西澤 晋 の 映画日記

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2009年 01月 31日

クレヨンしんちゃん/嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲(2001) ☆☆☆☆☆

f0009381_22164688.jpg監督:原恵一
演出:水島努
原作:臼井儀人
脚本:原恵一
音楽:荒川敏行
    浜口史郎

声の出演:矢島晶子
       ならはしみき
       藤原啓治

     ×     ×     ×

一昨年、『千と千尋の神隠し』がインフレぎみに観客動員数をかせいでいたその裏でこんな傑作が世に産み落とされていたとは・・。本来この企画、洋画を基本に紹介していこうとおもっていたのですが、このアニメ映画、この正月にみた映画のなかで一番衝撃が強かったので、もう仕方がない、御紹介させていただきます。

しんちゃんの住む春日部に突如出現した20世紀博、そこには大人達を懐かしさのとりこりする数々のアイテムが紹介されていた。まるで子供のようにはしゃぐ大人たち。しかしそれは過去を懐かしみ、21世紀を放棄し20世紀の恒久化をめざす秘密結社<イエスタデイ・ワンスモア>陰謀であった。
両親が、食事がわりに長ねぎをナマのまま「それ食べてな」と投げてそそくさと寝室に・・。敷き布団もひかず、掛け布団だけを書けて寝てしまう。朝おきれば、食事の用意なんかしやしない。かってあったお菓子をたべあさり、ペットボトルをラッパ飲み、仕事にもいかない。ちゃぶ台を踏み越え、また床にごろ寝、 “コドモ”化した大人たち、怖いです。
そんな大人達を3輪トラックが迎えにくる。街を捨て、家族を捨て20世紀博へと向かう。 “義務の放棄”・・・ある意味、大人の夢である。 子供だけがのこされた春日部の街。妹(?)をのこされたしんのすけ達は食料確保のためにコンビニみ向かうがそこは小学生(?)のお兄ちゃん達が支配されてたりする。
そんな子供達だけのサバイバルの状況のなかで20世紀の匂いに現代を捨て過去の虜になった大人達はさらに子供狩りをはじめる。なんとか逃れたしんのすけたちを追いまわすのはスバル360軍団。<イエスタデイ・ワンスモア>の首領はジョンとヨーコを彷佛させるケンとチャコ、ケンの愛車はトヨタ2000GT。劇中、逃亡の為にでたらめに運転するしんのすけ達のバスに、この2000GTのバンパーが飛ばされ踏みつぶされるシーンがあるが、“現代の無謀な力に踏みにじられる、大人達が大事にしたもの” を象徴するようなシーン、心が痛い・・・。
そして大人たちを取り戻す為に20世紀博乗り込むんのすけたち、そこには60年を彷佛させる懐かしい匂いのする街がある。 夕焼けに赤く染まる板塀と木の電柱、威勢のいい八百屋さんが声を張り上げる商店街には買い物かごを下げたお母さんたち・・・。 BGMにながれるフォークソングが妙に哀愁をさそう・・・。 懐かしい匂い、これは無性に愛おしいものではあるが、 これに溺れる事なく現実の21世紀で生きて行くことを選択することで物語は締めくくられている。

おもわず『エヴァンゲリオン』のオープニングのあの歌詞を思い出してしまう。
“‥‥ほとばしる熱いパトスで、思い出を裏切るなら、この宇宙を抱いて輝く少年よ神話になれ!”

物語の構成上、作り手にとって思い出を裏切る方向でお話を作るのはかなり辛いことなのである。それをやってしまったことがこの作品の偉大なところなんだろうと思う。すごい。
でも、人生の中にはすでに決定してしまった、変ることのない、愛さずにはいられない思い出を捨てても、これからの自分の人生をかけるにはあまりに不安だらけの未来を選択しなければいけない時もある。 大人達にそれを残酷なまでに見せつけた、かなり心が痛い‥‥そんな映画だったような気がする。

この映画はその60年代に青春時代をすごした大人たちのためのものだろう。 対象年令40~50才という恐るべき<子供も楽しめる大人のアニメ>、 それこそがこの『クレヨンしんちゃん/嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』なのである。
正直なところ演出的にはもうちょっとテンポのいい展開であれば思うシーン、このシーンなくてもよかったんじゃないの?って思うシーンも幾つかああって、完成度的にはそりゃあ御大宮崎 駿には到底およばないんですが、それでもそんなことを度外させてみせてしまう荒削りの良さがあるんです。

そして次の作品『クレヨンしんちゃん/嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦 』(この映画もすごいです。嘗てこれだけ戦国時代の合戦シーンを忠実に描いた邦画があったであろうか・・。NHKの大河ドラマでもここまでのリアリティを追求してないと思う)では、もっと完成されたものになっているのも事実。 原恵一監督の今後に大いに期待してしまう1本でした。

by ssm2438 | 2009-01-31 23:34
2009年 01月 27日

大いなる陰謀(2007) ☆

f0009381_192320100.jpg監督:ロバート・レッドフォード
脚本:マシュー・マイケル・カーナハン
撮影:フィリップ・ルースロ
音楽:マーク・アイシャム

出演:ロバート・レッドフォード
    メリル・ストリープ
    トム・クルーズ
    マイケル・ペーニャ
    デレク・ルーク

     ×     ×     ×

久しぶりのロバート・レッドフォード監督作品なのでメンタル自己啓発映画以外にはなりえないはずなのに、このタイトルはなんだ???って見る前は思ったのだが、実に的外れなタイトルだ。あまりに的外れなので今回だけはさすがにこのタイトルをつけたアホどもを呪ってやりたい。
ちなみに原題は『羊たちのためのライオン』。

レッドフォードの映画がどれも愛に満ちてるんだけど、今回のも凄く愛に満ちている。こんな優しいまなざし見られたらそらがんばっちゃおうかなって勘違いに一つもしてみたく成る。そんな映画。
西澤用語で愛とは期待することである。ある特定のスポーツ選手が好きっていうのは、その選手になぜか特別に期待してしまうことだ。自分の子供を愛していると思うのは、実は自分の子供の一番期待している自分がいるからだ。プリーストの言葉ではなく、私の実感的言葉では「愛する」というのは「期待する」ということなのだ。そして人は期待されないと腐ってしまう生きものなのだ。「期待されるのがいや」といいながらそんな人ほどもっとも期待されたがっているのである。
この映画は、レッドフォードがまだ記号かされてない人たちに期待しているのである。
そのあたたかなまなざしがとてもやさしい。

物語は人間原理によって語られている。ここでいう人間とはまだ記号化されてない人たちの事であり、その行動原理のことだ。例えばこんな構図。
主人公は、Aさんという劣等感を感じる女の子に憧れながらも、現実ではBさんという居心地のいい劣等感を感じない女の子と一緒にいる。でもいつも想像しているのはAさんのこと。しかしもしAさんを求めて拒まれたら全ての夢が崩壊してしまう。おそろしくて夢にいどめない。ほとんどの場合はそれを実行出来る勇気を持ち合わせてる人はいない。夢に憧れながら、現実と一緒に居る、それが人間原理なのだ。それが普通の人々なのだ。

一方で、在る種のひとは本命のAさんに挑める勇気をもっている。偶然なのか、努力した結果なのか、とりあえず持っているのである。本命に挑むには圧倒的な努力と決意が必要なのだ。そしてそれに挑む為にはそれを失ったときの絶望感を打ち負かすだけの実行力とそれでもそこに挑む勇気を持っている。
普通の人々はそういう人種に憧れる。そうなりたいと思う。何事も努力と根性でなしとげられると信じる事が出来る、そんな人間になりたいと思う。出来ないのならせめてその振りが出来ればと思う。実際そのふりが出来るだけでもかなりの勇気と努力が必要なのだ。

しかしそうなったら最後、その人は社会のなかでは記号になってしまうのだ。二者選択で答えをだせる人たち。白か黒か。グレーがない人たち。結果を出す人というのはこういう人たちなのだ。いったん答えをだしてしまった彼らは突き進むしかない。そして彼らの哲学と心中するしかないのだ。
アフガンの山のなかで玉砕した二人はかっこよく描かれているが、たぶんレドフォード自身は肯定的ではないはずだ。

これは作品中からは読みとれない部分かもしれないが、レッドフォードの政治的なスタンスっていったらどうしてもアンチ・リパブリカン(アンチ共和党)だろうから、あのふたりのヒロイックさをまっこうから肯定することはない。ここを肯定してると見ると、たぶんこの映画のポイントが判らなく成ってくるのだろう。

レッドフォードが擁護したいのは、「自分はこうなんだ!!」って決め込めない人間性。
アメリカンドリームが肯定しているのあ、「自分はこうあるべきだ!」って在る種のビジョンに自分をはめこんで、そのキャラクターになりきっていくことで成長していくものだけど、感情をおしころして自分の覚悟・意思決定を優先する生き方を、多分真っ向から否定はしないけど、それがほんとに正しいのかい?って問うてる感じ。
これが許せるレッドフォードってのはかなりの人格者だなあっておもってしまう。
私にはむりだ。

私は小さい頃は、好きな物が好きと言えなくて、つねに自分をごまかしてた。ほんとは欲しくてたまらないのに、そんな自分を押し殺してた。それは、理性からの行為じゃなくて、求めて与えられなかった時、手に入らなかった時に襲ってくるであろう絶望感の恐ろしさからの逃避。
そんな自分が徹底的に嫌いで、その結果今の自分を構築して来た。
だから「自分はこうありたい」って思ったら意地でそう在る自分が好き。
なので、思想的にはレドフォードの基本姿勢は決して肯定はしない。

ただ、人はみんな一つ堅固な意思の固まりになるのは無理な話で、とねにゆらいでいりものであり、そのなかには自分の弱さをゆるしてやる部分も当然あってしかるべきなのだ。なので世間のなかで、それをきちんと表現できる人がいることはとっても素敵だ。
出来るなら『惑星ソラリス』をレッドフォードに今一度とってみてもらいたいものだ。。。

この映画はかなりプロパガンダの要素をもっている。それは共和党とか民主党とか、そういうことじゃなくって、政治というのはどうしても強い自分だけを参加させる場のように思われるが、露骨な表現をすると、もっと弱い自分を参加させてもいいじゃないか?ってことなのかもしれない。
レッドフォード映画の基本姿勢はつねに「自分の中の弱さを許してあげようよ」ってものだと思う。それは『普通の人々』からずっとかわらない。レッドフォードは「自分の中の弱さを許してあげようよ。それを含んだまま強くなっていいんじゃないか・・・」というのが基本スタンスなのだ。きっとレッドフォードはとてつもなく心が豊かなひとなのだ。

私は共和党びいきなので、民主党よりの映画にはちょっといやな部分もあるのだけど、レッドフォードの分析力とやさしい愛には感服する。久しぶりに見る価値のある映画をみせてもらった気分だ。


PS:『羊たちの沈黙』が商標登録されてなかったらこの題名を使ってほしかった。入れ替えて『沈黙の羊たち』でも良かったのに。で

by ssm2438 | 2009-01-27 04:18 | R・レッドフォード(1936)
2009年 01月 24日

夕陽のガンマン(1965) ☆☆

f0009381_1511112.jpg監督:セルジオ・レオーネ
脚本:ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ
    セルジオ・レオーネ
撮影:マッシモ・ダラマーノ
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:クリント・イーストウッド
    リー・ヴァン・クリーフ
    ジャン・マリア・ヴォロンテ

        *        *        *

私自身があまり西部劇というものが好きではないので、特に思い入れがない(苦笑)。でも、ある人にはあるのだろうなあ。特に人世代前の漫画家さんや、映画作家さんはどは西部劇をみて育った世代であり、それを現在や未来に舞台を置き換えて再現しようとしてるのがよくわかる。さいとうたかお『ゴルゴ13』にしても寺沢武一『コブラ』にしてもそんな感じがする。大昔の『キーハンター』みてても、なんでこんなところでそんな西部劇テイストのシチュエーションがでてくるんだ??って苦笑したくなる。

西部劇というのは、向かい合って鉄砲撃ち合ったら終わりなんで、それまでのカッコつけタイムをどう味付けするかがすべてになるだろう。チャンバラみたにばったばったと切り倒すのではなく、一瞬芸なのでそれ以前の段取りが重要になるのだ。私はどうもこの虚栄心ばりばりのカッコつけが嫌いなので、西部劇というものが嫌いらし。

物語は二人の賞金稼ぎモーティマー大佐(リー・ヴァン・クリーフ)とマンゴー(C・イーストウッド)対凶悪殺鬼インディオ(G・M・ポロンテ)とその子分一同という構図。しかしその裏にはモーティマー大佐の妹が、エンディオに犯されそうになり自殺した背景があり、モーティマー大佐の復習劇という構図が最後はうみぼりになってくる。この映画に関してはクリント・イーストウッドのほうがサポート役である。

原題は「FOR A FEW DOLLARS MORE」、さらなるはした金のために・・みたいなニュアンスか。

by ssm2438 | 2009-01-24 14:19
2009年 01月 24日

ボビー・デアフィールド(1977) ☆

f0009381_1934040.jpg監督:シドニー・ポラック
脚本:アルヴィン・サージェント
撮影:アンリ・ドカエ
音楽:デイヴ・グルーシン

出演:アル・パチーノ
    マルト・ケラー

     ×     ×     ×

1977年、当時人気のあったアル・パチーノ主演の映画。
私が映画を見始めたころの映画なのでそのころスクリーンのなかにこの映画もとりあげられていて、みたことはないのだがタイトルだけは知っていた。数日前中古ビデオ屋でこのビデオを見つけ、一度は見ておかないとって買った矢先にVHSをつなげている大型テレビが壊れて買い換えるまでみられなかったわけだ。

監督はシドニー・ポラック。この監督さんの特徴は一言でいうと「けっこう退屈」なのだけど、この映画も実に退屈だった。ただ、たまにいいのも撮るので捨て切れない。この映画もスタッフの名前だけみるとけっこう見るべきところあり。

まず脚本がアルビン・サージェント
私はレッドフォードの初監督作品である『普通の人々』って映画がとても好きなのだけど、その脚本もこのアルビン・サージェントって人。とにかくメンタルの描写がとっても繊細でみていてすっごく感情移入させられる。実にうまいなあって関心する。最近ではポール・ハギスもそんな感じだせる人だなあって思うが、私のなかでのメンタル・ライターの元祖はやっぱりアルビン・サージェントなのでどうしてもこの映画はいつかはみておきたかった。

で、見るまでは知らなかったのだけど、この映画、ロードムービーの部類にはいる映画なのだ。
ドラマの発端は、アル・パチーノのチームメイトが乗るマシンがレース中に事故をおこし炎上・死亡してしまう。自分が乗っている車の安全性に懐疑的になったアルパチーノはその原因をつきとめようと、その事故に巻き込まれた別のドライバー(スイスかどこかで療養してる)を見舞う。帰ろうとすると、そこで出会ったマルト・ケラーが押し入るように彼の車に乗り込んでくる。そこからロードムービーの始まり。
会話がかみ合わないアルパチーノいらつきが非常にアルビン・サージェントしてる。

ただ物語の哲学としては当時流行の無責任肯定映画=ニュー・アメリカン・シネマのにおいが強く、何に対しても本気になれない人間を肯定する形、本気になって余裕がない人間をちゃかす形なのでかなりカスな哲学。みていてあほくさって思う部分はおおい。私よりもちょっとうえの世代にはこの手の哲学がもてはやされていたのだから、実にアマちゃんにみえる。それでも、そこいいたるメンタリティをサージェントはしっかり描いているのでさすがだなあって表しまう。

主人公のアル・パチーノが演じるのはエフワンレーサーでもっとレースシーンがいっぱいある映画なのかなあって思ってたらそれは本線とはあまり関係がなく、エフワンレーサーを仕事にしてる人の日常の時間のほうがメインになっている作り。なのでレースシーンを描きこむということはほとんどしていない。
それでも、レースシーンなしには映画はできないので、当時のエフワンのレースシーンをつなぎ合わせてるんだけど、当時のエフワンマシンがそのまんまのデザインでみられるのはうれしい。使われているフィルムは1976年(富士でエフワンが始めて行われた年)のもので6輪タイレルもエンジンカウルのないやつで映っている。ブラバムはあのでっかく分厚いフロントウィングつけてる時代。おお懐かしい。

あとマルト・ケラー。けっして別嬪さんではないのだけど、私のなかでは『ブラック・サンデー』のテロリストの印象がとてもつよくて、けっこう忘れがたい70年代の女優さんでついつい見てしまう。

by ssm2438 | 2009-01-24 13:42
2009年 01月 24日

毛皮のエロス/ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト(2006) ☆

f0009381_16333553.jpg監督:スティーヴン・シャインバーグ
脚本:エリン・クレシダ・ウィルソン
撮影:ビル・ポープ
音楽:カーター・バーウェル

出演:ニコール・キッドマン
    ロバート・ダウニー・Jr

     ×     ×     ×

いや~~~~外れたね。
全然面白くなかった。
ひどい。
ダメダメ。
カス。
時間の無駄。

スティーヴン・シャインバーグの前作『セクレタリー』は際物だったけどきちんととはいえないがそれでも面白く出来てて、素人風なれどある程度認めてたんだけど、今回のこれはなんというか、監督としてのそこの浅さだけが露呈してしまった感じ。
演出的には誰が見てもそれとわかるリンチの亜流。ほんらいそんなキャラクターなんかださなくっていいのに、『ツインピークス』のロッジにでてきそうなキャラだしてくるし、なんだかアホくさって思ってしまった。
それに二コール・キッドマン演じる主婦の精神解放のプロセスもなんとも必要性を感じない際物系で、とにかく無理やりリンチテイストを入れようとして蛇足の嵐。ひど・・・。
その演出も非日常的なキャラクターとの遭遇を積み重ねているだけで、本質との遭遇ではないんだよね。めずらしいもの、ちがうものとの遭遇を重ねているだけど、<真実>を追っているわけではないあたりが話をチープにしている。

結局、この話の展開では、
「あなたは何がしたいの?」の問いにたいして「普通じゃなければいいです」って解答しかかえってきてない。
たぶん物書きって、たしかに普通じゃないシチュエーションをもとめはするけど、それは、いったん読者の既成概念を壊さないと、真実が見えてこないからであって、ただ既成概念を壊すだけでは意味がない。ただ、騒がしいだけになってしまう。
本物の語り手っていいうのは<いいも>のを目指すけど、まがいものの語り手は<珍しいもの>しか描けない。
この物語の主人公はその<珍しいもの>にしか向かっていない。
この物語の最大の欠点はここだな。

トータルでは、リンチをやりたくって出来てない、映画学科専攻の素人大学生がとった映画って感じ。みたあとは5点満点の1.5~2点かなって思ったけど、一晩明けたら1点に格下げ。

by ssm2438 | 2009-01-24 09:05
2009年 01月 23日

ハドソン河のモスコー(1984) ☆☆☆☆

f0009381_1273543.jpg監督:ポール・マザースキー
脚本:ポール・マザースキー
    レオン・カペタノス
撮影:ドナルド・マカルパイン
音楽:デヴィッド・マクヒュー

出演:ロビン・ウィリアムズ
    マリア・コンチータ・アロンゾ
    クリーヴァント・デリックス
    アレハンドロ・レイ

     ×     ×     ×

主演のロビン・ウィリアムスは、スタンダップ・コメディアンとしてはホントに天才的だとおもうですが、 映画でそれやられちゃうとちょっとサービス過剰ぎみで、あの親近感があまり好きになれない人もいるんじゃないかとおもうんですけど、このころはけっこう自然にみられます。たぶん、ロビン・ウィリアムスのなかではこの作品が一番いいんじゃないかなあ。

物語は、ロビン・ウィリアムス扮するソ連のサーカス団に所属するトランペット吹きのウラジミールが、 アメリカ講演中に亡命、そのごアメリカ社会にとまどいながらも順応していく話なんですが、とってもハートフルでいいんだ。 でも実は彼自身は亡命したいわけではなくって、彼の友達が以前から亡命をほのめかしており、随行する共産党員がそいつのお目付役にウラジミールをつけて感じ。
講演がおわって最後のお土産を買うデパートのなか、彼の友達は全てを捨て切れないで亡命を断念、無念の表情でバスにむかうのをみて、衝動的にウラジミールが亡命をくちばしってしまうわけです。 そこから随行していた共産党員とデパートの中をおいかけって、化粧品売り場のブースに逃げ込むと、そこはイタリア人移民のルチア(マリア・コンチータ・アロンゾ)のスカートのなかだったり、「そこの移民にこれを渡してくれ」とキューバ人弁護士オルランドにビジネスカードをわたされたり、結局そのフロアの黒人警備員のライオネル(クレバント・デリックス)に保護され、追って来た共産党員ともみあいに。「かれは薬をうたれたんだ。彼の不等な拘束をソ連は講議する」と共産党員。「あそこのフロアからそこのフロアまでは私の担当だ。ここでのトラブルや許さない。警察がくるまで待て!」と毅然として対応するライオネル。「私の事も考えてくれ、国かえれば子供も家族もあるんだぞ。君だってもう家族とあえなくなる、それでもいいのかウラジミール。私のためにも考え直してくれ‥‥」と懇願する共産党員にたいして冷たく「私は亡命する」と言うと、まわりの取り巻きから「おお~~~~~~~」と歓声が沸き上がる。
FBIの人もきてさしあたっての亡命の手続き、「アメリカに誰か知り合いはいるのか?」との質問に、 「化粧品売り場の女の子と、彼(黒人警備員)だけだ」というとさすがに困った顔のFBI、 「家に来い」っていってやるそのライオネル(黒人警備員)。おれもアラバマを飛び出した亡命者だ。気持ちはわかる」 彼の家にいてみると狭いなかに失業中の父と、もう年老いた祖父、母と妹。 お世辞にも余裕があるとは言えない。 それでも、寝る為のソファをあたえられる。そこがアメリカにきて始めてのおちつける場所だった。。。

もし、自分より弱い人間がいたら、それだけで自分の居場所はできたりするものなのだけど、 アメリカでの彼の立場はそれを許さないんですね。その中で自分を確保していくにはどうしたらいいのか‥‥。そして誰も自分を必要としない社会のなかで、自分を確立していくために「必要とされる人間」になっていくんです。 はじめはその家のお使い。でもデパートにいってコーヒーを買おうとすると‥‥ん?? で、店員さんに聞く「あの‥‥、コーヒーの列はどこですか?」(笑)。「そんなものはないよ、あの棚のむこうだよ」って教えられていってみると「コーヒー、コーヒー、コーヒー、コーヒー、コーヒー、コーヒー、コーヒー、コーヒー、コーヒー、コーヒー、コーヒー、コーヒー‥‥!!!!」、みたこともないコーヒーの種類があまたと並べられてて、興奮して過呼吸になり病院に運ばれるしまつ。いってみるとそこはベトナム人らしき医師と看護婦さん。アメリカってのはみんなが移民なんですね。 移民局でその後の移民の手続きをしてると、待ちきれない人が「いつまで待たせるんだ」どなりこんでくる。「待たされてるのはあなただけじゃ無い!」とカウンセリングの黒人おねーちゃん。 「じゃあ、ボスを呼べ!」と怒鳴ると「私のボスはロナルド・レーガンよ!! もう少し待ちなさい」と毅然として怒鳴り返す彼女。 ‥‥「私のボスは小泉純一郎よ」とプライドをもって言い切れる日本人が何人いるだろうってふと思ってしまう。
自分達が自分達の指導者を選び、それに従っていくメカニズム。そこに発生する責任感というもの。 それが実に輝かしいんだ。そしてレストランの皿洗い、マクドナルドの店員、路上でのフランクフルトの屋台、ハイヤーの運転手…etcそんな仕事をこなしつつ、すこしづつ個人としての力をつけていくウラジミール。 ルチアともなかよくなりアメリカの歴史の権利の盛典とかのお勉強なんかもしてたりする。
そして、ルチアがアメリカ市民になる日。 しかしこのころになると心のすれ違いができてきて別 れる事に‥‥。お金に余裕がでてきてサックスを買って店のステージで演奏する機会ができたが、いざあってみるとアメリカのジャズ演奏者とは力の差があり愕然、アパートで練習してると、上の階からは「うるさい!」と怒鳴られるしまつ。心のよりどころだったラオイネルは昇級が見送られたことを不服として仕事をやめてアラバマに帰ることを決意。自分の仕事で使ってるハイヤーで彼を空港までおくってやる。「キミはここでの一番の友達だった」っていうと「アメリカ市民として当然のことをしたまでだ」ってクールに言うんだ。 “I'm just a citizen....” かっこいい!!
まわりに誰もいなくなっていき、孤独をひたひたと感じてると、さらに追い討ち、 ソ連の祖父が死んだとの頼りがとどく。ロシアコミュニティからの帰り、アパートの入口のドアをあけると中には子供の暴漢がいて、銃をつきつけ「金をだせ」財布をまさぐられていたが、悲しさと孤独さとどうにもならない怒りが込み上げて来て 「I'm a Russian ! I'm a Russiaaaaaaaaaaaaaaaan ! 」って反対につかみかかってしまう。 “ロシア人なのに‥‥、国を捨ててここに来たロシア人なのに、  それなのに、この仕打ちはなんだ!!! こんなんがアメリカか!!???” 暴漢たちも怖くなってもみあってるなか、ウラジミールを殴り倒して逃げて行く。
警察から出て来てくることには夜もふけ、弁護士のオルランドと一緒に夜間営業のレストランにはいりアメリカにたしてさんざん悪態をつくウラジミール。 カウンターの向こうでそんな二人をにらんでるでっかい色白の男、オルランドが制するのもきかず因縁つけるウラジミール。 相手のでっかい男はロシア語で「ロシア人のアホが」と罵られ、 オルランドが「何いってるんだ?」というと、その言葉を英語に訳すウラジミール。

「ロシアを知っているのか? あそこでは、みんながほんの僅かな自由を求めて戦っている。おまえらは自由にクソをかけてるだけだ」と ウラジミール。
オルランドに、「店内で喧嘩したらこまりますよ」とキューバ語(?)で話してる男性店員さん。 その男が何か言う。オルランドに通 訳するウラジミール。 「そんなにロシアが恋しけりゃ、国に帰ってパンの行列にならべと言っている」 男が付け足す。 「カビのはえたパンのだ!、と言っている」 自分でいってて悲しくなるウラジミール。 外でなにかのおと。
「なんだあれは?」とウラジミール。
「独立記念日の花火だ」とその男。 神妙になるふたり‥‥。
「悪かったと、ウラジミール・イワノフ」「セルゲイ・ゴードン」とお互いの名前をなのり仲直りするふたり‥‥、 やさしい音楽がながれてきて‥‥ オルランド「独立記念日か‥‥、暗唱できるか? 人類は、歴史上のこの時点において‥‥忘れた」
ウラジミール「‥‥以下のことは自明の理である」
オルランド「‥‥万人は平等であり、侵せぬ 権利を‥‥」 ウラジミール「神の手から与えられている‥‥」
キューバ人の男性店員「生命と‥‥」
イワノフ「自由と‥‥」
中国人の客「幸せを追求する権利‥‥」
イワノフ「イヤーー、ハピネス!!」 客数人「ハピネス!!」 女性店員「ハピネス‥‥」(といってコーヒーをさしだす) オルランド「ハピネス(キューバ語で)」と男性店員に呟くと、 かれも返す。 おくのほうでは中国人の客が中国語で「ハピネス‥‥」としずかにつぶやく‥‥。
外には盲目の老人が花火を手に歩いてる‥‥。 うむむむ~~~~~、もうこのくだりは沁みますね~~~。

私がこれを見たのは20代の終わりの頃で、英会話の勉強に燃えてた時。 そんな時期とかさなったこともあって、とってもインパクトのあった作品になってしまいました。 アメリカ社会にみる<責任>の概念。 実はその<責任>こそが<自由>への片道切符であること。 それを担う誇り‥‥。 我々が次の世代に与えたいとおもう<自由>というのは、 実は<責任>を全うできる力があってはじめて得られるもので、 その力を育ててやる事しか、<自由>は与えられないという事実。
もし、日本という国がなくなったら‥‥、日本という習慣がなくなったとき、 そのとき自分はきちんと生きていけるんだろうか‥‥? たとえそういう時が来たとしても、きちんと自分を生きていける人間でなければならない、 “<日本人>という保護のない環境でも、自分を生きられる自意識をもてるようになるんだぞ!!”って。 『日本沈没』とこの『ハドソン河のモスコ-』は、そのことを無理矢理考えさせられた映画ですね。

by ssm2438 | 2009-01-23 22:27
2009年 01月 20日

007/カジノ・ロワイヤル(2006)  ☆☆

f0009381_452799.jpg監督:マーティン・キャンベル
脚本:ニール・パーヴィス
    ロバート・ウェイド
    ポール・ハギス
撮影:フィル・メヒュー
音楽:デヴィッド・アーノルド

出演:ダニエル・クレイグ
    エヴァ・グリーン

     ×     ×     ×

なるほど‥‥、たしかにターミネーター2してる(笑)。007映画としたら☆ひとつだけど、アクション映画としてがんばってる。なのでもうひとつ☆おまけして二つ。
オープニングも裸のおネーちゃんのシルエットは出てこないし、がらっとイメちゃんするんだぞ!っていう制作サイドの心意気を感じた『007/カジノロワイヤル』でした。
そこそこいい出来なんだよね。でも‥‥ね、もうこれはボンド映画じゃない。
ただのよくあるアクション映画。
何年かたってこの映画をみて、これが007映画で面白かったんだって思えるのだろうか??

メンツ的に観ると、ポール・ハギスが入っているのが今回のすごいところかな。やっぱりそんな感じはしたよ。大ざっぱなストーリーにきちんとしたドラマの風味がつけられている。なかなか美味しく演出してるじゃん??って所もある。きっとここはポール・ハギスがあとからいじったんだろうなあって二やってしてしまう。
お話的にも原作にかなり忠実だそうな。‥‥が、ほんとにこれでいいの???

私自身は大人のドラマにドンパチのない演出ってのは好きなのだけど、これを007の名の下にやる必要ないんじゃないのかなあって思ったよ。これじゃまるでス◯イラインの名前だけもらった別の車みたいだ。
007って良くも悪くも<大人のおもちゃ箱映画>だったと思うんだよね。
もうひとつ『スターウォーズ』もおもちゃ箱映画だけど、あれは現実にないものをプラモデルとCGでつくったおもちゃ箱。同類にしてその対局の007ってのは実際にあるもので作ったおもちゃ箱。だから前回のCG小細工でつくられた007は全然面白さにかけてる出来になっちゃったんだけど、でも今回のはなあ‥‥こうなっちゃうとどうなん???って思うかな。

多分ダニエル・クレイグがボンドやってる間はもう見ない。
別に彼のせいではないけど・・・、やっぱり007はこうじゃないはず。。

by ssm2438 | 2009-01-20 23:10
2009年 01月 20日

コラテラル(2004) ☆☆☆☆

f0009381_20203640.jpg監督:マイケル・マン
脚本:スチュアート・ビーティー
撮影:ディオン・ビーブ
    ポール・キャメロン
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

出演:トム・クルーズ
    ジェイミー・フォックス
    ジェイダ・ピンケット=スミス

        *        *        *

いやいやなかなか面白かった。トム・クルーズもとっても良かった。これからこういう役、もっとやればいいのに。この物語の中ではビンセントというかなりインテリな殺し屋をやっているのだけど、このインテリ部分の台詞がとてもいい感じ。こういう台詞をきちんと図れるとついつい物語りをみいってしまう。覚悟のある人の言葉ってのはやっぱり素敵に聞こえる。
あと、撃つときダブルタップ(2回つづけて撃つ)で撃つのがよかった。しかし、いろいろ調べてみるとどうやら彼が使っていたのはH&K USP45、45口径だそうな・・。45口径弾だったら頭と心臓にいっぱつづでいいのに。
でも、これはそのサイトの表記がまちがっててじっさい9ミリ弾つかってる設定だったのかも。だったらなっとくいくのだけどなあ。。。なんでもSASの特殊部隊の隊員たちは、反動のすくない9ミリ弾で確実に殺すために2回撃つらしい。

マイケル・マンをはじめてみたのは『刑事グラハム/凍りついた欲望』(1986)だったのだけど、わざわざ劇場まで足を運んだ。その当時はほとんど印象のない監督さんって感じだったが、のちになってあれが『羊たちの沈黙』の前のエピソードにあたるんだって知ったときはちょっとだけ得した気分になった。
その後は・・『インサイダー』をみて、これは結構良かった。被写体に近づいて撮るカットがいくつかあって、それがきになったけど、というか、それはかなりマイナスポイントなんだけど、それ以外はけっこうよかった。ほかにも『ヒート』とかもあったけど、自分の中ではマイケル・マンは『インサイダー』がベストだなあ。

by ssm2438 | 2009-01-20 20:20
2009年 01月 20日

ホリデイ(2006) ☆☆☆

f0009381_1943287.jpg監督:ナンシー・マイヤーズ
脚本:ナンシー・マイヤーズ
撮影:ディーン・カンディ
音楽:ハンス・ジマー

出演:キャメロン・ディアス
    ケイト・ウィンスレット
    ジュード・ロウ
    ジャック・ブラック

        *        *        *

映画の構成としては決していいとはいえないこのスタイル。だって普通に考えれば片方だけで映画はつくれるんだから。それを2つの映画を二本にまとめて作って、それをなんとかつなぎめをホーム・エクスチェンジでつなぎ合わせてるだけ。これが正しいつくりだとは決しておもわないし、力がある人ならひとつひとつの話で映画を一本撮りたいと思うのだろうが、なんでこうなっちゃったんでしょう・・・。ただ、けっこうたのしく面白い映画になってることは確かだ。
でも次ぎ撮るならやっぱりきちんと一本の映画でとってほしい。目新しいってことで、とりあえず一本目だけはみとめられるだろうけど、2本やったらアホだ。

ホーム・エクスチェンジの結果、予告編製作会社を経営するアマンダ(キャメロン・ディアス)はイギリスの片田舎へ、アイリスはLAでクリスマス休暇をすごすことになる。きてみてあまりのなのもなさにやっぱり返ろうするアマンダのところに現れたグラハム(ジュード・ロウ)。アイリスの兄である。飲み歩いた週末は彼女のところで泊まっていくことがあるのだが、その人もべろんべろんに酔ってきてみると見知らぬ美女のアマンダがそこにいた。そんなこんなで結局エッチをしてしまう二人。しかし彼はバツイチで二人の子供と判明・・、ここでのアバンチュールにとどめておくべきだな・・と結論づける。
一方ロスにきたアイリスは、アマンダのゴージャスな家にびっくり。近所には有名脚本家もいるみたいだし、彼女の仕事仲間のマイルズ(ジャック・ブラック)という作曲家も新人女優をつれて遊びにくる。まさに夢のような生活。そんななか、ちまえの気立てのよさで彼らとも仲良くなってしまうアイリス。マイルズとアイリスのレンタルショップでのやり取りは最高。マイルズの即興炎のランナーは最高。あれみれただけで今後の語り草になる。
・・・そしてアマンダはグラハムと別れてハイヤーの乗るが・・・。
そして、新人女優と別れたマイルズは・・・。
最後はみなさんまとめてハッピーなニューイヤーズデイをロンドンですごすのでした。。

いやいやなかなか楽しい映画になってました。

by ssm2438 | 2009-01-20 18:55
2009年 01月 20日

エターナル・サンシャイン(2004) ☆☆

f0009381_18464693.jpg監督:ミシェル・ゴンドリー
脚本:チャーリー・カウフマン
撮影:エレン・クラス
音楽:ジョン・ブライオン

出演:ジム・キャリー
    ケイト・ウィンスレット
    キルステン・ダンスト

        *        *        *

ちょっとこねくりすぎ! 

もうちょっとシンプルにつくったらとってもとんでもない感動作になってたのに、策士策に溺れる・・。ううううう、ポテンシャルのある話だっただけにかなり残念。ただ、この話でいくならキャスティングはジム・キャリーでよいかな。基本の世界観がシュールリアリズムの話なので多少飛びぬけているキャラクターがそれほど不自然でもない感じ。

しかし、この映画はキルステン・ダンスト良かったね。彼女がこんなに輝いてみられた映画はほかにないんじゃないだろうか。

<あらすじ>
ここは記憶除去手術のある世界。そして記憶を消しあったカップルが再び出会う話。
バレンタイン目前のある日、記憶消去クリニックのラクーナ医院からジョエル(ジム・キャリー)に一通の手紙がとどく。そこには、クレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)の意思により、あなたとすごした時間に関する記憶を消し去ったので彼女の過去について絶対触れないように・・という連絡メールだった。
ショックを受けたジョエルは、自らもクレメンタインとの波乱に満ちた日々を忘れようと、記憶除去を専門とするラクーナ医院の門を叩く。医師たちが記憶を消していく間、無意識のジョエルは、クレメンタインと過ごした日々を逆回転で体験する。しかしやがて、ジョエルは忘れたくない素敵な時間の存在に気づき、手術を止めたいと思うようになるが、そのまま手術は終わる。
そして朝。家を出たジョエルは、衝動的に仕事をさぼって海辺へと向かい、そこでクレメンタインと出会う。意味もなくなにかを感じる二人。そんな彼らのもとに、消された記憶について二人がそれぞれ語っているテープが届く。テープから聞こえてくるお互いの悪口。しかし二人は、それでも改めて恋に落ちるのだった。

by ssm2438 | 2009-01-20 18:08