西澤 晋 の 映画日記

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2009年 02月 26日

アメリカン・プレジデント(1995) ☆☆

f0009381_12563790.jpg監督:ロブ・ライナー
脚本:アーロン・ソーキン
撮影:ジョン・シール
音楽:マーク・シェイマン

出演:マイケル・ダグラス
    アネット・ベニング

        *        *        *

『ザ・ホワイトハウス』アーロン・ソーキンがそれ以前に書いた映画である。ただ、『ザ・ホワイトハウス』を期待してみるとちょっと残念かな・・。この映画は普通のラブコメにはいるだろう。その主人公を大統領においたというだけ。もしかしたらシナリオはもうすこしシリアスは政治ドラマのつもりだったのが、監督のロブ・ライナーがラブコメ路線に振ったのかも。どちらにしてもテレビシリーズの『ザ・ホワイトハウス』のほうが政治ものとては断然硬派でおもしろい。
ソーキンの映画はこれ以前にも2本しかなくトム・クルーズ主演の軍事裁判もの『ア・フュー・グッドメン』二コール・キッドマン主演のサスペンス『冷たい月を抱く女』だけだ。多分テレビで活躍してた人なのだろう・・とそうぞうする。

あと配役としてどうだったのかな? 大統領を演じたマイケル・ダグラスはどうしてもダーティーな役どころがおおいし、顔見てもなにかしら善良は人にみえない。こういうスマートでハートフルな人の役だとイマイチ違和感を感じでしまう。反対にアネット・ベニングは大好きだ。この人はとってもこういう役にあってるとおもう。本編のなかの彼女は実にチャーミングで可愛らしい。この映画、彼女をみているのがたのしいだけの映画だといっても過言ではない。願わくは同じ大統領夫妻を描いた映画、アイバン・ライトマン『デーヴ』の大統領夫人シガニー・ウィーバーはアネット・ベニングでやってほしかった。

<あらすじ>
仕事を分刻みでこなす合衆国大統領アンドリュー・シェファード(マイケル・ダグラス)は、次の予定まで4分の空き時間ができたので環境協会の話し合いの場の顔を出す。そこで製作担当の弁士シドニー・ウェイド(アネット・ベニング)にひと目惚れした大統領は、シドニーを晩餐会に招待した。二人の仲は急接近し、シドニー・ルメットは大統領夫人になる可能性がでてきた。だが、大統領選の対立候補の上院議員ボブ・ラムソン(リャード・ドレイファス)は2人の恋を争点に攻撃を開始する。マスコミもこれに同調し支持率は大きく低下。シドニーはシェファードの立場を考え、姿を消す。大統領は記者会見を開き、懸案だった環境と銃規制の両法案に真剣に取り組むことを表明し、政策とプライベートは別個のものであることを力強く宣言、シドニーを求める自分を肯定する。

by ssm2438 | 2009-02-26 12:27
2009年 02月 25日

海の上のピアニスト(1999) ☆☆☆

f0009381_12355027.jpg監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
撮影:ラホス・コルタイ
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:ティム・ロス
    プルイット・テイラー・ヴィンス

        *        *        *

さすがに『ニュー・シネマ・パラダイス』を期待して見に行ったのでちょっと残念。この出来で「ちょっと残念」と思わせるのはやはり『ニュー・シネマ・パラダイス』が素晴らしすぎたからなのだけど、本編みせといて回想シーンで泣かそうってテクも二度目だとちょっとあざとい。でも、わくわくさせる見せ方の上手さはさすがはトルナトーレ、嵐に揺れるフロアでのピアノ演奏、ジャズピアニストとの演奏競争など、「おおおおおおおお、上手いなあ」って感心する。トータルとしたら及第点のできでだとは思う。

この映画のポイントは「オタクスピリット」だろう。ジャンルはアニメじゃくなくてピアノなんだけど、魂のありかたがオタクなのだ。オタクの基本特性とは、一言で言うなら現実逃避のためのある種のカテゴリーに没頭する精神ということなのだろう。現実の世界へ迎えないことが一番のネガティブイメージ。その現実というのは社会というこもあるだろうが、好きな女に対しても挑めない。
男にとって好きな女に「好き」っていうことはきわめて難しいことであり、これを実行するためにはかなりの覚悟と勇気を必要とするものだ。とにかく好きであれば好きであるほど失う怖さも大きくなり、求められなくなる。しかし男たるもの、それでも挑まなければならないようにできている。男が仕事をするのは、誰かに「好き」っていうための自信をもつための準備なのだと思っている。自信がなければ「好き」とはいえないものだ。
べつないい方をすれば純粋すぎるがゆえの弱さということもいえよう。しかし、そうはいっても男たるものはそれをこくふくしないといけないように出来ているものだ、普通は・・・。
この映画をみていると、オタクスピリットから脱却できないでいる男の哀愁がある。それはきっとこの物語の主人公がトルナトーレ本人分身であるからだろう(ま、どの映画も主人公というのは作っている人の分身であるものだが)。

by ssm2438 | 2009-02-25 12:36 | G・トルナトーレ(1956)
2009年 02月 22日

アメリカン・スウィートハート(2001) ☆

f0009381_1944725.jpg監督:ジョー・ロス
脚本:ビリー・クリスタル/ピーター・トラン
撮影:フェドン・パパマイケル
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

出演:
ジュリア・ロバーツ (キキ・ハリソン)
キャサリン・ゼタ・ジョーンズ (グウェン・ハリソン)
ジョン・キューザック (エディ・トーマス)
ビリー・クリスタル (リー・フィリップス)

       *        *        *

クリストファー・ウォーケン、どこにいるのかと思えば・・・おまえがそうか、映画監督ハル・ワイドマン!?

ゼタ姐さん使ってるのにこのダサさは一体なに??これ、映画館で予告はちらっとみたことあったし、面白そうだなあっておもってたのだが・・・、ひどい。近年まれに見るダサいラブコメ。久々にこんなにはずしまくったラブコメを観たのは(苦笑)。
脚本はビリー・クリスタルやってる? だからか? ちょっと独りよがりが過ぎたのかもしれない。あるいは監督か? というわけで、監督のかのの作品群をチェックしてみたら・・・あらららら、プロデューサーが本業のひとなのですね。でもたまには監督やってるみたいだけど、面白いものは皆無。少なくとも監督の才能はなさそうだ。

コメディのセンスはまるでない。
コメディってのは、人間の羞恥心とか、寂しさとか、そういったネガティブエモーションを、とギャグテイストに来るんでやるから面白いのであって、根本的な部分がまったく機能してなけばただのバカ騒ぎ。そうなった一例がこの映画である。

<あらすじ>
大物スター同士のカップル、エディ(ジョン・キューザック)とグウェン(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)は、グウェンの浮気が発覚してからというもの、その中は冷え切っていた。そんなグウェンの付き人をしているのが彼女の妹のキキ(ジュリア・ロバーツ)。キキはエディをひそかに想っていた。ひょんなことから、キキとエディはベッドを共にする。しかしエディの心はまだグウェンにあった。いよいよ完成披露試写会。監督のハル・ワイドマン(クリストファー・ウォーケン)により、撮影現場を隠し撮りした実験的な作品に変貌していた『時を超えて』の上映に会場は大パニック。そんな中、本当はキキを愛していると気づいたエディは彼女と結ばれ、グウェンもそれを認めるのだった。

by ssm2438 | 2009-02-22 19:44
2009年 02月 20日

壊滅暴風圏 ファイナル・カウントダウン(2008) ☆

f0009381_23133083.jpg原題:NYC: TORNADO TERROR

監督:ティボー・タカクス
脚本:T・S・クック 
撮影:バリー・グラヴェル 
音楽:クリントン・ショーター

出演:
ニコール・デ・ボア (キャシー・ローレンス)
セバスチャン・スペンス (ジェームス・ローレンス)

       *        *        *

監督は『トルネード・ストーム』(2002)のティボー・タカクス。TVMでショボイディザースタムービーばかりを量産してる監督さんではっきりいって才能のかけらもみあたらない。撮影も最低。意味無くハンディカメラでとってくれるので画面がぐらぐらしてうざい。しかし、この監督がアホなのはそのカメラを使う意味を理解していないことだろう。
ハンディカメラで、画面が手ブレをおこしているということは、そのシーンにカメラがあるということを意味する。つまり、それは映画を撮影しているシーンを移しているのであって、ドラマの位置シーンを移している画面ではない。頭の悪い監督さんは<ハンディカメラ>=<手ブレ>=<ドキュメンタリーチック>=<本物っぽい>と勘違いしているのだが、この等式には落とし穴がある。
報道映像としては、ハンディカメラをもって、現場に乗り込んでいって撮った映像派、現実のもので「その現場にカメラがいる」というこを見ている人に提示する。これが<リアリティ>をかもしだす。しかしアホ監督はこれが劇場用映画でも使えると勘違いしている。
<ハンディカメラ=手ブレ>という概念は、<カメラが現場にいる>ということを、見ている人に提示する。しかし、映画の場合これをすると、リアリティではなく、<それが映画撮影されている現場にカメラがいて、そこで撮られた画面>という意味を見ている人に提示する。予算がない自主上映のような画面になってしまうのだ。

アホな監督というのは、<映画の画面ではカメラの存在を消さなければいけない>ということをわかっていない。ドラマを撮影する時には、この画面が映画の撮影されている現場でのシーンじゃなくて、そういう世界の物語の1シーンなんだという風に理解される画面を作らなければならない。その見え方の仕組みを判ってないのがこのアホ監督である。

一応物が物語に関して、今回の映画と先の『トルネード・ストーム』との違いをあげるとするなら、今回は竜巻がおこす雷をネタにしたということろか。オフィスのなかに、妖怪(火の玉)のように出現するプラズマ上の放電体。スピルバーグの『宇宙戦争』のように、宇宙人の偵察触手がうにょおおおおってはいってくるようにこのプラズマ体がオフィスを動き回るのだが、これはけっこう目新しい。ただ、撮り方がショボイのでかなりマヌケにみえるのだけど、ここだけをきりとって、スティーブン・キングあたりに原作書いてもらえばけっこう見られるものが出来るのかもしれないって思った。

ちなみに同じ冠のついたタイトルで『壊滅暴風圏:カテゴリー6』『壊滅暴風圏:カテゴリー7』というTVMも在りますが、物語的にも制作的にも関係はなく、制作体制から言えば『トルネード・ストーム』からのスタッフでつくられたMTVと理解して良いでしょう。

<あらすじ>
セントラル・パークにいたNYの副市長ジェームズ(セバスチャン・スペンス)と妻で気象学者のキャシー(ニコール・デ・ボア)は、小さな複数の竜巻が巨大竜巻へと変わり人々を襲うのを目の当たりにする。その頃リバティー島でも巨大な竜巻が発生。自由の女神を破壊し、人々をパニックに陥れていた。ジェームズは街に第一警戒態勢を敷くべきだと市長に提案するが市長は受け入れない。キャシーの説明によると、木星の大赤班に似た高気圧性の渦が出現し、上空を覆っているという。事態を重く見たキャシーとジェームズはガーデン・ステート宇宙基地のリゲンホーン博士を訪ね相談する。その後の調べで、竜巻の中心には稲妻が走り放電している事が明らかになる。

by ssm2438 | 2009-02-20 23:14
2009年 02月 20日

イヴォンヌの香り(1994) ☆

f0009381_8234913.jpg監督:パトリス・ルコント
脚本:パトリス・ルコント
撮影:エドゥアルド・セラ
音楽:パスカル・エステーヴ

出演:サンドラ・マジャーニ

       *       *       *

『髪結いの亭主』『仕立て屋の恋』でその映画センスをみせつけてくれたパトリス・ルコント。フランス人映画監督さんのなかでも日本人がみて見やすい映画をとるほうだと思う。そんんなわけで、次にかりてみたのがこの『イヴォンヌの香り』。しかし・・・・いや~~~~~、外れた外れた。おおハズレ。
しかしイヴォンヌを演じるサンドラ・マジャーニだけは素晴らしい。匂いたつような美しさと色気だ。
美しいというだけなら、私の趣味だと『007/ユアアイズオンリー』キャロル・ブーケなのだが、彼女よりも明るくてしぐさが色っぽい。まろやかと表現するべきか・・。
しかし、彼女以外見るものない話。ヌードをサービスしてくれる映画でもないのでその点はご注意。しかし、服を着ているときにチラリズムの色気といいましょうか・・、かってにこちらが想像するイメージといいましょうか、
想像を掻き立てる人なのだ、このサンドラ・マジャーニという人は。
そしてなにより日本で紹介されている彼女の映画はこれ一本だけ。あるいみ貴重。

決して男を好きにならない、しかし相手されることは拒めない、女の性のような女。それでも男はそんな女にほれてしまう。男の愛し方は、女の中に「この女は私のりそうかもしれない」という夢をみるのだ。それが現実とちがっていても、いやこれはなにかのまちがいで、やはり本当の彼女は理想の女なのだと無理やり認識しようとする。しかしそんなわけはない。それでもだからといって違うってことは確認できるわけもない。
女は好きだといって付き合っていた男でも、別れるとすぐ忘れる生き物のようだが、男はそういうわけにはいかに。10年も20年もそれでも想うことがなくなることはない。それは、女は男と一緒にいる時の都合のよさを愛しているのであってその男そのものを愛しているわけではないからだ。一方男も、自分のなかの理想の女像を愛しているのであって、実際にそんざいする彼女を愛しているわけではないのだ。しかし男の場合は可能性をあいしているのであって、完全に違う!っと思えない限り、その女を嫌いにはなれない生き物なのだろう。。

・・そういう話です。。
フランス映画では実によくあるお話です。
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by ssm2438 | 2009-02-20 07:47 | パトリス・ルコント(1947)
2009年 02月 19日

恋人たちの予感(1989) ☆☆☆☆

f0009381_110951.jpg監督:ロブ・ライナー
脚本:ノーラ・エフロン
撮影:バリー・ソネンフェルド
音楽:ハリー・コニック・Jr

出演:ビリー・クリスタル
    メグ・ライアン
    キャリー・フィッシャー
    ブルーノ・カービイ

     ×     ×     ×

若き日のメグ・ライアンをラブコメの女王として地位を確立した作品。
これを機に、メグ・ライアンのこの手のラブコメ作品が何本もつくられるようになったのですが、やっぱり相性的にはノ-ラ・エフロンの脚本のものがいい。 というか、ノ-ラ・エフロンの脚本がいい。 その後、メグ・ライアンとノ-ラ・エフロンの話をみてみると、 『恋人たちの予感』(1989) 『めぐり逢えたら』(1993) 『ユー・ガット・メール』(1998) 『電話で抱きしめて』(2000) など。
基本的にスーパーヒットな作品ではないんですが、2度目にみるとついついみいってしまう作品といいましょう、肩の力を抜いてみると心地よい作品なんですね。
ノ-ラ・エフロンの脚本って、穏やかな心地よさがあるのです。もしかしたら映画みたいなフィールドよりテレビシリーズの脚本をかかしたらめちゃめちゃ上手いんじゃないかと思ったりもする。『アリー my love』デビット・E・ケリーがテレビサイズだとあんなに面 白いのに、映画だとダメなようなあんな感じ。
ただ、そののち彼女が監督したニコール・キッドマン『奥様は魔女』ははずしたけど。


大学を卒業しらハリ-(ビリー・クリスタル)とサリー(メグ・ライアン)は友達の紹介で一緒に、ニューヨークまで一緒にドライブすることになる。その道すがらビリーはこの物語の大命題を提示する。 「男と女は友達になれない。  男は、その女性が素敵だと思った瞬間“H”したいと思う。 だから男と女は友達にはなれない」 それに対して、メグ・ライアンは 「じゃ、その女性が素敵じゃなかったら友達になれるの?」「ううん、素敵じゃなくても寝たい」ときりかえすビリー。さりげなくおかしい(笑)。
しかし、男女間の<友達>の概念はつねに語られる命題なのだろう。 でも、ここで常に解決されない大問題が1つ。男と女は話す言葉は一緒でも、違う意味で話してるってこと。 男が思う<友達>とはキャプテン・ハ-ロックが言うよう(ほんとにそう言ったシーンがあるかどうかは不明)に「決して裏切ってはいけないもの」。 でも女は思う<友達>とは「“H”至らない仲のいい男」。 もっと簡単な違いを言えば、男のいう友達は、「裏切ってはいけない人」、女のいう友達は、「裏切ってもいい人」。 そう、これは、実は友達と恋人の定義になのだ。

友達は裏切ってはいけないもの、 恋人は裏切ってもいいもの。恋愛相手っていうのは、実は全部相手を信頼するものではなくて、相手に好かれる為に、本来の自分自身を裏切ること。あるいは、そのはんたいに、自分の欲求をみたすために、相手に相手の本来ある姿を裏切らせること。これは秘かな裏切り合いなのだ。 友情にはそれがない。
お互いが独立したスタンスで、利害関係は存在せず、物質的に、経済的に必要でもないのに、意識している。尊重してる。時には負けたくないたいライバルにもなる。 だから、女がいう友達=「“H”至らない仲のいい男」は友達にはならないのである。 そこにはSEXへの欲求があり、それを「おあずけ!」させてるのだから精神的優位 性は全然イコールではない。 これをもって「友達」といのなら、その人は「友達」のなんたるかを全然知らない人ということになる。 うむむ~~、かなり悲しいことだ。 我が友ニーチェは「女に友情を育む能力はない!」っていいきちゃってますけどね。

その昔私が監督をした『ヒカルの碁』のOPで、“君が居て、僕がある。僕がいて、君がいる、お互い助け合っていこうね”みたいな意図の歌詞があったけど、あれはもう後悔残りまくり。もっと事前に説明すべきだったと今でも後悔してる。あの二人はお互いを確かに必要としてる存在なんだけど、二人は精神的には独立してて、必要としてる部分をお互いの摂政のなかに持ち出しちゃいけないし、持ち出してないし…、なのにあの歌詞は「必要」って政治的概念を入れ込んじゃった。その言葉をつかったら友情じゃなくなるのに…。 そう、恋愛なら「必要」って概念が組み込まれるのはいいだけど…。
では男女間で「友達」が成立するにはどういうときなのだろう?私が思うにそれは、『ヒーセッド、シーゼット』みたいな、ケビン・ベーコンシャロン・ストーンとの関係みたいな、男がSEXをもとめて、女が「うん、いいよ」ってあっけらかんと言えるとき、 SEXが男女間で精神的利害を生み出さない時、その時にしか生まれないんじゃないかと思う。たまにそういう状況も起るよね。 私の人生のなかでも、数少ないけど、そういう状況があった。でも、そういう時って男も実際に“H”をしたいっていう衝動までは沸かないんだけどね。

で、話を『恋人たちの予感』にもどすと、それから10年がたち、そのなかで、出会っては別 れ、また出会い、 ふたりは友達になり、恋人になったって話。 とにかくノ-ラ・エフロンの脚本は穏やかで、軽やかでユーモアがあって素敵。 オシャレな英語のフレーズの勉強アイテムとしても最適。 メグ・ライアンをつかってない作品(『マイケル』なんかもけっこうたのしい)もいくつかあるので、あとでチェックして、ビデオ屋で手にとってみてください。

by ssm2438 | 2009-02-19 16:48 | ノーラ・エフロン(1941)
2009年 02月 19日

アイス・プリンセス(2005) ☆☆

f0009381_917411.jpg監督:ティム・ファイウェル
脚本:ハドリー・デイヴィス
撮影:デヴィッド・ヘニングス
音楽:クリストフ・ベック

出演:ミシェル・トラクテンバーグ
    ジョーン・キューザック
    キム・キャトラル

       *       *       *

たまたまケーブルテレビでみた映画、妙に主演の女の子が色っぽくて・・、決して私の好きなタイプ?って言われるとちょっと違うんだけど、この映画のなかの彼女ミシェル・トラクテンバーグはなんだか素敵でした。
実は彼女のライバルの母親のキム・キャトラルも年取ってるけどなんだが素敵。でも見ているときはわからなかった。見終わってきになってしらべてみたら「ああ、そうだ。『マネキン』のおねーちゃんだ!」と気づき、そのあとに最近はやりの『SEX AND THE CITY』に出てるらしいということを知りました。
なんだか、この人、歳取ってからのほうが味があっていいかも。

物理学の秀才ケーシー(ミシェル・トラクテンバーグ)は、ハーバード大学入学の奨学金を得るためのレポートとして、フィギュア・スケートの回転の分析を研究テーマに選んだ。スケートリンクを訪れ、選手たちの練習風景をビデオカメラに収め、分析を続けるうちに自らも滑ろうとスケートを習うことに。すると、彼女はスケートの才能を見出され、やがて選手として大会に出場するところまでいってしまう。仲良しの選手のコーチ(キム・キャトラル)は彼女の母親で以前はスケーターとしてならしていたらしいが今はその夢を娘にたくしている。しかしスケーティングではケーシーのほうが上。彼女はケーシーに新しい靴をはいて決勝をすべってはと震源、しかし靴がなじまないケーシーは転倒してしまう。それでもケーシーななんとか全国大会に出られる位置にはのこった。しかし、キム・キャトラルの娘は自分の才能の限界をしりそこでスケートはやめてしまう。すまないとケーシーに誤るキム・キャトラル。どうしても娘に勝たせたかったと・・。
そんなキム・キャトラルのかつての実力を知ったケーシーは、あえて彼女にコーチを頼む。そして全国大会をめざすのだった。

そこにはケーシーの母(ジョーン・キューザック)がからんできて、彼女は自分の娘にスケートなんかさせたくなくって普通に大学におもっていたりするのだが、最後は仲直り。キム・キャトラルとふたりでケーシーの可能性をみまもっていくことにするのだった。

フィギュアスケートものといえばそのスケートシーンがなかなかきちんと描けなくて、しょぼいものがおおいのだが、そのなかでもこの映画はかなりしっかり出来ていた。最後のリンクサイドの開設にはミッシェル・クワンがゲスト出演。ケーシーが大技に挑み転んでもメンタルを取り戻してびんびん滑っていくシーンでアナウンサーさんが、「大技を失敗しても立ちなおって素晴らしい演技をみせたのは〇〇五輪のときのミドリ・イトー以来です」と解説。ちょっと嬉しかった。
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by ssm2438 | 2009-02-19 08:37
2009年 02月 19日

恐竜の島(1974) ☆

f0009381_156034.jpg監督:ケヴィン・コナー
脚本:ジェームズ・コーソーン、マイケル・ムアコック
撮影:アラン・ヒューム
音楽:サム・スクレア

出演:
ダグ・マクルーア (ボーウェン・タイラー)
スーザン・ペンハリゴン (リサ・クレイトン)

        *        *        *

中学校と映画少年でテレビや劇場でけっこう映画を見ていたのですが、高校になるとほとんど映画を見に行く時間がなくなってしまったある日、ふと、映画館が恋しくなり高校の帰りにいつも乗るはずの6時4分の汽車をパスして劇場にはいって見た映画。タイトルなんてなんでもよかったのです。ただ、久しぶりに映画館に自分を存在させてみたかったとうだけ・・。そのときは内容などほとんど覚えていはいなかったのだけど、後にテレビか、ビデオでみたのでなんとか記憶にのこっている感じ・・といっても、これもテオ・アンゲロプロスの映画とおなじくらいつまらない映画だった。つまらないというか・・しょぼい映画。

<あらすじ>
第一次世界大戦中、大西洋。アメリカ人船長ボウエン・タイラー(ダグ・マクルーア)が指揮する連合軍輸送船が、ドイツ軍のUボートに撃沈される。タイラーやイギリス人生物学者スーザン・ペンハリゴン(リサ・クレイトン)らは洋上に脱出運良く、浮上したUボートを乗っ取ることに成功。しかし、Uボートは流氷の中をさまよった末、太古の恐竜が棲息する孤島に漂着してしまった。タイラーとUボート艦長フォン・ショーンフォルツは協力して島からの脱出を図るのだが・・結局失敗。その島で起きたことを手紙にかきとめ、ビンにつめて海へ流す・・。

by ssm2438 | 2009-02-19 01:38
2009年 02月 19日

続・恐竜の島(1977) ☆

f0009381_221339.jpg監督:ケヴィン・コナー
脚本:パトリック・ティリー
撮影:アラン・ヒューム
音楽:ジョン・スコット

出演
ダグ・マクルーア (ボーウェン・タイラー)
パトリック・ウェイン (ベン・マクブライド)
サラ・ダグラス (女性記者チャーリー)
ダナ・ギレスピー (ガルー族の女アジョー)

        *        *        *

日本の表記では『続・恐竜の島』だが、原題は「時に忘れられた人々」(実は前作は「時に忘れられた島」)だった。で、今回は人間がでてくるのです。それがいやだったかな。主演のパトリック・ウェインは当時『シンドバッド虎の目大冒険』で主演をこなすなど、ひそかに使われていた男優さんの一人だったが、これを最後にみなくなった(苦笑)。

あいかわらずくだらない映画だが、ま、そのくだらなさを受け入れてみるのがこの手の映画の鑑賞術でもある。最後のほうでは日本の鎧武士まであわらわて大暴れ、なんじゃそれは???

<あらすじ>
前作の最後で、流された瓶詰めのタイラー(ダグ・マクルーア)の手紙を誰かが海岸で拾うところから物語が始まり、その手紙が彼の友人ベン・マクブライド(パトリック・ウェイン)や女性記者チャーリー(サラ・ダグラス)らも同行する救助隊が派遣された。タイラーの手記に従い、水陸両用の飛行艇で氷壁を超えて島に到着した一行は、恐竜に襲われそうになっていたガルー族のアジョー(ダナ・ギレスピー)という娘を助ける。タイラーはガルー族と暮らしていたが、ナガ族にさらわれたことを知った一行は、救出に向かった。だが、タイラーはナガ族の手から謎の一団によって髑髏城に連れ去られていた。

by ssm2438 | 2009-02-19 00:00
2009年 02月 18日

明日に向って撃て!(1969) ☆☆

f0009381_20524492.jpg監督:ジョージ・ロイ・ヒル
脚本:ウィリアム・ゴールドマン
撮影:コンラッド・L・ホール
音楽:バート・バカラック

出演:
ポール・ニューマン (ブッチ・キャシディ)
ロバート・レッドフォード (サンダンス・キッド)
キャサリン・ロス (エッタ)

       *        *        *

我々の青春時代は、この映画が良いものだと磨り込まれていたような気がする・・・。

決して悪いとは思わないが、でもいいとも思わない。私自身アメリカン・ニューシネマというものが大嫌いで、あれを見るとただたんに麻薬やって、らりって銀行強盗やって、反権力、反国家、反権威・・をさんざん唱えた無責任垂れ流し映画だとしかおもえない。で、やっぱりこの映画もその中のひとつだと思う。
ただ、他のアメリカン・糞・ニューシネマの映画というのがほとんどクソであるなかで、まだこの映画はみていてもそれほど気分を害することがないのは事実である。

ロバート・レッドフォードが演じたサンダンス・キッドの名前をとって、サンダンス映画祭なるものがレッドフォード主催で行われるようになってもうかれこれ20~30年近くになるのかな? 名前の由来はこの映画であった。ちなみにサンダンス映画祭のグランプリ作品でアタリを見たことがない。

監督のジョージ・ロイ・ヒルは、『リトルロマンス』で感動させてくれてるのであんまり悪く言いたくないのだが、しかし、子供の頃に擦り込まれた「この映画は良い映画である」の神通力が薄らいできている今、それほど面白いとは思えないのが実状だ。それは『スティング』にも言えることである。

<あらすじ>
大胆な発想と行動力で計画を実行に移すが、実は人を撃った事がないチキンなブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)。冷静で二枚目、しかしその甘いマスクとは正反対に銃の腕はピカイのサンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)。そんな二人は1980年代の西部で列車強盗を繰り返していた。彼らの悪行に業を煮やした鉄道会社は最強の刺客をはなつ。その刺客は二人を追い詰めていく。二人は初めて恐怖を味わった。二人は巨大な滝まで追いつめられ、逃げ場を失ってしまう。ブッチは一か八かで滝つぼに飛び込もうとサンダンスに提案するが、サンダンスはかたくなに拒否し続ける。サンダンスは泳ぐことができなかったのだ。大笑いをする二人だったが、ついに意を決して飛び込んだ。
ブッチは、銀、錫などの鉱山資源の豊富なボリビアへ行って荒稼ぎしようと、サンダンスを誘う。そして、スペイン語のできるサンダンスの彼女で女教師のエッタ(キャサリン・ロス)も一緒にボリビアに渉った3人だったが、そこは貧乏国でお金のありそうなところは小さな銀行しかない。しかもとりあえず押入ってみるが、スペイン語が話せないので、彼らも反応してくれない。しかたなく、銀行強盗をやるためにスペイン語をエッタの指導で習い始めるブッチとサンダンス。
とうとう二人は足を洗い、錫山のガードマンとなった。エッタは 2人がカタギになったことを喜ぶ。しかし、そんな温い生活では彼らは満足できなかった。数年後、彼らは鉱山の給料を奪い、再び警官に追われる身となった。捜索には、ボリビア軍隊までも動員され、2人はあえない最期をとげた。

by ssm2438 | 2009-02-18 20:53