートでつりにでたリンジー・ローハンだがつまらない。彼はモルモン教徒で子供の頃からのいいなずけの彼女がいて、婚前交渉が禁じられている彼はまだバージンだとか。そのことを知ると、からかいがてら、および親切心から「みせてあげる」とパンティを脱いで足をひらき、「触ってもいいわよ」と促す。びびってる彼は「もう帰ったほうがいい」とおどおど、そんな彼のまえにしゃがみこんでジッパーをさげて「今度は私がしてあげる」と股間に顔をうずめていリンジー・ローハン。
翌日、ジョージア宅に彼がおしかけ「フィアンセにはうすはつけない、事実を話して許してもらう」とリンジー・ローハンをつれだす。あまりのバカ正直さにあきれるリンジー・ローハン、「じゃあキスをしたということにしない」と話をまとめる。
彼女にあってことのしだいを説明しようする彼氏だが、リンジー・ローハンが「私たちキスしたの。でも恋愛関係でもないし、もうしないわ」と速攻状況説明。「キスはしたけど口にじゃないところに」とさらに補足説明。またくそまじめな彼が嘘がつけず「フェラしてもらった」と暴露・・結局ひっぱたかれて終わり・・。
その後、なにかと彼女の女友達4人(彼女らもモルモン教徒)が彼やリンジー・ローハンを尾行したり、カフェで休んでいるリンジー・ローハンをみかけると「あばずれおんな」と叫んだり、トイレットペーパーなげつけられたりと・・姑息な嫌がらせ。でも、その嫌がらせもけっこう子供じみてて楽しい。ついにきれたリンジー・ローハンが「私たちはなんの関係もないんだから、あんたたちもいちいち尾行する必要ないの!トイレットペーパー投げつけるのも禁止。もし分ってもらえないなら、あんたたちの彼氏、全部寝取るからね!」とすごむ。
なかなかリンジー・ローハン節の炸裂した痛快な映画でした。

by ssm2438 | 2008-11-10 12:06
2008年 11月 09日

無常(1970) ☆☆☆☆☆

f0009381_10165238.jpg監督:実相寺昭雄
脚本:石堂淑朗
撮影:稲垣涌三、中堀正夫、大根田和美
編集:柳川義博
音楽:冬木透

出演:
田村亮 (日野正夫)
司美智子 (姉・日野百合)
岡田英次 (彫刻家・森康高)
田中三津子 (森の後妻・森令子)
佐々木功 (森の息子・森康弘)
岡村春彦 (僧侶・荻野)
花ノ本寿 (百合の夫となる岩下)

        *        *        *

実相寺昭雄の最高傑作であろう。主人公が言い放つ実存主義の暴言が現状維持を「良し」とする古き因習を一刀両断にしていく。主人公と僧侶荻野の怒涛の暴言談義は必見。ただ、実存主義の根幹が見えない人にとってはただのアナーキズムの暴言としか見えないかもしれない。また音楽や効果音の使い方も魅力的で、心が振れたシーンでのヴァイオリンの短い旋律や、“H”をしているしーんでの、子供の声やラジオ体操の音声、フォークソング的な挿入歌など、演出的には実にたのしい。

わわれわ1960年前後にうまれた人にとって、実相寺昭雄は神様であった。『ウルトラマン』のシーボーズ、『ウルトラセブン』のメトロン星人、『怪奇大作戦』の「京都買います」、『シルバー仮面』の真っ黒くろすけのチグリス星人やキルギス星人。今の時代、『ヱヴァンゲリヲン・新劇場版』に興じている人たちも、この映画をみたら庵野秀明がこの映画の雰囲気をどれだけ再現したかったか分るだろう。

実相寺昭雄の映画は広角ぎみレンズが多様されている。しかし、この映画くらいまではまだよかった。手元のアップなどを取るときは弱望遠のレンズだし、手まえに大きくなめて奥のものを撮る時も、つかっているレンズは標準~弱望遠であり、手前はぼけている。これだとまだみられるのである。これが翌年とる『曼陀羅』になると露骨に広角を使ってくるのでもう見るに耐えない。
『無常』と『曼陀羅』の画面的な違いは、『無常』は標準~弱望遠で手前をおおきくなめて撮っているが、『曼陀羅』は広角レンズでとっている。このふたつのレンズの違いは、映画を勉強する人なら理解しておきたいポイントだ。

じっさい実相寺昭雄の絵作りは子供だましのパフォーマンスではあるのだが、それでも、このころの画面は面白かった。絵作りも変な見せ方が非常におおいので、ゲリラ的な映画を撮りたい人には格好の参考資料映画になるだろう。しかし、これはあくまで、映像を勉強している大学生の自主映画を作る時の手法であり、コマーシャル映画としてこの手法が見る人に本当に受け入れられるかと言うと・・それは疑問である。これらの手法はドラマを語りたいための映像、意図したものを観客に伝えるための映像ではないのだ。これらは作っている人のパフォーマンスであり、そのことが見ている人に伝わってしまう。
実際長編映画としてこの後も何本かとられるのだが、その後の映画をみていると正直うざい絵作りだったりする。その後もいろいろ撮られたが、どれも楽しめないし、『ウルトラマン・ティガ』で何本か実相寺昭雄が演出しているが、その回ときたらまったく面白くない。
『無常』のように語られる言葉がはまればいいのだけど、翌年公開された『曼陀羅』のようになってしまうと、正直あきあきしてしまう。技術的なものを見る場合は、これと『曼陀羅』の両方をみて、実相寺昭雄の何がよくって、何がダメなのが、十分理解する必要がある。

<あらすじ>
父の期待をよそに仏像に魅了された日野正夫(田村亮)は、姉の百合(司美智子)と関係をもつようになる。しかし、姉が妊娠し、そのことを両親が感づくと、書生の岩下(花ノ本寿)と姉の情事を父親に見せるように誘導、二人の結婚を成立させる。
その後念願かない彫刻家の森に弟子入りすることが出来るが、森の後妻の令子とも関係をもつ。既に性能力をなくしてしまっている森は、その情事をみてエネルギーにかえ阿弥陀像を彫る。正夫もそんな森を理解し、除き見ている森に見やすいように令子の身体をひらいてみせる。そしていつしか、3人で夜を過ごすようになる。そんな正夫と父と義母との関係をしった森の息子康弘(佐々木功)は僧侶・荻野(岡村春彦)に相談する。
やがて10ヶ月がたち、一度実家にもどった正夫は姉・百合と情事をかさね、それを見てしまった岩下は新幹線に飛び込み自殺する。社会の因習をことごとく破壊し、周りの人に苦しみを与え、自分の愛する百合の身体までもむさぼる正夫が許せない荻野は、彼の行為を非難するが、正夫の怒涛の実存主義理論の前に思想崩壊してしまう。
阿弥陀像が完成すると、成し遂げた感のある森は求められなかったはずの令子を身体を何度も何度も求め、果て、そして他界する。阿弥陀像を寺に収める日、その像を一目見るために訪れた正夫に向かって、父のノミをもった康弘が突進する。

by ssm2438 | 2008-11-09 10:05
2008年 11月 09日

曼陀羅(1971) ☆

f0009381_1104083.jpg監督:実相寺昭雄
脚本:石堂淑朗
撮影:稲垣涌三
音楽:冬木透

出演:
清水紘治 (信一)
森秋子 (由紀子)
田村亮 (裕)
桜井浩子 (康子)
岸田森 (真木)
若林美宏 (真木夫人)

        *        *        *

実相寺昭雄『無常』につづいて発表した劇場映画の第二弾。まったく面白くない。『ウルトラマン』の科学特捜隊の紅一点・富士隊員(桜井浩子)のヌードがみられるというだけの映画。それだけでもけっこう価値はあるかもしれないが、話は実際つまらない。というか、『無常』もうそうだが、話などあってもどうでもいいようなもの。観念論だけを映像化したような映画であり、アンコンベンショナルな映像表現だけが売りのような映画。そのカメラが映し出す対象が、ひたすらたいくつでくだらないごたくをならべまくる。その忍耐力がない人は飛ばしてみるのが関の山。映像表現だけの映画のつまらないさを確認できる反面教師映画といえよう。なにも勉強せず、「広角画面が好き」とかいってる連中はこの映画を最後までみて、それがどれだけダサいか理解すべきだ。普通の人は途中でやめたくなる。

<あらすじ>
小さなモーテルで、二組のカップル、信一(清水紘治)と由紀子(森秋子)、裕(田村亮)と康子(桜井浩子)が、互いに相手を交換し合い抱き合っている。それをモーテルの支配真木(岸田森)がブラウン管でみている。裕と康子が先に帰ったあと、信一と由紀子は海岸に降りてゆくが、真木の部下に襲われた。しばらくして気が付いた信一は、死んだような全裸の由紀子を愛撫し始めるが、二人は朦朧とした意識の中で、かつてない深い陶酔にひたった。
信一と由紀子は再びモーテルを訪れ、真木にさそわれある農村を訪れる。そこは、単純再生産の法則が全てを支配するユートピア(?)であり、農業とエロチシズムの追求がコアになっている。そこでは白衣に身を固めた能面のような真木夫人(若林美宏)と、夫人に仕える若い女君子が居り、あのモーテルはこのユートピアと外の世界を結ぶ通路であるという。信一と由紀子は、真木夫妻に魅せられていった。
のちに康子と裕もこのユートピアにつれてこられるが、真木の信奉者になった信一と由紀子に対し、裕はこのようなユートピアは空想であり、夢、幻のようなものだと問いつめる。別の部屋で傷つき横たわる康子は、真樹の部下に犯され自殺する。
行方不明の康子は、この集団に殺されたと考える裕は、ユートピアの犯罪性を強く信一に問いただすが、信一は狂ったように踊りまくるだけだった。ユートピア集団の本性を知った裕は、これを破滅させる為に豊満な真木夫人を犯すが、真の快楽を知った夫人は渓流に身を投じた。康子と夫人の死は、真木の理想とするユートピアの崩壊であった。真木達は裕の止めるのも聞かず新天地を求めて荒海に向かって船出するが、数日後砂浜に全員死体となって打ちあげられるのだった。

当時の学生運動をやっていた連中の思想だけからまわりした映画。「てめーら勝手に腐ってろ映画」の一つといっていいだろう。

by ssm2438 | 2008-11-09 07:04
2008年 11月 08日

陸軍中野学校(1966) ☆☆☆☆☆

f0009381_22472280.jpg監督:増村保造
脚本:星川清司
撮影:小林節雄
音楽:山内正

出演:
市川雷蔵 (三好次郎)
加東大介 (草薙中佐)
小川真由美 (布引雪子)
E・H・エリック (オスカー・ダビドソン)

        *        *        *

怒涛の潔さ! それまで赤い髪をして円月殺法してた市川雷蔵がスーツに着替えてスパイの修行。
増村保造の映画は潔くて好きだ。この物語に登場する中野学校の人は教える側も、教わる側も潔い。こいうい研ぎ澄まされた覚悟というのはみていて美しい。
個人的には反戦映画よりも、戦意高揚映画のほうが面白いとおもうのだけど・・。戦時中の映画、たとえば山本嘉次郎が監督した『馬』とか、けっこう好きなんだけど・・・。

陸軍中野学校というのは、諜報や防諜、宣伝など秘密戦に関する教育や訓練を目的とした大日本帝国陸軍の実施学校のひとつだ。かつての所在地は東京都中野区中野4丁目付近で、校名の中野は地名に由来する。通称号は東部第33部隊。

<あらすじ>
昭和十三年十月、第二次世界大戦の足音がすこしづつ聞こえてこようとしてた日本。三好次郎(市川雷蔵)以下十八名の陸軍少尉は、草薙中佐(加東大介)のスパイ教育うけることになる。外部との連絡を一切絶っつ。軍服を背広に着換え、変名を使い、軍隊用語は話さない。訓練は柔道から飛行機の操縦までわたり、政治、経済、外交問題については大学教授の講義を受けた。変装、ダンス、更に女の肉体を喜ばせる方法まで。
一方、二郎の恋人雪子(小川真由美)は音信不通の次郎の手掛りを得ようと参謀本部のタイピストになっていた。一年間のスパイ教育を終えようとしていた次郎は、杉本と久保田と共に、卒業試験として英国外交電報の暗号コードブックを英国領事館から盗んだ。盗まれたことがわからないように写真撮影したのだが、英国の暗号は変えられ、次郎らの働らきは無駄になった。
次郎は参謀本部から秘密が洩れたのではないかと考えた。そして参謀本部で雪子の姿を目にした。雪子はかって勤めていた外資系のベントリー商会の上司ラルフと連絡をとっていた。ラルフこそがスパイであり、雪子もその手先となっていた。次郎は雪子を自分の手で殺した。次郎たち十六名は、陸軍中野学校第一期生として世界各地にちらばっていった。ちょうど欧州ではドイツがポーランドに侵攻した。

by ssm2438 | 2008-11-08 22:48 | 増村保造(1924)
2008年 11月 08日

スイミング・プール(2003) ☆

f0009381_21554078.jpg監督:フランソワ・オゾン
脚本:フランソワ・オゾン、エマニュエル・ベルンエイム
撮影:ヨリック・ル・ソー
音楽:フィリップ・ロンビ

出演:
シャーロット・ランプリング (サラ・モートン)
リュディヴィーヌ・サニエ (ジュリー)
チャールズ・ダンス (ジョン)

        *        *        *

デビット・リンチの『マルホランド・ドライブ』同様、ストーリー二重構成映画。
現実のストーリーがある時点から、架空の話(主人公が書いている小説の中のドラマ)に入りこんで最後はまた現実のストーリーでしめくくっている。ただ、売りがこの構成しかないので、つまらない。

by ssm2438 | 2008-11-08 21:56
2008年 11月 08日

マルホランド・ドライブ(2001) ☆☆☆☆

f0009381_21464399.jpg監督:デヴィッド・リンチ
脚本:デヴィッド・リンチ
撮影:ピーター・デミング
音楽:アンジェロ・バダラメンティ

出演:ナオミ・ワッツ、ローラ・エレナ・ハリング
      *        *        *

さて、これはどう書くべきか・・・、結局きちんとした応えはリンチの中にしかない映画なので、それぞれが勝手な解釈で考えるしかない・・・というまあ、タルコフスキーの『ストーカー』みたいな映画だ。でもそれでは話にならないので私なりの解釈を一応書いておこうか・・。

Aパート(妄想)+接続詞パート+Bパート(現実)
・・・で最後は現実の世界に妄想が入り込んできて自殺・・・ってことだと思う。

<妄想パート>
このリアリティがとてもいい。普通の人が好きな人を思うときというのは、決してスーパーマンみたいになるんじゃなくて、実に現実的な妄想を思い描くもの。ナオミ・ワッツは、憧れの女優ローラ・エレナ・ハリングに愛されたいんですよね。で、それを完璧にするシチュエーションで妄想を展開している。記憶を喪失したローラ・エレナ・ハリング。彼女を世話するのは自分だけ。ローラ・エレナ・ハリングが頼れるのは自分のみ。自分だけが絶対的に必要とされてるシチュエーション。そんな赤子のように向くな彼女を守って上げられるのは自分だけど・・。そして懸命に彼女の為に世話をしてている自分の陶酔。そしてセックス。これこそ好きな人を妄想するときにもっとも素敵なシチュエーション。
反面、親戚のおじちゃん、おばちゃんは、心のそこでは自分が都会に出て女優として成功するなどとはちっとも思っていない。いや、失敗こそ望んでいる・・、そんな妄想。
妄想としてのリアリティがすごく上手に表現されてたなあって感心した。

<接続詞パート>
こんな手段使っていいのか? なんか卑怯!って思ったが、露骨にどちらのストーリーにも絡まないパートを入れ込んできたなあ。本来このパートはなしで作る手法を考えるべきだったのでは?っておもうけど、まあこれもありか・・・。

<現実パート>
ここは現実の惨めな自分が描かれている。そして最後は自暴自棄になって妄想パートまでが現実に侵入してきて精神的混乱状態。

・・妄想パートをああいう風に描いたリンチがえらい!

by ssm2438 | 2008-11-08 21:48
2008年 11月 08日

レス・ザン・ゼロ(1987) ☆

f0009381_17181676.jpg監督:マレク・カニエフスカ
脚本:ハーリー・ペイトン
撮影:エドワード・ラックマン
音楽:トーマス・ニューマン

出演:
アンドリュー・マッカーシー (クレイ・イーストン)
ロバート・ダウニー・Jr (ジュリアン・ウェルズ)
ジェイミー・ガーツ (ブレア・ケネディ)
ジェームズ・スペイダー (麻薬売人リップ)

        *        *        *

「てめ-ら勝手にひとりで腐ってろ映画」。努力して向上するって思想がない連中が、世間に文句いいつつ薬などやってどんどん破滅していくような映画。この手の映画は実はイギリス映画におおいのだけど、調べてみるとこの監督さんがイギリス出身みたい。ああ、やっぱり・・って感じです。
ロバート・ダウニー・Jrは人生で実践してしまいましたね(苦笑)。

東海岸の大学に進学したクレイ・イーストン (アンドリュー・マッカーシー)は、その6日結語、クリスマス休暇のためにロスに戻ってくる。戻ってみると高校時代の親友だったジュリアン・ウェルズ(ロバート・ダウニー・ジュニア)はコカイン中毒で父親から勘当され、麻薬売人リップ(ジェームズ・スペイダー)にも莫大な借金を作っていた。元恋人の恋人のブレア・ケネディ(ジャミー・ガーツ)もそんなジュリアンに染まっていた。麻薬に溺れ苦しむジュリアンを、ブレアは母性的な抱擁力で献身的に介抱する。回復してもリップに脅迫されパームスプリングでホモの相手をさせらる。そんなジュリアンをなんとか助け出すクレイとブレアだが、眠ったと思ったらもう目覚めることはなかった。

by ssm2438 | 2008-11-08 17:18
2008年 11月 08日

ミッション・トゥ・マーズ(2000) ☆

f0009381_1503411.jpg監督:ブライアン・デ・パルマ
脚本:ジム・トーマス
    グレアム・ヨスト
    ジョン・C・トーマス
撮影:スティーヴン・H・ブラム
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:
ゲイリー・シニーズ (ジム)
ティム・ロビンス (ウディ)
コニー・ニールセン (コニー)

        *        *        *

これはダメだ・・・。で監督だれだ?ってしらべてみたら・・・ブライアン・デ・パルマ。この人嫌い。最近はヒッチコックもどきはやめたみたいだけど、でも説明的演出はやっぱりヒッチコックゆずり。しかしそれよりなにより、最後のあれはなんですか・・、まるで3流アニメのようなスペースファンタジー。あれで見てる人が感動するとおもってたんでしょうかねえ??? あまりにくだらなさすぎて、それまでの頑張りもふっとんでしまいましたとさ。火星へのミッションはもっときちんと本気になって作ってほしいものだ・・。

2020年、NASAはマーズ1号で火星への有人飛行を成功させた。だが、火星上での探査活動中に遭難。ジム(ゲーリー・シニーズ)は、親友夫婦ウッディ(ティム・ロビンス)とテリー(コニー・ニールセン)、そしてフィル(ジェリー・オコーネル)とともにマーズ2号で火星へ出発。着陸時のロケットのトラブルでウッディは妻テリーの目の前であえなく命を落としたが、残った3人は火星に着陸。奇跡的に生きていたルークと再会。そして彼らが見つけた巨大は岩は、実は何者かによって作られた人面岩であり、その中で宇宙人にあう。球へ帰還するティムとルークに別れを告げ、ジムはひとり彼らと旅立つのだった。

by ssm2438 | 2008-11-08 01:51
2008年 11月 07日

囚われの女(1968) ☆☆☆☆

f0009381_20533132.jpg監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
脚本:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
撮影:アンドレア・ウィンディング、ジャック・ソールニエ

出演:
ローラン・テルジェフ (スタン)
エリザベート・ウィネル (ジョゼ)
ベルナール・フレッソン (ジルベール)

        *        *        *
アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの遺作となってしまったこの作品、今ではDVDも販売されず、中古でVHSをさがすしかないのだが、幸いなことに私はこのビデオをまだ持っている。今となっては宝物のひとつとなっていて手放せない映画の一つだ。

エイドリアン・ライン『ナインハーフ』がSMチックなラブストーリーをつくったが、その20年前にアンリ=ジョルジュ・クルーゾーはそれを既にやっていたのだ。ただ、メンタルはこちらのほうがかなり深いと思う。サディスティックになってしまうものの劣等感の表現がいいんだ。やはりこの劣等感なくしてサディズムには傾倒しないし、これがないサディズムなんてのはそれこそただの遊びだ。この映画では、SMチックな遊戯をたのしんでいた二人がだんだんとほんとに愛し合うようになり、しかし、本気になればなほど、男のほうが劣等感を感じずにはいられなくなり女から逃避しようとする。そんな男をなんとか、劣等感を持ちながらも、勇気を持って求めるることが出来る男になってほしいと成長を望む女の話・・という感じか。
露出度はほとんどないのですが、ムードはとってもエロい映画。しかしやっている内容はかなりデリケート、支配願望、被支配願望、劣等感・・などフロイト的な内容をこなしてる。前半は男が女をSM遊戯のなかで刺激してるけど、中盤は女が男を、劣等感からひっぱりだそうとしてる。このせめぎあいが実にアンリ=ジョルジュ・クルーゾーのいつもの追い詰める演出になっている。
やはりすごいぞアンリ=ジョルジュ・クルーゾー!!!

<あらすじ>
近代アートの芸術家ジルベール(ベルナール・フレッソン)の妻ジョゼ(エリザベート・ウィネル)は、展示会の会場でスタン(ローラン・テルジェフ)に出会う。スタンにひかれたジョゼは彼のアトリエを訪れる。そして彼の言葉のままに被写体となる。まるで両手を縛られてつるされたようなポーズをとらされるジョゼ、そして後ろで二縛られたようなポーズ・・、そんな自分の姿を鏡でみせられる。ジョゼは普段は心に秘めていた被支配願望がすこしづつ目覚めていく。そして再び彼の部屋を訪れた時、スタンはモデルを呼んでいた。ジョゼの前でポーズをとらされるモデル。その撮影風景を何かを感じながら見ているジョゼ・・。
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主演のエリザベート・ウィネルがあからさまなヌードを披露することはなかったのだが、ムードだけでとてもエロチックな映画にしあがっている。アイテムとしても透明感のあるもの、鏡面効果のあるものなど、当時としてはかなりお洒落な画面づくりをめざしてた前衛的な絵作りの映画だった。

by ssm2438 | 2008-11-07 21:16
2008年 11月 07日

愛の地獄(1994) ☆

f0009381_20295971.jpg監督:クロード・シャブロル
脚本:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
撮影:ベルナール・ジツェルマン
音楽:マチュー・シャブロル

出演:エマニュエル・ベアール

        *        *        *

『恐怖の報酬』『情婦マノン』アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、彼の残された脚本をクロード・シャブロが映画化したこの映画・・、いやああつまんなかった。フランス映画はここにはまるとつまんないね。でも、クローゾーが作ってたらどんなになってたんだろう。クルーゾーの精神的な追い詰め方はとても圧迫感があって個人的には大好きなのだけど、この映画もクルーゾーのメガホンで観たかったなあ。

この物語の中で、エマニュエル・ベアール演じる人妻は、浮気相手がいる。そしてそれを旦那も感づいている。ただ、確固たる証拠がない。旦那も確固たる証拠がない限り、妻は浮気してないという希望をもちつづけてしまう。しかし・・みていて実に不思議だ。もし、浮気相手のほうが好きで、旦那が気付き始めてるのなら、そこで開き直って、旦那に別れ話をもっていくのが普通だと考える。で、旦那が「離婚はしない!」ってぐれるのならそれはそれでいい。しかし、この女は潔くないのである。浮気はしていて、旦那が感づいていても、確固たるしょうこがないかぎり、嘘をつきづるけるのだ。・・・何のために? これが男には分らない。
男には女を好きになる能力があるから、女にも男と同様に男を好きになる能力があると思い込んでいるのである。しかしそれがない。これは、男がもっている「女にも男と同様に男を愛せる能力がる」という幻影と、女の本性=「女には男を愛する能力がない」の矛盾に心をすり減らす男の悲劇だろう。

アメリカ映画の観すぎなんだよね、きっと。アメリカ映画はあくまで男の理想としての女を描くから、女にも男を愛する能力があるように描かれている。また実際の世界の女も、男女同権を主張しているがゆえに、男化しようとがんばりすぎてるので「自分にも男を愛せる能力がる」と勝手に勘違いしている。だからアメリカ映画はあれでいいのだ。
しかしフランス映画ではもっと冷静だ。フランスにかぎらず、ヨーロッパ映画はそういうものかもしれない。ミケランジェロ・アントニオーニの映画でも女の「男を愛するの力のなさ」を説いているが、フランス映画でもそれはしばしば説かれている。この映画もその一つだろう。

ツボが分れば映画の趣旨は理解できるが、だからといっても面白いかと言われればまったくそんなことはない。ただの時間の無駄である。これでエマニュエル・ベアールが脱いでくれてるならまだ救われるが、それもないし・・・。まさに、時間の無駄映画であった。

by ssm2438 | 2008-11-07 20:30