西澤 晋 の 映画日記

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2009年 02月 03日

赤い砂漠(1964) ☆☆☆☆

f0009381_9321167.jpg監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本:ミケランジェロ・アントニオーニ
    トニーノ・グエッラ
撮影:カルロ・ディ・パルマ
音楽:ジョヴァンニ・フスコ

出演:モニカ・ヴィッティ
    リチャード・ハリス
    カルロ・キオネッティ

        *        *        *

アントニオーニの映画のなかではきわめて分り易い映画だろう。アントニオーニのなかではこれが一番好きだ。

まず、この映画を理解するには「離人症」を知らなければならない。ほとんどのこの映画の説明を読むとノイローゼとか心的障害とか書かれているが、一番ぴったりくるのはこの「離人症」という言葉だろう。多重人格2歩手前くらいかな・・。
その昔『24人のミリガン』というダニエル・キースの本がありましたが、そのころ彼が多重人格ものにこっておりまして、私もちょっと調べたことがあるのです。基本的には多重人格というのも、本来その人の人格が受け止めなければいけないストレスだけど、受け止めようとすると自分が崩壊してしまうと判断した場合は精神がっ責任放棄してしまうわけです。それが「離人症」だったり「解離症」だったりするそうです。「離人症」の場合はまだ自分が自分であるのだけど、自分の体に魂がはいってないような状態らしいですね。それに対して「解離症」になうと心が分離しているときには自覚がなくなるそうな。そのときに別の人格がその体を支配していると多重人症ということになるらしいです。

この物語の主人公、ジュリアーナ(モニカ・ヴィッティ)は交通事故にあい、極度のストレスから「離人症」になっている・・とっ解釈するのが一番分り易いのではないかと思われます。

ミケランジェロ・アントニオーニは、彼女のもつ不安を日常生活のなかに見られる何かで表現しています。
あるときは工場の廃液によごれた河川、工場か噴出す煙、立ち並ぶ送電線、強大なタンカーなど。そんなジュリアーナになんとか助け舟をだしたいと思っているのがコラド(リチャード・ハリス)。しかし彼も彼女にとってはわずらわしい存在になっていく。どんなに物語が展開しようとも、なにもかにもが不安でたまらない・・・・、そんなモニカ・ヴィッティの映画でした。


・・・で、いま突然思い出した。
そういえばメグ・ライアンの映画で『キスへのプレリュード』って映画があったけど、メグ・ライアン演じたあの主人公もたぶんこの離人症だったのでしょう。もう一人の爺さんもそんな状態だったのかな、きっとその離人症同士があるとき波長があって性格が移動してしまったってことなのかも・・・。
あの物語を書いた人、きっと離人症で苦しんだことがあるんじゃないかなあ。あるいは・・・ゲイか・・・。

by ssm2438 | 2009-02-03 09:34 | M・アントニオーニ(1912)
2009年 02月 03日

駅/STATION(1981) ☆☆☆

f0009381_8491631.jpg監督:降旗康男
脚本:倉本聰
撮影:木村大作
音楽:宇崎竜童

出演:高倉健
    倍賞千恵子
    いしだあゆみ
    烏丸せつこ
    古手川祐子

        *        *        *

やはり木村大作の画面がすばらしい!! 雪をバックに、あるいは冬の海をバックにした健さんを望遠で撮るとそれだけで絵になってしまう。

この映画、1981年日本アカデミー賞作品賞、主演男優賞、脚本賞をとっているそうな。悪くはないのだが・・、エピソードがいろいろあってひとつに収束する物語ではないのでいまひとつ求心力がないかな。ただ、そうはいっても倉本聡の書き出す人間像はとてもじわっとくるものがあり、一つ一つのエピソードは心うったえかけるものがある。

<あらすじ>
その日、警察官の三上英次(高倉健)は雪の降り続く銭函駅ホームで、妻の直子(いしだあゆみ)と、四歳になる息子義高に別れを告げた。苛酷な仕事と、オリンピックの射撃選手に選ばれ合宿生活が続いていたあいだ、孤独にたえられなくなった直子は浮気にはしった。離婚を承諾した直子は、動き出した汽車の中で、英次に笑って敬礼するが、その目には涙が溢れていた。

f0009381_183252.jpgそれから10年がたった1976、英次たちは赤いミニスカートの女だけを狙う通り魔を追っていた。増毛駅前の風侍食堂につとめる吉松すず子(烏丸せつこ)の兄、五郎が犯人として浮かんだ。すず子はチンピラの雪夫の子を堕すが、彼を好きだった。雪夫は結婚を口実にすず子を口説いた。すず子は、愛する雪夫を兄に会わせたくて駅に案内した。刑事たちが五郎めがけていっせいに走り寄った。すず子の悲鳴がこだました。

4年後、 英次のもとに旭川刑務所の吉松五郎から、刑の執行を知らせる手紙が届いた。四年の間、差し入れを続けていた英次への感謝の手紙でもあった。英次は故郷の雄冬に帰ろうと、連絡船の出る増毛駅に降りた。風待食堂では相変らず、すず子が働いていた。雪夫は結婚したらしく、妻と子を連れてすず子の前を通り過ぎて行く。
舟の欠航で所在無い英次は、赤提灯「桐子」に入った。テレビでは八代亜紀の「舟唄」が流れている。大晦日、二人は留萌で映画を観た。初詣の道陰で桐子(倍賞千恵子)を見つめる一人の男に気づく英次。雄冬に帰った英次に十三年ぶりに直子が電話をかけてきた。池袋のバーでホステスをしているという。“指名22号"のタレ込みがあり、英次は増毛に戻った。手配写真と、桐子を見つめていた男の顔が英次の頭の中でダブル。桐子のアパートいってみると22号がいた。「にげて」という桐子。しかし22号は英次の拳銃で撃ち殺された。警察に通報しながら22号をかくまっていた桐子。筋がとおらんじゃないか・・と問い詰められ

「とおりませんね。でも、男と女ってそういうもんじゃないんですか」と桐子。

・・・・まったくである。

札幌に戻る前、英次は桐子を訪ねた。英次に背を向け「舟唄」を聞き入る彼女の顔に涙が流れていた。

by ssm2438 | 2009-02-03 08:12 | 木村大作(1939)
2009年 02月 03日

バガー・ヴァンスの伝説(2000) ☆☆☆☆☆

f0009381_8303767.jpg監督:ロバート・レッドフォード
脚本:ジェレミー・レヴェン
撮影:ミヒャエル・バルハウス
音楽:レイチェル・ポートマン

出演:ウィル・スミス
    マット・デイモン
    シャーリーズ・セロン

       *       *       *

この人の映画だけは絶対劇場に見に行くという映画監督さんが何人かいる。そのなかの一人がロバート・レッドフォード『普通の人々』でその技術力のたかさを見せ付けられて以来、この人のファンになってしまった。

彼の映画の一貫したテーマは<癒し>。そして<自然との一体感>だろう。この映画にそれがもろにあらわれている。このひとつ前の作品『モンタナの風に抱かれて』もこのテーマだし、『リバー・ランズ・スルー・イット』もこのテーマだ。
ただ・・、私自身が彼の哲学と同じかといえば、実は違う。私の場合は、自然と一体となるよりも、自然に意地をはって一歩踏み出そう、それが自然との調和を乱そうとも、そこから新しい新秩序が生まれる。それが自然と生命との共存しながら進化していく歴史だ!と思っているので、思想的にはまんま受け入れらるわけではないのだが・・・。

<あらすじ>
若き天才ゴルファージュナ(マット・デイモン)は出兵後、その悲痛な体験からか引きこもり生活をつづけ、ゴルフクラブを握ることも泣く、かつての恋人アデール(シャーリーズ・セロン)とも接触をたっている。そんなジュナをなんとかしたいアデールは町おこしのゴルフ・マッチを企画した。スターゴルファーを二人招き、地元出身ということでジュナもそのゲームに登場させることにした。
その話をのりきではないまま受け入れたジュナ、しかし、かれのショットはぼろぼろだった。そんなジュナのまえにバガー・ヴァンス(ウィル・スミス)と名乗る不思議な男が現われる。彼は5ドルの報酬でジュナのキャディの仕事をもうしでる。
バガー・ヴァンスのとくことといえば、自然と一体化すること。自然と調和すること。そしてもっとも調和したショットをイメージし、それを実行すること・・・。
開始当初はぼろぼろだったジュナも、ラウンドが進むごとに自然と調和したしょっとが打てるようになり、昔の自分をとりもどしていく。そして、もう自分が不要だとさとったバガー・ヴァンスは、キャディの仕事を少年ハーディにたくし夕暮れの海岸に消えていくのであった。

by ssm2438 | 2009-02-03 07:52 | R・レッドフォード(1936)
2009年 02月 03日

続・荒野の用心棒(1966) ☆☆

f0009381_17222775.jpg監督:セルジオ・コルブッチ
脚本:フランコ・ロゼッティ
    ホセ・G・マエッソ
    ピエロ・ヴィヴァレッリ
撮影:アンジェロ・ノビ
音楽:ルイス・エンリケス・バカロフ

出演:フランコ・ネロ
    ロレダナ・ヌシアック
    ホセ・ボダロ

     ×     ×     ×

いや~~~~~~正直ってはずしたな。昔はすっごくクールに思えたのにって、たぶん小学生か、中学生のころだけど。で、気になってもうみてみようかたおDVD買ってみてみたら・・・あああああ、こんなにしょぼかったっけ???

いやいや、冒頭はよかった。
小雨降る、ぬかるみのなかを棺おけひきずって歩く男。これでさすらいのジャンゴのテーマがながれてきたらそら、いいですよ。いや~~、イタリア語勉強してこの主題歌はカラオケでうたってみたいと思ってしまいます。

・・がしかし、本編みるとやっぱりしょぼい。絵作りというい点でマカロニ・ウエスタンは下手。
あと、あんなにあかるかったっけ?
昔の印象派もっとグレーのイメージだったけど、私が見たのは白黒だったのだろうか。まあそうかもしれない。そのほうが良かったなあ。あのケバイ娼婦たちの色はとってもいやだし、空の色もかなり健康そうな青。うむむ・・前編しとしとの雨にしてぐじゅぐじゅの道でやってほしかったなあ。

あと、やっぱり基本的に西部劇はつまらない。
勝負は早撃ちできまってしまうので、見せ場はそれまでのはったりかまし合い。
このはったりかまし合いってのはどうも弱者のヒーロー像っでだめなんだ。
弱者ってどうしても絶対負けない精神状態で戦わないと安心できないものなので、ケンシロウとか、ドラゴンボールとか、余裕かましあいばっかり。この手のものを見てると「あほくさ」って思ってしまう。
戦敗国の監督、観客ってこの手の作者から与えられた力と、えんえんの余裕のかましあいの前儀がすぎだよねえ。イタリアとか日本ってどうもそういうところがあるような気がする。
負けることへの恐怖の裏返しみたいで好かんな。

同じ西部劇でもジョン・フォード『駅馬車』☆☆☆☆☆とかはけっこう好き。はったりかまさないヒーローで、インディアンは単なる文明の外敵としてシンプルに描かれて得たし、いい時代だった。『荒野の決闘』☆☆☆☆はロマンチックでいいし。
フレッド・ジンネマン『真昼の決闘』☆☆☆も、きちんと恐怖する、そして圧迫されてる環境でびびりながらも意地はりまくる。ジンネマンの主人公を精神的に圧迫していくぎりぎり演出は好き。とはいっても、彼の圧迫演出は他の作品『ジュリア』☆☆☆☆☆とか『この命燃えつきるとも』☆☆とか『ジャッカルの日』☆☆☆☆とかのほうがよいけど。ただ彼の圧迫演出にたえられる観客があまり居ないってのもこまったもんだ。
私はどんなに強くてもきちんと負けること恐れて、それに対処しながら確実に勝てるための努力をつみかさねて行くほうが好き。偶然にかけて戦うよりもちいなさ可能性をすこしづつ具体的にすこしづつ広げていくほうが好きだなあ。

by ssm2438 | 2009-02-03 07:19
2009年 02月 03日

月光の夏(1993) ☆☆☆

f0009381_6164384.jpg監督:神山征二郎
脚本:毛利恒之
撮影:南文憲
音楽:針生正男

出演:渡辺美佐子
    滝田裕介
    田中実
    永野典勝
    仲代達矢
    小林哲子
    若村麻由美

        *        *        *

うむむむむ、特攻に行く前日、ピアノがひきたいからって、ピアノがある小学校まで走っていって、そこで月光をひいただけで帰っていくというのがとても素敵。これだけで泣ける話になるって感じだが・・・。

いい感じの映画なんだけど、ツボなところで演出力なり、絵力の弱さが見えてしまう・・。映画は所詮画面を通して伝えるもので、やっぱり絵力が弱い。もうちょっとかっこいい画面でとれなかったものかなあって実に悔しい。これが木村大作だったらなあって思う。とっても泣ける映画なのに、実に残念。

あと、マスコミの対応や、仲代達矢のリアクションらで、思い出として語られた二人のパイロットの話がほんとなのか??ってふうに疑われる状況が実にはがゆい。ラジオ記者(石野真子)やドキュメンタリー作家(山本圭)の態度もじつに不愉快。彼らがすこしづつ真実を暴き出していくというスタンスはいいのだけど、もうすこし書き方によって気持ちよい展開にならないというか・・、原作の人が脚本も書いているので本人はいいのかもしれないが、のちにくる感動の対比にしても今ひとつ・・思いやりというものを少しは彼らにもたせられなかったものかと思ってしまう。全体として彼らの利益の為に真実が食い荒らされたって感じさえする。

あと、最後の特攻のところはそれぞれの特攻に向かう人の顔を取らずに実録の映像を流して、彼らが残らせた人にあてた手紙の朗読を流す・・ってほうがよかったのでは? あそこで撮影力の乏しい画面をみせられると冷めてしまう。。

・・・と、感動を冷ます点は数々あれど、泣ける映画であることに変わりはありません。

by ssm2438 | 2009-02-03 05:43
2009年 02月 03日

フォクシー・レディ(1980) ☆

f0009381_3333710.jpg監督:エイドリアン・ライン
脚本:ジェラルド・エアーズ
撮影:レオン・ビジュー
音楽:ジョルジオ・モロダー

出演:ジョディ・フォスター
    シェリー・カーリー
    サリー・ケラーマン
    ローラ・ダーン

       *       *       *

ホントはテレンス・マリック『天国の日々』を借りようかとゲオにいったら、それがなくて、うろうろしてたらこれをみつけた。つまらないのだろうとはおもいつつ、それでもエイドリアン・ラインの作品のなかでこれだけはみてなかったのでとりあえず借りてみようかと借りた。

・・・とにかくつまらない。お前ら勝手に腐ってろ映画!
ジョディ・フォスター他3の青春映画。SEX、妊娠、ドラッグ。
それでもエイドリアン・ラインの画面はやっぱり素敵。特に夜のシーンになるとみていてうきうきしてくる自分がいる(笑)。でも、ほんとに話はつまらない。
これ以外のエイドリアン・ライン作品だったらみてもそんなに詰まんなくはないと思うが、これだけは心底つまらない。要注意作品だ。

by ssm2438 | 2009-02-03 03:24 | エイドリアン・ライン(1941)
2009年 02月 03日

キング・コング(2005) ☆☆

f0009381_254039.jpg監督:ピーター・ジャクソン
脚本:ピーター・ジャクソン
    フラン・ウォルシュ
    フィリッパ・ボウエン
撮影:アンドリュー・レスニー
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

出演:ナオミ・ワッツ
    エイドリアン・ブロディ
    ジャック・ブラック

        *        *        *

ピーター・ジャクソンの熱い想い入れだけは感じた。

しかし・・・、正直だれたかなあ。この映画のだれだれ要因のひとつは、<ショッカーの戦闘員は仮面ライダーが変身しているとき攻撃してはいけない>の法則、または<シュリの弾は主人公に当たってはいけない>の法則。
にぎやかしの演出が度を過ぎると、主人公たちだけ避けてるあざとさが見えてしまうので、それはやめようよ・・っていう現場の人のための戒め法則なのだけど、この映画ではそれをばんばんやってます。おかげで最初のうちはまじめに緊張したり怖がったりしてるのだけど、途中から感情移入してるのがアホくさくなってきて、もういいやって感じなってしまう。これがこの映画の一番の欠点。

オリジナルはみたことないのだが、ジョン・ギラーミン『キングコング』では、島でのコングの戦う相手を巨大な蛇にしてたのだけど、そんなふうなのがよかったなあ。さすがにもう恐竜はみあきてるのでゲップがでそうだった。
とはいえ、アンとコングのやりとりはとっても新鮮でよかった。最近ナオミ・ワッツはとてもいい感じに成長してると思うが、どっかでもっとビックになれる映画にであってほしいものだが、なんかトラッシュな女優でおわるかもしれない。

by ssm2438 | 2009-02-03 01:47
2009年 02月 02日

バニシング・ポイント(1971) ☆☆

f0009381_20284786.jpg監督:リチャード・C・サラフィアン
脚本:ギレルモ・ケイン
撮影:ジョン・A・アロンゾ
編集:ステファン・アーンステン
音楽監修:ジミー・ボーウェン

出演:
バリー・ニューマン (コワルスキー)
クリーヴォン・リトル (スーパー・ソウル)
ギルダ・テクスター (裸の女ライダー)

       *        *        *

全裸ライダーの貧乳がすてき!

アメリカン・ニューシネマですな。私の大嫌いな。
車版の『イージー・ライダー』ともいえる。私の嫌いな。
愛すべき映画ではないが・・、愛される映画かもしれない。

<あらすじ>
15時間でデンバーからサンフランシスコまでの車の陸送をやれるかどうかという賭けをしたコワルスキー(バリー・ニューマン)はアメリカの大地を全速力でぶっとばす。さすがに警官もコワルスキーの車を追い始める。このニュースを聞いた盲目のディスク・ジョッカー、スーパー・ソール(クリーヴォン・リトル)は興奮して、警察の通信を盗み取りして、情報をコワルスキーに流し始める。

この種の映画は、ある種の人間にはめっちゃ愛される映画だと思われる。70年代にはじめてみた映画がこれだという人。たぶん「いかすー!」って思ったに違いない。私は愛さないが、その魅力があるのも判る。それに権力や権威に対してやたらと反抗的な人。でも攻撃性があるわけではない。自分は誰にも迷惑をかけずに好きなことやってるのでなんで権力はそれ規制するんだ?って。生産性にとぼしく、消費性のなかでしか欲求がみたせない人。実にアメリカン・ニューシネマな人たちである。カッコたる生産的目的ももたず、反抗する相手として権力があり、なんでもかんでも犯行してたら引っ込みつかなくなって終わってしまった・・という流れ。こういう性質の人には実に妙に愛すべき作品だと思う。ただ・・、今見ると途中でやめたくなる可能性は高い・・はは。やっぱり退屈だ。

物語はデンバーからサンフランシスコまで車を走らせるというだけの話なのでかなり単調。そこにさりげなく過去のエピソードなどをインサートしながら主人公の人間性を描きつつ、ラジオのDJやら、ヒッピーやら、砂金探しのじいちゃんやらがなんとか主人公と接点をもちながら話をつないでいく。音楽も、ラジオDJが流すカントリーミュージーックなどが、車の走るシーンのBGMとしてつかわれてたりして、70年代の情緒はある。

f0009381_2024716.jpg困らない程度にお色気もある。
この主人公は元警官なのだが、上官が少女を麻薬所持の疑いで取調べ中に、弱みにつけこんで彼女を手ごめにしようとしたのをとめ、その女を逃がしクビになってしまったという過去話。そのパトカーの後ろで取調べと称して上官が女の子を裸にしようとするのだが、申し訳程度にオッパイ疲労してくれる。
さりげないサービスだなとおもっていると、後半では砂漠のまんなかで、素っ裸でバイクに乗るネーちゃん登場。このお姉ーちゃん、実はその昔助けた麻薬所持の女・・らしい。でも判別しづらい。バイクにのるのは初心者らしくかなり危なっかしい。あんな砂漠のなかでバイクなんかのったらお尻が焼けるんじゃないかと心配してしまう。ちなみにこのお姉ーちゃんにはタバコをもらうだけなのだが、味付けとしてはかつて自分を助けてくれた警官だったので、この人のニュース記事は全部切り抜いて集めてあったとさ。さりげなくというか、かなり強引に過去のアイテムを取り術。

by ssm2438 | 2009-02-02 21:07
2009年 02月 02日

戦火の勇気(1996) ☆☆

f0009381_2093250.jpg監督:エドワード・ズウィック
脚本:パトリック・シーン・ダンカン
撮影:ロジャー・ディーキンス
音楽:ジェームズ・ホーナー

出演:デンゼル・ワシントン
    メグ・ライアン
    ルー・ダイアモンド・フィリップス
    マット・デイモン
        *        *        *

このストーリー構成で面白い映画がとれるわけがない! 物語の展開は黒澤明『羅生門』展開。まあ、あれよりはこっちのほうがまだ馴染みやすい形にはなっているが、それでも話はばらばら。エドワード・ズウィックは私の好きな監督さんの一人だが、この映画だけはいただけなかった。

湾岸戦争中におきたカレン・ウォールデン大尉(メグ・ライアン)の功績の調査を依頼されたナット・サーリング大佐(デンゼル・ワシントン)は、関係者とおぼしき何人かの帰還兵にその時の話を聞いて周る。しかし彼らの話は食い違いを見せる。衛生兵のイラリオ(マット・デイモン)は彼女は勇敢だったと言い、モンフリーズ(ルー・ダイアモンド・フィリップス)は、彼女は臆病者で、恐怖にかられてパニックに陥ったと言う。最後は、重病で入院中の兵士アルタマイヤー(セス・ギリアム)から真実のストーリーを聞き出す。

これだけの話にしておけばまだいいのだが、何ゆえこの話をナット・サーリング大佐の戦時中の友軍の戦車を撃ってしまった話をくっつけなければならないのか・・??? そのあたりが「まず先に羅生門構成あり!」のスタンスでつくられている。それが好かん。だいたい羅生門構成が面白いと思うひとがいるのだろうか? どっかのだから「あれいは良い」っていったから自分で判断できない人間がつられて「僕もあれがいいと思う」って」いい、その連鎖の結果、面白くもないものを面白いとい輪なければならない社会状況をつくってるようの思える。

面白くないものは面白くない!ってきちんと言おう。
それが言える「勇気」があるかないかを試すリトマス試験紙映画でした。

by ssm2438 | 2009-02-02 19:40 | E・ズウィック(1952)
2009年 02月 02日

日本沈没(2006)  ☆☆

f0009381_1650846.jpg監督:樋口真嗣
脚本:加藤正人
撮影監督:河津太郎
音楽:岩代太郎
特技監督:神谷誠

出演:草なぎ剛
    柴咲コウ
    豊川悦司
    大地真央

     ×     ×     ×

これは日本が沈没の危機に瀕した場合を想定した映画なんだと思えば、そこそこよく出来てると思うのだけど‥‥、『日本沈没』という映画としてみるとちょっと悲しいなあ。

この原作の力強さは、
“日本人が、一個人の地球人として、たとえ日本がなくなっても生きていけるのか?”という自問にたいして、“うん、そう生きていける人間になるよ!”と自分自身に結論づけることを強制してるとろ。

だから私はこの原作、この映画が好きなのだけど、こういう見せられ方をしてしまうと‥‥、なんだかこの原作の一番大切なところが排除されて、CG使ったんなるパニックエンタにされてしまったことが非常にかなしいなあ。

これはたぶん基本部分で、製作首脳部の頭の悪さと商業主義がもろに出てしまったのではないかと思うんだけど。この映画の映画製作の現場の人たちはかなり頑張ってひとつひとつの画面を作ったと思う。
ただ、シナリオをつくる段階ですっごく安易な妥協がされてるような気がした。
これは映画だけじゃなくってアニメもだけど、最近の映画産業の傾向として、とにかくプロデューサー連中が作品のつぼをわかってない気がしする。彼らの頭が悪いからけっきょく作品が正しい方向にいかないのだろう。
そんな悔しさを感じさせられた映画でした。。

by ssm2438 | 2009-02-02 19:32