西澤 晋 の 映画日記

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2009年 01月 04日

惑星ソラリス(1972) ☆☆☆

f0009381_1805218.jpg監督:アンドレイ・タルコフスキー
原作:スタニスワフ・レム
脚本:フリードリッヒ・ガレンシュテイン
    アンドレイ・タルコフスキー

出演:ナターリヤ・ボンダルチュク
    ドナタス・バニオニス

     ×     ×     ×

人類補完計画‥‥ってなに?とうちにかみさんに聞かれて、
「それは地球を惑星ソラリスにすること」と答えた。これ合ってるのだろうか?? 
なにせ『エヴァンゲリオン』はあんまり見てないので予測でしか答えれない。

まず最初に「補完計画」ときいて思いつくのは『ぼくをさがして!』という絵本。
パックマンの形をした「ぼく」がごろごろ転がりながら扇形にぬけおちた口の部分をさがして旅をするのである。見つかったかと思ったら小さすぎて、はめてみてもずぐおちてしまう。今度こそはと思いきや、今度はジェリーのチーズみたいに大き過ぎる。そして最後にぴったんこのパーツをみるけるのだが‥‥という話。
実に人類補完計画をシンプルに表現した絵本だった。

じゃ、なんで惑星ソラリスなのか?
そもそもソラリスとはなんぞや?ということになる。
とりあえず惑星ソラリスの設定はレムの原作のなかにあるのだろうろうが、私はべつのアングルから考えた。

ここでアンリ・パウリの排他理論が登場する。
『ホーキング、宇宙を語る』から排他原理に関するパートを抜粋。

 パウリの排他原理は、二つの同じような粒子は、同じ状態をとることができないと述べている。
 つまり、この二つの粒子は、不確定性原理の課する制限の中で、
 位置と速度の両方が同じになることがで きないのである。
 <中略>‥‥もし、この世界が排他原理なしで創造されたとすれば、
 クォークは別々の、はっきり確定した陽子と中性子を形づくらなかっただろう。
 そして、それらが電子といっしょになって別々の、
 はっきり確定された原子を形づくることもなかっただろう。
 原子は、すべて崩壊して、ほぼ一様な高密度の”スープ”を形づくったことだろう。

そう、この“スープ”の状態がたぶんソラリスなんだと考えた。だからソラリスは社会主義体制の旧ソ連でその映画化が可能だったのだ。

この宇宙に排他原理が存在するから、原子をそのまわりにの世界との間に境界線があり、地球と宇宙の間に境界線があり、自分を自分を含む社会との間に境界線があり、我々の体がひとつひとつが細胞膜で仕切られ、国家はも国境でしきられているのである。そして境界線があるから、その境界線の内側にはある種のアイデンティティが生まれ、それゆえに方向性が存在し、その総合体としての社会は変動し、進化するのである。
もちろん(↑)は個人主義の理屈であり、アンチ社会主義の理屈である。全体系が決定されてしまった以上、進化はそれで終わり、それすなわち死に至る。

人類補完計画とは、この地球からパウリが唱える排他原理を強制排除した世界なのだろう‥‥と、そしてその具体的なビジュアルは私にとってはソラリスなのだ。

by ssm2438 | 2009-01-04 04:00 | A・タルコフスキー(1932)
2009年 01月 03日

ジャングル・フィーバー(1991) ☆

f0009381_2212659.jpg監督:スパイク・リー
脚本:スパイク・リー
撮影:アーネスト・ディッカーソン
音楽:スティーヴィー・ワンダー

出演:
ウェズリー・スナイプス (フリッパー)
アナベラ・シオラ (アンジー)

       *        *        *

やっぱり駄目だ・・・。この監督とは波長があわない。魅せられるもの総てがくだらないと思えてしまう。でも、そのスパイク・リーのなかではまだみられるほうだったんじゃないだろうか・・。

有能な建築デザイナーフリッパー(ウェズリー・スナイプス)は経営者から新しい白人の秘書アンジー(アナベラ・シオラ)を紹介される。家に帰りたくなくて残業していたアンジーとフリッパーは話すうちに、その場でセックスをしてしまう。フリッパーは経営陣に加われないことを知ると会社を辞めた。2人は人々の冷たい視線を浴びながら関係を続けていたが、事がバレ、家から追い出されるフリッパー。アンジーもバプティストの父親の鉄拳を受けて家を出、2人はアパートで暮らし始めるが、浮気相手が白人女性だったこと、浮気相手が黒人男性だったことが、二人の周りの社会に不協和音を加奈で始める。

ストーリーは悪くないのだが、とにかくスパイクー・リーの見せ方がど下手。夜勤(?)でのウェズリー・スナイプスとアナベラ・シオラとの会話があるのだが、本来ムードあるべきとこなのに、このスパイクー・無能監督・リーはこれを一方がしゃべると、その人にカメラをふり、もう一方がしゃべるその人にカメラを向ける。これを連続するので、ムードぶち壊し。こういう見せ方はカメラの存在が映画のなかにあることを観客にわからせてしまうので情緒ある物語としてはまったく不適切。ウディ・アレンのモキュメンタリー系の映画ならまだわかるのだけど・・・、スパイクー・無能監督・リーはカメラ/視点の持つ意味をまったく理解していない。それだけでなく、人工的な演出がどれだけ興ざめさせるか全く判ってない。きちんとした演出が出来ないアホが、とりあえずパフォーマンスしてるだけの変化をつけた見当違いのアホ演出。カット割りとか、編集とか、カメラワークとか、レンズワークの才能全くない人だ。
黒人で監督をやっているというだけで『ドゥ・ザ・ライト・シング』(この作品もつまらなかったが勢いだけはあった)で注目をあびたが、少なくとも私にはその才能を見出す部分はまったくない。

どんなに良い脚本でもこの人が自分で撮ると映画はだめになる。

by ssm2438 | 2009-01-03 22:03
2009年 01月 03日

ダーク・ブルー(2001) ☆☆☆

f0009381_22353111.jpg監督:ヤン・スヴェラーク
脚本:ズディニェク・スヴェラーク
撮影:ウラジミール・スムットニー
音楽:オンドレイ・ソウクプ

出演:オンドジェイ・ヴェトヒー
    クリシュトフ・ハーディック
    タラ・フィッツジェラルド

     ×     ×     ×

いつもいつもマイナーではいけないと今回はちょっとメジャー(?)どころにしてみました。 はは・・、どこがメジャーじゃ!?って言われそう。
この『ダーク・ブルー』って映画、実はスタジオ・ジブリが始めて洋画提供に着手した映画でして、 まあ、DVDなんかにも、宮崎 駿高畑さんの名前で売ろうとする魂胆まるみえ・・・、 ちょっとうさん臭いものも感じつつみてみたんですが、 いや~~~、なかなか良いんです。

<あらずし>はというと、時は第2次世界大戦ドイツに侵略されたチェコでは、 祖国開放のために、チェコのパイロットの数名が国をはなれ英国空軍にはいって戦ったという話。 実はパッケージでだまされるんだけど、パッケージにのってる男って実は主人公ではないんだ。 ほんとの主人公は彼の上官であるベテランパイロットのほう・・・。 ちょっと感情移入に間違いをおこさせるパッケージだよね。
で、英国空軍にはいると、まず英会話からはじめ、 編隊訓練は緑の芝生のうえで自転車にのってやってるようなきわめて牧歌的な状況。 そんななかで恋愛なんかもあったりする。 このあたりは高畑演出っぽいですね。 飛行機のでてくるシーンは航空ファンの宮崎さんが好きそうな画面 。 そして音がいいんだ。機銃の音、エンジンの音・・・。 あと、レンズの選択はめちゃめちゃ西澤好みでした。 基本は長めのレンズを使ってきもちいい素直な映画的な画面 をつくり カメラを入れられないところからとるときは広角レンズで・・、 そのセレクションがとってもグッドでした。

最近はカメラセンスのない映画が非常におおく、サーカス的つかったCGも氾濫。おかげでそこだけ空気がちがうというか、おもいっきり存在し得ないカメラアングル、演出がなされて、その映画で描き出そうとしてる物語の存在感をぶちこわしてしまうものがやたらと多い。『ミッション・インポッシブル』とか、説明的にCGつかうから嘘臭くて興冷めしちゃうし、レニー・ハーリン『ドリブン』とかみてても、あまりにあざとくてもうイヤになっちゃいますね。
映画ってのは所詮嘘の世界で、その嘘の物語をどう撮ったらほんとっぽく撮れるのか?ってことこそを追求しなくちゃいけないの・・・、おかげで、そのシーンがくると底に存在するはずの架空の物語を構成する空気が一気に壊れててしまうんですよね。
CGにかぎらず、ロープアクションなんかも、もうみてるだけで嘘っぽくて、べつにそれを使うのは良いと思うんだけど、使うんだったら重力の法則にあったように使え!!って思ってしまう。それが出来ないのにつかわれると、これもまた興醒めの原因ンなってしまうんだよな~~~。
その点、この『ダーク・ブルー』はとっても上手いですね。
CGも機銃の弾がとんでいくあとからしりびいていく白煙とか、落ちる薬莢とか、 コックピットだって、かめらは股のしたからした撮らない。そこにしかカメラをおけないからなんですけど、これがアホ監督だときっと風防のそとからカメラをいれちゃうんですよね。それだけでまた興醒めしちゃう。『アポロ13』で、宇宙船のなかから地球をみるトム・ハンクスの顔を外から撮った絵とかがぽろっとあるんだけど、あんなんも見てしまうと、嘘臭く見えてしまうんですよね。本来そこにはカメラは存在出来ない場所なんだから・・・、そんな理屈は考えなくても、見てる人ってやっぱり“これってドキュメンタリーではない画面 だ・・”って無意識に感じとってしまう。

というわけでこの監督さん、 とってもスタンダードな、良いセンスの持ち主です。 以前にもチェコの映画ってのは何本かみたことあるんですけど、全体的にカメラ/レンズの選択は上手い人がおおいですね。 近年、ハリウッドの人はもうちょっとみならってほしいものです。。。

by ssm2438 | 2009-01-03 19:13
2009年 01月 02日

アリー・myラブ (1st Season)(1997~1998) ☆☆☆☆

f0009381_22251585.jpg製作総指揮:デイビッド・E・ケリー
脚本:デイビッド・E・ケリー

出演:キャリスタ・フロックハート
    グレッグ・ジャーマン
    ピーター・マクニコル
    ギル・ベローズ
    コートニー・ソーン=スミス
    ジェーン・クラコウスキー
    リサ・ニコル・カーソン

     ×     ×     ×

『アリー my Love 』といえば、現在もその第5シーズンがNHKで放映されてます。 見れば見る程凄いシナリオの完成度の高さに驚かされます。これだけのシナリオのレベルの高さはちょっと他では観られない。 本来このコーナー、映画の紹介をしようと思ってたんですけど、どうにも今、これを書かずにはいられない、そんな気持ちにさせられる『アリー my Love 』、とりあえず、今回はファーストシーズンの6話を紹介。
「とりあえず」と書いたのは、のちのちほかの話も紹介する可能性が大いにありそうだから・・・(笑)。

物語のプロローグをざっと紹介すると、弁護士事務所で働くアリー(28才だったかな?)は、同じ事務所の老練な同僚弁護士にセクハラを働かれ、訴訟を起こそうとするが、逆に会社を首になってしまう。 失業したアリーの前に現れたのは学生時代の友人リチャードで、自分の事務所に来ないかと誘われる。ところがそこでアリーは8歳の時から幼馴染みであり、大学時代で恋人だったビリー会う。自分の中にまだビリーを想う気持ちのが残っていることに動揺するアリー、しかしビリーは既に結婚していた。やがてビリーの妻であるジョージアも、同じ事務所で働く事になる。そんな状況の中でアリ-の「運命の人」探しが始るのであった・・・というようなもの。

しかし、この物語は凄いのはストーリー構成とシナリオワークなのだ。 一昔前にちょっとブームになったミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』という小説がある。映画にもなった。読まれたからもいるかもしれないがこの作品、作者がストーリ-を展開させながら、なおかつ、そのエピソードがもつ意味、その時の登場人物の真理状態や仕草の意味などを平行して作者が語って行くというスタイルをとっていた。映画になった『存在の耐えられない軽さ』は、物語だけを追ったものになったがそれは仕方がないことだとも思った。小説を映像化する以上、真理描写 に関する文字部は、フィルムをみてもらったなかで感じ取らせるしかないものであり、それこそが映像を作る側の腕の見せ所でもあるのだか、文字で表現されていた真理描写 が完璧に映像化されることは不可能にちかい。 しかし、この『アリー my love 』は、そのパラレル構造を見事に映像化している。物語を進行させつつ、裁判というもう1つの理論的説明の場を用意して、本編のストーリーにおける主人公の現在の真理状態や、その行動をさりげなく説明・補足していってしまうのだ。
それにプラスして歌詞入りの挿入歌。これがまたまたアリ-の心情を歌い上げる。このコンビネーションが実に効果 的に機能してる。さらに登場弁護士たちはとっても個性的に描かれ、その弁論スタイルもそれぞれの生き方によって描き分けが出来てます。自分の恋愛哲学を基本に語るアリ-。男尊女卑の暴言は数知れず、しかし圧倒的本質論を語るリチャード。普段はぼお~~~っとして、絶対もてなさそうな劣等感の固まり男、でも最終弁論になるとやたらとかっこいい。不可能を可能にする弁護士ジョン。 それぞれの哲学が最終弁論でブレイクするから面白い。きっとシナリオを書いてても燃えただろうなあって思う。 そんな『アリー my Love シーズン1』、そのなかから特に私が燃えた話数をちょっと紹介。

6話『婚約』☆☆☆☆☆

アリーはアイスクリーム会社への販売差し止め請求についての訴訟を任された。被告側の弁護士はハリー・ピピン。リチャードが言うには「超巨体の歩く大陸移動」。ピピンはドアから入るなり、「こんな非常識な申し立ては初めてだ」と非難。その巨体ぶりにその場にいた全員があっけにとられ、アリーもしばらくは目を丸くするばかり。第一印象最悪。判事も「原告の申し立ては却下」とあっさり棄却。口を挟む事も出来なかったアリーはあわてて、既に法廷から去ろうとしているハリーを追いかけ和解を提案した。しかし、ハリーはいきなり胸を抑えうめきだし、その場で倒れてしまう。アリーは慌てて心臓をマッサージ&マウス・トゥ・マウス、なんとか命をとりとめた。アリーは早速トイレに駆け込み「うええ~~、オムレツの匂いがしたわ!」とうがいをするのであった(笑)。
その後ハリー・ピピンの婚約者となのる女性アンジェラがアリーを訪ねてやってきた。今週の金曜日にハリーとアンジェラは結婚式の予定のため、命の恩人のアリーに結婚式に招待するという。 一報、ジョンとアリ-は売春容疑をかけられた被告人サンドラの弁護にもたっていた。サンドラは自分は元弁護士で6年勤めていたが、そこでは所帯持ちの男性にセックス目的でしか誘いを受けなかったためにエスコート業に転じたというのだ。
その晩、バーでジョンのことでグチっていると、退院したばかりのハリー・ピピンが現れた。驚くアリーに「二人で話がある」と言い、アリーのオフィスへ、二人きりになると、純粋な子供のような目で誠実に愛を告白する。「クジも買ってみなければ分からない・・。望み薄は承知だけど・・・君が僕を好きになる可能性はあるかな?」と訪ねる。「可能性があるとは思えないから・・・」と断るアリ-。
アンジェラとの結婚は胸の高鳴る恋ではなく、他に選択肢がなかったからだというハリー、「彼女の事はは心から愛してるけれど、胸ときめく相手とはほど遠い・・・この結婚は間違ってるかな?」ハリ-の言葉はアンジェラには決して聞かせられない残酷な言葉であったが、彼の『真実』の言葉であることも理解出来た。そんなハリ-に自らの恋愛論を語るアリ-「最後まで捨てちゃいけない夢っていうのは絶対あるって思う・・・」サンドラの最終弁論に、ジョンが立ちあがった。
「偽善行為ほどイヤなものはない。女優が映画のセックスシーンで男性とからむはお金のためもあるだろう。昇進の為に上司と寝る女性も、お金目当てで結婚する女性も投獄されない。女性にとって性は常に商品価値がある。皆は因果関係をボカしてしまうが、私の依頼人は潔かった!」と主張。「偽善行為に、しばし黙祷を・・・」と締めくくった。しかし性の商品化を肯定するジョンの弁論には納得のいかないアリ-。評決を待つ間にアンジェラが訪ねて来た。ハリーが、アリーの言葉に動かされ結婚式を中止してしまったというのだ。「彼の世話をしたいとおもう女性はこの世の中にどれだけいると思うの? 太った人に忠告するなら覚えておくといいわ。多くを望みすぎたせいで何も得られないってこともあるのよ・・・」。
評決を受けるために法廷を訪れたアリーは偶然そこにいたハリーをつかまえる。
「アンジェラと結婚すべきよ。信頼できる同志なんでしょう? 気持ちにとって一番良くない事は孤独だと思う・・・現実を見つめて、その中で最良の選択をすべきだわ・・・」、 ハリーも、心では納得している。しかし切ない・・・。あの子供のような純粋な目で「子供の頃の夢なんて所詮戯れ言、諦めろとと言うんだね・・・」と淋しそうにアリ-をみつめる。その言葉を否定したくでも出来ないアリ-・・・。
評決がでた。サンドラは無罪。 事務所に戻ったアリーは、勝訴だったものの納得はいかない。「純愛を信じる人間をバカにして、商売女を自立した女性みたいに扱うなんて! 世も末よ」 そんなアリ-にジョンは言う、「弁護士はゲームを強いられる時もある」 「いいのよ、あなたは謝ることはないわ。弁護士として義務をはたしたんだもの」「謝るつもりはない。僕がいいたいのは・・・、確かにこの世はロマンチックなもとは程遠い・・・でも、それを信じる人も少しは残っている。彼等が入る以上の望みはまだ残ってる。(ぽんとアリ-のかたに手をおいて)世間なんかに負けるな!アリー」 それだけ言って出て行くジョンであった・・・・。

夢と現実の相克!! おおおお~~~~~!!と思ってしまったよ。 デブなハリ-が純粋にアリ-に告白するシーンの誠実さ。 「夢を諦めろ」と言われた時にあの切なそうな表情・・・。 人を好きになる力を多少でももつものなら誰もが経験する、恋愛における理想と現実。 「この人じゃない・・・、もっと違う、本当に彼/彼女が何処かにいるはずだ」と思う反面 、「これでいいんだ。これで満足しとけ・・」という心の声も聞こえてくる・・・。 あまりに切実でリアルな恋愛感情、誰にも身に覚えがあるこのテーマをそこまで描くか!!ってくらい、切なく語ってくれました。

このほかにもシーズン1では20話『また独りぼっち』☆☆☆☆がとってもニシザワ好みの話です。
銀行強盗で18年間服役していた72歳の男が、壁を飛び越えて脱獄を図った。隠れて集め続けた輪ゴムで、トランポリンを作り上げたのだ。ジョンとアリ-(いつもこの二人がペアを組んでるわけではない)が弁護を担当することになった。彼は刑期のこすところあと1ヶ月、なのに何故? 一報その裁判の相手側検察官が実はジョンの大学時代の同級生。じつは密かに想いを寄せていた女性だった。久しぶりにあった二人は意気投合しするが裁判では敵同志。『夢』というものは叶えようと思わなければ、一生『夢』のまま可愛がる事もできる。もし挑んで失敗すればもう夢ではなくなる。しかし・・・・それで納得できるのか? この話数ではそのテーマを、獄中ずっとその事だけを夢見て来た男との話と、大学時代にその一言が言えないまま「友達」であることをキープしてきたジョンの想いをシンクロさせながらつづていく。

by ssm2438 | 2009-01-02 15:24
2009年 01月 02日

トランスフォーマー(2007) ☆

f0009381_18105388.jpg監督:マイケル・ベイ
脚本:アレックス・カーツマン
    ロベルト・オーチー
撮影:ミッチェル・アムンドセン
特殊視覚効果:ILM
音楽:スティーヴ・ジャブロンスキー

出演:シャイア・ラブーフ
    ミーガン・フォックス

     ×     ×     ×

その昔、まだ原画をはじめてまもなきころ、一度だけ葦プロの手伝いでやりましたよ『トランスフォーマーズ』。仕事の元締めは東映だったと思いますが、グロス出しで葦プロがとってたのでしょう、その話数、小泉兼三さんが作画監督だったかなあ。なんだか懐かしい。

ま、そんなこともあって見ておこうかと思った『トランスフォーマー』、いいや〜〜〜〜期待はしてなかったけど見事に期待どおりのひたすらつまらない作品でしたね。判っていても、もしかしたら‥‥って少しはきたいしたのだけど。。。
駄目なシナリオの典型といいましょうか、まあ、作ってる側もそんな高尚なストーリーは求めてはいないのだろうけど、でもライターとしてはある程度の意地ってものもありそうだし、少しはなんとかしてくれるのかなって淡い期待を見事に打ち砕くひたすら退屈ストーリー。

何故つまらないのか?
‥‥分析するに、そのシーン、そのシーンでの主人公(観客が感情移入する人・ロボットでも可)の目的、その問題の解決策がみえない。

なので見ている人が<期待>出来ない。
これ致命的。

見ている側に期待をもたせておくっていうのは、見る側の集中力をきらさないための重要なファクターというか、それこそが演出のすべて。そしてなおかつ、その期待を裏切って、さらにそれ以上の結果を提示してやるのがストーリーテラーの仕事。
なのにこの監督、マイケル・ベイは延々の状況だけを提示することしかできない演出家としての無能ぶりはすごい。

おまけに意味のないところをやたらろシャローな会話で場つなぎ。それがストーリーのなかに反映するならいいんだけど、ただただ物語の進行を遅らせているだけ。「とっととストーリーすすめろよ!」っていらいらしてしまう。
これは『アルマゲドン』から延々につづくマイケル・ベイの物語の作り手としての弱さ丸出し、なんとか絵作りとくだらんギャグでまとめてしもおうといういつものパターン。ま、あ絵作りけっこういいんだけど、ほんとに頭が悪いんだよね。
演出家というより編集屋のほうがむいていそうな人。きっと短い時間のコマーシャル・フィルムとかプレビュー映像だとかつくったらかっこいい映像作ると思う。

あと、ついでだから云ってしまおう。
こいつの音楽の付け方ってスッゴい下手。あのいきなり斑切れになり、いきなり新しい音楽が始まるとってつけたようなわざとらしい音楽。とはいえ音楽にはけっこう恵まれてるのでその音楽単体で聞くなら文句はないんだけど、その付け方されるとちょっとあざとい。演出ってのは演出してないようでしてるくらいが一番よくって、英出がみえちゃうとその物語の臨場感がなくなってしまう。見ている側が「あ、これ明らかにつくりものなんだ」って心が物語から切れてしまう。よくない。

あと音楽の選曲のセンスなんだけど、状況につけすぎ‥‥というか、全部状況につけてる。なのであざといんだけど。もうちょっと主人公たちの心情につけるつけかたできないのだろうか‥‥。


とまあ、なにからなにまでかなりつかれる映画でした。
今年見た中では『毛皮のエロス ダイアン・アーバス、幻想のポートレイト』と同じくらい駄目だった。あの映画も途中で出たくなったなあ。よっぽどこれも途中で出ようかとおもったよ。

バンブルビー‥‥、なんでビートルじゃないの???
納得いかんなあ。。

by ssm2438 | 2009-01-02 03:26
2009年 01月 01日

ダーティハリー(1971) ☆☆

f0009381_16304125.jpg監督:ドン・シーゲル
脚本:ハリー・ジュリアン・フィンク
    R・M・フィンク
    ディーン・リーズナー
撮影:ブルース・サーティース
音楽:ラロ・シフリン

出演:クリント・イーストウッド
    アンディ・ロビンソン

        *        *        *

マカロニ・ウエスタンのクリント・イーストウッドを当時の世界に移植したらこうなるってコンセプトだったのかなと思われる。ハリー・キャラハンというキャラクターだけは伝説的になってしまった。・・・しかし、物語が面白いかといわれるとそんなことはない。きわめて普通である。
そう感じさせる大きな要因は敵役設定だろう。犯罪者がちんぴらか、それに付随するグループなのだ。『ダーティーハリー2』だけはちょっと特異な話だが、、このシリーズの基本設定は、てにおえない悪がきを、肝の据わったおとーちゃんデカがお尻ぺんぺんするかわりにマグナム弾を撃ち込むというもの。つまり犯人は不良少年の延長なのだ。しかし最近の物語はどちらかというとテロなどの政治的犯罪が種であり、それにくらべると犯人としての仰々しさも、規模もちいさい。そういうわけで、見ている人にするとちょっと物足りない部分があるのではなかろうか。。
この映画、当時刑事ものの走りとなったが『フレンチコネクション』のような怒涛のリアリティがあったわけではない。しかしこの映画では、組織としての煩わしさをきちんと描きストレスをためさせ、そのなかで腐ったチンピラ相手にイーストウッドのカッコつけてズドンという爽快感がこの映画の魅力となっている。

当時のサンフランシスコを取った画面は黒くて良い。こんなに向かい街は外灯もすくなく暗かったんだなあとあらためて認識した。撮影監督のブルース・サーティースボブ・フォッシー『レニーブルース』でアカデミー監督賞を撮っている。音楽もあやしくてよい。こちらはラロ・シフリン。ま、これは個人の好みの問題もあろうが(私はそれほど感化されないが)、異様な雰囲気をだしていることだけは確かだ。

<あらすじ>
サンフランシスコのビルの屋上のプールでひとりの女が銃撃され死亡した。そして“サソリ座の男”と名乗る男から警察に、10万ドルの要求に応じなければ、次の犠牲者が出ることをほのめかしていた。殺人課のハリー・キャラハン(クリント・イーストウッド)は、彼の意志に反して付けられた相棒のチコ(レニ・サントーニ)と犯人を追う。しかし二度目の殺人はおきてしまう。再び警察に脅迫状が届けられる。14歳の少女を誘拐して生き埋めにした。ただちに20万ドルの身代金をよこさなければ彼女は死ぬ、と書いてあった。ハリーは20万ドルを持って、犯人の指定する公衆電話から公衆電話へと走らされることになる。やがて犯人と接触、草むらから飛び出した相棒のチコはピストルを乱射してハリーを助けたが銃撃戦で負傷。必死に逃げる犯人をケザー・スタジアムで捕らえたハリーは、少女を生めた場所を吐かせるために犯人に暴行する。
犯人(アンディ・ロビンソン)は逮捕されたが、少女は既に死んでいた。容疑者の権利を無視して暴行したことで地方検事から告発されるハリー。「少女の命がかかってたんだ」と反論するハリーだが謹慎を命じられる。
逮捕への段取りが不備なため起訴できない警察は犯人を釈放するしかなった。やがて犯人はスクール・バスを襲い、乗っていた6人の子供と女の運転手ともども空港へ直行し、不敵にも警察へ、逃走用の飛行機を、燃料満載、操縦士付きで用意するよう命じてきた。謹慎の命を無視してハリーは再び犯人に迫る。犯人撃ち殺したハリーは近づくパトカーのサイレンをよそに、胸のポケットから警察のバッジを取り出して水中に投げ捨てると去っていくのだった。

by ssm2438 | 2009-01-01 15:27
2009年 01月 01日

ダーティハリー2(1973) ☆☆

f0009381_17113926.jpg監督:テッド・ポスト
脚本:ジョン・ミリアス
    マイケル・チミノ
撮影:フランク・スタンリー
音楽:ラロ・シフリン

出演:クリント・イーストウッド

        *        *        *

『ダーティ・ハリー』のシリーズのなかでは異色作。
ハリーのイメージは、煩わしい管理社会の中、犯人逮捕(生死にかかわらず)を実行する主人公というイメージだが、このシリーズ2作目だけは立場がちょっと逆転している。

通常の手続きではもう処理できないと考え白バイ警官たちが仕事人チームを結成、法の目をかいくぐる組織の大物や悪党どもを闇で仕留める仕事をしていた。その事件を追うことになったハリーだが、徐々に犯人は警察内部の白バイチームだと気付き始める。一度は彼らもハリーに仲間に入ることを申し出るが、ハリーは「警察が司法までこなすようになったらどうなる?」とこれを拒否。するとこどはハリーやハリーの相棒まではそのターゲットとなる。

映画の前半ではマグナム44が原題(「マグナムフォース」)どおり活躍するが、最後の白バイチームとの対決ではこれを失い、武器がないところでどう戦うかというのが見せ場となっている。・・がしかし、これが『刑事ジョンブック』だったらこれでいいかもしれないが、ハリー・キャラハンというキャラクターにはちょっと似合わないかな。カタルシスという点においてはちょっと地味な出来になっている。
・・・がこのシリーズを離れて、ひとつの刑事ドラマとしてみた場合はこのシリーズ2作目が一番面白い。この2作目が一番好きという人もおおいはずだ。

シナリオはジョン・タカ派・ミリアスと、マイケル・ロシアンルーレット・チミノである。すごい組み合わせだ。

by ssm2438 | 2009-01-01 10:40
2009年 01月 01日

ダーティハリー3(1976) ☆☆

f0009381_2391224.jpg監督:ジェームズ・ファーゴ
脚本:スターリング・シリファント、ディーン・リーズナー
撮影:チャールズ・ショート
音楽:ジェリー・フィールディング

出演:クリント・イーストウッド、タイン・デイリー

        *        *        *

こんどのラストショットはバズーカだ!

これ、お話的には一番分り易かったんじゃないかな。シリーズの中では一番派手で、一番見やすい作品。たとえば、ハリーの相手はいつでもチンピラなのだが、今回は相手ちょっとだけ武装が派手なテロリストグループ。まで、ももやっぱりチンピラだけど。そして、いつも殺されるハリーの相棒に、女性刑事が抜擢された。このあたりが今回の話で珍しいところか。でも、案の定やっぱり行動を共にするうちにあえなく殺されちゃうんだけど。それにあんまり美人ってわけでもないし・・というか、このシリーズではいわゆる美人系の人はでてこないかな。最後の決戦の舞台がアルカトラズというのもいい。

<あらすじ>
ボビー・マックスウェル(デヴァレン・ブックウォルター)をリーダーとする若い過激派グループが、陸軍の兵器庫に押し入り、ダイナマイト、自動小銃、新型バズーカ砲を盗み出した。新しい相棒は、刑事に昇進したばかりのムーア(タイン・デイリー)刑事だった。ハリーは、黒人の過激派が絡んでいるとにらみ、スラムの指導者ムスターファの棲家へ乗り込んだが、彼は事件に無関係であることが判った。だがその直後、刑事課長が指揮する警察隊が、ムスターファを首謀者として逮捕。ムスターファが主犯でないと確信しているハリーは、表彰されるのを拒否し、独自の調査を開始した。
しばらくして、過激派グループは、白昼、市長を誘拐し、莫大な活動資金を要求した。ムスターファによると、犯人は、ベトナム帰りの殺人狂ボビー・マックスウェルをリーダーとする過激派グループで、彼らはアルカトラス刑務所の廃墟にたてこもっているというのだ。過激派グループとの激しい銃撃戦が始まり、ハリーは、1人、2人と殺していき、その間に、ムーアは、市長を無事救出に成功した。しかし、ムーアはボビーに射殺され、ボビーは市長を人質に、監視等へ登っていく。ハリーは、ボビーが落としていったバズーカ砲を塔へ向け発射、ボビーもろとも、塔の上半分が吹っ飛んだ。

by ssm2438 | 2009-01-01 09:45
2009年 01月 01日

ダーティハリー4(1983) ☆☆

f0009381_22451571.jpg監督:クリント・イーストウッド
脚本:ジョセフ・スティンソン
撮影:ブルース・サーティース
音楽:ラロ・シフリン

出演:クリント・イーストウッド、ソンドラ・ロック

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今度はオートマグだ!

しかし、カメラは懐かしいところが復活、このシリーズ1作目の撮影監督ブルース・サーティーズ。あれは闇が黒くてよかったね。ただ、今回は全体化黒いのでちょっとみづらいかな。もう少し照明いれてほしかったなあ。
今回の話は、その昔集団でレイプされた姉と妹の復讐劇が基本。妹は廃人となりサナトリウムへ、姉は彼らを一人一人抹殺しようとする。しかしその集団レイプの首謀者たちが、その姉の存在に気付き反対に彼女を抹殺し、過去のレイプ事件を調べ始めたハリーおも殺そうとする・・という話。

<あらすじ>
サンフランシスコのゴールデン・ゲートを望む丘の上で、股間を打ち抜かれた男の死体が発見された。かれはサン・パウロ出身だった。サン・パウロに着いたハリーは、画家であるジェニファー(ソンドラ・ロック)と知り合い心引かれていく。彼女の描く絵をみせてもらったが、なんとも毒々しい屍のような画だった。
やがてハリーは、この街でもシスコの連続殺人事件と同じ手口で殺人が行なわれていることを知る。そして一連の事件は数年前のレイプ事件に端を発しており、その被害者がジェニファーと妹で、襲った犯人たちが次々に殺されているというのだ。レイプ事件の主謀者であるミック(ポール・ドレーク)は仲間のクルーガー等と共にハリーを襲い、海に突き落とす。一命をとりとめたハリーがモーテルに戻ると、新型の44オートマグナムを持ってでていく。
ミックは、ジェニファーを人質にして逃げようとすが、ジェニファーの手を離した瞬間、ハリーのマグナムが炸裂し、ミックは息絶えた。ハリーは事件の犯人を彼女にすることなく解決することを優しく約束するのだった。

by ssm2438 | 2009-01-01 08:01
2009年 01月 01日

ダーティハリー5(1988) ☆

f0009381_2202245.jpg監督:バディ・ヴァン・ホーン
脚本:スティーヴ・シャロン
撮影:ジャック・N・グリーン
音楽:ラロ・シフリン

出演:クリント・イーストウッド、パトリシア・クラークソン

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ラストショットはモリですか・・。個人的にはは最後はマグナムでやっつけてほしいのだけど。おおきければいいってもんでもないだろう。
シリーズの中ではもっともつまらないこの映画。うりはラジコンカーとのチェイスですか? なんかチープでやだったのだけど。まるでマイケル・クライトン『未来警察』みたい。ダーティ・ハリーのシリーズでつかうネタではないようなきがしたのだけど。。。というか、このシリーズ自体がそれのど革新的なことはまったくやってないし、この物語に基本はチンピラをハリーがやっつけていくことで、こんな手をつかうチンピラってのもありかもしれないが・・。

<あらすじ>
ハリー・キャラハン(クリント・イーストウッド)刑事は、新しい相棒として中国人のクワン(エヴァン・キム)と組むことになる。低予算の恐怖映画に出演中の人気ロック・アーティストが致死量の麻薬を打たれて殺された。現場検証にクワンと駆けつけたハリーは、女性レポーターのサマンサ(パトリシア・クラークソン)に出会う。
ハリーとクワンは聞きこみにまわったチャイナ・タウンのレストランで4人のチンピラによる強盗事件に遭遇、その仲間の一人が「死亡予想」と書かれたリストを持っており、その中にはハリーの名も書かれていた。ハリーは、その映画の監督をマークする。
その間にも女流映画批評家のフィッシャーやテレビ司会者ノーランドら、いずれもリストに書かれた人物が殺されていった。ハリーも爆薬を積んだリモコン・カーに追われ、クワンが重傷を追う。やがて犯人は、監督の狂信的なファンで分裂症と診断されたハーラン・ロック(デイヴィッド・ハント)であることが分かる。
サマンサを人質にとられ、マグナム44を手放したハリーだが、最後は大きなモリを使ってハリーは犯人を倒すのだった。

by ssm2438 | 2009-01-01 06:42