西澤 晋 の 映画日記

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2009年 01月 09日

ウォーリー/WALL・E(2008) ☆☆

f0009381_17393131.jpg監督:アンドリュー・スタントン
製作総指揮:ジョン・ラセター
脚本:アンドリュー・スタントン
    ジム・リアドン

期待がでかかっただけにかなり落胆。本来☆だけど、ロボットが可愛いのでもうひとつおまけ。しかし・・・物語作り手としてはいただけないなあ。

ピクサーの技術力だけみせられたかんじだけど、それだけ・・みたいな。ほんと、何年か前にみたソダーバーグの『トラフィック』みたい。この映画にあるのは「技術だけだ!ってだけかがコメントしてて、まさにそのとおりと思ったが、今回もそんな感じ。ピクサーもジョン・ラセター@『カーズ』アンドリュー・スタントン@『WALL・E』の二人が監督やったらだめですね。
もとものこの二人がピクサーの創始者なのだろうけど、映画人としての実力的にはぜんぜんひよっこで、あとづけてはいってきたブラッド・バードだけがまともに映画をつくれる感じ。

ブラッド・バードが作ると人間の哀愁がきちんとあるんだよね。
『ミスター・インクレディブル』にしても『レミーのおいしいレストラン』にしても、抑えられない自己顕示欲・・、しかし社会の一部であらねばならない・・みたいな人間的なバランスのゆれがとっても上手い。それが見ているわれわれにも共有できるのでドラマへの感情移入ができてしまう。

それにくらべてこ今回のアンドリュー・スタントンにしても、『カーズ』のジョン・ラセターにしても、「かわいい!」的な演出は出来ても、人間の本性がみえかくれする部分を暴けないというか・・、ドラマ作り手としては圧倒的にブラッド・バードに差をつけられてる。
たぶんこの差はうまらないだろうなあ。。

by ssm2438 | 2009-01-09 21:42
2009年 01月 08日

スペースバンパイア(1985) ☆☆☆

f0009381_695523.jpg監督:トビー・フーパー
脚本:ダン・オバノン、ドン・ジャコビー
撮影:アラン・ヒューム
音楽:ヘンリー・マンシーニ

出演:マチルダ・メイ

        *        *        *

下世話な映画だが、けっこう好きである。というか、トビー・フーパーだからといってそんなB級映画というわけでは・・・あるか。しかし、なかなかしっかりしているつくりなのだ。もちろんこの映画をみるひとはマチルダ・全裸・メイだけみればいいのだけど・・・。しかしマチルダ・メイの乳房は美乳だ。これほど美しい乳房はそうおめにかかれない。

<あらすじ>
1986年、ハレー彗星の調査に向かった宇宙船チャーチル号は、宇宙空間に浮ぶ宇宙船を発見。船長のカールセン大佐(スティーヴ・レイノルズバック)はクルーとともに探査に向かった。なかには巨大なコウモリ状の宇宙生物の死体と全裸の女一人が透明なカプセルに収容されていた。
一カ月後、欧州宇宙研究センターに安置されたカプセルから彼女(マチルダ・メイ)が起きあがり、ガードマンを誘い、抱きついた。彼の肉体から精気が美女に吸い取られ、またたく間にミイラの如くひからびたのだ。被害者は2時間すると、スペースバンパイアになってしまう。ついにロンドンの町で被害者が出始める。ロンドンではパンパイアの犠牲者がうごめきNATOは核攻撃を計画する。教会でカールセンは美女バンパイアと再会。全裸で美女バンパイアと抱き合い、自分自身と彼女を鉄くいで貫くと、大爆発がおきた。

by ssm2438 | 2009-01-08 05:43
2009年 01月 07日

シカゴ・ラプソディー(1986) ☆

f0009381_2040893.jpg監督:ロバート・マンデル
脚本:ハリー・コロンビー
    アラン・オームズビー
    ボブ・サンド
撮影:リチャード・H・クライン
音楽:ジョルジュ・ドルリュー/シルヴェスター・リヴェイ

出演:
マイケル・キートン (ボビー)
マリア・コンチータ・アロンゾ (デニス)

       *        *        *

ガキがうざい! 絞め殺したくなる(苦笑)。

コンセプト的には『アリスの恋』とにてるかもしれない。あれを男性側からとった映画といいましょうか。小うるさいガキとちゃきちゃきのお母さんの組み合わせに、この映画の場合はマイケル・キートン扮するアイスホッケーの選手がはいってくる。
原題は『タッチ・アンド・ゴー』なのだが、マイケル・キートンか、マリア・コンチータ・アロンゾのファン出なければ面白くはないだろう。不幸なことに私はマリアのファンなのでわざわざVHSを買ってみてしまった(苦笑)。

<あらすじ>
「ザ・ホーネット」の愛称で呼ばれているNHLのプロ選手ボビー(マイケル・キートン)は、アグレッシブなファイトでシカゴのファンに愛されていた。チームはプレーオフを決め夜、駐車場で一人の少年に声を掛けられる。彼はおとりで、若い男が3人ほど現れボビーの金目のものを盗もうするが、ボビーの車の盗難防止アラームが鳴り響き彼らは逃げ出す。しかしその子供を捕まえる。
まだガキのくせに犯罪に手をそめるんじゃないと叱咤、親元に届ける。その親というのはヒスパニック系のちゃきちゃきのシングルマザーのデニス(マリア・コンチータ・アロンゾ)。彼女はアパレル業界で自分の店をもつことを夢見て働いていた。
これから3人の関係はさりげなく深まっていく。しかしボビーの遠征中に、冒頭で彼をおそったチンピラ3人がデニスの家に押入り彼を犯してしまう。

こんなエピソードが必要だったのかな???

ドラマはそんなこともあり、お互いが大切な人だと認識し、ボビーは引退後の生活の保険のためにデニスに投資、彼女に店を持たせてあげるのでした。

by ssm2438 | 2009-01-07 20:40
2009年 01月 06日

黒い福音(1984) ☆

f0009381_10151093.jpg原作:松本清張
監督:増村保造
脚本:新藤兼人
音楽:坂田晃一

出演:宇津井健
    ジョン・エクスティン
    片平なぎさ

         *        *        *

この作品は映画ではなく、TBSが制作した松本清張スペシャルの一作品。しかし監督・脚本が増村保造・新藤兼人のコンビだし、制作に霧プロダクションがからんでいることから、テレビの2時間ペシャルといえどもかなりの出来ばえではないかと期待した。
実際作品の性質上、年代を昭和34年に限定せねばならず、これを再現すること自体がかなり難しそうに思えた。鷺宮や荻窪、善福寺川など、我々アニメ業界の活動拠点として日常と追っている場所が登場するが、原作に登場するその風景はほとんど人気のない沼や田んぼのなかに舗装されて内道路がとおっているというようなもの、今の風景からはとても想像できない。それを再現しようにもほとんど無理な話であり結局そこだけをセットでつくることになるのだが、全体図が見せられないのでじつに大雑把に見えるし説得力がない。ま、それはいたしかたないことか。。。
しかし当時の車をあつめてきているのは感心した。よくあの当時の古い車が動く状態でのこっていたものだ。今はCGで作れば作れるのだろうけど、1984年の年代を考えるとかなりの難題だったのだろう。それを判ってこの原作の映像化に踏み切ったのはかなり勇気ある決断だったといえる。

しかし、作品としては宇津井健のやたらとテンション高い芝居が空回り周り気味だった。松本清張の作品はあくまで理詰めの状況証拠から真実が次第にみえてくるところが感動するのであって、本作のようにその気になって感情をぶつけているとおかしく見える。私は増村保造のファンだが、今回のこの芝居付けはいただけないなあ。

物語は昭和34年に実際にいきたスチュワーデス殺人事件を、松本清張なりに独自解釈したものだ。ゆえにフィクションとして書かれているが、実際の神父の名や協会の名、善福寺川の名称も変更されている。

ただ、片平なぎさはとても可愛くみえる。これは松本清張の作品にでてくる女性みんなにいえることなのだが、明らかに可愛らしすぎる。いじらしすぎる。これはあくまで清張自身の女性の理想像が投影されているのだろうと思う。
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by ssm2438 | 2009-01-06 10:15 | 松本清張(1909)
2009年 01月 06日

夜霧のマンハッタン(1986) ☆☆☆☆

f0009381_2356112.jpg監督:アイヴァン・ライトマン
脚本:ジム・キャッシュ
    ジャック・エップス・Jr
撮影:ラズロ・コヴァックス
音楽:エルマー・バーンスタイン

出演:ロバート・レッドフォード
    デブラ・ウィンガー
    ダリル・ハンナ
    ブライアン・デネヒー
    テレンス・スタンプ

     ×     ×     ×

アイバン・ライトマンと言えば、『ゴースト・バスターズ』が有名ですけが、基本的に敷き居の低い作品をつくるひとで、ヘビー級の映画ファンには物足りない部分はおおいでしょうね。私もどっちかというとそういう系統ですけど、それでもなこの監督さんの軽さがうまい具合に作品とマッチして、とっても見易い楽しい会話劇にしあがっているのがこの『夜霧のマンハッタン』

お話をざっと紹介すると・・・、 その昔、在る画家デアドンがその娘チェルシーに絵をプレゼントした。しかしその誕生パーティの席が火事になり、デアドンは死に娘にプレゼントした絵が盗まれた。 やがてその娘は大人(ダリル・ハンナ)になり、絵を取りかえそうとしてテレンス・スタンプの経営する画廊に盗みに入るが警察に捕まってしまう。
彼女は「その絵は私が子供の頃父から誕生日のプレゼントとして送られた物で、絵の裏に<娘への誕生日のプレゼントとして・・>の添え書きがある。その絵は自分の手許にあるのが当然、盗みではない!」と主張。一方、盗まれた側の画商(テレンス・スタンプ)は、「そんな事実はない。そんな証拠もない。この絵は私の画廊が所有すてるもので、彼女はそれを奪った!」と主張。彼女の弁護人がデブラ・ウィンガー、検察側をロバート・レッドフォードが担当するようになる。「もし、その絵の裏に娘へのメモ書きあるならこの公判はとりさげよう」と検察側の弁護士と被告側の弁護士が一緒になってちょっとした下調べを始める。
テレンス・スタンプの画廊に行き、その絵をみせてもらうが、裏にはなんのメモ書きもない・・・。しかし、その後テレンス・スタンプも「彼女がその画家の娘さんだとはしらなかった・・・、この絵は今となっては私の所有する物だが、そういう事情であるなら今回の公判はなかったことにしよう」とさっさと訴えを取り下げてしまった。 釈然としないデブラ・ウィンガーとロバート・レッドフォード。そんな時チャイムを鳴らす音、ドアをあけるとそこにはダリル・ハンナがいて、「誰かに追われている、助けてくれ」と駆け込んでくる。一方デブラ・ウィンガーのもとには、別の署の刑事が現れ「デアドンの死は事故ではなく殺人だ。当時その事件を担当していたがその事実は揉み消された」と伝え、そのときに関系書類を置いて行った・・。 そしてある夜、ずぶ濡れのダリル・ハンナが再びロバート・レッドフォードの部屋をおとずれて・・・・。
翌朝、二人がベットで寝ていると、突然礼状をもった警察がなだれ込んで来て彼女を逮捕してしまう。聞けば昨夜テレンス・スタンプが殺されたと言う、容疑者はダリル・ハンナ・・・、その彼女と寝てしまったことがゴシップ記事になり結局ロバート・レッドフォードは検察を辞める事になってしまう。 そんな彼にデブラ・ウィンガーは一緒に彼女の弁護をしてくれと頼む。かくて、ふたりの弁護士は共闘してダリル・ハンナの弁護をするとともに、親ぼくを深めていくのであった・・・(苦笑)。

作品自体はとってもチープといいましょうか、極めて普通 の出来なのですが、 とにかくデブラ・ウィンガーとロバート・レッドフォードの会話が楽しい。 デブラ・ウィンガーといえば、最近ロザナ・アークエットの監督作品で『デブラ・ウィンガーを探して』って映画がありますが、その、今ではもう引退してしまった彼女がスクリーンで一番輝いていた作品はたぶんこれだとおもうくらい、とっても綺麗。あの目の大きさ、ヤッピースタイルのきまってること、かっこいい髪型、明るさと、力強さを、ユーモアのセンスが一緒になった活発的な綺麗さ。
デブラ・ウィンガーファンなら是非とも観ていただきたい作品ですね。 ついでももうひとつアイバン・ライトマンの作品のなかで秀作を紹介しちゃいます。

『デーブ』、これも素晴らしい。 これは、大統領のそっくりさん(ケビン・クライン)が、突然シークレットサービスに「国家のために・・・」とたのみ込まれて替え玉 の仕事を受けてしまう。
ひごろから芸達者ケビン・クラインは大統領の物まねとかもやってて、役目はユーモアのセンスたっぷりにその場をこなして帰路についたのだが、突然呼び戻されてしまう。 大統領が昏睡状態に落ち入った・・・、どうする?? そこでしばらくの間、そのままケビン・クラインを大統領の替え玉としてつかっていこうということになる。突然一般庶民が大統領の権力をもったら・・・・、そんなファンタジックな夢を時にシニカルに、時にハートフルに仕上げたのがこれ。『夜霧のマンハッタン』ともども、一度てにとってみてください。

こういうパーティは年に何回かあるのだけど、その中の1回か2回は顔を出すようにしてる。
歳をとると、自分を知っている人の間でついつい収まりがちになるのを、ちょっと強制的に知らない人の中に身を置いて、コミュニケーションとる機会をもってみるのも大切かなっておもったりする。居心地の良くない空間を、あえて居心地の良い空間に感じられるように人と頑張って触れていく‥‥みたいな、こういうのが出来なくなってしまうと、世界は閉じていくだけかなって思うのでした。

by ssm2438 | 2009-01-06 04:51 | アイバン・ライトマン(1946)
2009年 01月 05日

河童のクゥと夏休み(2007) ☆☆

f0009381_1825211.jpg監督:原恵一
脚本:原恵一

声の出演:田中直樹
       冨沢風斗

この映画をみたのは西東京市から車で45分くらいの武蔵村山市のダイアモンドシティ。すっごいショッピングモールだね。きれいだし。
本編の主人公のうちがあるのが東久留米。なのでなんだかちょっと新宿なんかでみるよりも、わざわざ遠出して、東久留米とおりこして、武蔵村山まできて、ほんの少し田舎っぽい感じのなかでこの映画をみられたのはよかったかなって思ったよ。

で、内容的には、ほんとに、普通に創ってあった。Yahoo! 映画のコメントみるとやたらと無理やり感動しようと努力して感動してるようなコメントもあったり、むりやり環境問題とリンクさせようとしてるものもあったらりと、ちょっと勘違いコメントがおおいぞってのもみてから分かりました(苦笑)。普通に普通の家庭のなかに、河童がはいりこんだらこんな感じかなってのは自然にかいていったかんじ。
「いい作家はひとつしか嘘をつかないけど、ヘタな作家はいっぱい嘘をつく」っていう言葉がありますが、ひとつしか嘘をつかないで創った映画って感じで好感はもてました。


この映画のいいところは、環境破壊とか、人間の業とかを否定せずにドラマを作ってるところなんだろうな。
ひとそれぞれにはそれぞれの事情ってものがあり、そのなかで誰かに迷惑をかけると分かっていても譲れない想いや、やってしまわねばらないない感情とかがあって、それを含めて人間の社会なんだよね。つまり、「他人に迷惑をかけないこと」がいちばん大事なんじゃなくて、他人に迷惑をかけてでも、世界中を全部敵に回しても、やらなければいけないことってあって、それをやらなければいけないときはやってしまえることがとっても大事。それこそがその人が生まれた意味なのだから。
その結果として今の我々の社会があって、そのこと自体を受け入れたなかで物語を語っている。それが素敵。
この映画のなかでは、河童や、上原家の人々に不利益を投げかける人もいるんだけど、でも「ああ、でもそれも仕方ないよね」って許せる見せ方をしてる。

でも、あの台詞は好かんかな。
冒頭、御代官様(?)に「竜神沼の開発はやめてくれ、おらたちが住めなくなる」って懇願するクゥの父ちゃん、しかしその代官は恐怖で斬り殺してしまう。
そのまえの「開墾は村人のためではなく、私利私欲のため」っというような会話があり、それを聞かれたかもしれないってことも斬り殺してしまうモチベーションの一つにしていたのだけど、トータルなつくりからするとちょっとお子様に媚たきがしたかな。
子供向けにするにはそういった「こいつ悪者ですよ」みたいラベルはらないといけないのかもしれないけど・・、まあ、作り手心理としては、嫌だなとおもいつつも、どうしても一般ピープル向けにはそういう子供向け表現も仕方がないかなって思いながらついつい入れてしまう部分ではあるのだけれど。

でも、全体としてはきわめて理性のきいた話になっていた。人間社会のそういった衝突の中で、もちろん誰かが被害者になり、だれかが加害者になることは仕方がないこと。この仕方がないことって受け入れられることがとっても素敵。
そのためには、自分が被害者にされることを受け入れないとそのメンタリティには到達できないってことで、そこに到達してるから描ける話になってるってこと・・それが素敵。
これが、そこに到達できない人だと、ひたすら被害者擁護で、加害者非難で、捕鯨反対映画をとるしかなくなる。
原さんの一連の話をみてて思うのはそうならないメンタリティが素敵だ。

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』にしても『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』にしても、今回の『河童のクウと夏休み』にしても、ある種の潔さ=美しさがあるんだよね。
それって、犠牲になることを受け入れたスピリット。

他人のための自己犠牲という意味ではけっしてない!!!
他人のための自己犠牲という意味ではけっしてない!!!
他人のための自己犠牲という意味ではけっしてない!!!

3回くらい書いておこう(笑)。

人間の社会、それは自然の一部なんだけど、そのなかには、排除されるものと、排除するものが常に存在する。それがあるから自然はつねに浄化され、すこしづつ、進化していくのである。
もし、その機能がなかったら、ウンコのつまった万年便秘状態になり内側から腐っていくだろう。

原さんのスピリットには、
自分が排除される立場にもなりうることも受け入れてるし、
排除する側になる立場になることも受け入れている。
その立場にたったそれぞれの人の生き方が描かれてるから美しいんだよね。

それはおマタのおじさんにしても、姫さまにしても、今回のクゥにしても、上原家の人々にしても、菊池(みんなから村八分にされてる女の子)にしても、みんながそれを受け入れてるから美しいんだと思うな。受け入れてなおかつ、自分なりのスタンスを決めて、ま、それが排除される側なら仕方ないか・・って潔い。

これが、たとえば、むやみに反戦をとなえる人たちが、なんでさりげなく醜いかっていったら、きっと彼らは、「もし自分が戦争にいったらやっていけない、なんとか戦争ということ自体にまきこまれないようにしなければ・・」ってメンタリティが先に働いて、それが結果として立派な理論を形成して戦争反対にいたるのだけど、結局は「自分は排除されたくない」が基本になって、それをひたすら別の言い訳で隠しとおしながらなんとか恐怖からのがれようとする。
その臆病さが醜いんだよね。

誰だって排除されるのは怖いけど、かといって排除するシステム否定したら全体系がなりたたなくなる。大人になるってのは、この排除されるシステム、排除するシステムに参加するってことなんだと思う。
子供のころは、親にまもなられて排除されることがないように出来ている。
でも、すこしづづ、学校などの集団活動で、排除され、排除することを経験していくんだけど。
それでも、あまりにも臆病さを押し殺せないひとは排除するシステムを受け入れられないまま大人になり、だからこそ同じように臆病な排除されるの怖いぞゲットーを形成し、排除される側を擁護し、排除するものをなんでもかんでも非難するようになる。
そんな人はつねに美しい理論を語るのだけど、なにか嫌はものを感じさせる。
それがいわゆるルサンチマンなんだけどね。

美しくあるためにはルサンチマンを排除しないといけないんだ。
・・と、『河童のクウと夏休み』をみて、しばし考えて、そんな答えがでた。
ま、これは社会人としては当たり前のことだけど、その当たり前ができてなく、被害者擁護、加害者非難が正義だと勘違いしてる大人になれない子供がおおい今の時代に、きちんとこういうスタンスで描けるの人はいることはとってもいいことだ。


・・が、どうにも作画力の弱さはいただけない。

クレしんでこれやったら確かにいいものになったかなってきは確かにする。
クレしんって、作画にゆがみがあって、下手に絵にしても受け入れてもらえる土壌がそこにある。それってけっこう重要なんだよね。
こんかいみたいに正面きって普通の作品としてやってしまうとどうしてもある程度以上の作画力が要求されてしまう。その点においてはちょっとしんどかったかなってきがした。

by ssm2438 | 2009-01-05 13:24
2009年 01月 05日

ビッグ(1988) ☆☆☆☆

f0009381_23242891.jpg監督:ペニー・マーシャル
脚本:ゲイリー・ロス
    アン・スピルバーグ
撮影:バリー・ソネンフェルド
音楽:ハワード・ショア

出演:トム・ハンクス
    エリザベス・パーキンス

     ×     ×     ×

個人的にこのころのトム・ハンクスってかまととっぽいというか、人畜無外だぞ光線をだしまくっててちょっと嫌だったんですけど、これはさすがにやられましたね。この映画の主人公をだれにやらせるか?っていったらやっぱりトム・ハンクス以外には考えられない。あのガキっぽさは天下逸品です。 トム・ハンクスの魅力っていうのは、なんでいうんでしょう、ドラマと観客との距離を圧倒的に身近にしてくれるその親近感。

ちょっとドラマのメカニズムについて話しましょう。
エンタテイメントなドラマっていうのは、早い話、<観ているものをドラマの主人公と共鳴させて、ドラマのなかで最後に主人公の勝利を描きつつ、観ている者にその感動を与える>ってものです。どんなに目の前で展開されてる絵がアクションばりばりの派手な画面でも、そこに感情移入がないと退屈なだけです。演出という仕事はこの<感情移入をどう観ている人におこさせるのか>という部分を担当するものだといっていいでしょう。
で、もうひとつ赤裸々なネタばらしをしちゃいますと、感情移入っていうのは、実は<弱さ>にしか起きないんです。 主人公が強いシーンをみても誰も感情移入しません。<強さ>ってのはそれを現実にできるひとには理想であり、出来ないで憧れる人にはファンタジーなのです。 本来誰もが隠している弱さ、これをこそっと出してやる。そうすると、みている者はそれに共感し、安心してしまえるんです。
しかし、その為には魅せるがわのほうが弱さを暴露しなければなりません。これができる人と出来ない人がいて、アニメ業界のライターさんかはほとんど出来ないですね。漫画家さんんが、アニメーターより絵がそんなに上手くないけど偉いのは、この弱さの暴露ができちゃうからなんですね。だから人を魅了するものが書ける。ドラマというのは、主人公の弱さをみせて観客に感情移入させ、最後の勝利させ、観客を同時に満足させるというものと言い切ってもいいでしょう。そのために、ライターは監督はいろんな手段をとるのですが、このトム・ハンクス、どんなに監督が下手でも、ライターが下手でも、観客に感情移入を引き起こしてしまいます。これはもう、彼の親近感以外のなにものでもないですね。

ちなみに、7月3日はトム・クルーズの誕生日ですけど、こっちはどっちかというと<強さ>=ファンタジー/理想の偶像ですよね。 ついでだから他の有名どころの蟹座の男優さんの紹介もしときましょうか。

7月6日生まれ  シルベスタ・スタローン
7月8日生まれ  ケビン・ベーコン
7月11日生まれ ユル・ブリンナー
7月14日生まれ ハリスン・フォード
7月21日生まれ ロビン・ウィリアムス

あ、誤解するかもしれないのでこの点は強調したいのですが、 この監督とライターは素晴らしいです。
この監督さんペニー・マーシャルは、メグ・ライアン主演の『恋人たちの予感』の監督ロブ・ライナーの元ワイフ。 ペニー・マーシャルの他の作品で有名なのは『プリティ・リーグ』『レナードの朝』、いいですね~~~~。 『プリティ・リーグ』なんかもう、不覚にもぼろぼろ泣かされてしまいました。 あと、この映画がすごいのは、おわったと、 あと15年後どうなってるんだろう・・??ってその後のストーリーを観てる者につくらせてしまうポテンシャル。
あの男の子が、大きくなったら彼女を探すんだろうか・・・? 彼女は、彼が再び自分のまえに現れてくれる事をひそかにまっているんだろうか・・・? でも、会った時には、お互いに誰かしたつきあってる相手がいるだろうし・・・・、 そんなことを思うとどんどん自分で新しいシナリオが沸き上がってくる楽しさ。 これを観客のなかに残したことが、この映画の一番の素晴らしさだとおもったりするのでした。。。

by ssm2438 | 2009-01-05 07:44 | ペニー・マーシャル(1943)
2009年 01月 05日

題名のない子守唄(2006) ☆☆

f0009381_18452340.jpg監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
    マッシモ・デ・リタ
撮影:ファビオ・ザマリオン
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:クセニア・ラパポルト

     ×     ×     ×

ぬぬぬぬ~~~~、ジュゼッペ・トルナトーレもう終わってるかも。どんどん降下の一途をだどってるよう泣きがした。この人のよさって「あざといまでの見心地のいい映画を撮る」って所だったと思うんだけど、今回のは全然見心地が良くない。私自身は全然見心地よくない映画はOKなんだけど、今回のこれはどうなん??って思ってしまった。

トルナトーレって、良くも悪くも映画技術オタクな部分はあって、これはソーダスバーグとも実は似てたりする。なので、それが綺麗に機能してると『ニューシネマパラダイス』みたいなものにも仕上がるのだけど、幼稚性っていうのも同時に内在してるようなきがするんだ。
それが徐々にでてきてたのが前回の『マレーネ』
今回の『題名のない子守唄』って露骨に彼の幼稚性が出たようなきがした。
ストーリーを通り越して「これはこれを撮りたいから撮るんだ」って。
この人の内側に小児愛好症ってあるんじゃないのかなって思ったよ。
あの子を縛ってなんども倒しては起き上がらせるシーンが必要だったん???
その欲望を昇華したいのならもっと他の映画で撮ればいいのにって思ったよ。

べつに、彼が小児愛好症もっててもいいし、それが映画のなかで撮りたいなら撮ってもいいと思うのだけど、映画の全体性からみて、なんだか不釣合いだったような・・。以前だったらそれはカットできてたんじゃないのかなあ。それがなんだか強引に「オレの趣味だからいれる」みたいな感じをうけたなあ。
別に「オレの趣味だからいれる」もいいと思うんだけど、彼くらい名前できてたらもう、それはそういう作品で・・って別にところにもっていけたような・・、それを入れ込むってのがどうもバランス崩してるよう気がした。

自分が撮りたいものと、作品として必要な部分としての整合性・・、
このバランスが、『マレーネ』のころから狂いはじめてて、今回の『題名のない子守唄』にいたってはもうがたがたに崩れてる。映画を愛してるというよりも、映画をアビューズしてるって気がした。

私はこのトルナトーレってやっぱり気にするべき監督さんだと思うんだけど、
『ニューシネマ・・』の監督さんだからってだけで、今回もヨイショしていいのか??っていうとどうも違うような気がする。
この人、すごく映画をみせるツボってのを持っている人で、それにごまかされてお話は飽きないようにはできているけど、実に食い合わせが悪いコンテンツだったなあ。。

今回、5点満点の1・5。

by ssm2438 | 2009-01-05 06:39 | G・トルナトーレ(1956)
2009年 01月 04日

イルマーレ(2001) ☆☆☆

f0009381_234082.jpg監督:イ・ヒョンスン
脚本:ヨ・ジナ
撮影:ホン・ギョンボ
音楽:キム・ヒョンチョル

出演:イ・ジョンジェ
    チョン・ジヒョン

     ×     ×     ×

物語りの設定をざっと説明しちゃうと、あるモノを媒介に二つに時間が交錯しつつ、そこで過去と現在がコミュニケーション出来ちゃうお話。今やってる『犬夜叉』も古井戸を媒介に現在と未来が連結されてるけど、この『イルマーレ』もそう。同じようなシチュエーションで『オーロラの彼方へ』って映画もありましたね。
で、今回の『イルマーレ』では、郵便ポストを媒介にして、1997年と1999年という、実に近い時が繋がってる。ある建築家の息子が「イルマーレ」と名付けあられた海辺の家に越してくる。その家は、彼の父が設計したけっこうオシャレな家。ふとなにげにポストを開けてみると手紙がはいっている。その手紙は、2年後未来にその家に住むことになった住人が、引っ越す時に次の住人に宛てた手紙だった。物語は、その彼女(1999年に住人)がそこを出て行く時に、新しい住人宛に手紙をポストに残すことこから始る。次の借り手が見つからない間、時折その家をおとずれてみる彼女、ふとポストをあけると手紙がはいっている。それは1997年にそこに住みはじめた青年からの手紙だった。 そして二人は2年という短いすれ違いの時間を経て手紙の交換を始めことになる。
2年前に駅のベンチに忘れたウォークマン。 その話をきいて、その日、その時間に駅のホームにいってみると、慌てて電車にのる彼女の姿。 ベンチに忘れられたウォークマン。 そして次の日彼はそれをポストに入れると、1999年の彼女のもとにもどったりする。 で、そのテープをきいてみると声優の練習をしてた自分の声がはいってたりし、そのうち、「カセットはもどったかな?」っていう彼の声がはいってたりする。 彼がいつも散歩する並木道、その先にワイン専門店があって彼はいつもそこで飲んでいるんだけど、 2年後の彼女宛にワインを残してる。 彼女がその散歩道を言われるままに歩いていくとそのワイン店があり、入ってみると2年前からの彼からのワインのプレゼントがのこってたりする。 お互いがそんな手紙のやりとりをしつつ、会おうってことになる。 2000年、◯月◯日、(この時点では、もう彼女は新しい年をむかえて2000年になってる)  私にとっては1週間さきだけど、あなたにとっては2年先よ。  覚えていられる? そして待ち合わせの場所にむかう彼女、 しかし彼はついにあらわれなかった・・・・・。
・・・・・・何故?

いや~~~~、実に絵がいいんですよ。 雰囲気的には岩井俊二的なテイストといっていいんじゃないかなあ・・・。 みててとっても気持ちがいいんです。 主人公の住んでいる部屋とかはとっても近代的なお洒落な空間になってるんだけど、街並はちょっと古かったりして、 なんか違和感はあるんですけど、それが今の韓国なんだろうなあ・・って。 主人公の彼女は、声優さんって設定。これまた新鮮で親近感がある(笑)。 考えてみるといままで声優さんをネタにしたお話がないってのも不思議なもんだ。 ラストに至るまでの段取はほんとに気持ち良い映画です。
ただ・・・、強いて言うならそのラストシーン・・・・・、もっとなには他になかったんかなあって思ったりもする。 実に惜しい。 でも、そこに至までの気持ちよさはとってもお勧めの映画です。 ついでだからもう1つアジアの恋愛映画で燃えるものを紹介しておこうかな。

『星願・あなたにもういちど』
☆☆☆、実に普通 の恋愛ボロ泣きトレンディドラマ、1999年香港制作の映画なんですけど、香港映画の取って付けたような強引なアクション繋ぎとかもないし、個人的には香港映画って大大大ッッッ嫌いなんですけど、これはもうぼっこぼこにやられました。 新宿の映画館でみたんですけど、劇中4回くらい泣かされましたね(笑)。『天国から来たチャンピオン』☆☆☆☆☆のイメージをそのままに恋愛ドラマに置き換えてるんですけど、我々の世代だとそれだけでも懐かしい想いがするかも・・・。ついでのついでだからもうひとつ。
台湾の恋愛映画なんだけど『恋恋風塵』☆☆☆☆。 いまからほぼ10年前くらいにやたらとホ-・シャオシェンブームがおきたんですけど、 そのころの彼の映画の1つ。 いや~~~~、こっちはせつないですね~~~~。心に沁み込んできちゃいます。 ヒロインの女の子、シン・シューフェンが妙にいいんだ。 アジアの映画って古めかしいシチュエーションの中で、人情芝居で見せる映画って印象が拭いきれない部分はありますよね。 文部省が褒めても、あるいは偉い映画評論家のおじいさん方が褒めても、 見ればたしかに良い映画なんだけど、でもあえて見たいと思わない、今の我々が憧れるものがない、 そんな印象があるのは事実で、実際にそういうものがまだまだおおいんですけど、 でも、韓国・香港なんかはだんだんとハリウッド並にエンタテイメントしつつ、 見る者が憧れるに値する恋愛映画が出来て来てます。

by ssm2438 | 2009-01-04 22:44
2009年 01月 04日

ペーパー・ムーン(1973) ☆☆

f0009381_2026108.jpg監督:ピーター・ボグダノヴィッチ
脚本:アルヴィン・サージェント
撮影:ラズロ・コヴァックス

出演:
ライアン・オニール (モーゼ)
テイタム・オニール (アディ)

       *        *        *

うむむむ、ちょっと過大評価されすぎてる作品のような気がする・・・。


中学生のころテイタム・オニールのファンでした。くわぁいい! 足しがリアルタイムでみたのは、『がんばれ!ベアーズ』と『リトル・ダーリング』くらいで、あとはビデオ鑑賞だったのだけど、それでもスクリーンにのっているかの女の写真にはあこがれました。けっして美人というわけではないのだけど、なんかよかったんだよなあ・・。マッケンローと結婚したって聴いた時はショックでしたよ(苦笑)。

そのテイタム・オニールがアカデミー助演女優賞を最年少でとったという記録的映画がこれ。長年みたくてみたくて、やっとこさNHKかなにかでみたのがこの映画。いやあああああ、長年みたい欲求がありあまってて(苦笑)見たものだからちょっと期待しすぎだったかな・・・。

正直な話、おもったよりときめかなかったというのが事実・・。
被写体に近づきすぎるカメラがどうも嫌で・・・。これってピーター・ボクダノヴィッチの趣味なんですかね。『ラスト・ショー』のときはそれほど違和感、感じなかったのだけどこの映画ではちょっと嫌だったなあ・・・。

<あらすじ>
親が自動車事故で亡くなったアディ(テイタム・オニール)の身寄りはミズーリにいる叔母だけだった。その葬式のとき、モーゼ(ライアン・オニール)は、牧師夫婦からアディを叔母の家に届けるように頼まれてしまった。しかし、彼は交通事故を起こした男の兄を訪ね、示談金200ドルをせしめ、その金でいままで乗っていたボロの30年型フォードを新車に買い替え、邪魔っけになったアディを汽車に乗せてポイしようとした。ところが、アディはお利口さん。モーゼが200ドルカモるのを立ち聞きして、私のおかげだからお金だから返してと主張する。こうしてけちな聖書のセールスマンと少女の旅は始まった。
彼の聖書の売り方は、新聞の死亡記事を見て、未亡人を訪ね、彼女の名前を金文字で入れた聖書を見せて、亡くなったご主人に注文されて参上したとまくしたてる。ついホロッときた未亡人から、まんまと小金をせしめる、というやり方だった。そこにアディのアドバイスが加わる。相手が金持ちとみればふっかけ、貧乏人とみればタダ、ヤバイとみればモーゼの手を引いてドロンという寸法だ。
こうして二人の旅は順調にいくように見えた。しかし酒の密造屋だった男をかもにして620ドルのあぶく銭を手にしたものの、執念深く追ってきた保安官たちに見つかって有り金を残らず巻き上げられてしまう。
無一文ではどうしようもない。モーゼはアディを叔母の家に届けることにしたが、別れがたい二人はやっぱりひっついて旅を続ける。

by ssm2438 | 2009-01-04 20:26